最近、元中国人の石平氏の文章をよく見かけます。現代中国の
政治・経済から中国人の性格,考え方まで教えていただき,日本人に
とってはまこと貴重な人です。
石平氏の日中関係観察記は面白くて,思わず「その通りだ!」と膝を
叩いてしまいます。
石平氏の日中関係のおもしろい文章を少し抜粋してみます。
「数千年の歴史を有する『品格ある大国』を代表していると自称する
中国は,日本国に対していつもわがままにして幼稚極まりない乱暴な
言動にでる。日本国首相との会談をドタキャンしたり、大臣を名指し
して『愚かで不道徳』だと罵倒するあたりは、もはや大人の節度の
かけらもない。中国人の私は汗顔するばかりである」と書いています。
石平氏は中国を「横暴なガキ大将」日本を意固地のない「いじめら
れっ子」であると言っています。
そして日本の政治家はガキ大将にいじめられないためにこの大将に
一途に恭順を尽くして媚をふるのが、最善策だと思い込んでいる
ようだ、だからガキ大将には飴玉を貢ぎ、その命令にはいつも服従
してる。
政治家はガキ大将の気に入らない靖国神社には絶対行かないし,大将
の嫌う「中国軍事力の脅威」などの言葉は絶対に口にしてはならない。
ガキ大将から「お前は昔俺の足を踏んだだろう,今でも痛いぞ」と
言われると,すぐその場で「ごめんなさい」と謝りながら土下座する。
国交回復以来30数年間の日中関係とは,結局このようなものだった
と石平氏は述べています。
意固地のない日本の政治家様たまには石平氏の本を読んでください。
100年前、石平氏と同じように自国人に絶望し嫌悪した中国人が
いました。有名な「魯迅」です。
魯迅は医学の勉強のために日本に留学します。しかし魯迅は途中から
中国人を救うのは医学による治療でなく,文学による精神の改造だと
考え,「阿Q正伝」や「狂人日記」などを書きます。
魯迅は日本に留学して日本語を覚え、思考から生活まで日本人に
成り切ってしまいました。彼は純日本式の生活を送り,和服で通し、
下駄をはいて歩き,中国産の食品など一度も買わなかったと言って
います。
そして日本の図書館に入って仰天します。そこには世界中の本や文献
が揃い、中国では見たこともない日本語で書かれた中国の文献が山の
ようにあった。彼は図書館で儒教や孔子,論語など初めて読んだと
言っています。
日本の中国専門学者たちは中国人は儒教や論語に囲まれて育ったと
勘違いをして『中国人は道徳的で大人の風格がある』と勝手に
イメージしてしまったのです。
ところが皮肉なことに知識人である魯迅でさえ中国で論語などを見た
ことがないと言っているのです。
最近中国は孔子の偉大さに目覚めて世界各地に孔子学園を立て,自分
たちは論語の教えで育ったかのごとく政治利用をしています。
日本の精神に染まった魯迅は,中国人の精神を改造しなければ,何を
しても無駄だ,近代化は不可能だと考え,「狂人日記」の一遍を書き
ます。
この狂人日記で魯迅は中国の文体を変え,日本語文脈の白話文学の
第一弾を書きます。これを境に中国語の日本化が決定的になった
のです。このことを中国人は絶対に言いませんが紛れもない事実です。
この狂人日記の中で「みんなに殴り殺された人の内臓をえぐり出して
油で炒めて食ったやつがいる。思い出しただけで、おれは頭のてっぺん
から足の先まで ゾッとなる。」
「4千年来,絶えず人間を食ってきたところ、そこにおれも,長年
暮らしてきたんだということが今日やっとわかった。4千年の食人の
歴史を持つ俺。いまわかった」
という恐ろしい文章が出てきます。つまり魯迅は「狂人日記」によって
中国人は食人の習慣のある,汚れた動物であり,人間の名に価しない
んだ、という救いのない事実を正面から見つめた画期的な小説です。
実際中国では飢饉のたびに共食いが起こりますし,人肉を愛好した
話は無数で,人肉は強壮剤として医書に堂々と記載されています。
魯迅はこのような中国人に希望を持つことが出来ず,「中国の未来に
砂漠が見える」と死ぬまで言っていたそうです。
