前回、黄文雄氏の論を少し書きましたが、今回はもう少し詳しくかいてみます。
台灣は昔から中国人の祖父はいても、中国人の祖母はいないとの言い伝えが
あります。それは清国統治時代、台湾への渡航は男だけにかぎられていた
ために、彼らの子孫はみな中国人の男と原住民の女の混血だというわけです。
だから台湾人が移民の子孫であると言うのはおかしい。なぜなら清国時代、
基本的には移民は厳禁されていた。また台湾海峡を渡航することは、
当時の中国の航海技術では非常に危険なことです。
そのうえ、移民は原住民との通婚どころか、接触すら固く禁じられていた。
なぜなら当時台湾は、風土病の島でした。ペスト、コレラ、赤痢、天然痘、
発疹チフス、腸チフス、ジフテリア、猩紅熱、マラリア等、住民の平均寿命は
30歳に満たなかった。
台湾を最初に支配していたオランダは農業開発のため大陸から大量の中国人
を移住させたが、風土病のため病死者が増え、癩病患者だけで3万人にも
上がった。
オランダを駆逐してのは台湾中興の祖と言われた鄭成功である。鄭成功は
幼い頃身につけた日本武士道精神で明国への忠義を尽くすことを誓った。
その名声は日本にも及び近松門左衛門の「国性爺合戦」が人気を博した。
しかし中国では明国が滅び清国になっていた。大陸の清王朝は台湾を領土に
する気はなかったが、鄭氏政権をそのまましておけず大軍を派遣して鄭氏政
権を滅ぼす。鄭氏政権はわずか23年で滅び、台湾は満州人の王朝
清の支配下に入った。
しかし清国では風土病の蔓延している台湾などいらないという考えでした。
1894年日清戦争勃発、日本はこの戦争に勝利し下関条約で台湾を割譲させた。
清国はもっけの幸いと見てこの風土病の島を日本に譲った。
清の統治は都市に限られ南部の地方は無政府状態だった。地方は
大陸から来たヤクザが牛耳っており庶民を搾取していた。だから住民から
日本軍に早く進駐するよう要請する声が上がっていた。住民にとっては
ヤクザに支配されるより日本に統治されたほうが良いというのが実需でした。
台湾を清国から押し付けられた日本は児玉源太郎総督と後藤新平民政局長
によって成果を上げ始めた。まず風土病を撲滅すべきで病院が次々に建てら
れた。さらに医学校が設けられ医学者の育成と伝染病の研究を行った。
台湾の飲料水は不衛生で病原菌の温床でした。そこで日本は23年間に及
上下水道の整備工事が進められた。台風が来るたびに多くの犠牲者を出し
ていたが、毎年100万本の苗木を無償配布し。補助金を交付して造林事業に
つとめた。
また交通の整備がされ南北縦貫鉄道、港湾、道路の建設が行われた。さらに
台湾銀行を設立、通貨、金融制度も確立した。数年のうちに治安は世界一良く
なり泥棒もいなくなった。
児童就学率は92,5%に達し、日本語は言葉もバラバラな先住民や移住民間
の共通語となった。以前のブログでも書いた美味しい米「蓬莱米」を生み出し、
アジア最大のダムを作り、製糖業を確立して産業育成に努めた。
その他鉄鋼、化学、紡績、金属、機械の各分野が急速に育成された。台湾は
現在まで続く工業国となった。
日本の統治が始まって10年経つと大陸から大量の中国人がやってきた。自ら
中国人を捨て、台湾人になる人が大量に増えたのも当然のことです。これで
日本の台湾統治がどういうものだったかは分かっていただけたと思います。
この文章は私が勝手に書いたのでなく、台湾実業家の重鎮許文龍氏の「台
湾の歴史」より抜粋、その他李登輝氏が「日本の若い人たちに、日本のこと
をわからせる必要がある。日本人はここで大きな仕事をやった。
しかし日本の先生は「台湾を植民地にして自分勝手なことをやった」と教えて
います。李登輝氏は「もし台湾の方が中国大陸を吸収したら中国は素晴らし
い民主国家になっていただろう」といっています。
なぜなら日本精神を持った台湾人が多く育っていたからです。
ところが日本統治の功績を挙げていくと左翼はムキになって反論する「そん
なのは植民地統治のためにアメとムチの政策にすぎない」と日本の左翼は
台湾が親日であることが気に入らないようです。
李登輝氏が総統になる前までの台灣史は「台灣原住民は中国大陸から来た
越族である」などという大嘘ばかり書かれていた。さらに中華民族化に都合
の悪い日本統治時代の歴史は残酷きわまりない日本人が台灣を侵略、収奪、
奴隷化した時代ということにされています。
李登輝は教科書には真実を書くべしと言って全て改めてしまいました。日本
の左翼は台灣を見たがらない。「国家解体願望」の強い左翼にとって台灣が
「国産み」するより中国と統一することを望んでいます。
偶然、蒋介石という中国大陸と敵対する先人の存在がなければ決して今日の
台灣はあり得なかった。日本が去って悪の独裁者蒋介石がやってきたお陰で
もっと悪の中国共産党に支配されずにすんだ。
もし蒋介石が台灣に逃げてこなければ、とっくの昔に台灣はチベットやウイグル
と同じような長くて辛い苦難の道を歩まされるはめになっていたに違いない。
