前回からの続きです。
前回は7奪の中の「命を奪った」 について書ききれなかった部分を今回は
少し補足したいと思います。前回、「韓国人が日本人による朝鮮人大虐殺の根
拠にしているのは朴殷植という人物が1920年に書いた「朝鮮独立運動の血史」
という本ですと 記述しました。
朴殷植は上海臨時政府の二代目大総統になった人物です。初代の大総統は韓国
をメチャクチャにぶっ壊したあの殺人鬼・李承晩です。朴殷植の書いた「朝鮮独立
運動の血史」 が日韓併合によって韓国から追い出された権力者たちの憎しみの
書であることが分かります。全編を通して日本への悔しさが溢れ、これでもかとばか
り日本人が身に覚えのない捏造暴虐を書き連ねています。
ここで「大韓民国臨時政府」 についてその経過と企みを解説します。
1910年日本は韓国を併合します。それまで韓国を支配していた李氏朝鮮は
500年にわたって、宮廷を囲む少数の両班と宦官たちが徹底した悪政を行い
国民を極貧のどん底まで追い込み生殺与奪の権力を振るっていました。
李氏朝鮮は今日の北朝鮮と全く変わらず、人民は餓死するか、公開処刑に
よって死ぬか、強制収容所にはいる自由しかありませんでした。
この地獄と全く変わらない朝鮮を日本と朝鮮の革命家(一進会)たちは朝鮮
王室とその取り巻きである権力者たちを排除し、30年のあいだ粘り強く朝
鮮の近代化を進めました。結果人民はまともな人間らしい生活を手にいれま
したが、しかしそれまで権力側にいた人達は逆に好き勝手出来なくなります。
そこで日韓併合によって利権が無くなった権力者たちは、当時の中国の支援
を受け上海市内で1919年「大韓民国臨時政府」 なるものを作って、権威を
持たすために独立宣言をします。しかしこの20数人足らずの怪しげな臨時政
府なるものは当然のごとく国際的承認を得られませんでした。
その頃、朝鮮半島にいた大多数の朝鮮人も「大韓民国臨時政府」 の存在も
全く知りませんでした。第一このような暴虐の限りを尽くした元権力者達を
国民は支持するはずもありません。
ところが戦後韓国は「大韓民国臨時政府」という名前だけの存在を拠り所
として、大東亜戦争で日本と戦い、そして戦勝国になったと捏造しています。
しかし臨時政府は元権力者たちと殺人者やゴロツキの集まりで、日本軍と
戦う軍隊など持っているはずもありません。
もし臨時政府が本当の愛国者たちの集まりで真剣に独立運動をやり、なお
かつ日本軍と戦っていたなら、終戦後すぐに独立し、臨時政府が金九大統領
をトップとする韓国政府が朝鮮半島を統治出来たはずです。しかし実際には
終戦時、韓国には政府がありませんでした。
臨時政府のトップである殺人者「金九」について金完燮氏の「日韓禁断の
歴史」の中からの一文をお借りします。
「金九は1869年、朝鮮の黄海道で日本陸軍中尉・土田譲亮を何の理由もなく
殺害し、官憲の追求を逃れ中国へ逃げた殺人犯だ。彼は単に日本人という理由
で閔妃の死と関連があるだろうと、復讐心を燃やしこのような凄惨な殺人を犯した
のである。いくら儒教思想に凝り固まった無知蒙昧な朝鮮人といっても、推測だけ
でこんな残忍な事をするのは、尋常な精神の持ち主ではない。彼はその後も、
脱獄後の1911年に寺内総督暗殺未遂事件を起こして、終身刑を言い渡され
ている。このような人物が官憲の目を逃れて中国へ逃亡した後、大韓民国臨時政
府なるものを作って、いわゆる「独立運動の指導者」 となったのだから、その運動
の水準がいかほどのものか想象に難くない」 と記述しています。
この時、金九と共に上海臨時政府の樹立に参加したのが悪の権化である李承晩
です。かれの経歴を簡単に記述してみます。
李承晩は王族の分家出身であることを常に鼻にかけていました。つまり李朝500
年の業病である残忍無道さを身につけた男で、彼の一生は、謀略、陰謀、刺客送
り等の悪行・悪行を極めた、悪の権化のような人物でした。
李承晩は1894年アメリカ人宣教師によるミッション・スクールに入学。1896年に
設立された独立協会に参加して、社会の秩序を混乱させていました。そのために
李承晩は逮捕され1904年まで獄中にいました。
1904年日露戦争勃発後、高宗らは日本の進出に危機感を抱き、アメリカに援助
を求めるために英語が話せる李承晩を釈放しアメリカに派遣します。アメリカは高
宋が中国、ロシアに見境なく秋波を送る王族たちを全く信用していませんでした。
そのためにルーズベルトに会うことが出来なくて失敗します。その後 李承晩は
アメリカに残り、大学で博士号を取得します。大学卒業後の1911年に日韓併合
となった朝鮮半島にもどります。
しかし1年後、寺内朝鮮総督暗殺未遂事件にアメリカから戻った李承晩の関与が
疑われ、再び李承晩は渡米しています。その後1919年4月上海で結成された
「大韓民国臨時政府」の初代大総理に就任します。
金九は臨時政府の警察本部長、内務大臣、1926年首相などを努め、1940年
から1947年まで大韓民国臨時政府の主席でした。
つまり大韓民国臨時政府とは正当性を主張できる根拠も何もない団体、単なる
韓国から追い出された元権力者やテロリスト・殺人鬼の集まりにすぎない。政府な
どと主張するのはおこがましい、しかし韓国は全く国際的に認められていない臨時
政府を根拠に戦後 「韓国は日本と独立戦争を戦って勝利して独立をした」 という
つくり話を世界に広める宣伝をしましたが国際的に誰も相手にされませんでした。
その証拠に1945年9月 米朝鮮占領軍司令官ジョン・ホッジ中将は、朝鮮総督
府の阿部信行大将ら日本人官史の留任を発表しています。つまり戦後の朝鮮統治
を、アメリカは朝鮮人民の自治能力について不信であったゆえに旧朝鮮総督府に
委任したのです。大韓民国臨時政府がまともなら、なにも敗戦国の日本の大将や
官史に任せるはずがありません。
金九は1945年11月に上海から韓国に帰国しています。同時に帰国した李承晩
と大韓独立促成国民会を結成して信託統治反対運動を主導します。
統治反対の暴力デモによりアメリカ軍政府に召喚されます。その後、宋鎮愚暗殺
や韓民党の党首である張徳秀暗殺などで何回も米軍の法廷に召喚されています。
金九は札付きの殺人鬼なのです。
1945年8月15日に日本が降伏し、ヤルタ協定に基づき朝鮮半島は38度線を
境界に北と南に分断されます。アメリカはいつまでも韓国を敗戦国の旧朝鮮総督
府に統治させるわけもいかない、そこで王家の血を引いている李承晩に目をつけ
ます。彼は上海臨時政府の初代大総統であり、アメリカ留学経験もあり、アメリカ
国内においては「大統領に就任すべき正当性を備えている」とみなされていました。
しかし金九や呂運亭,左派の朴憲永といった有力活動家がアメリカと正面から対立
する中で、変わり身の早い李承晩はいち早くアメリカに支持されるために反共を
主張します。
李承晩はアメリカが最も嫌った左派の排除に力をいれます。1948年5月に初代
総選挙が行われ、この選挙は朝鮮半島の南北分断を固定化するとの判断で金九
やその他の有力者も含めた大反対の中で強行されます。
単独選挙に反対する左派の武装闘争が展開されます。アメリカの支持を得るため
に李承晩は反政府蜂起鎮圧の汚名をきせて6万人の島民を機銃掃射で虐殺し、
村々の70%が焼き払われました。これが「済州島四・三事件」 です。
1948年8月にアメリカの後援の下、李承晩は初代大統領に就任しました。
李承晩は自分の政権にとって邪魔になる金九を、1949年、刺客安斗熙を使って
暗殺します。相変わらず李朝時代のまま、グループ内の凄惨な権力の奪い合い
です。
その後、李承晩はライバル、及び近未来においてライバルになりそうな人物を、
情け容赦なく、ためらうことなく、どんどん殺していきます。
その他 李承晩は1950年朝鮮戦争勃発を受けて、共産主義を再教育するための
統制組織 「国民保導連盟」に登録されている者達100万人以上を大量虐殺して
います。また1951年婦女子を含む約800名の村民全てを、一箇所に集めて、全
員を機関銃で虐殺した後、さらにガソリンをかけて焼き殺しています。
韓国は李承晩の人殺し犯罪実績を歴史に中で消そうとしていますが、英国のBBC
はこの惨たらしい虐殺現場映像を放送していますし、現在もビデオを保管していま
す。映像を見てその残虐さに衝撃を受けたピカソは 「李・金による朝鮮の虐殺」と
題した有名な絵を書いています (パリ・国立ピカソ美術館所蔵)
日韓併合によって近代的な法の統治を実現させ、より人間らしい暮らしを手に入れた
民衆を、李承晩は再び利己的で残酷な李朝時代の政治文化に戻してしまったのです
韓国の今も続く悲劇の元は戦後の韓国統治を不正・不義・不法・暗殺で手に入れた
権力亡者の李承晩が大統領を4期も続けたことです。結果、せっかく日韓併合で
李朝政治を徹底的に精算したにもかかわらず李承晩によって復活してしまいました。
このように朝鮮民族の歴史はあまりにも惨めすぎて、過去を振り返るのが苦痛で
あった、だからと言って偽りの歴史をあたかも真実のように子どもたちに教え込む
事は国の衰退につながります。何故なら韓国人が本当の韓国の姿を知った時、
韓国政府が過剰に賛美してきた「理想の韓国」とあまりに酷い現実のギャップに
耐え切れずに、精神に異常をきたすからです。
戦後も韓国では、醜い権力闘争が際限なく続いています。法が軽んじられ、
勝つことが正義となり、権力者が不正蓄財や賄賂で太り、民衆の血を肥やし
として、歪みきった社会を作っています。
法による統治が出来ないのは500年にも及ぶ李氏朝鮮時代、人命も道徳も顧み
る事がなく、国民は生きるためにウソをつくことが日常の習い性となったからです。
このような社会において、公共心や道徳心が育つはずもありません。
その証拠は、韓国セウオル号の沈没事故です。乗客を見捨てた船長・乗組員、
ずさんな管理、誤報続発、責任逃れ、韓国政府の無能ぶり、など世界が呆れた
ウソの数々が韓国人の本性なのです。
この事故によって報じられた醜態と残酷な現実は韓国社会の素顔を浮き彫りに
しました。まさに李氏朝鮮の呪いであり、治ることのない業病です。
この続きは次回にて
