近現代史の旅28回目です。歴史の旅を続けてきて痛切に感じる事は、
日本人が降り立った場所は、まるで魔法の杖をひと振りしたかの如く
その場所を奇跡の土地に変えていきます。
朝鮮半島しかり、台湾しかり、そして満州国しかりです。どの国も地域も
日本人が来るまでは人間がまともに暮らして行けるような国ではなかった。
日本人は朝鮮と台湾で暴虐の限り尽くした権力者を排除し、旧体制を精算し、
近代的な法の統治を実現させ、インフラと教育を充実させ、短期間のうちに
近代的な資本主義社会へと変貌させました。
同じく満州国では、馬賊である各軍閥が略奪と虐殺で住民に途端の苦しみ
を与えていました。その数約10万、これを日本軍は一掃しました。
そして治安が確立された満州では近代的な法体系が持ち込まれ、住民は
安心して暮らせる社会に変貌していきました。
満州の総面積は日本の領土の約3倍もあります。この広大な満洲の地に
鉄道、道路、港湾、空港、といった交通網の他、上下水道、治山治水、
電力供給などを整備しました。
満州国の中心都市である新京は100万都市として建設され、路面はすべて
舗装され、下水道が敷かれ、水洗便所が使用されていました。
現在の話をしているのではありません。100年近く前の 何もなかった荒れ
果てた荒野の地に極めて短期間(10年)のうちに近代的な法治国家、自動車
や飛行機まで製造する一大近代産業国家を造ってしまったのです。
朝鮮も台湾も満州国も同じ不衛生な土地で、各種の風土病、伝染病が蔓延し
ていましたが、日本の医師団がそれらを撲滅してしまいました。おそらく
現代中国人が1000年たっても日本人のような事は出来ないと思われます。
我々日本人は現在の中国を見て近代国家になったと錯覚しています。上海や
北京の高層ビル群、不夜城、ブランド品が並ぶショウウインドー、街を走る
高級自動車などを目にしますと近代国家に成ったように見えます。
しかし近代国家の基本は自由、平等、基本的人権の保証、法治主義などで
す。人命と人間性に対して空前の蹂躙を今日も続けている中国にこのよう
な該当する言葉はなにもありません。
ある本によれば「中国は清朝末期以来、近代国家を求めて悪戦苦闘してき
た」と書かれていますが、いったい中国人の誰が近代国家を求めて努力
してきたのですか?
明治維新は日本近代化の手段でした。その根底にあるのは日本国を意識し
た強烈な愛国心でした。しかし中国における辛亥革命も共産革命も個人の
欲望に突き動かされた権力闘争にしか過ぎません。
中国人は究極的な理念に欠け、人間を大切にする概念がかけています。
中国文化には究極的な思いやりの基因がまったくなかったために。人々は
すべての人生をお金と権力欲に注ぎ込んでいます。
魯迅や柏楊が絶望したように個人も権力者側も自分の欲望をギラつかせた
内輪もめ専門であると嘆いています。このような国民に近代化を成し遂げ
るなど千年たっても無理な話です。
この近現代史の旅を続けてハッキリ見えてきた事があります。日本人がいか
に偉大な民族であるかということです。日本人は神の命を受けてこの地上に
降り立った戦士です。だから人類の幸せの為に戦い続けなければいけません。
日本人自身の上に課せられたこのような過酷な運命を思うと勇気が益々湧い
てきます。
悪魔は日本人の使命を忘れさすために戦後60年間日教組や進歩的文化人を
使って彼らの祖国や国家全体を罵倒し、国民を軽蔑し、歴史をさかのぼって、
古代以来、中世以来の祖国の歩みを、暗黒であった、罪悪であったと
吐き続けてきたのです。
日本には多くの悪魔に魅入られた権力を持った人たちがいます。その人たち
の常套句は「市民のため、国民のため」という甘い言葉を吐き続けています。
我々日本人は誰が悪魔の手先かを知る必要があります。
国家を無視して「市民のため」「国民の生活が第一」と喚いている人たちは
間違いなく悪魔の手先です。
今日の社会では邪法が多すぎます。世間はマスコミの虚報に惑わされて、
正法と邪法の区別がつきません。
この歴史の旅を続けてきて、見えてきたことは、つまり日本人は死につい
てのたしなみがあります。我々日本人は数千年の間「死について深い鍛錬
を受けています。切腹も特攻隊も「生命よりさらに尊きもの」の存在知っ
ているからです。生きることだけが生命の全体ではない。
評論家も先生たちも子供の自殺に接すると必ず「命の大切さを教えようと」
全く意味のないセリフが常套句になっています。大人であれ子供であれ
自殺は最後のメッセージです。その命をかけたメッセージを真剣に受け取
る社会にしなければいけません。
「生者必滅、会者定離」人間は死ぬものだということを、逃げることも、
どうすることもできないことを認識できる民族が日本人です。
凶暴な中国人の恫喝や恐喝に恐れてはいけません。傲慢なアメリカ人に接し
ても正論を毅然と主張しましょう。たとえミサイルを打ち込まれても、日本
人の大半が死に絶えても、日本人が人類に尽くした足跡と心は生き続けます。
それが歴史です。
(今日もアサッテに飛んでしまって、孫文や蒋介石の事を記述することが
できませんでした。この続きは次回にて)
