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愛について(仏教哲学)

2007年も残り少なくなってきました。

ブログを始めて早一年が経ってしまいました。最初は旅行記の思い出を
書いていくつもりが、いつの間にか政治や経済のブログになってしまい
ました。

今年は政治も経済も激動の年だったために、日ごろ思っていることを
つい書いてしまうはめになってしまいました。
時々過激な文章になって、お見苦しかった事と思います。

今日は政治経済を離れて心静かに愛について語りたいと思います(笑い)

日本にはキリスト教信者は200万人しかおりませんが、戦後西洋映画や
文化の影響でキリスト教の考え方が浸透して、仏教的な思考がなくなって
しまったような気がします。

特に愛については100%キリスト教的な解釈になってしまいました。

日本人はもう一度仏教的な愛について勉強する必要があります。
それではキリスト的な愛と仏教的な愛の違いについてを書いてみます。

極端に述べれば、キリスト教は『愛の宗教』です。
仏教では『愛』を否定します。

おもわず、え!とお思いでしょうが、仏教の深さを述べて見ます。

(イエスの言葉)
「私があなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい、これが
わたくしの掟である」(ヨハネによる福音書)

(釈迦の言葉)
「愛より憂いが生じ、愛より恐れが生ず。愛を離れたる人に憂いなし、
なんぞ怖れあらんや」

愛を離れよ、愛するな!と釈迦は教えています。
仏教でいう「愛」は「欲愛」であり「愛執」であります。

仏教の教えは深いので例を挙げないと理解できないと思いますが、
例えば手に入れた地位、名誉、財産、異性,わが子、これらを離すまい、
離れまいとしても、いつかは離れねばならない、仏教ではこれを
「会者定離」といいます。

どんな喜びも、どんな幸福も全て「さよなら」があります。
そのことを理解せずに盲目的に愛に執着すれば自分を傷つけるか、相手を
傷つけることになります、だから釈迦は執着心を捨てなさい、もっと身軽に
なりなさいと教えています。

「異性愛、わが子愛、財産愛、にとらわれては苦しむだけですよ、
全てに「さよなら」があることを知って愛してください」と釈迦は教えます。

このように仏教とキリスト教では「愛」の観念が全く違っています。

キリスト教では愛が深ければ深いほど肯定されますが、仏教では
「愛してはならぬ、愛しすぎてはならぬ」と教えます。

我々は対象を愛しているかのように錯覚していますが、そのじつ本当に
愛しているには自己であって、自分に都合のいいように相手を
従属させようとするのが愛であると思っています。

それ故、愛するものが自分の願望とは違った動きをすれば、すぐさまその
相手を憎み始めます。
子供が親の言いなりになっているうちは、親は子供を愛せる。しかし、
子が親に反抗し始めると、親は子を憎む。
愛は本質的に「自己中心的」なのです。

だから釈迦は人間の本質をよくわきまえていて,溺愛,盲愛、執着が
人間を苦しめる本質だと看破なさった。

本能がすでに盲目であれば、どうしてもそこに諦めをつけてやらねば
ならぬ知恵の目がいります。
戦前の日本人は仏教のたしなみにより訓練されていて、何事も慎み深く
淡白を愛するようにさせてくれました。

現代の日本は西洋の影響を受けて、放任、放縦の愛にされてしまいました。

我々はここでもう一度、仏教哲学に染まった祖先の「つつしみ」に
耳を傾けてみたいものです。

























コメント

仏教:マインドコントロールからの解放

プログ主様の仏教の話を聞いて、日経の夕刊のコラム欄に度々投稿していた故協和発酵会長加藤弁三郎氏を思い出しました。時折仏教の言葉も混じる内容は他の人のと違い一際異彩を放ち仏教の奥義を窮めたことを示すものでした。どのような人物か知りたい見たいと思っていましたが果たせるかな教育TVで禅講座を行っているのを拝見しました。その後しばらくして同じ教育TVで見た姿には仰天しました。なんと会長室に観音像を持ち込み念仏を唱えていたからです。仏教の奥義は悟りそして解脱。観念からの解放すなわちマインドコントロールからの解放。悟りを得た後は融通無碍。観音を拝もうと十字架を拝もうとなんでも有りだったということでした。仏教は伝来以来、日本に多大な影響を与えました。古くは諸行無常の心から物の哀れ侘びさびの精神に、そして後に伝来した禅は日本の文化をさらに豊かにしました。神道は純粋素朴にして余計な観念が無いが故に仏教に指弾されることなく寧ろ仏教によりその精神の正しさその行の正しさが保障されることになります。平清盛は熱心な仏教徒ですが厳島神社の造営もしています。仏教の開祖は釈迦。人々が何ゆえに釈迦に帰依したかと言えば勇気慈愛の奇跡を見せたわけでも無く只観念に低迷する者を悉く論破したからです。人は音楽を愛するように理を好みます。昔の日本人はその仏教を正しく理解しました。禅について言えば日本の禅は中国南禅のような言葉による真剣勝負の世界は発達しませんでした。しかし一度片目が開けば色即是空の言葉はもう不要。剣の道、華道、茶の湯、商いの道等々道の誕生です。何れかの道で悟りを得、悟りを得た後もその道を迷わず進めば好いと言う訳です。16世紀頃の日本人の仏教への理解度、日本文化の理解度は、代表的武将信長を見れば分かります。宣教師フロイスは占い迷信を軽蔑する信長を宗旨は法華宗であるが若干の見解は禅宗であるとしています。又日本文化の一つ、禅から生まれた茶道が発見し又目的でもある人を持成す精神は、フロイスの為にわざわざ信長自身が膳を掲げて持成したことでも見ることが出来ます。信長はフロイスに神仏やあの世は無いと説いてます。この論理は信長が他に教えてもらったわけでも無く自分で考えた末の結論です。信長に限らずこの時代の現代で言う処の有識者と思われる人々は自ら考え自ら結論を出していたようです。生死と隣り合わせの時代、常に自省し必要とあらば賢者を尋ね理論を尽くして道を究めたであろう者達が作り出した文化。だからこそ日本の文化は深いのです。そして現代、勇気精神力は過の時代より遥かに劣り、モラルに至っては日本史始まって以来の惨状。知力はどうでしょうか。論理を尽くし道を究めた者が現在何人いるでしょうか。般若心経現代訳を説く生物学者等、多少ともでも仏教の入り口程度は理解している者も居ることは居ます。しかしながら、TVに出よく出てくる有識者、学者、ジャーナリストには殆ど見かけません。政治家に至っては皆無の状態です。オーム事件は高学歴の者の思考力がまったく無いことを証明しました。有識者、学者、ジャーナリスト、政治家、彼等の頭の中はオーム信者と殆ど同じ。彼等は、思考力が劣っているのを隠す為か論破されるのを恐れるが故か、多くが反戦や人権に飛びつきます。青少年老人も彼等の人質です。場合によっては更に箔を付けるためそれらを盾に大衆を扇動して人を攻撃する者もいます。その姿卑怯にして愚劣。日本は彼等の作り出す世界によって不条理不合理がまかり通ってます。青少年に与える影響は幾許か。心理学に失敗したら電気ショックを与えるという鼠の実験がありますが鼠は中々ノイローゼになりません。これを失敗成功に関係無く電気ショックをランダムに与える実験にすると鼠はノイローゼになり毛は抜け落ち無気力になります。日本の荒廃を見るようです。日本を正常にするには青少年の教育からですが洗脳教育では良くなりません。つけを未来に回します。命の大切さを教える教育のような馬鹿げた教育は止めるべきです。3歳児でも自分の命の大切は知っています。躾なら3歳まで終わらすべきで、3歳過ぎたら理で諭す教育をすべきです。観念を廃した科学的思考を身に付ける教育を行うべきでしょう。科学的知識も学ばすことが出来れば日本の生産性も上がります。十年で結果が出でます。生産性が上がれば高齢化問題も解決します。但しその前にも日本に蔓延る観念の亡者を一掃する必要があります。大人たちは子供達に背中を見せて文化伝統を教育する必要もあります。しかしながらもう時間がありません。多分李鵬の言う通り30年から40年で日本という国は消滅するでしょう。外国人参政権の可決と1000万人移民受け入れが、もう元に戻れぬ分岐点になっているでしょう。残念です。伝統文化の上に学んだことを少しずつ継ぎ足していけば、日本の繁栄は約束され後に続く国の範になったものを真に残念至極。本来は日本そのものが世界遺産。
人様のプログにこのような長文をお送りすることの失礼をお詫びします。ブログ主様と気持ちを共有出来たら満足です。

麻岡光久、競馬の実況

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