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「輪廻転生」の神秘        1月3日(土)


新年明けましておめでとうございます。

暮れのテレビを見ておりましたら、ガンで死を宣告された先生(女性)
が生徒(小学生)に向かって「人生は一回しかないから」と教えて
いるのを見て、疑問を感じてしまいました。

生徒達も先生がガンに侵されていることを知っていますから、真剣に
先生の話を聞いています。先生が「人生は一回しかない」と言った後の
言葉をテレビは写していませんので、一概に批判は出来ませんが、

現在の日本人を悪くしている最大の言葉は「人生は一回しかない」と
いう言葉だと思います。多くの有名人が率先してこの言葉を使って
います。

「人生は一回しかない」と思ってしまえば、それでは「どうせ一回しか
ないのなら生きている間に楽しいことをしよう、たとえ悪いことを
しても、」という考えになってしまいます。

もし私がこの先生なら生徒たちにこのように言います。

「昔お釈迦様は『輪廻転生』といって、人は死んだ後、次の世に
生まれ代わります、しかもこの世での行為の蓄積が、来世のあり方を
決定します』と言いました。

「どおいうことかといいますと、貧しい家に生まれた人、お金持ちの
家に生まれた人、あるいは美人に生まれた人、そうでない人など
いろいろな人がおります。その差はどうして出来たと思いますか」?

「それは前の世で何をしたかによって今現在の差を作っています。」

「これからのあなた達の人生で多くの苦しいことや、悲しいことに
出会いますが、けっしてくじけずに、自暴自棄にならずに、前の世の
借金を返していると思って、しっかり生きて人生を深く味わって
ください。」

「今度生まれてくる時は、苦しいことや悲しいことの借金を返して 
身軽になることができれば今よりもっと素晴らしい人生を手に入れる
ことができます。そのような覚悟を持ってこれからの人生 
生きてください。」

「先生は、神様の命令でもうすぐ皆さんとお別れしますが、この次は
どのような人生が用意されているか、考えるだけで、今からワクワク
しています。」

「先生は死ぬことに少し不安を感じていますが、あまり心配して
いません、何故なら少し眠るだけだからです。」

「あなた達は、夜寝るときに全く心配しないでしょう、しかし眠ると
いうことは意識が全く無くなることで本当は恐ろしいことですね!
でも誰も心配しません。なぜなら、朝になったら目を開くことを知って
いるからです。だから死ぬということも、また生まれ変わるという
ことを知っていれば、そんなに恐ろしいことではありません。」

「そしてあなた達の人生でこれから多くの人たちとの別れが待って
います。両親であったり、好きな人であったり、友達であったり、
また先生であったり、この世では一度会ったものはどうしても別れる
運命にあります。」

「またあなた達のなかには努力が実って大きな財産や、名誉を手に
入れる人が出てきます。しかしお金も地位も永遠ではありません。
いつか無くなります。」

「命も お金も 人も必ず別れがまっています。だから偉ぶらずに
謙虚に、生きていってください」

「大切なことは今度生まれてくる時のために今の人生で良い事を
いっぱいしましょう。良いことの貯金をいっぱいすれば、安心して
死ぬことができます」

「先生はあなた達に、「命の大切さ」などを教えるつもりはありません。
それより「命より大切なもの」がこの世にあることを見つけてください」

「命より大切なものを見つけられた人が本当の幸せを手に入れることが
できた人です。そして正しいことのために命を投げ出す事を惜しんでは
いけません。」

「死も 別れも、苦しみも、決して逃げてはいけません、自分の気持ち
をごまかさずに生きていれば、人生を深めることができます。」

「あなた達は先生よりずっと若い といっても後100年たてばあなた
達は必ず死にます。だから生きている間になんとか自分のためにも、
人のためにも、世の中のためにも、少しでもお役にたってゆきたいと
いう気持ちで人生をおくってください」

「まずは日本という素晴らしい国に生まれたことを感謝しましょう。
そして今 生きている自分の神秘に気がついてください」



新年早々にわけの分からないことを書いてしまいました。
今年もよろしくお付き合いください。





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コメント

あけましておめでとうございます

 いつも楽しくブログを拝見させていただいております。
今年もよろしくお願いいたします。

 さて、確かに人生は1回きりとは最近良く聞きますが、こういう刹那的な
考え方はもともとの日本人にはそぐわないかもしれないですね。

 今後もこのような鋭い切り口で世の中の事象を見て頂きたく存じます。

あけましておめでとうございます
いつもブログを楽しみに、拝見させていただいております。
今年も管理者様のご活躍を、心より応援させて頂きます。

輪廻転生と言うお言葉がでましたが、私は教育に宗教を持ち込むものは如何かと思います。
むしろ、一度の人生を、清く生きる為の教育が必要なのでは?と思います。
親と教師は子供の人生に、大きく影響すると思います。なのにいい加減な教師が、子供たちに自分の思想を押しつけるような
教育がまかり通る昨今、そう言った教師をリコールする制度が
必要なのではないかと考えます。

 いつも楽しみにブログを拝見させていただいております。

「命より大切なものを見つけられた人が本当の幸せを手に入れることが
できた人です。そして正しいことのために命を投げ出す事を惜しんでは
いけません。」

これこそ日本人の原点であり「武士道」だと私は思っております。
学校教育でも現在の「道徳」ではなく「武士道」を教えるべきではないでしょうか。
己の役割とは?と未だに暗闇の中を彷徨っていますが、私は日本国の為に何か出来ないだろうかと、必死に考えようと思います。

ありがとうございました。

十人十色

私は、人生一回しかないので、慎重に生きています。

輪廻は欧米でも常識

JLホイットン著  片桐すみ子訳
「輪廻転生」と言う本を10年以上前に読みました。
すごい本でした。

声を大にして賛成

仏教典も聖書も古は輪廻転生が当たり前の上で著されてます。そういう家庭教育もアジアでは一昔まで普通でした。ですから近代は道徳が馬鹿にできる魑魅魍魎とした時代になってしまっていると言えます。

私も見ました

あけましておめでとうございます 。
いつもブログを楽しみに、拝見させていただいております。
今年も管理者様のご活躍を、心より応援させて頂きます。
私もその番組を見ていて、ちょうど「人生は一回しかないので...」の発言になんか違和感というか、欺瞞とういうかなんかそういういつもの偽善者たちの歪んだ心根をみたような感覚を覚えました。ひとは自分だけのために生きているんじゃなくて国家や、国民のために、決して市民ではなく国民のために生きているんだと子供たちに言い聞かせています。

輪廻転生なんて、カルト的思想じゃないですか?
逆に、生まれ変われると思い込んで死んでしまうやつもいるんです。
しかも、輪廻転生が仏教の常識でもありません。
輪廻転生の考えは、来世で幸せになるためにとの理由で、
現世での虐殺を肯定します。非常に危険な考えです。
人生は一度きりですが、長いんだよと考えればいいと思います。


やり直しは何度でも

人生一回しかないのは確かですが、刹那的に生きる事は隣国の方々を見てればね~。

はぁ?

>人は死んだ後、次の世に生まれ代わります、
>しかもこの世での行為の蓄積が、来世のあり方を決定します』と言いました。

では現世で不幸な人は前世で悪い事をしたため
ということになりますね

1999年2月にイングランドのサッカーの代表監督グレン・ホドル氏が解任される事件が起きた
彼はイギリスの新間に、身障者となることは前世のカルマと関係していると発言をしたため解任劇に発展した

身も蓋もない、不幸な者は益々自暴自棄になっちまいますな

明けましておめでとうございます。

輪廻転生、深く考えると頭が痛くなりますが、責任ある生き方をしたいものです(笑)
人生が有限であればこそ、大切なものが見えてくるのだと思います。

今年もまた、ブログ主様の記事を楽しみにしております。

日本は半島人のためにある!

戦後の日本は創価、統一協会の仏教、キリスト教に蹂躙されている。
どちらもカルトである、半島系宗教に日本人は目覚めてほしい!
この原因は半島人に戦勝国並み待遇を与えたGHQの責任なのか?
戦後のどさくさに駅前の一等地を略奪した、パチンコ屋も戦勝国並待遇が原因か?

あけましておめでとうございます。
>「先生はあなた達に、「命の大切さ」などを教えるつもりはありません。
>それより「命より大切なもの」がこの世にあることを見つけてください」

学校で生き物を育てて「命の大切さを学ぶ」と言っていることに何か納得できないものを感じていました。そんなことで命の大切さを学べるのか、発展して自分の命の大切さに気付くことができるのかと。
「命よりも大切なものを守るわたしの命」「あの人の命よりも大切なものとして守られるわたしの命」これがその答えなのだと思いました。
たとえ輪廻転生がないとしても、命よりも大切なものは志として多くの命に受け継がれていきます。
かつて命よりも大切なものを守るために散っていったたくさんの命を尊敬し、彼らに守られたわたしたちも命よりも大切なものを見つけるべきだと思いました。
今年も深い気付きを楽しみにしています。

 K大生さんの、コメントに対してですが、

>輪廻転生なんて、カルト的思想じゃないですか?
>逆に、生まれ変われると思い込んで死んでしまうやつもいるんです。
 キリスト教も含め、どんな宗教、思想からもカルト的なものは生まれます。

>輪廻転生の考えは、来世で幸せになるためにとの理由で、
>現世での虐殺を肯定します。非常に危険な考えです。
 オウム真理教のようなものを仏教と考えられたら、世界の仏教徒が迷惑しますよ。

>輪廻転生が仏教の常識でもありません。
 仏陀は、輪廻から抜け出すために修行をして悟りを開きました。輪廻転生が仏教の大前提です。輪廻転生がない仏教は、神がいない一神教と同じでしょう。仏教徒が悟りを求めるのは輪廻から脱出するためで、自力で悟りを開こうとする禅宗も、極楽浄土(浄土は輪廻から外れた仏の世界)に阿弥陀如来の力にすがって生まれ変わろうとする浄土宗もそれは同じです。


 人間は、「現世」だけではなかなか道徳や倫理を身につけることができない弱い存在です。だから、ご先祖様や神のような自分たちを見つめる
「他者」の存在が必要になります。
 輪廻転生だけで道徳や倫理にはなりにくいですが、筆者の意図は

>「お金も地位も永遠ではありません。
>いつか無くなります。」

>「命も お金も 人も必ず別れがまっています。だから偉ぶらずに
>謙虚に、生きていってください」

 というところの、刹那的ではないもっと長い人生観と、

>「先生はあなた達に、「命の大切さ」などを教えるつもりはありません。
>それより「命より大切なもの」がこの世にあることを見つけてください」

 という部分にあるという風に読みました。これらの考えは現世のみで刹那的な考えからは出てこないでしょう。それに対するアンチテーゼとして、日本人にとってある程度馴染みのある輪廻転生の話を書かれたのではないでしょうか。

 昨年は面白く読ませていただきました。今年も応援させていただきます。

最近、江原啓江が輪廻転生を肯定するから若い子までが人生をリセットしようとする人間がふえた。 仮に生まれ変わりが有ったとしても意識がつながってなければ完全に消滅したのと同じだ。

あけましておめでとうございます

ブログ主様、あけましておめでとうございます。
自分はそのテレビ番組を見ていないのであまりはっきり言えないのですが、『輪廻転生』があるかどうかは正直自分にはよく分かりません。
ただ、ブログ主様がおっしゃる事はなんとなく理解はできます。
少なくとも学校で一部?サヨク教師?が教える「命の大切さ」や「人の命は地球よりも重い」などの言葉より重みを感じますし理解できます。

自分ならどう教えるでしょうか?(吉田松陰ではありませんが)
①自分の道を見つけ自分はこの道を進むことによって自分の人生を意義あらしめ得る道を見つけてください。
②読書してください
③友を選ぶ、択友(青年期の大事をなします)
④命より大切なものを見つけよう。(これはブログ主様と重複しますが・・・)
でしょうか、あと

教師の妄想に振り回されるぐらいなら自分の夢に振り回されろ。

自分の性分ひきずって苦しむぐらいなら自分を変えることに苦しめ。

人生の80%は厳しさでできている。

でしょうか、まあ、あとで付け足した三つは冗談みたいなもんですが・・・。

まあ、自分も背中(魂や志を)曲げずにしゃんと立って生きていきたいです。

今年もブログ主様の記事楽しみにしています。

あけましておめでとうございます。
いつも拝見させていただいてます。

輪廻転生の是非など、そんな検証しようがないことを論じてみても意味はありませんね。それぞれの民族や宗教に生きることの意味なり、重要性が説かれていますから、その「方便」にしたがって、子供たちに有意義に生きる方向性を示してあげればよいと思います。

また教師は組合系の基地外は共産主義者ですから、唯物論しか信じません。この教師はマルクス教の教えに従って、生徒に生きることの意味を諭したんでしょうね。まあそれもいいではありませんか。


明けましておめでとうございます

年初の挨拶も交え、初めて投稿させて頂きます。いつも楽しみに先生(このブログ)に出会えてからは、人生の師とも考えて拝見させていただいております。先生の経験に裏打ちされた人生観、生きたビジネスの社会で獲得された研ぎ澄まされた感性、それに裏打ちされた中国、韓国分析、国家観、宗教観全てにいつもうなずかせていただいています。私も先生のブログにたどり着く前にも渡部昇一教授などの本から異常な左翼言論や日本の誇るべき歴史、文化についての知識を学んでおりました。また、それと供に日本人として誇りを感じていたんですが、日本のメディアや教育界はそういったことをことのほか、否定しているような現状にいつも憤慨しておりました。先生のいつもぶれのない発言は、私を毎度勇気づけてくれます。これからも私浅学の輩を教え導いていただけたら、と考えています。それに一言、このコメント欄は、公開コメントか管理人への秘密コメントと2通りありますが、必要性がないなら公開で自身の意見を述べるべきです。隠れてブログ主を威嚇するような投稿は言語道断です。反対なればこそ、意見を公開して正否を問うのが常識ある対応です。話を本日の主題「輪廻転生」に戻します。私もその宗教観に全面的に支持致します。私も若い頃から仕事関係で色々な国の人、文化に触れてきましたが、「縁」という数奇な繋がりを感じずにはいられませんでした。余談ですが、本投稿冒頭部の渡部昇一教授がある本の対談で、自身の過去世が、在原業平(825~880)、ヤン・ヨーステン(1556?~1623)、ベンジャミン・フランクリン(1706~1790)と明らかにされてある記述を読んだ記憶があります。永久不滅なる生命、そして先生のブログに乾杯です。

たぶん、この人生は一度しかないから一所懸命生きようってことでしょうね。
生まれ変わると言ったらまた悪い影響もあるかも。 死について考えるのが仏教・基督教なんで教育の場に持ち込むにはテーマが大きすぎます。 

新年より清清しい気持ちを覚えました

新年おめでとうございます。
元旦に日の丸を揚げ、君が代を子供たちと歌い、新年を祝いました。
命より大切なもの。そう、それを見つけられるかが、幸せの鍵である。
感銘しました。
私も現在の教育は、「命が最高に尊いものである」と教えているように
思いますが、順位をつけるなら「自分の命」と「家族」と知人と他人の命は
尊さに順番があるのかという矛盾に突き当たります。
命がもっとも大切だと考える人は、「自分の命」がもっとも大切だと
考えているのだと思いますが、しかし、彼らはそうは言いません。

明けましておめでとうございます

本年もどうぞ宜しくお願い致します。
嬉しいです! 更新してくださってありがとうございます。もしかしたら今年はブログを止められるのかな、と少し不安でありました。

私は7月22日の記事がずっと気になっています。この記事から「欲張り過ぎない」という事を感じています。

>中小企業は、単純に安価な労働力を利用するだけで、それ以上の事を考えてはいけません

中国は危険なジャングル 7月22日(火)
http://kkmyo.blog70.fc2.com/blog-entry-302.html

               <平和ボケから目覚めた通行人>

お金に囚われガチな今の私たちには結構、深い問いかけですね

今生きてるこの人生の後に(先に)「何か」があるという考えの人
が増えれば犯罪、人に平気で迷惑をかけるような投げやりな行動をする
人間はもっと減るかもしれませんね。  

輪廻転生を見てガッカリ!

スレ主様が「輪廻転生」を説くとは、ガッカリです!
「人生が一回しかないなら、悪いことをする」は、反日3カ国の専売特許です。それを日本人に当てはめるのはもってのほかです。
「新年早々にわけの分からないことを・・・」で締めていますが、その通りです。
私は、「2度とない人生だから、悔いなく生きよう!」と思っています。(実際は難しいですが・・・)

あけましておめでとうございます

全く同感です。
特に「先生はあなた達に、「命の大切さ」などを教えるつもりはありません。それより「命より大切なもの」がこの世にあることを見つけてください」という所がとても大事だと思います。ワタクシ、実は「赤ちゃんポスト反対」というコトでブログをやっている者なのですが、その議論の中で、同じような疑問にぶつかってしまうコトが多々ありました。生命を至上の価値として、それを超えるものを見出せない、非常に無機質で連続性の無い生命観が、あらゆる道徳・倫理の破壊を正当化する根拠となっているように思います。長くなりました。本年もよろしくお願いします。

>輪廻転生なんて、カルト的思想じゃないですか?

カルトの定義にもよると思いますが、そんなこと初めて聞きました。

>輪廻転生の是非など、そんな検証しようがないことを論じてみても意味はありませんね。

是非というより有無でしょうが、前生を記憶する子供という研究もあります。論じて意味なしということはないと思います。

>>人は死んだ後、次の世に生まれ代わります、 しかもこの世での行為の蓄積が、来世のあり方を決定します』と言いました。

>では現世で不幸な人は前世で悪い事をしたためということになりますね 身も蓋もない、不幸な者は益々自暴自棄になっちまいますな

ん?なりませんよ。「今」というのは「過去の投影」なのだから私達がそれに干渉することはできない(不幸を嘆いていても意味が無い)。しかし努力は100%未来(必ずしも来世ではない)に投影されるのだから、今この瞬間をどのように生きるかが重要ですよ、という話になるわけです。

はじめまして

昨年9月、母を見送りました。
末期のガンで経口のモルヒネも飲めなくなり、点滴に切り替えるとき
主治医よりもう二度と意識が戻らないかもと言われました。
母の痛みを目の当たりにして、点滴を承諾しました。

点滴に前に、痛みで意識の朦朧とした母に語り掛けました。
生んで育ててくれたことへの感謝。不甲斐ない息子で申し訳ないこと。
あなたの子供で幸せだったということ。
そして「むこうで先に逝った父と待っていてくれ。自分もいつか其処へ行くから、それまでのお別れだよ」と。
母も私の言うことを解ってくれたと思いました。
幸いにして、2回ほど意識がハッキリしたときに会話もできました。
それから10日程して、静かに逝きました。

自分は宗教とか真面目に考えてきませんでしたが、
気がつくと、上のようなことを口にしていました。
母ともそのようなことを、今まで話したことはありませんでした。
しかし気休めかも知れませんが、その様なことを口にしてみるだけで、
私の悲しみを和らげる効果があったように思います。

そして、苦労ばかりだった母の人生を振り返り、
その分だけ安らかな来世が約束されていると思えば、
私たち残された家族にとっていくらかの慰めとなっています。

すべて自分の悲しみを和らげるための自分勝手な方便ですが、
それでいいと思っています。

おっしゃる通り輪廻転生は真実です。
でも、多くの人々は、それを道徳を説くための方便と勘違いしているようですね。こういう人はお墓から出ることは出来ません。蛇体になり、地の底を這うのみです。
蛇体だらけでは出生が減るのは当然ですね。

日本人は仏教音痴

どうも気になったので、一言言わせてもらいます。日本は仏教国ですが、仏教音痴な人が多いように思います。

 特に私が気になったのは、「一度しかない人生だから大切に生きる。」という表現です。これは裏を返せば、輪廻転生のように何度でも人生があると考えるならば、人生を適当に考えるようになる。という意味を含んだ言葉だと思います。

 はっきり言って、正当な仏教における輪廻転生とはそんなに甘くは無いです。むしろ輪廻など無い方がどれほど気楽に生きられる事か、と思うほど過酷な内容が記されています。地獄や餓鬼といった悲惨な世界の存在、そして人間に生まれ変われる確立の低さなどが仏典には記されています。だからこそ、一部のまじめな僧侶は、(一般人から見て)楽しみの何も無い仏道修行に励むのです。

 輪廻転生があると気楽だとか、人生リセットしてやり直せばいいとかは、何も知らない人が言う事です。「都合のいい輪廻転生」を信じている人は気楽かもしれませんが、「本当に説かれている輪廻転生」を信じている人は、死んだら終わりと考えて生きている人よりも、はるかに真剣に人生を生きていると思います。

ブログ主様が本当にそのように思われているのであれば否定はしませんが,今回は共感できません…というより,どう反応したらいいのかわかりません.読んでいる方々に考えさせるきっかけを与えてくださっているのであれば,コメントしづらいテーマだと思います.それも下記のようなブログ主様の認識状況のもとで話を進められているからだと思います.

>先生が「人生は一回しかない」と言った後の言葉をテレビは写していませんので、一概に批判は出来ませんが、

命の尊さを伝えることは確かに重要だと思います.
しかしながらそれを追及していくと,上のコメント欄に書かれている方もいらっしゃいますが,例えば簡単なところで自分自身が生き抜くために人や食す生き物や植物の命を絶ってもいいのか?といったような矛盾が出てきます.

そこで感じたのは,生物学の中で種間関係でみられるような「命の尊さ」を潜在的に内包した「共生」が重要なのではないでしょうか?

自分自身が生き抜くためには最低限の尊い命を犠牲にしながら他の尊い命と共生していく.

先生が伝えるべきことは,長く一度しかない人生で自分以外の尊い命達とできる限り共生していくためにはどうすべきなのか?というのを教えることではないでしょうか?そして,今生きている私達はその共生を人対人の関係と,さらに日本以外との国家間でどう築くべきなのか?

学のない私にとってはこの解を未だ導き出せずにいますが,少なくとも,
>「まずは日本という素晴らしい国に生まれたことを感謝しましょう。そして今 生きている自分の神秘に気がついてください」
というブログ主様の最後の締めくくりが初めの問題提起とどうつながってくるのかが理解できませんでした.ちょっと今回はお話が壮大過ぎませんか?

本年もブログを楽しみにしております.
宜しくお願い致します.


明けましておめでとうございます

「『人生は一回しかない』と思ってしまえば、それでは『どうせ一回しか
ないのなら生きている間に楽しいことをしよう、たとえ悪いことをしても、』という考えになってしまいます。」
非常に含蓄に富んだお言葉と思いました。
刹那主義的拝金個人主義に現在の日本人が陥っている原因のひとつがそこにあるように感じます。

輪廻転生観もそうですが、自分の人生自体が、先祖や親によって与えられたものであり、また孫子に恥じない自分でいること。一度しかない人生であっても先祖や孫子に恥じない生き方を全うすること、人は個で生きているのではなく、いろいろな人に支えられて生きていること、そこに感謝の思いを抱かなければならないことなども、子供のうちから学ぶべきことと感じました。
日本の教育から、徳育教育がなくなって久しいです。どういう経緯で「道徳」の授業がなくしたのか知りませんが、これを割愛した文部省や日教組等の圧力団体、関連した政治家などは、私にいわせれば国家反逆罪で処罰されてしかるべし、などとも思ってしまいます。
年末にはたけしのTVタックルに田母神氏が出演し、この件について記事を書きましたら、めずらしく私のブログが炎上(?)しました(笑)
「田母神氏、たけしのTVタックル出演」
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-353.html
欧米では、市民権というものは自国という共同体を一緒に守る意思のある者に与えられる、という概念があるのだそうです。
国防から目を背けるだけでは、日本の未来は開けない。
なにかと党利党略で揺れ動く政局ですが、年頭の陛下のお言葉にもあるように、今年一年の日本が、≪英知≫と≪絆≫と、≪助けあい≫でこの難局を乗り切ってもらいたいものだと思っています。

靖国神社と東京神社(お伊勢様)などに参詣し、日本国の神々や母国と世界平和に身命を捧げた英霊に新年の挨拶をいたしました。
輪廻転生とは、有名無名の先人から引継ぎ、この世で引き受け、次代に引き継がせる心、精神と解釈いたします。

これは、営々粛々と時空を超えて、子孫はもちろん親族であるなしの垣根を越えます。私たちは選ばれてこの世に送り込まれ試練を与えられ生を謳歌し、日本国を日々動かし、世界をも動かしているのです。

崇高清冽な精神であまねく日本国を覆い、日本に親和の情を寄せてくれる国々の人たちと共に、さらに素晴らしい未来を築きたいものです。

綺麗に清く潔く

プログ主様、新年明けましておめでとうございます。

休み中、ここのプログを読み直ししましたが店頭に並んでいるハードカバーの本の内容より充実しています。是非出版をお願いします。

輪廻転生について
楠木正成のように七度生まれ変わって朝敵を滅ぼさんと誓う武士もおりましたが、晩年妻に「貴方は何人も人を殺したからきっと地獄に落ちますよ」と言われると「そうさ鬼共を相手に一合戦するのだ」と平然と言った前田犬千代や、持病が悪化するや切腹し病巣を取り出し叩き潰した丹羽長秀等、信長やその家来を見ると輪廻転生等信じていないようです。

それでも、日本のモラルは高かった。ザビエルは日本人は嘘をつくのが大嫌いと言い、フロイスは日本文化を清潔という言葉で言い表しました。その時の日本を代表する階級は武士。その武士のマナーは葉隠れを見れば解るように勇敢であること即ち、何時でも潔く命を捨てられることのたった一つ。

キリスト教国でもイスラム教国でも、宗教の教えは来世の永遠の命が約束されていますが、かならずしも日本と比べてモラルが高いと言えません。自国では兎も角、他国では馬脚を表しています。又儒教國でも、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の道徳を如何に頭で教ても結果は見れば如しです。仏教にも戒律がありますが、仏教国でも日本よりモラルの低い国があります。

釈迦は、その人にあった処方箋のような色々な教えをしています。輪廻転生は迷える人の処方箋の一つかも知れません。周利槃特には箒を渡し塵を払い垢を拭うことだけ命じました。舎利子には無・空を悟らせました。周利槃特には行が有りましたが、輪廻転生も無・空もその後の実践の行の教えが有りません。幸せなことに日本には釈迦の教えを補間する実践の行、神道というものが有ったのです。

神道には教えなどありません。綺麗に清く潔くするだけです。武士の潔さにきりが無いように、綺麗にする掃除が限が無いように、追求してもきりが無いから武士は勇敢になり、日本の商品の品質も高いのです。いくら日本を真似しても他国が追いつけない理由はこれです。もっとも靖国神社を辱めている国は理解も出来ないでしょうが。

従って日本を再生する為、教えるべきは、綺麗、清い、潔い等の日本古来の教えです。これは、躾と同じ実践だけで、観念教育では有りませんから洗脳の後遺症は残りません。

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。また、ブログを楽しみにしております。

地獄も極楽もこの世の中にある。天国はここにある。天国は生活の中にあるとは、普通の人が生活の中で悟ることですが、よく歳をとったら死ぬ喜びがあるからいいね、といわれるように、このよは生きるのには辛いと思っている人も多いものです。この辛い人世など色々な生が何度も繰り返されることはまさしく地獄ではないかとおもいます。その輪廻から逃れられる仏になれれば救われるといわれますが、そうそう一般人はなれるはずもないわけで、一度の人生精一杯生きて、死んで無になるというほうがやすらかに無理なく人生を送れるようなきがします。今、年取って人生を振り返るに、人生に良いも悪いもなく、何もしなっかたぼけっとした人生や、人を騙し悔恨するじんせいも、十分にいみがあるじんせではなかったかとおもいます。その先生のご自身の心から発する声であるならば、どんな話でも子供達を育てることが出来るとおもいます。邪な悪意が無い発露であれば。

人生を大切にですか・・・

ワシは人生は一度きり、と言う言葉は素直に受けます。輪廻転生は信じていますけれども、と言うか、ワシの場合は多少そっち系に縁がありまして・・・流石に視えませんが感じる事は出来ます。何度も悪霊にとっつかれて、その度に霊能者さんに浄霊してもらいました。はい。霊が抜けていく時の感覚が実感出来るぐらいの霊感はあるのです。なので、輪廻転生の話はその人曰く本当なので信じていますが、でも今の人生を大切に生きないといけないのよ、と言われました。人生とは修行の場であって、常に難関が出てくる。でも、神様は決して超えられない難関は出さないから、きちんと逃げないで超える事。こう教わりました。ちょっと変なほうにずれてすいません。

今年も勉強させて頂きます。
他の方達の意見も大変参考になります。
言論武装するためには正しい知識が重要だと気付いた昨年でした。

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。
輪廻転生は元々キリスト教でも信じられいましたが、ある時代に教会が聖書から輪廻転生に関する記述を全て削除してしまったことが西欧での輪廻転生否定につながっていると聞きました。個人的に人間は転生を繰り返して魂を成長させていくのだと思っています。カルトなどとは全く思いません。

「人生一度きり」という考えと輪廻転生は矛盾しません。転生後の人生があったとしても「今、この」人生を大切に生きる事が何よりも大切なのだと沢山の方が教えています。江原さんも同様で、自殺した方はみな肉体を離れてから命を絶ったことを後悔しているそうです。つらい事苦しい事は数々ありますが、生き抜いてこその人生、魂の成長なのだと思います。

お互い、精一杯生きていきましょう。コメント欄の皆さんもどうぞよろしく。

今生無ニ

ブログ主様、皆様、明けましておめでとうございます。

人生が一度なのか、前が有って、次があるのか…。
そっちの方の才能は無いので何とも判断しかねるのですが…。
ただ、この大転換期に、『日本人』として生を受け、又生きている事は間違い無く、『奇跡』だと思っています。

ブログ主様、皆様、今年も、「おっちょこ」な私に御享受下さい。
よろしくお願い致します。

危険なプロパガンダ

いつも楽しく拝見しております。

ただ本日の記事は少々コメントを書きたくなりました。

「人が生まれかわるということは無く、死後は天国か地獄(あるいは煉獄)にいく」というのが
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教共通の教義で、
この信者が世界の多数はであることをつねに意識していただきたいと思います。
この認識がないと、今後数十年の激動の時代を読み間違える可能性が高いです。


また、あなたの仏教の考え方もすこし変です。
特に日本の仏教は、聖徳太子を経由していますので多分に景教の影響を受けております。

「輪廻を脱却して永遠の命に入ること」が太子の信仰の要になっており、日本の全仏教はこの認識から出発しています。
日本の仏教は、輪廻に対する評価は非常に否定的なものなのです。

輪廻を介して永遠にこの世に回帰したいという欲求は、「この世のもの」への限りない執着の表れで、霊魂にとっては危険なものです。
現在スピリチュアルな人たちの間で共通認識となっている感のある輪廻も、20世紀初頭に悪意をもってプロパガンダされたものの系譜に属するものです。

まともな世界宗教で、現世や輪廻を肯定的に扱っているものはありません。

魂と意識

→人生について。
現世に存在する「我」という意識体は、1回限りの存在の中で、存在意義と価値を探し求め、未来へ歩んでいくものです。
輪廻転生の中に存在する「我」というは未来永劫普遍の存在の中で、悟りを啓くものです。
どちらも大切な「我」(人生)であり、軽んじることなく、精一杯生きる事が大切だと思います。

→道徳について。
教職員に限らず、人に教えるべき立場の者は、旧き善き時代を顧みて、現代に足りない要素を抽出し、本来あるべき姿の日本を取り戻さなければ、周辺3国(所謂、特定アジア)のような状態に陥る可能性があることを肝に銘じなければならないと思います。
それから、人によっては最短距離を進んだり、寄り道をして最後の最後に目標に到達する人もいるでしょう。
どちらでもいいんです。経過と結果の中で、回復不能な過ちを犯していなければいいんです。

稚拙な文面で申し訳ありませんが、私の意見を読み取ってください。

大切に生きるなら

色々な考えがあっていいんじゃないのかな?
私は八の字 さんの母に対する言葉に感動!私もいざっていう時に安らげる様な感謝の気持ちを母に言ってあげられるのかなと・・

新年初頭に相応しい内容です。

>輪廻転生なんて、カルト的思想じゃないですか?

 世界中の多くの宗教や思想に輪廻転生の概念は見受けられます。キリスト教には輪廻転生の考えはありませんが、キリスト教徒が大半のアメリカの少なからぬ人々が輪廻転生はあると信じているという調査結果を何かで読んだことがあります。
 全人類の一定の割合の人々に信じられている輪廻転生思想がカルト思想でしょうか。

>逆に、生まれ変われると思い込んで死んでしまうやつもいるんです。

 ”自分の望む通りに生まれ変われる”という、一般的な輪廻転生思想には無い思い込みをしているか、”自殺する事も含めて現世での行いが来世に反映される”という輪廻転生思想の重要な要素を知らないのでしょう。

>しかも、輪廻転生が仏教の常識でもありません。

 仏教の常識です。
 というより、仏教成立の前提です。釈迦は”輪廻転生の繰り返しから如何にして脱出(解脱)するか”を説いたのです。輪廻転生は無い、と釈迦が思っていたなら、彼が出家し修行し仏教を開く理由は無いのです。
 もし輪廻転生を否定する仏教というものが存在するなら、それは仏教ではあり得ません。

>輪廻転生の考えは、来世で幸せになるためにとの理由で、
現世での虐殺を肯定します。非常に危険な考えです。

 それは”オウム真理教の考え”であって、一般的な「輪廻転生の考え」とは違います。繰り返しになりますが、死んだ人間が来世で幸せになれるかどうかはその人の現世での行い次第、というのが普通の輪廻転生の考えです。その見解に従えば、「現世での虐殺」によって死んでも「来世で幸せ」になれるとは限らない、ということになります。

 「輪廻転生」と「因果応報」の思想が、古き良き日本人の民族性や道徳心を根底から支えていたと思います。
 少し昔の日本人について、外国人が「何故、多くの日本人は特に宗教を信じているわけではないのに倫理観が高いのか」という疑問を発することがありました。特に仏教信者で無くても「輪廻転生」と「因果応報」を心の奥で信じているから、というのがその答えだと思います。
 私は、古き良き日本人復活の鍵は「輪廻転生」「因果応報」思想にしかない、と思います。人間は結局自分が一番可愛いのです。”自分が可愛ければ他人に尽くし喜ばせよう。遅くとも来世、早ければ現世で良い報いが来る。” そのように考える日本人が増えることを私は願っています。
 管理人さんの今回の投稿は新年最初のそれに相応しい内容だと思いました。

考えさせられる言葉

あけましておめでとうございます。初参加です。

>>命より大切なものを見つけられた人が本当の幸せを手に入れることが
できた人です。そして正しいことのために命を投げ出す事を惜しんでは
いけません。

確かに、人生は一回などという言葉は死への恐怖をあおる効果が絶大であり、絆やその一瞬一瞬を協調するためには間違いなく絶大な効果を発揮する物ですね。その効力が洗脳への道具へと結びついて欲しくないと祈りつつ・・・

命よりも大切な物、他人の世界であったり命であったり、絆であったりその形は様々でしょうか。

個人的には釈迦の言葉であっても前世で悪い事をしてきた人物が今この姿であるという言葉は極端に走りすぎていると思います。恐ろしいまでの人間を今まで見てきていますので(汗)

輪廻転生と唯物論

 明けましておめでとう御座います。

 本年も何卒宜しくお願い致します。

 新年の歳神様をお迎えして宗教観ですか、やや畏れ多いかなと(w)

 私は宗教と言うのは、字が表す通りの宗=おおもとの、教=教えだと思って居ますので、元は一つの同じ教えなのは、寧ろ、当然だと思っています。

 同じ教えで何故色々な差異が生まれているのかと云えば、下された教えは同じだったのに、下された民族の我や与えられた環境から、受け容れ方で教えの解釈が、様々に変容して、現実の対立に於ける、自己正当化の根拠にされてしまったからでしょう。

 輪廻転生は東洋思想の様に云われていますが、出自は中央アジアからカイバル峠を越えて現在のパキスタンに侵入、原住民のドラヴィタ人を滅ぼして支配者となったアーリア族が持ち込んだものと言われています。

 それとは考えを異にする、浄土教やキリスト教に云う、天国や西方浄土と言った考えは、メソポタミア発の考えのようです。

 現在のインドの社会構成の基本と成っているヒンドゥー教は、シヴァ・ヴィシュヌ・ブラフマー三神を基とする三神を基とする、アーリア人が持ち込んだバラモン教の変化したモノで、輪廻転生が基調とされています、バラモンの修行僧であった釈迦の教えは、当然、バラモンの教えの基調である輪廻転生を出発点にしている事は云うまでもありません。

 輪廻転生に捕らわれ過ぎて、今生での努力を惜しみ、向上を諦めれば、与えられた貴重な生を無駄に過ごすことになると言うのが、釈迦牟尼の説く根本です、全ての努力は、その輪廻転生から抜け出して、二度と生まれ変わらず共善い悟性を得る事、つまり成仏する=仏陀の境地に達する事を意味しています。

 輪廻転生が起こるのは釈迦牟尼が説かれる教えの前提、つまりは、仏教の前提ですが、多くの人々が仏教やヒンドゥー教を何千年にも渡って信仰、支持してきた事から、この現象を信じて疑わなかったというのが、歴史上の真実でもあります。

 砂漠の三宗教の死生観には輪廻転生は存在していませんが、三宗教とも、死生観は異なっています、つまり、モゥシェもイエスもムハンマドも、死後の世界については、具体的な表現を避けて居るわけです、その結果、ユダヤ教では「土に帰る」、キリスト教では「最後の審判で天国行きか地獄行きかが決まる」、ムスリム教では「生前の行い=神に対する奉仕の度合いによって決定する」と違っています。

 科学的共産主義者のマルクスもユダヤ人ですから、勿論、唯物論ですが、原始的共産主義思想自体がユダヤ族の発想です、皮肉なことに、マルクスは死の前には是を否定したとの話もあります。

 処で唯物論に捕らわれて一生を送った人々は、戦前日本のエリート層に多く存在します、中にはガンの闘病記の題名が「人は死ねばゴミになる」と云う元検事総長も居ます、特に法曹界や医学者に多く見受けられる現象のようです、彼のフロイトも精神病医にしてユダヤ人で、強固な唯物論者で有った事が知られています、友人のユングと袂を分かちたのも是が原因です。

 世界的に見ると、輪廻転生ではなく一向宗の様な天国を掲げた宗教の場合、前者と比べて「此の世」での環境の厳しさが酷く、その分「あの世」に対する憧れとなっている様で、それが一揆等での命知らずの攻撃に現れ、市井の百姓が戦闘のプロを打ち負かす原因ともなった様です、ムスリムも天国を掲げる宗教ですから、自爆攻撃もこの延長上にあるでしょう。

 インドが階級差別社会なのに、長い歴史の上で大きな叛乱も起こらず、国様を保っているのは、輪廻転生のヒンドゥー教の所為であると言えると思います。

捉え方は人それぞれでしょうが

「輪廻転生」。この言葉を聴くとき、チベット仏教を思い起こします。チベット仏教では、「死」に近い人に対し、この世での執着心をすべて捨てるように諭します。「死」は「生」の反対。「死」が存在し「生」が存在するか、その逆なのかは、「空即是色、色即是空」なのです。この教えは釈迦が弟子たちに伝えた元祖とも言うべきものでしょう。

物事の「実相」とは、「存在するようで、存在しない」、「存在しないようで、存在している」と言う教えです。

人の「霊魂」を考えて見ましょう。「霊魂」は「生命」と言ってもいいかもしれません。人間が肉体を持ち、確かにこの世で生を受け、存在していることを否定する人はいないと思います。しかし、「死体」となった人間との違いがどこにあるかを説明することは、現世での言葉、医学や科学で説明できても、「生命」の存在がどこに行った、あるいは存在するようになったかの説明は、出来ないのです。

したがって、人類は多種の宗教に「生命」の終わりの恐怖、「実相」の説明にすがったものでしょう。それは、一神教のアラー、キリストに救いを求めるものから、仏教のように「悟り」の教えを施す宗教もあります。そして、世界には数えきれないぐらいの土着の信仰もあります。

ただ、私なりの意見が許されるなら、人間の生命だけでなく、すべて事象を宇宙観に立って納得がいくのは、仏教ではなかろうかと思います。

日本の神道は多くの神が存在でき、多神教だと思います。これは日本人の価値観、風土にも合致したものであるとも思います。神社にはそれぞれの神様がおられますが、これが日本人を優しく寛容な民族の伝統に導いたものであると考えます。したがって、日本人は、新年は三社詣、人が亡くなればお寺さん、結婚式はキリスト教の礼拝場となっても、別に文句を言う人もいなく争いもないのです。

しかし、明らかにカルト宗教といわれるものが最近多く見受けられます。これらは、人間の生死感の迷いを利用し、政治や物欲、性欲、支配欲、、、あらゆる煩悩に執着したもので、宗教とは呼べないものです。



あけましておめでとうございます。
いつも拝見しております。初カキコ失礼します。

私は25年の人生で、何かしらの宗教に深く関わる事が今まで無かったので、宗教についての知識は又聞きや本で軽く触れる程度なのですが(といっても死んだらお寺のお墓に入るので私は仏教徒?なのでしょう)、今回のエントリを拝読しまして、
「死について真剣に考えない人は、生についても真剣に考えられない人」
なのかな?と思いました。

そう思うと、なぜ自分の教師の人達は、私たちに教育として「死」についての授業をしてくれなかったのかと、残念でなりません。
子供の時分から「死」についての知識、自覚があれば、今よりちょっとは良い人生観を持てたのかな?と思わずにはいられません。


駄文失礼しました。普段は拝読させて頂くだけなのですが。
このブログのコメンターの方々のレベルが高いのにビクビクしつつ投稿です。

本年も皆様がご多幸の年であることをお祈り申し上げます。

明けましておめでとうございます。


>>現世で不幸な人は前世で悪い事をしたため <<

そうではないと思います。他人より困難な人生を歩む方は、それは『魂のレベルが、大きく飛躍するチャンス』なのだと思います。

人間が何故この世に生を受けるのか
それは『魂のレベルを向上させる為』にあると思います。

あらゆる階層、あらゆる人種に何度も生まれ変わり、
その時々の苦しみ、悲しみ、切なさ、喜び、楽しさを経験し、
己の魂を磨き、向上させて行くのだと思います。
そして、過去のカルマ(業)を浄化させていくのではないでしょうか?


・他人を殺害するものは、必ず己も「殺害される立場」に生まれ変わる。
・他人を差別するものは、必ず己も「差別される立場」に生まれ変わる。


人間というモノは、その人の立場に立たないと、
本当の苦しみ・悲しみ、喜びを
完全に理解することが出来ないようです。

だから他人より、辛く困難な経験をする人は、
より魂を磨けるチャンス
神や仏から授けて頂いているのだと、私は解釈しています。



政治家としての原点に立ち戻る

政治家としての原点に立ち戻る
衆議院議員 平沼 赳夫
 今上(きんじょう)陛下(へいか)におかれましては今年平成二十年に御即位二十年をお迎えに
なられますこと、心より寿ぎ奉ります。天皇皇后両陛下がいつまでもお健やかであらせられます
ことを衷心よりお祈り申し上げます。

平沼赳夫新年の御挨拶はこちらをクリックして下さい。
http://www.hiranuma.org/new/newyear/greeting2008.html

【新党勝手連の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/ktr_ind.cgi

愛国政治家の新年の挨拶を聞こう
http://www.aixin.jp/yskgd.cgi


戦後教育(日教組)が悪い!

輪廻転生ですか・・・・・・・・・・・・・・・・
証明できない事象なので何とも言えません・・・・・・・・

キリスト教(揺籃期)では、来世があると考えると“今の人生を軽く扱ってしまうのではないか”という観点から、この思想(輪廻転生)をタブーとしたと聞いています。

社会秩序を保つ規範としては、ヒレル(古代ユダヤ教のラビ)の言葉“自分がして欲しくない事を他人にしてはならない”が古今東西関係なく通用する黄金率だと思います。
戦前までの日本人(戦後日本人は除く)は、ヒレルの言葉を実践しようとしていた民族だったと思います。

戦後教育は、その日本民族の良風を破壊したと元凶だと思います。(個人利益追求の最大化を是とする教育)

新年早々から、管理人さん、コメントを書く皆さんの国を思う心にただただ頭が下がります。敬意を表すると共に、謹んで新年のご挨拶を申し上げます。

>現在の日本人を悪くしている最大の言葉は「人生は一回しかない」という言葉だと思います。多くの有名人が率先してこの言葉を使っています。
>「人生は一回しかない」と思ってしまえば、それでは「どうせ一回しかないのなら生きている間に楽しいことをしよう、たとえ悪いことをしても、」という考えになってしまいます。

…との管理人さんのお言葉ですが、私は「人生は一回しかない」のような言葉を、都合のいい自己正当化の“言い訳”にしている者達が日本を悪くしているのだと考えます。

日本人の価値観の根幹に、原初の“神”の認知があります。これはあくまで“かみ”であり、西洋のGODや仏のような存在とは別物です。日本の神とは人間を取り巻く“自然環境そのもの”です。人は神(自然)から生まれ出でて、死して神(自然)に還ります。人の一生はあくまでも神の働きの一部に過ぎないと考えられています。

ですから、四季の恵みや気象災害といった人にとって都合のよい事、悪い事を含め、人以外の動植物の働きはもちろん、人の言葉や行動にも神の働きが見出されました。“言霊(ことだま)”といった考えや、大きな功績を残した偉人、価値ある言葉などまでもが“神”として祀られるのはそういった理由からです。

茶道、華道、武道といった芸道の根本にもこの思想が息づいています。人は神に対し常に謙虚であり、畏れ敬いつつ相対する…これが日本人の基本姿勢であったハズです。「人は基本的に神の分け身であり、根本部分は清浄である」…との考えから、日本では性善説を中心に据えた文化や価値観が発展してきました。

最近では失われつつありますが、幸せなことに日本人は「お天道様が見ている」という一言ですら、自らの行動を律し、自分達の価値観の中で社会を良い方向へ向かわせるための陰日なた無い行動を取ることができる…そういった精神を生まれた瞬間から周囲の大人たち、ひいては先人達の知恵から与えられて生きています。

字面通りの“精神世界の存在”には少々違和感を感じますが、民族信仰や宗教とは、元来一つの事柄を、その地域の文化や価値観に沿った形態で広まるものだと思います。自己を保ったままの“魂の輪廻”といったものに希望を見出すのもその方の自由ですが、私は自己が滅しようとも、自らの言葉や行動が周囲や子供達に受け継がれることにもまた“永遠の魂”を感じることができると思いますし、日本人としてそうありたいと願っています。

「人生は一回しかない」からこそ、常に謙虚に神を意識し、自らの子供やその生きていく社会を良いモノにするために最大限の働きをしたい、自分の姿をもって子供達に道を示したい…と、思うものではないでしょうか。それゆえに先の戦争末期に、自己の保身を抑え、損や不利益も厭わなかった先人達の尊い行動に繋がったのだと私は信じます。

TV番組を見ていませんので何とも言えませんが、その先生の言葉の根底にこのような概念があったのらなば、私はこれを支持したいと思います。

気が付けばダラダラと長文申し訳ありませんでした。
今年もいろいろ勉強させていただきます。

あけましておめでとうございます。今年もブログ楽しみにしております。

「人生は一度きり」「命より大切なものはない」などとよく聞きますが、私もそれらには非常に懐疑的です。まだ生きてきた年数こそ短いですが、自分がすべてを賭けてもいいと思えるもの、愛せるものに人生を賭ける方がよっぽど幸せで有意義な人生ではないでしょうか。
からっぽのまま無駄に命をつなぐことは果たして「生きて」いるのでしょうか?
新年早々、考えさせられる話題でした。有り難うございます。

日本は繰り返す循環していくなかでの永遠を考える

ブログ主様こんばんは。
「輪廻転生」に少し関連するのかどうか分かりませんが
日本テレビ系で20:54~放送の 「たけしの“教科書に載らない”日本人の謎~篤姫はなぜ上野の山に眠るのか~ 」は御覧になられましたでしょうか?
自分は仕事の都合上前半の約1時間ほど見られなかったのですが初詣は神社と寺どちらに行くべきか?や「稲荷」「天神」「八幡」などの神社はどこから始まりどのように広まっていったのか?ビートたけしが伊勢神宮に参拝した様子など。結構勉強になりました。
神職の参拝方法は二礼して蹲踞、二拍してお祈りし?二泊して立ち上がり一礼するみたいです(自分がテレビで確認した限り)
初めて知りました。
テレビ画面でしたが伊勢神宮の神々しさがよく分かります。
特に印象に残ったのが
火除橋の内側には手つかずの自然林があり樹齢800年以上の杉の木の下側は参拝者が木の呼吸を感じたいからと手を当てているみたいでその部分だけこけが無かったり・・・。
荒祭宮のとなりには20年に一度社をお建て替えする土地があり神宮では20年に一度の遷宮が1300年以上続けられていて
その時の神宮司庁広報 室長の小堀 邦夫さんの説明で
「立派な宮殿が仮に外国にありますね、それは石でつくられていますと千年二千年もつように造ってはあるんですけれども、千年二千年かに一回それを建て改めるとなったらできるかっていう大問題になりますね」
「そこのは人の知恵とか技術とかいうものは形だけあっても伝わらないということですよね」
「造っていかないと」や
それに答えるビートたけしさんの
「かつてヨーロッパやいろいろなところ技術はあるけどいまできる人いないってのがほとんどですね・・・」
それの答える小堀 邦夫さん
「日本は繰り返す循環していくなかでの永遠を考える」
このやりとりが特に印象深かったです。(多分テレビからの聞き取りですが間違いは無いと思いますが・・・)
また、ナレーションにもあるように
日本人が伝えてきたもの、それは自然の恵みに感謝して神をまつる事、そうやって命をつないでいく精神が神宮には息づいている・・・」
今の日本人、特に政治家や左翼、日教組や創価などの反日勢力にはこの「命をつないでいく精神」などとうてい理解できないのでしょうね。
久々にテレビを見てよかったと思う内容でした。

輪廻転生を火がついたように拒否は何か不自然

秘密組織系の共産党が密かに長年に渡り世界から何としても排除したいと力を注いだものは輪廻転生も神的なもの霊的世界の思想は無きものとする。だからキリスト教その他諸々の宗教が途中から変わってきましたし、変わってからは共産党組織の色濃い、ある国では虐殺放題なんだと理解できます。

おめでとうございます

明けましておめでとうございます。

本日のテーマは輪廻転生と普段とは変わったもので、いろんな方の輪廻転生の考え方など拝見させて頂き、新年早々らしからぬことに頭を使わせていただきました。有難うございます。

輪廻転生とは何かについて考えることも重要化とは思いますが、ブログ主様が言わんとすることは現生をいかにいきるかにあるのではないかと思います。

私は、肉体が死を迎えた後に輪廻転生があるのか、良く判らないのですが、良い行い、高潔な精神等の価値ある生き方をすることで、ささやかではあっても家族・友人・知人を通じて、高潔な精神が良い行いとして語り継がれ、次の世代に伝わり、受け入れられることで、精神が肉体を得て行動力を取り戻すことにあるのではないかと思うのです。

それ故に、私達の現世における使命は、精神を磨き良い行いに努め、次の世代たる子供を生み育て、教育を授け次世代を担うものとして育成することではないかと思います。

表現は違いますが、ブログ主様の言われる、感謝の心とも通じるのではないかと思っています。


今年も、良い記事を期待しております。




袖触れ合うも多少の縁・・・というやつですね。
古き良き日本の人生観は循環思想がありました。

人間であることにも感謝です。チベットの仏教では『次』の転生の為の
修行もあるようですから。
来世、動物や虫に生まれ変わらないように今世、功徳を積む。
中国人は今のままだったらほとんど、「人」も難しくなるかも
しれないですね。
だから当局も容認できないのでしょうが・・・。
お釈迦様の『輪廻転生』の教えは優れた仏教の教えだと思います。

宗教的な信条を持つというだけで、それが「邪教」か、
「正しい」かなんて判る知識もないのに見下す人がいる。
とにかく宗教というと攻撃的に挑んでくる人、
マユをしかめる人が多い。またそういう人とわかれば
窮地をも、又、誰も救おうともしない。
我、関せずが、日本には多い。こういうレッテル張りが、
戦後の日本が作り上げられてきた「精神性」だということに
多くは、気が付かない。

年頭において、このような勇気あふれるエントリー他にあるでしょうか。
あまりに感激して、湧き上がる想いすべてを言葉にしきれません。
そしてコメントされる皆様の、管理人さんの記事に沿うような、
日頃とは、また違う角度からの「偽りのない真情」に触れ、
それもまた暖かく、そして嬉しく感じさせていただきました。
本当にありがとうございました。

中でも、2009/01/03(土) 18:11:52| 八の字 さんのコメントに感動して
書き込むことを考えておりましたら、次々に皆様のあまりに素晴しい
光り輝くコメントが相次ぎ、気後れしてしまっていました。
それで、難しい事はもういいやと想い、素直な気持ちを書きます。

振り返ってみたら人生をかけて、貫いてきたことってあります。
23歳で21歳の奥さんを病気でなくし、後追い自殺を繰り返した
という人を知った時。
奥さんは女神のように空にいて、自殺未遂を繰り返すことで
そばに行こうとしたが、(断崖絶壁にアクセル踏んだままに
突っ込んだり、)でも、生きている父母兄弟の顔が浮かんで
急ブレーキで死ねなかったといいます。周りを心配でまきこみ
酒におぼれ、道路で寝たり、ヤクザとのけんか等、自暴自棄。

自殺をしては天国には行けないのだということを、長年かけて、
必死で転生輪廻を伝えました。(”奪われた”と神仏まで憎んでいました)
「又、いつか生まれ変わったらきっと二人、添い遂げられるから。」
時を越え納得してくれ、ようやく落ち着いて歩き出そうとした時、
がん宣告でした。しかし良い状態でなかったのに、
命をいただけたようです。それは、いよいよ逝けるという、死を受け入れ、
死ぬことに執着しない心境が反って安らぎを与えたせいかもしれません。

あの世への希望がそうさせているのだと思います。
送るほうも、送られるほうも、「またいつか逢える」ということは、
希望の言葉、思想だと思います。・・・これも宗教観なのです。
そういうことを、多くの日本人は馬鹿にしないで理解して
ほしいと思います。

政治ブログに迷い込み、こちらでたくさん学ばせていただきました
事情で時折HN変えましたが、管理人さんには
御理解頂ける様に、お願いもしました。
黙って見守って頂いてたという気持ちです。このような
素晴しいブログにずっとコメントを続けさせて頂けた事を
感謝しております。

わたしのこの課題というべきものは、答えも出そろそろ出口は
見えてきましたが、自分の人生もう少し、頑張ってみようという時に、
今度は日本のゆくえについて、見守り、できる事は、
努力していきたいと思います。

御挨拶が、済んでおりませんでした。
遅ればせながら新年明けましておめでとうございます。
どうぞ、今年もよろしく御指導、御願いします(*´∀`*)

明けましておめでとうございます

去年は目からウロコが落ちるが如く、このブログに出会えた事に感謝していました
今年も勉強をさせてください、
よろしくお願いします。

私も八の字 さんの気持ちは良く理解できます。
今日のテーマですが、しかし壮大過ぎて・・・また考えて悩んでしまっています・・・

すばらしい!!

いつも、感心してみていますが、今回の文章には本当に感服しました。
人生を長いスパンで見ることはとても大切です。
今世限りと思う心が、人生を空しくします。
来世があると思えば、軽々しいことはできません。
安易に自殺する人もいるでしょうが、そうした人は地獄で
何百年も苦しむことを知れば、自殺などできなくなります。
キリスト教では、神様からいただいた、大切な人生を無駄にする
行為として、厳しく禁止されています。
来世があるからといって、安易に自殺するなど、愚かしい人間が
やることです。
人間の魂は永遠の存在です。
そして、信仰こそが最高の価値を持つ行為なのです。

新年明けましておめでとうございます。

 ブログ主 さま
昨年は本当にいろいろと勉強させていただきました。
ブログ主 さまの文体がきれいな日本語で書かれているので心が落ち着き静かに考えることができます。

どうか、ことしも、独特の視点から物事の真実を提示していってくださることを、、、、おこがましいですが期待しています。

輪廻

お邪魔いたします。

管理人さんが書かれたことを素直に受け入れることができます。 仏教がどうの輪廻転生がどうのこうのと言う話ではないと思います。

有機体/無機体を問わず、時間とともに分解されて最終的には原子の状態になります。 その原子が分子に~~新しい有機体/無機体になっていきます。 宇宙が存在する限り、続くことでしょう。

自分が謙虚になることの出来ない人が多すぎます。 管理人さんが例えとして記述したことに反論しても無意味でしょう。

はじめまして。
御ブログを拝見して、実地の見聞と深い洞察に満ちた内容に惹かれて、ここ2日ほど興味深く拝読させていただきました。
膨大な内容に、まだ全て読了できていません(笑)

こちらのエントリで輪廻転生に賛否両論が交わされていますが、自分はその有無はどちらでもいいと考えています。
大事なのは、善く生きることであって、輪廻があればその結果は来世に活きるし、輪廻がなくても、今生に満足して死ぬことが出来ればそれでいい。

そもそも、仏教においては、どの「今生」も生老病死愛別離苦、いわゆる四苦八苦に満ち、百八煩悩に苦しむものというのが大前提です。
衆生として生きることは、たとえ生まれ変わっても、新たな苦しみがある。
それが、輪廻転生の実相です。
だからこそ、自暴自棄にならず、善く生きて「功徳を積み」、悟りを得て涅槃に至ることが仏教の根本思想であると理解しています。
では、どのように生きるべきか、ということを述べたのが「八正道」ですが、それはまた別の話。

銀時さんのコメントで伊勢神宮の20年ごとの移築が触れられていますが、否定的な意味合いを持つ「輪廻転生」が、日本においては「循環し、継がれていく生命観」とあいまって、肯定的な意味に変化しているように感じられます。

日本語の「学ぶ」の語源は「まねぶ」であり、「真似る」ことが日本文化の根本であり、だから日本固有の文化はない、などという最近の某国の記事を読みましたが、半可通もいいとこだと思います。
日本文化は、真似て、自家薬籠中のものにし、さらに日本独特のものにする「修破離」に真髄があるのではないでしょうか。
それが「日本人として生きる知恵」=「やまとごころ」であり、「大和魂」の本来の意味であったはずです。

インド的「輪廻転生」ではなく、日本的な「輪廻転生」として、善く生きることを説く今回のエントリは、とても腑に落ちる思いで読ませていただきました。

連投失礼いたします。
健一さん>
袖触れ合うも多少の縁>袖摺りあうも他生の縁 ですね。
おそらく、変換ミスかと思いますが^^;
今の生「今生」に対して、「他の生」すなわち「前世」において縁があったという意味合いであり、多少は縁があるのだ、という意味ではありません。

「日本語は変化するもの」と言う向きもありますが、多くは誤用が転じて変化しています。
このような味わいのある言葉は変化させたくないと思っていますので、つい重箱の隅をつつかせていただきました。
失礼いたしました。

「国益を考える講演会」

平成21年3月22日(日) 1600名入場無料全席指定 

特別講演
菅沼光弘氏 元公安調査庁・調査部第2部長
志方俊之氏 元陸上自衛官陸将・北部方面総監
青山繁晴氏 独立総合研究所 代表取締役社長・兼・首席研究員 

特別ゲスト
田母神俊雄氏 前航空幕僚長

ご案内HP 
http://kokueki.cool-biz.net/

デリケートな問題

あけましておめでとうございます。
毎回楽しみに拝読しております。

輪廻転生の件、かなり物議を醸しているようですが
小生の感想・拙論を申し上げます。
輪廻転生を、現世での善行・努力に活かす前向きな
理論として肯定的に捉える事ができる反面、
インドのように輪廻転生とカースト制が結びついて
いびつな理屈が悪習として蔓延る不幸な社会もあります。
社会的・経済的・心身的に劣る人が、原罪を負い
功徳を積むことで贖罪されると信じる(させらる)社会は
あまりにも悲しいと思います。

輪廻転生の捉え方次第だ、という回答では解決できない
過ちを含むデリケートな問題と考えますが。。。

一概には...

新年、おめでとうございます。
いつも貴殿の言を感謝しております。
ただ、今回の貴殿の言に関して言えば、極めて遺憾に思います。
何となれば、世界には多数の宗教があり(無神論も含めて)、死後の世界観も多岐に亘る故です。
それ故に、ひとつの(ひとりの)見解が全く正しいとは言えず、まして、この問題は証明不可能のことだからです。
その先生が言われたことの意味を深く吟味し、よい意味で捉えるほうが、どれ程建設的な観方でしょうか。

正しいものは一つ

何が正しいか決めることは大切です。
転生輪廻が正しいかどうかは、死んで見ればわかります。
間違った人生観で生きることは恐ろしいことです。
正しい人生感を得ることは、何よりも優先して自ら決めなければいけないことです。

>>石松さんへ
>>何となれば、世界には多数の宗教があり(無神論も含めて)、死後の世界観も多岐に亘る故です。
>>それ故に、ひとつの(ひとりの)見解が全く正しいとは言えず、まして、この問題は証明不可能のことだからです。

イスラムの殉教は「自爆テロ」を肯定しました
特攻隊が恐れられたのも、進んで死んでいく精神が米英の理解を超えていたからでした

虐げられた下層の人々が、来世に救いを求めて宗教にすがった歴史は悲しいです。

私自身は輪廻転生はあると考えています。(やはり救いを求めて)

この世の不条理を見れば「輪廻転生」を信じたくなる!

 政治家でも立派なことを言っているやつほど陰では地元では悪いことを平気でやっている輩もすくなくない。
 マスゴミが持ち上げる政治家などいい例だ。
 その意味ではきれい事好きのマスゴミも同罪だろう。
 実際世の中を見渡すと「世の中悪い奴ほど枕を高くして眠る」がごとく、「何であんなろくでなしが、幸福に生きられるのだろう。思いやりのある真面目で立派な奴がなんで早死にするのだろう」というケースが多すぎる。  その意味で意地悪かもしれないが、「輪廻転生」を信じたい気持ちになってしまう。
 あんな奴らはきっと生まれ変わったら、虫か何かだと・・・。
 いずれにしても、今の世の中、「輪廻転生」を信じたくなるほど、あまりにも魑魅魍魎ばかりが跋扈しているような気がしてならない。
 誰か、早く腐った世の中を直して欲しい。

失礼いたしました

いつも読ませていただくばかりでしたが、
この記事を読んで、いきなり皆様への挨拶もなく書き込んでしまいました。
失礼いたしました。改めてよろしくおねがいします。

父も病気でしたが、突然に亡くなったので、言うべきことをいえなかった後悔がありました。まだまだ生きていてくれると思っていたのです。
そんな訳で、母にはどうしても私の口から伝えておきたかったのです。

生前、母と話したのは突然の事故で命を落とす人に比べれば、
病気で余命をつげられるほうが、お互いに別れを惜しむ時間を頂いたと思えばあり難いということ。
そして物事には必ず良い面と悪い面があり、それを生かすも殺すも私たちの受け取り方次第であるということ。
遅すぎた感はありますが、おかげさまで親孝行の真似事くらいは出来たのかなとも思います。

今回の記事に関連してもうひとつ言わせていただければ、
いつか父母と再会する日のために、恥ずかしくない人生を送りたいと思い努力することが、自然と世の中の為になっていればいいなという事です。
私などに出来るのはせいぜいそれくらいかなと思っています。
しかし「言うは安し」で、自分の不甲斐なさを日々実感しています。

相変わらず纏まりもなく、乱文失礼しました。
これを機会にまた参加させていただければと思います。

(ノ´∀`)ノ*.゚・。:*:.゚・☆A HAPPY NEW YEAR☆・゚.:*:。・゚.*ヽ(´∀`ヽ)
明けましておめでとうございますっ。
この世で悪いことをしたらっ、来世は中国に生まれてしまうかも知れませんっ。
あまりに恐ろしすぎるのでっ、頑張って良い事をしますっ。 (*゚▽゚*)

謹賀新年

私には未だ「昭和84年」の夜明けです。
昭和天皇の  ”風冷ゆる み冬は過ぎて 待ちに待ちし 
                           八重桜咲く 春となりけり”
昭和27年にお作りになられてから今日まで「退歩」は有っても「進歩」はして居ないと思えます。

だんだんこの御歌から遠ざかる日本の様なきがして成りません、今一度この時期に歌われた内容を振り返り、明日への希望を持てる日本を取り返したいものです。
「靖国神社」の英霊が生き返られた時に恥ずかしい日本は見せられないと思うからです。

今回のエントリーを読んで目頭が熱くなると同時に、とても幸せな気持ちになりました。
この様な考え方ができる日本人に生まれて本当に幸せです。

人智を超える言葉

明けましておめでとうございます。
新年にふさわしいテーマで起稿され、目が覚めます。

それでも、
    「輪廻転生」 「人生は一回」   ハア?
という反応が読者にあって、悲しく思います。科学的でないそうですから。
と、いうことは、「お天道様は見ている」などの表現も、愚者のたわ言にされてしまいます。
昔の人だって、太陽が人を監視していると思ったわけではありません。人の道があるだろう、と諭しているわけです。

従って、人生は1回だから自分のしたい放題でよい、とか、1回だから正しいことをやれ、というのもおかしい。
人智を超える言葉には、人は人がましく生きなさいと受け止めるべき筈でないのでしょうか。

人生観に「宗教を持ち込むな」やら「非科学的」でという人々は、人間の生き方を一つに縛る発想で、皆さん立派過ぎます。

>新年早々にわけの分からないことを書いてしまいました。

全然わけの分からないことではないです。
激しく同意いたします。
私も常々自分の命の大切さ云々ということがまことしやかに語られることに疑念がありました。
だって、自分の命が一番大切なら、誰もが絶対に避けることが出来ない死の瞬間に、その一番大切なものを手放さなければいけないわけだから、すべての人の人生は不幸な最後を迎えることになりますからね。
命より大切なものに気付き、むかし歌にもありましたけど「笑って死ねる人生・・・」、それが一番の幸せでしょうね。

はじめまして

はじめまして、ここのブログとは全く違う思想を持っておりますが、いつも大変参考にさせていただいております。 特に、支那(中国)と韓国の『内情』を知るために重宝させていただいております。 ですが、基本的には親中派であり親朝鮮派の鳩派外交を支持しております。 

さて、哲学的な意見ですが、これはひとそれぞれでしょう。 確かにここスコットランド在中で欧州にて無神論者等を垣間見ても、確かに一寸先は闇だ!とかこの世に神は存在せぬ!とか申す唯物論者の切羽詰っている態度や自己中心性には引きます。 ですが、それと同時に支那人(中国人)、台湾人そして華僑等の自殺率の低さとフロンティア精神にあふれたバイタリティも尊敬に値するでしょう。 あれだけの苦境の際にもあの異常に低い自殺率には敬服します…! そこで、やはり日本人なんか見ていると、どうも気が弱いのか、所詮は死んだら瓦礫だとわかっていないのか、自殺率が酷いものですね。 そして、権威へ対抗するバイタリティも欠如しているし。 そこのところ、共産党政権中国の方が人民がより権威を当てにせず自立と活力を胸に生きていますので、尊敬します。 

また、日本は欧米文化圏と違って自殺への罪悪感や自己啓蒙の意識が弱いのでしょう。 無論、欧米においては自殺するぐらいならば、神に与えられた一生を何か使命のために尽くすという概念が、無意識のうちに横たわっております。 自己啓蒙の意識の弱い日本人は、なんだかあやふやな概念の中で生きているようで、本当に意思が弱いからすべてがなんとなく過ぎていくむなしさに駆られるのでしょう。 哀れ日本人。

深く考えさせられる重要な内容でした

坊主殺めたら七代祟られるとかで山賊盗賊もある程度の遠慮は有ったようです。活字離れの多い中で忘れてならない話だと痛感してます。近代の世でも不思議な体験された方も多々いらっしゃるようで。古典になると生まれ変わりについても普通に著してあるので、さらりと読み流してしまうと気付かないだけかも知れません。

私の輪廻転生

元日は国旗を出し、雪が散らつく中を歩いて初詣に行きました。神様は「良い年になる」とも「悪い年になる」とも言わず黙っておられました。言えば世間が大騒動になります。黙っておられるから心が和みます。

私は宗教に関しては浅学であり、仏教に関しても良く知りません。が、輪廻転生については自分なりに考えていることがあります。子供にも話してきました。

前世は「ご先祖」、現世は「今の自分」、そして来世は「子どもや子孫」だと。先祖代々繋がっていくDNAが輪廻転生ではないかと考えています。自分が悪ければ子孫が不幸になります。現世を正しく生きれば子孫が幸せになれます。

ブログ主様の教えを楽しみに今年も生きていきたいと考えています。宜しくお願いします。



日本人を甘く見ないでください

>恩義(Oblige347)さん
>基本的には親中派であり親朝鮮派の鳩派外交を支持しております。
上記の通りのコメントですが一部疑問ががありますのであえて反論させて頂きます。

支那人(中国人)の自殺率については以下に最近の情報がありましたので引用します。
(短時間で調べたのでこれで全てとはいいませんが)

中国は「自殺大国」世界一、経済発展のかげで深まる孤独
2008年12月12日 09:41 発信地:北京/中国
http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2547707/3598961

【12月12日 AFP】中国南西部の崇州(Chongzhou)市で、夫婦が口論の末、2歳のひとり息子を残して服毒自殺を図るという事件があった。このニュースが11月に報じられたとき、この30年間推進されてきた改革・開放政策の「負の側面」があらためて浮き彫りになった。それは、中国の自殺率が今や世界最悪の水準にあるという事実だ。
中国の年間自殺者数は25万人から30万人で、世界合計の約25%を占める。また、2分に1人が自殺している計算になる。15-34歳の死因の1位は、自殺によるものだ。
以下略。
中国人は、共産主義、儒教、資本主義というそれぞれ相反する価値観の中に立たされ、どれも選べずに宙ぶらりんの状況にある、と指摘する専門家もいる。
「大半が宗教心を持っている西洋とは事情が異なる」と、重慶(Chongqing)市のある心理学者は言う。「この国では、ほとんどの人、特に若者は、無宗教だ。寺にお参りに行くといっても、金持ちになれるよう願いに行くようなものだ」(c)AFP/Pascale Trouillaud
引用終了。

他のサイトなどで日本と中国の自殺率を載せているものもありましたが日本2006年時、中国1999年時ではあまり参照にならないでしょ、しかも中共がホントの数字出しているかどうかもあやしい・・・。
上記ニュースにもあるように2008年で年間25万人から30万人で世界合計の約25%を占めてて決して低いとは言えないと思いますが。


>支那人(中国人)、台湾人そして華僑等の自殺率の低さとフロンティア精神?
元からの台湾人(※外省人ではない)はわかりませんが支那人(中国人)は問題解決能力が低く、そのくせ精神的にもろく、メンツが大切でそのためには平気で嘘を付き、人口が多いためか人の命を何とも思っていない節がある。
その上日本以上の格差社会、それで自殺率が低いわけないじゃないですか、普通に考えて。
最近の毒餃子事件や、長野における聖火リレー時の華僑による暴動?、日本の文化やマナーを無視してなおかつ不法入国して犯罪を犯す。
中国本土の特に農村部における惨状やチベットでの虐殺行為や侵略、文化破壊。
そして、私たち日本人にあって彼らにないのは恥の概念。
もし恥じる事を知っていれば上記のような事は無いのではと思います。
あなたはこれらの事実を知っているのですか?
もし知っていて「自立と活力を胸に生きていますので、尊敬します。」とおっしゃるのなら自分はあなたを哀れに思う。
それと、あなたが本当に日本人かどうか分かりませんがあまり日本人を甘く見ないでください。
確かに、今の日本人に決して褒められ無いような人がいるかもしれませんが少なくともここを訪れている人やその他の多くの日本人は少なくともあなに”哀れに”思われる人はいないはずです。

※外省人:1945年の日本敗戦で日本による統治終了後、おもに中国大陸(福建省の金門県、馬祖島を含む)から台湾に移住してきた人(大部分は漢民族)とその子孫

最後にこのようなコメントで場を荒らしている事にブログ主様や皆様にお詫びします。
あまり荒らしたくないのでこの恩義(Oblige347)さんに対するコメントはこれかぎりですのであしからず。

今年は、輪廻転生は世界の常識になります

今や輪廻転生や波動、宇宙人、超能力、高次元といった少し前までは、『とんでも』と言われていたような事柄を、世界の知識人たちや物理学者たちが科学的に研究を始めています。物理学者が研究を進めれば進める程、神の力を感じざるを得ないという話をよく聞きます。輪廻転生を宗教と考えているような人たちは、これを機に「死」ついて学ぶことをお薦めします。(宗教以外のアプローチでね。ネットでいくらでも学習できます。)これから2012年までの激動の時代、勉強することはいくらでもあります。

転生輪廻は、当たり前の事です。

知らなかったという事は、言い訳にならないんだね。

人生は、一冊の問題集ですよ。

人生は、一冊の問題集ですよ。

もん吉さん。
いい言葉ですね!!
何事にも全力で挑みましょう。
今年は勇気の年です。

朝鮮日報が、日本が戦後の政令で竹島を日本の島から除外していたと報道した。
どいうことかと思ったら、ねずきちさんとこで詳しく紹介してた。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-367.html
いつもながらあきれた話ですな。

あけましておめでとうございます。

私は普段、「因果応報」を意識して生活しています。今現在の幸せや不幸は過去の自分の行いに原因があり、今現在の行いは未来の幸福や不幸の原因となるという自分なりの解釈に基づくものです。

ただし、今回の先生のように余命幾ばくも無い状況ですと、生徒に教えるのは難しい(先生の病魔が先生自身の過去の行いの結果となってしまう)ので「輪廻転生」のほうがふさわしいです。

 転生輪廻

 明けましておめでとう御座います。
 テレビは観てませんが、ブログ主様がゆわれんとすることを
 転生輪廻、自覚してたまに考えます。
 今回の題目には多々深く考える処多しでした。

釈迦も、キリストも実在し、色々な教えを遺してしていますが、
人々を、苦悩から救うためですね。
当時のインドは荒行ばかりの苦行が主流だった。
釈迦は難行苦行の中で出あった、村娘に差し出されたミルク粥が
がりがりにやせ細り、やつれた体に染みわたって、
食物のありがたさに涙した。今生きている命も尊い、
苦行の中だけに、真の悟りは無いと知る。そこから有名な

菩提樹の下で、執われのない無執着の境地に達し
大悟し仏陀、(悟りたる人)になるのでした。
今でもインドは色々な宗派の教えが、争いを生んでいるようですが
でも釈迦の教えは、心の平和を説き、主流だと思います。

何度も生まれ変われるからといって、今の生を粗末にしてはいけない。
しかし、一度きりしかないと思い、しがみつくような生き方は苦しみになる。
肩書き、財産、家族ですら、置いて行くのですから。
でも縁は、永遠に続くものという教えです。
この世と、あの世も同時に考えながら、生きていくことが幸せだと想います。

見つけた動画、ここにも貼っておきます
http://www.geocities.jp/urya_com/kanojo.html

「学ぶ」の語源は「まねぶ」

>日本語の「学ぶ」の語源は「まねぶ」であり、「真似る」ことが日本文化の根本
>あり、だから日本固有の文化はない、などという最近の某国の記事を読みま
>したが、半可通もいいとこだと思います。

 なるほど、これは良いことを聞きました。miluraさん、ありがとう御座います。

 個人的な考えなのですが、何かを思考する場合、元になる情報を真似て(参考にして)発展させていく手法が、一番よいのではないかと思っています。 職人などの場合、師匠の一挙手一投足を真似、それに+αする事により、新たな境地(芸、作品)を見つけるものだと。 新たな考えを発見する場合、天才などであれば突然何かをひらめくものですが、普通の人は、まず人の真似から始めて、+αするのが早道ではないのかなと。

 話は変わって、今回のエントリー『「輪廻転生」の神秘』についてのコメントの数々を見ていますと、コメントする方々が、それぞれに考え、自分の意見をしっかり書いているので、思わず、頬が緩み、嬉しくてニヤニヤしてしまいました。 まだまだ、日本も捨てたものじゃないですね。

 始めて投稿される方々も、前回のエントリーを含めかなり増えてきていますので、とても喜ばしい事ではないかと思います。

・誤字脱字誤変換は気にしない。つっこまない。
・読む人の立場にたって書く。
・最初は人の文章表現の真似からok (オイ
・数をこなせば、おのずと文章表現力は上がる。
・投稿確認する前に、もう一度読む。
・送信する前に、消えてしまっても泣かない!

                今年も、よろしくお願い致します。

私の宗教観

輪廻転生とは一寸違う話で申し訳ないのですが、神に対する私信について、感じる処を述べさせて頂きます、スイマセン、興味のない方は読み飛ばして下さい。

 昨年末、女房が間違えて採った番組の中に「アグロフォレスティ」と云うブラジルでの日本人移民の活躍を描いた作品(NHK BS)が在って、偶然見ることになりました。

 話を要約しますと、移民当時の話に遡ります、広大な土地を目の前にしては居ましたが、そこは熱帯雨林の原生林で、伐り開く土地に何を植えれば善いのかと迷った挙げ句、胡椒を栽培して看たら是が大ヒット、胡椒の価格が高い時期で、年収が日本の十倍と言う成果に繋がって忽ち巨万の冨を得、日本からも新たな入植者が2千人も来たらしい、しかし、15年目に胡椒畑が原因不明の病気で全滅、新たに原生林を伐り開いては病気で全滅、を繰り返したが、日本の農業の伝統である「木を伐ったら植林をする」処を基本に、荒れ地を再生させて農業で自立しようと言う目論見を以て、30年間を費やしてその土地に最適な木の構成で森林を造る「アグロ・フォレスティ」と云う手法に行き着いた。

 現在この手法によって森林は蘇り始め、その過程で多種多様な植生からの恵みで農業で自立する事が出来るようになっている、この手法は、日系ブラジル人によって、アマゾン全土に広められつつあり、ブラジルの原生林の現象の歯止めになり始めている。。

 と云うモノでした。

 このアグロフォレスティの基本のコンセプトは、間違いなく「自然との共生」です、というか、人間の生産活動の基本は、自然に無理強いしなくても善い様に自然のシステムの妙を学び、それに沿って人為を揮う事なのだと思います、同時に、生き物の生命活動の作用によって、この地球環境が保たれている、と言うガイアシステムの考えの敷衍でもあります。

 例えば、アマゾンの地味は、雨期に浸水、乾期に乾燥を繰り返す環境にある処から表土が5㎝の厚さしかなく痩せているが、偉大で広大な密林を保持してきた、其れを助けていたのは、数多くの種類の微生物や昆虫の働きである事からも判ります。

 亦、日本の農業が昔から寡品種大量栽培だけでやってきたワケではなかったし、再生する事を必須としたのは、大地を神様から「お借り」したダケと言う意識が有るからでしょう、期せずして、古来の日本の農業の常識とガイアシステムのコンセプトが会合したのを観た思いでした

 この自然システムを造り賜うたのは、遠く神の仕業であるのであれば、神の上におわすsomething greatこそが、その造物神に他ならないワケです、私は神はやはり自然そのもので有ろうと思いますから、日本の森羅万象宿神性は正しく、科学とは、自然の中に織り込まれた神の御技の解明をする為に、人類が神様に許されたモノだと解釈しております。

 神様は物言うモノではなく、唯、在りとして在るモノ=YHWH=ヤハウェ、エホバ、ヤーグェ、アッラー・・でなければ成らない筈です、神の正体を説き明かす必要はない一方、神が自然界に示した法則を説き明かすのは、人間の目先の功利に根ざした解釈などではなく、人類の研ぎ澄まされた叡智を集めた科学でなければならないと思います。

 ヒトの想像を超す遙かなモノ、畏れ多きモノ、心の奥底に言いしれぬ感動を及ぼすモノ、其れが神と言うのなら其れも神でしょう、しかし、全ては、造物主である神様を超えることはないし、その神が人間だけの為に在ると考えるのは剰りに愚かなことでしょう。

 我々は地球の一部に過ぎません、其れは我々の躰を構成する要素が、地球を構成する物質であることからも明かです、人間を含めた地上で生活する動物は、現在の地球環境様態以外で生存する事は出来ません、例えば酸素濃度が19%を切れば生命が危うくなりますし、逆に30%以上有っても危うい、と言う微妙なバランスの中で生かされていると言って良い状態です、しかも、地球の公転半径は1億5千万kmですが、その真円度は実に97%です(近日点と遠日点の差は500万km)、太陽系にはこんなにも真円度の高い軌道を持った惑星はありません、しかし、この真円度が1%、どちらかに歪に向かって振れると、地球上の生物の存在は保証できかねないのです、亦、地球はこの正確無比な運動を銀河中心の周りを約300万km/hで回転している太陽にピッタリくっついて離れずに行っているワケですが、その絆は、周辺の重力のバランスだけと言う情況です。

 是は確かに奇跡的ですが、では神の存在の証明になるかと言えば然に非ず、是くらいでは科学は妥協しません、但し、有現の世界では、有り得ない確率とは一体何分の一なのかと考える意味がありますが、宇宙=無限と考えて善いワケですから、現として有るモノは常に100%有ると考えて善いワケです、ですから宇宙人の存在も、異次元の存在も、神の存在も、その存在を示すモノが現世に有れば100%有るし、別のモノも100%有ると言って良いでしょう。

そういえば

何度も書き込み、すみません。
皆さんに教えて欲しいことがあります。

遥か昔、お付き合いしていた人が、拝み屋の先生のところに出入りしていました。
彼女は朝晩、般若心経を唱えて、月に2回ほど滝行にもいっていました。

昔のことで詳しく覚えていませんが、私の前世なるものも見てもらったらしく、
彼女と私はどちらかがもう一方に、殺された関係だったそうです。
その先生なる人の言うことには、今生で修行のために2人は結ばれる運命にあったそうです。

その時点で胡散臭いものを感じていましたが、その人に惚れていたので、集まりなるものに5千円(お布施?)もって参加したこともありました。
お経や滝行からてっきり仏教系の集まりだと思っていたら、その家の祭壇には鏡なども飾ってあって、頭が混乱しました。

そこでは年も性別もばらばらの15人ほどが集まっていました。
それぞれが職場や友人、家族について感じたことを話して、先生も交えて意見や助言などを交わしていました。
私は勝手もわからず、話されていることも特別有難いとは思わず、終始無言でした。

帰ってから、彼女から「発言が無かったけど、なにか感じたことは?」ときかれて「あそこで話されていたことは、大人ならばすべて自分で答えが出せるものばかりだった。だから特に言うことも無かった」と答えました。
その答えは落第だった様でした。

結局、関係もギクシャクとなり結局別れました.
あの先生の言った運命も現実にはなりませんでした。もし彼女が先生の所に出入りしていなければ、2人は結ばれていたでしょう。
別れた後、自分なりに催眠治療やソウルメイトなどが出てくる本なども読みました。「前世・輪廻」などには頷ける部分もありましたが、あの先生のように他人の前世を判断することの可能性と是非については同意できませんでした。

その後今の妻と出会い、私たちなりに幸せに暮らしています。
その彼女のことは時折思い出すこともありましたが、前世云々についてはほとんど忘れていました。こちらに書いたことで、思い出しました。
テレビでも人の前世を占ったり、故人の霊を呼び出したりする人が活躍していますが、私はどうしても彼らを肯定できません。

彼らは一体何者なんでしょうか?
こういう事は、私が父母の死に際して感じたように各々の胸のうちで、
あるいは家族の中で納得していれば良いことのように思います。

胡散臭さは拭えませんが、もし本物の霊能者が居たとしても、わざわざそれを伝えることに何の意味があるのかわかりません。
進むべき方向と心構えだけ、親や年配者が人生の先輩として示してくれるだけでは不十分でしょうか?
みなさんの考えをお聞かせください。



人生の意味

いつも感心しながら拝読いたしております。

私も概ね同感で、今の世の中、霊魂や魂といった日本独自の精神文化を否定し、物質主義に走ってしまった事が、そもそも迷走の原因だと思います。「人生は一度」というのはいかにも欧米の宗教的な価値観で、それは間違っています。

ただ、今回の文章でひとつ意見を異にする部分があります。それは私は必ずしも今世が「前世の借金」ではないと思う点です。貧しさも醜さも、すべて今回の人生で自分に課した課題でしかないと思うのです。この人生で課題に取り組みながら精一杯魂を精進させて、そしてまた来世に至る、私は荘思います。

何にせよ、私も、戦後否定される事から始まった、日本がかつて持っていたすばらしい精神文化をもう一度再考し直す事が、日本を立て直す最良の方法だと思います。

伊勢のお膝元に住む私から言わせていただくと、初詣で私的な「願い事」をしてる時点で、既に勘違いですね・・。

基礎的な読み取り力(リテラシー)のために

マックス・ウェーバーがこう書いています。
「神と世界についての形而上学的な観念が創り出すことのできたもののうち、運命と功績の不一致の根拠に関する問いに満足のいくような合理的な答えを与えうる、そうした思想体系の姿をとったものは、(中略)ただ三つの思想体系だけーであった。すなわち、インドの業(カルマン)の教説、ゾロアスター教の二元論、および、隠れたる神の預定説、この三つであった。」(ウェーバー「宗教社会学論集序論」邦訳「宗教社会学論選」みすず書房1972年10月25日p.48-49)
業の思想とはご存知の輪廻転生の思想で、これを主要な教説としたのがヒンドゥー教、そこからの脱出(解脱)の思想が仏教です。ゾロアスター教は善悪二元論、隠れたる神の預定説は特にルターやカルヴァンが説いた「ある人が救われているか救われていないかは隠れたる神が永遠の昔から決定されている」という選良の思想です。イスラム教はこの預定説は採用しておらず、カトリック教会は修道院での選良たちの功徳の蓄積を免罪符に変え、その販売によって一般庶民を救済する方法をとり、預定説を封印しました。
 人間の人生を考えると、やはり、この三つしか、この世の運命と功績、幸運と努力の関係をうまく説明する理論はないと思います。
 参考:小室直樹「日本人のための宗教原論」徳間書店2000年6月

「今後は添乗員を伴わない個人の旅行にも認めるべき」 中国人観光ビザ 要件緩和へ

観光庁は日本を訪れる外国人観光客を増やすため、今後増加が見込まれる中国人観光客に観光ビザを出す要件を一段と緩和する方向で関係省庁と調整 を進めることになりました。

去年発足した観光庁は、日本を訪れる海外からの観光客を、現在の2倍以上の 2000万人に増やすことを目標に掲げていますが、世界経済の悪化で外国人観光客が急速に減少しています。
このため観光庁は、外国人観光客を増やすに は、今後増加が見込まれる中国人観光客の受け入れを拡大する必要があるとして、観光ビザを出す要件を一段と緩和することを検討しています。
具体的には、 現在添乗員を伴う団体や家族での旅行に制限されている中国人への観光ビザの発行を、今後は添乗員を伴わない個人の旅行にも認めるべきだとしています。

一方、外国人観光客の受け入れ拡大にはマナーの悪さなどを理由に反対する 動きもあり、観光庁は関係省庁と調整を進めたうえで、ことし夏までに政府として の方針を決めたい考えです。

http://www3.nhk.or.jp/news/t10013337741000.html


もう、勘弁してくれよ・・・・。
商売やっている奴らの中のごく一部の守銭奴以外、誰もが中国人にだけは来て欲しくない、と思っているんだよ。
いい加減にしろよ!!

いよいよシナとの戦いが必要です

下記の記事を知り、あまりの日本の国防、主権、国益に関し、日本政府の無能を思い知らされた。田母神氏の国と国民を思う主張のほうが正論である。浜田防衛大臣の即刻の更迭をお願いしたい。

このままでは、自民党も与党の立場を失うでしょう。また中国側の合意違反に関しては、国際社会を巻き込み、即刻抗議だけでなく停止実力行動を起こすべきである。場合によっては、武力行使は致し方ない。これは現行の憲法でも他国による侵略行為である。

また韓国の竹島領有権問題も同様の措置がとられるべきである。日本政府は、日本の独立国としての主権、国益を守らないで、政局論争にあけくれている場合ではない。日米同盟もあてに出来ない情勢にある。即刻、対処せよ。

中国、合意破りガス田掘削 東シナ海の「樫」
1月4日2時43分配信 産経新聞


 東シナ海のガス田問題で、日中両政府が平成20年6月に共同開発で合意した直後、中国が継続協議の対象となり現状を維持すべき「樫(かし)(中国名・天外天)」で新たに掘削を行っていたことが3日、分かった。明確な合意違反で日本側は抗議したが、中国側は樫での掘削を終え、生産段階に入った可能性が高い。主権と権益確保に向け、日本政府が対処方針の見直しを迫られるのは必至だ。

キリスト教には輪廻転生思想が無い、と誤解されている方が
多いようですが、原始キリスト教には輪廻を示唆するものが
あります。

http://www35.atwiki.jp/kolia
国民が知らない反日の実態
http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/307.html
今何が起きている?

「国民が知らない反日の実態」は、
日本を滅亡させる反日勢力の陰謀や主張の矛盾点・捏造点を監視し、
国民が知るべき日本の真実・裏事情を不特定多数でまとめるwikiサイトです。
特に、マスコミが隠す情報の収集に力を入れています。

↑このサイトが皆さんの力を必要としています。
ぜひ協力してあげてください。

<以下コピペ>
現在当サイトが必要としている人々は、大きく分けて以下3つの役割担当者です。
(1)当サイトを編集する人たち ⇒ 編集の役割分担室 へ
(2)当サイトを周囲に広める人たち ⇒ 広報の役割分担室 へ
(3)当サイトの保全(メンテナンス)をする人たち ⇒ メンテの役割分担室 へ

特に必要としているのは編集する人たちです。
当サイトはwikiサイトであり、ほとんど全てのページを誰でも編集できます。
当サイトは役割分担を決めることによって、より効率的に編集・広報・メンテナンスを行えるようにしています。
また、役割担当を短期間に限定しているため、皆さんのお仕事・プライベートと両立できるようになっています。

太字の文

あけましておめでとうございます。
初めてコメントさせていただきます。
いつも、新鮮で地に足のついたお考えをお聞かせいただき感動しております。
私は年明けから読み始めた、ハリウッドの大女優シャーリー・マクレーンの神秘体験が書かれた「アウト・オン・ア・リム 愛さえも越えて」をきのう読み終わり、輪廻転生をはっきり確信したあと、いつも楽しみに拝見させていただいているこちらのブログを訪れ、その偶然に驚きました。
キリストも輪廻転生を説いていたのに、後世、ある思惑によって聖書からその言葉が削除されたそうです。

ごめんなさい、もう一回コメントさせてください。

私はただの平凡な日本人に過ぎず、だからこそ桜に象徴されるような“散りゆくものの美”を大切にして生きていきたいと願います。例えるなら神(自然)は桜の木、家族は桜の花、個人は花弁の一つに過ぎません。自らの意義など知り得ることもできず、時がくれば咲き、また時がくれば散るのみです。…ならばこそ、精一杯咲くまでの事ですし、散り行けば土に還り、桜の木の養分となるまでであり…それで十分だと個人的には考えています。

「花弁としての自らの存在が滅しても、桜の木が生き続ける限り自分もまた共にそこに在る。」そう考えるのも一つの道なら、「桜の木の生命の中で新たな花弁として甦る」と考えるのもまた一つの道です。管理人さんの述べる“輪廻転生”とは、そういう次元の話であって、どの養分、どの成分がどの程度新しい花弁に移管されるのか、それが“甦る”と定義できるのか、科学的な根拠を出せ、でなければ論ずるにも値しない…という類の話はチョット的外れな気もします。

思考する上で“科学”は多様な文化、価値観を有する様々な民族の共通フォーマットの一つです。ですから、私を含め人の根幹をなす存在としての“魂”を口にする者は、「脳への電気的な刺激等によって思考や人間性が変化してします」といった事象に対して、同様に科学の面から真摯に向き合い、説明しようとする姿勢を持つことも忘れてはなりません。

ですが、神や魂といった言葉を口にするもの全てが、科学的な知識を有さずに夢想や願望で生きている…そう思い込んでいる方がいるならば、それは考え直すべきだと思います。多くの人はそれらを十分理解した上で、先人達の文化や価値観をも大切に併せ持っているだけなのですから。

物理的、科学的に偏重した思考は、複雑に噛み合った剥き出しの“歯車”と同じです。対して文化や価値観を構成する根幹である民族信仰や宗教は“潤滑油”と言うべき存在です。互いに欠かすことのできない、重要なものであり、片方を排他すれば、残ったほうの存在価値もまた失われるでしょう。

こういったテーマを論ずるに至ると、必ず双方の見地から互いを非難し合う状況に陥ります。以前にも何かしらのケースで書いたと思いますが、自分に対してだけの責任を有し、自己の意思、思想に忠実に生きることのできる者と、自分以外の人間をも守る責任を有し、失敗が許されない者では、意見を構成する土台が根本的に異なります。

前者の考えは、徹底的に現実主義で生きざるを得ない後者にとって、絵空事のように映ることもあるかもしれません。逆に後者の考えは、前者にとって傲慢で、世界観の狭い、凝り固まった考えとして受け取られることもあります。

現在、この国でも法の線引きから内であれば“可”、僅かでも外であれば“否”であるとして、自己の正当性だけを強固に主張し、その線上で醜い争いをする風潮が見られるようになってきました。ですが、これまで日本人はその文化、価値観において、互いの善意からその線よりも自分の側に退き、そこに生まれる“思いやりの交わる領域”において物事を解決してきました。この文化は誇って良い物だと思います

大なり小なり管理人さんの書かれる記事の内容、大きな方向性に賛同して集った、この国の将来を真摯に思う皆さんですから、どうかもう少し相手を思いやり、互いのコメントへの理解を深めてみませんか。コメント欄で“論議”もおかしい話ですが、それが管理人さんの示す方へ向けて後押しする性質のものならばまだしも、内輪揉めと変わらない様相を呈してくると、少々寂しい気持ちになります。

一年の初めだったので、どうしても書いておきたく、先に長文のコメントを書きながら、また稚拙な文を重ねてコメント欄を汚してしまいました。どうかお許し下さい。

その通りです

 私は10歳のとき「リインカーネーション」と言う映画を見て衝撃をうけ、20歳のときに「カルマの法則」読んで確信に変わり、35歳のときにブライアン・L・ワイス著「前世療法」を読んで、人生は一回ではないことを広く世に知らしめないといけないと思いました。しかし私が力を入れて話せば話すほど相手が引いていくのが分かる。人生を生きながら一度も人生を考えたことがない、確実に死に近づいているのに死を考えない。今の日本人は宗教的なことを特に毛嫌いますね。

風雲急を告げる事態多発ですが、追加です。

「クーラン」の旋律は繊細かつ緻密で完璧です。」
「あれを人間が作るとしたら『コンピュータ』無しでは不可能でしょう。」
と小室直樹さんは書いていました。

「万有引力の研究」を一段落させたニュートンが晩年没頭したのが旧約聖書の暗号解読です。
結果は「間違い無く暗号なのだが、私には複雑過ぎて解けない。」でした。
当時、人類最高の知性です。
霊感とも言える桁外れの直感力を誇っていたであろう彼の言葉を「オカルト」でかたずけるのは、むしろ「知性への不遜」ではないかと思っています。

何にしても、今生は『日本人』です。
先人方に恥じぬ、『奇跡』を示さねばなりません。
速過ぎても、遅過ぎても、軽過ぎても、重過ぎてもいけません。
しかも、一発勝負です。
そんな芸当『日本人』しかできないのです。
『日本人』は、ある種の「覚悟」をしなければならないでしょう。

愛読者さまに同感

神社も仏教もキリスト教もいつの間にか私的のため御利益信仰のために変わってしまいました。日本も世界の人も純粋な祈りだったはずです。物や金、物質主義、エゴのためにと主従が変わり人間が落ちてしまったのでは。

やっぱ集りが多いですね

ブログやBBSが有名になるとかくも集りが多く集まるようになりますな。 以前、とある愛国系(今となっちゃ反吐がでる系統ですが)BBSも、管理人殿はそれなりに意思も強く知力も高く仁義が深かったが、あの常連どもの低俗愚劣な醜態には嫌気が差したものですね。 このブログのコメント欄でもその手の常連がたむろしている模様。 ここのブログはいろいろと参考になりますからなおさら危惧をこめて申し上げますが、これらの常連の悪態がこのブログの品位を著しく引き下げていますね。 ご愁傷様です ^^;

はじめまして

はじめてコメントいたします。このブログをいつも楽しみにしています。

さて、今回のテーマに関してですが、私は管理人さんとは異なった考えを持っています。
私の座右の銘は「全力投球」です。
「一度限りであり、やり直しのできない人生だからこそ、今日のこの日を悔いなきように生きる」のではないでしょうか。私は中学の時、(仏教学校だったからかも知れませんが)そのように学びました。

生まれてから少し前までずっと日本におり、見識が浅いからかも知れませんが、管理人さんのような考え方のような方は私の周りにはおらず、そのような考え方もあるんだということに少し驚きました。もちろん、私の考えが正しいということは決してなく、色々な考えがあって当然ですが。
またお茶をすこし嗜んでいる者としては「一期一会」という言葉も大切にしたいと考えています。
余談ですが、中学の宗教の時間で「人生やり直しできた方がいいな、と思う人」という問いを先生に投げかけられたことがあり、そのことを十年以上経った今でも覚えています。最初はクラスのほとんどが「やり直しできた方がいい」と手を挙げましたが、(かなり長くなるので省きますが)授業の中で色々考えさせられた結果、授業の最後での同じ質問ではクラスの誰一人として手を挙げる者はいませんでした。ゲームのように何度もリセットできたら緊張感がなくなりますしね。

以下、私が中高生時代に学んだ素敵だと思う言葉の中で、関連のあるものを3つあげさせていただきます。

私は 人生の旅路において
「今日」というこの道を再び通ることはない
二度と通らぬ「今日」というこの道
どうして ウカウカ通ってなろう
どうして 無意義に通ってなろう
二度と通れぬ「今日」というこの道

希望のない人生は淋しい
失敗ばかりの人生は悲しい
やり直しの出来ない人生だから
常に希望をもって前進しよう
失敗も生かす勇気をもって生きよう

限りある 生命(いのち)であればこそ
悔いなきように 燃やしつくそう
限りある 生命であればこそ
今日のめぐりあいを 大切にしよう
限りある 生命であればこそ
いのちの行方を みつめよう
限りある 生命であればこそ
限りなき いのちに うなずこう

長文失礼いたしました。
毎回、楽しみながら、また感心しながら拝読しております。
これからもたくさんのことを教えてくださいね。

千の風になって

頭の良い方ほど、早く結論を出そうとする傾向にあるようですね。

「輪廻転生」の記述に対し過剰反応されています。

御批判は自由であり、議論も大事ではありますが、

この機会に自分自身の人生を更に追究しましょう

宗教関連思想を教育するのは悪ではない

おのずと制限がありますが、宗教とは道徳教育に欠かせないツールです。社会秩序を作る為の知恵です。善人は輪廻転生で次の人生を謳歌できるでも、善人は死んで天国へ行くでも、なんでも構いません。倫理感の強い人なら宗教的な補助がなくても、社会秩序を守れますが、全ての人がそうではありません。

日本は仏教と神道の国ですから、輪廻転生の考え方を知識として伝えるのはまったく問題ありません。神様は人が見ていない行いでも常に見ている、と教えることにも問題はありません。特定の宗教、宗派への勧誘と取れるような行為は行ってはなりませんが、現世を清く生きれば来世で恵まれる、天国で恵まれる、という考え方は教えて害になることなどまったくありません。

左巻きの人たちには「宗教」も階級社会の道具なので破壊対象なのでしょうが、一般の多数派はそのように考えていません。「宗教」は道徳教育のツールとしてもっと気軽に取り入れられるべきでしょう。

「輪廻転生」と「人生は一回しかない」は相反するものなのだろうか?

皆様の「輪廻転生」と「人生は一回しかない」についての自分の考えについて述べられたコメント、敬服いたします。
自分も「日本は繰り返す、循環していくなかでの永遠を考える」などとたいそうな事書いてますがほとんど伊勢神宮の方の言葉です。
さて「輪廻転生」と「人生は一回しかない」について皆様の意見や自分であれからいろいろ考えてはみたのですが(あんまり宗教とか詳しくないし学がある方だとも思ってないので正しいかどうか分かりません)
この二つは相反するものなのでしょうか?
自分は「輪廻転生」について述べられたブログ主様の意見についてはほぼ同意します。

自分の考える「輪廻転生」は、一生を終え死んだあと魂は生まれ変わるがその時に前世の記憶や感情、情報はすべて無に帰しまた一から始まるものと考えています。
ですから、今ある生、自分とう個性?感情?は一回限りのもので「人生は一回しかない」と言うのはあながち間違いでは無いのかもしれないと思いました。
今回ブログ主様が見られましたテレビにおいてその先生が「人生は一回しかないから」と子供達に教えたあとどのような事を教えたのか分からないのが難しい所なのですが・・・
結局「輪廻転生」と「人生は一回しかない」を用いて人生?生き方等について教える場合、その教え手と受け取り手の性根というか資質と言いますかそう言うところが大きいのではないかと思います。

結局、正しい人生の生き方?は簡単には見つからないのではないのでしょうか。
それは命より大切なものを見つけられた人が本当の幸せを手に入れることができた人で、正しいことのために命を投げ出す事を惜しまない事なのか。
自分の道を見つけ自分はこの道を進むことによって自分の人生を意義あらしめ得る道を見つけることなのか。
人生一度限りと悔いの無いよう全力で生きる事なのか。
正直自分にはどれも正しいようにおもえます。
おそらく人生いろいろ考えグニャグニャ曲がりくねってそうしてるうちにその人にとって絶対譲ない一本の芯みたいなものが見えてくんじゃないでしょうか?
人生そう簡単に答えが出るようなら悟りが開ける・・・
は少し言い過ぎかもしれませんが簡単にはいかないものだと自分は考えます。

人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し

これは徳川家康の名言ですがこの「重き荷」が何なのか人それぞれ違うとは思いますがまずそれが何なのか見つけるだけでも前進?なのではと思います。

ただし、それはお金だったり、地位や名誉では無いと思います。
煩悩にとらわれた人間に待つのは滅びのみです・・・たぶん。
最後かなり横道に?それましたねすみません。

明けましておめでとうございます。
いつも拝読させていただいております。本ブログに出会えたことで、大変多くのことに気付かされ、感謝いたしております。本年もどうぞご無理のないようご更新いただければ幸いです。

この国がよい国になりますよう、皆様が素晴らしき一年を過ごせますよう
心からお祈り申し上げます。



輪廻転生はいやです。

私は 先に逝った人達と再会したいと思っています。
会えると信じて今を生きています。

だから、転生はしたくありません。


佐藤愛子さんの著作について

作家・佐藤愛子著「私からの遺言」を読んでかなりショックを受けた
経験があります。彼女はまだ生きてらっしゃいますが。
死後の世界など幻想の産物と思っていたのですが、どうやら
あるぞ・・・と。実際に証明のしようがないので、他人様に言うと
馬鹿だと思われるので黙ってますが。

いつも勉強させて頂いています。心と体の関係から考え、ダウジングなどの筋肉検査で100%毒物が区別できる技術で追求すると生まれてからの考えが一番多く影響していますが、物からの影響は、もちろん、前世からの影響もあり、特に未来からの影響も受けている場合があり、人間のふしぎさを考えさせられます。生まれ変わりのサイクルから卒業する人が約1%います。他人のために生きれる状態になるまでの修行の場と今のところ考えています。

趣旨を理解しては?

いつも楽しく拝見しています。
ブログ主様の発言に対し、だいぶ反響を呼んでいるようです。
私の知る限りでは、仏教の教えの根底にあるのは、
「六道輪廻」と「因果応報」であり、ブログ主様の発言は間違いではありません。
コメントを記載されている方は、
「一度きりの人生だから刹那的に生きる」のか
「生まれ変われるから今は何をしても良い」のか
それぞれの方の考え方があるように感じます。
しかしブログ主様が言いたかった事は、「ヒトの生き死にがどうの」と云う事より「どう生きるか」が大切であって、輪廻するのか否かは趣旨とは関係の無い事のように感じますが如何でしょうか?
その意味では、例えとして「因果応報」を使った方が理解が得られたのではないかと思います。
私は大日本帝国軍人ですので、神道であって仏教は信仰しておりませんが、この「因果応報」と云う考え方には激しく同意しています。
ですからブログ主様の発言にも同感です。
今のところ人間はその長短の違いは有るにせよ何れは確実に死ぬ存在です。だからこそ今をおもしろ可笑しく過ごそうと云う考え方になるのだとすれば、その様な御仁は朝鮮半島へでも移民して頂く事を願わざるを得ません。
結果至上主義ではなく、やはりプロセスも大事にしたいと思う今日この頃です。

中国・韓国に関するブログをいつも興味深く拝見させていただいています。

ただ今回のブログの内容は他にも同じようなコメントされていた方もいますがちょっとがっかりです。

人生が一回なのか輪廻があるのか…どのような価値観をもって人生を生きていくのか…それは個人個人の人生の中で「自分はこう信じる」と見つけていくもので、逆に学校の先生が今回のブログ主さんが言うようなことを子供たちに教えだしたら問題だと思いますよ。

>「どおいうことかといいますと、貧しい家に生まれた人、お金持ちの
家に生まれた人、あるいは美人に生まれた人、そうでない人など
いろいろな人がおります。その差はどうして出来たと思いますか」?
>「それは前の世で何をしたかによって今現在の差を作っています。」

これなどあえて皮肉に言わせて貰うと、日本人がいま非難されるのは第二次大戦で中国や韓国にあれだけひどいことをしたから当然だ!ということと一緒ですね。

人生一回にしろ輪廻はあるにしろ「このように考えるのが正しい」といい始めたら中・韓の「日本は絶対に悪い」と同じですよ。

教師の仕事は子供たちが出来る限りいろいろな角度から物を見ることを学びそして「自分で自分の納得のいく答えをみつける」ことをサポートする…ことだと思いますが。

エドガー・ケイシー

60年以上前に死んだアメリカ人
エドガー・ケイシーの伝記を読んで以来
輪廻転生を信じるようになりました

オウム真理教事件以後
輪廻や転生といった言葉を口にするだけで
カルト扱いされるようになりましたが

輪廻思想は源氏物語にも登場するぐらい
日本人の根源的な死生観に深くつながったもの
であると考えています


転生輪廻に関係なく『今生は一回きり』です。


>>日本人がいま非難されるのは第二次大戦で中国や韓国にあれだけひどいことをしたから当然だ!<<

仮に百歩譲って、このシナ・朝鮮の捏造歴史を肯定したとしたら…

『戦前、シナ・朝鮮が日本に酷い目にあったのは、
シナ・朝鮮が、前世で日本人にとてつもなく、
ヒドイ事をしてきたから』という結論に達します。

そして、シナ・朝鮮がその事で「復讐」を日本にしているのであれば、
その「復讐行為」は、また己の来世(未来)に帰って来るということですね。

堂々巡りです…。

転生輪廻があっても無くても、「人生が一回きり」しかない事は、確かではないでしょうか?例えば「山本太郎」という人生は、もう二度と繰り返すことはないのです。来世はどこの国に生まれ、どんな階層に育つのか?誰も分からないのです。そう思うと、誰も真似の出来ない、今生の人生をとても愛しく、大切に思えます。

八の字さんへ


確かに、霊能や占いを商売にして、人を騙してお金を稼ぐような輩もいますから、お気持ちはお察しいたします。

前世の事は知る必要がない人は、知る必要がないのだと思います。その人はその人のテーマ(課題)を持って、この世に“なすべきことを達成”する為に、生まれてきたのだと思うからです。

ただ人によっては、前世からの執着(強い思い)を背負い、それを解消することで「魂の成長」が得られるような人がいるのではないでしょうか?昔「ソウルメイト」という米国の精神科医、ワイス博士の著書を読んだ時に、そのようなことが書いてありました。

ある米国女性とメキシコ男性のお話ですが、その二人は、遠い前世でイスラエル時代は父娘の関係であり、その次は中世ヨーロッパで恋人同士であり、両親に引き裂かれた過去があり、またモンゴル時代には相思相愛の夫婦でありながら、侵略者の手によって無残にも引き裂かれた過去などがあり、いずれの前世も「幸福な家庭」を得ることが出来ずにいたのです。

そして今生でも、両者とも色々な困難や精神的苦痛を経て、やっとお互いの存在を見つけ出し、そして幸せな家庭を築けたようです。何代にもわたって不幸な人生を経験した魂であっただけに、今回の幸せな家庭生活は、暗闇から光を見出したような喜びだったと思います。

彼らは彼らなりに、闇の部分を経て、そして光を見出し、神への大きな感謝を知り、魂の大きな成長につながったのではないでしょうか?彼らの場合には、前世を知ることにより、今生のテーマが明確になったのではないか?と、私は思っています。

ですが…八の字さんの言うように、必要のない人には、必要がないと私も思います。必要が無いからこそ、今の人生を幸せに生きていられるのだと思いますし、その方とも自然に消滅したとも言えるのではないでしょうか?人間どうしても必要な運命の人ならば、必ずどこかでまた出会うのかもしれませんね。

今だけ霊的な拒否反応時代

昔は世界中が当たり前の話だったのが今だけ否定的なだけです。そういうの否定が正しいみたいな風潮は今だけであって何千年の歴史上からすると輪廻転生や霊界の話は当たり前なんです。

明けましておめでとう御座います。

ブログ主様、皆様、今年も良いコメントを楽しみにしてます。頑張って下さい。

***

さて、今年初めの記事は一気に政治と離れましたね、面白いです。いや、いつも面白いですけど。


経験上、ミンタなら「輪廻転生」も「一度の命」どちらもOKだと思ってます。ただミンタなら「何度も生まれ変わるとしても、いま、このミンタという人間の人生は一度きりしかないから、悪い事をせず大切に生きろ」と伝えるかもしれません。



余談ですがミンタ自身は神様はいらっしゃると思います。実はミンタは苛めに遭ってましたが、数年経ったいま、苛めの主犯は家が火事になり、お店も相当傾いてます。ほか手下みたいな2人も、一人はお店が火事になり、もう一人は借金を苦に自宅放火、以後警察のお世話になってます。本当に実話です(笑)。


神様は見ていると言いますが、この話を知ってから神様の存在を信じるようになりました。そして今現在、ミンタは凄く幸せですよ☆(勝ちました)

輪廻転生=宗教

ととらえてしまう私は、ダメですか?

今年になって
はじめてこちらのブログを読ませてもらいました。

知り合いの友人のお話です。
その女性には3人の子どもがいました。
一番上と一番下は重度の障害者(脳性まひ)だそうです。
唯一の健常者である真ん中の女の子は
「私が兄弟の病気を治すんだ」と
医療の道へ進みました。
ところが、ある日、自死してしまったそうです。

その女性は「私は、前世でよっぽど悪いことをしてきたのでしょうね。
そう思わないとやっていけない」とおしゃっていたそうです。

「どうして私ばかりがこんなに不幸な目に合うの??」と嘆いていたら
辛すぎて生きていけないのだろうと思いました。

この話を聞いてから、
私も辛いことがあると、
前世や現世で自分がしてきた事の結果であり、
自業自得なのだと思うようになりました。

人間観 神観 人生観

人間ってなんだ、神様はいるの、今度生まれ変わったら、などは素朴に日常使われる慣用句である。哲学、宗教、科学は、みえない世界にその根があり、それが生き方、生命を慈しむ思い、TV・PCがつくられる元になっ
ていると思っている。寺田寅彦博士の著作からの影響である。
 年の始めに「元の教えとはなんぞや?」と考え、「幸せとはなんぞや?」そして「善悪とは?」と考える。なんとすばらしい始まりであるか。
 政治ブログを読んで気になっていたのが、この投稿者の宗教観、人間観は何だろうということでした。
 釈迦は、非暴力非戦を説いて釈迦族は滅びた。同様に日本も支那に日本自治区とされ国家として滅びる。支那の墨家思想では非戦と隣人を愛せと説くも、防衛技術に秀でて大国に対する備えをしていた。専守防衛は主権国家として当然の主張とおもうからなのです。

 

人生が一回だから頑張れる。という方が私は好きですね。

生まれ変われるから、大丈夫というとらえ方もあれば
一回だから精一杯行きなさいというとらえ方もあるわけで、
自分の都合の良いようにとらえていけば良いと私は思います。

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