中国は日本との戦争をするつもりである  4月26日(月) 


4月に入って「台灣の危機は日本の危機」という気持ちで書いてきました。
そろそろブログの話題を変えるつもりでしたが、それを察した台灣の友人
(実業界の人)からメールが届いた。

日本の若い人は台灣の食にばかり興味を示して、台灣の歴史を知らなすぎる。
台灣と日本の深いつながりを若い人にもっと知ってほしい。というメールでした。

中国人が台湾人を「同胞」などとみなしていないことは国民党(蒋介石)による
台灣統治史を見れば一目瞭然である。1945年の終戦で中華民国軍は
マッカーサーの命令により、日本軍の降伏を受け入れるため台灣に進駐した。

多くの台湾人は国府の宣伝を真に受け、台灣は新台湾の経営できると喜んだ。
台湾人は蒋介石の宣伝により自分たちは漢民族であると信じ込まされていた。
だから蒋介石軍の進駐が始まるや台湾人は街頭に整列してこれを大歓迎した。

その後1949年には大陸に中華人民共和国が成立。内戦に敗れた蒋介石以
下国民党政権はまるごと台灣に逃げてきた。日本統治で近代化された台湾j人
は、蒋介石の軍隊を見た時彼らは乞食同然の姿に絶句した。彼らは教育水準
が低く文字の読み書きもままならず電気も水道も知らなかった。

それどころか台湾人は日本統治時のような政治運動ができると思っていた。
ところが法も話し合いも通用しなかった。日本教育を受けた台湾人は以前の
野蛮人ではなかった、恥を知り、誇りを持ち大陸の人たちとともに台灣建設を
成し遂げようと考えていた近代人でした。

しかし「支配は(政権は)銃口から生まれる」これが中国人である。戒厳令が
敷かれ台湾人の政治活動は徹底して弾圧された。国民党(蒋介石)は台湾人
を「中華民族化」するための洗脳教育を徹底的に進めた。言葉も北京語に統一、
歴史や地理は中国大陸のものが叩き込まれ歴代王朝の皇帝の名前も暗記さ
せられた。

台灣の歴史など削除され、台灣の地理すらよくわからなくなった。国民党は
中国伝統の秘密警察と密告制度を持ち込み親兄弟ですら信用できない陰湿
な社会を作って台灣を支配した。汚職は横行、公私混同の腐敗が当たり前に
なった。経済の知識のない国民党はその場しのぎに紙幣を乱発、経済は半年
で破局的なインフレになった。

蒋介石はあくまで自分たちが正当の中国であることを示すために実際には
台灣と二つの小島しか支配していないのに全中国を支配するかのような
巨大な行政機構を組織し「石を投げれば役人に当たる」というような状況に
なった。

教科書では日本統治時代の歴史は暗黒色に書き換えられた。日本は台灣を
侵略、収奪、奴隷化した時代ということにされた。しかし蒋介石政権の視察団
がまとめた1937年刊行の「台灣考察報告」では日本統治の台灣の施政を
つぶさに視察した結果として、実は日本統治を大絶賛していた。

「日本人にできて中国人になぜできないのか」わずか40年の経営で台灣と
中国の格差は驚くばかり」と最大級の賛辞を送っています。歴史はいくら捏造
してもかまわないというのが中国人です。

また蒋介石と毛沢東の双方が主張したのは「台灣は中国の一部である」という
「カイロ宣言」だがこれも大嘘でそもそもカイロ宣言なんてものは存在しない。
米英中首脳会談の「カイロ会談」では三国の同意に至らず結局流産に終わって
いるにも関わらず蒋介石も毛沢東もありもしない「宣誓」を根拠にしてまで
「一つの中国」を主張した。

台灣の「中華民国」が大陸を統一することなどもはやありえないにもかかわら
ず蒋介石は生涯「大睦反攻」を諦めずがんとして「一つの中国」を認めなかった。

中華民国「台灣」は中国大陸全体を代表する国として国連の常任理事国にも
なっていたが次第に中華人民共和国が外交攻勢により国際的地位を上げて
いった。

アメリカは国民党が共産党に敗れたのを見て、それまで莫大な投資を続けて
いた蒋介石政権がどうしようもなく腐敗・堕落していることにようやく気づき
「台湾海峡不介入」を宣言した。

という事はもし共産党が台灣を攻めても蒋介石を完全に見限るということです。
しかし朝鮮戦争が風前の灯火の蒋介石の救いの神となりました。朝鮮戦争
の結果、共産主義と戦う決意をしたトルーマン大統領は「台灣不介入」の
方針を一転、第7艦隊を急遽台灣に派遣した。結果的に蒋介石は冷戦の
おかげで生き延びました。

1971年ニクソン訪中で米中が接近。キッシンジャーの暗躍で国連総会に
おいて「中華民国」を追放し、「中華人民共和国」を招請することが可決され
ました。

アメリカ共和党は中華民国が台灣の名で国連にとどまるよう説得しました。
日本もヨーロッパの一部の国がアメリカと同じように台灣に国連にとどまる
ように呼びかけました。しかし蒋介石はこれを不服として国連を脱退しました。

台灣は中国共産党とキッシンジャーの思うつぼにハマリました。台湾人は
蒋介石の面子の犠牲になってしまった。もしあの時蒋介石が国連に台灣の
名でとどまっていれば中国もうかつに手を出せなかった。今のように
台灣は「もともと中国の一部」などと大嘘をつけなかったが、中国の宣伝が
効いて今や多くの国が中国の嘘を信じています。

台灣を支配した蒋介石は1975年87歳で死去。実権は長男の蒋経国に
移っていったが持病の糖尿病を悪化させ1988年急死した。副総統の
李登輝が昇格し台灣の本省人として初の総統に就任した。

1966年に総統直接選挙を実施して台灣の民主化を実現した
台灣の新しい歴史の幕開けです。

(次回も台灣について考察するつもりです)





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台湾人は中国人移民の子孫ではない 4月21日(水)


前回、黄文雄氏の論を少し書きましたが、今回はもう少し詳しくかいてみます。

台灣は昔から中国人の祖父はいても、中国人の祖母はいないとの言い伝えが
あります。それは清国統治時代、台湾への渡航は男だけにかぎられていた
ために、彼らの子孫はみな中国人の男と原住民の女の混血だというわけです。

だから台湾人が移民の子孫であると言うのはおかしい。なぜなら清国時代、
基本的には移民は厳禁されていた。また台湾海峡を渡航することは、
当時の中国の航海技術では非常に危険なことです。

そのうえ、移民は原住民との通婚どころか、接触すら固く禁じられていた。
なぜなら当時台湾は、風土病の島でした。ペスト、コレラ、赤痢、天然痘、
発疹チフス、腸チフス、ジフテリア、猩紅熱、マラリア等、住民の平均寿命は
30歳に満たなかった。

台湾を最初に支配していたオランダは農業開発のため大陸から大量の中国人
を移住させたが、風土病のため病死者が増え、癩病患者だけで3万人にも
上がった。

オランダを駆逐してのは台湾中興の祖と言われた鄭成功である。鄭成功は
幼い頃身につけた日本武士道精神で明国への忠義を尽くすことを誓った。
その名声は日本にも及び近松門左衛門の「国性爺合戦」が人気を博した。

しかし中国では明国が滅び清国になっていた。大陸の清王朝は台湾を領土に
する気はなかったが、鄭氏政権をそのまましておけず大軍を派遣して鄭氏政
権を滅ぼす。鄭氏政権はわずか23年で滅び、台湾は満州人の王朝
清の支配下に入った。

しかし清国では風土病の蔓延している台湾などいらないという考えでした。
1894年日清戦争勃発、日本はこの戦争に勝利し下関条約で台湾を割譲させた。
清国はもっけの幸いと見てこの風土病の島を日本に譲った。

清の統治は都市に限られ南部の地方は無政府状態だった。地方は
大陸から来たヤクザが牛耳っており庶民を搾取していた。だから住民から
日本軍に早く進駐するよう要請する声が上がっていた。住民にとっては
ヤクザに支配されるより日本に統治されたほうが良いというのが実需でした。

台湾を清国から押し付けられた日本は児玉源太郎総督と後藤新平民政局長
によって成果を上げ始めた。まず風土病を撲滅すべきで病院が次々に建てら
れた。さらに医学校が設けられ医学者の育成と伝染病の研究を行った。

台湾の飲料水は不衛生で病原菌の温床でした。そこで日本は23年間に及
上下水道の整備工事が進められた。台風が来るたびに多くの犠牲者を出し
ていたが、毎年100万本の苗木を無償配布し。補助金を交付して造林事業に
つとめた。

また交通の整備がされ南北縦貫鉄道、港湾、道路の建設が行われた。さらに
台湾銀行を設立、通貨、金融制度も確立した。数年のうちに治安は世界一良く
なり泥棒もいなくなった。

児童就学率は92,5%に達し、日本語は言葉もバラバラな先住民や移住民間
の共通語となった。以前のブログでも書いた美味しい米「蓬莱米」を生み出し、
アジア最大のダムを作り、製糖業を確立して産業育成に努めた。

その他鉄鋼、化学、紡績、金属、機械の各分野が急速に育成された。台湾は
現在まで続く工業国となった。

日本の統治が始まって10年経つと大陸から大量の中国人がやってきた。自ら
中国人を捨て、台湾人になる人が大量に増えたのも当然のことです。これで
日本の台湾統治がどういうものだったかは分かっていただけたと思います。

この文章は私が勝手に書いたのでなく、台湾実業家の重鎮許文龍氏の「台
湾の歴史」より抜粋、その他李登輝氏が「日本の若い人たちに、日本のこと
をわからせる必要がある。日本人はここで大きな仕事をやった。

しかし日本の先生は「台湾を植民地にして自分勝手なことをやった」と教えて
います。李登輝氏は「もし台湾の方が中国大陸を吸収したら中国は素晴らし
い民主国家になっていただろう」といっています。

なぜなら日本精神を持った台湾人が多く育っていたからです。
ところが日本統治の功績を挙げていくと左翼はムキになって反論する「そん
なのは植民地統治のためにアメとムチの政策にすぎない」と日本の左翼は
台湾が親日であることが気に入らないようです。

李登輝氏が総統になる前までの台灣史は「台灣原住民は中国大陸から来た
越族である」などという大嘘ばかり書かれていた。さらに中華民族化に都合
の悪い日本統治時代の歴史は残酷きわまりない日本人が台灣を侵略、収奪、
奴隷化した時代ということにされています。

李登輝は教科書には真実を書くべしと言って全て改めてしまいました。日本
の左翼は台灣を見たがらない。「国家解体願望」の強い左翼にとって台灣が
「国産み」するより中国と統一することを望んでいます。

偶然、蒋介石という中国大陸と敵対する先人の存在がなければ決して今日の
台灣はあり得なかった。日本が去って悪の独裁者蒋介石がやってきたお陰で
もっと悪の中国共産党に支配されずにすんだ。

もし蒋介石が台灣に逃げてこなければ、とっくの昔に台灣はチベットやウイグル
と同じような長くて辛い苦難の道を歩まされるはめになっていたに違いない。



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台湾の外省人は信用できますか? 4月16日(金)


それについて、まず戦後の台湾史について書いてみます。
戦前、日本は50年間台湾を統治し近代国家に育てていった。
西欧諸国にとって植民地とは収奪する土地に過ぎなかった。しかし日本は
生真面目に熱心にカネを注ぎ込んで50年間台湾を日本化しようと頑張った。

列強の植民地政策は3種類あった。スペイン等が南米で行った「略奪型」
イギリスがインド等で行った原料を安く買い製品に加工して高く売りつける
「搾取型」そして日本が台湾・朝鮮で行った「投資型経営」です。

日本の左翼は植民地統治は全て悪と言うが、日本は多くの優秀な人々が
人生を賭け、台湾に骨を埋め、大きな素晴らしい仕事を成し遂げた。台湾の
古老は「我々は台湾に来たオランダにも鄭成功にも、そして清国に対しても
屈辱しなかった。しかし台湾を近代化に導き人間としてのマナーを教えてく
れた日本だけは別だった」

またある古老は「日本人が台湾にきてから生を受けた。その間わずか26年
だが日本語を喋り日本人になった。だから祖国は日本です。わずか26年の
日本人だけれどあくまで祖国を愛します。なのに戦後の日本人は間違った
左翼教育のおかげで自虐的罪悪感をもってしまった。

願はくば一時も早く目覚めて民族の誇りにかけて速やかに戦前の日本人、
真の日本国民に戻ってください」と言っています。

そして台湾は、日本の敗戦により大陸から逃げてきた蒋介石のものになった。
台湾人は「アメリカは日本には原爆を落としただけだが台湾には蒋介石とい
う災厄を落とした」と言った。

蒋介石が連れてきた国民党軍はあまりにもみすぼらしく、日本統治で近代化
された台湾人たちは、中華民族に絶句した。彼らは教育水準が低く、文字の
読み書きもままならず、電気も水道も知らなかった。蒋介石の国民党は
自分たちを「外省人」と呼び台湾人を「本省人」と呼んで徹底的に差別した。

武器を持っていない台湾人は反抗できなかった。逆に蒋介石軍はアメリカ
の援助でもらった機関銃を台湾人に向けた。

蒋介石は台湾人を「中華民族化」するための洗脳教育を徹底的に進めた。
蒋介石を民族の英雄として個人崇拝させ、台湾の至るところに蒋介石の
銅像を立てた。日本語を禁止して北京語を公用語とした。当時台湾にいた
48万8000人の日本人全てを日本に追いやった。日本が50年にわたって
営々と築き上げてきた膨大な資産は全て蒋介石率いる国民党のものになった。

台湾総督府を始めとする官庁、学校、官営企業、病院、営業施設ばかりでなく
私企業、私有財産、ビルや文化施設、20万戸の住宅、耕地、山林、7つの
銀行の本支店の預金、各地の在庫の米、砂糖、日用雑貨、原材料も全て
没収された。

その他日本人の軍事施設、船舶、軍用機、装甲車、高射砲、鉄砲、主要兵器
と弾薬、20万将兵の2年分の装備、軍需品、食料等資産総額は全台資産の
6割~8割ともいわれる莫大な資産全てを蒋介石がぶんどった。だから今も
蒋介石国民党は世界一の金持ち政党である。

さてここから「台湾人は中国移民の子孫ではない」という黄文雄氏の論をお借り
します。中国の歴史を捏造された宣伝により「圧倒的多數の台湾住民の先祖は、
みな中国大陸からわたってきた移民の子孫だ、というのは世界の常識となって
いる。

だが最近の台湾人のDNA調査によると、戦後、蒋介石によって連れてこられた
人間とその子孫(外省人)以外の人々の9割以上は、みな完全に原住民の
子孫であるということが分かった。

(長くなったのでこの続きは次回にて)


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世界を敵にした中国 4月12日(月)


台湾のジョセフ・ウー外相「中国が台湾を侵攻すれば台湾は最後まで
戦うと強調しました。(7日ロイター)
ウー氏は記者団に「我々は当然台湾を守る意志がある。必要になれ
ば戦争を行う。自衛しなければならなくなったら最後まで戦う」と主張
しました。台湾の防衛は我々の責任であり、あらゆる手段を尽くし
て防衛力の向上を目指すと述べ、防衛費を増やし軍事力を向上させ
る意向を示した。

台湾の外相は素晴らしい。それに比べ日本の外相茂木敏充氏と偉い
違いである。中国外相の王毅氏が尖閣周辺での日本漁船の操業を
中国主権の侵害であるかのように主張する発言に対して、薄笑いを
浮かべて何も反論をしなかった。

彼の最終学歴は、昭和58年 米国ハーバード大学大学院修了とある
典型的なエリートと英語が喋れる英語屋さんであるが信念が欠けて
いるような気がします。

話を台湾に戻します。
オバマ大統領までの中国政策は対話を重視し、世界経済システムに
組み込んで、民主的で経済的に安定した国へと導くというもので、
中国が豊かになれば、国際協調路線を歩むようになるという期待に
基づくものでした。

この考えを長く推奨していたのがキッシンジャーでした。中国はこの
政策の恩恵を受け、急速な経済成長を遂げてきた。しかしアメリカの
思惑とは逆に中国は悪意のある野望を持つようになった。

つまり世界覇権国になろうという欲望を抱き始めた。そしてその際に
邪魔になるのがアメリカあり、当然アメリアに挑戦することになる。

米中戦争の発火点とは何かというと中国の台湾侵攻である。しかし
日本は憲法9条のせいにしてそれを指を加えて眺めているようだと
日本はお終いである。なぜなら台湾は、日本にとっては生命線の
シーレーンを守る不沈空母であり、一蓮托生の国であるはずである。

両国は近代国家として共有し、政治、経済、社会、そして文化構造に
至るまで共通性を持っています。だから中国は共通の敵です。
しかしそれにもかかわらず、敵に塩を平然と送り続けている「反日
日本人たち」がいかに多くいることか、情けないことです。

「反日日本人」とは何かといえば、中国が日本に対して行うさまざま
な内政干渉の際に、それに呼応しそれを擁護する人々のことです。

野党や左翼評論家や戦争反対が絶対の正義だと常に叫んでいる
バカ代議士が「日中友好に配慮」して中国の代弁をしています。
中国に飼い慣らされている国会議員(2F)がいかに多いか!

そして外務省のチャイナスクールや、中国人のくせに大学の教授に
なって日本の学生にウソを平気で教えています。それ以外に経済界
にも、パナソニック、トヨタ、など親中派がウヨウヨいます。

もちろん企業利益のために親中派の仮面をかぶっているだけかも
しれませんが、日本企業は日本があっての事だと理解しないと痛い
目にあいます。

中国は台湾を絶対に攻略、併呑しなければ、中国の勢力は海に進出
出來ない。それが達成されれば、アジア、太平洋への覇権確立は
可能になる、だから台湾併呑は中国にとり、自らの生存にかかわる
大きな課題なのです。

しかし日本にとって、ここが堕ちれば自らの生存に関わってくるほどの
絶対国防圏と言えます。

中国の最大の弱点は、頼りになるパートナーというものが存在しない、
中国は自国以外の国を信用せずみな敵であるとみなしているからです。

台湾が民族国家として独立するのは時代の流れです。21世紀の今日、
武力で領土を拡大するなどトンデモハップンです。ところがそれがわか
らないのが習近平です。

習近平は台湾攻略で国内の危機的諸問題を処理しようと躍起になっ
ているが、それは大きな誤算です。

これによって中国は、自滅の道を進むことになります。




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台湾海峡波高し    4月5日(月)


前回は、アメリカ海軍の幹部が議会の公聴会で、中国が台湾に軍事侵攻す
る可能性は「多くの人が考えているより差し迫っている」と警鐘を鳴らしました。

また中国は歴史を捏造して「台湾は中国の神聖不可分の固有の領土だ」と
叫び世界中を騙してる。中国は建国以来一度も台湾を領有したことはない。
という書き出しで、台湾は危機的状況下にあることを書くつもりが横道にそれ
て台湾の歴史を書いてしまいました。

今回も横道にそれたままで台湾人について書いてみます。
日本の学校の先生は、日本は台湾を植民地にして自分勝手なことをやったと
教えた。日本の先生のレベルの低さには只々呆れます。日本は台湾を近代化
するために何をしたかということを今の若者に分からせる必要があります。

ある台湾人の言葉によれば、終戦直後における台湾人と中国人の文明的相
違を次のように述べています。「日本人による50年間もの教化により、台湾人
の支那人根性は根絶し、ついに台湾人は日本人と同様、奉公守法、知礼義廉、
恥の日本精神を持つに至った」と断じています。

しかし戦後日本が去った後、中国大陸から共産党に追われて逃げてきた蒋介
石は、大陸から台湾に現在に続くありとあらゆる災厄を持ち込んだ。日本時代
の兵士は守り神として住民から信頼と尊敬を受けていたが、中国兵はそれと
はまったく異なっていた。

彼らの多くは乞食同然のいでたちで、略奪、暴行をほしいままにし、それまで
極めて良好だった台湾の治安は一挙に悪化した。日本統治で近代化された
台湾人はやってきた中国人に絶句した。

彼らは教育水準が低く文字の読み書きもままならず電気も水道も知らなかっ
た。初めて水道をみて驚き、金物屋に殺到して蛇口をタダで取り、家の壁に
ねじ込んで「水が出ないぞ」と言って怒った。

どこの家にもゴミを捨て他人の敷地にバラックを建てた。法の意識が全くなく、
略奪も詐欺も当然とばかり行った。日本統治時代は家に鍵をかけることもな
かったのに、治安は極端に悪化した。衛生事情も悪化してコレラなどが大流
行した。

中国からやってきた兵士が警官になり、罪もない人々をでたらめな理由で逮
捕し、家族に保釈金を要求した。汚職は横行し、公私混同の腐敗が当たり前
になった。日本語を禁止して北京語を公用語とした。さらに職場から台湾人を
意図的に排除した。台湾人の不満は日増しにつのった。

台湾人から見ればまるっきり野蛮人の中国人は、逆に台湾人を日本教育の
毒素を受けた野蛮人として扱った。そして1947年、堪忍袋の緒が切れた台
湾人は2.28事件を起こした。

蒋介石の軍隊はアメリカの援助でもらった機関銃を台湾人に向け無差別に
乱射し始めた。清剛(村つぶし)と呼ばれる虐殺は台湾全土に及んだ。

蒋介石は危険人物のリストを作成していた。台湾の危険人物とは各界の
指導者たちです。蒋介石の統治をやりやすくするためにエリート人材の根絶
を狙った計画的虐殺だった。

国民の鼻や耳を削ぎ落とし、手に針金を通して、麻袋に詰めて海や川に投げ
捨てた。基隆港は死体で埋まった。中国伝統の残虐な殺戮が行われた。
蒋介石は中国伝統の秘密警察と密告制度を持ち込み親兄弟すら信用でき
ない陰湿な社会を作って台湾を支配した。

このような残虐な事は現代も行われているウイグルやチベットと全く同じです。
産経新聞の紙面に掲載されたウイグル人女性の証言では、「ウイグル自治
区の収容所で1年4ヶ月にわたって監禁されていた。そこでは拷問、洗脳、
性的虐待、収容所には常に女性の悲鳴が響いていた」と書かれています。

これと同じようなことが昭和12(1937)年7月29日払暁に、中国河北省通州で
発生した日本人虐殺事件がある通州事件は日本人を守るべき立場にあった
中国人保安隊が一挙に襲いかかり、日本人居留民225名に加えて日本軍守
備隊32名の計257名を尋常ならざる残酷な方法で殺した。

中国での殺害方法は頭に穴を開け、目をえぐり
鼻や耳をそぎ、皮をはぐなどのことが平気でできる人たちです。中国の歴史は
「人殺し文化」です。唐の黄巣の乱、明の李自成や帳献忠の物語でも読めば
中国の人殺しの文化様式を理解できます。

我々日本人は中国人がいかに残忍で残酷で、また大嘘つきで自分たちの罪
を平気で他人に擦りつける民族であること、そして日本人の理解をはるかに
超えた野獣人であることを肝に銘じなければならない。

不勉強の日本の政治家や左翼文化人は間違った教育で贖罪意識を持ってし
まった。だから歴史問題を出されると中国の要求の前に黙ってしまった。
日本の政治家は中国の教科書が全くいい加減でデタラメだということがなぜ
わからないのですか?

中国大陸での残虐行為を全て日本のせいにして、自分の国に不利なこと
は徹底的に隠す野蛮な中国のことを政治家はもっと勉強してください。
少し勉強すれば中国の歴史認識は全て誤りで、でっち上げであることを理解
できます。理解できれば毅然と反論できるはずです。ところが政治家は中国
に配慮ばかりしてトラブルを避けようとばかりしてきました。

現在中国の「華禍論」が欧米世界まで広がって来ています。果てしない軍拡、
固有領土の妄想、噴出する流民、世界を侵食する凶悪犯罪、8億人の貧窮
農民、肥大化する共産特権階級、偽物コピー製品の氾濫、悪性疫病(コロナ)
の発生源、垂れ流しの大気と海洋汚染、大量に移民を送り込む人口侵略、
など世界の禍の中心が中国であるという認識が世界に広がりつつあります。

日本は隣にこの危険な狂人国家が存在しています。左翼メディアやアホな
野党政治家さまにお願いします。早急に憲法を改正して、軍備を整え,
日米同盟を中心にして、インド、オストラリア、英国などを仲間にして戦争の
準備をしなければいけません。

いつでも受けて立つ気構えこそが戦争の最大の抑止力です。




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