近現代史の旅42回目です。日本人のほとんどは日本と中国が戦争したと
思っていますが、日本と中国の戦争は日清戦争(1894年)だけでそれ以後
は中国とは戦争をしていません。
日本は「朝鮮の独立」つまり中国の千年属国から朝鮮を解き放すために
中国(清国)と約8ヶ月間戦争をしました。これは日本の圧勝で終わりま
した。だから日清戦争以後は日本と支那が戦争したとは国際社会では誰も
思っていない。
その証拠に支那はサンフランシスコ条約でも戦勝国に含まれていません。
第二時世界大戦で日本が戦争したのは英米はじめとする連合国であって、
断じて中国ではない。
そもそも日中戦争という言葉はなかった。中国の指図を受けた左翼勢力が
支那事変を日中戦争という言葉にすり替えて、いかにも中国と戦争したよ
うに印象づけるために日中戦争と呼び始めたのです。
当時日本にとって中国の正式政府は汪兆銘政権の南京国民政府です。日本
は共産ゲリラや蒋介石の軍を牽制するために汪兆銘政府に物質的援助をし
ていました。しかし汪兆銘は物質的協力を受けている日本軍に全く協力
せず、重慶の蒋介石政権と共に共産ゲリラを攻撃していました。
今日においても恩を仇で返す全く信用のおけない中国人に日本人はいつも
振り回されています。
歴史を知らない日本の左翼たちは、「そもそも日本軍は何のために支那へ
行ったのか?侵略目的のために行ったとしか考えられない」と言いますが
断じて侵略ではない。
支那大陸への出兵と戦闘行為は日本居留民や企業、資産を守るため、治安
維持のために軍隊を派遣しただけなのに、アメリカやソ連の謀略で支那の
内戦に引き込まれてしまったのです。
1899年に起こった義和団事件を契機に、英米仏伊と日本の5カ国は1901年
清国政府とのあいだに「北信事変最終議定書」結び、米国などともに日本も
居留民を保護するために北京近郊に軍隊を駐留させていました。
上海にはイギリスが阿片戦争の代価に土地を得て上海租界を作りました。
租界は欧米人の町でしたが、日本も日本租界となった虹口地域には多くの
日本人居留民が生活をしていました。
当時上海は極東一の大都市になっていましたが、軍閥が支配し、ギャング
や麻薬、娼婦の町で魔都とも呼ばれていた非常に危険なところだったの
です。当然日本軍は居留民を保護するために4千人の海軍陸戦隊を駐留さ
せていました。
支那事変の発端となった盧溝橋事件は中国共産軍が日本軍と蒋介石軍を
戦わすために仕掛けた罠でした。日本側がいくら隠忍自重、不拡大方針
をとっても、中共軍は日本人大虐殺の通州事件、上海事件といったテロ
事件を次々起こし、日本軍を大陸の泥沼に誘い込んで行きました。
中国共産党の後ろには日露戦争で復讐を誓ったスターリンが糸を引き、
蒋介石軍にはルーズベルトが肩入れしていました。アメリカは正規軍で
ある「フライング・タイガー」と名乗る300人の空軍兵士を送り、日本
軍に攻撃を加えています。
つまりこの段階でアメリカは対日戦争に突入していたのです。日本は
蒋介石の戦闘機がアメリカの援助であることは分かっていても、まさか
空軍兵士までアメリカ人が操縦しているなど夢にも思っていませんでした。
アメリカはやがて始めようとする日本戦に備えて蒋介石に肩入れし、大量
の武器弾薬を送って、日本軍を疲弊させるように持っていったのです。
つまり形として日本は中国大陸で蒋介石軍と中共軍の内戦に巻き込まれた
ように見えますが、実は前門の虎アメリカと後門の狼であるソ連と戦って
いた事になります。
ルーズベルトとスターリンは白人に刃向かう唯一の有色人種の国として
日本のことを憎悪していました。特にスターリンは日露戦争の敗北の怨み
を、いつか晴らそうと、虎視眈々と狙っていました。
アメリカは原子爆弾を投下し、焼夷弾で日本の大都会を焼土に、ソ連は
満州において終戦後武装解除し投降した日本軍や民間人に襲いかかり、捕虜
にし、その殆どを極寒の地・シベリアで満足な食料も与えず、シベリア鉄道
工事などに酷使しました。それは筆舌につくしがたい、地獄の日々でした。
捕虜の数は54万人以上そのうちソ連発表によれば死者6万にとなっていま
すがデタラメ極まる数字です。全滅した収容所も少なくないと言われてい
るのに約6万人であるはずがありません。
ソ連は、遺体の衣服を全て剥ぎ取って丸裸にした上で埋葬することも、火葬
することもなく、谷底に投げ捨てた、ソ連は人間としての尊厳を、とことん
まで踏みにじりました。
かくて支那事変は、日本が大陸に進んで侵略戦争を仕掛けたものでなく、
中共軍が蒋介石軍と日本軍を戦わすために、次々に各地で日本人殺傷の
ゲリラ事件を起こし、その鎮圧のために日本軍が大陸に進駐せざるを得なく
なった構図がわかっていただけたと思います。
この事実をもってしても左翼学者や進歩的文化人は日本を侵略国家.犯罪国
家と呼ぶのですか?もういい加減目を覚ましてください。
あれからすでに長い歳月が経ちました。しかし左翼思想にまみれた知識人た
ちは、相変わらず同じ歌を歌い続けています。彼らは歴史を知らずに無知
迷妄を続けるさまは,はた目にみるも無残で卑しい姿です。
(続きは次回にて)
