今回は少し視点を変えて、中国進出で人生を誤ったヤオハンの和田社長に
ついて考えてみます。
中堅スーパーにすぎないヤオハンがどこよりも早く中国進出に乗り出して
ヤオハン神話をつくった。しかし中国ビジネスの恐ろしさを和田社長は安易
に考えていた。結果97年倒産、東証一部上場の小売企業としては戦後初の
ことです。それでは一体何をまちがえたのか、何故こうも短期間のうちに絶
頂から奈落の底に転落していったのか?
一時期中国ビジネスのお手本であった「ヤオハン」の和田社長ついて、中国
ビジネスの恐ろしさを検証してみたいと思います。
ブラジルで一敗地にまみれたヤオハンは、その後シンガポール、タイ、香港
マレーシア、ブルネイ、台湾、その他、業績を拡大している。ここで止め
ておけばヤオハンは和田氏の口癖である「流通業界のソニー」になれたのに、
なぜ危険な中国に安易に進出したのか?
和田氏失敗の最大の原因は、何もない上海の田舎である浦東区に東洋一の
百貨店「ネクストステージ上海」を作ったことです。当時の上海市長はあの有
名な朱鎔基です。温家宝の前の首相です。朱鎔基は壮大な浦東国際都市プ
ロジェクトを成功さすためにヤオハンを誘致、おとりに使った。
ヤオハン誘致が発表されたあと浦東融資ブームが起こった。それまで天安門
事件のせいで海外からの引き合いがとぼしく頭を抱えていた時期である。
朱鎔基の意図は当たった。おそらく香港の大物である李嘉誠が北京の大物
朱鎔基に頼まれて和田氏を利用したと思われます。
和田氏は、香港に総本部を移転したことにより香港の超大物である李嘉誠
と知り合った。しかしこの人脈が地獄の蓋を開けてしまった。
香港移転を決意した和田氏は、いわば仁義を切るために訪問した。李嘉誠
は多忙にも関わらず、和田氏を歓迎して、様々なアドバイスを与えてくれた。
普通は利用できる相手にしか李嘉誠は絶対に会わない。まさに飛んで火に
入る夏の虫である。
李嘉誠はその席で、「長江実業が計画する新海での開発物件に出店しない
か」と和田氏を誘っています。ヤオハンがテナントとして入居すると、ヤオハ
ンの集客力により物件の人気が高まり、物件売買価格が上昇した。李嘉誠
はやがて物件を売却して短期で大儲けした。ちなみに香港では購入して
二年が過ぎれば不動産の値上がり益には課税されない。
古い記事には、香港で放映された日本のドラマ「おしん」のモデルが彼の母
親であることが、李嘉誠の興味を引いたと書かれていますが、たったそれだ
けのことで李嘉誠は、和田氏と会ったのだろうか?
李嘉誠に会って以来、和田氏は中国へひたすらのめり込んでいく。和田氏
の大義名分は「第二次世界大戦後、日本に賠償を要求しなかった中国に
恩返しがしたい」という歴史を知らない、歴史を勉強しない人のキャッチ
フレ➖ズです。中小企業の知り合い達も、和田氏と同じことを言って中国に
進出して、多く潰されていきました。
ここで、少しあさってに飛んでみます。多くの日本企業家たちが和田氏と同
じように「日本に賠償を請求しなかった中国に恩返しをしたい」などの無知
な自己満足をして安易に中国進出をしました。そこで中国の恐ろしさをわ
かってもらうために歴史の真実を書いてみます。
日教組にウソを教えられていた人々に真実の歴史を知ってもらうことは、
大変重要なことなので、ヤオハン和田氏の考察は次回に改めて書かしても
らいます。支那事変の真実を知ることは、中国人の正体を知る上で大変参
考になります。
まず日本は蒋介石と戦ったのであって、毛沢東とは戦っていない。その証拠
に戦後毛沢東は「日本のお蔭で戦力を温存できて、蒋介石を台湾に追いや
ることが出来た、日本には感謝している」と述べています。
現代中国は毛沢東が作りました。だから賠償金を請求しなかった。しかし
中国メディアは「実際は中国人は日本から何も得ていないわけではないと
伝え、日本の残存戦闘艦艇を受け取ることで工業技術は向上したとしたほか、
中華人民共和国の成立後も日本は中国に対して莫大な規模の政府開発援
助(ODA)6兆円~8兆円)を提供してきたと紹介、「これらは正確に言えば
賠償ではないが、日本の中国に対する賠償の気持ちなのだろう」と伝えて
います。
支那事変の真実を日本人はあまり知りません。だから真実を知ってください
まず支那事変はあったが日中戦争という言葉はなかった。中国の指図を受
けた日本の左翼勢力が支那事変を日中戦争と言う言葉にすり替えて、いか
にも中国と戦争したように印象づけるために日中戦争と呼び始めたのです。
そもそも日本軍は日本居留民や企業、資産を守るために治安維持のために
軍隊を派遣した。日本だけでなく英米仏伊の軍隊も駐留させていました。何
故かと言いますと、当時上海は極東一の大都市で、軍閥が支配し、ギャング
や麻薬、娼婦の町で魔都とも呼ばれていた非常に危険なところだったのです。
日本軍も居留民を保護するために4千人の軍を駐留させていました。
支那事変の発端となった盧溝橋事件は中国共産軍が日本軍と蒋介石軍を
戦わすために仕掛けた罠でした。戦後中国共産党が自慢げに白状していま
す。日本側がいくら隠忍自重、不拡大方針をとっても、中共軍は日本人大虐
殺の通州事件や上海事件といったテロ事件を次々起こし、日本軍を大陸の
泥沼に誘いこんで行きました。
中国共産党の後ろには、日露戦争で復讐を誓ったスターリンが糸を引き、
蒋介石にはルーズベルトが肩入れしていました。アメリカはいずれ日本と戦
うことを想定して蒋介石を援助して、アメリカの指示通り日本軍を中国の泥
沼に引きずりこんで行きました。蒋介石は日本軍を叩くために攻撃をかけて
いましたが、日本軍はあまりにも強すぎてアメリカの期待に答えることが
出来ません。
そこでアメリカは正規軍である「フライング・タイガー」と名乗る300人の
空軍を送り、日本軍に攻撃を加えています。この事実は日本が戦争回避を
必死に模索してワシントンで日米交渉行っていた時、すでにアメリカは対日
参戦に踏み切っていた事を示しています。
アメリカはやがて始めようとする日本戦に備えて蒋介石に肩入れし、大量
の武器弾薬を送って、日本軍を疲弊させるように持っていったのです。
理不尽な東京裁判でさえも、盧溝橋事件から支那事変に至る戦争は日本が
始めたものでないとして、事変の開戦責任は日本にあるとはしていません。
日本軍が本気になって中国を叩くきっかけは、通州事件です。日本軍が盧溝
橋事件で町を離れた留守に、本来日本の居留民を守るのが目的の中国保
安隊3千人がいきなり日本の居留民に襲いかかり中国側の手によって260
名全員が惨殺されました。その惨状は目をおおわしめるほどの残虐ぶりでし
た。尋常ならざる殺害の状況は今も昔も中国人は獣そのものです。
通州事件のようなことになれば、全中国で多年事業を営んできた在留日本人
が皆殺しにされます。これをきっかけに日本は見通しのない戦争に入ってい
きました。不可解なことに、戦後この残虐な通州事件に対する報道は、左翼
学者によって隠されて、歴史の闇に消えようとしています。
その年の1937年の12月に日本軍は支那事変を終結させるために蒋介石
の拠点である南京へ侵攻しました。南京戦で日本軍は非常に人道的で、攻
撃前に南京市内いた民間人全員を、戦火が及ばないように、南京市内に設
けられた「安全区」に集めたために日本軍の攻撃で安全区の民間人は
誰一人死にませんでした。その証拠に安全区のリーダーであったドイツ人
ジョン・ラーベは、「日本軍が安全区を設けて民間人を傷つけなかったことを
深く感謝いたします」という感謝状を松井大将に手渡しています。
戦後、南京大虐殺30万人など言われている歴史のウソを知れば中国の宣
伝だということがわかります。ティルマン・ダーディン記者は南京で日本軍を
迎える中国軍の様子を「中国軍による焼き払いの狂宴」としてほとんど全て
の建物に火が付けられ、多くの中国人が死んだと記述しています。
また南京のアメリカ領事館のジェームス・エスビーが「日本軍入場前の最後
の数日間に中国兵は略奪、強姦、殺人と狂わんばかりの狂態であった」と
公式文章で報告しています。
その他中国の軍隊は日本軍の進撃をはばもうと、黄河の堤防を爆破しまし
た。そのため4千の村が水没し、水死者約100万人、その他の被害者600万
人、という大惨事となりました。
堤防決壊の直後、日本軍は修復作業を行っただけでなく被災した民衆の
救助と防疫作業を行いました。中国側はまた、事件直後から、堤防決壊を
日本軍の仕業として宣伝しましたが、この自作自演は多くの外人記者に
見破られています。
日本軍は中国住民の救済、治安維持、戦災復興などに取り組んだので、
それまで軍隊とは匪賊にすぎないと思っていた中国民衆は驚き、日本軍を
熱烈に歓迎しました。中国人民の本当の敵は日本軍でなく中国軍だったの
です。日本は、もともとソ連やアメリカの謀略によって中国内戦に引きずり込
まれただけで断じて中国を自分の領土とするために侵略したのではありま
せん。
中国軍は中国同胞である中国民衆を行く先々で強奪し、また大量殺害をし
ています。中国はこれらの残虐行為を全て日本軍のしわざと宣伝してきまし
た。世界のマスコミも愚かな日本のマスコミも信じてしまった。これでは日本
の兵隊さんは浮かばれません。
このような中国人の人間とは思えない残虐性を「魯迅」「林語堂」などが
中国民族は根本的に「人間のクズ」だと言っています。
我々日本人は隣に住んでいる中国人がいかに残忍で残酷で、また、大うそ
つきで自分たちの罪を平気で他人に擦り付ける民族であること、そして日本
人の理解をはるかに超えた野獣人であることを、わかってもらうためにあえ
て支那事変の事をかきました。
真実の歴史を知っていれば和田氏や中小経営者のように「「第二次世界大
戦後、日本に賠償を要求しなかった中国に恩返しがしたい」などと決して言
わなかったと思います。
今回、中国にはめられたヤオハン和田氏について書くつもりが支那事変に
ついて横道にそれてしまいましたが、支那事変は中国人の正体を知る上で
大変重要なことなので、あえてあさってに飛びました。次回はヤオハン和
田氏についてもっと詳しく考察するつもりです。ご了解ください。
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