前回は中国大陸からやってくる第二の危機まで書きました。今回はそれ以降
の中国からの危機について考察してみます。
第一回、第二回の危機は中国大陸からの侵略者にたいして日本の優れた
統治者たちによって退けることが出来た危機です。
前回は日本のリーダーたちは「唐の支配下に入らない」という決意で「倭国」と
いう名称を廃して「日本国」に変更したと書きました。
つまり日本は「中国の支配下に入らない」ということを国是にして誕生した
国家なのです。
そしてその後日本はこの危険な国と正式な国交関係を持たずに ごく一部の
民間との経済関係だけを保つという方針を貫き通しました。
日本が正式な外交関係を持ったのは、1871年の日清修好条規からです。
つまり遣唐使を廃止してから千年近く中国と正式な国交を持たなかったのです。
しかしその千年間、遣隋使や遣唐使が大陸から持ち帰った膨大な漢籍を勉強
することによって日本文化が影響を受け続け、日本独自の文化が熟成しました。
日本人が遣隋使や遣唐使で接触した人種は彼らが持って帰ってきた漢籍とは
全く関係の無い遊牧民族である異民族で、漢人はすでに絶滅していたのです。
日本人が尊敬し勉強してきた孔子は紀元前551年~479年の人です。
遊牧民が作った隋や唐の時代から千年も前の人です。
ということは二千年以上空白のまま漢籍を通じて中国を眺め、その二千年間に
日本人は漢籍を教材にして教養を身につけたのです。
今日日本人の誰でもが漢詩や論語の名句は知っています。日常用語の中にも
漢籍の影響が感じられる言葉も多く存在しています。
戦後日本ビジネスマンが漢籍を通じて身につけた中国人をイメージして、
大陸に渡り、人格欠如の人たちと接して痛い目に遭い、仰天して、失望して
帰ってくるのは当たり前の事なのです。
つまり二千年間、漢文は中国語とは全く関係がありません。だから漢文を
通じて中国人を理解することぐらい、絶望的で不毛な行為はないのです。
日本には中国専門学者が山ほどいるのにこのことに全く気が付かなかった。
当然日本人の多くも中国幻想のまま今日まで来て、中国人の不道徳、二枚舌、
詐欺的行為に仰天してしまったのです。
私は幸運にも偶然岡田英弘教授の著書を読んでこれらのことに理解すること
ができました。
私は20年以上前ビジネスで初めて中国人と接触しました。そして何回かの
出張の時、宴席で中国人トップの総経理に「有朋自遠方来、不亦楽乎」と
書いて見せました。ところが総経理は首をかしげて、これは中国語ではない、
どういう意味ですか?と聞き返しました。
自社から連れて行った台湾人の通訳に「遠くから親しい友が、訪ねて
きてくれるのは、楽しいものです」と説明させました。
彼は大学を出ていると他の従業員から聞いていましたので、この有名な
「論語」の一説を知らないはずがないと思っていたので以外でした。
その後も出張のたびに数人の中国人に聞きましたが、誰も理解できませんでした。
それで疑問に思い中国関連の本を数冊読み、幸運にも岡田英弘教授の本に
出会ったというしだいです。
私は皮肉にも論語に書かれている「信なくば立たず」を基本においてビジネス
をしてきましたが、中国では全く無縁の世界でした。
私の中国理解の最大の師は「魯迅」です。日清戦争後日本に留学した魯迅は
日本語を勉強して後、図書館に通いつめます。そこには中国に関する文献が
一生かかっても読みきれないくらいあったと魯迅は言っています。
魯迅は夢中で論語、史記、儒学を勉強して二千数百年前の中国を日本の図書
館で知ったのです。
振り返って中国を眺めたとき、魯迅は絶望します。そして愚民としての中国人
を徹底して批判します。
最初医学者を目指して仙台医専に入りますが挫折して、東京での生活を
はじめます。
その後魯迅は帰国して北京大学で非常勤講師として勤務します。
そこで魯迅は中国の伝統への蔑視から西洋近代科学の合理性に目覚め、欧米
崇拝へと傾斜していきます。
当時欧米では中国語がもっとも原始的な言語とされていました。何故なら
中国語が文法的な精微さに欠けていて、はなはだしくは文法のない言語だと
さえいわれていました。
そのために魯迅は中国語には無かった文法事項を半ば人工的に欧米語を
なぞって作り上げました。今日魯迅は近代中国語の規範を作り上げた作家だと
言われています。
話を元に戻します。千年間絶縁状態から1871年日清修交条規を締結した相手は
満州人です。そのご共産中国が成立(1949年)したのち23年経ってから、
きちんと日中国交が正常化(1972年)したのです。
つまり私が言いたいのは、菅原道真の献策により894年遣唐使が廃止されて
から1078年間も空白だったのです。20世紀になるまで中国人を全く知らない
ままきたのです。
ところが日本人は無数の漢籍を大陸から持ち帰り、勉強好きな日本人は、
それを読み込み、教養として体内に溜め込んでしまっていたため、中国は
いつでも身近にいたのです。
ここに大きな落とし穴があったのです。日本人は中国人のことを実はなにも
知らないのに、中国幻想だけが脳内に居座っていたのです。
ところがこの幻想のために「中国人は古くからの友人である、だからお互い
理解しあえる、日中友好こそ両国の原点である」など抜きがたい幻想に
捕らえられて、ビジネスマンも政治家も失敗して痛い目にあってきたのです。
(今日もだらだらと長くなってしまいました。広大の中国をアッチに行ったり
コッチに来たりしているうちに、書くつもりの第三の危機について書くこと
が出来ませんでした)
また次回(自戒)にて・・・!
