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心けがれて何ぞ袈裟をまとわん

私の母が非常に信仰心の厚い方でその影響で
一歳年上の姉がお寺に嫁ぎました、姉の3人の息子もお坊さんになりました、一人くらい世俗に居れば、少しくらいは世間が見えたものを、家族全員が袈裟をまとってしまいました。
若いころは、お坊さんというだけで尊敬もしましたし、お話もよく聞きました、しかし社会に出てサラリーマンを経験し、父の後をついで会社を経営して、いろんな苦労もしてみますと、お坊さんのお話があまりにも幼稚で、せめてお釈迦様の哲学一端でも話していただければ、死んだ母も勉強できたものを、

在家に生まれず寺院に生まれた方は、迷いや苦しみを体験せずしていつの間にか父の職業をついで袈裟をまとってしまう、

世間の目というものはつねにものの外側ばかりみています、袈裟をまとった姿を見て、「よいお坊さんになったと」ほめてくれる

法衣さえ着ていれば、年上であろうが地位が高かろうが、皆、頭を下げてくれる
そして生活の保障を受け、社会的地位が与えられる、

世俗の人間が生きていく事の多大な苦しみを知らず、世間知らずの講釈をたれても馬鹿にされるだけで聴いてくれるのは、女子供だけ、

「ただ、形さえ調えておればいいのだ.とりすましていれば食ってゆけるのだ」

内的訓練と修養を積まなくても、衣と、数珠と読経とだけでお坊さんになれる、

現代のお坊さんは、袈裟やお経をうらぎっている。

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コメント

最近発見してこのブログを読ませてもらいました。
とっても素敵なブログだと思っていたのですが、この記事が少し残念に思ったのでコメントしたいと、思います。
見られていないと思いますが。

私はウーマンリブでも何でもありません。宗教が時に見えないようにしてしまう事もあると思います。
ただ、
「世俗の人間が生きていく事の多大な苦しみを知らず、世間知らずの講釈をたれても馬鹿にされるだけで奇異tくれるのは、女子供だけ」
これに関してはちょっと疑問です。
女であろうと世間を見ている人はいますよ。
男、女といった枠組みでしか考えられないのはあまりにも古くさすぎるのではないでしょうか?

講釈をたれてすみません。もう見ていないと思いますが。ちょっと感じたので書かせていただきました。

ご注意

>↑にコメントされた方
 ドウモ、このスレはイレギュラーなモノの様です、ブログ主が継続しているスレは、青年よ「明日に向かって起て」の筈です、更新はしていないはずです、レスの仕方に問題があったモノと思われます、スレッドのコメントは、ブログ主のモノではないと思われます。

この記事が投稿された期日をご覧になればお分かりだと思いますが、これは極々初期のエントリーです。多分「日記」という感覚が強い時代。
多くの人たちに読まれることより、忘備録あるいは自己表現のひとつとして書かれたものでなかったかと思います。

昔は「女子供」とか「女の腐ったような」という表現が確かに市民権を得ていました。これは見識や判断力の低いものたちを言い表す言葉として、当時もっとも「伝わりやすい」言葉だったのです。

管理人さんがその言葉を使ったことは、今の世相においてはある意味ミスには違いないのですが、もともと言葉のプロではない管理人さんが思いを「伝える」ために使ったものであり、ご本人の中では男女の差というファクターは極小であったというふうに考えてはいただけませんでしょうか?

天才俳優・勝新太郎演じる「座頭市シリーズ」は「めくら」という台詞が多用されているため現在はまったく放映されません。ブルースリーをはじめ、世界中の映画関係者が驚嘆し学んだ日本の文化のひとつが、そういう理由で日本国内では封殺されました。

今の時代にはご法度でも、あの時代にはごく一般的に、差別用語という意識もなく受け入れられていた言葉のせいで、「事後法」によって裁かれたのです。こういうケースは枚挙にいとまがありません。

私自身はわりと「ズルい」書き方をします。
後ろ指をさされにくい語彙を使い、論理には常に逃げ道を設定しています。「そんなことは仕事人なら、アシスタントの女の子でさえ知っている」などというセリフを吐くことはもう二度とないでしょう。

そういう言わば問題回避のテクニックを幾重にも駆使することなく、まっすぐ、正直な書き込みをされることが、多くの人々が管理人さんを支持する所以でもあります。それがある程度のところまで許されるのがブログであり、狭く深く切り込んでいけることこそが、マスメディアと根本的に違う部分であろうと思います。

以上、私の個人的感想です。
長文失礼しました。

リッキー さんへ

いつもありがとうございます。
こういうときにこそ、隅々まで眼を通されているんですね。

なによりも「神仏のこと」ではない・・「神仏のお心」を
大切にされていた、ブログ主さん。
カリスマ性は、そんなところからも
表れていらしたのではないでしょうか?

お忙しい中で、静寂を持って、
こころ揺れずに、もくもくと記事を書く・・・。

(袈裟)肩書きではない、人気でもない、
間違った政治家のように、自分が自分がと、
天狗になってもいけない。

「謙虚さのなか」で、いつも大切なことを、
伝えてくださるから、癒されました。
いろいろな国や、政治家を反面教師にも見立て
とても御苦労されたことでしょう。
その心をお判りになる方はいかほどか。。

日々の記事の更新の中で、伝えようとされた、
「囚われない真実の神仏のお心」
・・・そこに答えもあると、思っております。

感動致しました

ナナシさん、この記事を、教えてくださって、
本当に、ありがとうございました。
おかげ様で、今になってブログ主さんの、
奥深い所の、御心を知ることが出来ました。

それは最近まで、自分の心が迷いの中
ずっと思っていたこと、と繋がり、
より御心を感じ取ることが出来ました。
答えにさらに確信を持ちました。
感謝いたします・・・・・

たまさん、

わざわざお言葉をいただき恐縮です。
実は私にも似たような経験がありまして。

海外に住んでいると日本語がヤバくなってきます。
香港に住んだり、欧米人の客とばかり接していたりすると、文章を考えるとき日本語より先に英単語が浮かんでくることがあるのです。
最近は中国語も時々出てきます。

で、それを正しい日本語はなんだっけ、とやっていると、もともと書きたかったことを忘れてしまうのです。何か良いフレーズを思いついていたはずなのに、思い出せない。非常にくやしいです。

それで、日本でも外来語としてある程度浸透している言葉ならカタカナ表記でそのまま使っちゃおう、と。それで「お前の文章はキザだ」と言われたことがあります。本人としては切羽詰まって使った表現なのですが。

最近のエントリーで日本は先の戦争で「侵略」したのか?という言葉の指摘もありましたね。兵力その他によってその地域をコントロールした、という共通集合的な部分を読み取って、エントリーそのものの主旨のみを吟味することは、管理人さんの「ひととなり」を信頼しておればできることだと思うのです。

我々言葉のプロでないものが、しかし書きたいことが心にいっぱい詰まっているとき、雪崩のように前へ前へ進ませようとする文章の細部に配慮が足りないことは往々にして起きることでしょう。もう、その時点で、文章にすることすらもどかしく感じているはずなのです。

「もともと文章が苦手で」と何度も仰っている管理人さんが、それでも書き進まざるを得ない強い思い。今までも、これからも、それを読ませていただこうと思っています。

リッキーさんへ

御丁寧にお返事、頂きましてありがとうございます。
大切なことを言葉にするのが、涙が出るほどモドカシイ想いって沢山あります。

そんな想いを、上手くたとえ話などで、言葉にできる方は、最高の才能だと思います。
想いは、全ての方に受け入れていただけるわけではありませんが、
似たような、感性の方同士の心に繋がった時、または対極の考えを持っていらしても
理解していただけた時など、感動で、胸がいっぱいになります。

「心がつながる」ということを、「集団の心理で力を増す日本」は
人とのきずなを大切にしてきた・・・。
敗戦後、そのような思想や性格は、危険とされ「ある方針」によって、
ばらばらの「個」にされてしまい、今のように、日本に
不安や、孤独が蔓延しているのではないでしょうか。

集団の集合想念は、良くも悪くも、世の中に対しての影響力はあります。
不安をあおる「猜疑心の塊マスコミ」の流す、暗く、絶望t的な言葉に
負けないような、想いと言葉さがしてます。

何が間違って、正しいとはどの道か、反省し、現実をしっかり見つめ、
みんなの意識で、世の中は変えていけると思います。
否定的ではない、打ち勝つような強い、思いと言葉を出し続けることだと思います。
迷いの中にある、日本の現実を変えて生きたいです。

日本人が知るべき、日本的な精神

 トテモ、善いお話を読ませていただきました、有り難う御座います。

たまさんの
>>迷いの中にある、日本の現実を変えて生きたいです
 と言うご意見を読んで、その現実を変えて行くのは、やはり教育なのだろうと考えた次第です。

 ねず吉さん処で、「日本は、庶民の文化の国」と言う主張を看ましたが、其の通りだと思います。

 我々が維持してきた社会では、江戸時代から庶民掃を含めた識字率90%であったから、都市部では庶民が李白・杜甫と言ったシナの古詩をそらんじ、自ら川柳を作って興じ、絵草紙と言う読み物が庶民間で売れ、浮世絵、音曲、歌舞伎と言った催しモノが、庶民間で展開され、興行として成功していたし、新聞に至っては、瓦版が17世紀中葉からあった。

 亦、和算にあっては、大店の商家では女性が当たり前のように会計・簿記をこなして居たし、種々の建造・建築物は千年以上の歴史を持っています、檜垣回船には、海上保険の原形に当たる「講」さえあったし、江戸・上方には、札差しと呼ばれる株屋まであった。

 この傾向は、各藩の主たる都市間で、産物交流、交易にを通じて、日本中に広がって行きました、故に、日本中何処ででも、向学の心を称揚した、安寧秩序の維持こそ、社会の繁栄への途である事が確認されて、大義のない争いは、終わりのない奪い合い=無間地獄であると言う仏教的認識を共有できた為に、為政者=公儀は、国利民福を目指すべき、と言うコンセンサスが形成された。

 日本は、歴史的に、世界で他に例を看ない高度な庶民文化を発信源・主体として居るのにも関わらず、民主主義ダケではなく、公を重んじる社会だと云えましょう。

 現代の我々が喪っている心とは、仏教に云う利他愛の心、奉公の心でしょう、是は、学問や学識ではなく、学歴を価値有るモノとして称揚し、競争心にかまけて、私を公に優先する迄に惰してしまった。

 日本社会に措いては、万葉集にさえ、防人や遊女の歌が看られる事から、早い時期から、教育の基本である「読み書き算盤」は、庶民の身過ぎ、世過ぎの手段でしかなかった、庶民にとって、読み書き算盤は、プラグマティズムで括れる範囲のモノだった、其れは意までも剰り変わっていない。

 学歴とは、傑出した学問や学識の持ち主証明ですが、エリートのクオリティとされたのは明治以降で、知行俸禄を喪って没落する武士階級の救済に一役買いました、彼らは学歴を武器に、官僚となって利己的な役人有利の制度を次々と造っています、亦、貧民・賤民の子でも、刻苦勉励して学歴を身につければ、国の大事を担える人物になれる、と言う「ジャパニーズドリーム」の原点でもあります。

 しかし、戦後も間違いなく日本を誤らせ続けているのは、こういう「学問」エリート偏重制度です、しかし、庶民がこの制度を、ジャパニーズドリームの原点として支持している限り、大きく改まる事はないでしょう、幾ら批判しても、東大、京大出と言えば、尊重しますからね、しかし、この先も同じとは限りませんがね。

 日本文化の真骨頂は、その強烈な消化力に有ります、消化力とは、異文化をかみ砕き分解して吸収して、本質を我がモノとする、つまり、本来の自分を復活させる上で、それら吸収した本質から、日本流に再生した新たな要素を身につけると言う事です、日本人は影響されることはあっても、決して、征服されては来なかった。

 例えば、戦後の漫画の興隆から、TVの普及に伴った外来文化であるアニメ-ションの商業的成功に繋がり、日本でのアニメーションの進化を促して、逆に、日本文化の多種多様な土壌を素に、高いイマジネーションやオリジナリティを世界に発信出来る様になっています、今や、ディズニーキャラクターを除く、世界のアイドル、ヒーローステータスの殆どが日本発です。

 是等の現象の原動力となる、本質を見抜く目や、現状に併せて調整する力は、社会に脈々と受け継がれてきた、一種のアラヤ識が育んだモノと云えましょう、其れは、たまさんやリッキーさんの様に、日本精神の原点に還って、日本文化を見直す処から始めるべきなのだと思います、而るに、そう言う目を持つ事に共感できる日本人は数多くいると信じております。

 ダカラ、私は、日本は大丈夫だと確信して居る次第です。

たまたまこのサイトを読んで

李登輝前台湾総統が、書いている「李登輝の会」の中の記述。

http://www.ritouki.jp/lecture2006september.html

戦前の日本の教育を受けた方から、改めて日本人の原点を教えられる
想いがいたしました。日本人はかくあるべきとの警鐘にも感じられます。
現在、日本におきている、社会道徳、価値観の荒廃は、恥ずべき事です。

改めて思う、支那、韓国、朝鮮人による日本社会の汚染は、断じて許せない。

ナポレオン・ソロ 様

詳しく、有難う御座いました。
知らない部分などたくさん教えていただけました
日本は、古来より上手く、周辺国の人とは付き合っていたはずです。
日本の庶民文化の陰で、日本人が好まない様な仕事でも、
(遺体埋葬、動物の解体、汚物収集など)
進んで引き受け、彼らを重宝した時代もあったようですね。
それは彼らがそうしたいと申し出たからで、奴隷のように
こき使ったということでもない・・。

人には適材適所がある。そろそろ日本人は誇りを取り戻す時期ですね。
本来の立場に就くというか・・・
日本は、「また鎖国でもしたほうがいい」、というまでに周辺国に
脅かされていますが、大体反日勢力党が、日本を牛耳ろうとしていることを、
許すようなことまでになったのも、気のゆるみからきたものでしょう。
気がゆるんでは、すぐに又窮地に陥ります。日韓野球なども、偶然と言うには
喜びも、つかぬまの結果でした。日本人の欠点でしょうか。

それに中韓の挑発にいちいち乗っては、心が荒されるだけです。
挑発などを、向こうの国からあおっている、反日勢力は、
「なかった」慰安婦問題を、「ある」といい、
学校教育では、「あった」いじめの問題を「なかった」という・・・

日本人は本来の自信を取り戻し、多少のことで暗くなったり
ムカついたりと、いちいち「心」は揺らされないことは大事ですね。

やはり反日勢力の影響を受けている、学校教育も、
現実起きている現象に、蓋をして「なかった」ことにしていた件ですが・・

今の日本の教育と言うのは、学校側も保護者側も、波風を立てないで
とにかく無事に卒業できればいい。と言うことなのでしょうか(政治も同じようですが)
いじめを受けたという言葉を、発してももみ消され、行き所のない幼い子供の
心は次々に、自殺という誤まった逃げ道を、選んでしまいました。

最近は場所が、メールでのいじめに変わって、いまだに続いています。
世の中を変えようと、ちょっと意見を言っても、押しつぶされて中々変わりません。

でも、熱く燃えた大和魂や誇りを持つ人の信念は、何人もの人の
気持ちを動かすのだと思います。
捨て身の命がけの人ほど、その思いの影響力はあるのでしょう。
多くの人を正しく導いた人ほど偉人として尊敬され、間違えて導いたら
その責任分、地獄の最深部まで落ちるでしょう^^。

過去の世を変えた偉人の生涯も、のんきな平凡な日々は、おそらくなかったことでしょう。
ネットでのナポレオン・ソロ さんはじめ、皆様の、多くの国民の日本の未来を案じ、
良くしたいという熱い思いは、勇気の行動となって、きっときっと成就すると思います。


↓参考  
いじめ隠しから、立ち上がったブログ、行動する団体へと変わった。

http://mamoro.blog86.fc2.com/blog-entry-98.html#comment_list

 ・・・果たして日本の教育現場ではどうだろうか。
いじめが存在することを認めない、もみ消すことに
専念する学校や教育委員会の姿。
そんな状況下でいじめは助長されてきた。・・・・

>追加.
  わたし的には、イリヤ・クリアキンもいいです
^^

コアを持つということ

彫刻の達人であった運慶は、
「私は木を彫って仏像を造っているのではない。木の中に埋まっている仏様を取り出しているだけだ。」と語ったと伝えられています。

私のようなものでも似たような体験があります。
小学校の図工の時間。大好きだった怪獣を粘土細工で作りました。
作業を始める前から、私には出来上がりの怪獣の姿が見えていました。
手で作業するのがもどかしかった。
怪獣の姿が見えているうちに、一気に完成させたかった。

全体像が見えておれば、頭の次に足、そのあと背中というふうに飛び飛びに作業しても結果はかわらない。
未熟な者が頭の次は首、その次に胸、とつながりのなかで作業した揚句全体のバランスを見失うのを尻目に、運慶は他人が見ても何を彫っているのかわからないような作業手順でも寸分の狂いもなく作品を仕上げたのではないかとそ想像します。

コアを持っていた。信念と言ってもいいでしょう。
「内容」のある人間かどうか。
文章も同じです。指を動かして文字にするのがもどかしい。思考は遥か先を走っている。

サヨク工作員や中韓人の多くを見れば、彼らの内容のなさに唖然とするばかりです。自分自身の中身が空っぽだから、他人の揚げ足取りや言葉尻の論争しかできない。それが議論だと思っている。
彼らの特徴のひとつに、グループの一員であること、多数派を気どることが挙げられます。臆病者たち。空虚な人間の悲哀です。

日本人として生まれ育ったことを感謝ぜずにはいられません。
海外で暮らせばすぐにわかります。
車もコンピュターも服装も、先進国では外見上どこも似たようなものです。
お前は我々とどこが違うのか?と問われる局面が必ずあります。
日本では同化することが尊ばれますが、欧米は違いを強調する文化ですから。

その時、最後に残るのが母国の伝統文化です。
胸を張って誇れる(そして実際海外でも高く評価されている)伝統文化を保有する日本。一般庶民にまで等しく「内容」を分け与えてくれる奇跡の社会をなんとしても守っていきたいと思います。



虐め考

>たまさん
 いじめの問題は、日本人の社会にとって大きな解決すべき命題ですね。

 均質社会は平等社会に至る一番の近道なのですが、其れを達成する時に、集団が一種のクォリファイを個人に試す場合があります、ナニカに秀でた人間が、他方で何かに大きく欠けた処を持っている事は、屡々看られる現象です、人は何かを身につけるのに時間を要しますが、その時間の流れは、万人に平等です、つまり、その時間をナニカに集中する、或いは、させられると、成長過程で、歪な状態を持つ事態が出来します。

 人は、異物に敏感に反応するモノですが、その集団が持つ価値観の種類が多様に至らない場合、異物と判定したモノを排除する行動が顕れて終う、是を「虐め」と云うのではないかと思うのです。

 是を防止するには、集団の価値観をもっと寛く多様にする事が必要ですが、家庭も学校も通底するのは勉学一辺倒に形勝ちです、子供達の場合は成長によって、年々歳々の個人の変化が大きく、構い過ぎる家庭と、構う余裕が不足して、個人ベースで把握出来ない学校とのギャップが有る中、個人への無理解や、個人の表現力不足を原因に、事故が起こっている様に感じます。

 それに、何より「弱いモノイジメを恥とする」義の心の教育が、親の世代に行われてこなかった事が大きな要因でしょう、何かを護るには戦うしかないのですが、戦うにはルールがあります、しかし、戦う前から戦いそのものを暴力と括ってしまって、悪とすれば、ルールは学べないままになります、ルールとは相手の痛みを知って加減をする、数を恃んで利己主義を押しつけない、有利に立ったからと云って限度を弁える、事なのですから。

 表現に瑕疵があるかも知れませんが、ケンカの現場を判っていない、「女子供の正義」と云う他はない、教育の現場から制裁や体罰を纏めて悪と決め付けて、議論を停止したまま捨ててしまった事の悪影響が出てきたように思います、いたずらな平和主義は却って残酷な結果を招くのです。

 教育のやり直しを何処かで始めなければならないと私は思います。

>リッキーさん、
日々心で思い考え抜いたことなどを、口に、出すのも、もどかしいくらいの時、
・・たぶん口にしても伝わらないし・・・判っては貰えないだろうと諦めたりって事
あります。顔も見えない、声も聞こえないネットの言葉では、なおさらです。

その中で意思を伝えていくわけですから、言葉は慎重に選びたいです。
私は書き込みに、時間がかかるので、答えに時間をかけられることだけは、
救いですが・・・
否定的なことや、悪愚痴は、多くの人の心まで、気分を重く暗くします。
ネットはゴミ箱じゃあ、いけないと思うのです。タダでさえ、気分の悪くなるような
誹謗中傷が飛び交う世界です。
だからネットは見ないと言う人は、ほんとに多いです。

そんな中で此処のブログは、光り輝いて見えました。見つけたときは嬉しかったです。
しかし、ランキングが上がるにつれ、沢山の人の気持ちが入ってきて、最初の
ブログ主様の想いとは賭け離れていった部分も、あったのではないでしょうか?
何万と云う、大勢の人が聞いてる会場で、「マイク」をもって話す勇気はないけども、
コメントってそういうことですよね。高速道路に入って緊張しハンドルを握るような・・・。
一経営者でもあったブログ主様に、何かお仕事にまで圧力はなかったんだろうか
・・・などと心配になって考えていました・・・。

此処を開いて、気持ちの重かった人の心が柔らかくなる・・そんなブログだったデス。
今此処に書き込んでおられる方の文章は、最初の頃の此処の柱であったブログ主様の
お考えに近いような気がします。お蔭様で私も、張詰めた感覚がなくなり、
今は結構リラックスして、書き込んでいます。
このほうが気どらずに、本来の自然な心の想いが出せる気がします。

>ナポレオ ン・ソロさん、いじめ社会の日本ですから、子供のいじめは、
歪んだ大人社会の縮図ですね。立場の正しいものでも、いじめられ何もいえない。
政治もそうですが・・・・
ただ、教師もこどもに脅されて、いじめられていると言ったり、

聖職者の威厳のようなものが欠如してるのでしょうか。
日本が韓国の悪口を言い返すというのも、
(韓国の反日は中国共産党)子供がつばを飛ばしてきているようなこと・・に対して
(同じ土俵)に乗らないようにする事は大事でしょう。悪口を一緒に為って言っていれば、
同じ仲間になってきます。相手しているうちに、同じような汚れた心に染っていくのです。
悪口を”言っている人の信用”を、その時点で落とします。因果応報で
その言っている行為は、やがて自分にも返ってくるのですが、さらに
信用を、失くしたとしても、誰も手を貸してはくれないでしょう。

いわれる筋合いにない麻生総理はまともに相手にしなかった
こんなにはっきりと、小沢さんが見本を示してくださるとは思いませんでしたね。

以前、知人の話で、取引先の取締役たちの集いでお酒が入り、つい韓国人の
悪口になった。散々、ずるいだの、騙すだの、言いたいこと話してから、生まれが、
どこか?と言う話になり、言葉少なかった、リーダー格の取締役が、「韓国」です・・
そのとたん、みんな押し黙ってしまったそう。そのくらい身近にとても多いのです。
いつ全てを、壊してしまうかもしれない、無責任な批判は御注意。
普段、話し、考えていることは、ぽろっと口に出るものです。
信用という、苦労して長年作ってきたものが、一瞬にして壊れてしまうものです。

ただし抗議活動などは、嫌いとかでやっているわけじゃない。
愛に裏打ちされた言葉を発する。そういうことこそ、努力して相手の心に届く言葉だと思いました
話がそれたかもしれませんが、よい機会でしたので書きました。

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