前回は、人類の偉大な思想家である孔子の名前を利用した「孔子学院」
を作り、対外宣伝工作に使う中国の醜さと危険性を訴えました。
私は中国に提言したい。孔子学院を中国全土に作って子供たちに「論語」
を教育すれば中国人は少しはまともな人間になります。
中国人の人格欠如のおぞましさは目を覆いたくなります。中国を恐れる
国があっても中国を尊敬する国などありません。いくら歴史を捏造し、
中国人の偉大さを強調しても、人格まで隠すことはできません。
何故日本人と中国人にこれほどまでに道徳観の差が出てきたのか、それは
ひとえに教育の浸透が日本を道義大国にしたのです。
世界中が驚嘆の目で眺めた明治維新も結局江戸時代から続いた寺子屋
教育が優秀な人材を育てたからです。その後明治政府はこれら全国にある
寺子屋を引き継ぎ一挙に近代学校制度を作り上げました。その結果日本は
教育立国として、近代産業国家への転換を迅速に果たすことができました。
江戸時代の寺子屋は幕府や藩の強制によって出来たのではなく、いわゆる
庶民の向学心によってほとんど自然発生的にできました。教育内容は習字、
読み書き算盤が中心で、また先生に対する礼儀作法や生活上の躾まで教え
ました。
それと江戸時代の学校には寺子屋以外に武士階級の子弟のための藩校が
あり、各藩は競って教育を充実させました。
藩校の教育内容は基本的には論語を基礎にしていました。遣隋使や遣唐使
が無数の漢籍を大陸から持ち帰りましたが、日本は菅原道真の進言により、
この危険な中国と絶縁しました。そして日中両国間の国交は20世紀まで
一度もありませんでした。
しかし中国と縁が切れても、日本人は長きにわたって大陸から持ち帰った
漢籍をくりかえし読み込んできました。だから各藩の教室には孔子の画像
が掲げられていたと言われています。つまり教育の目的のひとつは道徳
人間を形成することが根本的な目的でした。
同時に藩校では武芸と兵学をも課し、時代と共に算術、医学、洋学,天文
学,地誌なども教えていました。
だから日本人の誰でも論語や漢詩の名句の一つや二つは空で覚えています。
つまり漢文は自然に日本人の血となり肉となっていったのです。ここが
中国人との大きな違いです。
ところが学者を筆頭に日本人は漢文は中国語と思ってしまった。大きな
誤解です。この二千年間というもの、漢文は中国語とは全く関係がありま
せん。孔子は二千五百年前の人です。
ブログで何回も書いているように漢民族は紀元二世紀で地球上から姿を消
し、ほとんど大陸から居なくなった。中国住民はそっくり騎馬民族の子孫
に入れ替わってしまいました。
だから日本人が長年読み込んできた漢文は中国人にとって外国語同然なの
です。日清戦争後日本に留学した魯迅は、日本人が四書五経を勉強し,論語
をそらんじるのを見て驚嘆したと言っています。魯迅は大陸ではお目に
掛からなかった孔子や孟子、荀子などを日本の図書館で勉強しました。
もちろん私も20数年前中国でビジネスを始めるまでは中国は孔子の生まれ
た国であるという不思議な安心感から安易に考えていました。ところが
油断もすきもない詐欺師の集団であると気がつくのにそれほど時間はかか
りませんでした。
そこで冒頭に書いたように中国は孔子学院を全土に作って子供を教育すべ
きです。ところが近年の中国政府は政権を維持し国民を支配るために儒教
社会主義を提唱し始めています。
以前文化大革命において毛沢東は、林彪を失脚させるために林彪と孔子を
結びつけて「孔子は封建主義を広めた中国史の悪人である。林彪はその教え
を現代に復興させようとしている現代の悪人である」といって林彪を失脚
させました。
今度は孔子を利用した「孔子学院」なる孔子の教えとなんら関係の無い
教育を利用した工作機関を、全世界に作り、邪悪な対外宣伝工作を仕掛け
ています。中国は本当にどうしょうもない国です。
中国が崩壊せずに未来永劫繁栄したければ、論語にかかれている「信なく
ば立たず」という言葉を肝に銘じるべきです。
信用というものは、社会存立の基盤であり、これが失われたら社会が
成り立ちません。国の経営の基礎は信用です。全ての社会基盤に信用が
失われたら崩壊するほかありません。
日本は孔子の論語によって道徳大国になりました。中国が動物から人間に
昇格したければ貴方の国で生まれた孔子を勉強してください。孔子を政治
利用しかできないのでは貴方の国の未来は絶望的です。
