中国炎上 12月27日(火)


21世紀は中国の時代であった。しかし西側の雄であったアメリカが中国排除
に完全と立ち上がった。

7年前から、アメリカは対中国の甘い幻想を捨てた。日本の政治家の一部
に多くの親中派がまだ目覚めずに蠢いている。アメリカはニクソン訪中以来、
アメリカはあらゆる支援を通じ中国が強くなるのを手伝ってきた。

中国が強大で豊かになれば、やがて民主化も進み中国は米国の同盟国に
なるにちがいない。貧しく、遅れていた中国は決して米国に挑むことはない。
この考えが如何に間違っていたか、気がつくのに10年遅かった。

この考えをアメリカ政権内に浸透させていったのは悪魔のキッシンジャーで
ある。彼は「つき合うべき友人は中国であって日本ではない、日本は最大の
敵であり、ライバルです」この考えは次第に米国内に広がっていった。

彼は信じられないほどの大金を中国からもらい、オバマ政権を操った。
オバマ政権は、中国のイノベーノションを促す会議を発足させ、
最も優れた科学者や起業家がノウハウを手ほどきした。

しかし中国の正体を知らないアメリカは飼い犬に手を噛まれた。
中国や韓国の裏切りは日常茶飯事のことです。中国・韓国・ロシアは
常に嘘を付き、恩を仇で返すことに良心の痛みを感じません。

日本もこの三国から痛い目にあっています。2023以降は日米の絆を
もっとと強くして中国・韓国・ロシアを世界中から排除していきましょう。

将来、日本とアメリカは世界経済の共同経営者になる。そして2026年
北太平洋経済圏を中心に日米両国の經濟が渾然一体となって
世界経済をひっぱっていきます。

このブログが今年最後のブログです
2022年、釈尊の言葉で締めたいと思います。 
「眠りえぬものに夜はながく、つかれたるものに五理の路はながし
正法を知らない、おろかものに、一生というものは誠に長い」
それでは、良いお年をお迎えください。


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国民国家になれな悲劇の中国  12月22(木)


世界中に迷惑をかけている中国人が、一番影響を受けたのは西欧ではなく
日本からです。歴史を知らない中国人は日本人を上から目線で接するが、
彼らの無教養な人格があまりにも自分を知らなすぎるからです。

日清戦争の敗戦の衝撃によって、ようやく清朝は中国文明の伝統を放棄し、
日本式の国民国家化に踏み切ったのです。中国は、特に日露戦争に日本
が勝利したあと1906から毎年多数の留学生を日本に送り続けた。

そして中国留学生は日本文化を大いに吸収し近代化を学んだ。しかし
中華民族は、日本と違って国民国家にはほど遠かった。何故なら中華民国
は日本と違ってモンゴル人やチベット人やイスラム教徒は言うまでもないが、
中国人の間の共通語すら無かったからです。

だから中国人とは誰のことか、実は定義がいっこうに明確でなかった。
それに比べて日本人は、自分が日本人であることをごく自然なことと思って
いる。日本列島に生まれた人間は歴史を共有していることも当然と
考えている

。しかし親が在日である一部の2世,3世、4世たちは日本の歴史を拒否した
時点で日本に対する愛国心を捨てた。彼ら在日は、自分が得をすることは
何でも遠慮なく頂戴する。

しかも世界に冠たる日本の社会福祉の恩恵を受け、教育機関の恵みに浴し、
公共施設を利用し、日本経済の繁栄の余沢に充分に預かり、そのことに
対して、なんら感謝の念すら持たない。

それどころか彼らは政治家になり、公務員になり、教員やマス・メディアに
入り込み日本を弱体化させることに一生懸命になっている。なぜそのような
在日に育ったか、

在日の親は自分たちをよく見せるために「強制連行の被害者」「日本人は
朝鮮で多くの人を虐殺した」というウソ話を繰り返し子供たちに言い聞かした

実際は日本企業は内地での労働不足を朝鮮半島で調達した、しかも日本人
と同じ工賃で「募集」した。

在日は日本で暮らして、国家の恩恵の全て受けている以上は、日本と
一連託生の関係にある。ということは、この国に戦争が勃発したときは、
国のために戦うということを意味する。その覚悟が在日にはない。いいとこ
取りである。(話が横っちょに飛びそうなので中国に戻します)

中国は近代に入って殆どの戦争に負けている何故か、中国は昔から一つの
国家として存在しなかったからです。つまり国民が国家の主人公であり、
所有者であるという考えが国民国家のことです。この考えにたてば、
愛国心に訴えて兵を募り、瞬く間に大規模な軍隊を組織することができる。

そうやって徴兵された国民軍の兵士たちは、自分たちの国を自分たちの手
で守るという理念があるため時には命を捨てることも出来た。

中国人は敵と遭遇するとすぐに逃げる、そこで中国共産党は逃げを防ぐ
ために兵士の後ろに銃を構えて逃げる兵士を打った。

いまテレビでサッカーで優勝したアルゼンチンのことをやっています。帰国
した選手たちを約400万人の人が出迎えた。まさに国民が愛国心の塊で
ある国民国家になったのです。

準優勝のフランスチームには黒人選手が多くいます。彼らは全てフランス人
として戦ったのです。彼らの多くがアフリカ出身である、だから準優勝出来た
などと誰も言わない、まさに国民国家である。

欧米には日本のような純粋度の高い国民国家は存在しない、フランスにせよ、
イギリスにせよ、アメリカにせよ、その中にはかなりの規模の少数民族を抱え
ている。日本のように「日本列島の中に住み、日本語を話す人間が日本人」な
どというシンプルな原則が通用する国家などどこにもない。

毛沢東は中国を他国と同じように愛国心を持った国民国家にするために、
中国人を全て同じ民族にしてしまおうと考えた。そのために少数民族の文化
を奪い、あるいは抵抗する民族を抹殺することで、中国人全てを同一民族に
してしまえば、中国は国民国家になれると判断した。

しかし国民国家となるにはあまりにも無理な現実を無視してしまった。
一党独裁の悪いところで強引に事を急ぎすぎた。この結果中国は国民国家
には永久になれない。

中国が絶対に国民国家になれないのは、一つの国民としての中国人は存在
しないのだからです。国民国家としての中国の統一な歴史もない。

政府によって「中国の歴史」として教えられるものは国民は「どうせ歴史は
政府の宣伝さ」と考えている。ところが最近ではこのウソの歴史が本当だと
国民が信じ、各国も信じだした。一部の日本の親中政治家もこのウソの
中国歴史を信じている。

政治家よ、もっと勉強しろ!




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無知の知 12月16日(金)


前回は江沢民の死をきっかけに中国人の事を深く掘り下げてみました。

日本人と欧米人の中国に対する認識度の違いは全く違うような気がします。
それは欧米人が中国に対して、一切の先入観や思い入れがないという点です。
日本人は中国および中国人に対して過剰な期待や幻想を抱いている上に
知識のない評論家や間違った教科書を作った出版社により捏造された知識を
植え付けられたために、中国に対する抜き難い「幻想」が居すわっています。

特に日本は戦前中国人に迷惑をかけた、謝罪をして当然であると思っている。
中国へ投資をすることになった某社長さんは「失敗してゼロになっても戦前の
お返しだと思えば後悔しない」と豪語していた。

そして中国人にひどい目にあって大損したら中国人の恨みばかり言っていた
社長さんを知っています。

日本人が中国のことを知っているつもりになっていることが最大の原因です。
中国や中国人のことを何も知らないという自覚を持たないかぎり、日本人は
永遠に中国を知ることは出来ない。

日本の教科書では、古代の朝廷は遣隋使・遣唐使を通じて日本が中国と
国交を持っていたと教えています。事実は日本は建国以来、20世紀に入る
まで中国と正式に国交を持ったこともないし、持とうと思ったこともない
と言えば、かならず「そんなバカな」と言われてしまいます。

遣隋使・遣唐使が大量に持ち帰った漢籍の知識が日本人を磨いてきたの
です。遣隋使は608年から始まった。そして菅原道真の助言により894年に
遣唐使が廃止されるまで、数十回の使節が派遣された。

この250年あまりの間に大陸では隋が滅び、唐が興った。一方の日本列島
においても「倭国」という名称を廃して、対外的に「日本」を名乗ることに決めた。
つまりこれは独立国家としての日本誕生であり、それと同時に、中国に対して
「絶縁」を宣言しました。

なぜかというと、海の向こうで隋を滅ぼした唐の出現である。唐は騎馬民族で
朝鮮半島の新羅、百済、高句麗を滅ぼし、ついに676年朝鮮半島全体を
支配下においた。

ここに至って「倭国」は自衛のため団結することに衆議一致した。つまり唐の
支配を受けるより独立を保って彼らに抵抗した。そのグループの名前が
「日本」です。

日本は最初から「中国の支配下に入らない」ということを国是にして誕生した
国家です。日本の朝廷は正式な国交関係を持たずに中国との経済活動を
保つという方針を選択した。こいうことを言うと、足利義満が明と貿易を
行っなたり、江戸幕府が朝鮮からの通信使受け入れているなど反論する人
がいます。

しかし義満も徳川家も日本の正式なる主催者ではなく、この人達は、あくま
で朝廷から任命された征夷大将軍にすぎない。日本の主権者は建国以来
ずっと天皇です。だから、足利義満や江戸幕府のやったことは単なる民間
貿易であって、正式な外交関係ではない。

日本が中国と初めて正式の外交関係を持ったのは1871の日清修好条約
からです。しかし、その時代の中国はそもそも満州族の「植民地」なのだから
中国本来の政権ではない、

そういう意味で正式の中国との外交は1912年の中華民国成立からです。
だから日中両国間の国交は20世紀まで一度もなかった。これが大まかな
日中間の歴史です。


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中国人と付き合うために  12月10日(土)


江沢民の死去によって中国の正体をもっと深く知るチャンスがきました。
1998の10月の宮中での公式の宴会で江沢民は例の尊大な調子で上か
ら目線で「日本人は歴史を鑑とせよ」とのたまった。その時から私は中国人
が大嫌いになりました。

私は1993年から中国に本格的に進出しました。そして途中で中国および
中国人に幻滅し、彼らとの契約式合弁事業に早く見切りをつけ撤退の事ば
かり考えていました。以前のブログにも書いたように怪我しないように、
一般的にやっているような合弁ではなく、法人格を登記せずに、それでいて
工場を支配する方法を考えて進出しましたので何も慌てて撤退することも
なかった。

しかし彼らはあまりにも不潔で嘘つきで、その二枚舌に呆れていました。
私が中国人に騙されないのは進出する前に岡田英弘教授の貴重な講義を
直接聞いていたからです。

お陰で書物にある建前の中国ではなく中国人の正体がどんなものかに目
が開かれていたからです。今回は岡田教授の話を思い出して書いてみます。
中国を理解するために。

中国人は共通の歴史がない‥そんなばかなとお思いでしょうが、中国人は、
実に多種多様である。55の少数民族があり、民族のなかも、人様々,ひとり
ひとりがみな別々で、他人のことを「同じ中国人だ」と考えて連帯する、とい
うような考えはない。

それは一つには「中国語」というものが、20世紀になるまでどこにもなかった
からです。20世紀になるまで、なぜ中国語がなかったのか、ということを理
解するために、中国の歴史を少し勉強しましょう。

「中国」という名称事体、じつは20世紀に誕生したものです。中国の起源と
いえる国家が誕生したのは、紀元前221年の秦の始皇帝の統一のときで
す。日本のマスコミは、いつも「中国4千年」とか「中国5千」などという
キャッチフレーズを使うが、実際には中国は2200の歴史しかない。
日本に最大の影響を与えた儒教の開祖である孔子が活躍したのは紀元前
552世紀、春秋時代のことである。

当時は秦の始皇帝の統一以前であり、強大な中央権力がなかった。要する
に、まだ中国が存在しなかった状態であり、日本や世界が知っている中国は、
結局このあたりまでである。

その後,後漢末期の戦乱により漢民族はほぼ全滅し、北方から侵入してき
た遊牧民に取って代わられる。隋や唐はこうして侵入してきた遊牧民が
作った、いわば第二の中国です。この第二の中国人の帝国も、契丹人が
建てた遼や、女真人が建てた金に北半分を取られてしまう。

そして、ついにはモンゴル人の帝国が南宋まで併合して中国全土を
統一することによって我々が知っている中国は消滅してしまう。
14世紀になってやっと明という中国人の帝国が建てられるが、それも
満州人の清朝に征服され、中国人はまたも独立を失う。

このように大まかな歴史を辿っても、彼らが言うような「永久不変の中国」
など存在しない。

このブログの前半部分に「中国人は共通の歴史がない」「20世紀になる
まで中国語は無かった」と書きました。それは今の中国の中央部分には
秦・韓・魏・趙・斎・燕・礎の7カ国があって、それぞれが自分の国の言葉を
用いており、記録を作っていた。

漢字の字体も違うし話していた言葉も違っていた。だから秦の始皇帝が
統一するまで中国という国は無かった。日清戦争に負けた清朝は、二千年を
超える伝統のシステムを放棄して、日本式の近代化に切り替えたが、この時
これまでの起源の違ったことば同士ので仲介役で会った文章語も破棄して、
日本語に置き換えた。

そもそも漢文の文章語自体が、どの中国人にとっても外国語だったのだから、
この切替は簡単でした。

日清戦争後、中国留学生が日本へ約1万人近くやって来た。日本に簡単に
負けた事によって彼らは日本の偉大さを知り、自国の愚かさを知った。

有名な逸話に、隣に住んでいる同じ中国の留学生同士が。故郷が違うだけ
で言葉が通じない、意思の疎通は習いたての日本語で会話した。また彼らは
自国の歴史を全く知らない、ところが日本の図書館には中国の文献が山ほど
あった。そのほとんどが孔子や孟子の時代、つまり紀元前552年の漢人の
時代の文献である。日本や各国が影響を受けたのはこの時代の中国である。

特に日本人は無数の漢籍を大陸から持ち帰り(遣隋使、遣唐使)それを読み
込んできた。日本文化がこうした中国文化の刺激を受けつづけてきたのは
事実である。現代の日本では、漢語を読める人は減ったけれども、その教養
の伝統は消え去ったわけではない、誰でも「論語」や漢詩の
名句は知っているし、また、日常語の中に、漢籍起源のものもすくなくない。

そうした漢籍による教養が現代中国とのギャップができた。漢文を通じて
中国人を理解することぐらい、絶望的な行為はない。日本人は漢文=中国語
と思っていることが中国人を見えなくしてしまっている。

少なくとも、この2千年間というもの、漢文は中国語とは全く関係がない。
だから漢文をいくら読んでも、中国人の正体を知ることは出来ない。

つまり我々の知っている中国人と現代中国人は全く別の人種であること
を理解しなければ、いつも騙されることになる。



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中国人の真っ赤な噓に騙されるな  12月4日(日)


「江沢民元主席 死去」という見出しが新聞の一面に大きく載った。私が
中国を大嫌いになった最悪の人間の一人です。この男の礼儀知らずは
日本の園児より酷い。

今でも克明に覚えているが、それは中国国家元首による天皇陛下に対する
侮辱行為である。我々日本人はこの出来事を決して忘れてはならない。

天皇・皇后両陛下主催の宮中晩餐会の席上でこの男は平服姿で臨席し
「日本人は中国人民とアジアの人民に大きな災難をもたらした。反省しなけ
ればならないと過去の歴史について遠慮のない日本批判を行った。

その前に天皇陛下は「貴国と我が国が今後ともお互い手を携えて、直面する
課題の解決に力をつくし、世界の平和のため、貢献できる存在であり続けて
いくことを切に希望します」と歓迎の辞を述べられた。

それに対する彼の答礼がこの失礼な言葉である。なんという無礼、何という
厚顔無恥、天皇陛下の前で、相手国の元首が取る言動ではない。
宮中晩餐会という特別な席で、このような園児にも劣る発言を平気でしたの
です。このような人物が中国の最高指導者である。

この晩餐会に臨席した故中川昭一經濟相は、「天皇陛下の御前での江沢民
の傲慢な態度を見て、我慢ならなかった」と語っています。

江沢民は90年代半ばから、日本による中国侵略の歴史を強調する愛国主
義教育(噓の教育)を強化し、中国人の対日感情悪化をさせた。

江沢民氏は98年8月、外交当局者を集めた会議で「日本に対しては歴史問
題を永遠に言い続けなければならない」と指示。同年11月には国家主席と
して初の公式訪日で、「日本軍国主義は対外侵略拡張の誤った道を歩み、
中国国民などに大きな災難をもたらした」と強い口調で歴史認識問題に言及
した。


言われ放しは御免蒙る!日本人の名誉を守るために中国の真っ赤な大嘘を
暴きたいと思います。中国の大嘘を6~8個挙げたいと思いますが、
個々を説明するには1冊の本ができます、個々の説明は何時かしたい
と思います。

まず「日清戦争は侵略戦争だ」の嘘、「南京大虐殺」の嘘、「満州事変は侵略
だ」の噓、「盧溝橋事件は日本が仕掛けた」の噓、「細菌戦で27万人の中国人
が死亡」の噓、「尖閣諸島は中国領」の噓、「靖国神社参拝は侵略正当化だ」
の噓、「化学兵器は日本軍が遺棄した」の噓、まだまだ有りますが、歴史
を鑑にと言いながら噓の歴史問題を論じるのは一体どちらか!

野蛮な江沢民だけが「礼儀知らず」だけでなく、中国人の全てが礼儀知らず
です。習近平中国国家主席が英国を公式訪問した際の中国訪問団について、
エリザベス女王が「とても失礼だった」と発言していたことが明らかになった。

特に英警視長は「中国人はとても失礼で、外交的ではありませんでした」と
述べ、中国使節が会合の席を立って退場した一件について話すと、女王
は「なんという失礼な方々でしょう」と答えたとBBC放送が述べています。

恥ずかしい限りです。このように中国人はマナーをもっと勉強しなければ
世界の舞台に立てません。
(次回は反日プロパガンダにトドメを刺すために、日中歴史の真実を書いて
みます)


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