近現代史の旅29回目です。前3回にわたって、わずか13年と5ヶ月で消
えていった満州国という国、王道楽土の夢の国を検証しました。
日本においては満州事変を自衛のためという論理は封じられていますが、
しかし当時の状況をながめれば、単純に日本国が武力で侵略したとか、
関東軍の暴走とか、で片付けるにはあまりにも乱暴すぎます。
国際連盟によるリットン報告書によれば「満洲は世界で類例のない地域で
あり、満州事変は単に二つの国の戦争があったとか、一つの国が他の国を
武力で侵略したとか、そういう簡単な事件ではない」と報告しています。
アメリカは日本の満州国統治の成功を見て突然、共同経営を提案してい
ます。日本にすれば巨額な資金を投入している手前、苦労を横取りして
くるアメリカの提案を拒否するのは当然のことです。
断られたアメリカは軍閥の中でも力のある蒋介石に軍事支援をして、日本
を追い込んでいきます。蒋介石率いる国民党軍が北上して、ついに北京を
制圧しました。
アメリカの資金を潤沢に使える蒋介石は満州軍閥の張学良を金で篭絡して
国民政府に帰順させました。そして南満州鉄道、租借地を含むすべての
外国利権を回収する方針を打ち出しました。
しかし臆病な蒋介石は日本軍と全面的な対決を恐れて、満州在留日本人、
特に女性や子供に対して侮辱的な嫌がらせをして、日本人を追い出す作戦
をとります。
このあと支那事変というぬかるみにはいっていきます。ここで日本が敗戦
までの事件を追う前に「孫文」について検証してみたいと思います。
何故なら日本と全面対決していた蒋介石は孫文の軍のリーダーとして活躍
していたからです。
まず簡単に孫文の生涯を列記します。
「清朝末期の1895年。孫文は人々を貧困から救うため、広州で蜂起する
が失敗。その後、華僑や亡命先の日本で宮崎滔天、犬養毅らの支持を得て、
1911年、辛亥革命で勝利を収める。中華民国発足の際には臨時大統領に
就任するも、すぐに袁世凱に地位を奪われ、再び日本に亡命。 仲間の
裏切りに遭いながらも国民党を改組し、革命のさなかの1925年ガンで
倒れる」と書いてあります。
上記の紹介文で「孫文は人々を貧困から救うため」と紹介されています
が本気でそのように思っていたのだろうか?
しかし孫文の政治思想を読めば彼の上から目線の傲慢さは、中国人を
幸せにするとはとても思えない。
孫文の革命思想は「三民主義」と称される「民族主義、民権主義、民生
主義です。孫文の主張を読めば儒教思想と西欧的な民主思想の折衷
ですが本音は中国的価値観が透けてみえます。
彼は中国的本音を隠して諸外国からの支援を得るためにだけに、デモク
ラシーという概念と言葉を巧みに利用して革命家の衣を着ています。
彼の正体が見えた主張の一節に「天下を人民のものにするのは人民では
ない、人民を皇帝にするのは人民ではない。それを実現するのは選ばれた
エリートの使命である」と述べています。
そして「エリートが人民のための立派な国家を建設してそれを人民に進呈
するのだ。立派な国家になるまで、国家の建設過程に人民は参加せず、
ただ有能なエリートに一任される」と主張しています。
つまり立派な国家になるまで、国家の建設過程に人民は参加させず、有能
なエリートによって組織された「革命党」だけということになり、いわゆ
る権力を握った者だけで国を支配して愚民な人民は口を出すなということ
です。
しかし一端権力を握れば彼らは決して人民に国家を移譲するなど有り得な
い。これはまさしく現在中国を支配している共産党一党独裁国家そのもの
です。
それではなぜ人民は政治に参加してはならないのか、それは中国人民は無
能だからと孫文はハッキリ本音を言っています。
孫文はこの本心を隠すために言葉を巧みに操っています。「人民は能力に
よって三分割される。新たなものを創造出来る有能なエリートが「先知
先覚」、その教えを十分に理解できるのが「後知後覚」、ただいわれる
ままに動く無能な大衆が「不知不覚」と区別しています。
彼は演説で常に「権力は人民にある」といいながら、実際には人民から
権力を完全に剥奪する思考です。
孫文は演説に集まった多くの人々に対して、自分は無能な「不知不覚」だ
とは誰も思わせない、自分は孫文の教えを理解できる「後知後覚」だと思
わせるような巧みな演説をしています。
しかし孫文の本心は自分以外は全て無能な「不知不覚」だと思っています。
瀕死の中国を救うのは中国広しといえども、われ以外誰がおるのか、
「予は天民の先覚者なり」という傲慢さは歴代皇帝と何ら変わりません。
中国の最大の悲劇は、権力者にとって人民とは全て愚民で支配者の命令に
背くものは生きていく資格がないと思っていることです。
未熟な存在はいつも民であると思っている中国で、支配者こそが未熟で
あると思わないところが中国最大の悲劇です。
(次回も引き続き孫文について考察してみます)
