「今年も残り少なくなってきました」と、書き始めて最後のブログを
終わる予定でしたが、「人生も残り少なくなってきました」にしたほう
がしっくりきます。
「生者必滅」生まれたものは死ぬということ、いかに盛んなる者も、
必ず衰える日のあるという、なんとも抜きさしの出来ない、逃げることも、
どうすることもできないところの一つの哲学を与えてくれました。
「死の哲学」は決して、生命の否定ではなく生命に対する不当の執着を
捨てることによって、正しい生命の把握を意味します
例えば西洋人は「切腹」の習慣に驚嘆するようであるが、これは日本民族
が「生命よりさらに尊きもの」の存在を知っているからです。
生きてゆくこと、一日を送り、一日を迎えるということは、まこと、死の領土に
近づいているのです。静かに死んでゆきたい。これは日本人が仏教から
教えられた一つのたしなみ、悟りです。
正念往生といいましょうか、七転八倒して死ぬのも生理的の死は同じで
ありますが、「願わくは花の下にて春死なん」と歌った西行のような気持ち
になりたいものです。
春風一過、春の風がなごやかに頬をなでるというような、のどかな気持ちで
静かに死んでゆきたいものです。
(今年一年、ありがとうございました。来年もよろしくお願いします)

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前回「今の中国語は、日本語から作られた」ということを書きましたが、証明
したいと思います。
今の中国では「科挙」が行われていた時代の漢字は、もはや公的には使用
されていない。漢字はもちろん使われているわけだが、現代日本の真似をし
て、前置詞や助動詞を明確に期すことによって、古典の素養など無くても
文章がかけるようになった。
この漢文の弊害を認識し、口語体を生み出すことに最大の功績があったの
は「魯迅」であった。魯迅が国に帰って、短編小説を猛烈に書き出した。
従来の漢文を捨て、白話文という新しい口語の文体を用いて書いた。
彼の頭の中には常に日本語の文章があり、それを漢字に置き換え
て表現することによって白話文を創作しました。
この文章だけで「中国語は日本語より作られた」という最初の文章が理解
できたと思います。
魯迅は留学によって、頭の中身をすっかり日本人の脳みそに入れ替えた。
日本人の暮らしをし、日本語をマスターすることによって、初めて「近代人」に
なった。彼の「阿Q正伝」を読めばよく分かる。
彼の白話文は日本語を下敷きにして作られた。みすぼらしい阿Qは、2千年
来、何も進歩していないのに、それを認めようとしない中国人の姿が描かれ
ています。
中国の近代化にとって、日本語が果たしたのは単に文体だけのことではない、
現代中国語のボキャブラリーもまた日本語からの借り物である。
中国には恋愛小説がないとよく言われるがなぜなら漢文は情緒表現に
向かない。ということは恋愛感情の発達にも大きな影響を与えた。つまり
漢文が発達したことによって、中国人は洗練された形での恋愛というものを
知らないままに20世紀を迎えてしまった。
このように述べるとたいていの人は「そんなことは無い、中国小説に『紅楼夢』
という恋愛小説があるではないか」と反論される。ある評論家など日本の
源氏物語であるなどと高評価するがしかしその中身といえば、あまりにも
レベルが違いすぎる。
源氏物語の主人公・光源氏はたくさんの女性と恋愛して契を交わしていくが
紅楼夢の主人公が肉体関係を持つのは、祖母から与えられた腰元ただ一人
である。はたして、与えられた下女に手を付けるのが恋愛と呼べますか。
「金瓶梅』に至っては完全な好色小説であり、行為のみが書かれています。
まず。まず第一に恋愛というのは男女間の情のやり取りとか駆け引きなど
一種の知的ゲームである。単に肉体関係を結ぶだけでは、恋愛とは呼べない。
言葉の進化・言葉の洗練なくして、人間の情感の高度化・繊細差というも
のは誕生しない。だから中国では本当の恋愛小説は育たない。
中国語の言葉の進化・洗練されてない例が、最近、安倍氏の「台湾有事は
日本有事。すなわち日米同盟の有事でもある。この認識を習近平主席は
断じて見誤るべきではない」と強い口調で述べた。
この事に中国報道官は「安倍氏の頭をかち割って血を流すだろう」と言った
のです。このような下品な表現しか出来ないとは、中国人は間違いなくなら
ず者である。
現代中国人の異常に肥大したナショナリズムが大きな原因だと思われるが、
それにしてもあまりにも下品な言葉、欧米各国の報道官が相手国を攻撃する
場合、このような残酷で下品な言葉を使ったのを聞いたことがない。
これに対して安倍氏はユーモアたっぷりに「私の態度表明が中国側に注目
されて大変光栄に思う」といったのです。一流人と三流人の違いです。
話は飛んでしまいましたが、それでは、今日の大陸における中国語状況は
どうなっているか、簡単に言えば旧来の漢文の位置を、北京語をもとにした
「普通話」(プートンホワ)が占めるようになっています。
しかし中国においては、まだまだ公用語の「普通話」が読み書きできるのは、
あまり多くありません。そしてそれができる人が新たな知識階級になりつつ
あります。
(この続きは来年にします。今年最後のブログは恒例になって
いる訳のわからない文章で締めくくりたいと思います)

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前回、「今の中国語と漢文は全く関係がない」と書きました。このことを
岡田教授の教えにしたがって、順を追って説明します。
明治以降、どれだけ多くの日本人が漢籍を通じて身につけた中国イメージに
感動し、それを求めて大陸に渡り、現実とのギャップに失望・幻滅して
私を含めた中小企業が中国から逃げ帰ってきたか分からない。
「史記」や「三国志」に登場するような、信義や礼に篤い中国人に出会うは
ずなのだが、現実にいるのは、嘘つきや詐欺師ばかり、油断も隙きもならな
い連中ばかり。
その最大の原因は、実は漢文にある。そもそも、日本人は漢文に登場する
人物や思想は中国人と思っているが、これは全くの勘違い誤解である。少な
くとも、この二千年間というもの、漢文は中国語とは全く関係がない。
北京語だろうが、上海語だろうが、どれだけ中国語を話せるように
なっても、論語や漢詩を返り点なしの白文で読みこなせるようには絶対に
ならない。
例えば日本の古典である「源氏物語」は読みづらいものだが、日本人な
ら誰でもあるていど内容が推測できる。それは現代の日本語に通じる単語
があるからです。
しかし中国人にとっての漢文とは、そのままでは全く歯が立たないものであ
る。漢文とは、中国語の古典などではないということが理解できたと思います。
つまり漢文は中国で話されている言葉とはまったく無縁の言語体系なのです。
私はビジネスマンです。論語に書いてある「信なくば立たず」を基本に生きて
きました。日本人なら誰でもこれを商人道の基本において商売をしてきまし
た。しかし論語など読んだことのない、理解できない中国の商人にとっては、
契約書をひたすら信じる日本人はバカにしか見えない。
日常的に付き合う中国人には、論語に書かれている道義心などまったく無く
「無縁の世界」だと考えるべきです。
前にも書いたが、実のところ、中国には古代から共通中国語というのは、
一度も存在しなかった。古代においても、各地方ごとに言語が異なるのが
普通であった。そこで始皇帝がやったのは、帝国の支配に必要な文書類に
用いる書き言葉だけに的をしぼった。
まず漢字の書体を統一し、しかも、その漢字に対応する読みを決定した。
なぜ「口頭で話される言語」の統一をしなかったのか?しょせん無理な話で
す。なぜなら、南北で言語の系統すら違うのだから、共通語を定めるという
のは不可能な国なのです。
中国人たちは近代になるまで、自分たちが話している言葉を書き表す手段
がなかった。つまり中国人は20世紀になるまで自前の「文字」がなかったの
です。
日本人は中国を指して「文字の栄える国」などというが、とんでもない間違い
です。20世紀になってやっと「白話運動」が起こった。日本語に刺激を受けた
魯迅たちが日常の会話に基づいた中国語で文章表現を始めた。秦の始皇帝
からざっと2千年以上経っていた。
前回書いたように、魯迅は「漢字が滅びなければ、中国が必ず滅びる」と断
言し、「白話運動」を推進した。彼が中国文化に絶望したのは「すべからく
漢文は古典を踏まえるべし」というルールに縛られていたからです。
だから中国思想は全く進歩しなかった。中国知識人と言われる人々はあく
までも先師の文章を暗誦・暗記することが使命で古典を意味もなくそらんじ
る事が中国知識人の使命になったのも、ひとえに漢字の罪です。
あの難しい「科挙」の試験に古典を丸暗記していなければ官吏になれない。
さて、中国人が2千年もの間、漢文という表現手段しか持ち得なかったという
事実は、当然のことながら、中国人の心理にも大きな影響を与えた。
ことに感情、情緒といった面における影響は甚大である。
日本人は自前の日本語を持っているため、あまり気づかないが、細やかな
情緒や感情というものは、自然に成長してくるものでない。世代を超えた文
化的蓄積が行われて、初めて感情生活は豊かになってくる。
日本の場合で言えば「万葉集」から始まって「源氏物語」「古今集」「平家
物語」があり江戸時代の芭蕉、近松、西鶴ら、さらに明治期の漱石、鴎外、
などという文学の歴史が日本人の感情を豊かにしていった。これらの文学
作品抜きに日本人の精神は考えられない。
(続きは次回にて)

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前回「後漢末期の戦乱により漢民族はほぼ絶滅し、北方から侵入してきた
遊牧民に何回も取って代わられた」と書きました。
今回はもっと深くエグッてみます。
今の中国語と漢文は全く関係がない。もし漢文に記された言葉が古語で
あるなら、いかにそれが時代を経ていても、現代中国語を話せる人にとって
は、何らかの手がかりがあるはずである。
しかし中国人にとっての漢文とは、そのままでは全く歯が立たないものであ
る。いくら音声で聞いてもわからないばかりではなく、その文章を目で読ん
でも意味不明、それが漢文なのです。
我々が学校で習ったように、返り点や送りがながついた漢文を読むわけでは
ない、最初から白文に取り組むとなれば、これは絶望的な行為といったほう
がいい。なぜなら、漢文には日本語のように動詞や名刺と言った品詞がない
からです。
中国には55の人種がいると言われていますが、実際はもっと多い。点と線と
いうネットワーク型支配が2千年以上にわたって続いたことは、中国大陸内で
使われている多くの言語の融合を妨げた。もともと多種多様の異民族が暮ら
しているうえに、その民族がさらに小さな集団を作って暮らしているのだから、
言語の多様化が拡大されることはあっても、決して収束されることはない
中国人は一族の中で強固に連帯する傾向があって、その為に閉鎖的である。
その状態が長く続くうちに、いつの間にか言葉が変化して、一族の中でしか
通用しない中国語が生まれる。
昔読んだ本に書いてあったエピソードに、日清戦争、日露戦争に圧倒的な強
さで勝った日本に憧れた中国人が留学生として約1万人もやってきた。
日本政府は彼らのために寮を用意した。寮内の言葉は当然中国語と思うが、
実は習いたての日本語でしか通用しなかった。
なぜなら同じ中国人でも村が違えば言葉が違う。日本人なら単に方言の違い
だけだが、例えば、同じ南部の言葉でも上海語と広東語とでは、ほとんど共
通点がない。さらに同じ地方の言語でも、隣村同士でも全く言語が違います。
このような事を書けば多くの日本人から反論を喰らいます。「そんなバカな、
私は中国語を習っているが何処の町や都市でも北京語で通用する」と言わ
れそうだが!
中国の最大の欠点は多言語にある。言葉を統一しない限り中国の統一は
ありえないと毛沢東は思った。実は毛沢東だけでなく中国の多くの知識人は
そのように思っていた。
その中の一人である「魯迅」は1902年、医学を学ぶ国費留学生として日本に
留学した。彼は日本の中央図書館にいって驚いた。そこには中国の古典で
ある論語や漢詩、儒教だけでなく中国の歴史の文献の豊富さに目を奪われ
た。中国国内では知ることの出来ない中国の知識を手に入れた。
中国の前途に対する絶望感が、魯迅の心の中で日増しに強まっていった。
中国人を覚醒さすために医学を捨て文学に走った。文章を書くために日本語
で考えた。なぜなら中国語なら日頃の言葉と文書語とはまるで違っていた
からです。
魯迅は、中国の近代文学の元祖であり、同時に国民精神の改造を生涯の
課題とした作家である。彼は漢字に対して、「漢字が滅びなければ、中国が
必ず滅びる」と断言し、以下のように述べています。
「この四角い字(漢字)の弊害を伴った遺産のお陰で、我々の最大多数の
人々は、すでに幾千年も文盲として殉難し、中国もこんなほかの国ではすで
に人工雨さえ作っているという時代に、我々はまだ雨乞いのため蛇を拝んだ
り、神迎えをしたりしている。もし我々がまだ生きていくつもりならば、私は、
漢字に我々の犠牲になって貰う外はないと思う」と述べています。
さて毛沢東の事ですが、彼は生涯に中国人を4千万人~7千万人殺したと
言われていますが、なぜか一部の中国人に尊敬されています。それは
中国国民を無理やり北京語で統一し、中国人に言葉を与えたからです。
教科書も北京語で統一、共産党の強みです。
さて、知的な魯迅がいうように中国人が二千年もの間漢字に苦しめられ
「漢字が滅びなければ、中国が滅びる」とまで言わしめた。
おかげで国民の多くは無学文盲のままです。中国人がますます野蛮にな
るのは、漢字による知識と知性の欠落、そして抑圧された内面からくるもの
ではないだろうか。
中国の正しい姿とは、一体何なのか、今日はっきりしたことは、彼らほど
残酷な民族はいないということです。中国はすでに日本人が知っている漢人
ではなく騎馬民族に何回も征服されたと述べました。
その中でも中国全土だけでなく東ヨーロッパまで侵略したチンギス・カンで
有なモンゴル軍の残酷さは現代中国人の血にしっかり受け継がれています。
モンゴル軍の征服の仕方は一つの街を完全に支配するために住民の全てを
殺害した。なぜなら少しでも住民を残すと後ろから追いかけてくるからです。
そのために若い美女だけを残して男性は全て殺した。しかも通常の殺し方で
はない。死体を玩具にするような残酷の極みで殺された。こういう残酷な
中国人の特質は今も変わっていない。
この続きは次回にて

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林氏は「知中派」はあってもいい。「媚中派」ではいけない。交渉する上で相
手をよく知っているのは知らないよりはいい」と言う言葉が、妙に引っ掛
かって、彼の経歴を調べました。やっぱり彼は東大卒その上ハーバード大
学卒とあります。
東大卒の陥りやすいパターンです。つまり東大やハーバード卒のため自分
はなんでも知っていると勘違いして卒業後勉強しない。本を読まない、
つまり教えてもらった事以外は何も知らない。
世の中で最も危険なことは上っ面だけ知って全てを知ったつもりになって
判断する人です。まして国を導く重要な立場になってから間違った判断・
行動などをすれば国民は地獄に掘り込まれます。
今回、日本の親中派を覚醒さすために中国の歴史について詳しく述べて
みます。岡田英弘教授から教わった中国人の野蛮人ぶりを歴史を踏まえて
解き明かしていきます。
20数年間、中国人と商売をしてきました。つまり人間性がもろに出る金の
やり取りをしてきたのです。岡田教授の話に納得したのは私が経験した実
体験と同じだからです。私が知らなかったのは中国人の歴史と文化です。
われわれ日本人は、古くから漢籍を通じて、中国に漠然たる親近感を抱い
てきたが、実際には19世紀まで、現実の中国と接触する機会はほとんど
なかった。そのため中国と中国人について何も知らない。
こんなことでは、政治・経済・軍事・文化のどの面でも、日中関係の判断を
誤るおそれがあります。だから私が見た中国像のいろいろな面を歴史を踏ま
えて語りたいと思います。
古来、日本人は「同文同種」の民族として、漢文を読み込むことで中国を
知ったつもりになってきた。しかし、それはきわめて危険なことです。なぜ
なら現代中国人と日本人が漢文で勉強した中国人とは別民族だからです。
学校で教わった日本と中国人の関係をいうときに「一衣帯水」という言葉が
あります。一本の帯のように見える水という意味で、日本と中国の関係は
地理的にも精神的にも深いということです。
ところがそれほど親密な隣人であるはずの中国人との付き合いにおいて、
日本政府にしても、企業にしても、日本人はことごとく対応を誤ってきました。
それはなぜか、日本人が勉強した漢人は2550年前の「春秋時代」孔子が
活躍した時代の話だからです。
現代中国はそっくり騎馬民族の子孫に入れ替わっています。騎馬民族が
中国に同化したのではない。騎馬民族が中国人になったのです。我々が
親しみを感じる漢民族は紀元2世紀で地球上から姿を消した。つまり秦や
漢時代の中国人は、その殆どが大陸からいなくなったということです。
この時代の論語や漢詩などの中国の故事は日本人に染み付いていた
ことはたしかです。ただ、そういう学校で習った中国と野蛮な現実の中国人
に重ね合わせるから対応を誤るのです。
私が漢人と現代中国とは全く別人種であるということが分ったのはブラザーミ
シンの企画した20数年の前の「中国への旅」で参加したときです。
日本へ帰る最後の宴会で北京市長が挨拶されました。何を言っていたの
かわかりませんでしたが、パーティーのとき並んで写真を取りました
その時私はボールペンで「有朋自遠方来、不亦楽乎」と書いて北京のトップ
に渡しました。意味は「友だちが遠い所からもたずねて来る、いかにも楽しい
ことだね」しかし北京市長は全く反応をせずに怪訝な顔で私を見ました。
そのときは何も感じなかったが、後日、岡田教授の本を読んで納得しまし
た。彼らは漢人ではない騎馬民族の子孫だということが理解できたのです。
(次回はこの続きを)

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