四川大地震の支援で日本に好感を持つ人が84%に上昇した。
しかし人民解放軍などの反応は「日本隊は早く帰れ」と口走り
被災民と異なり、反応は不快感を示した。(産経新聞)
ここで人民解放軍について少しお勉強をしましょう。
日本人の最大の誤解は、人民解放軍を国軍であると思って
しまったことです。
人民解放軍は国家の軍でなく党の軍である。
もともとは政権打倒を目標とする民間の武装組織である。
ただし外国との関係においては中華人民共和国の国軍として
扱われている。
国務院(狭義の意味での中国政府)の国防部は人民解放軍に対する
指揮権を持っていない。
だから党主席の立場では軍を完全に掌握するのは難しい、
そのために、歴代の最高指導者は軍事委員会主席を兼任している。
人民解放軍は地域別の七つの軍区に分かれている。
瀋陽軍、北京軍、蘭州軍,済南軍、南京軍、広州軍,成都軍、
軍区司令官は所属の陸軍、海軍、空軍、の指揮権を有している。
厳密にはあくまで共産党の軍隊であり中国の軍隊ではない。
この簡単な説明では意味がまるで把握できないと思いますが。
何故、中国政府は軍を完全に掌握できないかといいますと、軍隊は
各軍管区ごとに独立採算制で運営されており、軍を維持するために
物資等の調達に要する費用などを独自に調達しています。
そのために軍は各種の事業を行って資金を調達しなければなりません。
だから国有企業の多くが軍と直結しています。
人民解放軍の傘下には,軍需産業にほかに情報通信、繊維、ホテル、
その他のさまざまな業種があり利益を吸い上げています。
まさに経済力を持った大商社のような軍隊なのです。
このような商社軍隊が七地域に分かれて実質的に中国を支配して
います。
だから経済的に自立している軍隊だから中国政府は軍を100%
コントロールできないのです。
日本の政治家はここをしっかり理解しておかないと中国は見えません。
ここで私の経験を述べてみます。
1993年山東省の威海に地元の中国国営企業と組んで
契約式合弁企業を立ち上げました。以前ブログにも書いたように、
いつでも逃げ出せることが出来るように、あえて法人格を持たない
合弁工場を作りました。
威海は中国山東半島の東北部にあり、海を目の前にした風光明媚な
ところです。青島空港から車で5時間,煙台空港へは2時間あまりの
ところにあります。
半年ほど経ち工場も順調よく軌道に乗った頃、威海工場に出張。
煙台空港に工場長が迎えに来てくれました、工場長の隣に40歳前後の
大柄な目つきの鋭い人が立っています。いきなりその人が工場長を
差し置いて私に握手を求めました。
隣の工場長の卑屈な笑みが気になりましたが、そのまま迎えの車に
乗りました。乗った車がピカピカのベンツです。
私が後ろの席に座り、工場長が助手席、その男がハンドルを握り
ました、なんだ、運転手か、と思った。
なぜかといえば中国では車の運転は必ずそれ専門の運転手が
おります。当時は一般的には誰でも運転はしません、運転手という職業が
確立されています。
ところが夜の宴会でその運転手が私の隣の席に座ったのです。
丸テーブルでも必ず日本と同じで上席があります、いつものパターン
では私の左右には国営企業のトップである総経理と工場長が座ります。
今回は私の左右に運転手と総経理が座り、その他見知らぬ人たちが
テーブルを囲んで座っています。工場長以外顔見知りがまったく
おりません。通訳もいつもの人ではありません。
直感的に全てを理解しました、今日はうかつなことは喋っては
いけない、末席にいる工場長が不安げな顔で私を見ながら目で
合図を送っています。
翌日、工場長の説明で全て分かりました、その運転手は山東省の
人民武装警察のNO2の人だったのです。人民武装警察とは解放軍
部隊を国内治安維持に転用したもので、戦時には人民解放軍の
指揮下に入る。早く言えば彼は人民解放軍の軍人なのです。
それでは彼が何故高価なベンツを持てるか、彼は韓国との密貿易専門
のボスだったのです。
中国地図を広げてください、山東省の威海と韓国は湾を挟んでごく近く
に位置しています。
人民解放軍の美味しいビジネスです。彼は公安警察の上の地位の人です
彼を咎める人など中国には誰もおりません。
その後の出張では必ず日本の高価なお土産を持って行ったのは
当然の成り行きです。
人民解放軍には他国の軍隊には見られない「国家などの公的予算に
頼らず軍が自分で自分の食料や装備を調達する」という独特のシステム
が機能しています。
中央政府はこのままの状態ではいつ銃口が自分達に向けられるか
分からないという不安から、1998年に人民解放軍の商業活動を
禁止した。
しかしいったん経済的うまみを知ってしまった軍は簡単に止めるはずが
ない、今でもしっかり各企業と人民解放軍はつながっています。
