学者でもない一介のビジネスマンが近現代史に挑戦するなど恐れ多い事
ですが、近現代史を教わっていない人たちに、日本がどれほど苦しい熾烈
な戦いを生き抜いてきたかを知ってもらいたくて、旅を続けました。
過去の歴史を振り返れば、当時は欧米列強の植民地主義が、地球のすみず
みまで支配していたということを前提にして小国日本の行動を考えれば
日本の戦争は、全て自存自衛の戦いだということが理解できます。
そして我々日本人は戦後明治以後の歴史の流れを検証せずに、中国や韓国
の「南京大虐殺」「従軍慰安婦」などの個々の捏造された口撃にあたふた
して、事実無根を訴えても彼らは聞く耳を持っていませんし、結果として
国際社会に宣伝することになり海外に真実として受け取られてしまいます。
まず日本人すべてが近現代史を勉強して歴史の真実を知る必要があります。
そのことを最近のテレビを見ていますと痛切に感じます。尖閣国有化に
激化する中国に対しての知識人を集めての討論会で、ほとんどの人たちは
1931年満州鉄道爆破(柳条湖事件)の自作自演から中国侵略が始まったと
いうことを前提にして参加していることに驚いてしまいます。
中国は戦後満州という言葉を中国史から消してしまうために満州の地を
「東北」と呼んでいます。なぜなら満洲は国際法である「万国公法」の
基準でいえば満州の地は清王朝の祖先の地であっても「無法の地」だった
からです。
アメリカの国務長官のヘンリー・スチムソンは「日露戦争当時、満州は
ほとんど空き地同然の辺境で、中国の支配の及ばない土地」と言ってい
ます。日本に亡命した孫文も「もし日本が支那革命を援助してくれるなら、
成功の暁には滿蒙を日本に譲る」といっています。
詐欺師孫文にとって満州どころか、揚子江以北ならば、中国の持ち物で
ないのだから日本に譲っても痛くもかゆくもなかった。
だから日本は脅威のソ連の南下を防ぐために満洲に新しい独立国を建設し
て日本とソ連の緩衝地帯にしておく必要があったのです。
そこで新国家を建設するために住民を略奪、虐殺をしていた、軍閥の
張学良を打倒するために柳条湖での日本鉄道爆破を決行して、張学良の
仕業として、張学良を駆逐したのです。
その後の支那事変の発端になった盧溝橋事件も中国共産軍が仕掛けた罠
であったことは戦後中国が得意げに発表しています。目的は蒋介石と日本
軍を無理やり戦わすことでした。
日本軍はいくら戦争する気がなくても、中共軍は日本人虐殺の通州事件、
上海事件といったテロ事件を次々起こし、日本軍を大陸のドロ沼に誘い込
んでいったのです。中共軍によって日本の居留民や駐留日本軍に次々テロ
活動を起こされたのでは、日本軍は救助に行かざるを得なかったのです。
私が言いたいことは、戦後日本を呪縛してきた歴史観には、戦争の一部分
だけを取り出して、そこへ中国や韓国の歪曲や捏造まで加えられて日本を
侵略国家だったとの誤った歴史観を植えつけてしまったことです。
そして日本の歴史書には、日本は欧米列強から身を守ろうとした弱い国
ではなく、最初から欧米列強と一緒になってアジアを侵略した悪い強国
と記述されています。
このような事がどうしても許せなくて、少しでも払拭したいという思い
から近現代史の旅を続けてきたのです。
今の若い人たちは、日本という国を欧米諸国よりはるかに後れて生まれた
途上国だと思っています。とんでもない、江戸はロンドンを超えて、100万
人口の大都市でした。中国のように単に人口が多かっただけでなく、その
社会システム・文明度は突出していました。現在の野蛮な中国よりも江戸
時代の方がはるかにまともで文明度及び民度の高い国でした。
日本は大東亜戦争に負けましたが、その目的であるアジアの植民地解放を
成し遂げました。まさに神の使命を果たしたのです。
日本は3000年かけて、長い歴史と文化の上に成立した万世一系の神代に
成立した神々し国家です。我々日本国民は歴史の真実を知って、日本国に
生まれたことを感謝し、自信と誇りを持って生きていきましょう。
(長い間私の拙いブログを応援していただき誠に有難うございました。
今年の夏は体調を壊して、何回も挫折しそうになりましたが、皆様の
コメントに勇気づけられてなんとか近現代史の旅を続けることができまし
た。少し休みます。1ヶ月か半年か永久か 分かりませんが、健康な体に
なって戻ってきます。皆様もお元気で日本のためにご活躍してくださる
ことを期待してこのブログを終わりにしたいと思います)
