日はまた昇る  近現代史NO50   9月24日(月)

近現代史の旅50回目です。苦しい長い旅も終わりにしたいと思います。

学者でもない一介のビジネスマンが近現代史に挑戦するなど恐れ多い事
ですが、近現代史を教わっていない人たちに、日本がどれほど苦しい熾烈
な戦いを生き抜いてきたかを知ってもらいたくて、旅を続けました。

過去の歴史を振り返れば、当時は欧米列強の植民地主義が、地球のすみず
みまで支配していたということを前提にして小国日本の行動を考えれば
日本の戦争は、全て自存自衛の戦いだということが理解できます。

そして我々日本人は戦後明治以後の歴史の流れを検証せずに、中国や韓国
の「南京大虐殺」「従軍慰安婦」などの個々の捏造された口撃にあたふた
して、事実無根を訴えても彼らは聞く耳を持っていませんし、結果として
国際社会に宣伝することになり海外に真実として受け取られてしまいます。

まず日本人すべてが近現代史を勉強して歴史の真実を知る必要があります。
そのことを最近のテレビを見ていますと痛切に感じます。尖閣国有化に
激化する中国に対しての知識人を集めての討論会で、ほとんどの人たちは
1931年満州鉄道爆破(柳条湖事件)の自作自演から中国侵略が始まったと
いうことを前提にして参加していることに驚いてしまいます。

中国は戦後満州という言葉を中国史から消してしまうために満州の地を
「東北」と呼んでいます。なぜなら満洲は国際法である「万国公法」の
基準でいえば満州の地は清王朝の祖先の地であっても「無法の地」だった
からです。

アメリカの国務長官のヘンリー・スチムソンは「日露戦争当時、満州は
ほとんど空き地同然の辺境で、中国の支配の及ばない土地」と言ってい
ます。日本に亡命した孫文も「もし日本が支那革命を援助してくれるなら、
成功の暁には滿蒙を日本に譲る」といっています。

詐欺師孫文にとって満州どころか、揚子江以北ならば、中国の持ち物で
ないのだから日本に譲っても痛くもかゆくもなかった。

だから日本は脅威のソ連の南下を防ぐために満洲に新しい独立国を建設し
て日本とソ連の緩衝地帯にしておく必要があったのです。

そこで新国家を建設するために住民を略奪、虐殺をしていた、軍閥の
張学良を打倒するために柳条湖での日本鉄道爆破を決行して、張学良の
仕業として、張学良を駆逐したのです。

その後の支那事変の発端になった盧溝橋事件も中国共産軍が仕掛けた罠
であったことは戦後中国が得意げに発表しています。目的は蒋介石と日本
軍を無理やり戦わすことでした。

日本軍はいくら戦争する気がなくても、中共軍は日本人虐殺の通州事件、
上海事件といったテロ事件を次々起こし、日本軍を大陸のドロ沼に誘い込
んでいったのです。中共軍によって日本の居留民や駐留日本軍に次々テロ
活動を起こされたのでは、日本軍は救助に行かざるを得なかったのです。

私が言いたいことは、戦後日本を呪縛してきた歴史観には、戦争の一部分
だけを取り出して、そこへ中国や韓国の歪曲や捏造まで加えられて日本を
侵略国家だったとの誤った歴史観を植えつけてしまったことです。

そして日本の歴史書には、日本は欧米列強から身を守ろうとした弱い国
ではなく、最初から欧米列強と一緒になってアジアを侵略した悪い強国
と記述されています。

このような事がどうしても許せなくて、少しでも払拭したいという思い
から近現代史の旅を続けてきたのです。

今の若い人たちは、日本という国を欧米諸国よりはるかに後れて生まれた
途上国だと思っています。とんでもない、江戸はロンドンを超えて、100万
人口の大都市でした。中国のように単に人口が多かっただけでなく、その
社会システム・文明度は突出していました。現在の野蛮な中国よりも江戸
時代の方がはるかにまともで文明度及び民度の高い国でした。

日本は大東亜戦争に負けましたが、その目的であるアジアの植民地解放を
成し遂げました。まさに神の使命を果たしたのです。

日本は3000年かけて、長い歴史と文化の上に成立した万世一系の神代に
成立した神々し国家です。我々日本国民は歴史の真実を知って、日本国に
生まれたことを感謝し、自信と誇りを持って生きていきましょう。



(長い間私の拙いブログを応援していただき誠に有難うございました。
今年の夏は体調を壊して、何回も挫折しそうになりましたが、皆様の
コメントに勇気づけられてなんとか近現代史の旅を続けることができまし
た。少し休みます。1ヶ月か半年か永久か 分かりませんが、健康な体に
なって戻ってきます。皆様もお元気で日本のためにご活躍してくださる
ことを期待してこのブログを終わりにしたいと思います)





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コメント

お疲れ様でした
ゆっくり休養をとって是非また戻ってきてください

お疲れ様でした。
健康であることが一番だと思います。
充分、休息されて、
元気を取り戻され、また、ここを再開してください。
その日まで・・・・・

辻本様、ご苦労様でした。毎週月、水、金、貴ブログを楽しみにしていました。そして大変勉強させていただきました。有難うございました。体調を崩された由、貴ブログに対する嫌がらせも有ったやにお察しいたします。暫らくお休みの上、心身共に回復し、再度元気なブログを期待しています。多分私のようなファンも多いと察します。再起を楽しみにしてお待ちします。

長い間、本当にご苦労様でした。
楽しみが一つ減ってしまいますが、また早い時期に新しい気持ちでの復活を期待するものです。
同時に日本国民一人一人が正しい史実に基づく価値観を持つことを希望しております。

お疲れ様でした

荒れ気味のコメント欄にもあたふたすることなく、よく続けてこられたと感服しております。

一日も早い復帰をお待ちします。

日米開戦の真の原因

残念. 近衛文麿の役割について一言も触れなかった.

近衛文麿と真っ赤な(嘘の)朝日について触れないと
なぜ戦後をソ連と中共が勝利したかが分からない.

支那事変では陸軍が早く停戦に持って行こうとした事は
あらゆる事実が示している. 常に, 陸軍の現場の責任者は
率先して和平交渉を行なっている.

戦争になれば前線に出ていく当人が一番戦争をやりたくない
のは人間の心理. 更に, 指揮官にしても, 折角育てた
兵隊を失いたくないのは当然の心理だ. 兵隊は大砲ではない.
そんなことは日本人なら誰でも分かっていること.

なら, 陸軍に戦争を続けさせた者がいると考えるのが常識.

そこまで行かずに支那が悪い・米国が悪いと言っているのでは
現在の社会を考える手がかりにはなりはしない.

最近, 米国が一番悪いという主張を多く目にするが,
古来, 戦争と言うものは当時者間に責任があるもの.
米国は一応は民主主義の国だ. 例え, FDRが狂気の大統領であれ,
議会の承認を得なければ戦争はできないし, 議員は国民が選ぶ.
その米国を一方的に悪者にしても, 気持ちはすっきりするだろうが,
互いに何も解決できない. 真の原因を明らかにするまでは.

レーガン大統領, ブッシュJr.大統領が述べたことは,
戦争は共産主義の狂気が起こしたことであり, 米国はその影響を
しっかりと把握できていなかったという事実であり, それが
日米開戦の真の原因であったのだ.

この事実が分かれば, 日米は友好国であり, 中国共産党と
ソ連は敵視すべき相手である.

「平成シナ事変」と「尖閣危機」

今回のシナによる尖閣諸島侵略強奪計画に端を発する一連の出来事をマスコミは

「反日デモ」
「尖閣問題」

などと実態を反映しない呑気な名称で呼んでいるが、
シナ本土での一連の大規模な官製反日テロ事件は

「平成シナ事変」

と呼ぶべきではないだろうか?
(2005年の物と区別する為に「第一次平成シナ事変」(2005年)と「第二次平成シナ事変」(2012年)としても良い。シナの一方的な暴力で、日本は効力のある事を何もしていないが。)
既に「国際危機」の状態は越えている。

尖閣関連の一連の出来事については

「尖閣危機」

と呼ぶべきではないだろうか?
(平成シナ事変に尖閣危機を含めても良い。)

日本のマスコミは実態を反映しない呑気な名称を使用して、日本国民を騙して大損害を与えて来たが、我々ネットユーザーは、実態を反映した正しい日本語を作り、使い、広めて行くべきではないだろうか?
同時に、実態を反映しない間違った日本語を使う人を正して行く使命があるのではないだろうか?

正しい行動は、正しい情報から始まる。

以下に参考としてWikipediaより<事変>と<国際危機>の一部を紹介する。

--------------------------

<事変>
事変(じへん)とは、広範の非常事態や騒乱のこと。「事件」よりも規模が大きい。宣戦布告なしの戦争状態や、小規模・短期間の国家間紛争にも用いられる。

<国際危機>
国際関係における危機とは、国家間の緊張や不安が高まり、脅威が感じられ、暴力的な展開が予想され、何らかのアクションを取ることによって広範囲に影響が及び得ると信じられている状態であると、大雑把に定義することができる。

辻本 様、ありがとうございます。
本当にありがとうございます。

お疲れ様でした。
はじめてコメントいれさせていただきました。
このブログがあったおかげで、本当の日本の近代史が理解できたような気がしています。
月、水、金、このブログを読むのが私の束の間の楽しみとなっていました。

お休みされるということ、本当に残念でなりません。
また再開されること、心待ちにしています。

連載ありがとうございました。
近代史の大きな流れが分り、大変勉強になりました。
日本による侵略戦争として教育された世代ですが、
ネット時代になり、偶然、常識と思っていたことが全くの嘘とわかり、
愕然としています。日本の新しい夜明けになることを望みます!

お疲れ様でした。
大変ためになる話を聞かせていただき、ありがとうございました。
万時体が資本ですので、しっかり養生してください。

ありがとうございました

お疲れ様でした。
毎回、ブログを楽しみにしていたので休止は残念ですが、これからもがんばってください。
また、帰ってこられるのを心待ちにしております。

辻本 様
お疲れ様でした。
朝晩寒くなってきました。
年をとると、頭は若い時の気分が抜けないのに体がついて来なくなりますね。そこで無理をすると…途端に体が不調になる…。体調には十分に御気を付けください。
鋭気を養っての、またの復活を祈念しております。

中韓さんのブログでは、管理人様をはじめ沢山の論客さんから大変勉強させていただきました。

告白しますと
理工系人間ですが、昔から歴史が好きで歴史本を沢山読んで来ましたので…自虐史観からとっくに目覚めていると自惚れていました。
然し、日本の現状を知らなかった御花畑と、このブログで目覚めさせていただきました。
ありがとう御座いました。

一介の庶民ですが、日本の為に私もできる範囲で頑張りたいと思っています。

ブログ休止中のコメント欄を以前のように解放していただきですが…工作員や荒らしが蔓延っている現在…無理なお願いかな。

皆様 see you agein!
さようなら ではなく、またお会いしましょう!(願いを込めて…)

追伸:
ネットのコメントを止めたのではありません。また、どこかでお会いしましょう。

お疲れ様でした。
毎回の更新を楽しみにしておりました。孫文の実像等をはじめ知らない事が多く勉強になりました。辻本様の労作はきっと我が国の将来に資することと思います。ありがとうございます。

心からお礼を申し上げます


辻本様本当にお疲れ様でございました。

多くを学ばせていただき本当にありがとうございました。

貴ブログを楽しみにしている者の一人としては大変残念ですが辻本様のご健康が何よりです。

またご回復次第御戻りいただきこの危機的状態にある日本をお救いくださいますようお願いいたします。

お疲れ様でした。

本当にありがとうございました。
始めてのコメントですが、居ても立っても居られなく、コメントします。
ぜひ、回復されて、戻ってきてください。楽しみにしています。

近現代史の旅、とても楽しみにし勉強させて戴きました。ありがとうございます。
この旅を読み続けるうち、いつ別れのメッセージが出るのか胸騒ぎがしてましたが、嫌な予感が当たったようですね。
どうぞ、ゆっくりと休んでください。不定期でなく身体、精神の癒しにもっと時間を割いた方が良いのではないでしょうか。

あらまあ、そのときが来てしまったのですね。

本当に有り難うございました。
記事だけ残して、投稿されたコメントは消したものを
このまま残して頂きたい。
出来ればブログ主さまと通信できる方法があれば、
と願っています。

ここで瀬戸氏やくっくりさんのことを知り愛読先になってしまいました。

最後に、お体をお大事に。

腹八分。睡眠8時間。煙草厳禁。酒少々。紫外線から眼の保護、自分の歯を保つ、
発酵食品多く(納豆、味噌、ヨーグルト、日本酒、)。

受け売りですが、このとうりだと思います。
日本の盾として何時までもお元気で。
次の機会をお待ちしています。

連載ありがとうございました。
しっかりゆったりご養生されて、また是非戻ってきていただきたいと思います。
田母神俊雄氏や藤原正彦氏の著書で真実を知った後、このブログを知り、再確認できました。
本当にとんでもない嘘がまかりとおっており、ほっておいたらその嘘がそのまま歴史の事実
として定着してしまいかねません。

御礼

 辻本様 本当にお疲れさまでした。 そして、本当にありがとうございました。 暫くは英気を養って頂き、気力充実の折、再開して下さい、お待ちしております。

ありがとうございました。

お体に気をつけて英気を養って下さい。

他のブログと異なり批判的な投稿も掲載して
いただいたことに感謝申しあげます。

またの連載を楽しみにしています。

地方分権は危険

橋本大阪市長を始め多くの政治家が地方分権を叫んでいます。地方分権を進めて税収権も地方に移管すれば地方が活性化し、世の中が良くなるといいます。私から見ればマジックです。

日本の税収は国税、地方税の合計です。日本全体のパイが決まっているのに地方に余計に渡せば当然政府の財布は少なくなります。地方に渡った金はどうなるのでしょうか。黒字自治体は活性化に使うかも知れません。が、多くの自治体は借金の返済に回ります。

日本の殆どの自治体は借金に苦しんでいます。夕張市になりそうなところも沢山あります。地方自治体の借金は政府の国債借金と異なり県債は金融機関からの借金です。紙幣を発行するわけにはいきません。

こんな自治体に金を回せば、財政健全化努力をしないで借金の返済に回します。借金の返済はDGPを押し下げ国は貧しくなります。明治維新で中央集権国家が出来たのに、それを47諸侯の幕藩体制に戻すのでしょうか。

地方分権は国家を弱体化していきます。国の安全保障でさえ1地方自治体の我儘で前に進みません。いっそのこと、戦前に戻して県知事は政府の任命制度にしてはどうでしょうか。

ありがとうございました

いつも素晴らしいブログを書いていただき有難うございました。辻本さんのブログで多くの方が目を覚ましたと考えています。その方々が新しい「辻本」さんになって正しい歴史を多くの国民に伝えていただくことを期待しています。

いつの日か、新しいブログが始まることを願っています。
長い間お疲れさまでした。感謝しております。

全快されることを願っております。

解散に向けて徹底追及しよう。 民主党幹事長【輿石 東】

解散に向けて徹底追及しよう。 民主党幹事長【輿石 東】
http://www.aixin.sakura.ne.jp/axbbs/kzsj/cskssk.cgi
輿石東と公明党は関連情報で確認できる様に多く繋がりを持つ、突っ込み所は山ほどある。
公明党が積極的に推進してきた人権擁護法案を閣議決定する民主党野田内閣、これらを隠すために支那や朝鮮に
支配された反日売国テレビ局・マスコミが行なう霍乱報道に注意しながら、徹底追求を行い、一日も早い
解散総選挙を実現しよう。愛国系日本人は、この人権擁護法案の成立を阻止するために、この救国情報戦争に大勝利しよう。

感謝

初めてコメントいたします。
貴殿の想いが伝わってきます。
お疲れ様です。
体調が戻られるように祈願しております。

 どうもありがとうございました。50回にわたる大作で大変お疲れの事と思います。
 しかしお陰で、私達の国の歴史を良く知る事が出来ました。このシリーズはすべてコピーして一枚のファイルに保存しておりますので、いずれ友人達にも読んでもらおうと思っております。(笑)

 本当にお疲れさまでした!

素晴らしい知識のプレゼントに感謝です

お疲れ様でした。皆様同様、私も常に月水金を楽しみに読ませていただいていおりました。
その理由はただ一つ。1ミリの狂いもなく、全く同じ考え…と言うことだったからです。
私は学生時代に完全左翼教育を受けた世代でして、洗脳されて間違った知識を持って育ってしまった時代の者です。
もっと正確に言うと、近代史については学校では授業がなかったのです。
いわゆる3学期の終わりになったところで「この先は各自読んどけ~」ってやつです。
結局、テレビや本から得た知識がほとんどだったのですが、見事に罠にはまり、この国の先祖たちを蔑み、この国に誇りを持たず大人になりました。
しかし、今は違います。このブログも含め、これまで多くの知識を手にしました。
本当にありがとうございました。これからも楽しみしております。

本当に

ありがとうございました。このブログは、私に近代史と日本人のあるべき姿を教えてくれました。私に子供ができたときは、私もまた教科書には載っていない日本の近代史を伝えて生きたいものです。
 ありがとうございました。

ありがとうございました。

いろいろな機会作って下さり、ありがとうございました。
あっちこっち、つっかかっちゃったら、アラシとなってしまってました。ゴメンナサイ。(ですまないけど。)

また、充電して、いつかためになるお話しをまた聞かせてください。お疲れさまでした。
・・・・・・、寂しいわ。 (;;)

あと、いろいろ教えてくださった皆さま、かまってくださった皆さま、ありがとうございました。 この夏の苦い思い出として、一生忘れません。本当にありがとうございました。

最後に。

>地方分権は国家を弱体化していきます。国の安全保障でさえ1地方自治体の我儘で前に進みません
>2012/09/24(月) 13:57:59| URL| にっぽんじん

それを狙って地方分権の戦略が出てきたのでしょう。地方分権を旗印に掲げて来た連中の顔を見れば判り過ぎるくらいよく判ります。

尖閣、竹島で地方自治体が手を出せますか?
大震災と付随する災害に地方自治体に何ができます?
大規模感染には?
軍事テロには?

おおごとに何も対処できない弱小地方擬似国家が乱立するのは隣諸国にとって大層好ましい事態です。その隣諸国が日本の解体を望んでいるのは、今までの経過を見たら明らかです。

日本を潰すのは簡単ではないが独立した弱小自治体など簡単に潰せる。
その弱小自治体の首長が隣諸国出身者になったら眼も当てられない惨状が出現するのは間違いない。連続各個撃破で日本は消滅します。

日本人さんが言う通り、大変危険、危険すぎる。

教えてくださった大切なご教示を決して忘れません。
一日も早いご回復をお祈りすると共に、次回からの
新たな歴史旅行を楽しみにしております。

歴史は奥が深いと思っていたのですが、
最近は案外単純なのかもしれないとも思えてきました。
いや、単純な物事が複合的に折り重なっているので、
一見難しく感じるのかもしれないといった感じでしょうか。
そう思うのは、もしかすると貴ブログの影響かもしれません。

今回の連載はとても意義のあるものでした。
多くの人に読んでもらえるよう勝手に宣伝してみます。
自虐史観に囚われている日本人が多いのに加えて、
日本を取り巻く近代史に無関心な日本人が多いようです。
自虐史観だけでなくグローバリゼーションに洗脳されて、
何より大事なのは己の金という日本人が多くなったのでしょう。

そう考えればいずれにしても America が原因で、
今の日本の体たらくがあるのだなと感じています。
左翼思想でも反米でもありませんが、
日米関係についてもっと色々調べてみたいなと思います。

またいつか新たな記事が読めますように。
お疲れ様でした。

お疲れ様でした。

また、お待ちしています。

はじめまして。

東アジアの安全保障と昭和政治史に関心を持つ者として興味深く拝見しておりました。

また、中韓でのビジネスの実態など時機を得たわかりやすい解説も思索を進める上でたいへん参考になり毎回楽しみにしておりましただけに、一読者にとしては今回のご決断はまことに残念という他にありません。

とはいえどうか御身ご大切に。
またお目にかかれる日をお待ちしておりますね。
お疲れさまでした。


御礼

貴ブログのおかげで正しい歴史認識を得ることができたと感じております。

更新頻度、文量もさることながらクオリティの高さを維持し続ける、並々ならぬ苦労があったかと察しますが、どうぞ少しの間お休みされたあとは、またこの日本の為に、ブログを再開して下さいますようお願い致します。

ありがとうございました。

昨日放送されていましたNHKの番組、とても歯がゆい思いで観ていました。
それというのもこのブログを読ませていただいて真実の一端を教えてもらっていたおかげです。
このブログに出会えて本当に感謝しています。
また、是非是非再開を希望します。
これからはじまる日本の政権争いは、本当に大事で日本人にとって良い方向へ向かう事を祈っています。
本当にこのままでは、先人の方々の行いが無駄に消えてしまいます。

感謝

お疲れ様でした。
こらあ~中国、いい加減にせんか!を拝読して以来のファンでした。
淋しくなります。
復帰を心よりお待ち申し上げます。
ありがとうございました。
合掌

本当にお疲れ様でした。

小生のエスプリトーク失礼いたしました。

今度再開して頂ければ否定の論法はもう使わないことを誓います。

ご苦労様様でした。

日本国を思う熱い心が伝わる良いブログ
でした。
私もかなり乱暴な事を書きお見苦しい
と思われたでしょうが、ご容赦してくださり有難うございます。
辻本様のご健康を祈り別れの挨拶とさせて頂きます。

ご苦労様様でした。

ご健康を祈りして別れの挨拶とさせて頂きます。

ありがとうございました。

小生のような切り口を使った真実を求める方法は誤解をうみます。

今後は否定の論法を卒業してゆく所存です。

ありがとうございました。
お待ちしております。

ブログ主様、お疲れ様でした。
そして、有難う御座いました。
多くのことを勉強させてもらいました。
休止は大変残念ですが、お身体を回復され
また、再開されることを楽しみにしています。


長い間、有難うございました。

「日本」を取り戻した日本へ Go!

長い間お疲れさまでした。

 いろいろな歴史観があり、一つのことが正しいと言うことではないと言うこと、又、今の日本国民のほとんどの歴史観が間違っている。と言うことを多く学ばせていただきました。又、削除一切無しであろうコメント欄にもいろいろ学ばせていただき成長させていただきました。本当にありがとうございました。

 お体お大事にしてください。一日も早い復活をお待ちしております。 

 正直寂しいです(^^;)。

出会いは別れのはじまり

はじまりがあって 終わりがある なんとも寂しいかぎりです しかし撒いた種たちは確実に芽をだし 育ちつつあります 本当に最前線の戦いは辛いと思います。 有難うございました。

>健康な体になって戻ってきます。

お待ちしております。
辻本様は思考力と御見識が健全な人ですから大丈夫ですよ。
まさに現下の日支関係は「コラァ!中国」の通りになりました。

必ずや復帰してくださるよう、切に願う次第です。

お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。
過去形ではありますが、お元気になられた際には、また復活されることを切に願います。

それまでどうか英気を養われて下さい。

特亜も日本維新も怪しくなって
主様の意見を参考にしたかったので
とても残念です。

総選挙前には戻ってきてください
頑張ってください。


Appreciation of your efforts

辻本様。

本当にごくろうさまでした。

心より感謝いたします。

カナダに住む愚息にとって最良の歴史資料となりました。

ご自愛なされてください。

敬具。

たくさんのことに気づき教えられ、本当に感謝しています。
ゆっくりお休みになってから、また戻ってきてください。
日本には貴方が必要です!!

長い間お疲れ様でした

 いま覚醒した士ある勇士たちと日本国民により民主党政権を倒し真の日本を取り戻す機運が高まっています。

 次回辻本様が登場されるときはきっと、左翼売国マスゴミや進歩的文化人、在日支那朝鮮人、カルト宗教団体を駆逐一掃し嘗ての先達たちが命を懸けて守り抜いた世界に誇れる亜細亜のリーダーとして世界に誇れる「日本」になっていることでしょう。

 その時このブログがその一翼を担った回顧録としてネット史を飾ることと信じます。

 

お疲れ様

お帰りの日を楽しみにしております。

お疲れ様でした

いつもブログを読ませていただき、勉強させてもらいました。本当に有難うございます。またいつの日か、復活される日をお待ちしております。

管理人様、更新ご苦労様です。一連の大作を見事に完遂されましたこと、おめでとうございます。
体調不良については、ご自愛ください。管理人様が体調不良からご回復なさられて、再びこのブログを再開されますように祈念いたします。

お疲れさまでした。

初めて書き込み致します。お疲れさまでした。貴方の頑張りは必ず報われる時が来ると信じます。

「病は気から」とも言います。

この機会に十分ご静養なさってください。

メール街宣(本当にお疲れ様でした)

突然のことでびっくりしております。実は私はブログ主の学校の後輩に当たります。こんなにすばらしい先輩を持っていることを、いつもとても誇りに思っておりました。

フェイスブックにも、このブログのことを載せており、保守の国会議員の方からも、応援メッセージを頂くようになりました。

たしか前回も1年ぐらいで復帰されたと記憶しております。このブログの影響は、右翼にも左翼にも相当大きな影響を与えたと思います。大げさではなく、日本の歴史が塗り替えられる起点になるかもしれません。ゆっくり休養されて、元気になってください。もし再開されるのであれば、週1回ぐらいのペースでいいんじゃないでしょうか。

シュプレヒコール!! 私はブログ主を応援し続けるぞ!! ブログ主の熱い想いを若い人たちに伝承するぞ゙!!
  

長い間お疲れ様でした。貴ブログのおかげで日本が大好きになりました。
日本人であることを誇れるようになりました。このシリーズ、ぜひ本にしてください。お願いします。またのご登場首を長ーーくしてお待ちしております。ありがとうございました。

ありがとうございました^^

知らなかったことも多くあり、本当に勉強になりました。

また、お体の具合がよくなりましたら、
ぼちぼちとつぶやいてくださいませ。

お疲れ様でした。m(。_。)m

本当にお疲れ様でした。

いつも楽しみに拝見しておりました。
また、お元気になられたら復帰されることを、
心よりお待ちしています。

ブログ主様が今までの如何ばかりの苦労、心労をかけたか・・・

そして日本は一つの時代を終えつつあり、新しい時代を迎えようとしています。

激動する世界では絶えず変化しており、ブログ主様のブログによって目が覚めた人が少なからずいると思います。

いつかお元気で復帰なされますよう心よりお待ちいています。

お疲れ様でした。

本当にすごく勉強になりました。

ありがとうございました。

御礼

長い間お疲れ様でした。そして様々な妨害や障害にも負けず、当ブログを続けていただき有り難うございます。また、その強靭な精神と行動力を是非とも見習いたいと思います。

実は私も同じように以前は自虐史観にどっぷり染まった一人でした。(皆様も宜しければ是非とも当ブログ2011/8/22の記事「朝日新聞の大罪」をご覧になって下さい)
残念ながら未だ多くの日本人がこの忌まわしい洗脳教育から覚めない状態が続いています。

辻本様の一日も早い回復をお祈りすると同時に、一人でも多くの方々がこの国及び歴史に自信と誇りを取り戻す為に、当ブログの再開を心待ちにしております。

お体の具合、大丈夫ですか?

ご無理されることは決して望みませんが、まったりと
一日も早い再開をお待ちしてます。寂しいですよ〜

ブログ主様、

いつか元気な姿で、ブログ更新をお待ちしております。
長い間ありがとうございました。

御礼

お疲れ様でした。
ゆっくりお休みいただき、体調が元にもどり、
更に元気になられることを心よりお祈りします。
そして またいつか、できればまた近いうちに
引き続きの 辻本様のご活躍を楽しみにさせていただきます。

ありがとうございました

ここで目覚めさせていただいた者です。
未だに騙されてしまうこともありますが、基本はここでしっかりと学ばせていただきました。
最後に連載していただいた日本現代史によって小生もあれこれ復習しながらついて来れました。
コメント欄からも秀逸な多くのコメント、工作員の見分け方も一通り身につけることができるようになったと認識しております。

体調が回復されましたら、週ペースでも十分ですのでまたご指導お願い致します。

ありがとう ございました

お疲れ様でした。

とても勉強になりました。ありがとうございます。

ゆっくりと休んで下さい。この素晴らしいブログを知人等に口コミ宣伝して

行きます。できることをこつこつと。

御礼

ブログ主様、長い間色々な障害や妨害にも負けず当ブログを続けていただき有り難うございました。と同時にその強靭な精神力、行動力を是非とも見習いたいと思います。

実は私も自虐史観にどっぷり染まった一人でした。
(皆様、是非とも当ブログ2011/8/22の記事「朝日新聞の大罪」をご覧になって下さい)
残念ながら我が国では未だにこの忌まわしい洗脳教育から抜け出せない人が多く居ます。

ブログ主様の一日も早い回復をお祈りすると同時に、多くの日本人に我が国の正しい歴史認識及び自信と誇りを取り戻す為にも一日も早い当ブログの再開を願います。

長い間、有難うございました。

またお目覚めの時があることを期待します。
それまで、以前のように、お目覚めまで毎日ポチと押します。

お詫び

最初のコメントを送った後、表示されなかったので、以前の文章を思い出しながら2度目の文章を送ってしまったので連投と云う形になってしまいました。

ブログ主様及びコメント欄をご覧の皆様にはお見苦しい所をお見せしました事をお詫び致します。

・・・しかし最後に誤爆とは・・・○| ̄|_

 長い間ご苦労様でした。勉強になりました。

 パソコンの作業は、姿勢が悪くなりがちです。他に特に病気など無く、頭痛や耳鳴りがある場合、姿勢を良くし、十分な水分補給と、首や肩の筋力を鍛えることをお勧めします。

 また、元気になられて、ブログの再開を期待します。

長い間お疲れ様でした、充分な休養をされて、
復活なされます事を希望します。
色々と勉強になりました、心より感謝いたします。

http://www.youtube.com/watch?v=KyUBsWAF6dA&feature=related

最高の旅だった。
Come back again!

ブログ主様

長い間、ありがとうございました。
いつもスレ違いのコメントばかりで失礼いたしました。

ゆっくり休んで、三度復活する日まで、お待ちしております。

わたしも三度目の復活お待ちしています。
経営者のお立場ということで、いつも見解をお尋ねしてばかりでした。
お元気になられたらまたいろいろお聞かせくださいね。ありがとうございました。

御礼

日本史は世界史の一部で、並行して考える事、大変勉強になりました。
特に、宣教師と白人の植民地政策!
明治維新とアジアの植民地支配!
この二つが繋がった時、日清、日露、大東亜戦争の意味と、御先祖様が命を懸けて、まさに千代に八千代に護り伝えてくれた事、家族の住む国を護るという純粋な正しさに、感謝と感動で涙が止まりませんでした!
本当にありがとうございました、ゆっくり休んで下さい、楽しみにして待ってます。
ご苦労様でした!

ありがとうございました

お疲れ様でした。お身体、しっかり治して下さいませ。

ずっと腑に落ちなかったことを理解するきっかけになったブログでもあります。
(2008アーカイブ未読ですが…)
他国がいくら歪曲・捏造しようが、日本人の心を打つのは『真実』だけ。
真実を唱えること程、嘘をついている側にとって怖いものはないのでは。
日本に住む子供たちが、真実の歴史を語れるようになる社会が来ると、
信じています。

また、元気な『声』が読める日を楽しみにしております。

ひとまずお疲れさまでした。

中共の動きが増してきた今こそ貴方は必要な人です。ゆっくり休養されて必ず戻ってきてきださい。

有難うございます。

はじめてメールをさせて頂きます。

本年何時ごろからか、なんとなく文脈からご健康のことが気になっておりました。このような真実を伝えていく事は本当に骨がおれるだろうなあ。お疲れではないだろうかと心配をしておりました。残念な事に心配が当たってしまいました。

私も読み進めるのに大変なエネルギーを要しました。今までの歴史観がひっくり返るのですから。新しい記事、過去の記事と私の知らなかった事が山積みでそれはそれは驚きの連続でありました。

PCをはじめるのが遅かったせいもありましょうが、まさか55歳にもなって真実にめざめるとは・・・。

とにかく今はゆっくりとお体を休められ、体調をお整えいただきたく願っております。ブログ主様のおかげで、自虐史観から脱却し目覚めることの出来た日本人がおります。

長い間ほんとうに有難うございます。

楽しみがひとつなくなります。

ありがとうございました。
ここもいろんな事がありましたね。また戻ってくださることを信じています。
 私はヨンさまにはまり、韓国に興味を持ち、韓国の反日に違和感を感じ、
ネットを探して、ここにたどり着きました。何年になるのでしょうか?
いろいろ教えていただきありがとうございました。
ぜひ今回の近現代史を1冊の本にしてください。子供や孫に読ませたいです。

日本よ光あれ

何度生まれ変わろうと、私は日本に生まれたい。
この国に生まれ今生かされている事に深く感謝し、偉大な先人達に恥じる事なく
生きて行こうと思います。
日本は歴史上幾度となく窮地に立たされてきましたが
そのたび不死鳥のように復活して
世界を驚かしてきました。
世界でもっとも誇り高き大和民族。
私達にはできる!!

ブログ主様お疲れ様でした。
7月頃からずっとロムらせて頂いており大変勉強になりました。
私は大津の事件から「なんで加害者こんなに守られてるの?オカシイ!!」と色々調べてる内に民主党、在日、韓国、そーか、部落、どーわ、などなどの問題にブチ当たり、流れ流れてこのサイトに辿り着きました。

戦争付近の近代史を当時の方々の心象と絡めて解説して頂き大変わかりやすかったです。と、同時に日本の未来の為に闘った先人達を思うと胸が張り裂けそうになります。
偉大な先人達が命掛けで守った日本を私達の世代が守らないといけないっ!と思える様になりました。
本当にありがとうございました。

残念。

再開を待ちます。

おつかれさまでした

力のこもった歴史シリーズありがとうございました。


おつかれさまでした
数年前人気ブログランキングでここを知り、以来ほとんどの記事に目を通させていただいております
正直に言うと、ときどきアレここ違うのではないかと思うこともありましたが、
中国の歪んだ歴史やら人民の劣悪な品性など、大変参考になる記事が
多くありました。変な言い方ですが、今回の騒動もやはり来たかと思う程度で特に驚かなかったのも、ここの貴重な記事のお陰だと考えております。
体調が悪いということですが、お体を大切にして下さい また、復活されることを心より楽しみにしております ご自愛を....

おつかれさまでした

今までありがとうございました

本当にありがとうございました!

本当に本当にありがとうございました。
やっと目を開く事が出来ました。

こちらでいろいろ勉強させていただきました。ありがとうございました。

沖縄の真実を放送しているラジオです。
youtubeに毎回アップされます。
ぜひお聞きください。
http://www.youtube.com/watch?v=vCLP1U1zdLo

ありがとうございました

お疲れ様でした。
このブログで凄く勉強をさせていただきました。
ありがとうございました。
また元気になられて復活される日を心待ちしています。

「近 現 代 史 の 旅 」 全5巻


近現代史の旅 Ⅰ
橋下市長が子供に近現代史を教えたい    2012/06/01(金)~
日露戦争の衝撃   近現代史の旅 NO10  2012/06/23(土)

近現代史の旅 Ⅱ
日露戦争斜め論  近現代史NO11  2012/06/25(月) ~
天に唾する朝鮮人  近現代史の旅 NO20 2012/07/16(月)

近現代史の旅 Ⅲ
誰が戦後史観を歪めたか? 近現代史の旅 NO21 2012/07/18(水) ~
孫文神話の虚実 近現代史の旅 NO30 2012/08/08(水)

近現代史の旅 Ⅳ
辛亥革命の真実 近現代史の旅 NO31 2012/08/10(金) ~
米国の狙いは満州  近現代史NO40  2012/08/31(金)

近現代史の旅 Ⅴ
日本の戦争は全て自衛の為  近現代史NO41  2012/09/03(月) ~
日はまた昇る  近現代史NO50   2012/09/24(月)

関連画像やデーターを挿入して、A4で151ページになりました。
心ある友人・知人に配布しております。

ある企業経営者が、取引先の社長・会長に 「近 現 代 史 の 旅 」 全5巻 を社員教育の教本にするよう指示したそうです。

日本人必読の書になるよう、祈念しております。

ブログ主様、 誠にありがとうございました。
そして、ご苦労様でした。

日はまた昇る

http://www.youtube.com/watch?v=nJqC2LaIMkQ&feature=player_detailpage

(・”・)

お疲れ様でした。

辻本様、ナポレオン・ソロ様、本当に様々な事を学ばせて頂きました有難う御座います。難しいでしょうけれども、このブログの内容とソロ様のコメントを本にして出版する事などは出来ないのかなどと考えてしまいます。御二人とも歴史学者以上の知識だと思います(と云うか、このプロの学者が問題の元凶でしたねw)。このまま一部の人の目にしか触れないのでは、余りにも勿体無い内容ではないかと思います。ソロ様は、私と同じエンジニアと云う事ですが、本当に大したものです。
ところで、これは2009年に私が執筆した小論文です。PC音痴の私は、Eメールの拡散のみを手段として3年間地道にこれを拡散して参りましたが、この度、支援者の方がWEBサイトを創って下さいました。正しい歴史認識を、私なりに証明をしたつもりです。皆さん、もし宜しければ是非ご活用下さい。
◆勝者の書いた歴史は真実か?◆
http://erdrick.web.fc2.com/

P.S.

辻本様、貴方は国士であり、また私のそして皆の英雄です。どうかご自愛なさって、休養を充分に取られたらまた戻って来て下さい。
こちらロスでも仲間の何人かは連中から、脅迫やPCのハッキングと様々な妨害を受けております。ある友人など、職場に直接2人の東洋人が訪ねて来て、誰にも教えていない彼の個人情報をペラペラと(朝鮮語訛りの英語で)話しそのまま去って行ったと云う例もあります(彼はプロの格闘家なので、ケロッとしておりますが)。また、「ロサンゼルス発、よみがえれ我が祖国・日本!」の三宅兄貴などは、平気でプライバシーを公開して活動をしますので常時脅迫を受けていますが。武道の猛者なので、「ハハハ!相手をするから喜ぶんだよ、ほっときゃあいいんだよあんなの」と、笑い飛ばしています。
そちらも例外では無いと思います。もし辻本様の身に何かありましたら大変な事ですので、我流では御座いますが辻本様(そして読者の方々)にこの護身術をご活用頂ければと思います。
◆L.A.流護身術<戦闘用>◆
http://erdrick.web.fc2.com/ssd.pdf

何度もすみません m( _ _ )m 

英語圏の方には、このリンクの拡散をお願い致します。
正しい歴史が英語に翻訳された、友人(レイチェルさん)のサイトです。
◆英語で世界に発信!UndertakerRachのコピペでGO!◆
http://undertakerrach.gouketu.com/

お疲れ様でした

今までたくさん勉強させていただきました。
本当にありがとうございました!
休養に入られるとのことで読者としては残念ですが、
再開されることを期待しております!

お疲れ様でした
そしてありがとうございました
月並みですが
ゆっくり休養を取られて
また再開して下さることを期待しております
そしてコメントをくださる皆様もありがとうございました
大変為になり勉強させていただきました
コレからも他の政治経済ブログ読ませて頂きますので
コメント下さる方々
よろしくお願いします

要はアレだろ!

長い間! 本当にありがとうございました。
俺みたいな、ネトウヨに居場所を開けて下さった事忘れません!

お身体を大切にです!
復帰させる日を待ってます!
お元気で!

心がすっきりしました

長編シリーズお疲れ様でした。
彼岸でもあり祖父のことを思い出しました。
父が戦中生まれですので祖父はまさに戦争のまっただなかを生きた世代です。
戦地には赴かなかったのですが、戦中戦後の諸々の国内対応には従事し、原爆投下後の広島にも駆り出され結果的に被爆してしまいました。
父が末っ子なので幸い子孫には被爆二世、三世はいませんが・・・
あの時代を生きた方々は諸々の事情、真実を知っていながら、当事者ですので「日本は正義のために戦った」「後ろめたいことは何一つない」とは言えなかったのでしょうね。
そのかわりに家族をしっかり養い、国の復興、経済発展に尽力し、違うかたちで自分たちの正しさを表現するしかなかったのではないかと思います。
世界には理解されないでしょうが、人を責めない、言い訳をしない、黙って態度で示す日本人気質は素晴らしいです。
祖父は天皇陛下をとても慕っていて、父もそれなりに、私もその思いに違和感はありませんでしたが、ご指摘のとおり戦後教育下では天皇戦犯的なことをにおわす授業でもあり、心が揺らぐ場面もありました。
「昭和天皇は本当は戦争を喜んでいたのか?」と。
私のように戦争世代に接点のある人間はまだ恵まれていますが、そうでない人は日教組教育が板についていて気の毒です。
正しいことを見聞きしてもすんなり心に入らない、嘘に凝り固まった悪魔の教えを妄信する日本人の形をした人形にすぎません。
このブログのように、真実を発信する方々が増えつつありますので、少しでも日本人の心が残っている方々にはゆっくりではありますが響きつつあると信じています。
戦後50年の節目あたりで日教組解体、正しい歴史教育が実現していれば日本は素晴らしい国になっていたことでしょう。悔しいですね!
戦後生まれの私たちができることは、正しい歴史を学びなおし、天皇陛下をお慕いし、英霊への感謝の姿を極右のような威圧的なかたちをとらず、あたり前のごとく伝え示すことだと思います。
但し、間違ったことにははっきり「違う!」と言いますよ。
これからも私たちの心の羅針盤としてご活躍いただけますこと、切に願います。

ありがとうございました

色々と勉強させていただき、おりがとうございます。

中韓の本質を勉強しようと読み始めましたが、今では真の日本をもっと知りたくなり、近現代史のことに興味を持ってしまいました。
これからは、自分なりに色々と勉強していきます。

長い間、おつかれさまでした。 またの復活をお待ちしております。

これまでの沢山の歴史を学べました、本当にご苦労様です。

いつかお会い出来る事を、切に願います。

ありがとうございます。

勉強になりました

ありがとうございました。お身体を大切にご自愛下さい。またUPされる時を楽しみに、お待ちしております。

人権救済法案の反対を訴えるための、国会請願署名にご協力お願いします!

人権救済法案の反対を訴えるための、国会請願署名にご協力お願いします!
http://nippon-end.jugem.jp/?eid=3363

反日売国政党創価学会公明党が長い間、推進して来た日本人を支那人朝鮮人の奴隷にするための法案があります。
この法案が反日売国政党の野田内閣で閣議決定されました。 今、日本民族が滅亡の危機に直面していることを
しかり確認してください。 このことを多くの日本国民に知らせて下さい。 反日売国テレビ局・マスコミは
事実内容を隠蔽して解説しないで、国民を騙しています。 法案成立を阻止するために、この法案に反対してる
法務委員会の理事や委員に応援支持のメールをたくさん送信して下さい。 賛成をしている委員は売国政党の民主党、
公明党ですので抗議のメールをたくさん送ってください。人権救済法案の反対を訴えるための、国会請願署名にご
協力お願いします!

【マスコミ隠蔽の掲示板】最新版
http://www.aixin.sakura.ne.jp/axbbs/kzsj/kzsj4.cgi
【マスコミ隠蔽のタイトル一覧】最新版はこちらをクリックして下さい。

辻本さま

初めてコメントさせていただきます。
大変貴重な旅でした。有り難う御座いました。
自分なりの結論を出したくて、いろいろ本やHP等を漁って勉強していましたが、複雑で見る方向によって解釈が違うし、ごちゃごちゃになって整理できなくていました。

こちらの内容は今まで見た中でダントツにわかりやすかったです!! スッキリしました。

経済に対しても大変勉強になり、尊敬しています。

まずはゆっくり休まれて、また再開されることを祈ります。楽しみにしています。

お体、どうかお大事に

私達を、「歴史の真実」という壮大な旅に導いてくださったことを
心より感謝いたします。

以前にも書きましたが、ブログ主さまのような方々のおかげで
自虐史観から抜け出せた自分がいます。

気力、体力共にお元気になられたなら、
どうかまた私達に、ブログ主様の国を思う気持ちや知識を
伝えてほしいと思います。

どうかお元気になってくださいね。
また会える日を楽しみにお待ちしております。

彼(孫正義)反日帰化人は生き伸びるために確実に焦っています【ソフトバンクの正体】

彼(孫正義)反日帰化人は生き伸びるために確実に焦っています【ソフトバンクの正体】

孫正義氏の野望、日本が危ない   

菅直人が何故退陣しないのか?内からも外からも無能呼ばわりされ、
女房役の仙谷官房副長官さえ首相
の早期退陣を公然と求めているにもかかわらず、それでも一日でも長く権力の座にしがみつく執念の裏にきっと何か
あるに違いない。その答えが徐々に分かってきました。

詳細は【もえとら】彼(孫正義)反日帰化人は生き伸びるために確実に焦っています【ソフトバンクの正体】
をカッチとね
http://ilovetoritani.seesaa.net/article/210141829.html

エセ保守注意報

いつも素晴らしい記事をありがとうございます。学ばせていただいています。
さて・・・・

山梨県の韓国マンセー自民党員、宮川典子さんに対して
公開質問状が出てる・・

こりゃ厳しいや。答えられないと、ヤバす。

1、韓国の道徳教育賛美を松下政経塾で書いた経緯と現在の心境を教えて下さい。

2、竹島(韓国名独島)はどこの国の領土か明確にお答えください。

3、あなたが国会議員になる理由は日本の「教育問題改革」だそうですけれど、具体的に何をどうすれば教育改革出来ますか?

4、あなたの「愛国心」の定義を明確にお答えください。

5、あなたが自民党から国政を目指す明確な理由をお答えください。

6、あなたが国会議員になったら靖国神社参拝をしますか?イエスかノーでお答えください。

・・・・・・・・・・・・
http://blog.goo.ne.jp/geogiegeogie

http://blog.goo.ne.jp/geogiegeogie/e/3f4db941e5cababa7029937b5f24da66
このトド子さんって人、訴訟も覚悟で腹据えて、エセ保守を暴く覚悟だなあ。
一度、宮川典子批判ブログが唐突に削除された経緯があるし。‘トド子さんとは別に批判ブログがあった。こちらは宮川批判専門ブログだった。それがある日突然消滅。キャッシュまで念入りに。過激だったけど、正論だった。宮川さんも、堂々と抗議するなり異議には答えるなりすればよかったのに。いや消したのはどこの誰か知らないけど)

選挙間近なのだし、宮川さんも一度きっちり立場を明快にすべきだと思う。
自民党の信用にもかかわる。

ブログ主殿

幾度かコメント欄を汚させて頂いた者ですが、貴ブログは誠に希有な存在でありました。
インターネットが広まったここ数年は覚醒し正論を主張するブログも増えてきましたが、それ以前は陰謀論めいた左巻きブログが横行し、南京大虐殺や従軍慰安婦にもまともに反論できる人が殆ど居なかった状況の通り、史実が何であるか、先人が何を為したかを正しく認識できて居ない人が殆どでした。

そのような状況下に登場したのが貴ブログでしたが、貴殿の記事が常に正論を述べていた証しが執拗にコメント欄に出没するネット工作員の存在です。支那朝鮮系にとっては貴殿の記事は邪魔で仕方がなかったという処でしょう。ということは、多いに有益な存在であったということの裏返しです。

遠からず国賊民主党政権が崩壊し、自民党首班の新政権が誕生するでしょうけれど、この三年間に破壊され続けてきた日本国を建て直すこは容易ではなく、自主独立国家へと復興させる路は更に険しいでしょう。しかしながら、ネットに正論がある限り、ネットユーザーの多くが正しい認識を持ち続ける限り必ず建て直され、施政者が路を誤ることもない様に思います。その課程に於いて、貴ブロブがまた道標の一つにならんことを希望させて頂き、貴殿のお身体と貴ブログの復活を祈願させていただきます。

長い間誠にありがとうございました。

お疲れ様でした。

長期にわたりお疲れ様でした。
興味深く読ませていただきありがとうございました。

私の愚息は今年30歳になるのですが、中学生の時授業で先生が「日本人ほど戦争が好きな民族はいない。」みたいなことを聞いて帰り、話していたのを聞いて、息子に本当の日本の歴史を知ってもらおうと私的歴史教科書を書いたことがありました。

教育では日本の国で暮らす喜びを感じることが出来るような、真の歴史を教えて欲しいものです・・・・。

ご挨拶

>L.A.さん、御声かけ有り難うございます。

 当ブログの休止は本当に残念ですが、辻本様の健康問題が有っては、致し方が無いお話です。 早期のリバイバルを期待しましょう。

 私は、崗上虜囚(コウガミ リョシュウ)さんのブログ「崗上虜囚の備忘録」や「フェミナチを監視する掲示板」に出入りしてますので、お立ち寄りください。 亦、レスを交換しましょう。

確か三度目…だかのロングバケーションですね。ファンとしては寂しくもありますがお疲れ様でした。

日本の歴史教科書は捨てた

誰にでも理解できるように内容を組み立てて頂き分かりやすかったです
毎日、コツコツ読ませてもらいました
有難うございました
そして、改めて日本の先人に感謝です

こんにちは

近現代史の旅、全部見ました。

およそ誰にでも分かるような書き方で非常に良かったと思います。

お体をお大事に。

また戻って来られる日を心待ちにしています。

大変勉強になりました。感謝!

辻本様

初めてのコメントになります。
いつも貴ブログの更新を楽しみにしておりました。
暫くの休止とのこと、残念ですが健康最優先でお願いします。
いつか再開されることを期待しつつ、時々のぞきに参ります。

このブログ、そして『コラァ!中国いい加減にしろ!』のおかげで中韓、及び近現代史について正しい認識を持つことができました。私は中小企業(製造業)を経営しておりますが、超円高、デフレ、電力の受給問題、等々、厳しい経営環境に晒されております。何度となく中国への工場進出などの検討や、韓国企業との資本提携などを模索しましたこともありましたが、このブログのおかげで思いとどまることができました。今現在、結果大正解だと考えております。感謝。

私の友人や、経営者仲間、大学の教授、上場企業の役員などにもこのブログを紹介しておりますが、皆様からも好評で感謝もされております。




本当にお疲れ様でした。
若輩者ですが数年前から当ブログを拝見させて頂き得た知識と真実は非常に大きかったです。
ありがとうございました。
またいつか復活される日をお待ちしております。

なにを書けばよいのか・・・・


ブログに目を通し意味が良く解らず、付されたコメントを読み進んでなんとか
理解出来たようです。 休息されることが。 

涙がでてきて画面の前から離れました。  中韓に狼煙が上った今こそ卓越した
時事コメントが読めるとかってな独りよがりが過ぎたようです。

御自愛くださることをお祈りしています。 


ブログ主が気持ち良く再始動出来るように我々がBLOG RANKING をクリックしていこう。(一定期間更新がないと、強制的に閉鎖されてしまうかもしれません。)

淋しいです

貴殿のブログえを見るのが楽しみの一つでした。心に空洞ができた感じです。しかしながら長きに渡りお疲れさまでした。そして有難うございました。
是非たまにでも更新してください。
ご健勝を心より祈念申しあげます。

お疲れさまです

長い旅お疲れさまでした
このブログで色々学び 改めて日本人の素晴らしさを実感しました。
反日メディアに負けず 僕も友人 知人に日本の素晴らしさ 真実を話して行きます。

体調を崩されていたのにこんなに長く頑張ってくださって本当に感謝しております!

ゆっくり休んで また必ず色々な情報を発信してください。あなたを待っている人はたくさんいます
これからも体調に気をつけて 長生きして 素晴らしい知識を発信してください

ありがとうございました。

感謝の言葉を送らせていただきます

 管理人様、お久しぶりです。
  政権政党が民主党になって、この国の膿(うみ)が目に見える形で、出てきているようです。「減税より国民へ税金の給付を重視」が民主党の政策との事ですが、来年の国家予算は100兆円を超えるそうです。生活保護を受ける方は200万人を越えました。円高放置による産業の空洞化が深刻です。増税は天井知らずです。この政党に名を借りた「異様な組織」の目的「国家主権の移譲・共有に主権を移譲」は、日本人から人権を剥奪し、在日韓国人を上位カーストにおく人権救済法の成立と、外国人に参政権を与える事で完成します。
 
 管理人様、60歳台や70歳台の日本人経営者や会社役員、学校組織の校長や学長、高級役人、マスコミ関係者などに、約1万人以上の「菅直人」や「鳩山由紀夫」がいると言われています。その「まちがいを正せない」無能さ、誤った歴史観に基づく日本への蔑視、中国と韓国に心底へりくだる様は民主党の仙谷由人を思い出させますが、本当に多いようです。(たとえば企業で言うと、NTTdocomoが韓国と共にリアルタイムに沈んでいく途中です。)
 
 そのような中、同年代ですが、管理人様のような立派な方がネットを武器に正論を発信し続けた事は必ず歴史に残ります。そして我々が、その知識と精神を引き継いでいきます。長い間、ご教授いただき、ありがとうございました。ステールネスが終了したら、再度、ブログを気軽に書いていただければ幸いです。

 こちらの当面の目的は、「まちがった選択」の民主党を、次の選挙で大敗北させるべく、全力を尽くしていきます。最近は感性豊かなブログ「アリエスの雑記帳」さまのコメント欄におじゃまさせていただいております。優れたブログですので、よければ訪問してみて下さい。

>L.Aさま
 YouTubeには武道関係の映像がたくさんあります。「塩田剛三」氏の名前で検索してみて下さい。関連した武道の映像を多く見ることができます。

ぜひ本にしてください

大変お疲れ様でした。
経済のお話も勉強になりますが、歴史のお話はもっと勉強になりました。
これは教科書にしてもいいお話ではないでしょうか。
NO1からすべて保存してはありますが、やはりネットしない人たちに広めることも考えて本にしてほしいと願わずにはいられません。
ゆっくり休養なさってから是非考えていただけないでしょうか。
絶対に買います!
とりあえずブログ主さまには、歴史を知って自然に保守的な日本人になれたことに感謝しています。
ありがとうございました。
お体を大切になさってください。
後日の復活を心よりお待ちしております。

コメントは初めてです。毎回更新を楽しみにしていました。
歴史は苦手科目でしたが「中韓を知りすぎた男」の分かりやすい文章を通じて、歴史を一つの物語として把握できるようになりました。
復活楽しみに待っています。

再起を願い

微力でしかないけど、
毎日1日1回
ランキング応援します。

辻本様に感謝します

「意志あるところに道は通じる」と言われます。
体調を整えて、またのご活躍を期待しております。
_________

モーセが立った岩石の上に立ってください。
ファラオの軍隊は海に沈みました。
おぉーメアリー、(だからもう)涙を流さないでください。

●Oh Mary, don't you weep
http://www.youtube.com/watch?v=2OFGQymVRPg

お疲れ様でした!

そして何よりも、ありがとうございます。
また、お会いできます事を楽しみにして居ます。

ありがとうございました

はじめましてm(_ _)m。
私は、いわゆる「お花畑」から目覚めてまだ数ヶ月足らずなので、日本の本当の歴史etc.を勉強する上で、ブログ主さまの文章はとても分かり易くて助かっていました。

長い間、本当にお疲れ様でした。またいつか戻って来られる日を、楽しみに待っております(*^-^*)。(私も09/25 20:22にコメントなさった山花桜さん同様、これからもBLOG RANKINGをクリックしにお邪魔させて頂こうと思ってます)

辻本様、ありがとうございました。
本当に勉強になりました。

渋谷の東急プラザ5階にある紀伊国屋書店にはほぼ毎日立ち寄るのですが・・・

『中国・韓国にナメられないために!!』、

と案内が掲げられている小さな一画があります。

すごいキャッチフレーズですね。
つい立ち止まって立ち読みします。

並べられている本の著者は、
黄文雄、呉善花、三橋貴明、宮崎正弘、石平、渡部昇一、等々。
よく知られている御歴々です。

本は、そのタイトルから内容も察しがつきますが、
ふと手にした次の本を拾い読みして驚きました。

『知識ゼロからの日本・中国・朝鮮 近現代史(青木裕司、280ページ)』

日本を悪者とした、贖罪意識満載の近現代史でした。

あとがきによると、
著者のモットーは「反侵略、反公害、反差別」であり、

「歴史は侵略された側の立場に立って書かなければならない」

のだそうです。
バリバリの左翼ですね。

また、彼は言います。

「力の弱いものが集まって圧制者と戦って勝つから革命は素晴らしいんですよ」

「侵略された側の人達に、俺たちが近代化してやったのだとか、
発展させてやったのだとか言って、
彼らがその言葉を受け入れることができると思いますか?」

***

腸が煮えくりかえる思いです。
日本の義務教育の在り方をひっくり返し、
教育勅語を復活させ、
左翼を一掃したいですね。

近い将来には

辻本殿、有り難う御座いました。
今度は我々の番ですな。
あなたが生きている内に『日出る國』の誇りを取り戻してご覧に入れましょう。

辻本様

穢れのない日の光を更にもっと強く、もっともっと強く、
天下万民の上に降り注がせましょう!

亜細亜の平和を守るのは、この日本国しかないのであります。
亜細亜の面汚しが跳梁跋扈している今、挫ける訳にはまいら
ないのであります。


しかしながら、辻本様、次なる戦略を考えるには、丁度、良い時期では
ないかと思います。

気力、体力を充実させた辻本様の再々登場をお待ち申し上げます。

では、これにてひとまず。

近現代史出版希望

辻本様
初めまして。高校生の子供を持つ母親としていつも拝読させて頂き心の拠り所とさせて頂きました。現在のマスコミの偏りに耐えられず、何か子供に分かりやすい資料はないかと、せめて親として子供に真実を理解して欲しい親心から辻本様の分かりやすいブログに辿り着きました。本当に多くを勉強させて頂きました。辻本様の正論は将来の日本を背負う子供達にきっと引き継がれていくことは間違いありません。多くの子供達に広める意味でも、また我が家の本棚にも加えたい本としても、どうか是非、「近代現代史」出版をお願いします。その日を心待ちにしております。その前にどうぞ呉々もご自愛くださいませ。本当にどうも有難うございました。

お疲れさまでしたo(^-^)o

このブログで奥深い日本の歴史を知ることが出来ました。これからは今まで以上に日本人としての誇りを持って日々生きて行きたいと思いますo(^-^)o

お疲れさまでしたo(^-^)o

このブログで奥深い日本の歴史を知ることが出来ました。これからは今まで以上に日本人としての誇りを持って日々生きて行きたいと思いますo(^-^)oちなみにお答えいただきたいのですが今後の自民政権や橋下さんは日本国を良くしてくれるのでしょうか?

できることは、

過去の記事をもう一度おさらいしながら、ランキングをクリックし続けようと思います。
 すごいコメント待ちになってます。
 お帰りになられる日を待ちます。

2012/05 「迫りくる! 中国の侵略から沖縄を守れ! 」 石 平氏・ 恵 隆之介氏
http://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&v=tQkCbMDPNkU&NR=1

中国から日本に帰化した評論家石平氏と拓殖大学客員教授恵 隆之氏に尖閣諸島での今後の展開いついて語ってくれてます。
是非ご覧になって下さい。

お疲れ様でした。

辻本様。体調崩した中にも関わらず、本当にお疲れ様でした。
また、再開される日を楽しみにしております。健康は病気になって初めてありがたみを感じますので、是非、健康を味わいながら、回復されてください。

ブログ主様大変お疲れ様でした。
ありがとうございました。
このブログに書き込んで励まされたりバッシングされたりしたことで、本当に勉強になりました。
繰り返しになりますが、生まれた国が日本で本当に良かったと心から思っています。
自分なりに愛国心を持って頑張ります。
復帰を心待ちにしています。

お疲れ様でした、と、いまはまだ言いません

ブログ休止とのこと、驚きました。でも、近々カムバックしていただけるものと信じています。日本国民の様々な意思決定の判断材料がマスコミからネット主導に変わりつつあるいま、こうしたブログの果たす役割は「日本社会の今後を決定する」ほど大きなものになっています。どうか、一日も早い再開を、日本のために。

このブログのコメント欄も、ある意味啓蒙的であり、さらに実用的でもありました。いろんなタイプの工作員のみなさんが手を変え品を変えHNまで変えて悪戦苦闘、ときに逆効果だったり、自家撞着に陥ったり。そうしたドタバタ劇を傍観しているうち、よそのブログでも、工作員の方々をある程度嗅ぎ分ける嗅覚が身についた気がしています。シナ人の方、在日朝鮮人の方、どうもありがとうございます。

民主党が政権をとって以来悪いこと続きですが、少なくともわれわれの身内に、われわれになりすまして犯罪活動を行う『異物』が存在することを、多くの日本人が気づくきっかけになりました。これを「慶事だった」と呼べる日が来るよう、新たな日本社会の誕生のために………頑張りましょう、日本人!

◆ソロ様、普通の国民様◆

>「崗上虜囚の備忘録」や「フェミナチを監視する掲示板」で、亦、レスを交換しましょう。
  ソロ様、了解です。

>「塩田剛三」氏の名前で検索してみて下さい。
  塩田剛三は存知上げておりませんでした有難う御座います。

月・水・金にこちらのブログが更新されるのが楽しみでした。
しばらくお休みされるとのことで残念ですが、いつの日か復活されることを心よりお待ちしております。お疲れ様でございました。

あなたはフェアーな人間と確信しています。

私と同様、韓国を憎めないのは韓国の真の悲劇を知っているからだと思いました。

すばらしいブログ記事をありがとうございました。
これだけまとめるのは大変だったろうと思います。
休養ください。

そして、自民党の総裁選後にまたガンガンお願いします。
シナや朝鮮などのプロパガンダにまけないようにどんどん拡散しましょう。


本当にありがとうございました!

ブログ主様、大変お疲れ様でございました。

いつも、勉強になるたくさんのお話、心より感謝申し上げます。
日本の企業すべてに、こちらの記事を読んで学んでください!と、本気で言ってまわりたい!(笑)

どうかお体を大切に、ゆっくりと御静養なさってください。
また再開される日を、気長に、感謝応援ポチしながらお待ちしております。



大変お疲れ様でした

しばらくの間、ゆっくりと休養され、元気を回復されて、是非また戻って来ていただきたいと思います。

お疲れ様です。

ご執筆 お疲れ様でした。

周知の通り 学校では曖昧模糊とした近代史しか教わって来ませんでしたが、近年の国際情勢の中での疑問に端を発し、自力で真実の近代史の糸口を探し始める若者が このブログに辿り着く事も多くなると思います。

それは必然。

日本国民が知っておくべき近代史が ここにはあります。



夜明けの始まり

先程、自民新総裁に決選投票で安倍氏が選出されたようです。
自民党も危惧される部分は多々ありますが、自民の良識が最終段階で発揮されたと理解しています。
安倍氏のデフレ対策と中韓への付き合い方をみますと、三橋氏のブログとこの中韓ブログの両ブログの方向性と一致してると思います。
安倍首相誕生が待ち遠しいですが、後は、解散だけですね。
 

安倍総裁 頑張れ !

ブログ休止中に…失礼します。

この頃は、ほとんどTVを見ていませんが…。マスコミいやマスゴミの安倍総裁たたきが、これから始まるのでしょうね…目に浮かんで来ます。(苦笑)

人間は順風満帆で過ごした人より、苦難に喘ぎ挫折から立ち上がった人の方が…深みが増して大事を成し遂げると存じます。 父を殺され伊豆流刑になった…源頼朝。 母や弟の反乱、一族や親類縁者の離反を経験した…織田信長。 幼くして人質生活をし、武田信玄に三方ヶ原でコテンパンに叩きのめされた…徳川家康。

安倍総裁も、マスゴミなど強大な敵がこれから立ち向かってくるでしょうが、大事を成し遂げて下さい。 名も無き庶民も貴方と共に頑張ります。


上杉鷹山公の教え
『なせば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり』
また、尊敬するケネディ大統領の就任演説
『あなたの国があなたのために何ができるかを問わないでほしい。 あなたがあなたの国のために何ができるかを問うてほしい。』
を思い返す1日となりました。
今日が日本復活への第一日となる事を信じております。

夜明け前が一番暗い (島崎藤村 戯曲:夜明け前 より)
夜明けは近いぞ!!
いまだ、興奮さめやらぬ…。

乱文、失礼しました。

ありがとうございました

お疲れ様でした。毎回楽しみにしていました。
勉強させていただきました。必ず復活なさることを信じてます。

勉強させて頂きました!

辻本様には、歪曲された歴史の真相や、中韓の真実を教えて頂き、
大変勉強させて頂きました。
体調不良の中、執筆されたとの事、本当にご苦労様でした。
まずは体調改善に尽くして下さい。
体調が改善し、また気が進むようでしたら、お帰りをお待ちしております。
本当に辻本様のブログにはお世話になりました。
感謝の気持ちでいっぱいです。

中国の悪の本質と韓国のどうしようもない汚い本性を教えて頂きました。
ここで教わった知識を周りにも伝えています。
高校、大学で出てきた歴史とは正反対。危ないところでした。
ここの読者99%の願いです。お元気に。

感謝です!!

 お疲れ様です。
毎回勉強させて頂き、感謝しています。
日本は侵略国家ではないというお言葉
胸に響きました。学校の先生がこの言葉を言って下さっていたら
と思いました。私の子供は ゆとり教育のお陰で
あまり記憶にないそうです。先日 下の子中学校の体育祭で
国旗を掲揚したりするときなど 全員起立でそちらに向き
吹奏楽部が君が代を弾いていました。
安倍新総裁誕生で 日本は良いほうにかわりますね。
身体をお休めになって 早くお元気になって下さい。
待っています。
有り難う御座いました。。

長い間有難うございました

そしてお疲れ様です。ゆっくりと静養しまた戻ってきてください。日本の安寧を見届けるまで導いてくださることを期待しております。

誰か本にして下さい。

お疲れ様でした。心から感謝申し上げます。

本ブログの精神に近い安倍総裁が誕生したことは

本当に嬉しいことです。

辻本様にはゆっくり休んで頂きたいですが、どなたか

志を受け継ぐ人にこのブログを本にして欲しいものです。

rise

日本の苦しい自存自衛の旅を共に歩まれ、謂れなき自虐史観、そのネガテヴな感情と50回もの長きに渡り向き合うことは、相当な神経でも辛い作業だったろうと感じていました。
時に気弱になられた表現に、お体如何ばかりと案じ、モチベーションを保ち、何とか最終章までと祈るような気持ちでいました。
「近現代史の旅」完了、おめでとうございます。安堵と悦びと心からの感謝を申し上げます。

ある事象(些細な事柄からでも)を直観的に感じ取る感性は、多方面の深い知識と洞察力、多くの経験とセンスが必要ですが、ブログ主には鋭い嗅覚にも似た直観力がお有りで、私はその感性を信頼していました。
ブログを書く人はそれなりに知識も文章力もあり、整った文体のブログも眼にしています。だからと言ってその事が人を惹き付ける魅力ある文章であるかと言うと、全くの別物です。
私が人生の師と仰いだ先生は、文体の「リズム」を大切にされていましたが、この「中韓ブログ」の一番の魅力は、最後まで一気に読ませてしまう文章の「リズム感」に有ると思われ、これはひと(他人)が真似して書けるものではなく、唯一無二、ブログ主の独特の、魅せる文体をお持ちだと云うことで、非常な強みです。
また、「遣る」、「する」、「させる」等の言葉を、お国の方言でしょうか、「さす」と言う表現にも、緊張を和らげ、親しみと温もりのある文章に変化させていました。

私は多忙で余り他のブログを拝見出来ませんが、秩序と品性があり信頼していた「アジアの真実」ブログが閉じて久しくなりますし、このブログも休載される事は、一方ではお体を案じながら、一抹の寂寥感を拭えずにいます。しかし日頃お目に掛かれない声なき多くの読者の方々のお声を聞けることは、淋しさの中にも在る歓びでもあり、休載もいいのかな。と、どんな中にも両端が有ることを、感じさせて頂いております。

もう一度、お辛い中の更新の日々、本当にありがとうございました。どうぞゆっくり休養なさって下さい。その間に、このブログの拡散と、応援のクリック、ポチッとを日課に致してお待ちします。

帝国主義史観。(笑)

「支那事変の再発に対応する」

英国では尖閣問題で日本と中共の戦争が始まったと判断している。
これは支那事変の再発と考えると分かり易い。日本人は講和条約で戦争状態を終わりと考えるが、それは武力を持つ国の話であり、武力がない国はいくら条約を結んでも相手が守らないのだ。現実の講和を維持できない。
戦争は外交の手段であるとはドイツの戦略家クラウゼビッツが記して有名である。相手を屈服させる手段の一つということだ。その意味で国際社会では独立国家は常時戦争状態にあるといえるのである。戦争の形はいろいろだ。宣戦布告のない戦争もある。経済を使う戦争もある。威嚇による攻撃もある。サイバー戦もある。

「政治的な事件に偶発はない。全ては準備されている」これは米国のフランクリン・ルーズベルト大統領の言葉という。
考えてみると当たり前であるが、私たちは国際事件を偶発とおもいがちである。実際は極秘のうちに準備されているのだ。今回の尖閣問題も、中共が長年準備してきた対日攻撃の始まりに過ぎない。だから簡単に終わることはない。さらに次の手を何通りも用意していると考えるべきだ。この程度のことは多少でも歴史を知るものには常識である。

こうした事件の発生を、一過性のもぐら叩きと思っている愚かな政治家は、敵の用意周到なワナにおちて日本は負けてしまう。
かつて中共の李鵬首相が日本は後二十年で消滅すると述べたことがある。日本人はこの意味を真面目に考えなかった。私は、これは日本の戦争体験者が死滅して、日本人が心理的に戦争に対応できなくなるという意味に解釈している。戦争は無慈悲である。厳しく残酷である。それに耐えるものだけがこの世で独立を守り自由に生きることが出来る。ヒトラーは、「生存闘争の場で戦う意思のない民族は歴史の舞台から消え去るのみ」と述べている。これが世界の常識だった。

戦後の日本人はあまりにも無知であり、実は怠惰であった。
しかし厭でも血を流す時が来たのだ。勝てば生き残る可能性がある。負ければ子供が殺される。これも歴史が教えている。とりあえず占領憲法は棚上げして国防基本法を制定し、具体的に戦争の準備をしなければならない。政党政治が機能しないのであれば、自衛隊が米軍と相談して臨時政権を作るしかないのではないか。国防法の内容は戦前の日本の国防体制を基本に作るのが現実的だ。軍隊組織はその国の長年の民族の慣習に根付いているからだ。最新の兵器も買い揃えなければならない。国内で敵や敵と結んだ反乱がおきれば厳しく鎮圧することが必要だ。大量の死者が出ることになる。また新幹線、原発、皇居は敵の攻撃目標になるだろう。厳戒態勢が必要だ。

我々は戦後の国防の空白を急いで埋めなければならない。
我々日本民族は世界に恐れられた帝国日本軍の精神に還るのだ。戦後は幻であり悪夢だった。米軍との協調は不可避である。しかし米軍はまず日本人が血を流すことを求める。当たり前だ。彼ら自身イラク、アフガンで流している。国防の出来ない無能無責任な野田政権は自発的に総辞職するだろう。野田の無能さが今回の敵の攻撃を呼び起こしたのだから。

http://pub.ne.jp/surugasankei/


戦争が始まった。議会制度では対応できない。
中共と同じような厳格な社会統制が必要だ。
日本人の戦後の妄想と怠惰は厳しく罰せられている。
国民は中共に対抗できる核自衛までは戦時続行という意識が必要だ。
「欲しがりません、勝つまでは」である。
日本は総力をあげて資源を兵器の購入、開発に向けなければならない。
原爆の開発は待ったなしだ。出来ない政権は追放だ。
台湾巡視船と漁船の領海侵入も支那事変における支那側の挑発を思わせる行動だ。
台湾の馬政権も反日国民党の正体を現した。これは計画的な戦争の緒戦であり始まりに過ぎない。
次はなにか。野田は、うろたえているが、はじまったばかりなのだ。
支那事変の正しい解説をすべきである。近代宣伝戦では歴史は原爆にあたる効果を持つからだ。




中華ラーメンナチス駆除が必要

台湾船の日本領海侵入と放水を絶賛した馬総統
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120926-OYT1T01179.htm

 【台北=源一秀】台湾の漁船と巡視船が沖縄県の尖閣諸島沖で領海侵入した事件で、台湾の馬英九
マーインジウ
総統は26日、台湾軍関係者との会合の席上、「釣魚台(尖閣諸島の台湾名)が我が領土であることを世界に誇示した」として、尖閣に向かった漁民を絶賛した。


 海上保安庁の巡視船に放水するなどした巡視船乗組員についても「全力で漁民の安全を守った」とたたえた。

 また、馬総統は「(日中台には尖閣をめぐる領有権)問題が存在することを認めるべきだ」と日本をけん制。改めて、主権を棚上げにした尖閣沖の共同資源開発を求めた。

(2012年9月27日07時27分 読売新聞)

お疲れ様でした。

志は皆が受け取りました。
今はゆっくり休んでください。

安倍昭恵さん、夫の足を引っ張らないで下さい

●某所よりコピペ

>テレビも順調にほぼ全ての局で安倍叩きがはじまりましたよ~。

テリー伊藤がその急先鋒の一人ですが・・・
・大体、皆勘違いしてるけど、安倍さんは前回総理を辞めたのは、病気で止めたんじゃないんですよ?
 逃げ出しただけなのに、病気のせいにして、それを言い訳にしたんです。
・大体、前の総理大臣の時だって、何も実績がない。何にもしてないんです。
・尖閣諸島に船着場を作るなんて事を言ってますが、そんなことしたらどうなるんですか?
 中国からの反発が今以上になるのは明らかじゃないですか?
・安倍さんは、かっこいいことばっかり言って中身が何にもない。
 ぐだぐだぐだぐだと、一分で済むような話を五分もかけて演説して、矛盾したことばっかりですよ。
・総理になっても靖国に行くんだとか言ってますが、中国の反日行動が益々酷くなりますよ?
 どうするんですか?

・・・・このテリー伊藤のラジオ番組に出て、テリーとの画像を自分のフェイスブックに嬉しそうにさらしているのが安倍昭恵夫人です。

http://www.1242.com/program/terry/

http://www.facebook.com/akieabe
(安倍昭恵氏フェイスブック)

最近では週刊誌で「主人は私が脱原発に説得します」発言があるし、せっかくの船出なのに、この夫人の先行きが思いやられます。・・・と書くと安倍おろしと誤解する向きがあるのですが、そうではなく足を引っ張って欲しくないのでメールしたりしてますが声は届かぬので、もうちょっと大きな声になれば届くかと。とりわけ女性連中がシンパシーよりも嫌悪感が強く「女房も仕切れぬ男」というのは軽侮の種なので、敢えて苦言。




お疲れ様でした。

 今回の「現近代史の旅」は、すべてコピーしました。自分の周りの同僚、兄弟、親戚に手渡して、教科書では教わらなかった真の歴史を知ってもらおうと思います。

 自民党総裁選では、安倍晋三さんが再び総裁に選ばれました。安倍さんも潰瘍性大腸炎を克服し、元気になって戻って来られました。当選後のコメントも声に張りがあり、前回、総理時代よりも一回り“大きく”なられたように思います。

 辻本様も体調を戻されて、ぜひまた我々の指針となる、このブログを再開されますようお願いいたします。お疲れ様でした。

一字訂正

掲載された私のコメントを今見たら間違いがありました。第2パラグラフの冒頭の「を」、を、からに訂正し、「ある事象(些細な事柄からでも)から」、といたします。

ありがとうございました。

得難い知識を授けてくださり、ありがとうございました。
戻ってこられるまで人気ブログランキングの投票ボタンを毎日クリックし続けます。

本当にお疲れさまでした。
勿論、またの日を楽しみにしておりますが、
いまはどうぞごゆっくりされてください。

時勢は「中韓」の謀略がまさに世界に曝されている状態になってまいりました。
日本の企業も大変な状態に直面させられています。
また一方、安倍さんが返り咲いてくれました。
暫くした後で結構ですので、この間に何が起こっているのか、いたのか、
後日ゆっくりとお話をお聞きしたくもあります。

それでは、またいつの日にか。

辻本様
長い間ご苦労様でした。多分僕と同年代もしくは少し年上の方と推察されますが、われわれの年代でこれだけの知識をお持ちとは尊敬以外なにものでもありません。
今まで三日に一度の定期更新は大変なプレッシャーだったと思います。
これからは非定期で気ままに更新されることを期待しております。
それまで体調に御気を付けください。

長い間有難うございました

ありがとうございました

いつも貴殿のブログを楽しみにしていました。
そして、沢山勉強させて頂きました。

私には小学生の子供が二人おりますが、彼女たちに日本の素晴らしさを伝えて行きたいとおもいます。
このブログを参考にさせてもらいます。

どうぞ、お身体を大切になさって下さい。
そして、ぜひここへ戻ってきてくださいね。

瀬戸さんのブログで お休みになる事 を知りました。

ブログ全体の質の高さ、面白さ、興味深い素材とそれらを
構成する文脈と滑らかな文書。常に10位以内にランクされ
るのも納得の「一級品のブログ」と評価させていただいてお
ります。

日本人の戦いはこれかも永遠に続くことでしょう。私も仕事
が一段落しましたら、第二の人生を 「愛 国」 のためにすべ
てを費やしたいと思っております。

大変長らくの更新 ありがとうございました!。

お疲れ様でした。
どうぞお体をゆっくり休めて下さい。
復帰されるのをお待ちしています。
それまで、近現代史の旅、読み返して勉強させて頂きます。

最後ですが、教えていただける方は教えてください

政治ブログ・崗上虜囚さんのコメント欄にもありましたが、最近の野田の対中韓発言は強気の言葉を使っておりますね。選挙対策ではないかと思いますが、ひょっとしたら中韓の事前了承を取り付けてあるんでしょうか?また、金銭の見返りつきの発言なんでしょうか?

本当にお疲れ様でした。
しかし、まだまだ日本は危ない状況です。
この先も辻本様の意見を聞いていきたいので、
休養後はまた再開願います。

お疲れ様でした

また再開してくださるの楽しみにしてます。学校の授業で知れなかった事をたくさん教えてくださりホントありがとうございます。また何かの形で再開してほしいです。お体大切にお元気でいてください。

御苦労さまでした、そして有難うございました

辻本様
正しくかつ素晴らしい御見解、御話、御教示を賜りました。有難うございました。
ご自愛のほど心よりお祈り致しております。
再開を待っています。

ありがとうございました。

まずもって、これまで日本の為にありがとうございました!
安倍さんが総理になり、ようやく日本にも少し明るい兆しが見えてきた矢先のことで残念です。私なんかはこの辻本先生のブログに多大な影響を受けた一人であり、微力ですが日本を守ろうと稚拙ではありますが、小ブログにて反日、売国、左翼、成りすましなどを批判させていただいております。いまこそ憂国の士が力を結集しなければいけない時だと思い、辻本先生にはその庶民の代表として、あわよくば安倍政権にも加わってもらえないかな?などと夢想しておりました。本当に残念です。一日も早いご復活心よりお待ちしております。

お疲れ様でした

辻本様 お疲れ様でした。
近現代史の旅、たいへんたいへん勉強になりました。
ありがとうございました。
体力回復されたあとの再開をお待ちしております。
本当にありがとうございました。

人の世に相応しい人は掛け替えのない存在であります。

が今やネットは普段の人でも特質する人物像をお伺いする事が出来ます。

ましてや見識、知識、能力と豊かな人にいとも簡単にめぐり合う事が出来ます。

辻本さんのブログをはじめ多くの日本人がどれほど目覚めたか知れません。

世情とは裏腹に内情を操る御仁も潜んでいる事を知るのです。

当ブログにおいて全体像を描ける、真っ当な事を知るのであります。

コメントの皆さんの有識さも、たどり行く重みがあり、選択肢の揺さぶりも勉強になりました。

本当に長い間ご苦労さんでした。数え切れないほどに教えていただき、感謝申し上げます。ご健康をお祈り申し上げて、いつしか戻られん事を願わずにはおれません。

>2012/09/28(金) 15:29:28| URL| その他

この(>マスコミは華麗に尖閣スルー)コメント見ても、野田氏の発言と真意はかけ離れているようです。
支那から言われるままに国有化したら、それを種に強請られはじめた。ここまでは皆見てのとうりだが、
野田さんはビックリした振りか、本当にビックリか。
ビックリした振りだろう。


>石原が尖閣、都で買い上げ宣言、支那仰天!⇒支那が野田を突っつく「何とかしろ」

野田「国が横取りして買い上げます、お許しを」⇒支那「それでは足りない、上陸、調査ダメ、施設作るな」

野田「ははい、お約束いたします、、、地権者からようやく買い取りました。これで妖ございますか、中国様」

支那「何俺は知らん、石原が持ってれいば問題なかったのに国有化だと!ごらー!!!」

野田「?、お許しを、言われた通りやっただけなのにトホホ、謝罪すれば許して貰えるのかなあ?」

野田「よーし取って置きの呪文、大局から、大局から大局を踏まえて、何妙方蓮華狂」

辻本様 ありがとうございました。
こちらのブログに出会って、、
韓国・韓国人の実情を初めて知りました。
目から鱗とはこのことだ!と驚愕の真実でした。
今では少しづつ反日左翼企業等に抗議も出来るようになりました。
ご体調のご回復をお祈りしています。

「知っておくべき事」を、いろいろ勉強させていただきました。
ブログ主様の体調と気力の“超”回復を願っております。

長い間お疲れさまでした。また、再開されることを願っています。

本当のことを書きたくても、書けなかったことも多かったことでしょう。
それにも関わらず、とても穏やかな文章で、記事を書いていただいて、
それを読むことができたことに、とても感謝しています。

足りない所とか、異なる所に反応してしまう私には、
そこまでおちついて、説得力のある文章を書くには至りません。
手本となるような文体には、数々の今までのご苦労がにじみ出ています。

どうか、簡単なエッセイでも、また再開されますよう、十分休養をとった後に、お願い致します。
どうぞ、ご自愛ください。

本当にありがとうございました。
民主党になって、目が覚めました。これからは、若い私たちが日本を守っていきます。なんていうか、義務に目覚めたというか・・・
回復をお祈りしてます。

これからも、色々と指導やお知恵をお借りしたいです(;_;)

ちりちゃんです。

ここ、もう終わったかと思ってたんだだけど、
今日、じっくり見返してみると、
高校生や小学生のお母さんの投稿があってびっくり。

日本の素晴らしさに目覚めた人がどんどん増えてくるのホントに嬉しい。
子供に教えたいというお母さん連中がでてくると、これは最強。
私も少し大人になって、お母さんを見ているとわかってきた。
何から何までやっている。すべて。

まあ、それはおいといて、 じゃ、これ。↓

戦争を語り継ごうと言うのなら、こう言う事実も隠さずに教えるべきだ。
僕はまだ中学生だけれども、先生の教え方は本当にひどい。
「南京では30万人が虐殺され、沖縄では民間人も殺された。そん­な時に使われていた国家を使うべきではない。君が代反対!!日の­丸反対!!」といった感じです。
このような動画や本を読んで洗脳が取り払われたのは中学に入って­からでした。
周りの友達もやっと目が覚めて、先生の教え方に皆で対抗していま­す。
この日本を立て直すにはまず国内にいる反日・日教組・在日を個人­レベルで撲滅しましょう!!
皆でこの偏向された近代史を修正するのです!!

なんと、中学生・・・
それは、ここ。
http://www.youtube.com/watch?v=yxP3JKupCAY&feature=related

この、youtubeの動画としては、まあ私としては合格なんだけど、それ以上に、
コメの方が面白くて、見てたりしました。
ここでも、日本に目覚めましたって、コメが多くて。
なんと、今日あたり、09/30/2012でも続いてる。うれしい。

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Dの所は、私が以前に紹介した、こことあわせると、少し立体化する。
http://www.youtube.com/watch?v=OCy4xlS1EBY

これ出した時は言わなかったけど、
Dの統治と今のJを重ね合わせて、次どうするか・・・。

それでは、じゃ、一人ひとりが、できるとことして、これなんかどうってとこ。↓
--------Nevada 2012年09月29日
静かに進む韓国、中国対応
中国、韓国による常軌を逸した日本非難、罵倒に対して有効な対応策がないと政治家や官僚は述べていますが、一般日本人は既に極めて有効な手段に訴えています。
昨夜、赤坂の韓国人街を歩きましたが、給料日後の金曜日の夜7時というかき入れ時のはずが、ガラガラとなっており、中には閉店となっている高級韓国レストランもありました。
サウナのマッサージコーナーでも街の中国人経営のマッサージ店舗でもガラガラでかつての賑わいが嘘のような状態になっています。
官僚をはじめある程度の良識ある民間人は誰に言われることなく、中国、韓国関連から距離をおいているのです。
これは、対中国、対韓国に極めて有効な策となります。
スーパー、デパート、コンビニでも中国、韓国製品ではなく、日本製品コーナーを作れば、必ず日本製品を選んで購入する人は出て来ます。
日本人の作った物を日本人が買えば、日本国内で雇用が生まれ、日本国内で生産が生まれます。
我々は今回の事態を、中国、韓国製品など必要ない国内体制に作り変える良い機会にすれば良いのです。
中国からの観光客が来ないと嘆く観光地には修学旅行生を向かわせれば良いのです。
何も中国、韓国に行かせなくても沖縄、九州、富士山への修学旅行ではいけないのでしょうか?
日本人による日本人のためのビジネスを徹底的に行えば、中国、韓国などなくても十分やっていけます。
外交では負けていますが、今、現場では次第に日本は《勝ち》はじめています。
そしてこの《勝ち》がより顕在化してくれば中国、韓国内にいます良識あるビジネスマン、政治家を動かし、事態は収拾するかもしれません。
政治家や財界人に頼ることなく、一人一人の国民が日本を守るにはどうしたらよいか、ということをしっかり考え、徹底的に行えば良いのです。
家庭の主婦でも、出来ることはあります。
中国、韓国製品ではなく、日本製品を選んで買うようになれば、スーパー、コンビニは販売不振として中国、韓国製品を撤去するかもしれません。そして日本製品をよりおくかもしれません。
一人一人が月一万円でも中国、韓国製品から日本製品にシフトするだけで日本全体でみれば、月間で数千億円になるかもしれません。
静かに中国、韓国にわからせる手段を既に日本人はとりはじめており、この動きは中国や韓国が吠えれば吠えるほど進むはずです。
戦争という最悪な事態を避けるためには経済的制裁を日本人がどこまで徹底出来るかにかかっており、しかもやる時期は今しかありません。
ここでやらなければ、間違いなく日本は侵略されます。
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お母さんも、勉強して、
子供と一緒に、歴史とか時事とか会話出来るとこまで行かないとダメよ。
中高校からよ。

じゃあね。

えへへ、
男には二言がないけど、女はふめー。

読ませて頂き始めてまだ2年ごどしか経っていません。

これからもぜひ!!という気持ちは、自ら勉強するエネルギーに変えないといけませんね。

日本の生きずらさに疑問を持ち始めてネット上をフラフラしている時にこのブログに出会えました。何を信じるか信じないかは自分の勘です。私は貴方のような方を信じていきたいし、日本人の優しさ、誠実さをブログの中から感じてきました。
次世代のことを考え、日本の未来を良いものに紡いでいく、こういう大人に私もなりたいと思います。
お疲れさまでした。また帰ってきていただけることを心からお待ちしております。

中華ラーメンナチス駆除が必要

台湾でも尖閣デモ、「日本人は出て行け」
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120930-OYT1T00546.htm?from=main6

 【宜蘭県(台湾北東部)=源一秀】台湾当局が尖閣諸島が所属するとしている台湾北東部・宜蘭県頭城鎮で9月30日、住民ら約600人が尖閣の領有権を主張し、デモ行進した。


 デモ隊は「日本人は釣魚台(尖閣諸島の台湾名)から出て行け」などと書かれたのぼりを手に、商店街などを約1キロ練り歩いた。

(2012年9月30日19時08分 読売新聞)

1日1押し応援

おさらいしながら、ワンクリックしているのだが…。

ま、ランキングなんてどうでもいい。

私は櫻井さんがTPP肯定派なのが残念でした。

1日一読。

中華ラーメンナチス駆除が必要

アフガン:米兵死者2000人に…AP通信集計
毎日新聞 2012年09月30日 20時51分(最終更新 10月01日 01時49分)


アフガニスタンの首都カブールで、米中枢同時テロから7年の式典に出席する米兵ら=2008年9月11日、AP共同
拡大写真
 アフガニスタンでの米兵死者が2001年の米軍による攻撃開始以来、2000人に達したとAP通信が30日、報じた。独自集計としている。

 死者が10年5月に1000人目に到達後、わずか約2年4カ月で2000人に増加。反政府武装勢力タリバン掃討作戦の泥沼化を象徴しているといえそうだ。

 最近ではアフガンの警官や国軍兵が外国部隊に発砲する事件が続発。治安部隊内部へのタリバンの浸透が懸念されている。2000人目の死者も民間契約職員と共に検問所で国軍兵に射殺された。

 イスラム教預言者侮辱映像をめぐる抗議デモなど、市民レベルでも反米感情が高まっている。(共同)

コメントを書くのは苦手なのですが、お疲れ様とありがとうございましただけ言わせて下さい

中華ラーメンナチス駆除が必要

日航ジャンボ123便 「さいたまさいたま」や「自由民主党」といったロゴは、御巣鷹山~船留の地形であり、ピカを表現している
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak51/msg/1032.html

1985年8月12日、日航ジャンボ123便ソ連自衛隊核攻撃惨事(背景に中国共産党中国軍中国公安部台湾客家)による、日米ユダヤ勢力への攻撃、首都圏への核汚染が発生した。

御巣鷹山(1639m)~船留(1815m)付近の地形
http://www.asyura.us/bigdata/up1/source/10867.jpg
は、
・「さいたま」
・「自由民主党」

といったロゴに採用され、

・マルキスト中国台湾(日本国内では公安のゼロという組織)
・イスラムイラン(日本国内では自衛隊114部隊という組織)

による、日米ユダヤ勢力への武装攻撃を啓蒙し続けている。  

辻本様

有難う御座いました。
大変に勉強をさせて戴き、心から感謝しております。

どうか御身体を御自愛下さい。
是非、また素晴らしい講義をお聞かせ戴けたら、と願って止みません。

重ねて御礼申し上げます。
お疲れ様でした。

御礼

なんと御礼を申し上げたらよいか分かりませんが、大変勉強になり、またこれをきっかけに、もっと詳細に近現代史を知りたくなりました。体調はいかがでしょうか?ご無理をされては困りますが、また元気にブログを更新して頂けることをお待ちしております。ありがとうございました。世界に誇れる日本人!万歳!

お礼

長い間、有難うございました。

私は、このブログに出会って、中国語を勉強しようと思い、週2時間教室へ
通い、中国語検定4級を取りました。

しかし、昨今の情勢で、勉強するモチベーションがなくなり辞めました。

貴殿が書かれたある日のコメントを丸写しし、十数人に読めと言って
渡した内容は、以下の通りです。

改めて読み返すと、今の情勢が納得できます。

2010/3/26 NO。1

日本にとって永遠の敵は、中国です。中国というより中国大陸といったほうが適切です。

なぜなら、中国は常に各異民族に征服され、人種もさまざまに変化してきたからです。

しかし、わざわざ「敵は中国」の看板を揚げる必要はありませんが、日本の歴史を

検証した場合、敵は常に中国でした。

中国が世界に宣伝している「黄帝以来四千年間、中国はつねに変わらぬ姿で存在し、

高い文明を誇ってきた、永遠不変の民族である」という主張は、事実ではありません。

紀元前221年泰の始皇帝によって統一されたが、死後各地で反乱が相次ぎ、秦王朝は

滅法します。その後、光武帝により漢王朝は復興しますが、紅巾の乱が起こり

三国志に突入します。

その後中国は、再び統一され西晋の時代に入りますが、晋は度々北方異民族の侵入を許し

漢民族はほぼ絶滅し、遊牧民族に取って代わられます。

その後の日本と、関わりをもった隋や唐は、こうして侵入してきた遊牧民族が作った

いわば「第二の中国」です。

日本はご存じのように、遣隋使や遣唐使を数十回にわたって使節を派遣して、論語・漢詩

儒教関連の膨大な漢箱や、仏典を持ち帰り、その後長く徹底的に勉強したのです。

遊牧民族である隋や唐は、漢民族によって国教化されたこれらの思想を、実践や勉強する

ことなく、皮肉なことに無数の漢箱を持ち帰った日本人が勉強し、実践し身につけて

しまったのです。

そして日本は孔子の教えにある仁(人間愛)と礼(規範)に基ずく理想社会を目指した。

今日、日本人が漢箱を通じて身に付けた、道徳的な中国イメージに裏切られ続けるのは

当たり前のことで、日本人が尊敬する漢民族は、遊牧民族に滅ぼされているからです。

つまり、異民族である遊牧民族は漢文を理解できません。日本人が勉強した漢文は

2千年間、中国語とは全く関係ありません。日本人は漢文のことを長く中国の古語と

思っていたのです。

このように漢箱による教養を身に付けた日本人ビジネスマンが大陸に渡り、中国人と

接しても幻滅して、痛い目に遭うのは当然のことです。

我々が現在接する、中国人は漢民族ではなく凶暴な遊牧民族です。隋・唐・宋・金、

そして最強の遊牧民であるモンゴルに中国は支配されています。


NO.2
モンゴルのチンギスハーンの残虐性は、地球の時空を越えて知れ渡っています。

モンゴル軍が通ったあとは、男子は皆殺しに遭い、町は破壊され、富や女子は略奪され

町は消滅します。

その野蛮な遊牧民やモンゴルの成代りが現在の中国人なのです。日本人はいまだに

2500年前の漢民族が残した漢箱で中国を理解しようとするから見誤ってしまうのです。

日本人の多くのビジネスマンが、大陸に渡っても「史記」や「三国志」に登場するような

信義や礼に篤い漢民族の中国人に出会うはずもなく、現実にいるのは、油断も隙もない

連中ばかりに遭って、痛い目にあい絶望して帰ってきます。

異民族に常に取って代わられてきた中国には、古代から共通中国語というのは全く存在

しませんでした。そのうえ広大な中国は、各地方ごとに言語が異なります。

つまり中国人たちは、近代になるまで、自分達が話している言葉を書き表わす手段が

なく、自前の文字がなかったのです。

これらの中国の真実を、私は「岡田英弘教授」の著書で初めて知りました。教授は著書

の中で「現在の中国人は、彼らが使っている中国語が、実体は文体もボキャブラリーも

日本語からの借用であるということを、すっかり忘れてしまっている」と書いています。

現在の中国人も無視していますが、日清戦争後、日本に多くの清国の留学生がやって来て

日本語を学び、日本人が作った漢語を借用し、それによって新知識を中国に導入し、

法典まで日本の法典を丸写ししました。

これらのことは、中国留学生の「魯迅」が言っています。中国人にとって漢文は外国語
(ロジン)
同然なのです。日本人が漢文を返り点や送り仮名をつけて理解したのは、日本人の優れた

知恵です。

中国人は「日本の文化は中国の模倣であり、日本の発展は中国のお陰である」と宣伝

していますが、実は全く逆なのです。

中国にとって近代文明の玄関口に立てたのは、日本文化の影響力であり、戦後も経済発展

をし、一応見せかけの大国になれたのも、アメリカと日本の援助と技術力のお陰なのです。

韓国も、全く同じパターンです。この両国民は、日本人のお陰であるという真実をねじ

曲げて、無理やり日本人の上に位置したいのですね!

困った人たちです。

お疲れさまでした

お体を大切に。
これだけの原稿を書くのは大変だったと思います。
たいへん参考になりました。
お疲れさまでした。

私も、歴史を読み直しております。これまで疑問だったことが、
少しづつわかってきました。

通州事件の首謀者

力作、大変参考になります。通州事件はシナ事変(上海)の前にあって、●(北の下に異=キ)州自治省軍隊(要するに軍閥)3000人が日本人260人を虐殺した事件ですが、背後に国民党(蒋介石)がいると疑う者です。それを証明する一級資料が無いのですが、南京での便衣兵の虐殺にもつながった点、当時はそのように思われていた(?)。先生が中共の差し金とした点に関心があります。

本当にお疲れ様でした。

これまで大変勉強になりました。
知りえない情報など本当にありがとうございました。

私も日本人であることに覚醒させてもらったひとりです。

ひとりでも多く日本人であることに気付かせないと、
私も微力ながら日本国のため貢献して行きたいと思います。

若き小さな芽は少しずつ発芽し少しずつ育っています。
しかし、導かなければ、導いていかなければいけない。

先生の復活のときを心よりお待ちしております。

今は本当にお疲れ様でした。ありがとうございました!

日本を日本人の為の日本国にして行きます!して行きましょう!

中国、韓国の真実

エイチャン さん
 私も今コピーさせて頂きました。
韓国、中国の本当の姿を一人でも多くの周りの人達に知ってもらいたいです。
興味を持ってくれた人に配ります。

エイチャンは変だろう。

イントネーションが違う。
前後の重厚な日本語を読んみろ。

xxね。 は特徴。
xxxですね。 とまとめるのも特徴。

ありがとうございました。

ご苦労様でした。
 日本人の”誇り”を感じました。
 ご病気の全快を心からお祈りしています。
 帰ってきてください。
 本当にありがとうございました。

ひとすじの風が通り抜けた

9/27日の夕方、電話の向こうから「安倍さんが総裁に選ばれた!」と、弾んだ声の知らせが数件ありました。「気がきじゃなくて仕事中もずっとテレビみてた」と言い、野党の総裁選にこれ程注目が集まった現象は、私の知る限り初めてですが、国民が日本の現状にフラストレーション溜めて「うつ状態」になっている時の、ひとすじの風が通り過ぎたような、ほっとする知らせでした。

まるで全知全能の神の如く振る舞い、大上段から安倍・麻生政権を叩き貶め失脚させたマスコミは、今度も早速安倍総裁を叩き始めました。芸能人まで使い、あらゆる手段を駆使して。「マスコミよ!。己の姿を鏡に映して見るがいい」。自分達は何だと思っているのだろうか。衒い、驕り、少しの恥も無いとしたら人間失格、仮面を被った鬼畜と言う他有りません。人間はどんなに強靭な神経でも、ストレスには弱い生きものです。前回お二方はマスコミの攻撃の矢面に立ち、眼は窪み肌は死人のように土気色になり、神経が疲弊しきって命の危険を感じました。人間の臓器の中でストレスに最も影響される器官が腸であり、安倍氏は難病の悪化で引退を余儀なくされ、その瀬戸際でさえも記者会見を開き、自身できちんと発表され詫びた、その品格ある人間性の、その器とあまりに対照的なマスコミの、その裏にある重大な事実さえ思いを馳せる事が出来ない、単細胞で薄汚い現実をこれでもかと知る事になりました。

命の脆さを散々見てきた私は、瀬戸際の命を安倍氏に感じ、その危機感に居ても立ってもいられずお見舞いの手紙を出しました。腸の病気は何より心のあり様が大事な事。この国に無くてはならない人材であり、日本再生の為にも、今は何も考えない、諸々を見ない、で療養専一になさり、健康になった暁には必ず不死鳥の如く復活する事を断言し、其の為に祈りと、その間私達に何が出来るかを考え、微力でも頑張ります。と云うような拙い内容でしたが・・、お元気に成られた頃、御礼の、巻物の手紙を戴きました。 美しい和紙に一字一字丁寧に書かれた香り高い言葉は、誠実な人柄が其の儘忍ばれる、本当にうつくしい手紙でした。手紙の向こうに高貴な品格、安倍氏の本質を感じて、病気ご快癒の嬉しさと、再び日本国の首相として迎える日の来ることを確信しました。
ブログ主のこのシリーズの最後が安倍待望論で、予言するかのような「日はまた昇る」でしたが、どん底のようなこの国の混沌として日々にまた、陽は昇り始めたようです。 

安倍氏待望論に加えて諸々の要求がなされていますが、独裁国家で在ったとしても、人間一人が出来る事は限られています。まして国民の絶対の支持がなければ何も出来ないのです。都知事が議員時代に或る事で、凄まじいTBSのバッシングに遭い落ち込んでいた時、TBSの前を通ると、その件でTBSに抗議デモをしてくれた人達がいて、「本当に嬉しかったネー。元気を貰って又、頑張ろうと云う気持ちになったよ」と語っていましたが、少しの瑕疵を論うのではなく、あれこれと注文する事だけではなく、私達の一人ひとりが、実現に向かって何が出来るかを問い、共に歩む事であり、余人をもって代えがたい人材であればある程、潰すのではなく、育てていくことが、国民に課せられた責務であるとも思っています。

ちなみに安倍氏には、一人ひとり、私のような者までお気を使われず、その時間と費用は国家の為と、ご自身の健康こそにご留意され、ご自愛されて、以後の手紙等々の返信は一切ご無用であると、お断りさせて頂きました。

ご苦労様です
時折やや過激な主張で首をかしげることもあったけど
今となってみればやはり貴重な発言の数々でした
現実に隣国とのビジネスと苦闘する人たちには良い指針になったと思います
自愛してまたブログに復帰することを期待します

日本を洗濯しましょう

はる 様
良いお話、ありがとう御座いました。

マスゴミとネットで謂われるのは
批判の為の批判ばかりで、裏取りをしないどころか捏造記事も平然とする事が知れ渡ったからですよね。
猛反省を促したい処ですが、最早マスコミは引き返す事ができないようです。社会の木鐸ではなく、何処かのプロパガンダ機関に堕ちてしまいました。
政治が正常化されたら…日本を洗濯しましょう。

民主主義は、正確な情報を主権者国民が知らねば機能しません。国民を目隠して誘導したら、選挙は衆愚政治の単なる儀式です。
また、国民も政治にベストを求めてはいけません。世の中に絶対はありませんから政治は一歩も先に進まなくなります。
政治家に求めるのは問題解決へ一歩でもの前進です。ベターにベターを重ね、ベストに近づく努力の継続です。詰まり、正しい理念と実行力。
安倍自民党に期待しています。

マスコミさん
政策の理念に反対なら何故反対か明らかにすべきです。
政策の理念には賛成で中身に不備があると考えるなら、不備な処を指摘し改善するように促すべきです。
社会の公器、木鐸ならね。

最後に
「政治は良く判らないが、マスコミが腐っているのは良く判った。マスコミ押しの正反対が正解なのだろう。」
とネットで謂われていますよ…マスコミさん。

お礼

いつも拝読し勉強させて頂いていました。
本当に有難うございました。
心から感謝すると共に、
一日も早くお元気になられて戻られる事をお祈り致します。

なんだこのブログは

平和のために戦う破天荒議員・上海のブログ

ネトウヨは私のブログで勉強したまえ。

日本は欧米列強どころか清国からも身を守らなければならない弱い国でした。 明治19年、長崎に来航した清国北洋艦隊の水兵は上陸して、大暴動事件を引き起こしました。清国水兵、日本側警官双方に死傷者をだし、日本は清国に賠償金を支払いました。 長崎事件です。 清国軍艦の定遠、鎮遠は7000トン、日本の軍艦の吉野は4000トンで勝負になりません。 北洋艦隊来航の目的は親善でなく威嚇のためでした。 日清戦争は、強い日本と弱い清国が戦ったのでなく逆です。 今回のブログ主様の主張を補足してみました。 鋭気を養われたのちの再開をお待ちします。

ありがとうございました

長きに渡り愛読、勉強させていただきました。
どうぞ養生専一にお過ごしくださいませ。

・・・以下は別件ですが・・・
今度自民党公認で山梨一区から立つ
宮川典子に要注意。

輿石東を僅差まで追い詰めたことで、日教組と戦う
ジャンヌ・ダルクのイメージですが、おっとどっこい
最近、公認受ける間際に書いた松下政経塾卒論で
韓国の道徳教育を賛美、在日に同情して涙した記述が
あることがばれた。

アブナイ、アブナイ。

宮川典子 松下政経塾 で検索すると問題の卒論は読めます。
(何らかの理由で個人攻撃していると思われると困るので
いちおう証拠が政経塾の卒論なので、確かめてください)

自民党も公認の前に精査しないと、せっかく二階や中川秀直が
出ていくのにまた、新たな売国議員(今は小粒だけど)を入れるだけ。

こちらのブログは、ついにブログランキングでベストテン圏外に転落してしまいました。

このままではFC2に閉鎖される可能性あり。

ブログ主がいざ再開しようとした場合に閉鎖の憂き目に会っていたならば、我々の愉しみも減り、日本国の利益ともなりません。

みんなで応援クリックしていきましょう。

なんども読み返しています。
体調が回復されましたら、ぜひ再開されることを期待しております。

日は復た昇り始めています。今度こそ、この日を守りましょう!
「田母神俊雄 オフィシャルブログ 第二次安倍政権待望論Ⅱ」
http://m.ameba.jp/m/blogArticle.do?unm=toshio-tamogami&articleId=11375744948&frm_src=article_articleList

■橋下一家が在日という取材本が発見される。【ソースあり】

■橋下一家が在日という取材本が発見される。【ソースあり】

自ら不利な同和出身を語る不自然さはこういう実は在日隠し?
http://www.asyura2.com/12/senkyo136/msg/888.html
投稿者 賢者の石 日時 2012 年 10 月 10 日 08:14:36: Qf5ShLuWtoZHs

今回の報道を受け、改めて付け加えると、橋下氏の実父・故之峯氏とその弟・博焏
氏の両者を知っているという安中地区の地元住民は、筆者にこう語っていた。
『(橋下氏の実父の)弟は、安中で水道工事会社をやっていたが、いまは倒産してない。
この水道工事会社は、実は橋下知事(当時)の実父が段取りして設立した会社や。(実
父は)大男で暴れん坊だった。土井熊組系津田組の三羽ガラスといわれたほどの男や
った。実父は”ピキ”と呼ばれとった。三人とも在日やった。暴力団の組員という立
場上、名前を出せなかったんで、弟に会社をやらせていたんや」
地元住民は「橋下家は在日」と証言しているが、弟・博焏氏が、先に引用した
『新潮45』の記事の中で、「在日とかいわれるけど、同和や」と否定している。筆者は
取材の過程で、複数の人物から「在日」と聞いている。

同和と暴力団 公金をしゃぶり尽くした日本の闇人脈 (一ノ宮美成、グループ・K21著)
P21より引用
http://www.amazon.co.jp/dp/4796689036
(リンク先下段のAmazonの「クリックなか見!検索」でGoボタン押せばp21は全文が読めます。)

★実父→橋下之峯(はししたゆきみね)
★叔父→橋下博焏(はししたひろとし)
 

日本人は世界一


【日下公人】200年で世界を見る

http://www.youtube.com/watch?v=hbSubf-3uOw&feature=player_detailpage

(・”・)

ブログ主さんは橋下に期待されていたようで、
私もそうでしたが、

彼が、日教組や、労組、不落と喧嘩がうまいのは、
その中で生まれ育った彼の出自と喧嘩強いDNAによるところが大きいでしょう。

やはり通名を廃止し出自を知ることが必要です。

今回、朝日との喧嘩で、
橋下徹はその出自を逆手にとって、
さらに強力に自分をアピールすることに成功しました。

▼▼橋下徹は売国奴▼▼

1.特別永住外国人への地方参政権付与!
2.「伊丹空港跡地を『外国人特区』にして外国人だけ税金全てゼロにする」
3.TPP賛成!
4.「南京事件はなかったのではないか」との河村発言に対し「現実的なプラス感じない」
5.孫正義と組んで、原発ゼロ、韓国製太陽光発電推進。
6.原子力新組織「過半は外国人に」
7.マルハン(朝鮮玉入れ屋)やソフトバンク(超反日の孫正義)が大口後援者。
8.評価額10億円の大阪府有地(北区中崎町2丁目)を韓国民団に超破格の3億円で売却
9.公明党(創価学会)と選挙協力!
10.「加害者の日本は、被害者の支那や韓国への過去の謝罪が不十分だから謝り続けろ」
11.「竹島は日韓で共同管理を目指す」
12.竹島共同管理に批判が殺到すると「ではどうやって解決しますか?」
13.「不本意で慰安婦になった方には配慮が必要なのは当然」
14.「日本が過去に迷惑を掛けたことは間違いない。中国や韓国に謝り続けたから、お金を払ったからいいというのは違う」
15.「竹島に領有権問題があるなら尖閣諸島にも領有権問題がある」
16.「竹島を島根県に編入した1905年、韓国の外交権は制約を受けていた。韓国は抗議できなかった」
17.「メディアは人権擁護法案にとことん批判してきたが自浄作用なければ、抑制も必要」

【反韓】■ 「婚活」で韓国人男性が世界中から締め出されるわけ…

10月18日(木)12時29分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121018-00000038-zdn_mkt-ind
(韓国では国際結婚したベトナム人女性が殺されたことが複数あったという前置き文の後)
 こうした事件によって政府も動いた。
ベトナム政府は、50歳以上の韓国人男性との結婚や、年齢差が16歳以上になる韓国人男性とベトナム人女性の結婚を禁止する制限を設けた。

 韓国人夫が外国人妻を暴行したり、ひどい扱いをしているというニュースは枚挙に暇がないようだ。
韓国での生活に耐えかねた妻が逃亡するというケースも少なくなく、
2008年には韓国人姑にいじめられたベトナム人がビルから飛び降り自殺をして話題になった。

 ベトナム以外でも、韓国人の評判がすこぶる悪い国がある。
カンボジア政府は2008年に約8カ月間、国際結婚にビザを発行するのを禁止する措置をとった。
その裏には、特に花嫁候補を不当に扱う韓国人の悪態があった。
カンボジアでは、花嫁を探す韓国人が、嘘の収入や財産を伝えたり、精神病を含む病歴を隠したりするケースが続発。
結婚して韓国に行ってから嘘が判明するだけに、たちが悪い。

 もちろんカンボジアで国際結婚をするのは韓国人だけではないために、カンボジア政府は結局、
国際結婚に関する規制を強めることで、禁止措置を解除した。
だが2009年になってまた韓国人がトラブルを起こす。

 韓国人斡旋業者が25人の若い地方出身のカンボジア人を韓国に送り込み、43歳の韓国人男性がその女性たちと面談。
結婚相手にしたい女性を見定めようとした。
これはカネにものをいわせて棚に並んだ商品を選ぶようなもので、まさに人身売買だと指摘された。
 
この事件を知ったカンボジア政府は激怒。今度は韓国人だけを対象に、国際結婚の禁止措置を決めた。
カンボジア当局が新たな制限を設けたために、禁止措置は1カ月後に解除されたが、韓国人がやりたい放題していたことは広く知られるよう
になった。 さらに韓国の斡旋業者が、嘘の宣伝文句で花嫁候補を募集していたことも問題になった。 (後略)


「シタラ族」と「クレナイ族」

先月、人生の師と仰いだ先生の○○回忌が都心のホテルであり行って来ました。ロビーの掲示板に「中国へ進出する為のセミナー」の掲示がしてあり、この期に及んでも・・・これが日本の現状なのだろうかと、暗澹たる思いで会場に入りました。
各分野で活躍している著名人も沢山参加していて、尖閣・竹島の現状を「戦争に繋がりかねない、ケンカしてどうする。話し合いする事が大人の対応」、「今こそ反原発運動を拡げよう」と大真面目でコメントをしていて、大戦後67年を経て、人間ならジイサン、バアサンのいい大人が夢見る夢子さんの儘、自虐史観にどっぷり浸り、一元的看方で世界を見、思考している人の多い事に、行き止まり感のような息苦しさを覚えて聞いていました。

講和条約締結後も、所謂東京裁判史観(自虐史観)を己の私利私欲の為に利用してきた共産党や在日を含むマスコミ、日教組等の反日勢力が幅を利かせ、ミスリードし、その日本の現状を巧みに利用して自国の勢力拡大に転化させたのが中・南北朝鮮・ソ連で、彼らは日本の国力を弱体化・破壊の為に、内政干渉までして日本国が利する事にはことごとく批難し反対して、未だ贖罪意識が幅を利かせている現状があります。

一方で、平和ボケした国民は、ひとりの日本人として生きてきて現状に至らしめた事への責任感も反省もなく「アレしたら」、「コレしたら」、「アレしてくれない」、「コレしてくれない」と責任を他に転嫁し、一億総評論家、批評家になって、要求と不満を募らせているのです。
これからの日本の進路に好ましいと思われる政権は、国家観や日本の有り様にひとつの見識を持っている安倍自民党政権以外に望めない現状に在って、まして人間は完全無欠では無いし、民主主義は数の論理であり、新憲法制定一つを考えても、筆舌に尽くせぬ道程であることは言わずもがなです。「シタラ」、「クレナイ」と愚痴や要求を言う前に、その実現をする為には私達に何が出来るかこそが問われているのだと思っています。

それは欧米列強の世界に在って、大戦に至る日本が歩んできた「近・現代史の歴史」をどう見るかによって日本の方向性が決定すると思っています。
このブログの「歴史の旅」の結論は、捏造された「自虐史観」からの脱却であり、列強との「自存自衛の戦い」だった、その日本の歩みをしっかり受け取り(この二つをしっかり認識できれば、あれこれと細かい細部は問題にすることではないと思っています)、自信と気概を持って毅然として明日を拓いて行こうと、最後の気力を振り絞って「旅」を完了して下さったブログ主には本当に感謝です。
そのブログ主に対して私たちが出来る事の一つはこのシリーズの拡散です。完了を期してブログ主に呼応するかのように、安倍総裁が誕生しました。マスコミの批難や彼を良しとしない他国の干渉が激しさを増すでしょう。マスコミ等への抗議も一つですし、一人ひとりが声を上げていくことも肝要とも思いますが、より良い日本の未来を託すために、私達に出来る事のもう一つは、「理解し応援している者がここにいるよ」と、あなたの「存在」が在ることを、応援や提案、励ましのメール、手紙、なんでもいい、出して下さい。その「あなたの存在」こそが、めげそうになる総裁自身や、日本のより良い未来への大きな力になると思っています。

徒に嘆くのではなく、正しい歴史認識の元で、より良い日本の未来の為に、私たちが出来る事は沢山ありますよネ。

未来を生きる子供たちに、捏造された自虐史観など絶対手渡しては成りません。命を懸けてこの国を守った先人達に、この事こそが今を生きる私たちの最低の責務だと思っています。

一曲入魂


岸壁の母

http://www.youtube.com/watch?v=-t85CGQF6oU&feature=player_detailpage

岸壁の母を歌い継ぐ

http://www.youtube.com/watch?v=q-03pYcvTxs&feature=player_detailpage

(・”・)

要はアレだろ!

隠居さん、此処にいたんですね!

俺も、他に行くとこ見当たらなくて!

日本の近代史私論 1

 日本が欧米に警戒されたのは、その高い文化度が示す潜在力であった。殊に、美術工芸品は、欧州で最も先進と目されていたフランスでさえ魅了する程であったが、よもや、西洋が500年を懸けて築いてきた科学文明を僅か50年足らずで我がものとし、最新の戦艦のエンジンを上回るモノを創り出し、世界最大最強レベルを誇ったロシアバルチック艦隊を東洋艦隊共々、その巧みな戦術と開発したエンジンに拠る優れた速力で、海の藻屑と変えて終った事には、驚きよりも恐怖心が先行した。

 汎スラブ主義の熱に浮かされたロシア皇帝ニコライⅡは、結局の処、熱望していた不凍港を手に入れる事は適わず、それ処か日露戦争の大敗が国内の不満分子を勢いづかせて、折しも起こった共産革命の前にロシア王朝は倒れた。

 この出来事は、上辺は人種差別を否定する偽善で取り繕う欧米列強の心胆を寒からしめるに十分であったから、以後、日本はあらゆる面で露骨な警戒心を呈示される事になる。 一方、其れまでの欧米の脅威であった、シナ(china)は、大清帝国の瓦解以来無政府状態が続いたが、孫文(と言う詐欺師)が日本や欧米の支持を背に、大清帝国の将軍だった袁世凱や宋教仁らと組み、中華民国を立ち上げた(辛亥革命)が、こちらは政治的な内紛や謀略により、袁世凱に拠って暗殺、駆逐されたが、自身を皇帝とした袁世凱は、間もなく死亡した。

 軍事的にも他を圧倒できる力を持つモノは存在しなかったので、シナ国内はますますその混乱の度合いを深めて行った。

 シナ国内は馬族化した複数の旧満州勢力と国民党政府軍、南京政府勢力、そして赤匪(=共産党)の群雄割拠状態となって、混乱の極みに至る居たが、国民党軍内で日本留学組の蒋介石が頭角を現して、欧米からは、国民党政府が正式の政府と言う認識を確定させたが、日本は満州権益の承認を引き換えに中々認定しなかった。

 上記の集団の略奪・暴行・殺人に業を煮やした民衆の中からも蜂起が有った(義和団事件)が、何れも、外国軍の出兵によって鎮圧された、民衆は同じシナ人の軍事勢力といえど、その言行の酷さに支持が薄かった。

 日本は対露戦での出費が巨額であった為、中々経済的に回復できない状態が続いていたが、折しも欧州大戦が勃発、欧州本土が戦場となった為に、日本も戦争景気に与った、就中、同盟関係にあった英国の要請を受け、ドイツが租借していた青島への攻撃を行って、ドイツが降伏。 日本は、旧ドイツ領であったマリアナ、マーシャル諸島の統治権を得た。此の事は、日露戦争で戦争の利得に与れず、不満が溜まっていた世論を慰撫するモノであったが、その成功体験が、国民の満州開発への意欲をかき立てた事も否めないでしょう。

 然し、満州には石油産出の可能性が有り、亦、当時の世界で満州は唯一遺された未開の原野で在ったから、米国も満州開発に意欲を示し、日本への共同開発をしきりに持ちかけていた。 処が、日本の世論には、日露戦争に勝利したにも拘らず、十分な「戦争の利得」を得られて居ないという不満が大勢を占めていたので、「満州で1滴の血も流して居ない米国には、権益の侵害を認めるべきではない」という意見が強かった。

 ロシアの去った満州=東三省は、元々満州人が本拠地とする土地で在り、大清皇帝は此の地を聖域化して居たから、大清帝国の崩壊と共に漢民族100万人が雪崩れ込んだ、その様は丸で後世に云う「人口侵略」そのものであった。

 満州族が元々耕作を行わない遊牧民で在る処から、大かたが原野・草原であり、農業の振興、鉱物資源の開削に人手が必要でしたが、満州族自体は人口数も経験も足りなかったから、新たな進入者であるシナ人の労働力も吸収出来たし、日本も国内で開拓団を募った。

 当時の日本は維新から50年余りしか経って居らず、従い、長子相続は武家や農家では、当然の情況で、2,3男には未だ独立への途が限定されていたから、殊に武家は、俸禄が廃止された維新後、蝦夷開拓への屯田兵や北米や南米への移民が相次いで居る情況だった。 満州には、瞬く間に開拓団が結成され、この後60万人以上の人が満州に渡った。

 満州の権益は、日露戦争の勝利の代償として、日本がロシアから得ていたが、植民地や領土として割譲されたモノでは無かったが故に、日本国内には満州開拓に投下した巨額の資金に見合う権利を日本が得るべきであるという機運が高まって行った。

 是に対し、次世代の主たるエネルギー源である石油支配で世界覇権を狙う米国は、日本が満州権益を独り占めする意図を明らかにしたとして、日本の行為を「侵略」として糾弾し始めた。 

 蒋介石も満州利権に大いに関心が有ったが、当時、満州軍閥の張作霖が満州の実権を握り、元は満八旗軍であった馬族を纏めて一大勢力となって居たし、その背後には日本の関東軍が控えて居た為に手出しが難しく、双方膠着状態であった。 処が、昭和6年に柳条湖事件が起こって、張作霖が爆死し、その息子の張学良が後を継ぐと、学良は、一転して反日施策を取り始める。 是でバランスが崩れた事を見越した日本軍は満州全土を武力制圧し、其の勢いで大清帝国最後の皇帝溥儀を皇帝とする満州国を立ち上げた。(満州事変) 是には当然、欧米の批判が集中、殊に、米国は惧れて居た事が現実に成ったわけで、以後、完全に日本を敵とみなすようになった。

 米国は報復措置として、日本が経済的にも政治的にも孤立する施策を取り、殊に、4カ国同盟の締結で日英同盟を解消させた後は、英国がインド市場からの締め出し、オランダがインドネシアから、そして、米国は肝心の石油を禁輸にした為、無資源国家である日本は、鉱工業自体立ち行かなくなってしまった。(ABCD経済包囲陣)

 更に、昭和12年には、共産シナの画策に拠る、国民党軍との小競り合いである盧溝橋事件が起こり、通州市に駐屯していた日本軍が出動したが、其の留守を、3、000名の北伐軍と、暴徒が襲い、100人の留守居部隊の全員と400人近い民間人のうち凡そ300人が惨殺された。(通州事件) この事件に日本国内の世論が激高し、『暴虐なシナを懲らしめろ』と云う声があがった。 処が、其の怒りも収まらぬ2ヶ月後の8月14日、蒋介石は25、000人の上日本陸軍の海陸戦隊を、其の3倍の75、000人で不意討ちをかけて来た。 勿論、日本具は劣勢となり、多くの司法者を出したが、持ち堪え、援軍到着と共に反攻に転じた。 蒋介石の軍は、何れも1年以上ナチスドイツの軍事顧問団に拠って鍛え上げられた精兵であったから、通州事件を含む一連の流れは、蒋介石の計画であった可能性が高い。

 この後、蒋介石の国府軍、日本陸軍共に援軍を送りこみ、最終的には、国府軍750,000人に対し。日本陸軍250、000人と云う当初の10倍の兵力の激突になった。

 然し日本軍が全員訓練を経た精兵であったのに対し、国府軍は、新たに集めた兵数の殆どが周辺の農村から強制的に徴用した銃器の扱いも知らない農民だったから、数の多さが逆に災いとなって、国府軍は3倍の兵数にも拘らず、敗走を開始する。

 日本軍は「規律を失った軍隊の暴走」を惧れ、掃討を行いましたが、敗残兵はこの後、南京城似立て籠るが、先ず、蒋介石が逃亡、後を任された唐智生司令官も逃亡した為、籠城軍は、統治者無き集団と化した、兵士の中で帰農しようとするものは、脱走兵として銃殺されたがm日本軍が迫ると、正規兵が農民兵に化けて城外に脱出、民家を襲うと云うケースが続発した為に。便衣(普段服)兵と呼ばれるこれらの兵士を逮捕し、一括で銃殺にしたケースも有った。 是が、後になって、全て日本軍の仕業とされ。数も100倍以上に水増しされて、世界に犯罪として未だに発信して居る。(南京大虐殺)

>韓国人男性が世界中から締め出されるわけ

これは当に、従軍慰安婦なる売春婦を集めた朝鮮人の手口そのもの。

我が国家に巣食う南朝鮮からの売春婦が5万人も居るそうだ。

何故この日本に?

敵国である日本に何故南朝鮮から売春婦が5万人もやって来るのか?

従軍慰安婦の真実がこれである。

安保理非常任理事国入りが決定した南朝鮮の売春婦が
この国に5万人も入り込み、社会に害悪をぶちまけて
いる。

この国から南朝鮮人の売春婦を尽く叩き出す丁度良い時期であると思う。
叩き出すことが出来ないならば、奴らが常套手段とする捏造によって、
未来永劫、集りの手段にされることは目に見えている。

世迷言と思うなかれ。

ありもしない証言が続々と出てくることは、まず、間違いがない。
従軍慰安婦なる売春婦の証言に50歳代の者がいたように。


日本近代史私論 2 朝鮮併合~朝鮮戦争

 さて、日本の敗戦受諾(450815)~降伏文書調印(450902)によって、日本は朝鮮国との同君合邦状態を解消し、多くの日本企業が朝鮮半島に多くの生産施設を無傷のまま遺して、列島本土へ引き揚げたのであるが、遺した生産施設の資産価値は、凡そ、7兆円であった。

 然し、生産の為の施設操業は継続して居なかったのは、操業して製品を生産する原料を調達する資金も、その販売方法も、亦、労働者に支払う賃金も用意できなかったからであろう。 正に猫に小判状態であったが、その主たる原因は、支配者として立った李承晩が近代的な殖産興業に関しては、全くの無知であった所為であろう。

 日清戦争で大清帝国から独立させた大韓帝国の支配者が利己的な利益の擁護者を求めて右顧左眄する様を解消させる為に、戦略的にも半島のより北側で防露する事の必要性から、議会や元老院の根強い反対を押し切って併合したのは1910年8月29日であったから、丸々35年間日本が統治していた事になるが、此の間に朝鮮半島のインフラ面、社会制度等の面は飛躍的に近代化したが、其処に暮らす朝鮮族の中身まで近代化する事は不可能であった事が、その後の歴史で明らかになる。

 但し、朝鮮併合は、現在韓国が主張している植民地支配では無く、イングランド、ウェールズ、スコットランド、アイルランドの王国連合であるUK=United Kingdam、同君合邦と云う形態を採ったモノで、李氏朝鮮王家を日本の華族として迎え入れているが、戦後の米国はこの措置を無視して、大韓民国を設置したが、是は、明らかに国際法違反である。(朝鮮併合)
 朝鮮族の本音とは、「日本人に生まれたかった」と云う事だと考えれば、彼らのメンタリティをより理解しやすくなる。と云うより、自分達が朝鮮族である事に、抜き難いコムプレックスを持っており、狂人の様な反日や呆れる迄のウリナリズム=自国中心主義、反日言動や「すべての起源は韓国である」と云う妄想的歴史観は、適えられない願いの反動であり、強い願望の裏返しである。

 韓国社会の支配者であるヤンバン層は、事実を捏造・改竄した歴史に拠って、社会に反日感情を育て維持して、以て、自分達が、日本統治時に、日本撤収時に、そして、戦後のレッドパージや朝鮮戦争の折に、犯した詐欺行為や自国民大虐殺を隠蔽して、一寸たりとも追求する事を許さないのです。

 亦、世界大戦の結果、ソ連に拠る満州侵略を看過した米国は、念願の満州進出がフイになった上、シナの赤化で、極東支配を武力で勝ち取る必要が生じて居た。 是は、ポツダム宣言の元になったヤルタ会談時では、原爆の威力が未知のモノで、ソ連参戦を防ぐ手立てが存在しなかった事に起因しているが、此処でもルーズベルトの白人優先主義が顔をのぞかせて居る、と云って宜しいでしょう。 敗者に対する思いやりが皆無であるのは、米国が、日本の敗戦受諾~調印迄は、日本民族の皆殺しを目論んで居た証拠です。

 半年前まで血で血を洗うが如き戦いをし、本土爆撃や原爆投下で多くの民間人を殺戮した米国が、日本軍の力を借りると、何時挟み撃ちに遭うか判らない、と云う恐怖心は確実にあった筈です、それ程、日本兵は強かったし、日本兵の敢闘精神には、米国の多くの司令官が、最大の敬意を表して居る。 ダカラ、1950年に朝鮮戦争が勃発すると、米国内では日本の再軍備即半島派兵の話が直ぐに上がり、正式オファーが為されたが、時の吉田茂首相が、GHQが日本に押し付けて、2年前(2948年)に発布したばかりの憲法と国力が全く未整備である事で、「国民の理解が得られない」事を理由に断り、戦争の後方支援と掃海業務を引き受けた。

 もし半島派兵が実現して居れば、李承晩に拠る大量の韓国兵士や自国民の粛清が行われた跡でしたから、軍内の分裂も予想され、悲惨な戦いになって居た事は想像に難くありません、但し、日本軍の参戦が有ればシナの参戦は無かったか、カナリ遅かった可能性が出てきます。 何故なら、赤匪=ハ路軍も国府軍も日本軍に勝った試しが無かったからです。 すると、ソ連軍が出動する事になり、昭和30年代半ば迄戦闘が続居た可能性が出てきます。

 米国にとって、アラブの大油田が生産を始める1955年以降の極東は関心外の筈ですから、何処かで休戦になったでしょうが、朝鮮半島の地図は大きく変わって居た可能性が有りますね。 

 詰まる処、朝鮮族は、第二次世界大戦での日本の死者の倍以上の死者を出しながら、自力で国の権利や領土を確保したわけではないと云う、悲惨な現実を受け容れる他は無かったのですが、是が彼らの国家観の無さの主因と言えましょう。

あれから早や一ヶ月


皆様いかがお過ごしでしょうか!お元気ですか?
早いもので今年も残すところあと2ヶ月となりました。
年末に向けて、世界クラスのイベントが目白押しです。

私の直近のイベントは、10月31日の収穫感謝祭「ハロウィン」ですが、
日本には穀物が豊かに実ることを願い感謝する「五穀豊穣」の秋祭りがあります。
とても素晴らしい日本の伝統だと思います。元気が貰えます。

↓Arigato. egao no okinawa!

●五穀豊穣(歌詞付き)~パーシャクラブ 【琉球舞団 昇龍祭太鼓】
http://www.youtube.com/watch?v=cV5cZDF4mpo&feature=related

↓Extra

●SYLVESTER-DO YOU WANNA FUNK (remix)
http://www.youtube.com/watch?v=sKstAXq2hh8

日本人の起源 考 序論

ブログ主の「近現代史の旅」を読み進むうちに、日本人のアイデンティティやメンタリティが縄文時代からきているのではないか?と思い、ネットで勉強を始めました。

巨大掲示板の学問板の考古学板から読み進みましたところ
遺跡発掘調査の進展やDNA解析の急激な発展で
学校で習った頃とは違う常識になりつつある現状を知りました。

ネットには、まだまだ沢山のサイトがあり、勉強途中ですが…中韓さんのブログが休止中はコメント活動も暇なので…管理人様に甘えて、論じたいと思います。

何故か?
実は、ネット検索で情報を集めると…
正統派考古学で新情報などを否定したりこなし切れないなどはマダシモ、一見まともだが半島系ファンタジー古代史をベースにしたサイトとか、また内容を良く検証し考察すると支那系プロパガンダ古代史に繋がっていたりとか
まさに、ネットに置ける日本人の起源論は玉石混交状態でした。

其処で、私が考察した事を中韓さんの読者の皆さんと議論出来たら幸いと思い投稿します。

尚、ファンタジー系やプロパガンダ系は紹介しませんので、悪しからずです。

日本人の起源 考 1

最初に…
[弥生人の起源 自称専門の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう]
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html

を紹介します。
ネットに溢れる ファンタジー・プロパガンダ・トンデモ の起源論に騙されない為、最小限は知って置くべき事実や学説を紹介しています。(2011年10月2日付)
是非、読んでみて下さい。

次に紹介しますのは
[三日月城通信 - 遺伝子で見る日本人との違い]
http://www26.atwiki.jp/crescent_castle/m/pages/56.html

最新?のDNA情報を紹介し 半島系ファンタジー・支那系プロパガンダ を否定。
これも参考になりますので読んでみて下さい。

もう一つ紹介
[DNAが語る日本人の足跡]
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h23/jog705.html

ミトコンドリアDNAとY-DNAの関係に注目。


さて、本論。
在野の人ですが、整理された理論と証拠、かつ偏らない色々な学説を紹介しての結論、と信用の置ける論説です。(超~長いですが)
[日本人の起源]
http://www.geocities.jp/ikoh12/index.html

著者の伊藤さんの説に一部異論がありますが…頷けます。

今回は、サイトの紹介で終わりです。
次回?は、伊藤さんの説を概略し、異論部分に反論したいと思っています。

 逃亡した蒋介石は、漢口を経て武漢市中に潜んだ、英米国は、此の蒋介石に物資・資金を援助し、戦闘の継続を支援したが、こうした行為は、本来2国間紛争を助長する、戦争助長・拡大支援行為に当たり、世界平和を目指すべき国際法西晋に鑑みて矛盾しているという他は無い。

 日本軍は、情報を基にして、蒋介石の隠遁先を爆撃したが、此の爆撃に対して、迎撃に上がってきた戦闘機は、何と、米国人パイロットが操縦して居るモノも多数目撃されている、つまり、公式ではないし、背後関係も明らかではないが、パイロットが義勇兵でもない限り、米国は日本軍と意思を以て交戦している可能性が有る。(援蒋ルートの設定)

 是等の点について、日本の外務省は、批判処か、調査依頼、質問すらしていない。 国際世論と言うべきものが無かった時代とはいえ、日本の外交力の不明さや非力さが、やがて日本の完全孤立を招く事態になったと云って善い事は、後世の日本人は認識すべきである。

1929年(昭和4年)10月24日に、ウォール街の証券取引所の株価の大暴落で始まった大恐慌は、アメリカ経済を破壊した。 共和党フーバー大統領は、ニューディール政策成る内需振興策を打ち出したが、大統領改選で民主党FDルーズベルトにとって代わられるが、ルーズベルトはニューディール政策を継続する。

然し大恐慌は、当時の米国の最大の貿易相手国であり、且、大消費地である欧州が、第一世界大戦のインフラ系の復興需要を終えたが、産業は復活して居らず、従い一般消費は落ち込んだままで、モノがさっぱり売れなくなったのに、生産体制が変わらず、モノがだぶつき始めた事が主因で在ったからである。 米国経済の真の立ち直りには、欧州の消費層の購買力の復興こそ必要だったのだから、スポット的なイベントでもたらされる短期的、局所的な消費喚起策では不十分であったから、復興は思うように進まず、米国経済が、欧州に並ぶ新たな消費地の開拓を必要としてた事は明らかでした。

 米国経済の救済策は、新たな消費地開拓以外なら、戦争しかなかったのだが、欧州ではドイツが工業力を復活させ、その灼かな先進の科学技術と下落したマルクの為替面での優位性も追い風となって貿易で興隆、貿易黒字と外貨準備高を増やして居た、やがてナチスドイツが政権を執り始め、貿易不均衡を批判されると、直ぐ様内需振興と称し、軍備を拡張して欧州に再び脅威が誕生していた。

 これに対するにイギリスもフランスも、国土が焦土と化し国力が整って居ないのと、国民の間の厭戦感から避戦ムードが高かった。 ナチスドイツは此処に着けこんで軍拡を更に推進して、軍需産業を発達させていった。

 一方太平洋側では、新興国日本が、満州開拓を始め、その効果が徐々に表れ始めて、其れに伴って軍備拡大、武力を高め、無政府状態が続くシナ本土での権益拡大を窺って居る様に見えた。

 米国はドイツの興隆を警戒しながらも、その恩恵に与るべく投資や金融面で関わっていたが、やがて欧州に戦乱が起こる事は予想に難くない事だったから、英仏との連絡を密にし、モゥ一つの懸念である日本との二正面対立を避けるために、自他共に避けられない戦争ならば、開戦の時期や相手国の戦力分散迄、イニシアティブを如何に取るかを腐心し始めたと思われる。

 大恐慌の影響は、勿論日本にも及んでいて、モノが売れないのは何処でも同じだったが、それまでの満州開拓が功を奏し始め、満州で生産した安い農産物。小麦・高粱や大豆は、将来性を国民に与えて居たし、満州鉄道沿いの都市の開発、繁栄、消費の増加で日本は小康を得ていた。 然し、ABCD経済包囲陣が機能し始めると、其れまで好調だった東南アジアへの繊維系の輸出が全く不振に陥り、更に石油禁輸が始まって、日本経済は立ち行かなくなって行った。

 国内には日本に余力が残って居る裡に欧米列強の囲いを破り、日本が主導して、大消費地であるアジアに、一大経済圏を構築しようという「大東亜共栄圏」構想が再浮上した。

 然し是は、欧州勢力の財源である植民地解放を前提として居るモノで、譬え、東南アジア、南アジアに限ったとしても、欧州勢力との直截対立は避けられない事は明らかであったが、英仏蘭は、第一次世界大戦や大恐慌の余波からの国力衰退を回復できていない事は明らかであったから、米国との開戦さえ避け得れば、可能と云う暴論も支持されて居た。

 日本にとって、北にはソ連、海の向こうには米国と云う強敵が居て、陸軍はソ連と、海軍は米国との対峙を考えるに、3倍の精兵で成る国府軍を打ち負かした陸軍は、相手がソ連でも自信満々だったが、機械力、科学力が勝敗を決する海軍は、工業力で圧倒的な差が有る米国相手では、永く戦争を続けるのは無理との認識を持って居た、然し、米国はそれまで、大きな海戦を経験して居ない事から、艦船の運用に関しては、日本に一日の長があり、短期決戦なら勝機が有ると看て居たようです。

 ただし、海軍力は資金力と同義語である事は、既に十二分に知れ渡って居ましたから、最大の敵は米国で在る事も、開戦前から国民皆が認識していた事です。

 陸軍は、ソ連もナチスドイツとの二正面を避ける事を念頭に置いて、牽制の積りで、昭和15年に日独伊三国同盟を結びますが、是は、国際世論と云う存在を全く意識して居ないという他は無い。 何故なら、ドイツ。イタリアは共にファシズムを標榜する確信的全体主義国家であるが、日本は、寧ろ英国と相似する同君合邦国家であり、あまりに違い過ぎるのに、是等国家と軍事同盟を結べば、日本の内部に変質が起こったと世界が判断してもやむを得ない。全く近視的にして軽率と云う他には無いだろう。 是が後に、歴史的大失態である事が判る。

 昭和15年手薄になった隙を衝いた積りで、関東軍の一部司令官が暴走、ソ連は機甲師団を繰り出して応戦、双方に三万人の犠牲者を出して終結した、日本側はシナ事変を上回る大きな被害であったし、ソ連も相手を見くびって居た事を思い知らされた一戦であった。然し、ソ連も日本も此の戦いを寧ろ、表に出さない様にして居たのは、当時の両国共に、国際間で微妙な立場に立って居た事を象徴している。(ノモンハン事変) この後始末として、昭和16年4月に日ソは、相互不可侵条約を締結しているのは、なんとも泥縄式であり、日本側に政治的なガバナビリティが欠落して居る事を内外に知らしめる結果であろう。

 ソ連の中心であるロシア内部は近代化が遅れて、未だ農業国と言うより云い様が無い有り様で、急速な近代化、工業化が必要で在ったが、炭田や油田の発見が相次いでいたので、取り敢えず、領土を護り、領土を拡張して、工業化の基礎を築く他は無い情況で在った

スターリンは汎スラブ主義を覇権主義に乗り換えた様なモノであったが、彼が描いて居たのは、単にソ連の確率と云うだけでなく、共産主義で世界を覆いつくし、ロシアがその盟主になる事で在った。

 その証拠に、それまでの武力一辺倒の侵略では無く、共産主義思想と言う社会の底辺層が、社会の富裕層にとって代わる事を正当化する思想を相手国に広めるという手段を遣った。 その為に細胞と呼ばれる工作員を相手国の社会内部に養成し、徐々に社会を蝕み、兵士として国家護持に立つべき国民の愛国心から破壊するという手法を取った。 (国際コミンテルンの誕生)

 この未知の思想の虜になった人々は世界に多く居た、日本では昭和天皇陛下の甥に当たり、華族でも五摂家筆頭の家柄の出自の近衛文麿は後世コミュニストであった事が判明したが、2度に亘り総理大臣を拝命して、1回目はシナ事変勃発、2回目は日米開戦と、正に日本を戦争の泥沼に引きずり込む瀬戸際に居たのは偶然であろうか。

 コミンテルンの暗躍は、米国側でも中枢に及んでいて、戦後に明らかになった工作員とソ連との交信録である「ヴェノナ文書」に拠れば、日本が開戦を決意するに至ったのはハルノートであったが、最初は穏やかな内容で在ったモノを密かに改竄したバリーホワイトは、コミンテルンの工作員で在った。 彼等は、日米が相戦うように工作をし、両者を疲弊させて、その隙を衝いて覇権主義を達成しようとの目論見で在ったが、それが空前の成功を収めたと言えるのは、世界大戦終了後の極東や東欧がソ連の支配下に収まった事を看れば明らかでしょう。

 然し是は、歴史が証明するが、底辺層の不満を利用して、国家を内側から破壊して終うが、その破壊した跡にはソ連軍が進駐して、全てを奪い去る、そして、ソ連の手先の共産党支配で絶望的な社会を創り出す、と云う民衆の生活全般に亘る抑圧装置の設置に他ならなかった。 そいて、この様な暗黒社会が、東欧社会で実際に約40年間続けられた。(20世紀の悪夢 共産主義)

米国大統領F.D.ルーズベルトは、日露戦争当時の大統領セオドア・ルーズベルトの従弟にあたるが、後者が共和党でどちらかと云えば親日であったのに対し、前者は民主党で白人優越主義に偏った男であった。 彼には、有色人種に対する侮りがあり、太平洋の真ん中に位置するハワイ諸島に奇襲攻撃をかけられる戦力を日本が保持しているとはドゥしても思えなかったと云う。

 此の失敗が逆に、「太平洋艦隊全滅」と云う手酷い損害の原因を精査分析し、其れが空母と云う新たな戦闘機能に拠るモノである事、大量の艦載機による攻撃は巨艦大砲主義に勝る事を確信したから、戦艦よりも空母を量産し、新鋭航空機の開発に注力した。

 これに対し日本は、技術開発面では負けて居なかったが、島嶼戦に陸軍兵力を投入しなくてはならない事は端から判って居た筈なのに、開戦後も陸軍と海軍の折り合いさえついて居ず、揚陸艦や上陸用舟艇が未開発だったり、陸軍兵力を潜水艦や駆逐艦の護衛無しの無防備の輸送船団で行う等、考えられない話が山ほどあったが、現場の兵士以外にそれを指摘するモノは出て居ないのでは、敗戦は当然の結果と云う他は無い。

 是らは、戦前日本が戦争の準備が余りにもできて居なかったのに、已む無く開戦した事を示している。

 将官クラスの認識も古く、一個師団が全滅すると云えば青ざめる陸軍首脳も、輸送船一隻沈んでも何とも思わないという感性・常識しか持って居なかったが、輸送船一隻に3千人の兵士が乗って居て、船一隻沈めば全滅すると云えば慌てる。 其処に言及しないと気が着けないのでは、唯のアホゥでしか無いが、現実には、そんな話がごろごろあった。

 国家国民の生命と財産を護るのが国の役目なら、戦前日本は、その点で全くの落第と云う他は無いだろう。
 日本の戦中派に反日や反体制派が多いのはその所為でもある。 資金や工業力が無いのだからやむを得ない部分が確かに有るが、では、先制攻撃を遣って米国を追い込めたとして、戦争を早く終わらせるダケの政治的交渉力や後ろ盾はあったのかと問えば、戦前の日本の周りを見渡してもそんな国や人物は皆無である。

 ケンカは大きければ大きいほど、始めるより終わらせる方が難しいのは常識である、ダカラ、勝ち目云々ではなく、戦争を終わらせるダケの目算は有ったのかと問うべきである。

 戦前日本に欠けて居たのは、明らかに政治面、外交面での戦略性であるが、その基本となるのは、何時でも一戦に及ぶという覚悟や準備であろう、徒な平和主義で、相手の顔色ばかり窺って、相手の都合だけで対処するからから隙に着けこまれるのである。 戦後になって、ソウいう面だけを論ってサヨクが批判するのも、ソウ云う日本人の隙ダラケな面を消したくないからであろう。

 日本人は国際性と云うのなら、先ず、自国の何たるかを、正確に知らねばならない、然すれば、逆に世界が良く見えてくる筈である。

 戦前日本にとって最も不幸な事は、自分の理想や主義を国家国民の利益に優先させる男が、国家の中枢に任じられた事であろう。

 我々は、此の歴史にこそ学ばねば成るまい、国益・公益を優先する政治家でなければ、国会議員処か政治家である事すら許してはならない事は肝に銘じて置かねばならない。
 
 日米戦争は、マリアナ陥落で終わって居なくてはならなかった筈である、その後の戦争継続は、単なる虐殺に過ぎない、日本の全死者の2/3以上つまり、200万人以上が、18年~20年の2年間に生じているし、その裡の1/3は民間人である。 然も、8月15日に降伏して武装解除した後に、連合軍に拠る軍民の虐殺が行われた事も決して忘れてはならない。

訂正させて下さい。

 スイマセン、大恐慌の下りで誤認識がありました。
 フーバー大統領がニューディール政策を掲げた様に認識して居ましたが、確認の処、フーバーではなく、発案・実施したのは、次期大統領のFD・ルーズベルトでした。
 亦、ドイツの経済がずっと順調の様な印象を与える記述ですが、ドイツも多くの銀行が倒産する等手酷い目に遭って居ます。 大恐慌で無傷だったのは社会主義体制下のソ連だけです。

何故だろうか

石原慎太郎氏が新党立ち上げるとか
? 何故だろうか 魔物が巣くう政界でありましょうが 謎が多々あります 何方か 教えて頂ければ 有りがたく思います。

こんな売国な田母神俊雄は奴許せません

米兵の被害女性に「セカンドレ○プ」 田母神氏ツイートに批判殺到1~2
http://www.j-cast.com/2012/10/22150955.html


「愛国者どころかまともな人間ですらない」

田母神氏のツイートに対し、ツイッターユーザーからは
「あなたの考えだと、
強姦していい時間帯があるように読み取れますが」
「米兵による強姦被害者を
貶める様な発言をする人物が愛国者気取りか?
この様な発言をする人物は愛国者どころか
まともな人間ですらないだろう」など、怒りのツイートが寄せられた。

また、「同胞の女性が暴行を受けたなら、
事実調査を求めつつ相手国に毅然と抗議するのが
『愛国な人』だと思っていたら、
その女性の自己責任だと言わんばかりの
言い回しを採用することで、
自説やアメリカ様を守ることを
優先するかのような姿をみせつけられた」

田母神氏のツイートにある「平成7年の暴行事件」が、
1995年9月に発生した「沖縄米兵少女暴行事件」を指しているとすると、
この事件の被害者は女子高生ではなく女子小学生で、
犯行時刻も朝4時ではなく夜8時だ。

この点、田母神氏の指摘は誤っている。
さらに今回の事件について
「テレビは時間について全く報道しない」とした点についても、
フジテレビ系のFNNと日本テレビ系のNNNが
それぞれ「午前4時半ごろ」「午前4時頃」と報じており、
「セカンドレ○プの上にデマまで流すのか」との非難を浴びている。
なお、10月22日18時現在、
田母神氏はこのツイートについて謝罪、訂正などは行っていない。


田母神氏、ツイッターの発言に批判殺到、炎上状態に
http://news.livedoor.com/article/detail/7068285/

しかし、実際、平成7年に起こった暴行事件の被害者は小学生であり、
時間は午後8時だったことから、
フォロワーからは「検索すればすぐ分かる事を調べもせず、
セカンドレ○プを行うのは人間のクズだ」
「今回の女性は飲食店勤務で帰宅途中のことだったのに
『深夜遊び歩くふしだらな女』ってことにしたいの?」
「同胞よりアメリカ軍を擁護する人が自衛隊のトップだったとは世も末」
といったコメントが殺到、炎上状態となった。


沖縄 米兵レ○プ事件 田母神元幕僚長ツイッター炎上
http://gendai.net/articles/view/syakai/139305

何故テレビで売国、田母神俊雄を取り上げないのだろうか?
娘をもつ親達からすれば売国、田母神俊雄の発言は許されませんね。

日本人の起源 考 2

最近、沖縄で旧石器時代の人骨と石器が発見されました。
[沖縄で1万2千年前の人骨 石器と一緒、国内最古の出土]
http://sankei.jp.msn.com/life/news/121019/art12101911300001-n1.htm

南方ルートの縄文人かも知れません…ね。

日本人の起源については、明治の頃より色々な学説がありましたが…考古学的に集約され、日本人のルーツは縄文人と考えられるようになりました。

では? 縄文人の祖先である原縄文人(旧石器時代人)は、どこから日本列島に来たのでしょう。
海の道=南方ルートと大陸・樺太・北海道の陸道=北方ルート、そして朝鮮半島ルートの3つが昔から考えられて来ました。(注: 氷河期などは海面が現在よりかなり低い)

昔は、黒潮ルートの海の道が主流でしたが、日本人の北方気質を説明できませんでした。
其処に二重構造モデルが登場します。元々は南方気質の縄文人に北方気質の弥生人が混血したのが日本人だと。今は、ほぼ否定された騎馬民族征服説も此の考えに近いです。
然し考古学的な証拠は、縄文人が北方気質で弥生人が南方気質だとしています。逆の二重構造モデルが考古学学会の主流です。

学会の主流に近いのが
[縄文と古代文明を探求しよう]
http://blog.kodai-bunmei.net/
です。

つづく

つづき

此のサイトは、海の道をほぼ否定。朝鮮半島ルートが本道で北方ルートを補助道、縄文人も弥生人も主として朝鮮半島から日本に来たとしています。(更に騎馬民族征服の三重構造モデル?)
…残念ながら、成る程と頷けません。

伊藤氏の「日本人の起源」は、原縄文人を北方ルートのアイヌ系(Y-D2,Y-C3)と半島ルートの本土系(Y-D2,Y-C1)で沖縄の(Y-D2)+(Y-C1)は九州からの渡来としています。
…此処が頷けません。

旧石器時代、朝鮮半島には人類の生活痕跡がありません。 日本への通り道にしては不自然です。 家族ずれで通るからには半島通過に数ヶ月もしくは数年が必要でしょう…生活痕跡が残る筈です。 実際は、古代で生活しつつの陸路移動なら…数十年単位で考えるべきかもしれない。
また、Y-D2とY-C1更にY-C3のアイヌ・本州・沖縄の構成比率は、沖縄から(Y-D2)+(Y-C1)が北上し、樺太・北海道から(Y-D2)+(Y-C3)が南下し、本州で混ざり合い(Y-D2)+(Y-C1)+(Y-C3)になったと考える方がスッキリします。
それに、欧米の学者は、Y-D系の移動ルートをアラビア半島→インド→アンダマン諸島→スンダ大陸→沖縄→本州の海上移動と考えるのが主流らしいです。またY-D*からY-D2の変異はスンダ大陸以降だそうです。

以上から、私は原縄文人は南方ルートが主流と思います。

>酒と泪さん
>>原縄文人は南方ルートが主流
 私見で云わせて貰いますと、ピュルム氷期時には、大陸島東側の海岸線に南北に連なる5つ内海=ベーリング、オホーツク。日本海、東シナ海、南シナ海が存在した事、そして、この内海「=巨大な湖、若しくは潟を包含する」が、その沿岸に棲む生物にとって非常に穏やかな環境を形成した事を、併せ考えなくては、間違って終うと思います。 南方ルートの出発点が現在のジャワ・スマトラ近海の浅海域、詰まりスンダランドであった事は疑い様が無い事だと私は思っています。
 
 然し、DNAで看れば、スンダ系=クメール、タイヤル族の特徴は、余り見られないとの説が主流の様です。

 近年の琉球・薩摩・大隅での先縄文とも言うべき時代の、貝紋土器や曾畑式土器や生活什器、定住跡は世界的に見ても最古レベルでしょう、琉球では既に、以前から、湊川人(18,000~20、000年前)や山下洞人(同)が見つかって居ましたが、種子島以外では12,000年前付近の遺跡が余り出て居なかったので、余白を埋める様な発見だったと認識して居ます。

 従来云う処の旧石器時代には、ゴミ捨て場や便所であった貝塚等の定住跡がなく、畑などの耕作跡、詰まり、食糧の計画的な自力調達試行跡も無いと云うのが、画期事でしたが、20、000前と推定される西多羅ヶ迫遺跡からは、貝塚に相当するモノは出て居ないモノの、畑作の跡が出て来ています。

 是等の遺跡の特徴は、その多くが火山の破局噴火によって埋没、全滅して居る事ですから、中々骨が出土しなかったのですが、幸いに琉球には海底火山以外には、顕著な火山が無く、その所為で湊川人や山下洞人の様に骨の出土がある様です。

 私は半島は緯度が高く、氷河が遅くまで残って居た事に加え、前述の様に暖流がその海岸を洗い始めた時期もかなり遅かった事から、緯度も低く早くから暖流が海岸を洗って居た日本列島とは、人の棲み着き易さと云う点で格段の違いが有ったと思います。

 従い、文明は南から北へが当然のコースだと思います、唯、大陸が氷期と間氷期とでは、特に寒流の流れが大きく違う事が推定されますので、氷河の形成も単純ではなかった様に思います。 その所為で、大陸にも温暖な地域が有り、マンモスやナウマン象、大角鹿が繁殖できる様な豊かな草原や広葉樹森が有ったモノと思われます。 日本列島に遣って来たのは、此のマンモス達を追って陸橋を渡って来たハンター達で、オホーツク胡沿岸に棲みつき、漁労採集で暮らして居た人々も居た様です。 彼等が東日流三郡誌(ツガルソトサングンシ)に云うアソベ族であろうと私は思っています。 山の麓に棲むアソベ族は、火山の噴火による火砕流で全滅したとされて居ます、彼等は海岸縁で暮らすツボケ族に救われ、後に混交します。 此のツボケ族こそ、南から北上した貝紋土器を造った人々では無かったかと考え始めて居ます。

フジテレビが佐藤秀峰氏(海猿原作者)を怒らせる「信頼に値しない企業であると判断した、海猿の続編も絶対にない」
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1351232042/

71 :オレオレ!オレだよ、名無しだよ!!:2012/10/26(金) 17:11:15.51 0
>>1
著作権の侵害で提訴したらいいかも
民事で確実に勝訴できるよ

72 :オレオレ!オレだよ、名無しだよ!!:2012/10/26(金) 17:17:57.58 0
>>1
弁護士選びのポイント

日本の弁護士協会は在日コリアン系が多く、また財界と親密な関係の弁護士事務所が多い。
従って、フジテレビのようなコリアン大企業と法廷で闘うなら、アメリカ系の国際弁護士事務所を選ぶことがいい。
国内の圧力に屈しない実績がある弁護士事務所を選んだ方がよいでしょう。
知的財産権、著作権の侵害は民事で勝訴するのは難しくありません。
但し、最高の判決を導くのには、100パーセント作家(被害者側)の味方になる優秀な弁護士が必要不可欠です。

84 :オレオレ!オレだよ、名無しだよ!!:2012/10/26(金) 18:01:39.56 0
>>1
佐藤氏は米国に移住してからフジを訴えてほしい
米国で住所があれば民事提訴できる
日本の民事と違って米国の民事の著作権の侵害は天文学的数値の慰謝料がフジから取れるよ
著作権侵害の成功報酬契約(慰謝料から歩合)してくれる剛腕弁護士は星の数ほどいるから弁護士費用もタダだよ

日本人の起源 考 3

免疫グロブリンGm遺伝子による日本人のルーツと男系遺伝子(Y-DNA)と母系遺伝子(mt-DNA)についての考察…

Gm遺伝子によれば、日本人のルーツがシベリアのバイカル湖畔にあると推定されるらしい。これは、現在の男系DNA移動ルート説からすると矛盾した事実です。(第三者の欧米人学者の説からすると)

然し、伊藤氏と違う考え方ですが…スンダ大陸→沖縄の海上移動前に男系遺伝子Y-D*からY-D2に変異が起こり、スンダ大陸から海上ルートで沖縄・本州に来たグループ(Y-C1含む)、支那大陸を北上しシベリアへ到達したグループ(Y-C1含まない)、の2つに別れて移動したと考えるとシックリします。(Y-C1は漁労民族で陸路を好まなかった?)
この考えなら、北上ルートのグループはバイカル湖畔でY-C3と混血し、北方文化を吸収した後に樺太・北海道→本州に来たとすると(南方グループに数百、数千年遅れ?)、縄文人の南方文化圏と北方文化圏の二重性にも反しない。
また、支那大陸や朝鮮半島と日本人の母系遺伝子(mt-DNA)が、似ていて相違が少ないのも納得できる。

以上が私の考えです。(素人の仮説)
然し、縄文南方文化圏の先住からくる優位性は、南九州の鬼界カルデラ大噴火で壊滅したとしても…。
でも、支那大陸にY-D2の痕跡が殆ど残っていない疑問が残る…。

つづく

つづき

ところで
支那人征服王朝?説。 縄文晩期から弥生早期の稲作、発掘された縄文系人骨など考古学的な事実を無視?。 モンゴロイドを古系(Y-C、Y-D)と新系(Y-N、Y-O)に区別していない。 D系とO系が近い?(全く赤の他人)。 CとDの密接な関係を無視?(Y-DとY-Cが一緒に移動したとする欧米の説)。
と納得できないところが沢山有りますが…丸地三郎氏の説を紹介します。

[試論: DNA-日本人の起源とモンゴロイド]
http://members2.jcom.home.ne.jp/1228105901/DNAreport.pdf

[DNAから導きだされる日本人の起源]
http://members2.jcom.home.ne.jp/1228105901/JPN%20frm%20DNA.pdf

Gm遺伝子・男系遺伝子(Y-DNA)・母系遺伝子(mt-DNA)の関係を歴史(支那大陸史)から考察した論点が参考になります。
大部分の男系(Y-D2)は移動したとすると、Y-D2は少数しか大陸に残らなかった(Y-D1と違い)。そして、少数ゆえにY-D2は駆逐殲滅され滅亡した、との説。(今も大陸で似た現象が…)
然し、母系遺伝子(mt-DNA)は征服者の男系遺伝子(Y-DNA)と共存?(略奪婚)し残り、Gm遺伝子も混血で生き延びたと。

現状の免疫グロブリンGm遺伝子・男系遺伝子(Y-DNA)・母系遺伝子(mt-DNA)の分布を矛盾なく説明できます。

私は、これが真実だと思います。

日本人の起源 考 4

[マトメ 1]

南方系縄文人と北方系縄文人の出会いが、日本人のメンタリティの基層を作った?

南方系と北方系、同じY-D2とはいえ別れてから随分経ちます。(幾百?幾千?年)
その内部は、Y-C1とY-C3と別々な混血相手、文化も漁猟採集の南方圏と狩猟採集の北方圏で違います。もはや別部族(民族)だったでしょう…かろうじて、言葉は通じたか? (ラテン語とフランス語の違い位?)

世界の常識では、此処で縄張り争いが起こり殲滅戦に発展します。

でも、日本では戦争にならなかったようです。 海と山とで棲み分けし平和的な融合が進んだ。 山幸彦と海幸彦の神話を彷彿させます。

然し、Y-D2は誇り高き人々だったのでしょう。
スンダ大陸に残ったY-D2系は、後から来た新モンゴロイド(Y-NO系)に駆逐され殆ど残っていません。此は、奴隷として生きるより最後まで戦い死を選ぶ、誇り高き精神がスンダ大陸時代からあったのでしょう。支那大陸では、無慈悲な民族の台頭が主因での滅亡でしょうがね。

縄文人は、平和的な融合を好むと同時に、道理に反した事=征服者には、とことん戦う人々だったと推測します。

これは、後の渡来系弥生人との幸せな出会いに通じた、日本人の基層メンタリティだとたのではないでしょうか…。

次は弥生人を考察します。

ソロ様 レス有り難う御座います

携帯投稿ゆえ、ある程度は省略割愛しています。(汗)

人類の移動拡散ルート
[DNA情報から日本人の起源を探る]
http://www.cyber-u.ac.jp/column/wh/006/index.html
を基準に…
スンダ大陸には、3派に渡って人類が来た。第一派は、オーストラリアのアボリジニの祖先を含む先発グループ。第二派は、古モンゴロイドのY-C系及びY-D系。第三派が、新モンゴロイドのY-NO系。
と考えています。

湊川人や山下洞人は第一派に属するグループかもしれませんが、私は第二派の南方ルート縄文人と考えています。
種子島や琉球諸島は、海底遺跡を含めて此からの発掘調査に期待してます。

南九州の西多羅ヶ迫遺跡等の学会主流派の見解は、定住遺跡でない 移動中の生活痕跡に過ぎないです。 これも更なる発掘調査に期待しています。

>>半島は緯度が高く、氷河が遅くまで残って居た事に加え、前述の様に暖流がその海岸を洗い始めた時期もかなり遅かった事から…(略)…人の棲み着き易さと云う点で格段の違いが有ったと思います…略

…同意です。

>>彼等が東日流三郡誌…略

…同意しかねますが、此からの発掘調査しだいですね。

参考(少し古いかも)
[日本人起源資料図録]
http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/nihonjinkigensiryou.html

日本人の起源 考 5

日本人は、縄文人系Y-D2 弥生渡来人系Y-O2b1 帰化人系Y-O3 の3大グループと沢山の少数Y-DNAグループで成り立っています。(少数グループには面白そうな来歴が有りそうですが、本題に外れるので割愛)

弥生系渡来人Y-O2b1 を考察する前に、稲の伝来及び普及を考えましょう。但し、弥生人=縄文人(漁猟民→稲作農耕民)+渡来人(稲作農耕民)と考えての考察です。

日本の稲作は、縄文時代の陸稲(焼き畑)と弥生時代の水稲(水田)に分かれます。

近年の遺跡発掘調査の進展により、縄文前期の終わり頃には陸稲栽培された事が稲のプラントオパールで証明されました。 そして、稲のDNAから栽培されていたのは熱帯ジャポニカと判明。 朝鮮半島経由ではなく、支那江南地方からの直通と見られる。

[講演 - DNAから見た稲の道 - 佐藤洋一郎]
http://inoues.net/study/japonica1.html

[稲作の起源 @邪馬台国の会]
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku195.htm

このように、縄文時代に始まった陸稲栽培は、従来の朝鮮半島から伝来説(伊藤氏含む)ではなく、江南直通ルートと考えられる。
但し、稲作耕作民の少数グループ移住によるのか? 縄文時代の海上の道を行き来した交易によるのか? は判然としない。

つづく

つづき

私は、両方あったと思う。
交易で稲籾を手に入れても、栽培方法を知らなければ宝の持ち腐れ。 知識を持った人が日本に来たと考えるしかない。然し、民族的な変化がない?事から、技術指導で来た人が現地人化したと考える方がシックリきます。

弥生早期の水稲について考える前に、縄文時代のおさらいを兼ねて…

[我が国に水稲稲作技術を伝えた弥生人]
http://www.bell.jp/pancho/k_diary-6/2012_03_01.htm

[「稲」は日本から朝鮮に伝わった @解法者さまの論考]
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/ine_denpan.htm

以上を読んで、感情論を排除し冷静に証拠を吟味しても、渡来系弥生人は支那江南地方から直接きたと思われる。
縄文時代の交易にしても江南人が来たにしても、支那大陸の動乱期に江南地方から日本への道(海上ルート)が残っていたと考えるのが普通。 それを前提に考えると、朝鮮半島から弥生時代に渡来人が来たとは思えない。朝鮮へ江南人の別グループが行ったり、日本から朝鮮に渡った人が居たとしてもね。

これを男系遺伝子Y-DNAで見ると
日本の渡来系弥生人は Y-O2b1
朝鮮の渡来系稲作民は Y-O2b*
と考えると…

Y-O2b* は呉?、Y-O2b1 は越?で、後の任那の民は Y-D2とY-O2b1…仲が悪そう…。

日本人の起源 考 6

[マトメ 2]

縄文人と渡来人は、どんな出会い方をしたのでしょう?

人口は、圧倒的に先住民の縄文人に分があったでしょう。渡来人は、戦乱を逃れた難民として伝手を頼って来たのでしょう…三々五々、舟に乗れる少人数(家族)で。

縄文の陸稲も、弥生の水稲も、稲作技術を持った渡来人と切っても切れない関係です。 縄文人も稲作を欲したから、渡来人を受け入れたとの考えは浅い。 技術を取得すれば、後は難民を追い返すのが世界では普通?。
然し、縄文人は追い返さず全てを受け入れた。そして、渡来人も縄文人と争わず混血し和合した。(我等が御先祖様達は誠に情け深い)
縄文人と渡来人は幸せな出会いをし、男女で喩えれば結婚したと言えます…夫婦で生活を始めたのです、お互いを信頼しあってね。

水稲(水田)栽培では灌漑設備が必要です。 直ぐには利益が出ない長期的視野の工事をしなければなりません。 世界では、リーダーの登場=王権の誕生です。
然し、夫婦で協力しあう関係の弥生人…人口比から縄文人が夫役?、渡来人は技術を持ち裏から操縦する妻役?…は、独裁的リーダーを必要としなかった?。

後の時代に、聖徳太子が言った
「和を持って尊しとなせ」
は祖先の時代を思い出せとの意味かもしれませんね。

日本人の起源 考 7

私の日本人起源の考察も終わりに近づいてきました。

邪馬台国の卑弥呼以降は、支那の歴史書に書かれた有史。その考察は、歴史考察です。
また、邪馬台国論争は専門家の方々に任せます。(私は、天孫降臨神話から九州だと思っていますが…ちなみに断っておきますが、私は九州に縁もゆかりもない東国人)

さて、日本人のメンタリティを考えるのに
日本人の3大男系遺伝子の一つ Y-O3 を外す事はできません。然し、帰化人系と考えられる男系遺伝子 Y-O3 が何処の由来かハッキリしません…私的に。
現在は、漢族の主流が Y-O3 だから古代支那から来た漢民族とは言えません。 中韓の読者さんなら支那の歴史で知っていますね…古代漢民族はほぼ絶滅したと。 現在の漢族は北方異民族が換骨奪胎して主民族になったのですから、帰化人=古代漢民族と断定できない。
もし客家が漢民族の末裔なら…彼らの男系遺伝子を知りたいですね。
[客家 wiki]
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%A2%E5%AE%B6

私は、古代漢民族は Y-O1 ではないかと推測しています。 日本にも少数派ですが存在します…彼らが支那からの帰化人(古代の)と思います。

では、古代の帰化人 Y-O3 は何人だった?

次?に考察したいと思います。

神は豊かな海と島国を創った
豊かな大地に美しい四季を創った
神はその島国を日本と名付けた
天使は言った「神様これでは日本人だけが恵まれ過ぎています」
神は言った「心配するな隣にシナと朝鮮を創っておいた」

シナの四蛮で読み解くと

>酒と泪さん、ソロです。 レス有り難うございました。
>>スンダ大陸から海上ルートで沖縄・本州に来たグループ(Y-C1含む)、支那大陸を北上しシベリアへ到達したグループ(Y-C1含まない)、の2つに別れて移動したと考えるとシックリします。(Y-C1は漁労民族で陸路を好まなかった?)
 是も私見ですが、スンダ人にも山の部族と海の部族が居て、山の部族は現在のラオスから、メコン河を遡って、四川地方に到達、此処で繁栄した跡が既に発見されて居ます、その後、長江を下って、中流域の湿原地帯に達した時点で、浮き稲等の陸稲の栽培を行い、それが進化して水田耕作となった、是等は、シナ史では、南蛮と分類される、苗、三苗=ミャオ族の事です。 

 一方、海岸平地で暮らしたスンダ人は、湿地帯に植生する浮き稲を早くから知って居り、人工栽培を可能にした時期も山岳系より早かったでしょう。 亦、海面の上昇に拠る、毎夏の洪水の頻発に悩んで居た筈で、沈まない土地を目指して北上するのは、地理的、海流の流向から云って当然と思われます。

 亦、インドに稲作を持ち込んだのは、釈尊を産んだ釈迦族とされて居ますが、山岳系で在ったか、海岸系なのかは未だ検証されて居りません、唯、当然、浮き稲と同じインディカ米です。

 長江文明は、この南蛮族と東夷族のオソラク千年以上を隔てた邂逅を端緒とするものです、是は、日本列島でも起こった山の民と浜の民の文化の融合現象です。 (「ま」は日本古語で、棲む、居る処) この2つの民集団は、生活圏が違う、生活手段が違う、相互に補完関係が成り立つ、南蛮系は焼畑耕作を生産手段とする民で、半定住型だが、東夷系は、舟を遣った移動手段を駆使するが、基本的には漁労海産型で、定住型であるから、土地や地域に対する価値観が違う、そして、どちらも好戦的では無い。

 そして、2つの同源乍、異なる習俗を持った集団の時空を隔てた邂逅が、寡品種大量栽培である水耕稲作を誕生させ、澱粉質の摂取量を上げて、人口を飛躍的に上げ、耕地を更に拡大、以後、3000年以上に亘って繁栄する文明圏を作り上げます。

  シナに云う四蛮の裡、他の北狄=最古の人類集団、狩猟採取、と西絨=遊牧民、騎馬民族の邂逅は、争い、殺し合いしか生まなかったのとは、大違いです。

 長江文明の黎明期は、三星堆遺跡(18000年前)とされてきましたが、長江下流域に12000~10000年前まで在ったと思われる巨大な内海の存在から云って、下流域はもっと沖縄トラフに近い場所に広がって居たと考えるべきでしょう。 その地域は勿論、今は海中に在るのですから、今後の調査・発見が俟たれますね。

 因みに、旧石器時代の画期事を定住、食糧自力生産としたのは宜しいが、年代まで固定したのは、是だけ発見が続き、年代が遡ると石器との関連性を疑う他は無い。 是を定めたのは、20世紀初頭の西洋人ですが、彼がベースとした情報自体、氷期の地中海沿岸、若しくは、ジブラルタル地峡形成によって生じる大湖沼地帯からのモノでしょう。 周囲が三方海に面したスンダランドをベースとするアジアのモノとは地理的な部分に大きな相違がある事を考えれば、同じ尺度を用いるのは、寧ろ間違いを犯し易いと私は思います。

日本人の起源 考 8

帰化人系 Y-O3 が何処から来たのか?
を現在の東アジアで推論してみます。

東アジア Y-DNA表(少し古いかも?)
[日本人起源資料図録]
http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/nihonjinkigensiryou.html

この表の日本に関係有りそうな所で Y-O3 多い場所は
・モンゴル(ハルハ)…2位 23%
・朝鮮…1位 40%
・漢民族(華北)…1位 66%
・チベット…同率1位 33%
・漢民族(華南)…2位 33%

支那大陸の歴史から考え、古代漢民族が北狄と呼んだ北方遊牧民たちの一つが祖先と考えられる。
また、北狄が換骨奪胎をし始めたのは五胡一六国時代。 最終的な覇者は…唐王朝で鮮卑系の李氏。
そして、帰化人も同じ時代に日本に来た?。
帰化人系 Y-O3 は鮮卑系の人たちとして間違いないだろうか?

然し、古代史の百済難民や高句麗難民を受け入れた事実から、扶余系とも考えられる。
誠に、判断し難い…。

此処で、頭を切り替えて考えてみます。
古代では、現在と違って一夫多妻でした。権利者ほど子孫を残した数が多いと考えられる。
万世一系の皇室は、日本の宗家で分かれて発展した氏族も多い。縄文系 Y-D2 か 渡来人系 Y-O2b1 の可能性が高いが、私は今までの仮説からして縄文系 Y-D2 と考えている。

つづく

つづき

渡来人系 Y-O2b1 は側近などの貴族として繁栄したのだろう、物部氏とか…。
[新撰姓氏録]
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%92%B0%E5%A7%93%E6%B0%8F%E9%8C%B2
による神別の天神・天孫の半分は渡来人系かな?。

…物部氏で寄り道/ 稲作文化から発生し縄文人の自然信仰と合体した神道を守る為に、物部氏は帰化人系仏教の排斥を強硬に唱えた? 成る程と自分をほめる(汗) /…

すると、崇仏派の大貴族 蘇我氏は当然 Y-O3 の帰化人系となる。 蘇我氏の出自は諸説あるが支那からの帰化人説が一番シックリする。
だが、この家系は本家が滅亡し没落した…現在の Y-O3 の祖先では無いでしょう。
然し、[新撰姓氏録]の帰化人(難民?)系とされる諸蕃の家だけで、Y-O3 の多さを説明するのは困難。

Y-O3 の多さは、皇室系に次いで貴族係累が多い藤原氏こそ説明するにふさわしい。特に、水稲栽培によって人口爆発をした Y-D2 と Y-O2b1 に随分後から帰化し大勢力となるには…ね。

と謂う事で、藤原氏の祖 中臣鎌足は難民系とは考えられない?ですから、支那からの帰化人いや渡来人系と謂うべきですね。(渡来時期は古墳時代?)

尚、藤原氏は大権力で[新撰姓氏録]の出自を神別(天神)とさせたのでしょう。

実は私も体調を崩してまして、早く病院に行かなきゃいけないのに行く気が起きずヤバイです。
PCの不調も私の病気を治した方が直るのかしら?なんてオカルトチックな事考えています。
笑えませんね…

日本人の起源 考 9

男系遺伝子 Y-O3 の祖先は藤原氏として…論じます。

藤原氏が日本人に与えた影響は、メンタリティよりアイデンティティにあったと考えます。それは、メンタリティに影響を与えたとしても一時的な事と思えるからです。
藤原氏の政治は平安文化を生み出し、爛熟した文化(世界最古の小説 源氏物語など)が日本人に影響を与えました。これは、日本人に誇りを感じさせる事実ですが、庶民を顧みない政治が為された事でも有りました。

それ故に後の武家の登場を誘引し、武家の道理を元にした政治のメンタリティに打ち消されたと思われる。 だから、武家の世は明治維新で徳川幕府が終わるまで続いたのです。(後世の歴史家は大東亜戦争の敗戦まで武家政治としているかもしれませんが…)
但し、アイデンティティが確立した事は事実でしょう。

藤原氏は、支那流に天皇家から禅譲放伐で権力を奪う事をしなかった。(出自 支那Y-O3鮮卑系? から新王朝をもくろんでも不思議はなかったにも拘わらず)
逆に、再三の万世一系存続の危機に皇室をサポート、日本人の皇室を中心としたアイデンティティを確固たるものにした…藤原氏の功績です。

このように、藤原氏(Y-O3)は功罪相半ばする…と考えます。

武家史観で申し訳ない…反論の声が聞こえます。(汗)

日本人の起源 考 終章

日本人のアイデンティティやメンタリティが縄文時代からきているのではないか?
この疑問への結論を まとめ ます。

これまで論じてきた仮説(素人の私見)から…

日本人のメンタリティは、縄文人の祖先がスンダ大陸で[男系遺伝子 Y-D2]となってから『奴隷に甘んじるよりは戦いで死を選ぶ誇りある精神』の基盤が確立されたと思われる。

次に、[南方系縄文人(Y-D2a 新情報につき?)]と[北方系縄文人(Y-D2* 新情報につき?)]の合流で、『安易に戦うのでなく和合を試み融和する精神』の基層が定まったと思われる。

[渡来系弥生人(Y-O2b1)]との幸せな出会いは、優しさ思いやりの心が発露され、『信頼と協力し合う精神つまり和の精神』が基層に重ねられたと思われる。

遅れてきた渡来人=[藤原氏(Y-O3 ?)]により、『皇室を中心としたアイデンティティが確立した』と思われる。

以上で、日本人の起源つまり日本人3大男系遺伝子 Y-D2 Y-O2b1 Y-O3 からの考察は終わりです。

皆様の異論や反論が聴けたら…幸いです。

大変、失礼しました。

尚、新情報は ブログ[崗上虜囚の備忘録]の 名無し さんのコメントからいただきました。一次情報を確認中ですので ? としました。

中華ラーメンナチス駆除が必要

日航ジャンボ123便 123便乗客小川様撮影7枚目に写っている爪木崎の場所に愛子様石碑。皇室から公安自衛隊へ抗議の姿勢。
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak51/msg/1034.html

(回答先: 日航ジャンボ123便 車窓写真「7枚目」は、伊豆静岡県下田市「須崎御用邸」付近を南下。乗客小川様が右側を撮影)




昭和60年8月12日の日航ジャンボ123便ソ連自衛隊核攻撃惨事(背景に中国共産党中国軍中国公安部台湾客家)であるが、

JAL123便乗客小川様が機内から右側を撮影した車窓写真「7枚目」は、伊豆静岡県下田市「須崎御用邸」爪木崎付近が写っている。
http://www.asyura.us/bigdata/up1/source/11249.jpg

爪木崎付近には、皇室愛子様ご誕生の記念碑が設置され、
公安自衛隊による皇室への軍事クーデターであったJAL123便事件に対する皇室から公安自衛隊への抗議の姿勢が鮮明に示されている。
http://www.asyura.us/bigdata/up1/source/11249.jpg  

日航ジャンボ123便 ソ連台湾が黒幕 川奈会談で橋本龍太郎総理がロシアエリツィン大統領にベア真空管ネタに北方4島返還迫る

日航ジャンボ123便 ソ連台湾が黒幕 川奈会談で橋本龍太郎総理がロシアエリツィン大統領にベア真空管ネタに北方4島返還迫る
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/924.html

(回答先: 日航ジャンボ123便 ソ連が黒幕 川奈会談で橋本龍太郎総理がロシアエリツィン大統領にJAL123便ネタに北方4島返還迫る)

1985年8月12日の日航ジャンボ123便ソ連自衛隊核攻撃惨事(背景に中国共産党中国軍中国公安部台湾客家中華ラーメンナチス)であるが、
松下電器(現panasonic)工場に、日本軍アッツ島玉砕作戦の碑と同様レイアウトのモニュメントが建立されており、公安自衛隊に対する抗議の姿勢が鮮明に示されています。
http://www.asyura.us/bigdata/up1/source/11250.jpg  

02. 2010年8月20日 10:16:19: yQWO2OkyEc

02. 2010年8月20日 10:16:19: yQWO2OkyEc
(改定版)敗者は語らず、で米国も日本もJAL123便をこれまで語らなかった。

>何故、「123便」でなければならなかったのか?
日本の技術力向上はアメリカの国益である。
当時、米軍のステルス機の電波吸収塗料(ラバー材)すら、日本企業に開発が委託されていた。米軍は最先端技術を日本に依存していた。
JAL123便に松下電器の優秀な技術者が複数搭乗しており、
この事故によって松下の技術陣が完全にダメージを受けたという話を
聞いたこと(あるいは読んだこと)がある。

で、「日航123便」「松下電器」で検索してみたところ、
2ちゃんねる掲示板に一箇所だけそれらしきものを発見した。

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601 :大人の名無しさん:2010/04/27(火) 20:52:17 ID:5QKc/89s
日航機123便墜落事件で亡くなられた方

◎脳の可塑性の世界的権威 塚原仲晃博士  ←  
○ハウス食品社長             ←

○偽名で搭乗して死亡したといわれる
グリコ・森永事件の実行共犯者      ←

◎搭乗していたといわれる松下電器の
日本版WindowsOSの開発技術者       ←

http://toki.2ch.net/test/read.cgi/cafe30/1215342573/l50

---------------------

どうやら日本版WindowsOSの開発技術者らしい。軽いOSが日米同盟で開発されてしまったら、米軍機の機体姿勢処理能力は一段とアップし、ソ連軍機がおもちゃのように落とされてしまうではないか。ソ連は困った。

あんまし事故とは関係の無いような気もするが、こうした日米の進歩に関して
ソ連は遅れをとっていた。
これ以上、日米同盟とソ連との格差が開くと、脅威である。しかし、技術力も人材もソ連には無い。
ソ連は考えた。開発者ごと、死亡させ、日米同盟の足を引っ張りたい。ロン(アメリカ)が眠っている時間帯にヤス(中曽根)をそそのかして、JAL123便を飛行機ごと葬り去ろう。
ロン(アメリカ)にナイショでヤス(中曽根)の自衛隊一派をこっそり動かしてJAL123便を攻撃すれば、もし万が一バレても日本国内からは自衛隊が批判の対象となる。日本の軍事力が削がれればソ連には好都合である。日本の技術力が削がれれば、米軍の開発にダメージを与えることができる。
また、ソ連はグリコ・森永事件で日本を不穏にさせようとしていた。しかし、身代金等の収奪が失敗に終わった。ソ連は警察・公安関係者を殺害して口封じをしたいと考えた。

とにかく開発技術者は関係なくとも、
大韓航空007便にマクドナルド下院議員が乗っていた。マクドナルドという名前は、マクドナルドハンバーガーのように、アメリカを代表するブランドである。マクドナルド氏が死亡したとなれば、アメリカの面子は丸つぶれであった。
誰かレベルの高い人が乗っていたからソ連が事故を起こした、あるいはソ連に撃墜されたのではないか
と私は思うのだ。

もちろん、ソ連に都合の悪い人間だ。


これに対抗して、アメリカの支援の下、
橋本龍太郎総理は、ロシアのエリツィン大統領に対し、JAL123便をネタに北方4島の返還を迫った。

訂正 新?情報

訂正
×[南方系縄文人(Y-D2a 新情報につき?)]

○[南方系縄文人(Y-D2)]

×[北方系縄文人(Y-D2* 新情報につき?)]

○[北方系縄文人(Y-D2]


ネットで一次情報を検索しましたが、発見できません。

発見できたのは…
2ch のソース無し書き込みコメントと
半島系ファンタジー古代史のサイトの記述
だけでした。

確かに、日本人の Y-D2 解析は進んでいて、Y-D2* Y-D2a Y-D2a1 など分岐した Y-D2下流 遺伝子が発見されていますが。縄文人やアイヌに絡めた論文などは見あたりませんでした。

判断できませんので…ペンディング保留事項とさせていただきます。

古代の日本を造った民族

>酒と泪さん
 面白かったです。 唯、物部/蘇我氏の対立、更には、蘇我/中大兄・中臣の対立の読み解きに聖徳太子や、その背後勢力が描かれて居ないのが惜しいと感じました。
 オオキミ=スメラミコトを輩出する血筋「=現在の皇室に連なる」を尊重していたのが顕著に現れた故事として、倭の五王の末の武烈天皇暗殺~継体天皇擁立迄の経緯が、挙げられましょう。

 大伴氏と云えば、伴部(トモベ)=オオキミの側近であり、久米氏と並んで近衛のトップですが、五王を輩出した河内王朝の末は、応神天皇が近親のオオキミ継承者を全て殺してしまった為に、指名した後継者武烈天皇しか残らなかったのですが、此の天皇が暴君で、近侍して居た大伴金村はが堪りかねて殺害して終った。 然し、継承者が居ない、血筋を尋ね探して候補者が居ても、スメラミコトを殺した金村に不審を抱き、、僅かの在位で逃亡して終います。 困った金村は、当時河内勢力の敵で丹波の豪族の長であったオオド王が応神天皇五代の末である事を突き止め、彼に使者を送ってスメラミコトを継承するように促しますが、流石に敵方のボスで、意に沿わねば主君で有ろうと討ち果たす様な男の考えられない誘いに簡単に乗れるわけが無い。

 金村は執拗な誘いを懸け、とうとう了承させ、武烈天皇の姉君を正室にさせます、然し、オオド王は、河内の王宮には入内せず、樟葉(今の高槻市辺り)に宮殿を造営して其処で生涯執政し、後年、継体天皇のおくり名を送られます。 即ち、現皇室の祖になるお方です。

 金村は、武烈天皇を殺害した時点で、実質上の権勢を握って居たのですから、自らがオオキミを名乗る選択肢もあったでしょう。 然し、畿内の北には丹波(海人族系=ハマ、シマの民=東夷族)と云う大国が、越三国や飛騨信濃の国人勢力と連携して、吉備・播磨・大和を背景とする河内王朝勢力と対峙して居たが、世の中が収まっていたのは、スメラミコトと云う、海人(アマ)族、国人(カラ)族、秋津(ヤマト)族といった、列島に辿りついた時期も、出自も異なる三族の和=大和の神の神官として認めた血筋が有っての事ダカラでしょう。 従い、オホキミ家の近衛として認知されている大伴が、護るべき君主を殺して成り代って終えば、社会は再び武力による権力の争奪戦で乱れるであろう事は容易に想像できた。

 それが故の継体天皇擁立であった、詰まり、オオキミの血統を護る為では無く、スメラミコトの血統を維持する事が世の安定に資すると云う判断が為されたのです。

 河内王朝は崇神天皇から始まって居ます、其れまでの樫原辺りを代替わり毎に転々として居た宮殿を山を下って河内平野に移したモノで、是で、瀬戸の海に面し、吉備や播磨の豪族、果ては、遠く安芸や九州、朝鮮半島との交通路も開けた。 オソラクは、吉備や播磨の豪族の強い要請を受けての事で在ったと思われます。

 此処から古墳時代が始まっているのですが、現在の大阪が遅くまで河内潟と云う汽水湖であった事から、当時の河内平野自体湖沼の多い湿地帯であったと思われます、詰まり、水田地帯になったのは全て人力の永年に亘る大量投入が有っての事、従い、豪族は大量の人々に賦役を課すだけの力を持たねばならないし、賦役の人々の食糧を調達・供給しなくてはならないワケです。

 当時の人々は土木工事が日常であった事でしょう。  造成した田圃おそのままでは何も実らないワケですから、作物の造り手としての権利が自然に田圃の造成者に与えられた事になります、耕作権利者の上に豪族が居て、田圃=生産装置を所有し護る義務を持つモノは、一定の割合の生産物を所得として受け取る権利をもつ、と云う形が採られて、吉備や播磨からも大勢の入植者が来た。

 河内地方は、新たな富を生み出す[人工」の耕地だったのです、水田を造成する為の灌漑から畝割、苗床、水張り、田植え・・刈り取り、日干し、脱穀・精米迄、年間の農作業の方法や時機を教えるのも、スメラミコトの役目であったから、民から尊敬を受け慕われて居たと思われます。 亦後に、豪族同志のバランスの要であるオオキミを請われて兼務する様になると。直接人々と接する立場を離れたが、人々のモチベーションを維持する為に五穀豊穣を祈念した他、請われるままに様々な祭祀を行ったと思われます、就中、年々歳々の豊穣や無事安寧を感謝し、或いは、臣民の霊魂の清浄なる事を約した。 然し乍、戦乱はあちこちで起こり、五王の時代には、遠く九州や朝鮮半島にも大軍を遣わし、勝ちはしたが少なくない死亡者も出して居るし、災害が起こって不作で飢えた歳もあったでしょう。 そうした折に、スメラミコトが人々を救い労う術を持って居たと考えるべきです。

 それが有ってこそ、巨大な古墳を造営すると云う事業が成立するし、此の古墳は、遠く南九州の端や朝鮮半島、関東の信越地方にさえ伝播して居るのですから、何か特殊な慶事や祀りの意図を含んだものだったと考えて善いと思います。

 オホキミ屠スメラミコトを兼ねた五王の初めは、この様にその智に拠って、人徳の王であったが、半島の鉄が尽き、石見と安芸山中で鉄山が見つかると、出雲勢が力を伸ばし、丹波と結んで日本海側に勢力を蓄えたから、どうしても武力を磨き、勢力を維持する必要が生じ、次第に権勢を誇り、武威で圧する王になって行ったと思います。

 その結果が武烈天皇ですから、金村は寧ろ、昔のオオキミの時代に復古したかったのかもしれませんね。

 処で、此処から本論です。

 安芸・吉備・播磨の山陽の三大国は、当時日本の穀倉地帯であり、九州から水耕稲作の技術を伝え、以て、大和・山城・近江の地を開墾して、その民と共に勢力範囲とした橿原勢にとっては、神武東征の御代に、呉越が纏まった楚から伝わった、若しくは、楚の一部勢力が渡海する際持ち込んだ最新の灌漑技法や水耕稲作を16年かけて伝え、湿地帯を水田に変えた実績から、友邦関係にあったが、是等、山陽道の豪族の出自は、呉系よりも、百済や新羅といった半島系からの移民が多かった様です。

 彼等の裡、百済は周書や三国志魏志書や後漢書によると、支配階級は扶余族を中心とする、シナ王朝殷の遺臣である箕子朝鮮の残党が馬韓を侵略して建国したので、被支配層は馬韓人で二重言語国家だったとされています。 シナの「梁書」によると馬韓は日本と同じく城壁の無い国だった為に扶余族を中心とする箕子朝鮮の残党に簡単に侵略されたそうです。 一方新羅は、辰韓と呼ばれた地域の民ですが、後漢書や三国志魏志書や北史新羅伝によると馬韓(後の百済)の所に、秦の始皇帝の労役から逃亡してきた流民が大挙にやって来たので馬韓の王は馬韓人との軋轢を避ける為に、自国の東部の地を秦の流民に割譲し辰韓人と名付けた。 その為に、辰韓人は陝西語(長安に都があった頃の標準語)を喋ったそうですが、その裡に、勝手に馬韓から独立し「新羅」と名乗り出したのだそうです。
(以上、「在日朝鮮人の戯言」より、部分借用)

 何れにしても、彼等の支配層は、北狄乃至西絨族ですから、水田耕作を知りません、被支配民の扶余や穢族も、北狄でその為、吉備でも山岳部に居城を築き、森林での狩猟採集と、麓に降りての畑作を行って居たものと思われます。(吉備の鬼ヶ城)

 神武到来以前は、早い時機に渡来して来た海人族や呉越人は、平野部で水田耕作を行っていたが、吉備三川の治水がママならず、未だ湿地帯が多く、大雨が続くと水害の影響を受け易く、川端の住居を避けて高台に家を構えなくてはいけなかったので、思う様な収穫量は得られなかったが、神武勢の指導監督で治水・灌漑が整い、収穫量が上がり、人口もどんどん増え村を広げ、大国となったのでしょう、隣国の安芸も播磨も同じ恩恵に与って大国になったので、東征の終着点である大和に入る迄の神武の背後勢力になったのは当然でしょう。

 詰まり、河内王朝には是等背後勢力(支配層は呉系)が居り、神武の恩恵を受けて居ない丹波や出雲系の海人族連合(越系)が対峙して居たが、応神天皇の御代に、是等も服属した。 然し、次第に河内王朝内部に変質が興り離反者も出始めて居たと思われます。

 其処へ金村が、丹波の王をスメラミコトとして迎えたから、居並ぶ豪族たちは驚天動地、忽ち、王朝内部の諍いが顕現し始め、先ずは大伴氏が東海・中部に追放され、続いて、仏教導入にしつこく反対した物部氏が、導入派の聖徳太子・蘇我馬子連合軍に敗れて、是も地方(四国他)に流されます、品部筆頭だった久米氏は早くに地元九州に帰って終って居ましたから、オホキミ家の古くからの家臣団は綺麗サッパリいなくなってしまって居ます。 代りに権勢を延ばしたのが、蘇我氏と中臣氏ですが、どちらも渡来の豪族で、殊に、渡来人は新技術を齎すと云う過去の成功体験に根差した好感がありましたから彼等が簡単に早期に力を着けられたのでしょうが、モゥこの頃の大陸には長江文明の遺産とも言うべき物で日本に伝わって居ないモノは少なかった。

 馬子の子蘇我稲目は、乙子の変で、息子である入鹿を殺されると、自宅に火を着けて自殺しますが、此の際、屋敷内には、日本の歴史についての文書が大量にあったとの馬子の甥である石川麻呂の証言があり、この文書が有れば、古代日本の情報がもっと正確に判った事でしょうが残念です。

 中臣鎌足は、死に立ちあった中大兄皇子から、藤原姓を賜ります、未だ八色の姓も無かった時代で、姓を持つのは、余程の事ですが、天智の弟天武がまとめた時点の「日本」とは、九州、四国、山陽道、山陰道、畿内、に北陸道、そして、中部・東海道の2/3位の地域でしかなく、畿内以北は友好関係にあるだけで、未だ平定と云う段階では無かったのですし、東北に「日高見の国」と云う蝦夷の国が存在して居た事を考えれば、現代で云う「日本人」は未だ完成して居ないと云うべきだと思います。

Y-DNA系図と稲のルーツ

>ソロ様
>>スンダ人にも山の部族と海の部族が居て…(略)…日本列島でも起こった山の民と浜の民の文化の融合現象です。
→成る程。日本だけではないのでね。

>>南蛮系は焼畑耕作を生産手段とする民…東夷系は、…漁労海産型…(略)…土地や地域に対する価値観が違う、そして、どちらも好戦的では無い
→同意です。
また、北方モンゴロイドの好戦性にも同意です。

北狄にはチンギス・ハン系Y-C3の他にY-NO系のY-O3もいます。 黄河文明人=Y-O1 長江文明人=Y-O2 と思っていますが。Y-Oは、Y-DNA系図でDEとCFが分岐した後CF→F→K→NO→Oと変異し誕生しました。
この事から血統的な面より、環境による文化から好戦的になったのでしょう…同じY-O系でも北に住むほどに。だから、長江文明人は黄河文明人に駆逐された。

稲のルーツですが
スンダ大陸に野生種の稲があったのは確実でしょう。然し、栽培種つまり原産地は長江の中流域との説が定説化しつつあるそうです。その説によると、長江中流域で野生種の熱帯ジャポニカから栽培種が始まり、インディカ種はジャポニカ種とビルマ?辺りの野生種との掛け合わせで誕生しただったかな?…。

参考:[世界最古の稲作農業]
http://masakawai.suppa.jp/encartaAA/bunka/saikonoinasaku/saikonoinasaku.html

日本の先史時代と水稲のスンダ由来

>酒と泪さん、ソロです。
>>スンダ大陸に野生種の稲があったのは確実
  スンダ大陸の主たる河川と思しき、チャオプラヤ川流域には、今でも浮き稲と云う、水中の茎が5m以上にも達する品種が古くから栽培されて居ます。

 栽培方法は,雨季の少し前に水田を耕起し,種籾を播種した後は自然に任せるものです。

 現在でも、バングラディシュ(200万ha),インド(170万ha),タイ(80万ha),ベトナム(50万ha),ミャンマー(50万ha),インドネシア(15万ha) マレー(13万ha),,ナイジェリア(5000ha)の低湿地帯で栽培されていますが、 収量は1-2(モミ)t/ha低い。かさが増えるに任せる洪水農業ですから、栽培と云うより、半栽培と云った法が良いでしょうね。 結実した米は勿論インディカ種でしょうが、私は是が長江に伝わった水稲の原種の片割れだと確信して居ます。

 日本人のルーツで、北方発と南方発のY-DNAが同じと云う事は興味深い話ですが、物理的な距離や想定される経過年数の大きさから云って、カナリ可能性の低い話だけに、確かな検証が俟たれますね。

 私論ですが、日本人とは、凡そ4~5万年の血の重なり・継承の結果ですから、永年の様々な環境因子が遺伝全体に作用していると思いますが、大陸の様な、遺伝子の「置き換え」が起こって居ない点、その為、少数ですが異端の遺伝子を持つ人がいる点、今でも、例えば、米大陸の血液型分布が、A型とO型しかいなくて、その比率O:A=9:1と云った、他を圧する様な偏りが見られない(因みに日本は、A:O:B:AB=4:3:2:1です)事等、過去に、異民族間で大虐殺が、天候の急変や大災害での大絶滅が、起こって居ない事を示して居ます。

 日本列島は確かに、世界でも希な程、破局噴火や大地震、津波、台風、大雨、洪水の頻度が高いのですが、我々の祖先は、その、時に厳しく苛烈な時代を乗り切って此処まで辿り着いている。 3万5千年南の貝紋文化を創った人々が、度々の噴火に追われ、列島を北上して、約6千年前、北で狩猟採集人と出遭い、共に知恵を出し合って厳しい冬を、亦、穀物系食糧の生産法や貯蔵法を、教えあい、助け合って、次第に混交して行ったモノと推察して居ます。

 列島に暮らすモノは、その自然の脅威の大きさから、人間の存在の卑小成る事を知ら強められる、が故に、自然に対する畏敬の念が先に立ち、森羅万象にカミを置いて、山を敬い、川を慰撫し、海に服従するのです。 
 カミを、畏怖の対象のみならず、「畏きモノ」と呼ばわるのは、自然が人知の及ばぬ恐るべき力を揮うモノの、お鎮まりに成られた跡に、その破壊が、逆に新しき世の礎となる善き条件を醸すからなのです。 譬え、全村が全滅する程の津波や火砕流で有ろうとも、予定調和があって=神様の思し召しあっての天災であり、破壊であると云う事を、日本人は永らく受容して来たのです。

 ただし、人為に拠る災難は人に拠って糺されねばなりません、否、むしろ、天災を神の至善と捉える為にも、人間同士の無駄な戦いに拠る、自然の破壊、人命の損失は、限りなく排除されねばならないと云う考えに至るのが、畏しこき神を畏れ敬う民には当然な事です。

スイマセン訂正です。

 以下訂正させて下さい。
×・・蘇我氏と中臣氏ですが、どちらも渡来の豪族で、
○・・蘇我氏も中臣氏も、橿原氏族で「連」を務めた氏族で、蘇我氏は、身分を管理する役目で渡来系の豪族と繋がりが深かった。

×・・馬子の子蘇我稲目は、
○・・馬子の子蝦夷は、 (稲目は馬子の父親でした)

ソロ様 楽しんでいただけました?…感謝です

物部/蘇我の対立、蘇我/中大兄の対立、継体天皇の擁立経緯、古墳時代の考察
…補足ありがとう御座います。

今回は、男系遺伝子から考察しました。歴史考察は、それゆえ割愛してます…皆様も御存知かと。(言い訳…汗)

>>山陽道の豪族の出自は、呉系よりも、百済や新羅といった半島系からの移民が多かった様です
…これは?と思います。半島→日本への渡来より、稲の遺伝子からして日本→半島が正解と思います。
また、日本では呉系は数が少なかったと考えます。
と謂うのは、地名は変わりにくく古代の名が残る事例が沢山あります。更に、移民が新天地に故郷の地名を名付ける事も世界的に多いですよね。
其処から、日本の渡来人は越系が主流だったと思います…越前の国とか(北陸は彼らの本拠地になった?)。それに比べ呉系は、安芸の国の呉すなわち町レベルかなと。空想レベルですが…。

古代朝鮮半島史の補足にも感謝です。御説明の通りと私も思います。

>>馬子の子 蘇我蝦夷は…(略)…この文書が有れば、古代日本の情報がもっと正確に判った事でしょうが残念です
…同感です。

日本人のメンタリティは、長い民族の歴史により育まれました。今回のは、その基盤や基層です。
舌足らずで申し訳ないです。(大汗)

ソロ 様 申し訳ない 反論です

>>結実した米は勿論インディカ種でしょうが、私は是が長江に伝わった水稲の原種の片割れだと確信して居ます

…ソロ 様の説は、インディカ起源論ですね。
私も男系遺伝子の系統図の説明で知ったのですが
例えば、遺伝子の組み合わせが abcde だった処に afcde と変異が起き、更に afgde そして afghe などの変異パターンで系統図が判るそうです。
私の説は、「日本人の起源 考 5」で紹介した
[「稲」は日本から朝鮮に伝わった @解法者さまの論考]
で述べられているジャポニカ起源説です。
最近、発表された
[イネの栽培化は中国の珠江中流域が起源 - 遺伝研がゲノム解析で解明]
http://m.news.mynavi.jp/news/2012/10/05/108/000.html
で、論争に終止符が打たれたようですよ。

>>日本人のルーツで、北方発と南方発のY-DNAが同じと云う事は興味深い話ですが、物理的な距離や想定される経過年数の大きさから云って、カナリ可能性の低い話だけに、確かな検証が俟たれますね

…そうなんです。遺伝子の変異が起きる可能性が高い程、南と北は別離していたと思うのですが。学会の主流は朝鮮半島ルートで、北ルートのY-D2も同じ民族に近いとしていますので、南ルートのY-D2(沖縄)と北ルートのY-D2(アイヌ)の詳しい解析がないようです。新情報を期待してます。

渡来人=Y-O3 ? にはあまり賛成できませ

酒と泪と様、渡来人=Y-O3 ? と限定するのは如何でしょうか。
渡来人=O3+O2b* は有ると思います。(この渡来人の意味は半島交流以降ですが)
また、日本人が徐福の子孫だとする説がありますが、これも賛成できません。

結論を先に言えば、[紊��]日本に来たO3は強姦によるものと思われます[/紊��]。それは支那の少数民族にいるO3遺伝子を持った男性の多さです。漢民族と最後まで戦ったミャオ族でも71%がO3です。南米の現地人の男性遺伝子の殆どが白人の遺伝子であるのと同じです。

[紊��]現在でも古代支那大陸で起きていたことがチベットやウィグル・内モンゴルで見ることが出来ます[/紊��]。

従って日本にいるO3は、O2b1が日本に流れてきたとき同じ部族の一員として一緒に来たか、半島との交流によりO2b*と一緒に来た者の子孫と思われます。O3の部族が来た可能性もあります。

もう少し説明を加えると、Wikpediaによると現在日本人の男性の主な構成は、D2=39%、O2b1=27%、O2b*=9%、O3=16%、C1+C3=5%となっています。朝鮮では、D2=0%、O2b1=0%、O2b*=40%、O3=43%となっています。朝鮮半島のO3の多さは北から来た漢民族の亜流の影響と思われます。

恐らく日本と半島のO2bは大陸から流れて来た長江人の子孫と思われます。そして日本人はO2b1、朝鮮人にO2b*と違うのは部族が違うためで、日本人と朝鮮人の型が違うのは別々に流れ着いたことを意味し、%が違うのは、[紊��]弥生時代にそれほど半島との人の交流無かったこ[/紊��]とを意味します。従って半島との人的交流は、多くてもせいぜい十数%程度でしょうか。

また支那に支那にはO2aはいますが、O2bが全然いないのは、駆逐(ホロコースト)されたものと思います。それは長江人が黄河流域の牧畜民に滅ぼされたのと一致します。その牧畜民が華北今なお多くいる大陸の覇者=漢人=O3です。

華南にいる少数民族に多く見かけるO2aも長江人の子孫と思われます。彼らは山岳に逃れることで生き延びたか、漢人の支配下で生き延びたものと思われます。太伯・虞仲の支配した国(呉)の民は長江人O2aの子孫でしょう。

そして徐福伝説は秦の時代の話です。弥生時代始まった後です。日本に来て隆盛を誇っていれば、O2aが日本にいるか、支那にO2bが残っているかする筈ですが、どちらも有りません。

また古事記・日本書紀にシナの記述があるように、日本人はシナを別の国と見ています。文化的に近いにも関わらず、呉の国も別の国と見ています。従って、仮に[紊��]徐福の一行の一部が日本に来たとしても極少数であり、倭人の中に取り込まれて埋もれてしまった[/紊��]のではないかと思われます。

[紊��]日本にいるO2b1は、縄文時代に三々五々日本列島に流れ着いた、長江人の遺児[/紊��]でしょう。それでも先進的な稲作技術を持つ彼らは、先住民のD2やC1、C3に歓迎され融合したのでしょう。そして半島からの金属器の移入から農業生産と人口が飛躍的に伸び、また倭人が半島に進出した理由も金属材料を求める事だったと思います。

渡来人?

R.K 様 レスありがとう御座います。

私は、渡来人と帰化人を分けて使っています。
渡来人: 日本が国家として定まる前の移民。
帰化人: 継体天皇以降の移民、難民。
詰まり、渡来人は一緒になって国を作った人々、帰化人は国柄が定まった後の移民、と明確に分けて考えます。日本人のメンタリティを考えるのに、渡来人と帰化人では影響力が違いすぎますのでね。

此の前提で
弥生系渡来人は O2b1+α 貴方と同じ考えです。
αの中身は、推測しかできませが(証拠不十分で)、O2b* +黄河文明系(漢民族)でしょう。

尚、[漢民族]とは古代の春秋戦国と漢帝国の時代の主民族をさしています。逸れに対して、[漢族]は現代の支那主流民族をさして、私は言ってます。
古代漢民族は、北方異民族に換骨奪胎され滅亡しています。ですから、黄河文明系≠Y-O3(漢族主流)と推測しています。多分、黄河文明系は日本で少数派の Y-O1系とね…。

徐福伝説の渡来人がいたとしても戦国時代終了時ですから漢民族です。私の仮説からすると Y-O1系渡来人になります。日本では、少数派ですね。とても征服者とは考えられません。

私の仮説は、黄河文明[漢民族](Y-O1系)、長江文明[楚](Y-O2a)・[呉](Y-O2b*)・[越](Y-O2b1) と考えています。

つづく

つづき

日本に Y-O3 が渡来または帰化で入った時期は、支那大陸で漢民族を滅ぼし換骨奪胎した後と考えるのが普通でしょう。
とすると後漢末三国志以降となりますから、日本では邪馬台国の卑弥呼以降ですね。詰まり、倭の五王で支那史に再登場する前の『謎の5世紀』と謂われる古墳時代に渡来したと考えるのが一つ。
また、継体天皇以降は国家体制も定まり、国史も信頼性が増していますので帰化人が入った時期は限定できます。 聖徳太子などに招かれて入った仏教関連の百済人[漢族?(Y-O3)] 半島の天皇領任那の喪失時難民(Y-D2 Y-O2b1) 百済の滅亡時、白村江の戦いに敗れ難民を連れ撤退した時[扶余系+α] 高句麗滅亡時の貴族難民[扶余系]
となります。

此処で、Y-O3 の来歴を考えると。
古墳時代なら、支那の戦乱亡命者の漢族(鮮卑系?)。 飛鳥時代なら、仏教関連の百済人(漢族?)。 大化の改新後なら、政治難民の扶余系となります。

私は Y-O3 の多さから藤原氏が祖と推察し、其処から遅れてきた渡来人=鮮卑系と断じましたが…。 扶余系の可能性も高く残っています。扶余は女真(満州族)の親戚とも謂われてますから、Y-O3 であっても不思議ではないですからね。

兎に角、Y-O3 は判らないことだらけです。

>酒と泪さん、ソロです。 レス有り難うございました。
>>半島→日本への渡来より、稲の遺伝子からして日本→半島が正解と思います。
 縄文中期~晩期の認識は仰る通りだと思いますが、日本人は古くから半島に渡り、主に海岸線で漁労海産、後背地で九州から持ち込んだ水田耕作を行っていたが、次第にシナから「倭」と呼ばれる、海岸線を支配する地域に勢力を広げ、船の運航の安全、停泊や補給の拠点としていた。 

 そこへ秦の時代に大陸から逃げて来た民が馬韓(百済、殷の遺民+扶余、穢族)に流入したが、王が既存の住民との摩擦を恐れ、半島の東側に居住地を与え移住させたら後に勝手に独立して辰韓と自称、是が後の新羅になる。 逃げて来た民は、苗族の遺民であった可能性が有りますし、何より彼等は火を遣う事に長け、鉱物資源にも詳しい南蛮族でしょう、詰まりO2aの遺伝子を持った民であったのではないか。 彼等が独立したのも、慶州で鉄が見つかり、船を遣った交易に長けた倭と結んで、鉄をシナ本土の大需要地との貿易の主力にして繁栄したからでしょう。

 以後の百済との不仲は、元々は馬韓が与えた土地である処に因を発していると思います。

 処が、弥生が終わる頃には、既に鉄資源が枯れ始め、逆に中国山地で鉄山が発見されて鉄の産出の中心は半島→列島の中国山地に移ったモノと思われます、現に吉備には古代の製鉄所跡が有りますし、名刀備前長船で知られる様に、玉鋼を造る良い砂鉄も取れます。

 大和尊の部下で、欠史十代中七代孝霊天皇の第三皇子、四道将軍吉備津彦に成敗された、鬼ノ城の不埒モノ温羅(ウラ)の集団は、半島→中国山地の産出・生産シフトに伴い、半島から移住して来た鉄鉱山役夫の子孫ではなかろうか、南蛮族出自の彼等の畑作は焼畑ですが、乾燥時期に火を着ければ、消す力が弱い当時では、直ぐに大火事になって終う、従い、地元民との摩擦が起こり易く、亦、地元民にとって言葉が通じない異形の民だったし、飢えると泥棒や略奪迄遣ったかもしれませんから、鬼=犯罪者と云う括りを与えられ、成敗の対象になったのではないかと思います。(桃太郎伝説の元) 

 亦、此の時代が一体何時だったかと云えば、紀元ごろ=日本は弥生時代中期で、シナ大陸では前漢・新・後漢の時代、後漢朝も不安定で戦火が絶えず、直に大戦争の予感を持って居た頃だと思います。 拠って、鉄の需要は引き続いてあったし、海人族支配下にあった瀬戸内~北九州~済州島~山東半島へのルートも健在だった。 鉄貿易の主催者は大和朝廷であるから、四道将軍は、その権益を侵害されない様、各地に拠点を置き、家来を置いて、常に地方を巡回して居たものと思われます。 亦、四道将軍の将軍名は、オソラク、役職名で世襲制だったモノと思います。

 科学は正に日進月歩、新たな年代検証法の開発で最近では弥生時代が、500年ほど遡るのではないかと云う説も出てまいりましたし、20世紀後葉に発見された長江文明の十分な解析も終わって居りません、亦、相次ぐ発見で、先縄文とも言うべき時代まで日本の歴史を遡らねばならなくなったのですから、縄文~弥生時代への移行自体が日本列島独特のモノであり、その画期が定められた背景も、長江文明の存在が全く不明な時代であるからには、多くの事象に関して見直す作業が無くては混乱を来すでしょう。

 その中で、遺伝子を遣った分類法は是亦、時代を画するものと存じますが、奈何せん、他の検証法も含めて採用されて日が浅く、相次ぐ発見に論議・学問が追いついてないのが現状でしょう。

事実を完全再現できない分野に、自説を建てるのは面白いですが、大抵の動機は、インスピレーションに導かれて・・の場合が多いですね。(笑)
 
 経験から云わせて貰うと、何処かで自説の構成に矛盾点が浮上し、デッドロックに載し上げると、短兵急に結論を出したくなる衝動に駆られますが、隠忍自重し、視点を変えて自説の批判を試みるべきですね。 亦、作論から離れて新たな説を渉猟するのも一つの手です。

 私は、遺伝子に拠る検証は有効でこの先の考古学、人類学、その他の生物を扱う学問にとって必須だと思っていますが、今一つ依拠する気になれません。 アフリカのイブも遺伝子研究の成果です。 詰まり、元は一人の遺伝子構成だったものが、現在70億通りの遺伝子構成になっているワケですが、獲得形質が遺伝に影響しないのなら、遺伝継承時のDNAとRNAの変化は、突然変異で起こる変化に依拠しなくてはイケナイと云う事ですね。 その700万年後の結果が、五色人類であり、70億通りのホモサピエンスだと謂うワケです。

 では、その突然変異はq一体何に拠って惹き起されるのでしょうか、其処に何らかの特定出来る因子や規則性は見出せないのでしょうか?

 何が云いたいのかと云いますと、人類の歴史の画期事となる、形而下の事象には、気候の致命的な変動~民族の大移動~侵略行為(戦争)に拠る大量死、強姦によって強制的な遺伝子置換が起こる事が挙げられましょうが、例えば、前述の気候変動、戦火や弾圧に追われた民族の遺伝子に+αの変化が生じるのは何故か?

 それが、継承不全による偶然の事象=形而上の原因に拠るものか、それとも、地磁気や放射線等、目に見えない地理的な要因に拠るモノなのか、と云う事です。 

 是を突き止めないと、性分的に絶対視出来ないのです。(嗤) ですから、時々自説を強化する場合に引用する位でしかありません。

 それより、私には判らない事、知らない事が山の様に有って、例えば、前述の3韓の話もしても、「在日朝鮮人の戯言」の余さんの詳述を読ませて貰って、はたと膝を打つ話が多かった、是も一つの出遭いでしょう。

 亦、古代の極東における、鉄の採掘~製鉄の全体像やその歴史等は、鉄器の使用が、戦闘や農耕に画期を齎す事は明白な10代アイテムなのに、殆ど明らかではない。 是は、オソラク、長江文明に鉄山の開削~製鉄法の確立~鉄製品の製造迄の多くを依拠しているが故で有ろうと思います。 故に、長江文明の解析が進まねば、此の問題は解決しないと思います。

 Y遺伝子O3と分類された苗族=南蛮族ですが、仰る通り、謎が多いですね。

実は…

>ソロ 様
>>科学は正に日進月歩、新たな年代検証法の開発で最近では弥生時代が、500年ほど遡るのではないかと云う説も出てまいりましたし…(略)…その中で、遺伝子を遣った分類法は是亦、時代を画するものと存じますが、奈何せん、他の検証法も含めて採用されて日が浅く、相次ぐ発見に論議・学問が追いついてないのが現状でしょう。

…そうなんです。実は、勉強していて感じた事ですが。 学会の大御所たちが、新事実や新検証方法を胡散臭く感じて認めない事は理解出来ます。
然し、ネットの…半島ファンタジー古代史・考古学、支那プロパガンダ古代史・考古学…玉石混淆ぶりに驚き。且つ、学会自体に疑問を感じるようになりました。此処も支那や朝鮮に汚染されているのではと…。

例えば、昨日11月1日にマスゴミが一斉に報じたニュース
「現在の日本人は、先住民族である縄文人と朝鮮半島から渡ってきた弥生人が混血を繰り返したものであることが明らかになった。 総合研究大学院大(神奈川県)などで構成される研究チームが、日本人類遺伝学会が編集する1日付の国際専門誌電子版に発表した。」
此のニュースには2つ、嘘では無いが本当?があります。

"朝鮮半島から渡ってきた弥生人"
"日本人が朝鮮人や中国人と遺伝子的に近い"

つづく

つづき

これらの嘘・本当?を情弱な人々に勘違いさせる意図が透けて見えます。

彼らの目的?は…
"朝鮮半島から渡ってきた弥生人"

日本人の祖先の一つは韓国人?。韓国は兄で日本は弟とステマ?

"日本人が朝鮮人や中国人と遺伝子的に近い"

日本人と朝鮮人や中国人は親戚?。みんな仲良くしましょう、親戚なんだから少々な事は譲りましょう?

然し、事実は
× 朝鮮半島から渡ってきた弥生人↓
○ 弥生人は稲作(水田)をして弥生式土器を使う人々と定義されている。
○ 弥生人とは、漁猟(漁労+狩猟)採集の縄文人が水稲耕作民になった人々と、"主として"支那江南地方から渡来した人々を合わせていう。
○ 朝鮮から渡って来た弥生系渡来人は少数と見られている。
○ 現代の韓国・朝鮮人と当時の半島に住んでいた人々は全くの別民族。

× 日本人が朝鮮人や中国人と遺伝子的に近い

○ 人種的な違いは少なく、母系遺伝子(mt-DNA)を含めて共通性が高い。
○ 民族の違いを比べる指標の男系遺伝子(Y-DNA)では、全くの別民族と見られ程の違いがある。
詰まり、欧州の白人やアフリカの黒人と比べると遺伝子的に近いと謂えるが、モンゴロイドの中で民族性を比べると全くの他人。

全く真実を語っていない。

遺伝子? マーカー?

ソロ 様
私も遺伝子は、学校で習ったレベルでした、多分?皆様と同じで…。今回の勉強は、考古学を学ぶと同時に新しい遺伝子解析学を学ぶ事でもありました。

そこで学んだ事は、遺伝子を解析しても其の人の事は分からない。
解るのは、マーカーとしての男系遺伝子(Y-DNA)と母系遺伝子(mt-DNA)で流れでしかない。
mt-DNA イブから世界に人類が拡散したルートと時期が判った。
Y-DNA アダムから拡散したルートの他に、人類の離合集散と部族・民族の栄枯盛衰が判った。
詰まり、Y-DNAもmt-DNAも其のグループが何なのかを表すものでなく、グループの指標マーカーに過ぎない。
其のグループの内容は、別途に考古学・人類学・歴史から考察が必要です。ソロ様の仰る通りです。

次に、突然変異とマーカーの変異の違いを述べます…私が理解した範囲ですが、此処が判らないと誤解が生まれますから。

突然変異は種が変わる変異です。原人から新人に分かれたような。
Y-DNAやmt-DNAの変異は、突然変異ではありません。
遺伝子コピーの時に一部がエラーし、それが子孫に伝わったものです。しかも、遺伝子の場所部分によってエラー確率がわかり、分子時計として分岐年代が解るとの事です。

黒人→白人や耐寒性獲得は、Y-DNAやmt-DNAの変異でない。他の部分の突然変異です。

科学的とは

>>此処も支那や朝鮮に汚染されているのではと…。
 彼等は単に、新技術そのものや検証結果を受け容れる事が出来ない、是まで自分が得た常識を今更打ち消せない からだと思います。 ソウ云う先生方は、論を建てるに、科学的では無い=疑問から出発して居ない部分が多いのではないでしょうか。

 例えば、橋牟礼川遺跡で、同じ場所の深さが異なる地層から、違う形の土器が出て来ても、飽く迄、既成概念に捉われて居て、「違う時代のモノだ」と気が着けない学者が一杯いたのです。 処が、ズッと、違う民族の土器だと主張して居た先生が、自分の過ちを素直に認めて、別の先生の意見を訊いたから、日本に弥生、縄文と云う文化の違う民族が、異なる時代に生きて居た事が確定したのです。 此の先生は、他人ダケで無く自分も疑ったから、こうした結果に繋がったのです。

 科学的であると云う事は、従来の常識拠り、目の前に現れた真実、真理を尊重すると云う姿勢です、其れには、先ず、既存の常識を点検して、疑う事から出発しなくてはイケません。 朝鮮やシナは、真実や心理より自分の功利や名誉に拘るので、全く科学的では無いと云えます、彼らに科学部門でのノーベル賞が授与されないのは、科学に目覚めて間が無いダケでは無いでしょう。

 とはいえ、別スレで書きましたが、紀元辺りの吉備地方には、新羅の鉄山から移動して来た鉱山関係者、及び、製鉄関係者(オソラク、南蛮族)の一団がいたと私は思っています。 でも、蹈鞴製鉄法は、日本の発明である事は確定して居ます、オソラク、彼らに学んだ製鉄法を試行錯誤の上、改良し、名刀備前長船に辿りつけたと思います、是ぞ日本ですね。

倭? 倭人? 倭国?

ソロ 様は、下記のブログに近い考えと思います。違ってたら…スミマセン。(汗)

[倭国と日本国の関係史]
一部しか読んでませんが…邪馬台国論争?に敬遠して。
その中で…
[日本人の起源と系統2]
http://www.ne.jp/asahi/isshun/original/page2-2.html
此処の、支那史で謂う「倭」の考察が秀逸ですね。
「倭人」と「倭国」を区別し、支那の倭人を北方倭人と南方倭人の2グループとして、北方倭人が朝鮮半島南部と九州地方北部にまたがって存在していた(=邪馬台国)。倭人=弥生系渡来人が主導権の国。(縄文系弥生人が考慮されていない??)

しかし残念ながら、男系遺伝子 Y-D2 の日本における重要な立場が、遺伝子解析より判明した後では説得力が弱いと思います

アイヌや琉球を入れずに本土日本人だけで考えても Y-D2 は…。(注: 弥生晩期になるまで考古学的に戦争の痕跡が無い)

つづく

つづき

縄文時代:
縄文人の90%は Y-D2 と考えられる(残り10%は Y-C1 Y-C3)。但し、晩期の本土人口は7.6万人と見られる(考 5 [我が国に水稲稲作技術を伝えた弥生人]より)。
以上から Y-D2 の人口は、6.1万人と推定される。

弥生時代:
弥生晩期の人口は59.4万人と考えられる(考 5 [我が国に水稲稲作技術を伝えた弥生人]より)。
現在の人口比 Y-D2系:Y-O2b1系:Y-O3系:その他=4:3:2:1。
詰まり、Y-O3系を考慮外として 4/8=50%が Y-D2系で29.7万人とみられ、 Y-O2b1系は3/8=37.5%で22.3万人。
人口増加率が同じと考え 6.1:○=29.7:22.3 、 ○(渡来人数)=6.1×22.3÷29.7=4.68 。渡来総数は4.7万人となる。
渡来人数=4.7万人は、考えられる最大数。 実際は、弥生系渡来人の人口爆発は直ぐ始まったでしょうが、縄文人全てが一斉に水稲栽培を始めた訳でないですから…人口増加率は、 縄文人<弥生系渡来人 と考えられる。
以上から、縄文人全体の倍として考えて、渡来人総数は半分以下の 2万人以下だった可能性が高い。当時の舟の輸送力からして、三々五々、少数の渡来が重なったと考えられる。

渡来人が金属器で武装していたとしても、後の鉄砲ほどの威力はなく、倭国が倭人(渡来人)の国だったとは、私は思えないです。

倭と云う認識

>酒と泪さん、おはようございます。 ソロです。
 私の倭人と倭国に関する認識は下記の通りです。

 倭人・・所謂海人族をルーツとする琉球・南西諸島、及び、山東半島の一部~済州島、朝鮮半島南西~南岸、九州全域、四国西域を活動範囲とした漁労海産を生業とする一族だが、主たる棲み家は、九州や豊予海峡に面した地域で、別名「豊=トヨ」の一族とも言う。 倭人と云う独立した呼称は、縄文中期から弥生中期位迄の間のみと限定すべきでしょう。 唯、神武帝を神倭「=カムヤマト」イワレヒコと別称する様に、大和が倭の代りになる迄、此の倭は使われて居る様です。 尤も、倭はシナ王朝側の中華思想に基づく勝手な呼び方ではありますが。

 倭国・・弥生初期~弥生中期迄、三韓鼎立する朝鮮半島の南岸と九州北西岸の海域の漁労海産の権利保護と使用する船舶の補修、停泊、避泊の安全確保する為に、半島南岸と済州島を支配下に置いた倭人の国。 半島東部の山岳部の慶州で鉄が、秦からの移民(辰韓、後の新羅)によって発掘・発見されると、その鉄の運搬、交易を一手に引き受け、更に、辰韓と、弁韓、馬韓(後の百済)との鉄山を巡る争いに九州北部の日本の勢力の力を借りて介入し、半島・大陸間の鉄貿易を支配した。 是以降、倭人は日本列島人の中の一族として組み込まれ、同一視されるようになった。

 と云うものです。 勿論私論ですが、色々読んでみて、私なりにこう考えると辻褄が合うと思っております。 

 亦、海人族と云うもっと大きな括りを考えますと、それこそ、日本全体がその居住域に入り、歴史も初発は、先縄文、縄文創生期以前迄遡れるのではと思います、湊川人(推定 18000~21000年前)は、海人族の祖先というべきかと思います。 黒潮流域の種・屋久、四国南岸、紀伊半島、東海地方、三浦半島、房総半島迄、折々の海進・海退現象に拠る海岸線の変化も考慮しなくてはなりませんが、縄文最盛期を齎した海進期、関東北部で海岸線であった頃の貝塚が発見されている処から、琉球や南西諸島、九州や四国の海人族の到達も考慮に入れるべきです。 是は、銚子沖の寒暖流会合地点を越えて北上し、三陸沖や北海道東端にまで及んだと思います。 (黒潮文化圏)

 神武東征で、海路河内潟に侵入した九州の海人族は、その予想を超えた干満の差によって、立ち往生となった処をナガスネ彦に襲われ、兄2人を喪ったイワレ彦が紀伊半島を回り、志摩・伊勢に上がって、地元の宇陀のウカシ兄弟を味方に着けられたのも、イワレ彦に海人族独特の特徴を示す事が出来たからだと思います。 逆に謂えば、当時彼等を支配して居た長脛彦や少名彦は、海人族では無く寧ろ、東北の蝦夷に近かったと云う事でしょう。 イワレ彦は、これらもっと古い時代に棲みついた海人族と思しき、宇陀の「土蜘蛛」一党の力を借りて、「太陽を背に」して、磯城の地に攻め入り、長脛彦を破り、彼等を日高見の国に追い遣ります。

 此の辺りは神話の世界だと云われてきましたが、逆にそれこそ、半島やシナの影響力を過大にする為のトンデモナイ決めつけだと思っております。 弥生期に倭人が半島産出の鉄を主体とする交易を始めてからは、半島や大陸から色々人が列島内にも入って来たと考えるべきですが、そんな状況の中、半島の交易権利を不動のものとするには、背後に当たる中国地方の勢力を味方に着けて置かねば、何れ、挟撃されるでしょう。 その場合、半島処か、九州も危うくなります、ダカラ、東征は必須だったのです。

 東征の当初の目的は、半島や大陸からの利権に絡む侵略を防ぐ為に、有力な背後勢力を求め、且、従深的に防げる地を探し、新たな本拠地とする為だったでしょう、その為には、瀬戸内を東に向かい、途中沿岸を支配する豪族と対立したり、切り従えるのでは無く、基本的に共に侵入者と戦う同志とする為に、彼らに継続的な必要事を与え、友誼を結ぶ事が必要だった。 その為、水耕稲作や製塩法の伝授する方法を遣った、是に拠って中国の国々は耕作面積を広げ、国力を増した。 その実績や信頼を勝ち得る為に、瀬戸内を渡り切るのに16年を要したのだ、と考えます。

酒と泪とは日本人を侮蔑する言葉を好んで使うレイシスト

日本人を「倭人、倭奴、ないちゃー、チョッパリ」などと表記するのは差別である、と言っておこう。

日本人 Y-DNA 情報 最新版?

日本被験者259人の父系Y染色体 M・F・ハマー 2005

Y-C1 (M8) 5.4%(日本だけに存在)
Y-C3 (M217) 1.9%(原シベリア・ツングース)
Y-C3a (M93) 1.9%(日本だけに散発的検出)
Y-C3c1 (M86) 1.2%(エヴェンキ・東胡ツングース)
Y-D2 (P37.1) 3.9%(縄文・アイヌ)
Y-D2a (M116.1) 16.7%(本州縄文・沖縄・ミクロネシア)
Y-D2a1 (M125) 12.0%(北回り?縄文系)
Y-D2a1a (P42) 2.3%(変異型?縄文系)
Y-I (P19) 0.4%(原コーカサス)
Y-NO (M214) 2.3%(分岐前の変異型・中国・モンゴル・マレー)
Y-N1 (LLY22g) 1.2%(テュルク系?)
Y-N1c1 N3a (M178) 0.4%(シベリア・北欧テュルク系?)
Y-O2a (M95) 1.9%(Austro-Asiatic・華南・東南アジア・ジャワ・インド)
Y-O2b (SRY465) 0.4%(インドネシア・ベトナム・朝鮮)
Y-O2b* (P49) 7.4%(西インドネシア・ミクロネシア・朝鮮系倭族)
Y-O2b1a (47z) 22.1%(弥生・朝鮮・ベトナム)
Y-O3 (M122) 6.6%(中国・フィリピン・ベトナム・ポリネシア)
Y-O3a3 (LINE1) 3.1%(ミャオ族・ヤオ族・ベトナム・インドネシア)
Y-O3a3c (M134) 10.5%(Sino-Tibetan)
Y-Q1 (P36.2) 0.4%(中央アジア・シベリア・東アジア)

(英文ソース)
www.isogg.org/tree/index.html

www.springerlink.com/content/p31g0300430k6215/MediaObjects/10038_2005_322_ESM_supp.pdf

注:Y-O2bは祖系を表し、Y-O2b*は未確定分類を表す。

引き続いて

朝鮮人の父系Y染色体平均値
Y-C3 (M217) 9.3%(原シベリア・バイカル)
Y-D2 (P37.1) 1.3%(縄文・アイヌ)
Y-D2a1 (M125) 2.7%(北回り?縄文系)
Y-N1 (LLY22g) 1.3%(テュルク系?)
Y-N1a (M128) 1.3%(北東アジア・テュルク系?)
Y-O1a (M119) 2.7%(Austro-Tai)
Y-O2 (P31) 2.7%(東南アジア・ヤオ族・朝鮮)
Y-O2b (SRY465) 1.3%(インドネシア・ベトナム・朝鮮)
Y-O2b* (P49) 32.0%(西インドネシア・ミクロネシア・朝鮮系倭族)
Y-O2b1a (47z) 4.0%(弥生人・朝鮮・ベトナム)
Y-O3 (M122) 10.7%(中国・フィリピン・ベトナム・ポリネシア)
Y-O3a3 (LINE1) 9.3%(ミャオ族・ヤオ族・ベトナム・インドネシア)
Y-O3a3c (M134) 20.0%(Sino-Tibetan)
Y-R (M207) 1.3%(西ユーラシア・原アーリア)

参考: エヴェンキの父系Y染色体平均値
Y-C3 (M217) 13.7%(原シベリア・バイカル)
Y-C3c (M86) 54.7%(ツングース諸族共有)
Y-I (P19) 5.3%(原コーカサス)
Y-J (12f2.1) 2.1%(原アラビア? 中央アジア・コーカサス・地中海)
Y-N2 (P43) 2.3%(シベリア・ツングース・トルコ)
Y-N1c1 (N3a) 16.8% (M178) (シベリア・北欧テュルク系?)
Y-Q (P36) 4.2%(シベリア・原インディオ)
Y-R (M207) 1.1%(西ユーラシア・原アーリア)

以上、2ch情報でした。
多分、一次ソースの英文論文を日本語に翻訳し且つまとめた方に…感謝!!

このように、日本人(現代)と朝鮮人(現代)は赤の他人です。

ソロ 様
倭人と倭国の解説…有り難う御座いました。

>>倭人=海人族をルーツとする琉球・南西諸島、山東半島の一部~済州島、朝鮮半島南西~南岸、九州全域、四国西域を活動範囲とした漁労海産を生業とする一族。主たる棲み家は、九州や豊予海峡に面した地域。
…成る程。私の仮説での、南方ルート縄文人とした黒潮人(Y-D2 + Y-C1)のグループになりますね。

>>神武帝を神倭「=カムヤマト」イワレヒコと別称する様に、大和が倭の代りになる迄…
…神武天皇は山幸彦(嫁さんが海神の娘)の孫ですが、私は…山幸彦が北方ルート縄文人(Y-D2 + Y-C3)で、神武天皇は天孫族と海人族の和合の証し…と考えています。
然し、何故?天孫族の本拠地が九州? 縄文晩期の寒冷化による北方→南方移動と、鬼界カルデラ噴火から自然の回復力で人が生活できるようになった南部九州の時期が重なったが原因かと…。また、九州に Y-C3 が多い理由も…此かな?。

>>倭国=弥生初期~弥生中期迄…(略)…半島南岸と済州島を支配下に置いた倭人の国。半島東部の山岳部の慶州で鉄…(略)…九州北部の日本の勢力の力を借りて介入し、半島・大陸間の鉄貿易を支配した。是以降、倭人は日本列島人の中の一族として組み込まれ、同一視されるようになった。
…成る程。

つづく

つづき

ソロ 様は、邪馬台国と神武(天孫族)の国が同じと御考えですか?
私は、別と思っています。神武の国も邪馬台国グループの一員だとは思いますが、中心の邪馬台国ではなかったとね。寧ろ、邪馬台国と呼ばれた国の人々は、渡来系弥生人(Y-O2b1)が主導権を持った方々と考えた方がシックリきます。

>>海人族と云うもっと大きな括りを考えますと、日本全体がその居住域に入り、歴史も先縄文・縄文創生期以前迄遡れるのではと思います。湊川人(推定 18000~21000年前)は、海人族の祖先というべきかと思います。 黒潮流域の種子島・屋久、四国南岸、紀伊半島、東海地方、三浦半島、房総半島迄、…、関東北部で海岸線であった頃の貝塚が発見されている処から、琉球や南西諸島、九州や四国の海人族の到達も考慮に入れるべきです。是は、銚子沖の寒暖流会合地点を越えて北上し、三陸沖や北海道東端にまで及んだと思います。(黒潮文化圏)
…同感です。完全に同意。
海人族=南方ルート縄文人(Y-D2 + Y-C1)は、黒潮の果てまで進出したのでしょう。伊豆七島(黒曜石 産地)も含めてね。但し、親潮に阻まれて北海道には行かなかった?のでしょう。

>>神武天皇の東征
…成る程です。勉強になります。

>酒と泪さん
>>邪馬台国と神武(天孫族)の国が同じと御考えですか?
 いいえ、邪馬台国は、倭我」主催する半島や中国/山陰地方で産出する鉄の交易に深く関わって居たと思いますから、本拠地とした場所も、北九州と博多の間の糸島半島にあった伊都国や、博多西方のマツラ国と同盟を結んで、南九州のフキアエズ王とも親戚関係にあった者と推定して居ます。 彼等は元々同じ海人族ですから、九州同盟の様な形を採り易かったモノと考えます。

 邪馬台国の支持勢力は前述した豊の一族で、豊後水道から関門瀬戸の北方海面を漁場にする海人族集団倭の中心集団でしょう。 その同盟は、マツラ(玄界灘、済州島周辺)、邪馬台国(玄界灘、筑紫平野)、伊都国(洞海湾、燧灘、関門瀬戸)の三国で仕切って居ましたが、半島南岸水域への進出を目論むも、海流の向き等から、半島南岸にも補給の為の停泊地や避泊地が必要になり、進出。 其処で、鉄の輸送、大陸との交易を打診され引き受けた以降、此の倭人同盟が大きく成長し始めます。 沿岸部支配を後背地にも広げ、倭国を造り、更に辰韓が産出する鉄を運ぶに、弁韓を通らねばならない為、是を武力で制圧、支配下に置き、倭国を改め伽耶国としたのだと推測して居ます。

 此の利権が出来あがったのは紀元前後±50年くらいで、半島の鉄の産出最盛期も同時期、その後、半島の鉄の産出が大幅に減少し始めた為に、馬韓に収貢いで居た税金を払えなくなり、イザコザが増え始めた頃、今度は日本の出雲や中国山地に鉄が出始め、半島勢が倭同盟を唆して分裂させ、武力で交易ルートを抑える情況が予想された。  この情況をブレークスルーする為の東征です。 そして、東征は上手くゆき、その後も交易ルートは、倭同盟を中心として護られたが、中国山地の産鉄が思う様な量では無かった為に、少ない利益で内部紛争が起こったが、2世紀になって、卑弥呼が登場し、再び同盟は纏まりを取り戻した。 この頃、吉備や畿内での産物も扱う様に成長した為、倭同盟は再び力を取り戻したが、3世紀初頭に卑弥呼が死ぬとまたもや内紛が起こった。 

 今度は卑弥呼の娘、登与を立てて紛争を抑えたが、この頃には、倭同盟自体が、大元は同じ海人族とは言え、元々同盟の結びつきが、血族に拠る結びつき拠りも、同業連合の様なものだったから、同盟に依存する傾向が次第に薄れ、既に、日本海沿岸に倭人は勢力を広げ、北の蝦夷や越人、大陸とも交流・交易していたから、同盟自体の力も分散したのでしょう。

  寧ろ、倭同盟は、河内平野に降りて来た樫原と吉備・播磨の豪族連合が、神武帝を中心に纏まって、一大勢力を形成して、3世紀後半には半島情勢にも買い介入を始める程となって、年貢を納めない辰韓に二度に亘り攻め入ったりして、海上を支配するその武威は、遠くシナ王朝にも聞こえて居た。

 一方、豊前(伊都)・長門・石見・出雲の倭同盟系海人族は、次第に北上を始め、丹後半島、丹波高地と云う、天然の良港と山がちながら、肥沃な耕地を見つけ、其処に安住し、日本海側に既に、棲みついて居た越人や蝦夷族と海岸、山麓、山中と棲み分けを行い、然したる衝突も起こさなかったが、畿内の吉備・播磨勢は更に北を窺おうと云う意図を見せて居たが、樫原勢が是を押しとどめていたのは、山林には、宇陀のウカシの様な、森の民=古代渡来した海人族がいたからでしょう。 「山は彼らの聖域にして入らず、侵さず」との神武以来の約束が有った為と思われます。

 更に北上を続けた海人族は、その後、越に到達、越からの渡来人との対立を避け、日本海にそそぐ大河を遡り、分水嶺を越えて、今度は太平洋側に注ぐ川を下って、当時大湿地帯だった東海地方に入植して、美濃国7万5千石、三河国3万4千石、尾張国3万5千石、遠江国2万石、駿河国4万5千石を開墾した(数字は平安期の石高) 詰まり、中部東海の人々は、全て出雲・丹波を経た、倭同盟系海人族で、彼らの祭神は諏訪神社であり、熱田神宮、真清田神社(尾州一宮)でもあります。
(したがって、大和尊が、叔母に貰った剣=草薙の剣を大神とする熱田神宮は、海人族尾張氏が代々司祭を務めて居た社です)

 此の地を治めたのは、物部氏の末裔でもある、その尾張氏や大伴氏であり、7世紀の壬申の乱の折、吉野に逃れた大海人皇子と諮って、天智帝が崩御されるや否や、追討を受けた吉野を脱出して、尾張・大伴連合軍に合流し、北上、途中で大海人皇子の息子たちの手勢と合流して、蘇我果安を総大将とする、吉備・播磨・大和連合軍と衝突、是を討ち果たし、吉備・播磨の天下を覆します。 (壬申の乱)

支那大陸の Y-DNA 考 序章

沖縄を日本から分離したい?支那人?さんが来ているので(笑)…支那人の Y-DNA を考察してみます。
正直な処、支那大陸 Y-DNA は???ですがね。

+A ネグロイド(黒人)

+B ネグロイド(黒人)

+DE+E(YAP+) 中近東・北・中央・南アフリカ・南ヨーロッパ(原ユダヤ人?) コーカソイド(白人)・ネグロイド(黒人)

+D(YAP+) 日本(縄文系)/チベット/ネイティブアメリカン(北米型) 旧モンゴロイド

+C 日本(縄文南方系)/ネイティブアメリカン(北米型) オーストラロイド(C2/4)・旧モンゴロイド(C1)・新モンゴロイド(C3)

+F

+G コーカソイド 中東・コーカサス・南ヨーロッパ・トルコ・グルジア・アゼルバイジャン (ローマ系?)

+H コーカソイド 西ヨーロッパ(3-4万年前 クロマニヨン人?)

+I コーカソイド ヨーロッパ

+J コーカソイド 中近東・パキスタン・インド

+K メラネシア

+L インド・パキスタン・スリランカ

+M パプアニューギニア

+NO+N 新モンゴロイド ウラル語族

+O 新モンゴロイド 中国系

+P ネイティブアメリカン(南米型)

+Q ネイティブアメリカン(南米型)

+R コーカソイド 西ヨーロッパ

+ST+S パプアニューギニア・インドネシア・マレーシア

+T 中東・北アフリカ・西アフリカ ネグロイド・コーカソイド・モンゴロイド
[三日月城通信 - 遺伝子で見る日本人との違い]より

肌の色=人種は、Y-DNAの分岐からして無意味となった?…感無量。

参考として[Y染色体ハプログループ wiki]の アダム系統図をみてね…。

支那大陸の Y-DNA 考 1

支那関連では、信用の置ける調査報告書があまり見つかりませんが…。

◆考察に関連して重要な項目
日本: D2(ルート不明 12000-20000年前) /O2b1(江南・海越えルート) /O3(山東/朝鮮半島もしくは海越えルート) /C1(比台北上ルート=黒潮ルート) /C3a(シベリアルート)
朝鮮: O3(中国ルート)40% /C3(ツングース系エベンキ族/女真族)16% /O2b(中国ルート?)10% /O2b1(倭人)10% /D1(羌族?)5% /K(由来不明)5% /N1(ツングース系)5%
満族: O3 33% /O2b 6-30% /K 2% /N1 2-14% /D1 2% /C3 20-25%
(遺伝子で見る日本人との違い より)

支那大陸は、北方モンゴロイド Y-C3系と Y-NO系とくに 支那大陸で分岐した Y-O(1/2/3)系が主流です。
其処から考察を始めます。

◇長江文明: BC.14000年~BC.1000年
(中流域)
ー彭頭山文化 BC.7500年~BC.5000年
ー大渓文化 BC.5000年~BC.3000年
ー屈家嶺文化 BC.3000年~BC.2600年
ー石家河文化 BC.2500年~BC.2000年
(下流域)
ー河姆渡文化 BC.5000年~BC.4000年
-馬家浜文化 BC.5000年~BC.3800年-スウ沢文化 BC.3900年~BC.3200年
ー良渚文化 BC.3500年~BC.2200年
(支流)
ー呉城文化 BC.1400年~BC.1000年

この様に、稲作文化の長江文明には
中流域 1、下流域 2、支流 1、の民族がいたのでしょう。

つづく

つづき

既に判っている事は、稲の遺伝子解析から日本の水稲を始めた人々は支那江南地方の Y-O2b1 の民族と考えられ、海上の道で直接来た事。

この江南地方 Y-O2b1 民族は、何処の文化だったのでしょう?
渡来ルートが海上の道なのですから、下流域であると考えられるます。 更に「良渚文化」で絹が発掘されて、日本の「吉野ヶ里遺跡」の絹を彷彿させる事から…良渚文化の民族は Y-O2b1 と考えます。

では、同じく下流域のスウ沢文化は?
場所からして呉越同舟の故事を思い出す。血筋が近いほど仲が悪いとの理もある。
スウ沢文化の民族は Y-O2b* と考える。詰まり、呉の人々。
これらの人々は、支那大陸から追い出されて現在はマーカーが発見されていない…。

呉城文化は、異様な処がある…。 黄河文明と融合したのではないか? 其処からすると楚の国にみえる。
楚だとすると支那少数民族(稲作民)に沢山残っている Y-O2a と考えられる。

中流域の民族は、下流域の先祖を含む Y-O2* だろう。多分、黄河文明人に殲滅されたと考えられる。

参考:[長江文明 by wiki]
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E6%B1%9F%E6%96%87%E6%98%8E

次は?…黄河文明人を考えてみましょう。

天孫族が九州に齎した変化考

>酒と泪さん、おはようございます、ソロです。
>>神武天皇は山幸彦(嫁さんが海神の娘)の孫ですが
 紀元前後の南九州の情況に就いては、然したる資料が見当たらないので判っている部分をつなぎ合わせる他は無いのですが・・

 神武の父親と比定されているのが、ウガヤ・フキアエズ(宇伽耶不葺合命)ですが、此の勢力が日向に上陸した、「遅れて来た」長江人集団であったと考えて居ます。
 同勢力には、武力で現地の在来勢力を圧倒出来るだけの勢力を持ちこめたとは思えませんので、短期に勢力を拡大できたのは、武力では無く、在来では耕作不可能な土地を開墾したり、在来勢力が必要とする高度な技術集団であった可能性が高い、是は、後の東征の際にも敷衍された手法ですね。

 天降り来た=アモリキタ=海より来た、つまり、日向の地に定住を果たした時点で、南九州全域に力を持って居た豊の一族のアビラ族=吾平族(後出の豊族の大元?)とフキアエズが結び、その力を増大させ、やがて、日向、大隅のみならず、対岸の薩摩(豊族の本拠地 阿多=海幸彦の国)とアビラと同じ手法でむすんだが、肥後(熊本)以北を支配していた熊襲(クマ=河川の湾曲部に棲む曽族)一族とは、曽族がシナ本土から異なるルートで九州に辿りついた一族であったが故、同業でも異族と云う認識だったから、小規模乍も諍いが有った、其れが、吉野ヶ里の環濠、柵を巡らし、物見の塔を造らしめしたのでしょう。

 南九州勢は内面的にも、曽於(ソオ)を境に、北の熊襲、南の隼人族と分かれていましたが、ハッキリしたワケ目ではなく、同じ海人族でも反目成分を抱えている勢力が混在している地帯が存在した事が、南九州勢が、北上出来なかった理由でしょう。

 九州を二分するこの二つの勢力の接着剤的な役割をしたのが、天孫族の先進技術であったと思います、新技術は、食糧増産~人口増大に寄与する、新たな耕地を広げるのに画期的な手法であり、且、継続的な指導が必要なモノとおもわれますから、天孫族は何処へ行っても客分扱いされ、次第に国同士の交渉も、天孫族同志での交渉に委ねられるようになった。

 天孫族の日向への到着は、早くとも紀元前1世紀前半で、既に九州でも水耕稲作は行われて居た、唯、九州の土壌は、南に行くほど火山灰に覆われていて、灌漑しても安定しない為、耕地には適しないと、うち捨てられた土地が多かった。 曽族が支配する北部には、有明海に注ぐ筑後川・平野が在ったので、人口的にも文化的にも北が優れて居たが、天孫族の出現で、立場が逆転を始め、豊族も日向を本拠に出来た事で、アビラ津(吾平の集う処=港)=現在の油津港を拓き、耳津=美々津港を拓いて、その勢力を次第に北や四国沿岸にも拡大出来たモノと考えます。

 では、その新技術とは何であったかを考えますと。開墾、灌漑技術を包含する農業技術に措いては、金属器具の導入も大きな画期ですし、亦、サツマイモ等、外来の澱粉質植物の持ち込みも大きな画期要素となりましょう、亦、千枚田と呼ばれる、日当たりのよい山岳斜面の高低差を利用した作田技法は、古くからフィリピンでも行われていますが、この技法を、灌漑技法と併せて駆使すれば、耕地面積は確実に増えて行きます、他にも製塩法と云う、味噌・醤油の製造にもつながる、且、無塩植物である稲を食糧とする民族には不可欠の技法伝授も画期になるえますね。

 こうした技法を長江文明は既に持って居て、殊に、金属器導入に関しては、日向来入後100以上後と思われる磯城の長脛彦との戦いで、長脛彦側には木製の武器しかなかった事が知られて居ますから、天孫族が中国地方、畿内に持ち込んだ新技術は多く、在来勢力との格差は著しいものが有ったと考えて宜しいでしょう。

 唯、大陸経由、若しくは由来の技術は、他にも、漆工芸、陶磁器製法、作刀等の金属加工術、造船術に関わる技術、木材の伐採法、運搬法、長さや重さの単位の制定、加工法、計測法、金属工具の製造法・・そして、航海術に関する天文知識、海流、風速の測定法や季節的経時的変化に関する知識・・とありますから、在来勢力が新たな事を始める場合の指針に天孫族の持つ知識は不可欠だった事でしょうから、彼等がその後、三族の和を建てる際に、スメラミコト=統一神の祭祀を執り行える唯一の司祭として推挙されたのは間違いないでしょう。

支那大陸の Y-DNA 考 2

黄河文明の前に…
Y-DNA系統の事を知っておきましょう。 女系(mt-DNA)は、発見された順番にABCが振られ、分岐の系統図が複雑になりました。
男系(Y-DNA)の系統名は、女系の失敗から分岐順を優先して命名されています。 詰まり、AはBより古く、BはCより古く、CはDより古く、DはEより古くとね。
ABCの次は数字が来ます。 C1はC2より古く、C2はC3より古くとね。 然し、Y-C(祖型)→Y-C1に変異、Y-C(祖型)→Y-C2に変異、Y-C(祖型)→Y-C3に変異したのです。 詰まり、C1/C2/C3 は兄弟関係になります。
※注: Y-D2a1 (M125) の見方、Y-D2a1 は系統名で Y-D2a1 ←Y-D2a ←Y-D2 ←Y-D ←Y-DE と変異した事を示す。また、(M125)は個別遺伝子名を示す。個別遺伝子名は変わらないが、系統名は変わる事がある。学術的には、並記するのが一般的です。

謂いたかったのは、Y-O1/O2/O3 が兄弟関係で、支那大陸に入った Y-O(祖型)が 長男の Y-O1 次男の Y-O2 三男の Y-O3 を相次いで誕生させた事です。
詰まりは、長男の Y-O1 は何処に消えたのでしょう?

Y-O1系は 漢族(華北) 0%、漢族(華南) 15%、台湾 69%、ミャオ族 7%、ヤオ族 2%、チワン族 11%、ベトナム 6%、マレー 9%、ジャワ 23% (日本人起源資料図録より)。
と黄河流域に姿が見えません。

つづく

つづき

ここで、少数民族の考察…

ミャオ族(苗族) C3/4%、D1/7%、O1/7%、O2a/11%、O3/71%
三苗の末裔、古代は長江中流域に住んでいたが、現在は支那南方の山奥に住む。
ベースは O2a/11%と D1/7%か?、O1/7%は黄河人に略奪された血?、C3/4%はチンギスのモノ?、O3/71%は漢族の??苦難の民族史の証拠かな?

ヤオ族(瑶族) D1/2%、O1/2%、O2a/3%、O3/52%
瑶族、史書に名あり、古代は支那大陸中部に住む稲作民。しだいに南へと追い出された。
ベースは O2a/3%と D1/2%か?、O1/2%は黄河人に略奪された血?、O3/52%は漢族の??苦難の民族史の証拠かな?

チワン族 O1/11%、O2a/68%、O3/16%
古代民族=百越の一つ。歴史を通して父祖の地(嶺南)を守り通した。勇猛な民。
ベースは O2a/68%か?、O1/11%は黄河人に略奪された血?、O3/16%は漢族の??、民族の誇り高き歴史が伺える?

少数民族から見た結論:
長江文明の生き残り=楚の国は O2a + O1 でしょう。
長江中流域の民族は O2a 。 Y-O2(祖型)が稲作を始め、中流域 O2a、下流域 O2b に分岐した。次に、黄河文明(Y-O1)の長江文明(Y-O2系)征服戦が始まり、混血集団の国=楚が誕生した。
尚、少数民族は山奥に逃げ込んだ時、先住民 D1 と和合した?。

東南アジアに O1 が多いのは、華僑=客家が Y-O1 の可能性大と思う…。

Re.天孫族が九州に齎した変化 考

ソロ 様、こんばんは。

>>神武の父親と比定されている、宇伽耶不葺合命ですが、日向に上陸した「遅れて来た」長江人集団であったと考えて居ます

…天孫族=長江人(渡来系弥生人)説ですか…同意は出来ませんが、成る程です。

>>短期に勢力を拡大できたのは、武力では無く…(略)…高度な技術集団…是は後の東征の際にも敷衍された手法ですね

…成る程…。

>>吉野ヶ里の環濠、柵を巡らし、物見の塔を造らしめしたのでしょう

…これは倭国大乱が原因と思いますが、外敵(新たな渡来人)の可能性も捨てきれませんね。

>>天孫族の先進技術であったと思います…食糧増産…新たな耕地を広げる手法…天孫族は何処へ行っても客分扱いされ、次第に国同士の交渉も、天孫族同志での交渉に委ねられるようになった…その新技術とは何であったかを考えますと…金属器具の導入…サツマイモ等の澱粉質植物…千枚田の作田技法(古くからフィリピンでも行われています)…製塩法、味噌・醤油の製造…大陸経由、若しくは由来の技術は…漆工芸、陶磁器製法、作刀等の金属加工術、造船術に関わる技術(単位の制定、計測法の一元化)、金属工具の製造法、航海術に関する知識…

→成る程ですが、反論があります。

つづく

つづき

>>金属器具の導入
→弥生時代は稲作が始まったと同時に青銅器・鉄器も使われ始めたと学校で習った記憶があります。
[日本人の起源 @ 青銅器文化をもたらしたのは誰か]
…で、伊藤さんは朝鮮半島からの伝播説ですが。 渡来人の故郷=支那江南地方は既に青銅器文化になっていますから、水稲と一緒に青銅器を持ち込んだと考えるのが普通でしょう。(鉄器もね)

>>サツマイモ等の澱粉質植物
→サツマイモは南米が原産地で、日本には17世紀に支那から琉球経由で薩摩に入ったと承知してます。多分、等でタロイモ系を示したのかな?。然し、タロイモ系は熱帯性でフィリピンから入った可能性が高いと考えます。(黒潮文化 交流?)

>>千枚田の作田技法
→これは、長江中流域の水稲栽培技術です。支那の少数民族やフィリピンでやってますね。因みに、ドチラモ Y-O2a です。

>>製塩法、味噌・醤油の製造、造船術、航海術
→黒潮文化圏の Y-C1 もしくは江南人(倭人)からでは?

>>漆工芸、陶磁器製法、作刀等の金属加工術
→漆工芸は、縄文人の遺跡にあります。
陶磁器製法、弥生式土器は高温焼成で当時の世界一だそうです。
作刀等の金属加工術、支那史の戦国時代 楚の国は鉄器(武器)の大産地でした。そこからの可能性が高いと思います。

反論、失礼しました。

支那大陸の Y-DNA 考 3

◇黄河文明: BC.7000年~
裴李崗文化・老官台文化…などとは論じませんからね。(笑)

興味のある人は
[黄河文明 by wiki]
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E6%B2%B3%E6%96%87%E6%98%8E
へどうぞ。

さて、司馬遷の史記を読んでも…
神話から三皇五帝→夏→殷→周→春秋→戦国→秦→漢
と続く歴史に民族が断絶した?事(王朝交代)を感じません。 間違いなく、黄河文明人が古代漢民族の祖先と感じます。
ですが、長江流域の国や民族(楚・呉・越)は、中原の人とは少し違う気がします。 これは、麦畑作と水稲水田の違いであると同時に民族の違いなのでしょう。

黄河文明人(??)≠長江文明人(Y-O2系)

黄河文明人は Y-O系の残った兄弟 Y-O1 又は Y-O3 の二つに一つと考えますが。 今回は Y-O3 の可能性を探ってみます。

Y-O3 は Y-O 兄弟の末弟で Y-O(祖型)から分岐して 5000年位と謂われています。詰まり、BC.3000年頃に誕生した事になりますね。「中国5000年の歴史」にピッタリだ。夏王朝から有史だとしても、まだ時間が1000年余ります…。(汗)
正しく、Y-O3 は立派な候補者です。ですが、北に寄りすぎている…。 漢民族と北狄(匈奴・鮮卑・女真etc)が同じとは考えにくい。

つづく

つづき

北狄は、時代で呼び方が変わります。違う民族なのでしょうか?考察してみましょう。

夏王朝~殷王朝~周王朝~春秋時代 中華世界は、非常に狭いと感じます。 国(都市)の外は、異民族の遊牧民が闊歩している、点と線の世界。 それが、戦国時代以降は国が面になり、国の中の異民族の国が完全に消える。

消えた?民族??…。

鬼方・土方: 北方の遊牧民勢力(邦)。漢民族化し国(都市)に発展? Y-??。

羌: チベット系?遊牧民で漢民族に追いやられ、西戎?になる D1系?。 一部のグループが漢民族化した(斉人 太公望 呂尚)。

赤狄・白狄: テュルク?系狩猟民で漢民族の家臣化(領民化)した N1系?。

匈奴: 鬼方の後身? 遊牧民国家 モンゴル系(C3)? テュルク系(N1)?。謎の民族。

鮮卑: 匈奴を滅ぼし北方の覇者となる。 モンゴル系(C3)? テュルク系(N1)?。
五胡十六国時代~南北朝~隋~唐の「古代漢民族を換骨奪胎した北方遊牧民」の最終的覇者=李氏は鮮卑系。 O3 とも考えられる???。

契丹: 鮮卑と同じく東胡系?。征服王朝 遼を開いたが、金に滅ぼされた後西に去ったグループと漢族化したグループに別れる。 耶律(王族姓) O2a ?。

蒙古: モンゴル系(C3 + O3)。現在のモンゴル人。

女真: 満族(東胡系?)。 O3(33%) + O2b(6-30%) + N1(2-14%) + C3(20-25%)

支那大陸の Y-DNA 考 4

現在の支那大陸北部(蒙古・満州・華北)は、民族が混交していて元の基本 Y-DNA が何だったのか判然としない。
序章で述べたように…支那大陸 Y-DNA ??? なのだが、敢えて推論のマトメをしてみる…日本人はなんと幸せか(Y-DNAで来歴がほぼ推定できる)。

現在、北部地域に住んで居る支那人は
漢族(≠古代漢民族)
満族(満州民族)
モンゴル族
朝鮮族
と、主に分けられる。

漢族は…
古代漢民族: 既に絶滅?? (Y-??)
同化して漢民族となった民族: 鬼方?土方?(Y-??)、羌(斉人) (Y-D1 ?)、赤狄・白狄 (Y-N1 ?) etc
換骨奪胎し漢族となった民族: 鮮卑、契丹etc
となる。

漢族の他は…。

モンゴル族:
世界帝国を作ったチンギス・ハーンの子孫で誇り高い人々。 DNA的には、世界帝国ゆえの混血が進み多様化している?。然し、チンギスの遺伝子 Y-C3系が主役。その他に、草原の遊牧民の遺伝子として Y-O3 と Y-N1 が脇役グループと考えられる。
モンゴル・ハルハ C3(54%) D3(1%) O1(1%) O3(23%) (日本人起源資料図録 より)

満族(満州民族 女真系=東胡の子孫?): 漢族の政策で同化による満州民族絶滅化が進んでいる?。
C3(20-25%) D1(2%) N1(2-14%) O2b(6-30%) O3(33%) K(2%) (三日月城通信 遺伝子で見る日本人との違い より)

つづく

つづき

これまで見て来たように、草原の遊牧民の基本は、Y-C3 Y-N1 などの耐寒性を獲得した北方モンゴロイドです。
では、Y-O3 も遊牧民か?
Y-O 系も、耐寒性が遺伝子に組み込まれた新モンゴロイド。但し、Y-O1 Y-O2 は耐寒性獲得の後に北方から南へ引き返したグループでしょう?。
そして、Y-O1 は牧畜農耕民となり黄河文明人、Y-O2 は稲作農耕民となり長江文明人となった(私の仮説)。

もし、黄河文明人=Y-O3 とするのなら? モンゴル族や満族などの遊牧民の中に、高い割合で Y-O3 が含まれている事実は、何を意味するのだろう…。
仮説 A: 黄河文明人と草原遊牧民とにグループが二分化し、それぞれ発展した?
仮説 B: 黄河文明人が草原遊牧民を略奪強姦した結果が血脈に残った?

この2つが考えられるが…。

仮説Aは、「Y-O3 の Y-O(祖型)からの分岐が5000年前」説?に馴染まない…時間が足りない。
分岐前の Y-O(祖型)なら、ある程度判る。然し、Y-O で農耕民と遊牧民に別れ、農耕民は →Y-O3、遊牧民は →Y-O*、と別々になるのが普通でしょう。

仮説Bは、農耕民が北方遊牧民を壊滅的に駆逐した事になるが…歴史は正反対。農耕民は守る側で、北方遊牧民が常に攻める側だった。
事実、漢族の Y-DNA パターンは…。

終章へ続く

漢民族の変遷

>酒と泪様、こんばんは、ソロです。 かなり勉強されているご様子、詳細な解説痛み入ります、ご苦労様です。
 
 気が着いた部分を指摘させて下さい。

 北狄というのは、飽く迄、後世の漢民族から看た周囲の蛮族の仕分けですから、カナリ大まかな括りと考えて宜しいのでは? 例えば、匈奴は遊牧民の西絨ですが、唐の李世民の出自である壮族が匈奴の支族であるにも拘らず、唐が易姓革命に云う天命を受けた王朝であるから、漢民族であると云っている程度でしょう。 シナの歴史は御都合主義で出来あがって居ると云って善い。 唐王朝が匈奴の王朝だと云うのなら、その前の隋は鮮卑族だし、以後に現れる北魏も金も遊牧民ですから、漢民族は伝統的に異民族支配を受けて来たと云う事実が浮かび上がって終う、其れでは国を纏める事は出来ないでしょう。

 狩猟採集民である北狄が、王朝を創ったとされるのは、殷のみで有ろうと云われて居ます。 それも、長江文明を担う海岸部に棲む東夷族が、黄河を遡り、長安台地に辿りついて、船舶と馬を集めた交易所を拓いた処、水稲稲作で得た余剰米は、貯蔵や持ち運び可能で、移動を常とする遊牧民や狩猟採集民にとって画期的な食糧であった為、両民族が巷間物資を持ち寄り、次第に大きな街を形成した、是を商と呼び、夏王朝に比定されています。 余談ですが、此の商は、股を広げた女性を現わしている、つまり、売春宿でもあったと云う事でしょう。

 繁栄はしたが、温暖な低緯度の地域を棲家として来た東夷族は寒さに慣れて居なかった為、次第に長安台地の居住を諦め始めた。 其処で、北狄と西絨の主導権争いとなり、北狄が勝利した。 此の時、北狄族=殷軍が遊牧民の壮族の兵士を大量に捉えたが、壮族は自族の信仰で、首を無くしたモノは、あの世でも首なしと教えられて居たから、首を刎ね無い事を懇願したが、殷軍はこれを受け入れなかった為に遺族の恨みを買い、後に周の武王が挙兵した時、真っ先に加勢に駆け付け、存分に復讐をしたと云う故事が伝わって居る。 此の戦後北狄はシナ史に登場しなくなっている。 

 伝説の三皇五帝の裡、黄帝(公孫軒轅)が、三苗の蚩尤を涿鹿の戦い(タクロクの戦い、紀元前2500年頃とされる)で初めて破り、以後、中原を我がものとしたと云うのが、現在のシナの公的な歴史認識です。 黄帝の姓は姫姓で、以後に続く殷、周、秦王朝は、全てこの黄帝の子孫=漢民族の祖と云う事になって居ますが、殷は、狩猟採集民の北狄、周が遊牧民の西絨王朝である事は、既に、シナ史自身が語っているからには、黄帝伝説が漢民族を連綿と繋がった民族であるとする前提を強化する伝説・神話に過ぎない事が判りますし、紀元前2500年も、黄河文明こそシナ最古の文明であると云う前提を崩したくない一心での捏造でしょう。 長江文明が発見されて、従来の漢民族の定義に疑義が生じるまでは、殷こそ漢民族最古の文明と云って来たのだから、今更、「では黄帝を推戴する王朝とは何か?」を、検証出来るモノは何もない筈である。

>>麦畑作と水稲水田の違いであると同時に民族の違いなのでしょう。
 是こそ、民族の画期となる事象です。 温帯、亜寒帯原種の小麦は寒さにも乾燥にも強い、一方、米は熱帯植物であり、品種改良の成果で今でこそ亜寒帯でも耕作可能ですが、紀元前では望むべくもない。 拠って、北の麦、南の米となったのでしょう、因みに麦と米の収穫量を、一苗が齎すその粒量で比べれば、米が麦の3倍以上である事で、耕地面積が持つ人口維持力と云う点を着目すれば、長江文明>>黄河文明なのは、一目瞭然でした。 文明的にも同じ現象が言えたのも明らかな事でしょう。

 然し何故、長江文明が黄河文明に滅ぼされる羽目になったのか? 

 先ず、遊牧民が騎馬を使う事を日常とした民族で有り、牧畜を護る為に、凶暴な捕食獣と戦って来たと云う歴史、そして、厳しい生存条件下では、自分の生存を何より優先させると云う割り切りが不可欠である事を知って居たから、時に非常に徹する事が出来た、詰まり、戦争上手だったと云う事です。

 然し私は、黄河文明は、その後に現れた遊牧民の王朝がそうであったように、自身では文明と名付けられる何ものも発信出来なかった、唯の野蛮人だったと思います。 従い、敵の文化を剽窃する事は出来ても、其れを維持するのがやっとで、其処を原点に新たなモノを創り出す基礎的な力は無いと考えます。

 三苗の蚩尤を涿鹿の戦いで破った決め手となったのは、黄帝が発明した指南車であったと云われるが、是は、三千年以上後の趙宋の文天祥であると云う説もあって、甚だ疑問。 寧ろ、森羅万象を味方としたと言われる蚩尤側の持ち物を奪ったモノと考えれば納得がゆく。

 要は、戦いが長引き蚩尤側には、軍勢の半分に当たる東夷族にとって、田植えと云う命をつなぐ仕事が障害になったのではないかと思います。 是は、遠い後世の日本の平将門の乱の失敗原因でもあります。

 麦に比べて米の収穫量の多さが、欧州の様な収穫時の略奪の発生を抑えたのですが、栽培に半年以上の期間と多くの手間がかかる分、米作農民は、戦争には不向きな条件を抱える事になったのではないかと思います。

 さて、北方並びに北西部の広域に、半定住、若しくは非定住で暮らす遊牧民族を一民族で括るのはカナリ難しいでしょう、ユーラシア大陸島を縦横に駆け回り、本拠地と云うものに拘らなかったからです。 ローマ帝国の衰亡に直結した4世紀のゲルマン民族の大移動の原因となったフン族も匈奴で有ると云う話さえ有ります。

 欧州人の殆どは、シナの区分四蛮(夷)で云えば北狄で、騎馬戦では遊牧民には勝てないから、4世紀のフン族の侵入、13世紀のタタール人(元)の侵入には、殆ど無抵抗であった史実が残って居ますね。

 其れに移動を前提とする彼等は、余剰食糧を持たないから、負けた相手は原則皆殺しにすると云う常識を持って居たのですから、遺伝子の置換が大陸島全域で起こって居た可能性が有ります、彼等こそ混乱を齎す元凶といえるでしょう。

 匈奴は夏代の薰鬻,殷代の鬼方,周代の獫狁,漢代の匈奴と、シナ王朝に呼び名を変遷させた遊牧民ですが、南の黄河に近い程、シナの王朝にかかわりが深く、次第にその居住域を南下させて居ます。 オソラク、西晋滅亡後の五胡十六国時代には、匈奴の支族が、野盗集団や豪族として、シナ全土に蟠居していたものと推察されます。 その時代、一時的に力を持ったシナの王朝も全土を統御できる力が無く、結局、南北朝の北魏→東西魏→南北周~立つた楊堅に拠って建てられた隋に、華南で当時覇権を持って居た陳王朝が滅ぼされ、非漢族に覇権を執られます。

 是で後漢末期の184年に起こった黄布の乱から数えて405年間の乱世が終息しますが、この後も戦火は続き、二代目楊広が失政を行って、前述の壮族出身の李唐に覇権を代られます。

 此の間、大陸では、遊牧民族が支配層として、水耕稲作民の長江の民=楚民(「楚」は、長江下流域の名称で国名で有った事は無い)の上に立ったが、オソラク未だ、人口数から云えば、楚民の方が多数派を占めて居た時代が長かったと思われます。 然し、唐代の末期(9世紀末)になると、再び北方民=西絨=鮮卑、柔然が蝗民化して、南下して来て、唐は衰退・滅亡し、再び五代十国と呼ばれる混乱時代に入る、この中から漢民族?趙氏が宋を建国するが、遊牧民から勝ち上がった金が黄河以北を占領、宋は長江流域迄勢力範囲を下げる、然し、今度はその金を亡ぼした元が南下してきて、遂に宋は、奮戦の甲斐無く320年足らずで元に拠って滅亡させられます。

 この時点では、未だ元の人口構成を挙げる迄もないでしょうが、戦以外にも北方難民の自然流入もあったと思われ、宋の民の半分以上は、北方民との混血亦は、遊牧民から農耕民に順応した北方民になっていたでしょう。 遺伝子が混在する社会と云う事ですね。

 元の支配は100年足らずで終了して、モンゴル人は北方の平原に帰って行きましたが、代って立ったのは、長江の遺民と言われる、宗教集団白蓮教教祖にして、紅巾の乱の首謀者朱元璋に拠る明でした。 然し、朱氏は、漢族を自称する周囲の家臣を全く信用して居なかった、殆どの功臣を排除し、苛烈な支配体制を布き外国からの侵略を未然に防ぐために、鎖国を布いた。 然し、叛乱が相次ぎ朱氏の主筋は傍系だった永楽帝に滅ぼされたが、彼と息子達の三代で、大いに武威を揮って領土を遠く海外に延ばした為、明は280年以上続いた。

 是で、国内の人種的な要素や成分はカナリ落ち付いたと思いますが、古の漢民族は勿論、隋唐時代の漢民族=金属関連の工芸者や文人を除けば、殆ど匈奴さえ、新たに侵入して来た金や鮮卑と云った満州族に置き換わり、この後に興る満州族の清王朝の275年に亘る支配にを経た後は、漢民族を自称するものが、護って来た長江文明迄が、異民族の皇帝に拠って称揚された陶磁器景徳鎮を最後の光芒にして断たれます。
 
 従い、清朝滅亡の後のシナの民に遺されたのは、実態無き漢民族の呼称と蝗民の血統ダケだったのではあるまいか。 現在のシナ人とは匈奴と云うより、千二百年以上影響を与え続けて来た満州族のY遺伝子が、Y‐O3で有ったと考えるべきではないでしょうか。

追伸

 製塩法は確かに後代のモノかもしれませんが、醤油や味噌と云った、醤(ひしお)の製法の基本は、岩塩を遣ったモノで、南蛮族発祥です。 

 縄文遺跡から出たと云っても、縄文時代にも長江人が渡来してきているのですから、どちらが古いかと云う事になりましょうが、漆自体の栽培や抽出は南蛮族、漆器製作は東夷族越とする方が造船技術に漆が防食剤として使われていた処から、蓋然性から云って越の漆器の方が古いのではないかと私は思います。

 陶器は日本に須惠器が現れる迄は、日本には無かったし、磁器になれば、焼成温度が千五百度ですから、中世になる迄無理だと思います。(私の「陶磁器」は記述ミスです)

 倭国大乱については、南の隼人族と、北の曽族の争いで有ろうとは思いますが、どのタイミングで起こったものかについては、勉強不足で判りません。

 金属器の導入については、先に渡来した越人も製鉄法を知らなかった、つまり、鉄や銅を掘り出し、精錬し、加工する技術は南蛮族の門外不出の技術では無かったか、故に、日本へ来る船は作れたが、田を耕す金属器は造れなかったのではないかと思っています。

支那大陸の Y-DNA 考 終章

黄河文明人=古代漢民族 Y-O3 の可能性を探ってみましたが…結論は、北方モンゴロイドの Y-DNA パターンの状況証拠により、 Y-O3 は北方遊牧民の祖の一つと考えられる。
また、支那大陸史で古代漢民族が北方遊牧民に"換骨奪胎"された歴史事実が…
華北 漢族Y-DNA : C1(ー) C3(5%) D1(ー) D2(ー) D3(ー) N(ー) O1(ー) O2a(2%) O2b(0%) O3(66%)
(日本人起源資料図録 より)
を表しているのでしょう。 ※注: (ー)は検出されず、 (0%)は0.4%未満を示す。
(参考) 華南 漢族Y-DNA : C1(ー) C3(5%) D1(ー) D2(ー) D3(ー) N(ー) O1(15%) O2a(36%) O2b(0%) O3(33%) (同上)

尚、現代の漢族の祖先は、歴史から見て"鮮卑"族の可能性が高い。
Y-O3 は"鮮卑"起源?

此処で、少数民族として今残っている遊牧民をオサライしましょう。

西
チベット系: 羌の子孫? チベット族他。 (Y-C3) Y-D1 Y-D3 (Y-O3)。 ※注: ()内は征服者の血筋と考えられる。

西北
テュルク系: ウイグル族 カザフ族。 (Y-C3) Y-N1。

北西
モンゴル系: モンゴル他。 Y-C3 (Y-O3)。


ツングース系: 満州族 鮮卑(漢族に変身?)。(Y-C3) Y-N1? Y-O2b? Y-O3。

此処で、鮮卑族の Y-DNA を推論する目的で…同系の 満州族 とツングースに関係が深い 朝鮮人 を比べましょう。

つづく

つづき

最新?情報(2ch)/朝鮮人:
C3 (9.3%) モンゴル系(元)?
D1 (ー)
D2 (1.3%) 日系?
D2a1 (2.7%) 日系?
N1 (1.3%) エヴェンキ?/テュルク系
N1a (1.3%) 満州族(清)?
O1a (2.7%) 不明
O2 (2.7%) 祖型?/不明
O2a (-)
O2b (1.3%) 祖型?/不明
O2b* (32.0%) 朝鮮系倭族
O2b1a (4.0%) 日系?
O3 (10.7%) 東胡?
O3a3 (9.3%) ミャオ族・ヤオ族/征服者=清?
O3a3c (20.0%) チベット系?/征服者=清?
K(-)
R (1.3%) 原アーリア/米軍?混血?

三日月城通信/満州族:
C3 (20-25%) モンゴル系?
D1 (2%) 羌系?
D2 (ー)
N (2-14%) テュルク系
O1 (ー)
O2 (ー)
O2a (-)
O2b (6-30%) 朝鮮系倭族?
O3 (33%) 東胡?
K (2%) 不明

満州族と朝鮮人を比べて見て…
→Y-O3 は、遊牧民=征服者の血筋だと謂う事です。 地理的に離れた支那少数民族の征服された血筋と同じ O3a3 O3a3c が朝鮮人に有る事から明らかです。 また、Y-O2b はパートナーに見えます。半島から満州に広がったのでしょう。

故に、満州族 ← 清の建国(+ Y-N1テュルク系) ← 元の支配下(+ Y-C3) ← 女真の誕生(Y-O3 + Y-O2b) ← 東胡(Y-O3)
と成立した、と考えられる。
詰まり、Y-O3 は ツングース系先祖=東胡の基本 Y-DNA。
従って、東胡の子孫と見られる鮮卑も Y-O3 が主流になる。

終わり。

支那大陸の Y-DNA 考『おまけ』

今回の考察の副産物で、朝鮮人の来歴が見えてきました…。(笑)

『おまけ』です…。(汗)

現代の朝鮮人=
征服者の血筋 (39.9%)

エヴェンキ N1 (1.3%)

古代漢民族 O1a (2.7%)

倭系渡来人 O2系 (36.0%)

日系人 D2系 O2b1 (8.0%)

扶余 O3 (10.7%)

米軍?混血? R (1.3%)

となる。

元や清など征服者に汚された血が4割…。(大変でしたね)
朝鮮人文化?の発生元の民族と思われるエヴェンキがタッタノ1.3%…。(アリラン?凄い力)
古代朝鮮からの生き残り漢民族が2.7%…。(少ないな?)
稲作文化を運んだ江南人が4割弱…。但し、Y-O2(祖型) Y-O2b(祖型)が混じっていたのに驚き…。(もしかしたら、日本と違って渡来人が沢山来たのかも知れない→半島は無人だったから?)
血筋は日系人でも、もはや日本民族ではない…とは言え、古代からの生き残りに…。(涙)
古代の王族系の扶余族と見られる O3* ?…よくぞ、1割も生き残った。(シブトイ)

然し、日本人に全然似ていないなぁ~。(笑)

ついでに…。
満州民族は、遊牧民民族で構成されている筈が…漁労農耕民の倭族がパートナーだったとは…。成る程、中華を呑み込む大発展をした理由が判る気がする…。
千年属国の国とは大違いだね。

悪しからず…。(嗤)

ソロ 様 Re. ありがとう御座います

>>かなり勉強されているご様子、詳細な解説痛み入ります、ご苦労様です。
…トンデモない。 ここ数ヶ月、下手の横好きで調べ勉強した事を知ったか振りして披露しているだけで御座います。(汗)

ソロ 様の補足説明、異論・反論も勉強を深くするのに…大変に参考になります。(感謝)
どしどし、反論して下さい。反論の方が、もっと成る程なら…私は宗旨を変えます。 何しろ、私は無党派ですので…。(大汗)

さて、北狄については御説の通り、「大まかな括りと考えて宜しいのでは?」に同意です。
今回は、結論を纏める手段として名の変遷に拘りました。(汗)

また、春秋までの王朝交代劇はポリス国家群(古代ギリシャ)の政権争いに似ています。 部族の登場や撤退は有るが、民族の交代は無いに…「ずうっとギリシャ民族」な感じです。(実は違うらしいですが?)

戦国からは、正に国が違えば民族も違う臭いが…秦、漢、楚と漂ってます。然し、最終勝利者は…漢民族の劉邦(中原の無頼人)、異民族の王朝交代ではなかったですね。

この考察の隠れた主題は『漢民族は絶滅した』、五胡十六国時代~南北朝~隋~唐、と古代漢民族は「換骨奪胎」され消えた、です。
ですから、隋の楊氏も漢民族説でなく、唐の李氏と同じく鮮卑説で考えています…。

お疲れ様でした。

>酒と泪さん、ソロです。 長丁場お疲れ様。 有り難うございました。

 結局、Y-O3と云う遺伝子が大陸の覇者と云う事でしょうか、すると、地理的に大陸から離れる要素が大きい程非Y-O3の遺伝子を持った人々が増える事になり、海に隔絶された日本はその最たる場所だと言えるワケですね。 大陸で起こった事件の痕跡が難民の漂着と云う形で、日本列島に残って来たのかもしれません。

 この現象を、大陸島の反対側、即ち欧州半島や地中海沿岸、更にはスカンジナビア半島やGB島で考えるに、アジアでは不安定要素の主力となった遊牧民は、所謂ベドウィンとして中東やアラビア半島に存在しましたが、地理的な困難から、トルコ迄、ボスポラス海峡を渡って黒海以北に迄攻め上った例は限られていると言えましょう、唯、海峡を越せなかった軍勢の代りに宗教が、無信仰に近かった欧州世界をあっという間に席巻しました、「宗教が社会の質を変えて行く」と云う現象は、アジアには無い現象でしょう。 私はこの差は、社会に対する脅威の質の差だと思います。 即ち、欧州の野蛮人とは、アジアの草原にいる剽旱にして残酷な騎馬民族では無く、冷涼だが豊かな森に暮らす、穏やかで戦闘力に欠けた白人層であったから、文化度が高い=戦闘力が強いと云う図式が成り立って居たからだと思います。

 然し、中東世界や北アフリカ世界は、寧ろ、中央アジア的な厳しさを持って居ますから、文化度の高い民族が、周辺の蛮族に攻め込まれ支配され、時には滅ぼされるると云う同じパターンを遺して来ました。 この先も基本的なパターンは変わらないモノと推察するに、欧州文明の劣化は避けられないのかなと考えます。

 欧州の基底民族を、スラブ人、ゲルマン人、ケルト人と分けて考えて、民族の移動を重点として、歴史の変遷を俯瞰しながら、その遺伝子の変化を追って見るのも面白いかもしれませんね。
 

造り変える力

ソロ 様
>>Y-O3と云う遺伝子が大陸の覇者と云う事でしょうか

…そう思います。但し、けっして古代漢民族の子孫では無いと、今回の素人考察で証明しようと試みました…。後は、読者の皆様に判断をおまかせです。

>>地理的に大陸から離れる要素が大きい程 非Y-O3 の遺伝子を持った人々が増える事になり、海に隔絶された日本はその最たる場所…

…そうですね。
最新版?情報[父系Y染色体 M・F・ハマー 2005]を私流に解析すると(次コメントに全文掲載)…

Y-O3系: O3 6.6% + O3a3 3.1% + O3a3c 10.5%
と日本人全体の20.2%を占めます。
他のグループは…
南方ルート縄文人: C1 D2a D2a1 =36.4%
北方ルート縄文人: C3 C3a D2 NO N1 =11.2%
渡来系弥生人: O2b1a =22.1%
古墳時代渡来人: O1 O2a =1.9%
帰化人系: C3c1 N1c1 O2b O2b* =9.4%
その他: I Q1 =0.8%

ですので、強い影響力を持っています。 縄文人系の総計:47.2%に比べれば少ないですがね…。
まぁ~だから彼らは、日本の神に吸い込まれ遊牧民の血が薄まったのでしょう。

芥川龍之介 曰く、仏教もキリスト教も…日本の神の造り変える力に負けた、だったかな? (神神の微笑)

失礼しました。

日本人の父系Y染色体 by 酒と泪と流解析

最新版?情報[父系Y染色体 M・F・ハマー 2005]の解析

日本人:
C1 (M8) 5.4% (日本のみ/南方ルート縄文人)
C3 (M217) 1.9% (バイカル湖系?/北方ルート縄文人)
C3a (M93) 1.9% (日本だけに検出/C3の子孫)
C3c1 (M86) 1.2% (モンゴル系高句麗人?/飛鳥?帰化人?)
D2 (P37.1) 3.9% (祖型?・アイヌ/北方ルート縄文人)
D2a (M116.1) 16.7% (本州・沖縄/南方ルート縄文人)
D2a1 (M125) 12.0% (D2aの子孫)
D2a1a (P42) 2.3% (D2a1の子孫)
I (P19) 0.4% (コーカサス白ロシア?/ロシア革命難民?)
NO (M214) 2.3% (バイカル湖系?/北方ルート縄文人?)
N1 (LLY22g) 1.2% (バイカル湖系?/北方ルート縄文人?)
N1c1 旧N3a (M178) 0.4% (エヴェンキ?・新羅人?/飛鳥?帰化人?)
O1 (ー) ですが別の報告書に少数例アリ。漢民族で古墳時代の渡来人と思われる。
O2a (M95) 1.9% (楚系漢民族?/古墳?渡来人)
O2b (SRY465) 0.4% (祖型?百済人?/飛鳥?帰化人?)
O2b* (P49) 7.4% (百済人?/飛鳥?帰化人?)
O2b1a (47z) 22.1% (江南系/渡来系弥生人)
O3 (M122) 6.6% (祖型?漢族≠漢民族/古墳?渡来人)
O3a3 (LINE1) 3.1% (覇者系?/古墳?渡来人)
O3a3c (M134) 10.5% (覇者系?/古墳?渡来人)
Q1 (P36.2) 0.4% (原アメリカン系/日本居残り系?)

終わり

参考 東アジア民族 Y-DNA (日本人起源資料図録)

オロチョン族(ツングース系)/ 内モンゴル 黒竜江:
C3(91) O2a(0) O2b(0) O3(0)
※() 内は %を示す。(0)は0.5%未満、(ー)は未検出。

エヴェンキ(ツングース系)/ シベリア 内モンゴル 黒竜江:
C3(68) N(17)
※残りは?

満州民族(女真・ツングース系)/ 満州 華北:
C3(27) D1(ー) D2(-) D3(-) O1(4) O2a(0) O2b(4) O3(38)

ブリヤート(モンゴル系)/ シベリア モンゴル 内モンゴル:
C3(84) N(28) O2a(0) O2b(2) O3(2)
※C3(84)は(48)の誤植?

モンゴル/ ハルハ:
C3(51) D3(1) N(-) O1(1) O2a(0) O2b(0) O3(23)

ユカギール(先住民?バイカル湖系?)/ 東シベリア:
C3(50) N(25)
※残りはロシア混血?

コリャーク(ニブフ系)/ 東シベリア オホーツク:
C3(33) N(33)
※残りはロシア混血?

チュクチ(原住民?)/ 東シベリア・ツンドラ:
C3(25) N(25)
※残りはロシア混血?

ケット(原住民?チュルク系?)/ シベリア中部:
C3(17)
※残りはロシア混血?

ニブフ民族(原住民?バイカル湖系?)/ オホーツク・樺太:
C3(38)
※残りはロシア混血?

朝鮮民族/ 朝鮮・満州・シベリア:
C3(13) D1(6) D2(-) D3(-) N(3) O1(3) O2a(0) O2b(30) O3(40)

漢族/ 華北:
C3(5) D1(ー) D2(-) D3(-) N(ー) O1(ー) O2a(2) O2b(0) O3(66)

回族/ 宗教集団:
D3(6) O2a(0) O2b(0) O3(28)
※残りはアラブ系?

つづき

チベット民族/ チベット高原:
C3(3) D1(16) D2(-) D3(33) N(ー) O1(ー) O2a(0) O2b(0) O3(33)
※残りは?

漢族/ 華南:
C3(5) D1(ー) D2(-) D3(-) N(ー) O1(15) O2a(30) O2b(0) O3(33)

漢族/ 台湾:
C3(ー) D1(ー) D2(-) D3(-) N(ー) O1(11) O2a(7) O2b(0) O3(60)

台湾(原住民系?)/ 台湾:
C3(1) O1(69) O2a(-) O2b(-) O3(7)

イ族(チベット系)/ 支那南部:
D1(16) O2a(9) O2b(0) O3(33)
※残りは?

トゥチャ族(チベット系)/ 湖南・湖北:
C3(18) D1(3) O2a(0) O2b(0) O3(53)
※残りは?

ミャオ族(先住民系?)/ 支那・ベトナム・ラオス・タイ:
C3(4) D1(7) O1(7) O2a(11) O2b(0) O3(71)

ヤオ族(先住民系?)/ 湖南・雲南:
D1(2) O1(2) O2a(3) O2b(0) O3(52)
※残りは?

シェ族(先住民系?)/ 支那南部:
O1(2) O2a(35) O2b(0) O3(63)

チワン族(先住民系?)/ 支那(嶺南):
O1(11) O2a(68) O2b(0) O3(16)

タイ族(先住民系?)/ 支那南部・タイ:
O2a(47) O2b(6)
※残りは?

ベトナム民族(百越?)/ ベトナム:
C3(4) D1(3) O1(6) O2a(36) O2b(14) O3(41)
※100オーバー誤植?

マレー:
C3(11) D1(3) O1(9) O2a(28) O2b(0) O3(31)

ジャワ:
O1(23) O2a(42)

フィリピン:
O2a(41) O2b(1)

自民党よ、年内衆院解散のため、「人権侵害救済法案」を通すことになれば、次の総選挙は主客逆転するぞ。

自民党よ、年内衆院解散のため、「人権侵害救済法案」を通すことになれば、次の総選挙は主客逆転するぞ。ゆめゆめ忘れる事なかれ。

感想

>酒と泪さん、有り難うございました。
 否、吃驚ですね。 或る程度予想していたとは云え、日本は、C系10.4%、D2系35%、O2b系30%、O3系20%以外は、殆ど2%以下ですが、思った通りコーカソイドも居て、丸で異人種の坩堝ですね。 民族の入れ替わりの原因から推測するに、大陸ならその頻度の高さを、従い、その結果として多様な人種構成になった事を簡単に納得できる話ですが、列島も同じ状況になっている。

 就中、O2a,O2bの分布が、島嶼国家、沿岸部に集まっている事、そして長江上流でチャオプラヤ川やメナム川の流域と重なる事で、彼等が南蛮族や東夷族であった可能性を示している、と言えましょう。

 亦、O3遺伝子を持つモノが、結局大陸の覇者となったのですが、O系のY遺伝子を持つモノは、おそらくスンダ大陸の住民でしょう。 その彼等がスンダ大陸を3万年以上前に進発し、北上して匈奴に紛れたのではないだろうか、ご存知のように、匈奴とは特定の民族の呼び名では無く、単に遊牧と小規模な畑作(オソラク焼畑)を行う、西北に棲む蛮族と云う括りの呼称だったのですから、彼等が異なるY遺伝子の集団の混淆であった可能性は高い、是等がO1だとすれば、歴史の変遷で、O2系と混交して、O3に変化したとは考えられませんか? すると、漢代以降のシナ王朝は、外周をYO3集団に囲まれて居たと云う事になりますし、朝鮮半島や日本列島からの長江人の逆襲は、無かったと云う史実に合致しますね。

 血液型で云えば、異なる血液型での混交を繰り返してゆくと結局、O型集団=反A,反B抗体の両方を持たない血液型に成ると云います。 交雑の多い地域は、O型集団が多い。 日本やドイツは世界でも希なA型最多の社会と知られて居ますが、地中海に面した南欧州はB型、北欧・ロシアはO型、南アジアはAB型が多かったりしますが、是は、梅毒やコレラといった古い風土病とも関係が有る様です。

 大陸と辺縁に連なる列島部に、構成する成分や割合は違えど、多様な遺伝子を持った集団の分布と云う同じ傾向がみられる。 距離的な近さから互いに干渉・交流が予想されるが、必ずしも勝者が勝ち残った訳では無く、その分布に至る背景には、地理的なモノ、気候に拠るモノだけでは無く、人間に拠る意思も働いている部分が有ると云う事ですね。 面白いです。

 此の手法で、大陸島の反対側、グレートブリテン島や、バルト海(白海)ユトランド半島と対岸のスカンジナビア半島と云った、時代に拠って大きな地理的な変化が有った地域の民族の変化と対比出来れば、更に面白いと思いますね。 其処に暮らした人々は元はと云えば、黒海沿岸を進発、北上した人々でしょう。 殊に、アーリア人の南北への拡散は、故地に重大事件が起こっての事と推察出来ます、旧石器時代後半の20000~15000年前の氷期最盛期には、地中海がどの様な情況だったのかと云う事を、検証付きで説明出来ればカナリ面白いと思いますがね。 すると、ジブラルタル海峡が開き、大西洋の水が流れ込んできて、どの様な事態になったかも推定し易くなりましょう。

 古代は気候の変化即生存の危機と云う定理が働いている事を念頭に置かないとイケませんね。

ソロ 様
感想…ありがとう御座いました。
起源論争は、マダマダ続くでしょう…新情報・新仮説に期待してます…ワクワク。(汗)

>>o2a,o2bの分布…彼等が南蛮族や東夷族であった可能性を示している、と言えましょう。
…そう思います。
ミャオ族(支那・ベトナム・ラオス・タイ)は漢字で苗族と書き、古代の三苗(=黄帝に征服された)の子孫と謂われています。
また、ヤオ族(湖南・雲南)は瑶族と書き、古から史書に登場して荊蛮と呼ばれ長江中流域にいたようです。
チワン族(支那 嶺南)は、誇り高き百越の一つ、詰まり楚人の末裔です。
これらから、彼らの Y-O3 は民族本来の血筋外と考えてます。他の少数民族も同様でしょう。

>>是等がO1だとすれば…O2系と混交して、O3 に変化したとは考えられませんか?
…Y-O1 →Y-O3 の変異は無いです(キッパリ)。 変異は、Y-O(祖型) →Y-O3 になります。(兄から弟は生まれません)
また、他の血脈との混血から変異も起きません(キッパリ)。
Y-DNA の拡散ルートなどの説は、頷けませんが…Y-DNA の知識に一目置いている方を紹介します。(読んでみて下さい)
[ナンジャモンジャ]さん
http://d.hatena.ne.jp/Nanja_Monja
特に、コメント欄での[ぽんた]さんとの論争が参考になります。

追伸: 英国まで手が回りません…。(汗)

Y遺伝子が齎す遺伝形質とは?

>酒と泪さん
>>変異は、Y-O(祖型) →Y-O3 になります。・・また、他の血脈との混血から変異も起きません
成程、詰まりは、男系遺伝子の変異要因とは継承ミスダケと云う事ですね、了解。 では例えば、O2bの日本人男性とI系のコーカソイド女性との間にできた男の子は、必ずO2bと云う事ですか。 その男の子が亦、N系の女性と結婚しても、出来る男の子はO2bになるワケですね。 明らかに東洋人の顔つきでも、2回の継承で異なった遺伝子を持つ女性との間に子を為すと、3代後の子孫は、カナリ顔つき屋」肌の色が変わって居る筈ですが、女性の遺伝子の影響は全く受け無いと云う事ですね。 男性にしか無いY遺伝子が、遺伝形質に如何なる影響を齎すのかを知りたくなりました。

ソロ 様
>>O2bの日本人男性とI系のコーカソイド女性との間にできた男の子は、必ずO2bと云う事ですか。その男の子が亦、N系の女性と結婚しても出来る男の子はO2bになるワケですね。
…そうです、必ず男系男子は O2b もしくは O2b*(祖型+直系の変異型)になります。
だから、皇室の万世一系は凄い事なんです。もし、神武天皇が Y-D2(又はO2b1でも良いですが…)だったなら、歴代の天皇陛下は Y-D2 か Y-D2* なんです。変異*が Y-D2a なら、その子は Y-D2a か Y-D2a* と続きます。
でも、遺伝子人類学?で扱っているのは、形質を突然変異させない部分を「マーカー」として利用してます。だから…Y遺伝子に形質を変異させる部分があったとしても…男系Y-DNA系統名ではわからない事です。

混血による形質の変異は、全ゲノムの遺伝情報解析が必要です。

現状は、人類は混血だらけ…白人系Y-DNAなのに黒人だったり、逆に黒人系Y-DNAなのに白人だったり…黒人・白人・モンゴロイドと区別がナンセンスに成りつつあります。(KESSLRINGさん…残念)

私見 人類拡散の旅 1

◇Y-C1・Y-C3編(伴侶 mt-M系?)◇

遺伝子人類学?によれば、Y-C系統は7万年前(異説?10万年以上前?)の第一派 出アフリカ組のようです。 アフリカ大陸で既に、Y-アダム →Y-CR と変異した後の旅立ちです。
旅の途中の5万年前に、インド?付近で Y-CR →Y-C と変異し、更に Y-C は2派に分かれたようですね。 スンダランドへ向かった組とサフル大陸(原オーストラリア)に向かった組にです。(インド居残り組? Y-CR* の痕跡が無いそうですが…)

サフールランド(原オーストラリア大陸)の原アボリジニ(オーストラリア先住民アボリジニの祖先)は、Y-C(祖型)のようです。 そこから、Y-C4 のアボリジニ、Y-C6 のニューギニア原住民が誕生しました。

尚、スンダランドで Y-C →Y-C(1/2/3/5) の変異が起きました。
Y-C2 は、東南アジアや太平洋に現在います。(インドネシア人・ポリネシア人・メラネシア・ミクロネシア)
Y-C5 は、インド大陸に戻ったようです。

3.5万年前、スンダランドの Y-C3 が北上を始めます(理由は?)。ルートは、スンダランド→支那→シベリア と、スンダ→海岸陸路を通り日本→樺太→シベリアの2説があります。私は、支那ルートがシックリします。何故なら、この Y-C3グループは未だ寒耐性を獲得していない…詰まり、日本に痕跡が無い?、日本の Y-C3グループは寒耐性獲得後に日本へ来た人々ですから…。

つづく

つづき

Y-C3 は、シベリアのバイカル湖畔でマンモスハンターをしていたようです。 そこで寒耐性を獲得し、後にシベリアでグループ毎に各部族で変異が生じました。

Y-C3 →Y-C3b と変異したグループはカムチャツカから北米大陸へ渡りました。
Y-C3 →Y-C3c と変異したグループはシベリアに留まり、モンゴルなどの遊牧民の祖先となった。
Y-C3(d/e/f)…略。

また、祖型が色濃く残る
Y-C3 →Y-C3a と変異したグループは日本に渡りました。
縄文人の Y-D2 より前に先住民 Y-C3 が居た、との説もありますが…縄文人系の Y-D2 と行動を共にした説を取ります。 北方ルート縄文人 Y-D2 と一緒に日本に来たと考えた方が、数の多さや日本住居パターンを上手く説明出来ます。また、スンダランド北上 Y-C グループは、Y-D2 グループ と行動を共にしたとの説もシックリきますね。

Y-C1 は、スンダランドの海没が始まった1.4万年前頃から、本格的な北上を開始したと思いますが。 その前から黒潮文化圏が日本にあったようです…湊川人や九州の旧石器時代遺跡など。以上より、3万年前からと考えます。

主に勉強させていただいたサイト:
日本人の起源
三日月城通信(遺伝子で見る日本人との違い)
国際派日本人養成講座(DNAが語る日本人の足跡)
縄文と古代文明を探求しよう
感謝!!

遺伝子が持つ法則性

>酒と泪さん、おはようございます、ソロです。
 民族移動の起因になる現象に通底するのは、「食糧の不足、飲み水の枯渇」でしょう。 この現象は、長期の旱魃や天変地異に拠る耕地の喪失によって簡単に惹起する事象です。 「長期の」影響を齎す気象現象といえば、小氷期の到来がその最たるものではないでしょうか。

 ご存知の通り、主に太陽の活動の周期的な変動により、氷期は間歇的に遣って来る、即ち、温暖な間氷期も間歇的に遣って来るのですから、中規模な氷期の間でも、小規模の海進期と海退期を繰り返す傾向にあるといって宜しいのでは。? 例えば、中世は、更にスパンの短い小寒冷期でした。 世界で旱魃や大雨、冷夏と云った異常気象が頻発した様です、最盛期は16~18世紀かと。

 その頃の人間は永くとも50年位しか生きて居ませんでしたから、小寒冷期と謂え300~400年なら、「子孫を遺せる」成長期間=25年/世代と看ても12世代~16世代を経過する。

 酒と泪さんの記述にも指摘が有る様に、7万年前、5万年前、3万5千年前、1万5千年前、そして、4千5百年前に、人類の生活に大きな影響を齎した気候変動があった痕跡が発見されて居ますが、勿論、年代の区切りが古いほど長くなっているのは、古くなると細かい区別が着かないからです。

 殊に、5万年前は、12万年前アフリカを出た現生人類がスンダランド/サフルランドに到着したと云う説がある画期です。 私が思うに、この時期に小氷期が来て、スンダランドとサフルランドの間の隔たりが最小になったのではと思います。

 「人類が文明を築くに、先ず火を発見した。」と云うのが既存の人類学の第一歩でしょう。 そして1万年と云うスパンは、人類を大きく変えるのは、現代に至った人類の文明の歴史が、大きく見積もっても僅か7千年足らずである事を考えれば、スンダランドでの1万~3万年に及ぶ生活期間で如何なる変化が起こったか、焼畑~栽培耕作~開墾、捕食獣の脅威から身を護るに、小家族~中規模村落の形成が始まると、耕地面積当たりの穀物生産量で維持可能な人口が決まる事に気が着けば、耕地の拡大の為に遠く迄出かける、その裡、新しい村が形成される、と云う過程を経て、人類の分布が広がって行く。 此処まで来るのにオソラク2~300年(=12~16世代)で可能でしょう。 その後、村がどんどん広がり、村同士のネットワークが薄れた頃、文化度の違う新たな侵入者が現れ、村民の虐殺、食糧の強奪を行い、彼我の間で戦闘が始まる、すると、近隣の村同士で人を出し合い、侵略者に対抗する様になるが、農耕民は農耕を行わねば、彼ら自身が飢えて終うので、侵略者を手なずけて、村を護らせる、即ち「兵士」が誕生する。

 処が、500年も経過すると、小寒冷期が遣って来て、旱魃や冷夏で凶作が続いたりすると、村同士が生存を賭けて戦争になったりした、亦、異民族である兵士は真っ先に切り捨てられるから、兵士同志が結託して、村全体を滅ぼしたり、支配権を握る結果になったりした。

 是は、食糧生産が行われている場合の展開ですが、遊牧民等の場合、食糧になる牧畜自体が弱い生命体ですから、もっと簡単に生存の危機が現れる事になりますね。 人類の戦いは生存条件の厳しさに拠って、その頻度を上げて行くと云って宜しいでしょう。 耕地面積の大きさが十分であれば或る程度凌げますが、人口を大幅に増やす寡品種大量栽培の穀類の場合、他の補完作物がなければ、全滅=飢饉が起き易くなります。 こう成ると、紛争が戦争規模になって来る。

 殊に支配層が農耕民で無い場合、彼ら自身には生産力が無い為、勢い掠奪・収奪する他は無いが、自分達の優先度を上げる為に、階層社会を考案、平和時にその定着を図った。 是に拠り、「正義」と「差別」の概念が生まれ、其々の情況により、正当化・定着された。

 オソラク、此処まで千年=40世代も懸っていません。

 仮に、その倍懸ったとしても2千年=80世代です、Y型遺伝子の変化が、単純な継承過誤確率で起こるのなら、例えば、CがC1やC2、C1がC1aやC1bに変化する可能性が高まるのは、何れ位の継承回数=世代x人口なのか。  是が判れば、変化するスパンの長さで人口数が推定できます。

 処で、種は全滅を危ぶまれる事象に遭ってそのままかと云えば、然に非ず、「反発力」とも言うべき人口爆発を起こすのは、前世紀が此の千年間の人類の歴史上無かった戦争の世紀だったにも拘らず、19/20世紀終末の人口=15億/70億(4.7倍/100年)に成っている事で検証されます。

 此の反発力が無ければ、中世欧州で猛威を揮った、ペストでの死者で欧州の人口回復は無かったでしょうし、5代10国の時代に住民の半分以上が死んだシナの人口が今や14億人を超える事は無かったでしょう。

 此の見えざる神の御意志は歴史上に明らかです。

 私は「我々は何処から来て、何処へゆくのか?」と云う永遠の問いかけには、神の定めし普遍の法則を感じます。 曰く、「他者の為に生きよ、其れが地球の為=神の為、と云う事である」と。

政局が緊迫してきました

ソロ 様
>>Y型遺伝子の変化が、単純な継承過誤確率で起こるのなら、例えば、CがC1やC2、C1がC1aやC1bに変化する可能性が高まるのは、何れ位の継承回数=世代x人口なのか。 是が判れば、変化するスパンの長さで人口数が推定できます。

…だと簡単なんですが、実は、DNAのコピーエラー確率論からの分岐年代推定は、あくまでも確率です。 推定値は、他の要因から絶えずチェックされ変更されています。
DNAのコピーエラー確率論から2万年前の分岐だとされた事が、コピーエラー確率論自体の内容変更はもとより、考古学的な証拠や歴史書の記述で3000年前に訂正されたり(数字は例えばの仮定)とか…残念ながら「科学的だから信用出来る」になっていません。
だから、素人の私も分岐年代に異議を唱えてたり、少数説を引用できます。詰まり、分岐年代は未だ確定していないと考えています…。(汗)


何やら、衆議院が今週末16日に解散される雰囲気になってきました。
私も、人類拡散の旅 を後2回で〆て、政治や政局のコメントに戻ります。(大汗)

私見 人類拡散の旅 2

◇Y-D2編(伴侶 mt-?系?)◇

D2 の変異は、Y-D2 ←Y-D ←Y-DE ←Y-アダム です。

Y-DE の出アフリカは、第二派と謂うのが有力な説ですが…。 私は、第一派(Y-C系)と殆ど同じ(7万年前)ではと考えます。何故なら、Y-C系と Y-D系の密接さは、古くからの関係ゆえと思うからです。
※注: アフリカ大陸で Y-アダム →Y-DE 済みです。

Y-DE は、アラビア半島で Y-D と Y-E に分かれました。(Y-E 系は、中東や南欧それに北アフリカ等で繁栄)

更に、Y-D はアラビア半島で分岐後、 Y-CR系と一緒に海上移動したと思われます。 その為か、Y-CR 共々にインド大陸に殆ど痕跡が残っていません。スンダランドまでの途中、アンダマン諸島に特異点として Y-D* が遺されている位しかありません。

スンダランドでは、後の Y-C1 と Y-C3 のグループだけと行動を共にしたようです。 元々の人やグループ数が、Y-C系全体からすると少数派だったみたいですから…。

此処で、少し脇道。Y-D の伴侶は、東では Y-C伴侶パターンに似て、西の Y-E伴侶パターンにも似た mt-DNA パターンになると思いますが…不勉強な為、不明です…汗。

さて、Y-C3 と一緒に Y-D が北上を始める3.5万年前に…Y-D →Y-D1 と、Y-D →Y-D2 の変異が起きていたと考えるとスッキリします。

つづく

つづき

更に、北上の Y-C3グループは3派に分かれていたのかも知れない…Y-C3 + Y-D* グループ、Y-C3 + Y-D1 グループ、Y-C3 + Y-D2 グループと。
そう考えると、後の Y-C3 → Y-C3(a/b/c/d/e/f) の分岐が起きた時、Y-D系もペアを組んだように見えても不思議ではない…スッキリします。

そう、日本に来たグループは、パターン Y-C3*(C3a) + Y-D2 の一種類だけと単純化できる。
このグループが、バイカル湖畔で一緒に寒帯耐性を獲得した後、シベリア→樺太→北海道→本州 と移動してきた北方ルート縄文人(=北方文化縄文人)と思う…証拠は無いですが。

また、漁労民族 Y-C1 と一緒に暮らしていた Y-D も既に Y-D2 に変異していて、Y-C1 と同時に(3万年前?)に黒潮ルートで日本に来た(南方文化縄文人)と思う…証拠は無いですが。

変異???、イヤイヤ…
Y-D が Y-C3 一緒組と Y-C1 一緒組に分かれる前(スンダランド到達前?)に、Y-D(1/2/*)に分岐してた方が尚スッキリする
…と謂うことで、Y-D はインド付近で Y-D(1/2/*)に分岐したと考えます…証拠は無いですが。

尚、フィリピンに真偽不明情報ですが、Y-D*の少数報告アリ。
また、東南アジアに日本人由来外の Y-D系が少数だが存在しているので、欧米の学者達は Y-D系を南方ルートで北上した Y-DNA としている…との噂アリ。

総選挙だ。朝鮮人の成り済ましどもを悉く落としてしまえ

さあ、待ちに待った総選挙だ。朝鮮人の成り済ましどもを悉く落とそう。

私見 人類拡散の旅 終章

◇Y-NO・Y-N(1)・Y-O(1/2/3)・Y-Q編◇

このグループは、出アフリカの第三波です。 Y-DNA系統図でいえば、第一波の Y-CR のアフリカ居残り組から始まります。

アフリカに残った Y-CR に変異が起こりました Y-CR → Y-FR と。
そして、4.5万年前 Y-FR がアフリカを出て、中東地域に住み着きました。(遺跡により年代確定)

彼らの一部は、更に東へと移動します。
イラン高原 4万年前
Y-FR → Y-KR
の変異が起きました。(Y-KR は、ユーラシア族と呼ばれ…世界に拡散した種族)

今度は、北に進みました。
中央アジア 3.5万年前
Y-KR → Y-PR*(P/Q/R) , Y-KR*(K/L/M/N/O)
の変異、詰まり…(P/Q/R)と(K/L/M/N/O)の二つに分岐。

◎此処で、私は宗旨を変えます。

→今までは、中央アジアで Y-PR の分離後、Y-KR* の移動ルート 中央アジア→インド大陸→スンダランド(南方ルート)と思ってましたが…考えが変わりました…汗。

Y-PR の分離後、一部の Y-KR*(K/NO) は、天山山脈の北側を通り支那大陸に入った(この説を信じます)。※1

此処で、天山山脈ルートから引き返したグループ Y-KR*(K/L/M) は
天山山脈→インド大陸→スンダランド と移動し
Y-L 分岐。インド在住。
Y-K(1/5/6/7) 分岐。スンダランド各地に分散。
Y-M 分岐。パプアニューギニア在住。

つづく

つづき

※1
このグループは、シベリア・支那大陸に入って
Y-KR*(K/NO) → Y-K* , Y-NO
と分岐したようだ。そして、其処で寒耐性を獲得したのだろう。

更に、シベリア・支那大陸で
Y-NO → Y-N , Y-0 , Y-NO*
の分岐が起こり、Y-NO* と Y-N はシベリア・支那北部に残り遊牧民の祖先になった?。
また、Y-0 は南下し支那大陸の覇者になった…。

纏めると…
アフリカ大陸 Y-CR → Y-FR

出アフリカ 4.5万年前↓
Y-FR 中東地域に住み着く

一部が移動開始

イラン高原 4万年前 → Y-KR

中央アジア 3.5万年前 → Y-PR*(P/Q/R) , Y-KR*(K/L/M/N/O) 分岐、 Y-PR* が中央アジア民族の祖になる

Y-KR*(K/L/M/N/O) 天山山脈越えチャレンジ

引き返したグループ Y-KR*(K/L/M) と天山山脈越えグループ Y-KR*(K/NO) に分岐

Y-KR*(K/NO) シベリアで寒耐性獲得 Y-K* Y-NO Y-N Y-O に分岐、 Y-K* Y-NO Y-N 遊牧民の祖となる

Y-O 南下し支那大陸へ

Y-O → Y-O(1/2/3) に分岐、支那の覇者となる


Y-Q の場合
中央アジア 3.5万年前 Y-KR → Y-PR*(P/Q/R)

シベリア → Y-Q 分岐、一部が北方ルート?から日本へ

ベーリング海峡 1.5万年前 アメリカ大陸へ

1000年後、南米最先端に到達。

こんな感じで終了です…。(大汗)

問題は 確信犯的なミスリード

2012.11.01 にマスコミが一斉に報道した…総合研究大学院の研究報告。

未だ誤解されている方がおられるかもしれません?。

オサライします…何が問題だったのか?

一次ソース: 総合研究大学院大学

http://www.soken.ac.jp/news_all/2719.html

良く読み理解して記事にすれば…問題はなかったのですが。(怒)

参考: 悪質マスコミ「縄文・弥生混血説裏付け遺伝子解析」の朝鮮大好き報道

http://tafu.iza.ne.jp/m/blog/entry/2914130/

(引用)
…「中国大陸から朝鮮半島経由で渡来した弥生人」「朝鮮半島から渡ってきた弥生人」と書いているが、上記のプレリリースでは、「~北東アジアに居住していた人々の一派が日本列島に渡来してきた。」としか書いていない。つまり発表者は、北東アジアに居住していた弥生時代以降の渡来人がどのような経路で日本列島にやって来たかを特定していないのである。おそらくこれは、稲の日本への伝幡がDNA解析によって、「支那大陸の雲南地方→東支那海経由→九州→本州各地」というルートであると判明しているのを踏まえての事であろう。…発表内容を捏造してでも「弥生人が朝鮮半島経由で来た」と主張したいようである。
(終了)

このような、確信犯的なミスリードが問題だったのです。

参考資料紹介

はるかなる旅展 (国立科学博物館)

http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/index.html

(内容)
第1章 私たちはアフリカで生まれた

(略)

第2章 マンモスハンター、シベリアからの旅立ち

(略)

第3章 黒潮の民、スンダランドからの旅立ち
・アジアの先史時代年表
・スンダランドは海洋民の故郷
・黒潮圏文化
・浦入遺跡の丸木舟 -縄文時代の外洋舟-
・栫ノ原遺跡の丸ノミ形石斧 -世界最古の丸木舟製作工具-
・黒潮の道 -南方旧石器文化の流れ-(1)
・黒潮の道 -南方旧石器文化の流れ-(2)
・アジアの後期更新世人骨 -南方の人骨と似ている港川人骨-
・私たちの祖先 港川人
・港川人(男性)
・港川人(女性)
・港川フィッシャーの遺物出土層位模式図
・港川人骨が発見されたフィッシャー
・港川人とはどのような人か(1)
・港川人とはどのような人か(2)
・頭骨の中身をみてみよう
・日本の更新世化石人骨
・港川人から縄文人へ

第4章 熟成する縄文文化
・縄文時代総論
・骨が語る縄文人の生きざま(1)
・志風頭遺跡の隆帯文土器 -世界最古で最大級の土器-
・上野原遺跡
・南九州縄文文化の先進性
・上野原遺跡の夫婦壺
・三内丸山遺跡
・三内丸山遺跡(食べる・蓄える)
・三内丸山遺跡(狩り)

つづく

つづき

・三内丸山遺跡(装う)
・三内丸山遺跡(豊穣と大猟)
・三内丸山遺跡(祈りと祀り)
・三内丸山交易センター(1)
・三内丸山交易センター(2)
・巨大木柱とは
・最北に生きた縄文人
・船泊遺跡縄文人の海獣狩猟の様子
・南方との交易品
・ヒスイ製のペンダント
・貝玉アクセサリーをつけた15号墓の人骨
・船泊遺跡縄文人の顔
・北方との交易品
・船泊遺跡のアクセサリー工房
・礼文島縄文人の交易品ルート

第5章 そして日本人が生まれた
・日本人の原像:縄文人
・骨が語る縄文人の生きざま(2)
・縄文人の表情
・縄文時代の精霊たち
・新たな民族の進入:渡来系弥生人
・渡来系弥生人の頭骨
・渡来系弥生人の顔
・渡来系弥生人の顔はなぜ平らか
・縄文人の歯(スンダドント)と渡来人の歯(シノドント)
・渡来系弥生人の広がり
・渡来系弥生人の故郷を中国に求めて
・弥生人の心
・弥生人の生活
・河姆渡遺跡
・稲の道
・古墳時代人の姿
・アイヌ・本土人・琉球人
・日本人の二重構造
・アイヌと琉球人の由来
・分子レベルでみた日本人のルーツ

第6章 捏造の小部屋

(略)

以上、盛りだくさんです。

また、歴史の泉 さんから拾った動画…
DNAでみる古代日本人と朝鮮人【日本語字幕】

http://www.nicovideo.jp/watch/sm18049686

失礼しました。

野田あがきます

器じゃないのに総理大臣になったら不幸です 逃げるしかのうがない 野田さん しかし党首会談 を公開でやろうとか言い出した 誰かの入れ知恵だろうなー しかもマスコミと組んで罠を仕掛けるに違いない 引っ掛からないようお願いします。

すみません。

あまりにも一方的発言で,歴史を無視していると
言わざるを得ません。
私は,日米安保条約支持であり,日米同盟維持論者で
ありますが,あなたの意見は,日米同盟を弱体化させ,チャイナの宣伝「反ファシスト戦争勝利,米中友好」強化に手を貸してしまいます。

たとえば,「真珠湾攻撃」ですが,日本から見た歴史ですと,まぎれもない奇襲であり,戦艦カリフォルニア以下撃沈という大成果でした。
しかし,アメリカ側から見ると,「騙し討ち」であり,「卑怯な行為」です。実際に戦傷者は約3,000人です。しかもその中の少なからぬ人は,民間人だったんです。

戦後の日本は,「南京虐殺(?)」やチャイナに対しては,非道行為を一応の反省を示してきました。
これは,当時の松井岩根司令官も遺書で書いていらっしゃいます。ブログ主さんの意見は,すべてコミンテルンが悪い,占領軍が悪いと誰かのせいにされていますが,当事者だる松井司令官は反省の弁をおっしゃっています。また,人数には多寡があるにせよ,そこで何らかの事件が起きたのは間違いないと思われます。

チャイナについては,ここまでにして,戦後日本は,
保守革新問わず,アメリカや連合国諸国に対しては,
全く反省していません。白人からの横暴に対して
アジア諸国民の独立を支援した・・・

これは,半分は当たっているかもしれませんが,半分は嘘です。フィリピンを見てください。フィリピンは,日本が侵攻する以前に,アメリカは独立を約束していたんです。駐留フィリピン軍司令官黒田中将の国会での証言を見てください。「東亜解放」というものが,いかに掛け声にすぎなかったか?フィリピンの治安を維持するために,以下に旧支配層と妥協しなければならなかったか?それは,フィリピンの民衆の支持が日本に全然なかったということの裏返しです。
ガナップなどの反米ナショナリストの一部が日本に協力しただけで,大多数は親米だったのです。

ことほど左様に,左翼史観も問題化もしれませんが,
日本は良かった,日本は悪くない,日本万歳史観も間違っています。

そういった声がアメリカやヨーロッパには届かなかったのと,勝利者だった,中韓と違い政治的に利用する価値もなかったというのが今までの情勢でした。

しかし,こうした歴史観は,アメリカやヨーロッパにはうけいられません。
これについて,保守派の一部では,宣伝が足りないから負けたのだ,と言っていますが,ルーズベルトの陰謀で真珠湾は起こった,自業自得だ,という内容の宣伝をしたら逆効果,アメリカが起こるのは目に見えています。

過去の歴史にこだわり過ぎるのも良くないと思います。

無知蒙昧にして恥知らず

 成る程、見事なまでに戦後のWGIP教育の成果が上がっていると云う他は無い、歴史認識ですね。

 貴方の知って居る歴史は、学校で教わったそのままの歴史でしょうが、我々はその歴史が戦後の米国支配の中で如何に歪められて来たかを知って、日本が防衛戦争を戦った事を皆に周知しようとして居るモノです。

 パールハーバーが不意討で卑怯だと云う、然し、パールハーバー決行の半日前に、公海領域内で日本の潜水艦が、予告なしに攻撃を受けている事実が有るのを知って居ますか? 昭和14年頃、シナ内陸で、アメリカ人のパイロットが国府軍の戦闘機に乗って、迎撃に上がって来て日本の戦闘機と交戦した、フライングタイガース事件と云うのをご存知か? 否、そも日華事変の裏側には、英米資本及びソ連の工作員が居て、しきりに日本と国府軍との戦争を煽っていたのは明らかでした。 蒋介石の妻にして、反日浙江財閥の令嬢宋美齢が、アメリカ議会で「日本の侵略」を非難する演説を行い米国に戦争に加担させようとしたのをご存知なら、日本が否応なしに戦争に引きずり込まれて行ったのは、明らかです。

 南京大虐殺の件ですが、経緯を知って居ますか?
 通州事件で多くの民間人を殺されて警戒して居た上海陸戦隊25000人に、3倍の75000人と云う兵力で不意討を懸けて来たのは知ってますか? そしてその結果、双方の兵力が25万人対75万人になった、この圧倒的な兵力の差にも拘らず、日本軍は完膚なきまでに国府軍を打ちのめします。

 南京大虐殺はこの後の掃討戦で起こったとされて居ますが、蒋介石の国府軍は、シナ大衆から最も恐れられた軍隊だった事はご存知ですか? 邦人400人中300人が不意に襲って来た3000人の兵士に虐殺された、通州事件も彼らの仕業です。 すると、責任は明らかに、その残虐な30万人近い敗残兵をほったらかしにして、脱走・逃亡した蒋介石と唐智生にあります。 親シナ派であった松井石根大将は、ワザワザ予備役から駆り出されて、南京の鎮定・治安維持の為に、司令官として赴任したのですから、日本軍が南京市民に害を及ぼさない様最大限の予防措置を採って対処しています。 当時の南京には、多くのジャーナリストが駐在して居ましたが、誰ひとり、20万都市の南京で、30万人にも上る大虐殺成るモノを看て居ません。

 A級戦犯としてノミネートされた時点で、陛下をお守りする為に死する覚悟だったと思います。 蒋介石は松井大将を嘗て父親、同じくA級戦犯として死刑になった広田弘毅を無二の親友と呼んだ人ですが、結局、彼らの弁明一つ出来なかったのが、東京軍事裁判の在り様です。 単なる人民裁判、復讐劇と呼ぶ他は無い「恥べき裁判」と呼ばれて居ます。

 3000人の裡の何人が民間人だったのでしょうね? アメリカ軍の戦闘機が小中学生を追いまわし、何人も殺されて居たのは知ってますか? 米国に殺された日本の民間人の数は50万人なんですが、それでも、貴方は日本人だけが悪いと云うのでしょうか? 譬え3000人全てが民間人であっても日本がハルノートをそのままの呑めば、多くの国民は飢え死にする他は無かった。 貴方がもし同じ日本人なら、その無念さが判りませんか?

 貴方の批判はその内容から、ブログ主の表題だけ読んで、文章を碌に読んで居ないのが丸判りです。

 恥を知りなさい。

出遅れました(汗)

自賛史観はチャイナだけでなく日米同盟を危うくする 殿

>>あまりにも一方的発言で,歴史を無視していると言わざるを得ません

→具体的に何処の記述でしょうか?
まさか全てと仰りたいのですか…。其れでしたら、「おととい きやがれ」です。(笑)

>>日米安保条約支持であり,日米同盟維持論者でありますが…

→ブログ主や此処の殆どの読者さんも、「日米安保条約支持であり、日米同盟維持論者」と思いますが…。
ただ、米国に事大する「アメポチ」でないだけ…善いことはよい悪いことは悪いとの理念から考察してるブログですよ此処は。
米国にとって真の友人は、貴方かブログ主か…わかりますよね。(笑)

>>「真珠湾攻撃」ですが,日本から見た歴史ですと,まぎれもない奇襲であり,…,アメリカ側から見ると,「騙し討ち」であり,「卑怯な行為」です

→ハルノートは最後通牒です。 詰まり、「真珠湾攻撃」は正当な戦争行為(国際法上)で、「騙し討ち」でも「卑怯な行為」でもありません。 もし、米国側が違法と考えてたら…所謂、東京裁判で訴追された筈ですよね。 ですが、確か、真珠湾攻撃は外されました。(残念でしたね)

つづく

つづき

>>しかもその中の少なからぬ人は,民間人だったんです。…「南京虐殺(?)」…非道行為…松井岩根司令官も遺書…

→寡聞にして知りません。 証明願います。 議論は、それからです。

>>フィリピンは,日本が侵攻する以前に,アメリカは独立を約束していたんです

→名目だけの独立ですよ。(笑)

>>駐留フィリピン軍司令官黒田中将の国会での証言を見てください…

→寡聞にして知りません。 証明願います。(成る程と理解させたいなら)
それから、日本人の歴史観で見た「近現代史の旅」です、フィリピン人の歴史観とは当然ですが同じになりません、共通歴史事実の参考意見に過ぎません。(悪しからず)

>>こうした歴史観は,アメリカやヨーロッパにはうけいられません

→当然です。 貴殿は、「唯一の正しい歴史観がある」との考えのようですが、歴史観は「国や民族などで違って当たり前」が世界標準です。

>>過去の歴史にこだわり過ぎるのも良くないと思います

→こだわっているのは、嘘や偽りで塗り込められたGHQ史観や日教組の自虐史観を
正しい歴史事実を元にした歴史観に是正する事
とブログ主は考えているのでしょう。

私も同じ意見です。

悪しからず。

自賛史観・・長ったらしいHN君へ

>自賛史観はチャイナだけでなく日米同盟を危うくする
>フィリピンの民衆の支持が日本に全然なかったということの裏返しです。
>ガナップなどの反米ナショナリストの一部が日本に協力しただけで,大多数は親米だったのです。

「協力すると独立させる」と約束していたアメリカは、米西戦争でスペインに勝利すると、フィリッピン人との約束を反故にして、フィリッピンを植民地にしてしまう。怒るアギナルド軍に銃弾を打ち込み、戦争状態にしたのはアメリカだった。

そしてサマール島の戦闘で米軍の38人が殺された。そこでダグラス・マッカーサーの父アーサ・マッカーサーは、抵抗するアギナルド軍一万八千人は相手にせず、報復にサマール島とレイテ島の島民の皆殺しを命じた。少なくても二十万は殺された。レイテ島は無人の島になった。

さらにマッカーサーは、アギナルド軍兵士の出身者が多いマニラ南部のバタンガスの掃討を命じた。家も畑も家畜も焼き払った。精神科医ジュディス・ハーマンは「徹底的した残忍な殺戮や拷問の恐怖は逆に従順さを生む」と書いている。以上高山正之著「サンデルよ正義を教えよう」から。

親米じゃなくて恐怖心だったのだろう。つまり角田美代子方式さ。台湾も韓国も立派な工業国になったのに、なんでフィリッピンは未だに発展途上国なのかい。

此処のブログのコメント欄で、工作活動しても誰も引っかからないよ。

     

ナポレオン・ソロ様、 酒と泪と様 R.K様 すごい! 

拍手X1000! アホは火病の発作しかないでしょうね!  

ハル・ノート

日本がハル・ノートを呑んだら日米戦争は起こらなかったでしょうか。
フランクリン・ルーズベルトは、第二のハル・ノートを出し、朝鮮の独立及び台湾と沖縄の支那への返還を日本に要求したと思います。
コミンテルンのフランクリン・ルーズベルトは、日本を江戸時代の四つの島に閉じ込め、世界をスターリンと2人で山分けしようとしていたのではないかと思われます。
フランクリン・ルーズベルトが大東亜戦争の終わる前に死んだことが、日本にとって、せてものの幸せでありました。

女系遺伝子と男系遺伝子の関係 考 序論

日本人の起源を知る為には、色々な角度からの考察が必要ですよね。
今回は、女系遺伝子のミトコンドリアDNAから日本人の起源を調べてみたいと思います。

考察をする前に、情報を皆さんと共有して臨みます…。

mt-DNA 情報 1

日本人になった祖先たち - DNAから解明するその多元的構造 篠田謙一 著 @ Kousyoublog
http://kousyoublog.jp/?eid=1465

(抜粋)

mt-D系:

日本人で最大。 東アジアでも最大集団。 D4、東アジア東北部を中心に広がる。 D5、支那南部を中心に広がる。
日本 / D4,D5(40%)

mt-B系:

日本人の第二集団。 支那南部で、4万年前に分岐。 支那南部・東南アジア・南太平洋・南米に分布。
日本 / B系(13%)

mt-M7系:

a,b,c サブグループ。 M7は4万年以上前に分岐。 各サブグループは、2.5万年前に、今は海の底の黄海・東支那海で分岐。 M7aは、沖縄から本土へと広がった。
日本(本土) / M7a(7%)
日本(沖縄) / M7a(25%)

mt-A系:

中央アジアから北アジアに広がり、北東シベリアや北中米では多数派。 旧石器時代にシベリアで分岐。 バイカル湖から南下し広がる。 A4、東アジア一帯。 A5、半島から日本へ広がった。
日本 / A4,A5(7%)

つづく

つづき

mt-G系:

データの蓄積必要。 日本(本土)やアイヌに分布。 中央アジア・カムチャツカ半島・北シベリアの先住民などの北方に多い、南には広がらなかった。

mt-F系:

東南アジア最大の集団。 支那南部・台湾先住民に分布。 エネルギー効率が北方に不適切。
日本 / F系(5.34%)

mt-N9系:

N9a,N9b,Yのサブグループ。 北方から日本へ。 N9bは日本だけ。 Yはアイヌや北東シベリアに分布。

mt-M8a系:

漢民族(Y-O3)と同じDNA組成。
日本 / M8a(1.2%)

mt-C系:

中央アジアから新大陸にかけて分布。
日本 / C系(0.5%)

mt-Z系:

フィンランド先住民・カムチャツカ先住民・ロシア極北に分布。
日本 / Z系(1.3%)

mt-M10系:

支那北部で分岐。 縄文人遺骨100体(茨城県取手市 中妻遺跡)のmt-DNA。 バイカル湖系のブリヤート人と同じDNA配列で一致。
日本 / M10(1.3%)
チベット / M10(8.0%)

mt-HV系:

近代に欧州系が入った。 日本では極少数。

(抜粋 終わり)

mt-DNA 情報 2

mt-DNA 情報 2

ミトコンドリアDNA分析による日本人形成のルート @ beWell 知って得する科学
http://www.as-1.co.jp/home/bewell/shittoku/index/index3.html

(抜粋)

日本人のミトコンドリアDNAは、16パターンのA・B4・B5・C・D4・D5・F・G・M7a・M7b・M7c・M8a・M10・N9a・N9b・Zが確認された。

ミトコンドリアDNA:
15万年前 出アフリカ
10万年前 中東 R・N・Mなどに分岐
5万年前 アジア B・Fに分岐

D4(←M) 日本 30% 最大グループ 中国北部?で分岐
B4(←B) 日本 10% 2番目のグループ 中国南部で分岐
この人々はアジアに人類が進出した最も初期のグループと思われる。

F 日本 3% 3番目のグループ 東南アジアで分岐

M7 →M7a・M7b・M7c 2.4万年前 スンダランド
M7a(←M7) 日本 3% 沖縄に多い 南から北へ広がった 縄文人系 日本だけの固有種

A(←N) バイカル湖で分岐 北回りの縄文人系

N9a(←N) 日本だけの固有種 弥生人由来

mt-DNA解析によると、縄文人を特徴付ける M7aのグループが日本全体の平均値で約17%、渡来系弥生人を特徴付ける N9aのグループが約83%とされる。

(抜粋 終わり)

mt-DNA 情報 3

mt-DNA 情報 3

遺伝子で見る日本人との違い @ 三日月城通信
http://www26.atwiki.jp/crescent_castle/m/pages/56.html

(抜粋)

北海道縄文人 D1(M系) Gb1(M系) M7a(M系) N9b(N系)
東北縄文人 D4b(M系) M7a(M系) N9b(N系)

D4(M系) 34% ネイティブアメリカン同型 Y-C3/C3aの母系 アイヌのmt-DNAがD*/D1からすると縄文系 華北・朝鮮・日本でほぼ同じ比率 対になるY-DNAは滅んだ

M7a(M系) 15% 縄文系 ほぼ日本だけ Y-D2の対

B(N系) 15% 南アメリカ・オーストラリアと広く分布 Y-K~Qの母系 Y-O2a/O3の対 弥生系

Gb1(Y)(M系) 7.5% シベリア→樺太と南下した集団(ツングース系) 縄文系←縄文時代は北海道だけ Y-C3/C3aの対

A(N系) 6% ツングース系 ネイティブアメリカンに存在 Y-Qの対 Y-O系と一緒に渡来

F(N系) 5% 縄文系 スンダランド分岐 アメ耳で縄文系 海ルート Y-F~R系の対 Y-C/Dと混血

M9(M系) 3.4% チベット型 Y-D2の対

CZ,M8a(M系) 3.2% フィンランド到達 縄文系 Y-NO系統の母系 Y-O3と渡来

N9b(N系) 7% 弥生系といわれているが縄文系←北海道縄文人遺骨 アムール川・朝鮮半島・日本だけに見られる縄文型

N9a(N系) 弥生系

縄文系:弥生系=4:6

(抜粋 終わり)

女系遺伝子と男系遺伝子の関係 考 1

日本人mt-DNAのパターンは A・B4・B5・C・D4・D5・F・G・M7a・M7b・M7c・M8a・M10・N9a・N9b・Z のようです。そこで、母系遺伝子と男系遺伝子との関係を考察してみます…。

其の前に前提の確認です。
征服された民族の母系遺伝子は、其の後も其の土地に残りやすい。 男系遺伝子は、征服者のY-DNAに置き換えられ易い。
これが基本です。 では、始めます。

mt-D 系統
日本人で最大のグループですが、東アジアでも最大集団です。 D4は東アジア東北部を中心に広がり、D5は支那南部を中心に広がる。
D4(←M) 30% 支那北部?で分岐。
日本でD4+D5は40%だそうですから…D5(←M) 10% となります。
また、別データでは…
D4(M系) 34%。 ネイティブアメリカンに同型が存在します。 アイヌのmt-DNAがD*/D1からすると縄文系と考えられますが、華北・朝鮮・日本でほぼ同じ比率です。
然し、アイヌの男系遺伝子のY-D2若しくは先祖遺伝子Y-D*が華北・朝鮮に殆どいません。 これは、Y-D2若しくはY-D*が其の地では滅んだ…が妥当でしょう。

バイカル湖系縄文人Y-D2の最大伴侶グループはmt-D4/D5と考えられます。家族グループとしてシベリア→樺太→北海道→本州と移動してきたのでしょう。(mt-DNAだけの考察なら、朝鮮半島からの移動も考えられますがね‥)

つづく

つづき

mt-B 系統
日本で二番目に多い集団です。 4万年前にmt-Nから誕生し、支那南部・東南アジア・南太平洋・南米と広範囲に分布しています。
B4(←B) 10% 支那南部で分岐。
日本で B(N系)=B4+B5 は 15% だそうですから…
B5(←B) 5% となります。
この人々はアジアに人類が進出した最も初期のグループと見られます。 詰まり、Y-C系の分布と重なっています。 これは、Y-C系且つY-D系(Cと行動を共にした)の母系だった可能性が高い…。
然し、Y-K~Qの分布にも重なり、今現在はスンダランド到達の第二派グループY-O系統の母系集団でもあります。
日本には渡来系 Y-O2a/O2b1/O3 の伴侶として来た弥生系でしょう。

mt-M7 系統
M7a,M7b,M7cのサブグループに分かれます。 M7は4万年以上前にmt-Mから分岐。 サブグループは2.5万年前に、今は海の底の台湾近海で分岐。 M7aは、沖縄から本土へと広がったようです。(日本本土 M7a 7%、沖縄 M7a 25%)
M7bとM7cも台湾近海を起点に広がったような分布のようです。

M7系 15% ?
M7a 7% ? 縄文系 ほぼ日本だけの固有種。
M7bとM7cは、残り合わせて 8% ?

日本には、黒潮人Y-C1若しくは海上の道ルートY-D2の伴侶として来た縄文系でしょう。

2へ つづく

女系遺伝子と男系遺伝子の関係 考 2

mt-A 系統
中央アジア~北アジア~北米に拡散、北東シベリアや北中米で多数派。 旧石器時代にmt-Nから分岐。 バイカル湖から南下し、A4は東アジア一帯、A5は半島から日本へ広がった。
A(←N) 6% ツングース系 ネイティブアメリカンY-Qの母系。 Y-O系と一緒に渡来?

mt-G 系統
縄文系? 本土やアイヌに分布。 中央アジア・カムチャツカ半島・北シベリアの先住民などの北方に多い。 北方の Y-C3/NO/N/O3 の母系?

mt-F 系統
東南アジア最大の集団。 支那南部・台湾先住民に分布。 エネルギー効率が南方向き?
F(←N) 5.34% スンダランドで分岐。 海ルートのY-FR系の母系。 Y-C/Dと混血?縄文系?

mt-N9 系統
N9a,N9b,Yのサブグループ。 弥生由来? 北から日本へ拡散。
N9a(←N) 7.5% 日本だけの固有種。 シベリア→樺太と南下した集団(ツングース系)。 縄文系←縄文時代は北海道だけに居た。
N9b(←N) 7% アムール川・朝鮮半島・日本だけに見られる。 弥生系といわれているが縄文系←北海道縄文人遺骨。
Y(←N) アイヌや北東シベリアに分布。
北方系 Y-C3/C3a/C3c の母系?

mt-M8a 系統
漢族 Y-O3 と同じDNA組成。
M8a(←M) 1.2% 漢族 帰化人系。

mt-C 系統
中央アジアから新大陸にかけて分布。
C(←CZ←M) 0.5%。 Y-P/Q/Rの母系。 ネイティブアメリカン Y-Q の伴侶。

つづく

つづき

mt-Z 系統
フィンランド・カムチャツカ・ロシア極北に分布。
Z(←M) 1.3% 東欧へ到達した縄文系。 Y-NO/N系統の母系。 Y-O3と一緒に日本へ来た?

mt-M10 系統
支那北部で分岐。 縄文人遺骨100体(茨城県取手市 中妻遺跡)のmt-DNA。 バイカル湖系のブリヤート人と同じDNA配列で一致。
M10(←M) 1.3% <チベット M10 (8.0%)>
バイカル湖系 Y-D*/D2 の伴侶?

以上のように、mt-DNAの拡散パターンから男系Y-DNAが浮かび上がってきます。然しながら、男系には征服戦による影響が…垣間見えてくる。 本来の伴侶としてmt-DNAと一緒に居るべき所に居ない例が見えてきます。

mt-D系は、明らかにY-D系の母系です。 然し、華北や朝鮮半島にY-D系は居ません。
mt-B系は明らかにY-O2b系の母系ですが、支那江南にY-O2b系は居ません。
mt-M7系統は、Y-C1系の母系に見えます。然し、Y-C1が居るのは日本だけで支那大陸に見当たりません。
mt-F系統は、Y-C/D集団の混血相手の可能性が高いですが、東南アジアにY-D系は居ない。
mt-M10系は、Y-D*/D1/D2の共通の母系の可能性が高いです。然し、バイカル湖付近に Y-D*/D1/D2 は居ません。Y-D2は影も形もありません。Y-D1は、遠くチベット方面に追いやられています。

お花畑: 母系が同じだから兄弟?(嗤)
歴史は残酷です。

終わり

知って欲しい論文 序

これまで、「日本人の起源」を論じてきました。
其の都度に、何故そう思うのかのソースデータを開示してきましたが…内容が不十分でなかったか?と、疑問がわきました。紹介したサイトを読んでいただけると、勝手に決めつけて…。(汗)

中でも、「私見」の一番の要素となる縄文人(Y-D2)論のバックボーンになった論文を読んでいないと…私の仮説が理解されないと気づきました。其処で長くなりますが論文を「抜粋」してみます。どうぞ、お付き合い下さい。

抜粋を始める前に…
男系遺伝子のY-DNAの分岐年代は、未だ定説化されていません。 いろいろな説があります。たとえば
[wiki]
DE → D 60,000年前
D → D2 30,000年前

[るいネット]
A : 5.5万年前
B : 5~6万年前
出アフリカ 7.9万年前
C : 5万年前 アラビア半島
C3: 2万年前 スンダランド
D : 5万年前 アラビア半島
D1: 3万年前 中央アジア
D2: 3万年前 中央アジア
O : 3.5万年前 (KR) インド北部
O1: 3万年前 支那江南
O2: 3万年前 支那江南
O3: 1万年前 支那江南

「Hong Shi 論文」
DE 出アフリカ 70,000年前?
D ←DE 60,000年前
D2 ← D 37,678年前
D2 約30,000年前に日本列島へ

この他に、崎谷満 さんの本にも書かれていますね。 私は?ですが…。

本論へ

知って欲しい論文

「東アジアに定住したもっとも早期の現生人類とりわけチベット人集団と日本人集団の共通の起源に関する Y染色体上の証拠について」
執筆者 Hong Shi

これは、以前に御紹介したサイト
[日本人の起源]
http://www.geocities.jp/ikoh12/index.html

の第4部関連研究ノート 12-4
http://www.geocities.jp/ikoh12/kennkyuuno_to/012_4Y_chromosome_no_kennkyuu.html

に書かれています。

(抜粋 開始)

D系統は南方起源、北方への拡散は約60,000年前に起こった。 他の主要な東アジアのY系統の北方移動先駆者であった。 おそらく、新石器時代の漢文化の拡張が、東アジアにおけるD系統の現在見られる分布を導いた可能性が強い。

ハプログループEは、アフリカ起源ということが確認されている。その後、その系統は約20,000年前ごろ中東やヨーロッパへ拡散した。

ハプログループDは東アジア特有の系統、特にチベット人と日本人に豊富(30-40%の頻度)に見出される。 東アジアの境界付近の中央アジア・北アジアでも、稀な頻度(5%未満)で見出される。

つづく1

つづき1

さらにD系統は、東アジアのいくつかの南方系少数民族集団にも認められる。 南西中国の雲南省のチベット・ビルマ語を使う民族(14.0-72.3%)、中国南部の広西チワン族自治区のモン・ミエン族(30%)、タイのダイック語族(10%)など、ごく最近の民族混交で説明できる民族が含まれる。

最近の研究では、アンダマン諸島の人々に高い頻度(56.25%)でD系統が認められる。彼らは、東南アジアに最も早い時期に移り住んだアフリカ起源の現生人類のひとつ。

アンダーヒル等による別の研究では、D系統は、約50,000年前に東アジアに到達した可能性が高いことが示唆されている。 これは、東アジアのYAP系統の起源がまさに、非常に古いことを意味している。

ひとつのシナリオは、O系統と同様に、D系統もまた、東アジアにおける現生人類の旧石器時代の移動に関し、北向きに行動した系統の一つであった可能性がある。次いで、集団の下部構造が形成され、そこへ最近の漢文化の拡張の影響が加わり、D系統の分布は現在の地理的パターンに分断化されてしまったと考えることである。

もう一つのシナリオは、まったく独自の早い時期の移動があったと考えることである。

その疑問に答えるため、73の東アジア人と東南アジア人の集団から、5,000人以上の男性のサンプルを採取し、遺伝子分析を行った。

つづき2

つづき2

主要なD系統のY染色体のSNPとSTRデータと主なD系統の推定年代に基づいた分析から、我々は次のことを提唱する。
すなわち、旧石器時代に東アジアの現生人類(D系統)は、これまで提示してきた北方への集団移動(O系統を含む)に先行して、独自の北方移動を行っていたと。

アフリカだけで観察されていたDE*系統が、チベット人の中に2人見出されたという事は、D系統の古さの証であり、D系統が東アジアに最も早く到達した現生人類の移住者の一つであることを示している。
さらに、D系統の偏った分布と分岐時期の古さは、東アジアの現生人類の集団の中で、D系統が旧石器時代に他の系統とは独立して移動した集団であったことを示している。

O3系統に関するこれまでのデータは、東アジアの現生人類が有史以前(約25,000-30,000年前)に北方への移動をしたことを示した。それは、主要な東アジアに特有のY染色体の系統(O3、O2、O1)の現在の系統地理学的分布を説明することが出来る。
しかしながら、D系統のデータのほうは、移動パターンの仮説を説明することが出来ない。
まず第一に、D系統というのは、東部アジアの中心地域、とくに中国漢民族では稀な存在である。

つづく3

つづき3

これは、たとえば、現生人類の北方への移動の間、O3系統と一緒にD系統も移動したと仮定して、その間の遺伝的浮動でもって説明できたが、チベットや日本でのD系統の勢力拡大を説明するには、突然変異が重なって起こるとか、D系統独自の偶発的発展が起こったとかが(あまりありそうにないが)必要である。

したがってわれわれは、D系統が他の系統とは別に独立して、早い時期に北方へ移動したとすることが、東アジアにおけるD系統の現在の分布を合理的に説明できると考える。
すなわち、遅れてやってきた非常に大きな規模のO3系統の移動と、漢民族(O3が中心)が膨張したことにより、東アジアの中心地域のD系統の痕跡は一掃されたのである。現在の東アジアのD系統分布パターンは、以上の考えと一致する。
また、その推定される年代は、D系統の北方への移動が、O3の移動より年代的に遡りうることを支持する。
たとえば、最も古いオーストラリア人の化石(マンゴー3)は、約45,000 ± 3,000 - 62,000 ± 6,000年前と計測されている。 現在のオーストラリアの少数民族集団のミトコンドリアDNAやY染色体の分析では、彼等のオーストラリアへの入植は約50,000-70,000年前であったことを示している。

つづく4

つづき4

東アジアやオーストラリアへの現生人類の移動は、別々に独立して行われたかもしれないが、我々のD系統の年代推定は、以上の考えと一致している。

このD系統の推定年代は、これまでに東アジアのY染色体とmt-DNAの両方を組み合わせた分析から報告されていたものよりも、より古くなっている。 我々は同じ方法で、DE*とE系統の分岐時期を計算した。 結果は、27,176年前である。
これは、D系統よりはるかに遅いが、これまでの推定(27,800-37,000年前)と一致している。 したがって、D系統の古さは、東アジアにおける人間集団の先史時代の真の姿を反映したものである可能性が高い。

チボトフスキーによって開発された(2001)年代推定モデルは、集団固有の構造的影響を完全には排除できないため、有効な集団のサイズや最近の人口膨張に対して敏感に反映するモデルではない。 (そのモデルで計算された)D系統の古さは、D系統の起源が50,000年前より以前であると推定されたこれまでの研究とも、また一致する。

ハプログループDの分岐年代は約60,000年前であり、D系統が広範囲に断片的に散らばって分布していることを考えると、D系統の旧石器時代の移動は、最初に東アジア南部に定着し、その後現生人類としてはじめて、北方へ集団で移動を始めたのであろう。

つづく5

つづき5

80,000~10,000年前に起こった最終氷河期に、D系統が北向きの移動を始めたという事は、現生人類がマンモス草原の食料を求めて起こした行動であるという考えに一致する。
後世の人口膨張以外に、最終氷河期の間にあった特に寒い気候が、D系統の現在見られる分布の断片化をもたらしたのかもしれない。

最近の考古学的発見によれば、約30,000-40,000年前現生人類がチベット高原を探索していたという。 その時期は、これまでに示された時期よりはるかに早いが、我々の仮説には合致している。
後氷期の海面上昇は、最終的には、日本と大陸とを隔てさせることとなった。 それは現在の日本人集団の中にD系統が遺物のように分布していることの説明になる。
考古学データは、約30,000年前の日本列島に、現生人類が初めて到達したことを示している。これは、D2系統の我々の推定年代(37,678 ± 2,216 年前)と一致する。
同時に、現在のチベット人集団と日本人集団はそれぞれ、おそらくD系統とO3系統の二つの古代の集団が混血して出来上がったのだろうと考えられる。

(抜粋 終わり)

安心は早いのでは

>三年間願い続けた夢がやっと叶いました

自民に戻ったことは、ひとまずよしとして
全てが後退していってますが・・・
竹島の日政府主催式典もなくなり
尖閣には公務員を置かず
河野談話は据え置き・・・

安心なさるのはまだ早いかも。
そもそも、現在の日本の基礎を作ったのは
自民党なのですから、そう易易と信頼を
寄せてもいいものでしょうか。売国議員が相当数、
内側にいます。人権擁護法案の推進者、
1千万人の移民受け入れを唱える売国議員も。

自民党に政権移行してよかったよかったと
浮かれていては、また足をすくわれそうです。

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