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米国の狙いは満州  近現代史NO40  8月31日(金)


近現代史の旅40回目です。近現代史の旅を続けて痛切に感じる事は
日本人は世界を良い方向に変えて行くために存在している唯一の国で
あることがよくわかります。

戦後日本のマスコミ、学者、言論界では大東亜戦争を東京裁判史観の
呪縛に陥って侵略戦争と考え日本だけが非があるとはやし立てたのです。

朝日新聞や左翼学者中心に今回の戦争を相手側の利益になるように言論を
組立 他国の利益を重んじる他国の代弁者となり、日本国を罵倒し、国民
を軽蔑し、歴史をさかのぼって、祖国の歩みを暗黒であった、罪悪であった
とひたすら論じ立てたのです。この人たちこそ正真正銘の売国奴たちです。

しかしマッカーサーはのちに帰国した時、東京裁判は間違いだったと証言
し 日本は自衛のための戦争をしたと語っています。インドのパール判事
は東京裁判で堂々と無罪の判決を下しています。

つまり侵略国家は日本ではない欧米列強であると言っているのです。

アメリカは植民地主義の歴史の中で最後に遅れて登場しました。アジア
に目を向けた頃には既に欧州の先進国にほとんど占領されています。そこ
でアメリカは満州に矛先を向けました。満洲がソ連という白人に占領
されているなら諦めたでしょうが、満洲は日露戦争でソ連を追い出した
白人ではない日本が利権を持っています。

アメリカは極東の有色人種である日本なら遠慮することはないと考え、
日本を満州から追い出して、利権を独り占めしようと企んだ。

アメリカは日米戦争の布石として軍縮会議を提唱して、主力艦の日英米の
比率を3・5・5に決めました。当時の日本はまさか米英二大大国と戦争
を起こすことなど思いもよらなかったので、安心して軍縮に応じました。

何故なら日本はアメリカ・フランス・イギリスとの4カ国条約により日英
同盟廃止を決定したばかりだったからです。完全に油断していました。

この軍縮によってアメリカはいつ日本と戦争しても大丈夫であり、その上
日英同盟廃止が決定してイギリスはアメリカ側に付いたからです。

アメリカは移民を必要とする多種多様な民族でなりたっている国家にも
かかわらず ルーズベルト大統領は異教徒に対する人種偏見が強く、白人
至上主義の人です。だから唯一白人に勝った日本を恐れ憎んでいました。

ルーズベルトは次から次へと日本叩き政策をとって、日本を挑発し日本が
アメリカに戦いを挑むように陰険な謀略を仕掛けていったのです。

我々は戦後の教育の中で、日本はなぜ戦争をしたのかという問いかけばか
りをしてきました。日本人の思考なら戦争には必ず相手がいる。相手が
戦争する意思がなければ戦争はそもそも起こらないと考えていました。

しかし白人たちは有色人種に対しては相手の意思など関係がない。まだ白
人が手をつけていない有色人種の国は、早い者勝ちという陣地にしか考え
ていない。

戦後のマスコミや左翼学者や進歩的文化人たちは、日本は欧米列強を真似
て、中国大陸に侵略した後発の植民地帝国主義だと断罪していますが、
断じて違います。

当時有色人種の国はエチオピアと日本以外は全て白人が占領しつくしていた。
中国も英、仏、独、露に支配されていました。もし日本が立ち上がらなけれ
ば満洲も朝鮮もロシアの傘下に入っていたはずです。

マスコミや左翼学者のように日本を白人のアジア支配と同列に論じるなど
とても許せるものではありません。日本のそれは日本の生命線を守るため
の自衛であり、白人らのそれはすべて植民地拡大の侵略行為です。

過去のブログで満洲は日本の命綱であると何回も説明してきました。アメリ
カはそんなことはお構いなしに日本を満州から追い出す戦略をとってきまし
た。

当時清朝は辛亥革命で倒され、翌年成立した中華民国は政府としての体をな
さず、各地域は軍閥による群雄割拠の状態でした。満洲は張作霖の軍閥の
支配下にあり、治安は乱れに乱れていました。つまり中国という国も中国
政府もまるで無いのと同じ状況だということです。

そのような状況を見越してロシアは再び1929年満州に侵攻してきました。
日露戦争でやっとロシアを満州から追い出したにもかかわらず、ここで
満洲をロシアに支配されてしまうと、再び日本が危ない。

そこで日本は1931年に満州事変を契機に満州全域を占領して、ロシアが
入ってこれないように満州国を建国したのです。

満州事変のことを、日本の多くの言論は日本軍の武力侵略の第1歩であると
語られていますが、トンデモナイ歪曲です。満洲を支配していた張作霖は
満州の民衆にすさまじいばかりの搾取と殺戮をおこなっていました。

日本軍によって張作霖の軍隊が駆逐されるのを見て満州全土の民衆は。大喝
采を叫び、日本に感謝しました。当時の諸外国の反応も日本の行動は当然の
行為として称賛しました。

そして是非、覚えていてほしいことは、戦後中国政府は日本による満州国
建国は「中国の領土への侵略だった」と非難していますが、しかし実際の
ところ、かって満州の地が中国の領土だったことは一度もありません。
なぜなら満洲は万里の長城の外側の地だからです。

詐欺師孫文は満洲が中国の地ではないにもかかわらず、満洲を餌にして
日本から巨額の資金援助を受けています。蒋介石も「満洲は中国の領土で
はない」と公言していましたが、日本が経済発展させたのをみると一転して
蒋介石も毛沢東も「満州は中国の領土だ」と言い出しています。

尖閣諸島近辺の海底から石油の埋蔵量が見つかると突然自国領土だと主張
するのと同じ構図です。中国人の厚顔無恥には、今も昔も呆れるばかり
です。満洲も尖閣諸島も中国の領土である根拠など、どこにもありません。


(この続きは次回にて)




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断じて日本は侵略国家ではない 近現代史NO39  8月29日(水)


近現代史の旅39回目です。前回「大東亜戦争(太平洋戦争)の責任は米国
である」と書きました。これが近現代史の旅の結論です。

戦後の日本は「太平洋戦争は侵略戦争である」という洗脳で、上は首相か
ら下は小学生にまで信じ込まされてしまいました。私の拙い知識と文章で
この捏造された太平洋戦争がデタラメであることを知ってもらいたくて、
学者でもない一企業家が必死に近現代史の旅を続けました。

日本の明治以後の近代百数十年の歴史は、暗黒史観、罪悪史観というレッテ
ルをいわゆる進歩的文化人と言われている著名人によって貼られてきました。

それを信じた一般市民は身をかがめて生きることしかできず、民度の低い
韓国や中国に口撃されても反撃することもできず、謝罪グセが身につい
てしまいました。

しかし戦後の侵略戦争史観が、捏造されたもので、嘘、デタラメであった
ことを知れば日本人は一変します。

最近の尖閣問題や竹島不法占拠の報道に接して真実が少しずつ見えてきま
したが、なりすまし日本人や左翼に支配されているテレビ局は韓国大統領
の無礼を非難しても、最後は「経済にまで影響しない大人の対応をすべき
だ」としたり顔で韓国に被害が及ばないように配慮しています。

戦前も戦後も韓国は日本の援助なしに国の存在を維持することなどできな
かったということをテレビでもっと報道すべきです。

昨年暮れ、京都で開かれた日韓首脳会議で李大統領は野田首相に延々と
「慰安婦問題」持ち出し賠償請求権に関する政府間協議を求めました。その
時の野田首相の言葉は「知恵を絞りたい」とはあまりの幼稚さに呆れるば
かりです。そして今日の新聞によれば「韓国国会が慰安婦賠償要求を決議」
と報道されています。

一国の首相ならばせめてこれくらいは言ってください「昭和40年の日韓請
求権協定で決着済みです。日本は朝鮮半島に残した53億ドル相当の資産を
放棄した。同時に日本は、当時の韓国の国家予算に匹敵する3億ドルの
無償資金援助など多額の経済協力をした。漢江の奇跡と言われる経済成
長も、世界的鉄鋼企業となったポスコをはじめ韓国の大企業の多くも
日本の技術支援と資金協力なくして今日はない」

最低これくらいのことを言えば李大統領も少しは引くでしょう。まだ偉そ
うにするならアジア通貨危機で潰れそうになった韓国への援助、その他
地下鉄、オリンピックスタジアム、その他の円借款等、その円借款も半分
しか返済されていないとまくし立てれば、韓国人に対してはカエルの面に
ションベンでも世界に対しては効果のあるアピールになります。

橋下氏が慰安婦問題を聞かれて「強制連行を直接示すような資料はない」
強制連行を認めた河野談話に対しても「証拠に基づかない内容で最悪」と
切り捨てています。まさに正論です。

日本の近現代史は橋下氏が切り捨てたような「証拠に基づかない内容」で
満ち溢れています。

明治維新以降の戦争で日本軍は常に国際法を遵守した武士道の戦いをした事
を日本人は知らなければいけない。日本ほど国際法を守った国はありません。
真珠湾攻撃においても、戦闘機は軍艦や軍事施設を攻撃してもハワイの一般
住民には一切攻撃しませんでした。

しかしアメリカは日本の多くの都市に焼夷弾を投下して町を焼き尽くし、
東京大空襲では10万人の市民が一夜にして焼き殺され、そして広島・長崎
の原爆投下で一瞬にして30万人以上の市民が灰にされてしまいました。
アメリカの国際法違反も目に余るものがありました。

毎年8月の原爆の日の追悼式に「安らかにお眠り下さい、過ちは二度と繰り
返しません」と誓いの言葉を述べていますが、一体日本は何を過ったのです
か?過ちをしたのはアメリカでしょう。

国際法に違反して非戦闘員の市民を大虐殺したアメリカこそあやまるのが
筋でしょう。日本は何も謝る必要などありません。これではお亡くなりに
なった多くの人々は安らかに眠ることなど出来ません。

日本人の意識の中に日本は残虐な侵略国家として刷り込まれた結果、罪の
償いとして原爆投下はやむをえないと感じさせられてきたのです。この
ように洗脳したのはGHQで 子供たちの教科書を侵略戦争史観一色に
塗りつぶされ、未だに改定されずに現代に至っています。

私がどうしても許せないのは、GHQの占領政策に進んで協力した、NHK
と朝日新聞、岩波書店などが、日本の過去の戦争はすべて侵略戦争だと
反日捏造で国民を洗脳したことです。

そしてこのような偏向報道の中で多くの左翼学者や評論家が育ち 思想と
全く関係がない在日朝鮮人が「人権」「民主主義」「平和」「平等」と
いった左翼の好きな言葉で近づき彼らを取り込んでいったのです。

在日朝鮮人が政治やマスコミの世界に入り込んで権力をもち、日本破壊工
作を着々と進めています。その拠点が民主党政権です。(約70人近くが
在日朝鮮人だと言われています)李大統領が強気に出てきたのは在日朝鮮人
に支配された日本の現状を知っているからです。

秋には解散総選挙があると言われています(私は来年だと見ています)
一日も早く民主党の代議士を排除しなければ日本が危ない。幸いにも
安倍晋三氏が立ち上がってくれました。橋下氏と連携して日本を立て直して
下さい。

そして一刻も早く日本国民を日本が戦争犯罪国家だとの騙しから目覚めさ
せてください。その時はじめて戦争でなくなった兵士やアメリカの国際法
違反で焼き殺された一般市民も 安らかに眠ることができます。




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日米開戦の責任は米国  近現代史の旅38回   8月27日(月)


近現代史の旅38回目です。前回はルーズベルトが日本との戦争になる
ように米国内世論をあらゆる手段を用いて納得させたと書きました。

つまり米政府は中国を支援して日本を泥沼の中に引きずり込み、日米全面
戦争に備えて日本軍の体力を消耗させ、哀れな中国を助けるという正義の
旗を無理やり立てて、世論を味方につけたのです。

しかしこれだけでは世界に対して道義的理由づけにはなりにくい。何故
ならアメリカも多くの国に侵略し、特に中国に対して侵略していたこと
は事実だからです。

そこでアメリカは日本を追い詰めて日本側からアメリカに対して宣戦布告
するようにありとあらゆる方法を取り始めます。日本に対してはいろいろ
な禁輸措置を次々にして、最後は日本の命綱である石油を止めてしまった。

相次ぐ禁輸措置で、日本を経済封鎖して追い詰めていったアメリカは日本
から出された和平の暫定案の一切を放棄しました。日本はアメリカとの
和解への道を懸命に模索していましたが、アメリカは日本との和解の意思
などはじめからまったくありませんでした。

アメリカはひたすら日本からの第一撃を待っていたのです。日本が先制攻
撃をすれば、アメリカの世論も参戦に傾き、道義的責任も回避できます。

そのためのアメリカは宣戦布告に等しいハルノートを日本に突き付けまし
た。ハルノートとは日本が明治維新以降営々と築いてきたすべての権益を
水泡に帰すような要求でした。

ハルノートの内容とは、日本の全面的な中国からの引き上げ、汪兆銘政権を
捨てて,重慶の蒋介石政権を支持すること、日独伊三国同盟の破棄等です。

しかし満洲は日露戦争において多くの犠牲を出してロシアを排除し、馬賊
上がりの軍閥に支配されていた満州の治安を確立し、巨額の日本資本を
投入してこの広大な土地に鉄道、道路、港湾、空港、上下水道、治山治水、
などの近代的な法治国家、一大重工業として成長させたのは日本です。

その満洲を全て捨てて出て行けという言える権利が侵略国家アメリカに
あろうはずがありません。これはもう無茶苦茶です。

アメリカは自らの主張を正当化するために、「満州事変という侵略戦争
の結果生まれた満州国は、略奪と虐殺の大地である」という中国のデタ
ラメ報道を世界中に宣伝したのです。

ハルノートを日本がのむということは、戦争をしないで全面降伏すると
いうことです。つまり日本に戦争しろと言っているようなものです。

東京裁判でインドのパール判事は「ハルノートのような通牒を受け取った
らモナコやルクセンブルグでさえもアメリカに対して立ち上がったであろ
う」と述べています。

セオボルト米海軍少将は「まさしくハルノートは、日本を鉄棒で殴りつけ
た挑発であった」と述べてこれを激しく非難しています。

元米国大統領フーバー(ルーズベルトの前任者)は「もし我々が日本人を
追い詰めなかったら、日本人から攻撃を受けることは決してなかったで
あろう」

ハミルトン・フィッシュ議員はハルノートの存在を知ると「恥ずべき最後
通牒」と批判し「日本は自殺するか、降伏するか、戦うしかない」と言って
います。

10項目のハルノートの提案はいささかの妥協も譲歩も含まれていない過酷
な提案で誰の目にも日本を叩き潰す目的であるということがハッキリして
います。

ハルノートと禁輸措置で日本は完全に息の根を止められてしまいました。
勝ち負けを度外視しても開戦を選択せざるを得ない状況に追い込まれまし
た。しかし多くの歴史書には「日本はアメリカの国力を知らず無謀にも
傲慢に戦いを挑んだ」と書かれています。トンデモナイ日本はアメリカ
との極端な国力の差を熟知していました。だから極力戦争を避ける努力を
続けていました。

日本は石油やゴムといった多くの資源はアジアから輸入しています。
ところがそのアジアは欧米列強に植民地化されて資源のほとんどを日本に
対して供給停止にされています。

経済封鎖された日本はアジアの国々を欧米支配から解き放ち、独立させて
貿易をする以外、日本に生きる道はありませんでした。

しかし日本はアメリカだけでなく、アジアを植民地支配しているイギリス、
オランダ、フランスを相手にしてまで勝てるとは考えられない。まして
アメリカだけ考えてもその国力の差は天と地ほどの差があります。

日本の空母は7隻に対してアメリカは本格的空母26隻、護衛空母7隻に
対してアメリカは110隻。これでは勝てるはずもありません。だから日本
は必死に日米交渉の妥結の道を模索していました。

アメリカは日本を壊滅させるには早くて半年 長くても1年と見ていました。
自信たっぷりなアメリカは早く戦争して日本を潰して中国利権を手に入れた
かった。

戦後 日教組や左翼学者たちが大東亜戦争は日本の侵略だという大嘘で日本
人を洗脳して、多大の罪悪感を持つように、国民を引きずり回してきました。

東条英機は処刑前の手記で「大東亜戦争は彼らが挑発したものであり、私は
国家の生存と国民の自衛のため、止むを得ず受けてたっただけのことである。
故にもし、世界の世論が、戦争責任を追求しようとするならば、その責任は
我が国に居るのではなく,彼の国にいる」という遺書を残しています。

戦争の責任は日本に開戦を選択させるべき仕向けたアメリカの責任だという
ことが戦後の資料によって明らかです。



(この続きは次回にて)



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太平洋戦争は歴史の必然 近現代の旅37回  8月24日(金)


近現代史の旅37回目です。100年前の歴史の旅を続けながら毎日の
ニュースに接していると日本の弱点が透けて見えてきます。

竹島・尖閣問題にしても正義は明らかに日本側にあるにもかかわらず、
今まで声を出さない、言葉を発しない、今頃あわてて遠慮気味に声を
出してもあまり効果はうすい。

声を出さない言い訳を「相手国への配慮」「友好が第一」「なるべくトラ
ブルを避ける」これでは外交にならない。

戦後韓国の竹島不法占拠について日本人は我慢して、目をつぶって、潰れ
る寸前の韓国を何回も助けてきました。しかし今回は李大統領の竹島上陸
や天皇陛下への謝罪要求などの発言で日本人は遂に怒りました。

また尖閣についても不法上陸して日本の主権を侵したにもかかわらず、
民主党政権はほとんどなんの取り調べもせず、容疑者を強制送還したので
す。しかも海上保安庁は上陸を阻止できたのに政府は上陸させてから逮捕
するように命じました。

つまり上陸を阻止する行動に出ると事が荒立って、万が一相手にけが人
でも出れば中国の態度が硬化してより以上にトラブルが大きくなると判断
したのです。なんという愚かな野田首相と閣僚たち

この人たちは国家の主権について何も感じていない。不法に上陸すると
いうことは国家の主権を侵すことになるのです。つまり彼らは明らかに
日本の主権を侵す目的で行動したのです。

世界中の国が一番敏感な所は「国家の主権」です。何故なら国家の最高
独立性を表す概念だからです。野田首相が「上陸させてから逮捕せよ」と
言ったのは、「中国様どうか日本の主権を侵して下さい」といったのと
同然です。

世界中の国が過去「国家主権」を守るためにどれだけの犠牲を払ったか、
そして戦争になったか、国家の主権を守らなければ、国民の主権も守られ
ないということが何故分からないのか、野田首相のレベルの低さに呆れる
ばかりです。

民主党のような「売国政権」は一日も早く排除しなければ、歴史ある日本
が溶けてなくなります。

今日は最初からアサッテに飛んでしまいましたが、これからの旅はいよ
いよ太平洋戦争に入っていきます。支那事変で中国側の捏造に未だに苦し
められていますが、さすがアメリカの場合は極端な捏造ではなく巧みな
歪曲で日本を追い詰めていきます。

アメリカは何かことを起こす前には必ず「大義名分」を掲げ、諸外国を
味方に引き付ける術をしっています。アメリカは民主主義の国ですから
世論の賛同無しに戦争をするわけにはいかない。

その上アメリカはモンロー主義(孤立主義)ですから国民には「戦争はし
ない」と言っています。しかしルーズベルトは支那事変の頃には既に日本
との戦争を決断し準備を始めていました。

日露戦争で最初は日本を応援していたアメリカは、ロシアの世界一の海軍
力が日本の力であれほど木っ端微塵になるとはよもやおもってもいなかった。
負けると信じていた日本が大国ロシアに大勝利した。我に返ったアメリカは
突如として日本を仮想敵国とみなし始めた。

つまり日本の想像も出来なかった実力に恐怖を抱きはじめたのです。
日本は将来、きっと太平洋でアメリカと戦うことになるだろうという予感
と突然日本の連合艦隊が襲ってくるという根も葉もない恐怖をアメリカの
新聞は書き立てました。

いわゆる「黄禍論」がアメリカ社会を津波のように飲み込んでいったの
です。日本人は好戦的であり、アメリカ太平洋側まで奪い取る実力があり、
その危険は今や目の前に迫っているというキャンペーンがマスコミに
よって連日繰り広げられていきました。

アメリカの根底には、「日本の後ろに十数億のアジア人が白人に復讐する為
に結束しているに違いない」というとんでもないデマが信じられていました。

ところが当時の日本の社会は不思議と親米一色に染まっていきアメリカ文化
を盛んに取れいれていきました。悲しいかな日本の言論界も政界も全く正確
にアメリカの実情を判断する能力を持っていなかった。

しかしアメリカのルーズベルトは日本がこれ以上力をつける前に日米決戦
に持ち込まなければアメリカが危うい。そこでアメリカ政府は世論を「日
米戦争は仕方のないことだ」というふうに煽り立てる戦略を取ったのです。

そのために蒋介石に資金と武器を与え日本との全面戦争に仕向けたのです。
そして日本軍は全中国で暴虐、陵辱の限りを尽くしているというキャンペー
ンをはり、アメリカ国民に「貧しい、悲惨な中国を日本から救わなければ
いけない」と信じ込ませたのです。

このようにルーズベルトはありとあらゆる手段を使って日本との戦争にな
るように持ってきたのです。これは私の推測で言っているのではありません。

その証拠にキッシンジャーは「日本との戦争になるように、戦争を嫌がる
国民をその気にさせ、引っ張ってきた、それで世界の自由を救ったんだ。
これは偉大な功績だ」とルーズベルトを称賛しています。

歴史のうねりの中で太平洋戦争はアメリカが100%仕掛けた戦争だという
ことを我々日本人は記憶にとどめておかなければならないと思います。


(この続きは次回にて)



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捏造の南京大虐殺 近現代史の旅36回目 8月22日(水)


近現代史の旅36回目です。前回は通州事件で日本の居留民260名が見る
も無残に惨殺された事実を記述しました。それも本来居留民を守るべき
役目の中国保安隊3000がいきなり民間人に襲いかかったのです。

この通州事件が1937年の7月です。その年の12月に日本軍は支那事変を
終結させるために蒋介石の拠点である南京へ侵攻しました。しかし蒋介石
は、日本軍が攻めてきたことを知ると、一早く部下に任せて南京を逃げ出
しています。

南京侵攻を戦後南京大虐殺という虚偽で戦後長く日本人を苦しめてきまし
た。最近はいろんな資料や本が出て大虐殺はなかった、非道行為を行った
のはむしろ中国兵たちだという真実が明らかになってきました。

中国側がでっち上げた被害者30万人というような数字は、まさに荒唐無稽
で、中国側の宣伝上の数字であることはいろんな資料から常識で分かります。

日本軍人は日清戦争、日露戦争、義和団の事件で世界中が認めたように
軍記厳正で、敵に対して寛仁であり、模範とすべき武士道的軍隊です。

南京戦で日本軍は非常に人道的で、攻撃前に南京市内にいた民間人全員を,
戦火が及ばないように、南京市内に設けられた「安全区」に集めた為に
日本軍の攻撃で、安全区の民間人は誰一人死にませんでした。

その証拠に安全区のリーダーであったドイツ人、ジョン・ラーベは「日本軍
が安全区を設けて民間人を傷つけなかったことを深く感謝いたします」とい
う感謝状を松井大将に手渡しています。

また南京占領後、日本軍の指揮のもとで南京の中国人団体が、死んだ中国兵
の埋葬作業を行いました。彼らは埋葬した人々のリストを残していますが、
その中に女性や子供の遺体はほとんど含まれていません。つまり民間人の
犠牲者がほとんどいなかったことをこの資料は証拠づけています。

ところが南京占領が確定すると多くの中国兵は軍服を脱ぎ捨て、中国市民
を殺して服を奪い 、民間人に化けて南京の安全区に逃げ込み、安全区内で
強姦や略奪、殺人などを行いました。

そして民間人の服装で日本軍人を背後から攻撃(便衣隊)しました。その数
数千人も居り、日本軍から多くの犠牲が出ました。そのために日本軍は彼ら
を見つけ出すために掃討作戦を行わなければなりませんでした。

民間人の格好をした中国兵を見つけ出すために、数万にも及ぶ安全区の住民
の手を検べました。もし兵士ならば度重なる銃の発射でタコが出来ています。
それだけでは間違いもありますので、南京市内に家族がいるかどうかを調べ
ました。もし兵士ならば南京市内に家族はいません。

このようにして日本軍は兵士と市民を区別し、逮捕しました。もちろん人間
のやることだから誤認逮捕もあったとしても、その数はわずかだと思われま
す。このように南京占領において日本軍によって殺された民間人はほとんど
ゼロに近いと言っても過言ではありません。

それでは何故南京大虐殺というオドロオドロシイ言葉が一人歩きしたのか?
アメリカのジャーナリストであるベイツが「日本軍による南京での市民
虐殺」という虚偽を世界に広めたのです。

彼はアメリカの命令で蒋介石率いる中国国民党の顧問をしていました。彼の
使命は「中国市民の悲惨」と「日本軍の残虐」を世界に広め、アメリカ世論
を喚起させてアメリカが日本と戦争するための正義の旗を立てることでした。

しかしその他の良心あるジャーナリストたちは中国兵らの残虐な悪事の数々
を記述しています。ティルマン・ダーディン記者は南京で日本軍を迎える
中国軍の様子を「中国軍による焼き払いの狂宴」としてほとんどすべての
建物に火が付けられ、多くの中国人が死んだと記述しています。

また南京のアメリカ領事館のジェームズ・エスビーが「日本軍入城前の最後
の数日間に中国兵は略奪、強姦、殺人と狂わんばかりの狂態であった」と
報告しています。

南京大虐殺が中国の捏造であることを証拠付ける資料を書き出せばきりが
ありません。そこで最後に確定的な証拠を書いてみます。

南京市の人口は、日本軍の南京への攻撃開始前に約20万人でした。20万人
しかいない所で、どうやって30万人を殺せるのですか?しかも日本軍の
南京占領後、南京市民の多くは平和が回復した南京に戻ってきて、1ヶ月
後に人口は25万人に増えています。もし虐殺があったのなら、人々は
日本占領下の南京に戻ってきたりするはずもありません。

当時の中国市民は自国民である中国兵を恐れ嫌っていました。日本兵のい
るところが一番安全であると信頼していたのです。敗戦後日本軍が惜しま
れながら去った、日本軍の後にどんな軍閥、野党軍団が来るかも知れず、
日本軍が去るのを不安な気持ちで見送った中国市民の気持ちがわかります。

このように日本人の伝統は中国には100%もない遵法精神と規律があり、
武士道が日本軍隊の精神的支えとなっていました。

ところが絶対許せないことに戦後の教育で、日本軍が中国で、暴虐、非道
の限りを尽くしたという虚偽を左翼先生たちは子供たちに教えてきたので
す。この先生たちは本当に日本人だろうか?

まだ中国や韓国のように自国を良く見せるために、数々の悪事を隠し、歴史
を捏造するのは少しは理解できますが、日本のように良いことを隠し、全く
してもいない悪事の罪を着せるなど私には信じられないことです。

日本人でありながら何故反日になるのか?何故歴史を捻じ曲げて日本を非
難し攻撃できるのか?また先生だけでなく捏造歴史の言立てを持って、自分
の言論活動の基本方針として生計を維持している左翼学者たちは恥ずかしく
ないのだろうか?

戦後60年我が国の論壇を占拠し、日本の世論を間違った方向へ誘導してき
た学者、評論家たちの国を売る人々の大罪は果てしなく重い。



(続きは次回にて)



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中韓との戦争を恐れるな。 近現代史の旅NO35  8月20日(月)


近現代史の旅35回目です。毎回寄り道が多くて一向に前に進みません。
今日は順番として日本を蟻地獄に陥れた支那事変から話を進めてみます。

どの歴史書を見ても日中全面戦争は1937年7月7日の盧溝橋事件が発端
だと書かれています。それも戦後左翼学者によって、日本軍が中国侵略を
正当化するために日本の部隊に自ら発砲をして戦争のきっかけを作ったと
書かれています。

ところが後年 中国共産党が日本軍と国民党軍(蒋介石)を戦わせるため
に両方に発砲したのだという真相を中国側から示されました。
日本軍の規律から見て盧溝橋で日本側から国民党側に発砲した可能性は
皆無です。

戦勝国が戦敗国を裁いた理不尽な東京裁判でさえも盧溝橋事件から支那事
変に至る戦争は日本が始めたものではないとして、事変の開戦責任は日本
にあるとはしていません。

このことをもってしても左翼学者たちが日本をいかにも残虐な侵略者とし
て扱ってきたことがよくわかります。彼らが戦後、日本側が意図的に侵略
を開始したと言い続けたことによって、日本国民は中国に対して負い目を
感じて謝罪クセがついてしまいました。

日本の近現代史が進歩的文化人と称される左翼学者の偏向史観によって
引き裂かれ、そして彼らは戦後の日本に害毒を流し続けてきました。

この事件は現地の日本軍も国民党軍にも腑に落ちない事件であって、共産
党軍が仕掛けたワナだということが分かり、数日後には現地停戦が成立
しています。

これで収まってしまえば共産党軍が意図している国民党軍と日本軍の
戦争拡大には繋がっていきません。そこで7月26日に広安門事件を起こし
ます。それは日本軍が北京城内に帰ろうとして、広安門を通過中、中国側
が通過半ばで門を閉じて、城外に残された部隊に一斉に銃撃を加えました。

このような卑怯なことをすればどこの国でも戦争になります。
そして日中全面戦争突入の決定的な事件は1937年7月29日の通州事件です。

通州は長城以南では最も安定した地域として多数の日本人が安心して暮ら
していました。ところが、日本軍隊が盧溝橋事件で町を離れた留守に、本来
日本の居留民を守るのが目的の中国保安隊3千人がいきなり日本の居留民
に襲いかかり中国側の手によって260名惨殺されました。これにより通州
特務機関は全滅しました。

「その惨状は目をおおわしめるほどの残虐ぶりでした。強姦され陰部にほう
きを刺された女性の遺体、テーブルの上に並べられていた喫茶店の女子店員
の生首、斬首後死姦された女性の遺体、腹から腸を取り出された遺体、針金
で鼻輪を通された子供など、尋常ならざる殺害の状況は今も昔も中国人は獣
そのものです」

上記の通州事件のあまりの無残な残虐行為を載せることに少し抵抗がありま
したが中国人の信じられない人間性を暴く意味でもあえて記述しました。

この文章は日曜日の夜書いています。昼間 「たかじんのそこまで言って委
員会」を見ていましたら、田嶋陽子が「漢字から何まで、精神まで日本人は
ある意味中国人なのよ!」と叫んでいました。

このような教養のない女が戦後大学の先生になり多くの学生に影響を与えて
きた事は日本にとって本当に不幸なことです。

通州事件は75年前の事件ですが、中国軍はこれと同じような人間離れした
残虐行為をしています。1950年毛沢東はいきなり武器を持たない平和な仏教
国に侵略をした。その中国の侵略の実態を、アメリカ人マイケル・ダナムの
著書 「中国がいかにチベットを侵略したか」の中で人間とも思えない
残虐ぶりを書いています。

マイケルはサブタイトルで 「それはさながらこの世の地獄だった」と言っ
ています。我々はこのような中国人の人間とも思えない残虐性を知る必要が
あります。なぜなら左翼学者たちが中国の危険性を薄める努力を延々とつづ
けてきたからです。

田嶋陽子のような左翼学者が「中国人と日本人は同質の人間である」という
イメージを過去日本人に植えつけてきたのは無知なのか、それとも「なりす
まし日本人」なのか、とても純粋の日本人とは思えません。我々日本人は、
決して中国人を甘く見てはいけない。

もし日中戦争になっても 日本は中国に負けるはずがありません。中国が
核攻撃してくるなら、日本は山峡ダムにミサイルをぶち込めば核以上の効
果があります。

393億トンの水量が時速100キロのスピードで揚子江下流域を津波のように
襲います。武漢、南京、上海などの大都市を一気に壊滅させます。三峡ダム
が決壊すれば,死者数は5000万人をくだらないといわれています。

山峡ダム以外にも中国全土に22万箇所のダムがあります。日本の優秀な
誘導ミサイルでダム攻撃をすれば核等は怖くありません。脅しには脅し
です。

話を通州事件に戻します。
通州事件のようなことになれば、全中国で多年事業を営んできた在留日本人
が皆殺しにされます。日本は遂に、見通しのない戦争に入っていきました。

不可解なことに、戦後この残虐な通州事件に対する報道は左翼学者によって
隠されて、歴史の闇に消えようとしています。



(次回は南京事件に入っていきます。南京大虐殺という中国が作った捏造を
暴いていくつもりです)



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日本よ矜持を取り戻せ 近現代史の旅 NO34 8月17日(金)


近現代史の旅34回目です。ブログをはじめて既に4~5年になりますが、
このように歴史シリーズを続けたのは今回初めてのことです。この歴史の
旅も5~6回で終わるつもりが気が付けば30回を超えてしまいました。

単発のブログもシリーズのブログも狙いはただ一つです。それは、中国・
韓国人と日本人は全く似ても似つかない人間であるということをわかって
欲しかったからです。

左翼系の人がよく口にする言葉で「中韓も同じ人間だ、話し合えばわかる」
という愚かなセリフに日本人はどれほど誤魔化されてきたことか。話し
合って分かり合えるほどのまともな人間の中韓なら紛争など起こらない。

日本の近現代史の歴史書に書かれている日清戦争、朝鮮併合が単に日本の
朝鮮侵略史として展開していることに気分が落ち込んでしまい、だから
間違った教育で育った人達に真実の近現代史を知って欲しくて、ここまで
きました。

1860年ころの李氏朝鮮は経済的に破産し、軍事力もほとんどなく、政権は
分裂と内紛に明け暮れ、一般庶民は食べるものもなく人命も、道徳も顧みる
ことがなかった。

明治日本は朝鮮半島を放置しておけば、ロシアのものになるか、欧米諸国の
草刈場になることは必定でした。日本は自衛のために朝鮮の独立と近代化を
願い、何度も説得し手を貸したがいつまでたっても目が覚めなかった。

結局日本が選んだ統治以外にどんな可能性が他にあったであろうか。「もし
日本統治による徹底した精算がなかったなら、今日の韓国は世界でもっとも
遅れた地域の一つにとどまっていただろう」と韓国新世代の評論家である
キム・ワンソブ氏が言っています。

韓国政府はこれらの事実を隠し、歴史を捏造して韓国の子供たちを反日に
染め上げて 韓国民全体を日本憎しという世界で例を見ない硬直した反日
国家にしてしまった。

今回の李大統領の竹島不法上陸と陛下への謝罪要求は寛大な日本国民を
心底怒らしてしまった。

李大統領の常軌を逸した行動や暴言についてマスコミは「反日・愛国の
勲章欲しさ」「退任後の収賄容疑での逮捕を免れるため」など言っていま
すが、李大統領の強気の発言の裏は、在日朝鮮人に乗っ取られた日本政府
という安心感があったのではないかと思われます。

李大統領は以前ハッキリと「日本の民主党政権とマスコミは日本国籍を
持った在日朝鮮人が支配した、今後の日本は思うどおりになる」とオフ
レコで発言しています。

戦後韓国大統領は反日カードをチラつかせながら「成熟した韓日関係のた
めに謝罪や反省を求めない」「過去にこだわって未来が損なわれてはならな
い」などの二枚舌で日本の援助をとってきました。

戦後60数年の韓国への援助総額は60兆円を超えました。そのうち無償援助
を除いた援助額のうち半分近くはまだ返済されていません。なぜそのことを
マスコミも日本政府も要求しないのか?

韓国大統領が無礼な発言をするなら「金を返してから言え」となぜ日本政府
は言わないのですか?

今後、韓国政府が日本に資金援助を頼みにきてそれに応じる政府なら、その
政府の閣僚たちは間違いなく「なりすまし日本人」か、あるいは在日朝鮮人
から資金を貰っている政治家です。

去年野田首相は韓国との5兆円のスワップ協定を躊躇なく実行したのは
野田首相は在日韓国人から多額の援助を受けているからです。スワップ協定
とは、韓国が通貨危機に陥った場合、日本に韓国ウオンを預け入れ、引換に
日本円を受け取って運用することができます。

しかし円は世界に通用するハードカレシー(国際決済通貨)です。それに
比べてウオンは他国通貨と容易に交換(為替)できないただの紙くずです。
早い話が5兆円をただでやったようなものです。

国際的金融不安が広がる中、韓国では保有外貨が底をつき、アジア通貨危機
の再熱を危ぶむ声が出て危機的状況でした。日本とのスワップ協定でやっと
生き返り世界の信用が取り戻せたのです。

このように韓国は戦前も戦後も日本から多くの資金援助や技術提供を受け
ながら全く感謝もせず、いつも日本非難を執拗に繰り返し、今回のように
大統領自ら侵略した竹島に上陸し、なおかつ天皇陛下に対する謝罪要求と
はあきれ果てものも言えません。まさに「怒髪天を衝く」です。

ときを同じく今度は中国の指図を受けた活動家7人が魚釣島に上陸した。
沖縄県警は入管難民法違反で彼らを逮捕しました。韓国李大統領も日本の
竹島に無断で上陸したということは入管難民法違反で起訴すべきです。
たとえ逮捕できなくても一国の大統領を起訴するだけで世界にアピール
できます。

日韓友好も日中友好も もはや過去の遺物です。日本は戦争できない憲法を
言い訳にして相手国に配慮することが外交だとおもっています。日本は常に
相手国に配慮ばかりしていますが、相手国が国益を損してまで日本に配慮し
たなど聞いたことがありません。

なにも憲法に縛られ事はありません。憲法の条文などはどのようにでも
解釈できます。国益のためには都合の良い方に解釈すればいいのです。

日本のメンツを潰されたり、国益を損するような事態になれば、いつでも
戦争するという構えを見せることによって相手は一歩ひきます。そのため
には軍事力の増強も日米同盟も必要です。

戦争を恐れ、平和が全てだと思うから一歩引いてしまうのです。一歩引け
ば相手は喜んで二歩はいってきて侵略されるのです。

私たち日本人はあまりにも自国の歴史を知らなすぎます。20世紀前半の
強欲な欧米列強の対アジア戦略で ほとんどのアジア諸国は列強の手に落
ちるのを見て、小国日本は恐怖で奮い立ったと思います。

アジア唯一の独立国日本が必死に生き残るために、世界の誰もが日本の
負けを予想した世界最強のロシアと戦って勝った歴史を知ってください。

中国や韓国という人間離れした野蛮国に対して「毅然とした態度」とよく
言われていますが 毅然とした態度とは領海侵犯した船を何回警告しても
出ていかなければ攻撃して沈めると宣言することです。それが世界で認め
られている国際法です。

現在の日本が主権国家としての矜持を取り戻すには、反省でもお詫びでも
ありません。竹島も尖閣諸島も紛れも無く日本の領土であることを、
世界に向かって知らしめることが急務です。正義は常に日本側にあります。



(今日は興奮して近現代史の旅を続けられませんでした。次回は真面目に
歴史の旅を続けます)



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日本に触発された蒋介石 近現代史の旅 NO33 8月15日(水)


近現代史の旅33回目です。日清戦争後の清朝政府は日本軍のあまりの強さ
に衝撃を受け、軍隊を強化するために日本式の陸軍建設を見習うことにし
ました。

そこで将校だけでなく多くの兵士を日本の陸軍士官学校に留学させました。
その中の一人が蒋介石です。彼は日本にあった留学生を中心にした中国同盟
会に参加し、辛亥革命(1911年)が発生すると、無断で兵舎を抜け出して
密かに帰国し陳其美の配下で革命に参加しました。

しかし結局、地方の新軍の反乱を押さえて、政権をうばったのは清の軍閥で
あった袁世凱でした。

清の宮廷では光諸帝、西太后があいついで無くなり、まだ二歳の宣統帝溥儀
が即位しました。アメリカにいた孫文を臨時大総統にして1912年に中華民
国が誕生しましたが、清国が実質的になくなったわけではありません。

袁世凱は清朝の軍人でしたが、清国に対しての忠誠心などまるでない男です。
清国の全権大臣となった袁世凱は、辛亥革命の混乱の中で清政府と孫文等の
革命派との間で巧みに遊泳し、6歳になった溥儀を無理やり退位させます。
こうして清朝は消滅しました。

溥儀退位後、孫文に代わって袁世凱が大総統になった。袁世凱の軍に勝目が
ないと見た孫文は自分たちのグループである国民党と袁世凱の党による共和
制を提案しましたが、袁世凱は国民党の実力者であった宗教仁を暗殺して
独裁を始めます。

そして国号を「中華帝国」としてついに皇帝にまでなりました。つまり辛亥
革命は中国皇帝の座を袁世凱と孫文が争っただけのことで、後年歴史書に
書かれているような崇高な理想などどこにもありません。

袁世凱は翌年の1916年になくなり、中国は再び4分5裂し、軍閥割拠の
時代に戻っていきます。

蒋介石が注目を浴びたのは、1922年国民党の仲間が反乱を起こして孫文が
窮地に陥った時、一早く救援に駆けつけて、孫文の信任を得ました。
そして国民党が創設した軍学校の校長に抜擢されます。

蒋介石はその学校で軍人たちに日本で身につけた軍人精神を叩き込みます。
生徒たちの中には日本で学んだ留学生が多く混じっており、彼らが日本
を鑑としながら蒋介石に協力していきました。

その結果、蒋介石に忠誠を尽くす軍人集団を育てることに成功しました。
1925年孫文が急死します。自前の軍人集団を持っている蒋介石が国民党
ナンバー1の地位に登りつめました。

国民党を支配した蒋介石は目的達成のためなら権力を集中しなければなら
ないと考えていた。そこでヤクザ組織と手を組んで。テロ集団の特務機関
を組織した。

1928年蒋介石は北伐戦争で北洋軍閥を駆逐し、念願の全国統一を達成
した。そして南京国民政府を指導し、国家と党と軍隊を支配した。
しかし権力を握った蒋介石は独裁者になっていきましたが、内部的には
反対派軍人の武装反抗に手を焼きます。

誰もが国民党と共産党の合作で中国革命が達成されたことを疑わなかった。
しかし蒋介石の軍隊が、共に戦った共産党員や兵士になった農民に襲い
かかりました。権力を集中して独裁を維持するには共産党は邪魔だった。

その後全ての組織が国民党に従うことを定め、言論を制圧、共産党員らを
次々と逮捕していきました。しかし財政に行き詰まった蒋介石は宗財閥の
三女・美齢と結婚します。

宗美齢はアメリカのウエルズリー大学を出ています。 彼女の英語力と
人脈でアメリカからの経済支援を引き出すことに成功しました。

1936年国民党内部でクーデターが起こり、部下の張学良によって蒋介石が
軟禁されます。この時も蒋介石を助けたのは妻の美齢でした。彼女はアメリ
カ軍の支持を後ろ盾に共産党の周恩来に直談判して夫の釈放を勝ち取ります。

この時のアメリカの条件は国民党と共産党が一致団結して日本軍と戦うこと
でした。このようにして蒋介石はアメリカの傀儡になり アメリカの指示通
り日本軍を中国の泥沼に引きずりこんでいきました。

1945年第二次世界大戦戦争が終わると、独裁政権を確実にするために共に
戦ってきた共産党の排除にかかりましたが、共産党は山岳地帯に革命根拠地
を築いて戦力を温存していました。

それに引き換え国民党は日本軍と戦って、戦力を消耗していました。1949年
「人民解放軍」が中国全土を制圧、蒋介石は大陸を離れ台湾に脱出。
中華人民共和国が成立しました。

中国近現代史は孫文から始まって袁世凱、蒋介石と続きましたが誰も天下を
牛耳る事は出来なかった。それは誰もが独裁政権を欲して皇帝になりたかっ
たからです。

共産党は蒋介石の独裁を批判することで蒋介石打倒に成功しました。
しかし明治維新が日本近代化の手段でしたが、中国においての近代化は
独裁を維持するための手段に過ぎない。専制独裁こそ中国数千年の政治に
おける伝統文化なのです。

最後に勝った毛沢東は専制独裁を続けるために最も醜悪なマルクス主義を
選び、批判勢力の芽を摘むために文化大革命によって知識人や金持ちを
大量に虐殺していきました。

孫文も蒋介石も日本を知って近代化の意味を知り、日本を理想としてきま
した。特に蒋介石は謙虚に日本を鏡にして、自国の弱点の追求に真剣に取
り組んでいました。

日本で身につけた軍人精神を死ぬまで称賛し、中国国民を精神面において
近代化に向かわせる為に日本を手本にした「礼儀廉恥」をスローガンに
した新生活運動を展開しています。

しかし毛沢東は欧米を知らない、日本を知らない、もし毛沢東が一度でも
日米欧諸国を回ってみたら、自分の無知に悔しがるにちがいありません

今日においても容赦なく人命と人間性に対して空前の蹂躙を続けている
中国に近代化が訪れるなど未来永劫有り得ません。経済の近代化は国民の
幸せにはつながりません。

多くの日本の経済人や評論家は中国は資本主義開放経済への道に進むと
思っていますが、実態はまるで違います。

中国全土で行われている経済の近代化は秦の始皇帝以来続いている
強権独裁政治の焼きまわしにすぎない。

つまり中国経済の近代化の仕組みは支配者階級が富を吸い上げる為に
数千年続いた中国が最も得意とするシステムなのです。



(この続きは次回にて)



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蒋介石と魯迅 近現代史の旅 NO32 8月13日(月)


近現代史の旅32回目です。日本の近現代史の真実を探るためには中国の
近現代史を知る必要があります。中国歴史には英雄が数多くいますが、
近現代史の中では孫文、蒋介石、毛沢東などの足跡をたどることで、中国
近現代史を理解することができます。

しかしこれらの英雄は政治的にあまりにも偶像化されすぎて真実の中国史
を見えなくしています。特に孫文ほど偶像視された人物は中国史の中では
見当たりません。

だから三回にわたって孫文の実体を暴いてみました。今日は孫文の後を
継いだ蒋介石について検証してみます。

「(1887~1975) 中国の政治家。浙江省の人。日本の陸軍士官学校出身。
孫文死後,国民党で実力を伸ばし,北伐を経て南京政府と国民党の実権を
掌握,次第に反共独裁化した。西安事件で国共停戦に同意したが,日中戦
争中,再び反共路線を強め,戦後は内戦に敗れて1949年台湾に移り,中華
民国総統となった」

蒋介石も孫文と同じく日本の影響を多大に受けた人です。前回にも述べた
ように日清戦争後約2万人の中国留学生が日本にやってきて、日本の近代化
に啓発されたと多くの歴史書に書かれていますが、それ以上に日本人の
規律ある清潔で合理的、かつ質朴な民族性に彼らの多くは衝撃を受けたと
思います。

蒋介石は日本の軍学校で学んだ後に新潟・高田の野砲兵二等兵になってい
ます。中国人でありながら、日本の帝国陸軍の二等兵になるなど珍しかっ
た。当時、中国からの多くの軍人留学生は、卒業して帰国すれば高級士官
に成れたのになぜ蒋介石は日本の帝国陸軍で二等兵になったのか?

それは蒋介石は「日本精神」をもっと学びたかった。彼は「日本人の生活
は全て礼儀に適い、勤勉で道徳と知識の向上を常に図っている。今日日本
が富国強兵を作りあげたのは当然のことだ」と言っています。

ひるがえって我中国人を見れば「至る所で痰を吐き散らしたり、家の中を
掃除したこともない人間をどうして文明人と呼べるのか。試みに食事の
習慣を見よ、壁に寄りかかり、地べたにしゃがみ込み、門外に立ったまま
食事をしている。食後の状態はどうか、野菜の切れ端や残飯が辺りに撒き
散らされ、足を踏む余地もない、自分の体はろくに洗ってもいない、家の
周りはゴミが積み上げられ、1年間も放置されている。これが人間の生活と
言えるか」と嘆いています。

日本と比べて自国民のあまりの民度の低さに衝撃を受けたのは何も蒋介石
だけではありません。おそらく日本にやってきた中国人留学生のほとんど
は自国の文化の程度の低さにショックを受けたと思われます。

なぜ中国人はこれほどまで日本人が想像できないくらい衝撃を受けたのか?

彼らは日本に来るまでは、清国が日本に簡単に敗れたのは日本は自国よりも
一早く西欧の技術を取り入れたからだと、中国も同じように西欧の技術力を
身につければ日本に直ぐに追いつくと考えていました。

そして中国人は日本人より近代化は遅れたが、精神的かつ文化度は自分たち
の方が遥か上であるというプライドを持って日本にやってきました。ところ
が日本にやってきて日本人に接し日本文化に触れたとき、彼らのプライドが
粉々に壊れていきました。

我々日本人は後年この中国人留学生の衝撃を留学生であった「魯迅」の
小説によって知ることになります。彼は日本留学中は和服を着て、食べる
のは日本食で日本語しか話をしなかった。中国人留学生とは付き合わずに、
日本の友達しか作らなかったと言われています。

つまり彼は中国人を軽蔑するあまり、知識も精神も日本人になってしまっ
た。彼は東京の本郷に住んでいた時、落語スタイルで言うところの熊さん
八さん程度の人まで読み書きができ、中には漢詩まで口ずさむ者がいた。

魯迅はエリートを自負していた自分よりレベルが低いと思っていた熊さん
八さんの方が教養人であることに衝撃を受けました。中国4億人の内の
エリート知識人は約20万人より、日本の総人口4千万人の教養の方が上だ
と知った時の彼の衝撃度は日本人では想像できないと思われます。

魯迅は中国人が無教養になった最大の弊害は漢文にあると看破します。
彼はこの漢文の弊害を知り、口語文を生み出す事に全力を尽くします。
魯迅は国に帰って、白話分という新しい口語の文体を用いて短編小説を
猛烈に書き始めます。

彼の頭の中には日本語の文章があり、それを漢字に置き換えて表現する
ことによって言文一致体の白話文を作り出しました。

今日の中国政府が決めた標準語である北京語(普通話)が魯迅や多くの
日本に来た留学生の努力によって出来上がったということを中国はひたす
ら隠しています。つまり現在の中国人は、自分たちが使っている中国語が、
日本語からの借用であることを隠しているのです。

しかし中国語の近代化が既に完成したように思われていますが、私は永久
に無理だと見ています。毛沢東は識字率を上げるために中国語のローマ字
化を進めましたが、失敗しています。

何故なら地方ごとに言葉の違いがありすぎて「話すように書く」と無茶苦茶
になってしまうことが分かり断念しています。中国は異文化,異言語の人々
の寄せ集め国家です。未だに上海人は上海語を話し、広東人は広東語を話し
ている現状において中国語の近代化は絶望的です。

中国発表によれば識字率は90%以上とされていますが、私の推測では公用語
の普通話が読み書き出来るのは大都市中心だけで、全体の20%も満たない様
な気がします。自分の名前しか書けない人を入れて90%以上とはいかにも
中国らしいです。

前回「現代中国を作ったのは日本人である」と冒頭に書きましたが、少しは
わかっていただけたと思います。



(今日も例によって話がそれてしまって、蒋介石についてあまり検証出来ま
せんでした。この続きは次回にて)



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辛亥革命の真実 近現代史の旅 NO31 8月10日(金)


近現代史の旅31回目です。日本の近現代史の旅を続けていると、必然的に
中国の近現代史に踏み込まざるをえません。そこで見えたものは現代中国
を作ったのは日本人であるということが確信を持って見えてきます。

教科書や歴史書には「孫文は辛亥革命で清朝を打倒してアジア最初の共和
国を生んだ建国の父であり、列強の中国支配に挑戦した「救国の英雄」で
ある。孫文は偉大な革命家であるばかりでなく、偉大な民主主義であり、
かつ民族主義者である」と紹介されています。

しかし「辛亥革命」は孫文は一切関与していません。ただ彼はその頃すで
に有名人で、演説上手というだけで、三ヶ月ほど中華民国臨時大総統に就
任していたに過ぎません。

彼は10回蜂起して10回失敗し、3度政府を作って3度失敗しています。
もし辛亥革命も彼が関与していれば失敗したと言われています。

何故なら中国革命同盟会の同志の多くは彼の身勝手さに辟易し、内部抗争
が絶えず起こり、その尊大さに嫌気がさして多くの同志が去っていきまし
た。彼は極めて自己中心的で他者の意見に耳を貸すことはありませんで
した。

それでいて革命も危険を避けて他人にやらしています。そんな孫文を同誌
達は「犬の遠吠え」「孫の大ボラ吹き」と非難しています。その上彼は
革命同盟会内部の公金を着服しています。北一輝などは彼を「ペテン師」
呼ばわりしています。

このような男を何故日本人志士たちは支援したのだろうか?最初に孫文の
烈々なる革命の志に感銘した日本人は元浪曲師の宮崎滔天とアジアの反植
民地民族運動家の平山周です。平山は孫文の日本亡命を助けています。

そして大政治家である犬養毅を紹介しています。犬養は大隈重信外相に
孫文の庇護をみとめさせています。このように清国の逆賊孫文は、日本に
おいて身の安全を確保することができたのです。一文無しの孫文を犬養の
紹介で玄洋社の東山満と平岡幸太郎などが生活費の援助をしています。

また孫文は日本の大物政治家の信用を利用して、日本の貿易商である大実
業家の梅屋庄吉に近づき、「私に投資すれば必ず儲かるなぜなら私が新し
い支那の主だから」と言って現在の貨幣価値で1兆円に及ぶ資金の援助を
引き出しています。もちろん返す気が全くないまま踏み倒しています。

彼の日本亡命中の生活は華美を極め、まるで皇帝のようだったと言われて
いました。そらそうでしょうこれだけの支援を手に入れれば・・・・・

それでは何故多くの日本人がこれほどまで孫文を支援したか?彼は日本人
に支援を求める際の殺し文句があります。それは「日本への満州譲渡」
です。この孫文の殺し文句に多くの日本人を革命支援に駆り立てました。

満洲は日本にとって命運に関わる地です。だから多くが熱中しそれに命を
かけ、詐欺師孫文を応援したのです。

直接関与していない辛亥革命が成就し孫文は大総統に任命され中華民国が
南京に成立しました。途端にその舌の根も乾かないうちに「新国家体制は
漢満蒙回蔵諸国で構成する」と言い出しました。

日本への「満州譲渡」を殺し文句にして多くの資金を手に入れておきなが
ら「満洲もモンゴルも中国のもの」だと平気で言える神経はやはり典型的
な詐欺師中国人です。

1905年、留学生を中心にした中国革命同盟会が東京で発足しました。この
留学生革命グループを大同団結させたのも日本人志士たちでした。彼らは
同じ中国人でありながら言葉が通じなかった。

中国には約55の人種がおり、中国には古代から共通中国語というものは、
一度も存在しなかった。だから省ごとに革命グループが出来、統一されて
いませんでした。彼らの共通語は習いたての日本語でした。

辛亥革命も日本人がお膳立てして中国各地で恭兵しました。日本人が革命
を支援したのは満州譲渡という孫文の甘い言葉だけでなく、純粋に腐敗
堕落した清国政府を打倒し、新政権を打ち立て、日本とともにアジアの
富強を図る目的があったからです。

しかし日本の志士たちも中国への甘い幻想から目を覚まし、中国及び
中国人というものの現実を知ることになります。

革命に失敗して日本に亡命していた梁啓超は「中国には家族の倫理は
あっても社会倫理はない」というまさに中国の倫理の本質をついたこと
をいっています。

現在、中国からもたらされる日本人の理解を超えた多くの事件は、梁啓超
の言葉が全てを語っています。日本人は梁啓超の言葉を肝に銘じて中国人と
付き合うべきです。



(続きは次回にて)



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孫文神話の虚実 近現代史の旅 NO30 8月8日(水)


近現代史の旅30回目です。前回は中国系の人たちからあたかも聖人君子
のごとく尊敬されている孫文の政治思想から彼の正体を探ってみました。

孫文の巧みなへ理屈論を読んでいますと彼の本心は結局近代的な皇帝に
なりたかったのではないかと思われます。近代的という言葉と皇帝は
矛盾しますが、つまり天下を取るために「革命」という看板を掲げて
中国のオーナーになりたかった。

彼は13歳でハワイに渡りキリスト教系の学校に入り、そこで西洋文明や
西洋の思想にふれ、帰国後医学を学びつつ革命思想を抱くようになり、
日清戦争の終結後に広州で武装蜂起を企てたが、密告で頓挫し、日本に
亡命した。

後に1年半にも及ぶ世界遊説を行い、明治38年に日本に着き、革命の
根拠地にしました。彼は革命資金を集めるためにハワイのマウイ島生まれ
にしてアメリカ国籍を収得しています。

世界遊説先での彼の主張は「300年中国を支配し続けた腐敗堕落した
清の王朝がある限り、中国近代化や発展はない。中国元々の民族である
漢民族が立ち上がり清朝を倒すため革命を起こさなければならない」と
演説しています。

つまり「長い間、中国は満州民族である清の植民地されている。腐敗した
満州民族を追い出すために中国漢民族を支援して欲しい」ということです。

もし中国の歴史を知っているなら「何を寝言を言うか」と一笑されるとこ
ろですが、ほとんどの人々は信じてしまった。特に多くの善意の日本人は
彼の「革命」という言葉に酔って金と支援をしました。

彼の主張している漢民族は後漢末期の戦乱によりほぼ絶滅し、北方から侵入
してきた遊牧民族に取って代わられています。日本人が大好きな三国志時代
の戦乱で人口が極端に減り、後漢を滅ぼした魏王朝は大量の兵士を北方より
集めて「蜀」を滅ぼしています。そして司馬炎が魏を内部から乗っ取り
「晋」を建国して「呉」を滅ぼしています。

日本に縁の深い「随」や「唐」はこうして侵入してきた遊牧民が作った
いわば異民族の中国です。

その後も中国は人種も国土の大きさも、さまざま変化しています。そして
ついにはモンゴル人の帝国が南宋までも併合して中国全土を統一しました。

14世紀に明の帝国ができるが、それも満州人の清朝に征服され、1912年
中華民国が建国されます。このような中国歴史を見れば、孫文が主張する
ような純粋な漢民族などどこにもいない。

孫文はハワイと香港に革命団体・興中会をつくり1895年、1900年と二度
にわたり、武装蜂起を企てたが、いずれも失敗します。そして1911年10月
辛亥革命が起こります。しかし孫文は当時アメリカにいました。

革命を起こした人たちの間で内紛が起こり、政府はどこに置くか、また革命
政府のリーダーを誰にするかでもめていました。当時から革命家として世界
的に有名な孫文が12月に上海に帰着すると革命派はそろって彼の到着に
熱狂し、翌1912年1月1日、孫文を臨時大総統とする中華民国が南京に
成立しました。

孫文は演説家であり、煽動家です。話す際には興奮して身振り手振りが大き
くなり、熱狂的な拍手喝采をうけました。また会場には彼の部下が数人いて
彼が会場に入ると、入場者全体を立ち上がらせて、孫先生と絶叫させるよう
に演出していました。

辛亥革命は古代より続いた君主政治を終わらせ、アジアでも初の共和制国家
を樹立し、中国歴史には画期的な革命と世界的に評価されています。その名
誉を孫文は独り占めをしたのです。

孫文は大総統就任演説で「新国家体制は漢満蒙回蔵諸国で構成する」と
言い出しました。つまり満洲もモンゴルもウイグル、チベットも台湾も
みんな俺たちのものだと言ったのです。この厚かましさと強欲ぶりは
歴代皇帝となんら変わりません。

孫文の後の蒋介石、さらに毛沢東までこのインチキ話を受け継いでいます。

彼は革命生活40年のうち、3分の一は日本で暮らしています。その間彼は
植民地支配を脱する漢族の純粋な独立運動だといって、無邪気な日本の
善意にたかり、多くの人たちから借金してそれを踏み倒しても恥じず、
また日本女性との間に子供を設けたりもしていました。

今や孫文は中国でも台湾でも「国父」と言って尊敬され、海峡両岸
で民族の英雄として高い評価を与えられています。

しかし本当に孫文は中国・台湾から「国父」と崇められるほどの値打ちの
ある人物なのか?本当に孫文は中国を変えたのだろうか?
多くの疑問が残ります。



(続きは次回にて)




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孫文の正体 近現代史の旅 NO29 8月6日(月)


近現代史の旅29回目です。前3回にわたって、わずか13年と5ヶ月で消
えていった満州国という国、王道楽土の夢の国を検証しました。

日本においては満州事変を自衛のためという論理は封じられていますが、
しかし当時の状況をながめれば、単純に日本国が武力で侵略したとか、
関東軍の暴走とか、で片付けるにはあまりにも乱暴すぎます。

国際連盟によるリットン報告書によれば「満洲は世界で類例のない地域で
あり、満州事変は単に二つの国の戦争があったとか、一つの国が他の国を
武力で侵略したとか、そういう簡単な事件ではない」と報告しています。

アメリカは日本の満州国統治の成功を見て突然、共同経営を提案してい
ます。日本にすれば巨額な資金を投入している手前、苦労を横取りして
くるアメリカの提案を拒否するのは当然のことです。

断られたアメリカは軍閥の中でも力のある蒋介石に軍事支援をして、日本
を追い込んでいきます。蒋介石率いる国民党軍が北上して、ついに北京を
制圧しました。

アメリカの資金を潤沢に使える蒋介石は満州軍閥の張学良を金で篭絡して
国民政府に帰順させました。そして南満州鉄道、租借地を含むすべての
外国利権を回収する方針を打ち出しました。

しかし臆病な蒋介石は日本軍と全面的な対決を恐れて、満州在留日本人、
特に女性や子供に対して侮辱的な嫌がらせをして、日本人を追い出す作戦
をとります。

このあと支那事変というぬかるみにはいっていきます。ここで日本が敗戦
までの事件を追う前に「孫文」について検証してみたいと思います。
何故なら日本と全面対決していた蒋介石は孫文の軍のリーダーとして活躍
していたからです。

まず簡単に孫文の生涯を列記します。
「清朝末期の1895年。孫文は人々を貧困から救うため、広州で蜂起する
が失敗。その後、華僑や亡命先の日本で宮崎滔天、犬養毅らの支持を得て、
1911年、辛亥革命で勝利を収める。中華民国発足の際には臨時大統領に
就任するも、すぐに袁世凱に地位を奪われ、再び日本に亡命。 仲間の
裏切りに遭いながらも国民党を改組し、革命のさなかの1925年ガンで
倒れる」と書いてあります。
上記の紹介文で「孫文は人々を貧困から救うため」と紹介されています
が本気でそのように思っていたのだろうか?

しかし孫文の政治思想を読めば彼の上から目線の傲慢さは、中国人を
幸せにするとはとても思えない。

孫文の革命思想は「三民主義」と称される「民族主義、民権主義、民生
主義です。孫文の主張を読めば儒教思想と西欧的な民主思想の折衷
ですが本音は中国的価値観が透けてみえます。

彼は中国的本音を隠して諸外国からの支援を得るためにだけに、デモク
ラシーという概念と言葉を巧みに利用して革命家の衣を着ています。

彼の正体が見えた主張の一節に「天下を人民のものにするのは人民では
ない、人民を皇帝にするのは人民ではない。それを実現するのは選ばれた
エリートの使命である」と述べています。

そして「エリートが人民のための立派な国家を建設してそれを人民に進呈
するのだ。立派な国家になるまで、国家の建設過程に人民は参加せず、
ただ有能なエリートに一任される」と主張しています。

つまり立派な国家になるまで、国家の建設過程に人民は参加させず、有能
なエリートによって組織された「革命党」だけということになり、いわゆ
る権力を握った者だけで国を支配して愚民な人民は口を出すなということ
です。

しかし一端権力を握れば彼らは決して人民に国家を移譲するなど有り得な
い。これはまさしく現在中国を支配している共産党一党独裁国家そのもの
です。

それではなぜ人民は政治に参加してはならないのか、それは中国人民は無
能だからと孫文はハッキリ本音を言っています。

孫文はこの本心を隠すために言葉を巧みに操っています。「人民は能力に
よって三分割される。新たなものを創造出来る有能なエリートが「先知
先覚」、その教えを十分に理解できるのが「後知後覚」、ただいわれる
ままに動く無能な大衆が「不知不覚」と区別しています。

彼は演説で常に「権力は人民にある」といいながら、実際には人民から
権力を完全に剥奪する思考です。

孫文は演説に集まった多くの人々に対して、自分は無能な「不知不覚」だ
とは誰も思わせない、自分は孫文の教えを理解できる「後知後覚」だと思
わせるような巧みな演説をしています。

しかし孫文の本心は自分以外は全て無能な「不知不覚」だと思っています。
瀕死の中国を救うのは中国広しといえども、われ以外誰がおるのか、
「予は天民の先覚者なり」という傲慢さは歴代皇帝と何ら変わりません。

中国の最大の悲劇は、権力者にとって人民とは全て愚民で支配者の命令に
背くものは生きていく資格がないと思っていることです。

未熟な存在はいつも民であると思っている中国で、支配者こそが未熟で
あると思わないところが中国最大の悲劇です。



(次回も引き続き孫文について考察してみます)



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魔法の杖 近現代史の旅 NO28 8月3日(金)


近現代史の旅28回目です。歴史の旅を続けてきて痛切に感じる事は、
日本人が降り立った場所は、まるで魔法の杖をひと振りしたかの如く
その場所を奇跡の土地に変えていきます。

朝鮮半島しかり、台湾しかり、そして満州国しかりです。どの国も地域も
日本人が来るまでは人間がまともに暮らして行けるような国ではなかった。

日本人は朝鮮と台湾で暴虐の限り尽くした権力者を排除し、旧体制を精算し、
近代的な法の統治を実現させ、インフラと教育を充実させ、短期間のうちに
近代的な資本主義社会へと変貌させました。

同じく満州国では、馬賊である各軍閥が略奪と虐殺で住民に途端の苦しみ
を与えていました。その数約10万、これを日本軍は一掃しました。
そして治安が確立された満州では近代的な法体系が持ち込まれ、住民は
安心して暮らせる社会に変貌していきました。

満州の総面積は日本の領土の約3倍もあります。この広大な満洲の地に
鉄道、道路、港湾、空港、といった交通網の他、上下水道、治山治水、
電力供給などを整備しました。

満州国の中心都市である新京は100万都市として建設され、路面はすべて
舗装され、下水道が敷かれ、水洗便所が使用されていました。

現在の話をしているのではありません。100年近く前の 何もなかった荒れ
果てた荒野の地に極めて短期間(10年)のうちに近代的な法治国家、自動車
や飛行機まで製造する一大近代産業国家を造ってしまったのです。

朝鮮も台湾も満州国も同じ不衛生な土地で、各種の風土病、伝染病が蔓延し
ていましたが、日本の医師団がそれらを撲滅してしまいました。おそらく
現代中国人が1000年たっても日本人のような事は出来ないと思われます。

我々日本人は現在の中国を見て近代国家になったと錯覚しています。上海や
北京の高層ビル群、不夜城、ブランド品が並ぶショウウインドー、街を走る
高級自動車などを目にしますと近代国家に成ったように見えます。

しかし近代国家の基本は自由、平等、基本的人権の保証、法治主義などで
す。人命と人間性に対して空前の蹂躙を今日も続けている中国にこのよう
な該当する言葉はなにもありません。

ある本によれば「中国は清朝末期以来、近代国家を求めて悪戦苦闘してき
た」と書かれていますが、いったい中国人の誰が近代国家を求めて努力
してきたのですか?

明治維新は日本近代化の手段でした。その根底にあるのは日本国を意識し
た強烈な愛国心でした。しかし中国における辛亥革命も共産革命も個人の
欲望に突き動かされた権力闘争にしか過ぎません。

中国人は究極的な理念に欠け、人間を大切にする概念がかけています。
中国文化には究極的な思いやりの基因がまったくなかったために。人々は
すべての人生をお金と権力欲に注ぎ込んでいます。

魯迅や柏楊が絶望したように個人も権力者側も自分の欲望をギラつかせた
内輪もめ専門であると嘆いています。このような国民に近代化を成し遂げ
るなど千年たっても無理な話です。

この近現代史の旅を続けてハッキリ見えてきた事があります。日本人がいか
に偉大な民族であるかということです。日本人は神の命を受けてこの地上に
降り立った戦士です。だから人類の幸せの為に戦い続けなければいけません。

日本人自身の上に課せられたこのような過酷な運命を思うと勇気が益々湧い
てきます。

悪魔は日本人の使命を忘れさすために戦後60年間日教組や進歩的文化人を
使って彼らの祖国や国家全体を罵倒し、国民を軽蔑し、歴史をさかのぼって、
古代以来、中世以来の祖国の歩みを、暗黒であった、罪悪であったと
吐き続けてきたのです。

日本には多くの悪魔に魅入られた権力を持った人たちがいます。その人たち
の常套句は「市民のため、国民のため」という甘い言葉を吐き続けています。
我々日本人は誰が悪魔の手先かを知る必要があります。

国家を無視して「市民のため」「国民の生活が第一」と喚いている人たちは
間違いなく悪魔の手先です。

今日の社会では邪法が多すぎます。世間はマスコミの虚報に惑わされて、
正法と邪法の区別がつきません。

この歴史の旅を続けてきて、見えてきたことは、つまり日本人は死につい
てのたしなみがあります。我々日本人は数千年の間「死について深い鍛錬
を受けています。切腹も特攻隊も「生命よりさらに尊きもの」の存在知っ
ているからです。生きることだけが生命の全体ではない。

評論家も先生たちも子供の自殺に接すると必ず「命の大切さを教えようと」
全く意味のないセリフが常套句になっています。大人であれ子供であれ
自殺は最後のメッセージです。その命をかけたメッセージを真剣に受け取
る社会にしなければいけません。

「生者必滅、会者定離」人間は死ぬものだということを、逃げることも、
どうすることもできないことを認識できる民族が日本人です。

凶暴な中国人の恫喝や恐喝に恐れてはいけません。傲慢なアメリカ人に接し
ても正論を毅然と主張しましょう。たとえミサイルを打ち込まれても、日本
人の大半が死に絶えても、日本人が人類に尽くした足跡と心は生き続けます。
それが歴史です。



(今日もアサッテに飛んでしまって、孫文や蒋介石の事を記述することが
できませんでした。この続きは次回にて)



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幻の満州国 近現代史の旅 NO27  8月1日(水)


近現代史の旅27回目です。日本はアメリカの戦略通り中国という泥沼に
足を取られて体力を消耗していきました。

アメリカは日本が黄色人種の代表になって、中国4億の人口と資源を手に
入れたとき、白人の存在そのものを脅かす事になるかもしれないという
妄想に取り憑かれ、日中離間策を強引に進めてきました。

米国務省はルーズベルト大統領に対して「黄色人種と白人との間の人種戦
争は必ずおこる」と露骨なまで警告していました。

しかし日本は日露戦争においてアメリカから多大の借金をしておりイギリ
スに対しては日英同盟を結んでいることでもあり議会は完全に「脱亜入欧」
でアメリカを友好国であると信じきっていました。

日本の本音は中国を支配することも仲良くなることも絶対に有り得ない。
始めて清国と対峙した日本の要人たちは一様に彼らの二枚舌と傲慢な態度、
いくら説得しても、言葉が届かない国で、中国近代化の可能性に日本は
絶望していました。だから「脱亜入欧」になったのです。

アジア人対白人の人種間戦争などアメリカの100%妄想に過ぎなかった。
しかしアメリカは蒋介石に軍事物資その他で全力をあげて支援をし、日本
を苦しめていきました。

さてこれらの流れの中で満州事変(1930年)を「関東軍参謀石原莞爾が起
こした暴走であり侵略であると片付けていいのだろうか?戦後の偏向史観
では「日本の拡張主義施策はすべて軍の独走であった」と記述されてい
ます。

それでは何故日本は満州の権益を死守し、満州国建設に巨額な資金を投入し
たのかを、当時の状況を検証しながら関東軍参謀の石原莞爾の気持ちになっ
て考えてみたいとおもいます。1928年10月に満州に赴任した石原莞爾は、
ソ連との戦争を想定した調査を徹底的に実施しています。

ソ連は日本に負けたあとロシア革命(1917年)が起こり史上初めての
社会主義国として5カ年計画に基づいた計画経済路線を着実に歩むように
なりその魅力と恐れを増して行きました。

さらにモスクワに革命の司令塔コミンテルンが設立され、各国の共産党を
コントロール下においていきました。

共産主義のイデオロギーは大量の人類を虐殺しています。しかし19世紀
と20世紀に人類に最大の不幸をもたらした共産主義はことごとく消え
去ったように見えていますが、世界中で姿を変えて未だに人類を悲惨な
目に遭わしています。

さて満州に話を戻します。ソ連の南下を恐れた日本はソ連からの防御のた
め満洲に進出しましたが、ソ連は再び社会主義国家として復活して満洲
国境近辺に軍事力を増強し始めました。

この衝撃が石原莞爾を満蒙一体の領有を計画させた第一の動機だと思いま
す。第二の動機は急激な人口増加と、昭和恐慌で倒産と失業が激増して、
社会が先の見えない暗いトンネルに入っていたことです。

1872年に3500万人の人口は1931年には6500万人を突破しています。
1924年にアメリカで排日移民法が成立して以来、日本の移民はブラジル
中心に南米に向かっていました。

しかし満洲を開発すれば新たな移民先になるはずです。だから石原莞爾は
馬賊が跋扈するだけの何もない荒地の満洲を独立させることによって移民
の受け入れ先にもなり、食料の増産にも直結すると考えたと思われます。

当時の中国は孫文の辛亥革命(1911年)で古代より続いて来た君主政治を
終わらせ、アジアでも初の共和制国家を樹立しましたが、相変わらず政情
は安定せず、各地で軍閥という強盗軍団がやりたい放題で民衆を苦しめて、
国としての体をなしていませんでした

このような状況の中で柳条湖事件をきっかけに関東軍により満州全土を
支配し、中華民国からの独立を宣言し、1932年3月、満州国の建国に
至りました。

私が言いたいのは中華民国が満洲を完全に統治していたのではなく、単な
る軍閥が闊歩している荒地に過ぎないということを理解しなければいけま
せん。

この広大な荒地を日本は、重工業化、近代的な経済システム導入、イン
フラ整備などの経済政策によって、急速な発展をさせたのです。そして
内戦や混乱の続く中国本土から、また朝鮮人などの移民がぞくぞくと満州
に押しかけてきました。日本からも数十万の移民が様々な夢を胸に新天地
へ飛び出していきました。

「満州国は東亜大陸史上、あるいは人類史上において、まったく奇跡の国
だった。なぜなら前近代的、というより原始的に近かったこの広大な荒地に
おいて、きわめて短期間のうちに近代的な法治国家、平和国家、一大重
工業国家として成長したからだ。もちろんこの国をそこまで育て上げたのは
日本人である」

このようにして満州の人々は、それまで夢にも思わなかったような近代文明
に浴することになったのである。そこはまさに政府から、あるいは軍閥、
匪賊から搾取、略奪を受けることのない、そして生命、財産が確実に保護
される平和郷であり、王道楽土だった。

これが日本が建設しようとした新秩序の文明的な意義である。日本人は
これを誇りにせず、いったい何を誇ろうというのだろうか。」 
(評論家・黄文雄氏)

日本人がこのように心血を注いで建設した満州国を「略奪と虐殺の大地
だった」と記述する左翼学者の罪は大きい。

そしてわずか13年と5ヵ月で王道楽土だった満州国が消えていきました。



(前回予告した孫文と蒋介石については次回に検証してみます)




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