経済に本当のプロはいないと思います。特に日本の経済学者の論は実体経済
をまるで反映していません。
最近の経済学者は口を開けば「地方は疲弊し、人心は萎縮し、日本は世界で
一人負け、不景気だ、デフレだ、の大合唱」それに対して「中国は金融危機
を克服して、高度成長を回復した」と大絶賛の大合唱をしています。
今日もアマチュア経済学で反論したいと思います。日本の地方が疲弊するのは
当たり前のことです。今まで公共事業と補助金浸けで生きてきた地方はむしろ
疲弊しない方が不思議です。
「不景気」は日本だけが不景気でなく先進国はすべて不景気です。アメリカも
イギリスも、EU諸国も不景気どころか危機の煙が上がり始めています。
デフレも日本だけの現象ではありません。世界はインフレを警戒している
わりにはデフレ傾向です。これも当然で20世紀は戦争の世紀で、すべての
ものが戦争によって何回も破壊されてきました。だからインフレの世紀だった
のです。ところが21世紀はまだ大きな戦争が起こっていません、物が破壊され
なければ必然的にデフレになります。
そしてアメリカのように大量のドルを印刷しても、インフレにはなっていま
せん。従来の経済学では説明が出来ません。
ノーベル賞を取った経済学者「ポール・クルーグマン」はデフレで苦しん
でいる日本にやって来て当時の竹中平蔵経済担当相に「積極的な通貨拡大策
を実施すればいい、経済が生産能力をフルに活用できるように、紙幣を
すり続け、消費を拡大し続ければいいのでは」と助言しました。
日本はポール・クルーグマンに言われるまでもなく、デフレになる以前から
政府は国債を発行して、それが必要であろうと無かろうと、道路やダムや
橋を造り続けてきました。
それらは直接雇用を促進し、経済を支えました。しかし結局財政赤字を拡大
させた為に経済学者は一斉に、財政の健全性を確保すべしという主張を当時
の橋本首相に進言しました。
橋本首相は財政赤字削減のために消費税率を引き上げたら、景気は即座に
失速しました。驚いた政府は翌年から再び大規模な公共事業に乗り出し
ました。
日本は常に同じことを繰り返しています。現在の鳩山政権も「コンクリート
から人へ」というきれいな言葉でダムや道路建設を縮小しようとしています。
私も無駄なダムや道路は要らないとおもいますが、それならそれに代わる
公共事業が必要です。考えればいくらでも思いつきます。
エネルギー関連産業、バイオテクノロジー、新素材、原子力関連分野、
海洋開発分野、農業、畜産などの第一次産業から、福祉、医療などの分野に
までいくらでもあります。
政府はこれらの先端技術に資金を投入して援助してやればいいのです。つまり
日本の将来を輝かすことが出来る公共事業をやれば21世紀は「日本の時代」に
なって行きます。
中国を絶賛しているエコノミスト殿、中国の見せ掛けの繁栄は、長続きでき
ません。中国の繁栄は低賃金で労働者を犠牲にした下請け産業と無茶苦茶な
放漫融資で持っている経済です。
中国の放漫融資は労働生産性を高めるのでなく直接一部の人たちの懐に入って
富裕層を作り出しています。
日本のエコノミストは単純に「経済が発展しなければ、あれほど多くの車が
売れ、あれほど多くの国民が外国へ出かけていくわけがない」と論じます。
しかし中国政府によって大量に印刷された元は各銀行を通じて建前的に国営
企業に融資されますが、ほとんど共産党幹部や役人、銀行マン、工場の幹部
たちに中抜きされ、株や不動産投機に流れていきます。
肝心の実体経済は中国にある4200万社以上の中小企業の半分はつぶれ、半分
は資金繰りに行き詰まり経営危機に陥っています。
皮肉なことにポール・クルーグマンの「経済が生産能力をフルに活用できる
ように、紙幣を刷り続け、消費を拡大し続ければいい」という主張を中国
は偶然実践したのです。しかし一党独裁の中国はややこしい手順を踏まず、
直接特権階級の懐に中抜きされた紙幣が入っていきました。
普通の国は紙幣をいくら刷っても、個人の懐にはなかなか入っていきません。
各国の政府の出来ることは各銀行が決済資金として中央銀行に預けている資金
量を無理やり増やさせて各企業に流れていくことを期待しますが、実際は
用心深い銀行は企業に貸すことをしません。
そこで政府は公共事業を増大させることぐらいしかできないのです。
ところが一党独裁の中国は大量に印刷された紙幣は政府の思惑通り結果として
個人である悪人の財布に入っていきます。そのお金が不動産を高騰させ、
旺盛な需要を喚起しているのです。
まさに不道徳経済です。この実体を日本のエコノミストたちは分かっていま
せん。
(長くなりましたので続きは次回にて)
