私は学者ではないので、あくまでビジネスマンの観点から
中国人を分析してみます。
1992年天安門事件後に中国に進出しました、それまでは商社を
通じて中国と取引していましたが、天安門事件後一時的に商社が
手を引いたために、仕方なしに独自で中国貿易をする羽目になって
しまいました。
取引工場を見つけるために1991年に広州交易会(輸出商品交易会)
に出かけて自社製品が出来そうな商品が展示されているブースを
探して名刺交換をしました。
後日その内の一軒に訪問することになりました.そこは河南省の
鄭州で今にも落ちそうなおんぼろ飛行機で上海から乗り換えて三時間
かけて行きました。。
迎えの車で現地に到着、翌朝、工場を視察、その巨大さ広さに圧倒
されてしまいました。その国営企業は甲子園球場の5倍、
いや10倍、正直言って分からないほど広い。
その工場敷地内に学校、病院、住宅、畑、まである。彼らの話によると
この塀の中で全て自給自足できるらしい。
すなわち村の中に工場があるのでなく工場の中に村がある,この感覚
は日本人ではイメージできない。
彼らはこの塀の中で生まれ、育ち、そして死んでいく。
共産主義体制になって共産党幹部がこの工場を支配始め、国営に
なったが、彼らからすれば単に権力者が変わっただけで、中国人と
いう意識も国家という概念も、もともと持っていなかった。
ここから本題に入っていきます。
それでは国家とはいったいなんでしょうか、日本に生まれた
おかげでこの当たり前のことを考えもしなかった。それでは日本が
日本人であることを意識したのはいったい、いつだったのでしょうか、
その前にそれでは中国人が中国を意識し、国家という概念を
持ったのはいつからでしょうか?
漢民族が先祖と仰いでいる黄帝以来4千年間、中国は常に変わらぬ
姿で存在し、異民族も呑み込んでも変わらぬ姿を保ってきた。
だから世界の中でも最も誇り高い歴史と文化を持つ民族である。
という中華思想を世界に宣伝してきた。
日本人のほとんどは、この宣伝の呪縛にかかってしまった。
つまり中国人は少々周辺の民族と混ざり合っても、純粋な漢民族
であると、勘違いしてしまった。
しかし中国には公式に認定しているだけでも民族は55を数え
上海人は上海語を話し、広東人は広東語を話す。
すなわち中国には同じ言語と同じ歴史を共有する国民と言うものが
存在していない。
日本人は誰でも少しは論語や漢詩の名句は知っている、私も論語や
漢詩、学校で習った漢文で中国人のイメージを膨らまして、中国に
行った。
しかしそこで出会った中国人は油断も隙もならない倫理感欠乏の
連中ばかりだった。
今まで「史記」や『三国志』に登場するような信義や礼に篤い
中国人に会ったことはない。
日本人の最大の誤解はいまの中国語と漢文は同じと思っているが
全く関係がない。中国人にとって漢文とは音声で聞いても
目で読んでも意味不明なのです。
漢文は中国語の古語なのではない、中国人にとって漢文とは
外国語同然なのです。
信じられないでしょう、私も最初は全く信じられなかった。
多民族国家中国を最初に統一した始皇帝の最大の悩みは言語の壁
であった。巨大な帝國を支配する共通の言葉がなかった。
しかし教養のある儒家集団だけはどこの出身地であろうと意思の
疎通ができ手紙のやり取りが出来た。
そこで始皇帝は支配に必要な文書類に用いる書き言葉だけに
彼らを利用した。
そこで諸国は競って儒家を雇い入れた、その中に孔子もいた。
日本人は一部の儒家たちが書いた漢文を読むことによって中国人を
理解したつもりになっていた。漢文の記録には一般庶民は全く
関係がなかった。
中国人たちは近代になるまで自分達が話している言葉を書き表す
文字がなかった。
日本人はシナ文化も中国人の本質も全て勘違いしてしまった。
だから儒教の本などいくら読んでも分かるはずがない。
この続きは来週の月曜日に書きます。
今日は「ほとんどの中国人にとって漢文は理解不可能である」と
いうことだけ覚えておいてください。
