我々日本人は中国・中国人をよく知らないまま間違った判断をしてきました。
はっきり言えば過大評価です。戦後、日本は中国になめられ、いいように
あしらわれてきた。しかし長い歴史から見れば、日本と中国は2千年にわ
たり文明の衝突を繰り返してきた。そこには、両国の世界観が決定的に違う
ということが分かってきた。
そして最大の違いは人間性の違いである。日本はいつの時代も大和民族に
合致したものだけを取り入れてきた。中国から取り入れたものは、漢字、仏教
、律令制、医学などより優れたものばかり、てん足、官官、科挙、道教などは
見向きもしなかった。良いものと悪いもの、の区別ができた。朝鮮はその
逆である。
日本は常に学習能力と正しい目を持っていた。日本人の先人には先進分明
を受けいれる素質があった。日本文化は、何でもかんでも中国からきたという
自慢話にはなんの根拠もなく、明らかに日本文化に対する認識不足によるも
のです。この話を理解できないという人は中国の歴史を知らないからです。
中国の歴史を簡単に要約すれば、中国自体は、異文化、異言語の人々の
寄せ集めである。彼らが常に口にする「中国5千年の歴史」とはたいへんな
歴史の歪曲です。日本人はもちろん、欧米人もこうした中国人の歴史観に
影響され、彼らの宣伝に乗せられている。
日本人が影響を受けたのは孔子や孟子の春秋時代であるが、後漢末期の
戦乱により漢民族はほぼ絶滅し、北方から侵入してきた遊牧民族に取って
代わられた。随や唐はこうして侵入してきた遊牧民が作った、いわば「第二
の中国」です。
その後も契丹人が建てた遼や、女真人が建てた金に北半分を支配されてし
まう。そしてついにはモンゴル人の帝国が南宋までも併合して中国全土を
統一することによって、消滅してしまう。その後、明ができるが満州人の清
に征服される。
このように大きな流れを見るだけでも、中国人が言うような意味での「永久
不変の中国」など存在していない。つまり中国は同じ言語と同じ歴史を
共有する国民というものが存在しない。この誤解が、日本の中国に対する
全ての政策の失敗をもたらしている
中国も日本を過小評価していた。日本は東アジアの孤島で資源もなかった。
だから西欧列強は、大国の中国に目をつけちっぽけな日本は相手にされな
かった為に難を逃れることができた。と今もそのように思っている。
しかし西欧列強も最初は日本のことを中国人と同じように弱小国家と思って
いたが、北清事変での日本軍の強さに、列強は驚愕し、あの誇り高い英国
が日本を認め初めて他国である日本と.日英同盟を結んだ。
だが中国や韓国は日清戦争の勝利、さらに世界一のロシアに勝利、
無敵のバルチック艦隊を日本海の藻屑にしてしまってもまだ日本を過小評価
した。この海戦は日露戦争中の最大規模の艦隊決戦であり、その結果、
連合艦隊は海戦史上稀に見る勝利を収め、バルチック艦隊の艦艇のほぼ
全てを損失させながらも、被害は小艦艇数隻のみの喪失に留めた。
中国は維新、欧化、脱亜入欧を「朝令暮改で児戯の如し」「風俗を改まるに
甚だ荒唐無稽」など言った。朝鮮は日本の欧化を「禽獣の衣服をまとい、
禽獣お声を真似する」と揶揄した。
中国は明治維新を日本天皇一派の「易姓革命」としてみなし、暴虐によって
徳川一族の王権を奪ったと思っている。この考えは今も変わりない。
中国の時代錯誤の「仁義」「王道」の論理は中華思想のひとりよがり
の思い上がりです
このように何事も正確に見ることのできない中国は世界のリーダーに
未来永劫なり得ない。中国が中国である限り、世界に平和が。
訪れることはない。
。
