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「あゝ満洲 」 近現代史の旅 NO26  7月30日(月)


近現代史の旅26回目です。前回はワシントン会議において日本の躍進を
封じられ、第一次大戦で手に入れたものを全て吐き出すように強制され
ました。

この会議の目的はアメリカの狡猾な外交手腕で日本を追い込んでいくこと
でした。それにしても何故日本人は幼稚な外交しかできないのか不思議
です。この外交ベタは現在も続いています。

ワシントン会議によって出来た「9カ国条約」がその後の日本を追い詰め
ていきます。9カ国条約では中国に関してはどの国も平等となってしまった。
そして中国大陸で揉め事が起こるたびに、この「9カ国条約」が引き合いに
出され、日本非難の根拠に使われてしまう始末でした。

まさにアメリカの思う壷に日本は嵌っていきました。その後満州事変、支
那事変などでの日本の行動をことごとく不承認し、日本の諸権益を否定
しました。

日本は日露戦争に勝った結果、日本はロシアから遼東半島の租借地と満洲を
南北に縦断する鉄道の南半分を譲り受け日本の勢力圏に築いていました。

中国大陸は清朝崩壊以降、国土は千々に乱れ軍閥と称する野党軍団が闊歩
していました。その中でも蒋介石率いる国民党軍が広東から北上して、遂に
北京を制圧しました。

この蒋介石のバックには紛れも無くアメリカが支援していました。蒋介石
はアメリカの経済的・軍事的な強力な支援により満洲に利権をのばします。
そして蒋介石は南満洲鉄道、その他の租借地を含む全ての日本利権を回収
する方針を打ち出しました。しかし日本は国際条約上の権利があり、法的
には通用しない。

第一日本は中国と戦争して満州の権益を得たのではありません。日本
がロシアを追い出さなければ満洲は永久に清国領土から失われていました。
日本は祖国防衛上満州からロシアを排除しましたが、日本は一度も領土権
は主張していません。

日本の考えは相互友好協力の上に満州に居住し、経済開発に参加できれば
よいのであって、満洲の領土にするなどの野心は一切ありませんでした。

我々日本人は捏造された教科書によって誤解させられています。日本が
満洲国を作った行為をまるで強引に中国の一部を切り取ったかのような
乱暴な書き方をしていますが、当時の状況をよく調べれば日本の満洲国
を作った行為は善行そのものです。

まず当時の状況を知らねばならない。中国大陸は阿片戦争(1842年)で
清朝がイギリスに敗れると中国全土を切り取り合戦という植民地化が始
まり、外満洲はロシア領に組み込まれた。

日本は祖国防衛上ロシアの南下を防ぐために日露戦争(1905年)で勝利。
敗北したロシアは満州から撤退した。清国が弱体化すると各地で軍閥によ
る群雄割拠が続いた。清王朝は漢族ではなく満州人です

教科書によると「満州人の支配に対する漢族の革命運動が各地で起こり、
その結果1911年の辛亥革命を契機として1912年に中華民国が成立した」
と書かれていますが、ちょっと待ってください、各地で勃発した軍閥たち
に国としての意識があったのでしょうか?孫文は別格にして、その他の
軍閥が革命などと称しても国を良くしようとなど思っているとは思えない。

日本の歴史学者が常に陥る最大の欠陥は、日本の常識で中国のことを判断
や推測をしてしまうことです。

私たちはごく自然に中国あるいは中国人という言葉を使いますが、20世紀
になるまで中国大陸には中国という国家もなかったし、中国人という概念
も意識もまったくありませんでした。

もちろん権力者である中国歴代王朝は存在しましたが、我々が思うような
国家ではありません。昔から中国人は、囲まれた城塞の中で生まれ、育ち
そして死んでいきました。

数千年もの間、あの広大な大陸に存在していたのは、ただの個人だけです。
中国人にとって自分を守ってくれる国家や民族が存在するなど、夢にも
思ったことはありません。故に中国の民衆たちは、国家という概念を持た
ず、また民族という概念も持たなかったのは実に当然のことです。

だからこのような民族が今まで大陸を支配してきた清朝が弱体化した途端
に、アリがトンボの死骸にたかるように、各地で個人の欲望達成のための
山賊のグループが雨後のたけのこのように出来るのです。

この山賊グループのことを「満州人の支配に対する漢族の革命運動が各地で
起こった」と書けばまるで国を憂いて身を犠牲にして国のために立ち上がっ
たのごとくに勘違いしてしまいます。

軍閥と呼ばれている強盗グループが各地で民衆の財産を奪い強姦し、やりた
い放題の行為を革命と言う言葉で被ってしまえばもう何も見えません。彼ら
にとって外交も戦争も。すべては個人の欲望達成のための道具にしかすぎ
ないのです。

日本人は無邪気に中国人を我々日本人と同じ人間として解釈するからいつも
痛い目に遭うのです。日本人と中国人とでは人生哲学が根底から違ってい
ます。

現代日本の政治家は無邪気に「友好」「平和」「話し合い」などの言葉を
使うが、呆れたことに日本の政治家は建前でなく本気でそのように思って
外交をします。

しかし中国の言う「友好や平和や、話し合い」などは相手を譲歩させるため
のカードに過ぎないということが日本政治家にはまるで分かっていません。
特に左翼思考に染まっている政治家や評論家、学者などの頭はまるで世間の
知らない「女子中学生」の判断力しかありません。



(このまま続けると相変わらず、どんどんアサッテに飛んでいきそうです。
次回は、孫文と蒋介石を中心に話を進めるつもりです)



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アメリカ側の歴史観  近現代史の旅 NO25  7月27日(金)


近現代史の旅25回目です。戦後の偏向史観を正すために今日も努力した
いと思います。太平洋での戦いの原因はほとんどアメリカ側にあるといっ
ても言い過ぎではありません。

アメリカの目的は最初から明らかに日本の攻略であり、太平洋の覇権で
あり、中国権益の拡大です。そのためにアメリカは日本にあらゆる挑発を
仕掛けてきました。

そして表向きの旗印は「民主主義の教化」、何をするにしても「国際正義」
を主張してゴリ押しの力ずく政策を押し付けてきました。

アメリカの偽善の旗印をイギリスやフランス等の西欧列強はアメリカが自国
の利益を通すためであり、日本を弱体化させるための見え透いた幼稚きわま
りない主張だと100も承知していました。しかし真面目な日本はこのような
正義ぶった言葉に昔も今も何故か弱い。

アメリカが日本を押さえ込みにかかった決定的な出来事が1921年のワシン
トン会議です。この会議はアメリカが提唱して、日本、イギリス、フランス、
イタリア、オランダ、ポルトガル、ベルギー、中国とアメリカの9ヵ国が
参加しました。

この時も「国際平和」と「国際正義」という言葉で会議をリードしていった
のはアメリカでした。一番目のテーマは海軍軍縮問題でした。この会議で
米・英・日の主力艦隊の比率が「5・5・3」と決められました。

この会議で山東省の中国返還がきまり、満洲における日本の特殊地位を承認
した協定が廃棄されました。このように日本の中国進出の既得権は全て否定
され、中国への可能性はすべて封じられました。そしてこの会議で正式に
日英同盟が廃棄されました。

このワシントン会議の首席全権を務めたのは加藤友三郎です。彼はこのまま
競争で軍艦を造り続けたら日本の財政は破綻してしまうという判断で「5・
5.3」を受け入れました。帰国して首相となった加藤は、軍艦を自分の
手で沈めるといった後始末もやってのけました。

しかしちょっと待ってください、軍縮を提案したアメリカも財政難だから
軍縮を持ち出したのです。イギリスはもっと財政難でした。三国は軍縮を
したかった、それはいいとして何故日本だけが米英の6割なのですか?

日本は正直に米英の5に対して3にすべく軍艦を廃棄しています。しかし
米英が軍艦を廃棄したという情報は全くありませんでした。もっと納得で
きないのは、外交は駆け引きであり取引のはずです。

米英日の主力艦の比率を相手の6割の条件を飲むなら、中国既得権益の放
棄を何故拒否しなかったのですか?

許せないことにこの会議において、アメリカ、イギリス、フランス、オラン
ダの植民地支配による既得権益には指一本ふれていません。日本だけが損を
する身勝手な会議の条件を何故了承したのですか?アメリカの仕掛けた罠を
どうして感じることができなかったのですか?

日本の歴史書にはワシントン会議を評して、「軍拡や対外膨張で日本が独走
するのをアメリカが抑止しょうとした平和のための会議」と記述されていま
す。そして会議に出席した加藤友三郎全権大使のことを政治が軍事をリード
したという点で優れた政治家だと評価しています。

私はこの歴史学者に、思わずよしもと流に「どこがやねん」「あんたはアメリ
カ側から日本の歴史をみるからや!「ええ加減にせえ」と言いたくなりました。

このワシントン会議以降から日本は孤立化していきます。アメリカは日本を
叩き潰すチャンスを20年間待ち続けます。アメリカはなにか事を起こす前に
かならず大義名分を掲げ、国内の世論を味方に引きつける術をしっています。


(次回は満州事変、支那事変と,泥沼の蟻地獄に入っていき、
アメリカが日本を追い詰めていく様子を書くつもりです)




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勝利の代償  近現代史の旅 NO24 7月25日(水)


近現代史の旅24回目です。前回で日露戦争の直後からアメリカは日本を
仮想敵国にして日米間の全面衝突へと準備に入ったと述べました。

第一次大戦後、日本は連合国の勝利に大きく貢献した功績により連合国
五大国の一国としてパリ講和会議に参加し、ヴェルサイユ条約によりドイツ
の山東省権益と、パラオやマーシャル諸島などの赤道以北の南洋諸島を委
任統治領として譲り受けるとともに、国際連盟の常任理事国となりました。

経済的には、当時すでに世界有数の工業国として近代工業が隆盛を誇って
いました。連合国から軍需品の注文をうけ、大景気に沸いていました。

アメリカ国内ではこのような黄色人種でありながら列強の一国になり、発
展を遂げる日本に対しての脅威論が猛威をふるい始めていきました。

ルーズベルト大統領は多くの点で日本人の優秀さを認めていた。彼は「日本
人は劣っているからではなく、優れているからこそ、排斥されねばならない」
という言葉まで残しています。彼の唱えた黄禍論の本当の意味が分かって
もらえたと思います。

アメリカのマスコミは「発達する日本の背後に中国の4億人のパワーと資源
が結集されれば白人世界は確実に窮地に陥る」という黄禍論を唱え、欧州
だけでなくカナダやオーストラリアまで排日論が広がっていきました。

アメリカのマスコミは「明日にでも日本軍が攻めてくるという」極端な
キャンペーンを連日繰り広げ、それが世界中に伝播して日本を孤立化させ
ていきました。

ルーズベルトの後の大統領はウイルソンです。彼は「民族自決」「植民地
主義反対」を唱え平和の旗を振って登場しました。しかしアメリカは過去
パナマを取って、ハワイを取って、フィリピンもとった紛れもない侵略国
家です。

アメリカという国は今も昔も国益のためなら恥ずかしげもなく平気で過去
を忘れて正義の人になれるのです。ウイルソン大統領は「戦争というもの
を永久になくすために戦争をするんだ」と言った人です。

この偽善者大統領に日本は嵌められてしまいました。彼は「各国が同盟を
作ることによって戦争が起こる、同盟なんてものを止めて、世界中が一つ
の原則に合意してお互いに守れば平和になる」というウイルソン主義を
提唱しました。

そして1920年に国際連盟を作るのです。彼は同盟に反対ですから当然
「日英同盟」にも反対です。つまりルーズベルト大統領からの日本を孤立
化させる戦略を継承していたのです。

イギリスは総理、外務、陸軍、海軍もみんな、日英同盟継続に賛成。しかし
アメリカは強固に反対します。ところがこれをあっさり廃棄してしまった
のは他ならない日本の代表だった幣原喜重郎です。

幣原喜重郎は日英同盟が日露戦争の時以上日本国にとって命綱であること
が分かっていない。日本政府には驚くほど危機感がなかった。アメリカに
とって日米決戦の最大の障害物は日英同盟です。

幣原喜重郎は自ら原案を書いて日英同盟を日英米仏の四か国条約にしてしま
います。しかしいざという時、誰も助けに来ないのですからなんの意味も
ありません事実その後何の役にも立たなかった。そしてこの協定が締結され
ると同時に日英同盟は失効してしまいます。

幣原はウイルソン主義である平和を信じて平和主義者ウイルソンの罠に
幣原は見事に嵌ってしまいました。

明治維新からすでに68年、日露戦争から16年がたっています。あの頃の
偉大な人達はすでにいない。幣原喜重郎のような文民出身が外交を仕切る
ようになっていました。

彼は常に首席卒業で帝国大学法科を卒業しています。お勉強は出来ても相手
の意図が見抜けない、外国との駆け引きができない、その割には傲慢で自信
たっぷりです。今の官僚の原型です。

彼はウイルソンの建前的な平和論を信じ、アメリカの善意を完全に信頼して
いました。しかしアメリカは国益中心で平和はその武器の一つに過ぎない。
特に中国問題では幣原はワシントン会議の精神を誠実に守って、全てを
法の支配下に話し合いで解決しようとしました。

しかしアメリカはその後条約を守らない中国の方に加担します。満洲事変
が起こったときも、事変解決の為にイギリス人が書いたリットン報告書は
非常に公平で「これは日本の侵略というものでない」といっています。
中国での日本権益の拡大を恐れたアメリカはそれを潰してしまいました。

私が言いたいのは彼のように相手の手の内を読む事ができず、「お互いに
条約を守って、理解し合えば、平和にうまくやっていける」と信じた彼の
無能が日本を窮地に追い込んでいったのです。

現代の日本も幣原のような元秀才官僚の無能ぶりが日本を弱体化させていま
す。なぜお勉強のできる人ほど 駆け引きができないのか不思議です。
政治家も官僚も優先順位は国益です。そのためには道徳的に批判されても
二枚舌は必要です。ところがいまや自分を守るためにだけ二枚舌を使って
います。

現在の外務省に望むことは変幻自在の生きた外交をすることです。アメリカ
に常に手の内を読まれ、いいように動かされている政治家にはうんざりです。

日本の指導者たちは今も昔も変わらない、世界の現実が見えない、彼らの
二枚舌を信じてしまいます。そしてエリート言論人たちは、悪いのは日本で
あると自己反省や内部改革論を唱えます。それは相手を利するだけだという
ことが未だにわかっていない。



(次回は、日本はアメリカの戦略にはまり孤立化し、支那事変の泥沼に
入っていった日本の悲劇を書いてみます)



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人種偏見   近現代史の旅 NO23  7月23日(月)


近現代史の旅23回目です。この後半の旅の最大のポイントは日米戦争の
責任の90%はアメリカ側にあるということを解明したいと思います。

日本人は戦後教育の中で「日本人は何故アメリカと戦争をしたのか?」
という愚かな問いかけばかりをしてきました。それは「戦争を全くする気
のないアメリカに日本は宣戦布告もせずに真珠湾攻撃をかけた」という事
を前提にして思考するからです。

それは戦後の反日左翼学者たちの悪意のある捏造を信じ込まされたからで
す。こんなバカバカしい話は歴史を紐解けば直ぐにわかります。

アメリカは日露戦争後、すぐにオレンジ計画という対日戦略が練られ、毎年
のように作戦を練り直されていたことを我々日本人は知らねばなりません。

日露戦争が終わって、日本は深い安堵感が国全体をおおていました。そして
何の疑いもなくアメリカを友好国であると信じていました。しかしアメリカ
のルーズベルト大統領は日本の連合艦隊が突然襲ってくるという根も葉もな
い噂をマスコミを使って盛んに流した、それはアメリカ社会を津波のように
押し流して行きました。

それに同調するように世界の白人国は、日本をリーダーとした有色人種が
白人にとって代わる恐怖を見たのです。

白人たちは長年にわたってアジア人を奴隷としてこき使い搾取し、アジア人
を殺害しても法律に触れることはなかった。その恨みをアジア人の代表と
して日本人が白人に襲いかかってくるというデマが白人社会に衝撃をもって
広がっていきました。

何故白人はこのような有りもしないデマに怯えたのか?それは日本は世界の
強国であるロシアにパーフェクトに勝ってしまった。世界から見れば、世界
屈指の大国に、あの小さな極東の国が勝つなど夢にも考えられなかった。

最初日露戦争直後は白人も有色人種も世界中が沸き立った。しかし白人達は
冷静に考えれば黄色人種が白人に勝利したことに彼らは愕然としました。
それがどれくらい大きな恐怖を白人社会にもたらしたかは、日本人には理解
できない。

当時のフランス新聞は「黄色人種が地球の表面をやがて支配するのでは
ないか」という危機感を論説で載せる始末でした。

この黄色人種が世界を支配するという恐怖を取り除くには何処かの白人国
が日本を叩かなければいけない、二大強国のロシアが負けた以上イギリス
しかいない、しかしイギリスは日英同盟を結んでいる、残りは最近力を
付けてきたアメリカしかいない。

アメリカは「黄禍論」を世界に向かって盛んに吹聴していた以上当然その
役目、すなわち黄色人種日本を壊滅させる使命をおびることになります。

第一次大戦の戦後処理をしたパリ講和会議において、日本は「人種差別撤廃
法案」を提出しました。国際会議において人種問題が初めて採り上げること
に世界中の有色人種は期待をこめて眺めていました。特にアメリカの黒人達
は色めき立った。

しかしこのような法案が国際会議で承認されると一番困るのはアメリカです。
黒人と白人が同等になるなんてアメリカ社会が受け入れるはずもありません。
アメリカのウイルソン大統領は不採決を宣言して、この日本提案を潰して
しまいます。採決では日本の提案が多数をとっているにもかかわらず反故に
してしまったのです。今も昔もアメリカの自分勝手ぶりには目にあまります。

この時を境にアメリカ国内の排日運動は今まで以上に激しくなっていきまし
た。外国人土地法で日本人を事実上農業の仕事から追い出し、1924年、
排日移民法が連邦議会で可決されました。

当時のアメリカは1日三千人の割合でヨーロッパの白人の移民がありました。
それに比べれば日本の移民などたかがしれているにもかかわらず、日本移民
を敵視しました。

白人達は有色人種を自分たちよりはるかにレベルの低い人種であると信じ
きっていました。ところが日本移民の仕事ぶりを見たアメリカ人はその合理
性と技術革新を巧みに組み合わせる能力に驚かされました。

白人は日本人の能力に恐れを抱き、黒人もまた次第に日本人を妬むように
なってきました。白人たちの黄禍論の本質が見えてきたと思います。

アメリカの議員やマスコミは国務省に対して「黄色人種と白人との間の
人種戦争がおこり、まもなく白人の存在そのものを脅かすことになるかも
しれない」と警告しています。

最初の黄禍論は、大陸横断鉄道建設の労務者として中国人を大量に連れて
来た時からです。その後も中国人はぞくぞくとやってきてカリフォルニア
には大量の中国移民が定着しました。当時の新聞には中国人のことを
「見下げた人種」として、身の毛もよだつ害虫であると記述されています。

大量に入ってきた中国人を見て、その不潔感と犯罪の多発をみての黄禍論で
した。1882年に中国人のアメリカへの移民を禁止しています。その後
日本移民が登場します。日本人も同じ黄色人種であることから中国人と同等
に見られていました。

日本人を中国人と同じレベルで見ていましたが、日露戦争の勝利や日本移民
の能力をみてアメリカ人は脅威を感じ始めました。つまり日本人によって
黄禍論の意味合いが変わってきたのです。



(今日の私の主張は大東亜戦争の根本原因は白人たちの「異教徒に対する
人種偏見」が全てであると言いたかったのです)



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ちょっと休憩です。近現代史の旅は月曜日から続けます。


ブログに、寄せられたコメントに対して返事を差し上げる事はタブーと
されていますが、水曜日に投稿された韓国系日本人でいらっしゃる
ビバジャイアンツ様の投稿に心動かされました。

「初めて書き込みします。
私は所謂韓国系日本人です。亡き祖父は日本に行くと幸せになれると聞いて、
韓国から日本に渡ったと幼少の頃私に言っていました。祖父は一生懸命日本
人になろうと努力していました。 私もこのブログなどで日本の素晴らしさ
を色々な角度から教えて頂き、許されるなら日本人に心からなりたいと願い、
日本人として生きていくつもりです。
日本に愛国心を持つ韓国系日本人も私以外にも多数いると思います。
どうかなりすまし日本人などと一括りにしないで欲しいです。
知れば知るほど朝鮮人、支那人には染まりたくありません。
今後三人の我が子(妻が日本人なので半分は誇り高き日本人の血です)立派
な日本男児に育てるべく奮闘したいと心から思っています。
朝鮮人、支那人を正す為にも正しい知識をこれからもご教授ください。


ビバジャイアンツ様のコメントを読まさしていただき、心安らぐ感覚に
なりました。

私は韓国に会社を設立してはや20年になります。当初は給料さえ貰えれば
後はどうでも良いという無責任な社員ばかりでしたが、今では上から
下まで自分の会社という意識が芽生えて、まるで日本人のような会社に
なってきました。

私は4年前に韓国人に代表取締役を譲り、今では現地に行くこともありませ
んが、先月6月に20周年の記念パーティーの招待を受け、久しぶりに訪韓し
ました。

それまで何回も現地から誘いを受けましたが、忙しいことを理由に一度も
訪韓しませんでしたが、「今回は20周年の記念式典でもあり、日本人が誰も
いないと新しく仲間になった社員や地方の代理店が日本の製品(化粧品)では
なく韓国製品を偽装して売っているのではないかと疑われてしまう、どうし
ても前社長が来て挨拶して欲しい」という要望なので仕方なく訪韓しました。

何人もの懐かしい社員に抱きつかれて、思わず涙をこぼしました。会社設立
時から約6~7年くらいは赤字続きで、全員苦労したことが思い出され涙が
止まりませんでした。

税法上日本の会社の資金を出すわけにはいかなくて私の個人の資金がかな
り消えていきました。それでもやめずに我慢したのは設立時にミネラルウオ
ーターの商売をなげうって先の見えない日本人の会社に賭けてくれた韓国人
一家のためにも止める訳にはいかなかったのです。

最初は現韓国人社長以外全ての社員は「日本人が韓国人を利用して金儲け
するために現地法人を作ったと」と思っていたそうです。

ところが会社が利益が出るようになっても私は一円の給料も取らず、個人の
資金も回収しませんでした。そのことを社員たちは韓国人社長から聞いてから、
みんなの動きが変わってきました。

それと自分たちは日本人の会社に務めていることに誇りを持つようになって
きました。つまり韓国人でありながら日本の心を持ったのです。

私が言いたかった事は血は関係ありません。心です、社員達は日本の会社に
務めているという意識が社員たちを日本人にしていったのです。

過去韓国の会社はいろんな社員や得意先、代理店など裏切り行為や詐欺行為
で損害をだしましたが、その人たちの会社は2年と持ちません。当社と同じ
販売システムで同じ製品を真似して作っても結局長続きしませんでした。
それは日本人の心まで真似できなかったからです。

ビバジャイアンツ様のコメントの中に「日本人として生きていくつもりです」
という一文を見ました。このように思った時から貴方は間違いなく100%日本
人です。貴方のような日本人の心をもった在日韓国人が増えることを心より
願っています。



痛恨の日英同盟破棄  近現代史の旅NO22 7月20日(金) 


近現代史の旅22回目です。前回は唐突に大東亜戦争にまで飛んでしまい
ました。今日は1914年に始まった第一次大戦について考察します。

この戦争はヨーロッパを中心に30ヵ国以上が参戦した最初の世界規模の
戦争でした。イギリス、フランス、ロシアを中心とする連合国とドイツ、
オーストリア、ブルガリア、オスマン帝国(後のトルコ)からなる中央
同盟国の2つの陣営に分かれ、後に日本、イタリア、アメリカがイギリス
側に立ち参戦しました。

日本にとってこの戦争における一番残念なことはアメリカの戦略の罠に
落ちて日英同盟を破棄したことです。

第一次世界大戦は、イギリスにとっては生きるか死ぬかの運命を決する
戦いになりました。イギリスは世界に手を広げすぎて少し疲れていまし
た。ドイツは遅れてきた帝国主義の国家でまだ余裕があり強かった。

イギリスは同盟国である日本に何回も応援を要請していました。しかし
日英同盟の目的地域はインド洋までと決められています。日本は日露戦争
の義理もあり駆逐艦隊は送りましたが、あまりにも遠方のため陸軍は送り
ませんでした。その代わりドイツに宣戦布告したあと日本はドイツの租借
地である山東半島を攻め落としています。

山東省で日本の勝利が濃厚になった時点で中国は突然ドイツに宣戦布告し
ました。この意味を第一次世界大戦が終わったベルサイユ講和条約で中国
の意図を知ることになります。ドイツに宣戦布告しただけで何もしなかった
中国がドイツに宣戦布告した以上、山東省は俺のものだ主張したのです。

この辺の中国のずるさは今と全く同じです。日本の権益拡大を恐れたアメ
リカは中国の言い分を聞くつもりでしたが、同盟国であるイギリスはアメ
リカを説得してくれました。

アメリカは日英同盟を反古にする絶好の機会と見て、ものすごい大兵力を
だしました。陸軍も海軍も、日本とは比べ物にならないものすごい兵力を
だしました。

アメリカがドイツに宣戦布告したのは一般的にはドイツが無差別潜水艦
作戦でアメリカ世論ではドイツ非難の声が高まった結果1917年連合側に
たって参戦したと書かれていますが、それにしては参戦があまりにも遅す
ぎます。

イギリスやフランスが敗北した場合に両国への多額の貸付金が回収できな
くなることを恐れたという説もありますが、私はアメリカの意図の最大の
狙いは日英同盟を止めさすことにあるのではないかと推測します。

前回のブログでアメリカは日本がロシアに大勝した時から日本と戦う準備
を始めたと書きました。日米決戦で一番邪魔になるのは日英同盟です。
第一次大戦が始まったときはイギリスと日本は同盟ですがアメリカはイギ
リスとは同盟国ではなかった。

しかしものすごい兵力を出し、イギリスの要請に応じたアメリカは、戦争
が終わったころは、アメリカのほうが断然大事な同盟国になっていました。

第一次世界大戦は日本を戦勝国として一大飛躍を遂げました。と同時に
アメリカの国力がイギリスを上回り世界のリーダーになっていきました。

日露戦争から第一次大戦をへてヴェルサイユ講和条約、ワシントン会議、
そして日米激突までの流れを見ていますと日本がアメリカに追い込まれて
行く様子が手に取るように見えてきます。

日本はイギリスの要請を受けてドイツの租借地である山東省を攻撃しドイ
ツ軍を駆逐しました。中国に権益を広げつつあったアメリカにとって日本
の中国への権益拡大はアメリカの国益に反します。

そこで中国側に立って、アメリカのウイルソン大統領は日本を侵略国家と
して糾弾し山東省の青島の権益を中国に返還するように要求しています。
当時ウイルソン大統領は平和主義者の正義派として売り出していました。

しかしちょっと待ってください。アメリカはメキシコを騙し討ちしてテキ
サスを取り、そしてハワイ、フィリピン、グアム、ウエーク、サモアを
相次いで併合した 紛れもない凶暴な「侵略国家」です。

ヴェルサイユ条約ではアメリカの勝手な言い分を退けて日本の立場を擁護
し、条約中に明文化しているにもかかわらず、アメリカの上院は正義を
前面に出して否決しています。

アメリカという国は今も昔も自分勝手な国です。この国は自分の出す
ルールを国際基準と定め、しかもそのルールを自国の国益に沿って勝手に
変えていっても平気な国です。

日本は日露戦争以降このアメリカの理解できない行動と思考に振り回され
て最後は日米間の全面衝突へと繋がっていきます。

日露戦争以後、突然手のひらを返したように日本を「白人国ロシアを倒し
た好戦国日本」「危険な侵略国家日本」というアメリカの誇張宣伝を内外
に広めていきました。

アメリカの目的は最初から明らかに日本を叩き潰すことであり、太平洋の
覇権です。そのために正義は常にアメリカ側にあるような誇大宣伝を
したのです。

我々日本人は「アメリカの戦意は真珠湾の直後に生じた」と教えられて
いますが、アメリカは日露戦争直後からすでに日本を仮想敵国にして着々
と準備してきたことを知らなければいけません。

戦後日米経済戦争においても301条を可決して日本に市場開放を迫りました。
しかし皮肉なことに市場開放で対日輸出を拡大したのはオーストラリアや
カナダ、中国で、自動車もアメリカ車ではなくヨーロッパ車が増大される
結果に終わっています。

アメリカはその後も「対日金融戦争」仕掛けてきて、保険・証券・銀行に
圧力をかけ、「ビックバン」断行を強要しました。

このようにアメリカは自国の国益のためには手段を選びません。つまり
アメリカ大統領は自国存亡のためなら相手国の存亡や利益は関係が無い。
これがアメリカ流です。

今国論が二分されている「TPP」もアメリカが仕掛けた罠であるという
ことは歴然としています。何故この簡単な仕掛けが見えないのか、日本の
保守陣営の勉強不足です。

中国かアメリカかと問われればもちろん民主国家アメリカです。野蛮な
中国には身の毛もよだちます。しかし国際社会においては白か黒かの
議論は愚かです。

日露戦争後のアメリカは「日本の軍事力」に対する恐怖であり、戦後は
「日本の経済力」に対する恐怖です。そのためにはいかなることでも
仕掛ける国民であることをよく知らねばなりません。

そして白人が持っている抜きがたい異教徒に対する人種偏見で我々黄色人
種を見ているということです。



(次回はアメリカの偽善者ウイルソン大統領が「民族自決、植民地主義
反対」というウイルソン主義を持ち出して1920年国際連盟をつくります。
そして白人グループを巻き込んで「日英同盟」に反対します。このアメリカ
の罠にはまった日本の辛い運命を書くつもりです。)




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誰が戦後史観を歪めたか? 近現代史の旅 NO21 7月18日(水)


近現代史の旅21回目です。20回で前半が終わりここから後半に入って
いきます。前半の最大のポイントは日韓併合における朝鮮族の嘘を暴く
ことでした。

後半の目的は、今日常識とされてきた「日清・日露戦争は正しくて
昭和になって間違えた」と言っている多くの知識人やマスコミの思う込み
を粉砕したいと思います。

私の歴史の旅は何が起こったかを叙述するのではなくなぜ起こったかを
検証する旅にしたいと思っています。それと一番重要なことは戦後の
これでもか、これでもか、という歪んだ過度の反省がこの国をおかしく
していることです。

「大東亜戦争の目的それ自体を俎上にのせ、満州事変以来の軍国主義的
支配を敢行して国を滅ぼした指導者を徹底的に糾弾しなければ真の反省
したことにならない」という文章をある著名な知識人が書いた文章を読み
ました。

もしこの作者が目の前にいたら私は聞きたい、「あの当時欧米列強で軍国
主義でない国がありましたか?」と言ってやりたい。そして大東亜戦争で
日本が掲げた目的はアジア諸国の解放です。もちろん半分は建前だった
かも知れません。

欧米が唱えたスローガンは民主主義、自由主義、民族自決、門戸開放でし
たが、しかし戦前のアジアで欧米は決して民族自決を許さなかったし、民主
主義も、自由主義も欧米の手で導入されたアジアの国は皆無です。門戸開放
も植民地から搾取するためです。偽善もはなはだしい。

日本は戦前も戦中も「アジア解放」唱えたことは紛れもない事実です。
昭和17年シンガポール攻略直後に東条首相はアジア各国の独立を呼びかけ
る「大東亜宣言」を行なっています。日本は戦いに敗れましたが戦後アジア
諸国は欧米から続々と独立出来たことも事実です。日本の理念は決して
間違ってはいなかった。

なのに欧米の主張が真実で何故日本の主張が侵略のための偽善であると糾弾
するのですか?私はこの著名な知識人の胸ぐらをつかんで鉄拳を喰らわした
くなりました。

日本の戦争映画はテレビドラマも含めてほとんど軍国主義を糾弾し、国民
の悲惨な状況と、日本は民主主義の伝統をなくしていたから侵略戦争を犯
したという自虐史観と、悪いのは日本人自身で自己反省すべきだといった
このうえもない自国蔑視で貫かれています。

そしてほとんどの資料は、日清・日露の大勝で傲慢になり道を誤り、一貫
して他国を侵す犯罪の道だけを歩み、アジア諸国民に多大の迷惑をかけた
と記述しています。

このような日本の侵略戦争史観と日本罪悪論で子供たちを戦後教育してきた
似非左翼と日教組の罪は万死に値します。

われわれは戦後教育の中で、日本はなぜ戦争をしたかという反省の問いかけ
ばかりですが、アメリカは日本がロシアに大勝した時点から日米決戦の
準備を着々と重ねてきたという事実を知らねばなりません。

日本は生きるか死ぬかの日露戦争が終わった時点で安心しきっていましたが、
多大の借金と疲弊した国内に頭を抱えていました。アメリカは日露戦争が始
まるまではお金を貸してくれて日本を応援してくれました。日本はアメリカ
を友好国と信じて1%の疑いもありませんでした。

ところがアメリカは後進国である日本が強国ロシアに勝てるはずがないと
思っていました。日本が大敗を帰する前に仲裁をして、日本に恩を売り
ロシアの南下政策で中国利権の拡大を抑えるのが目的でした。

ところがルーズベルト大統領は世界一のロシアの海軍が日本海軍に完膚な
きまでにたたきつぶされるとは夢にも思っていなかった。このときからアメ
リカは突然日本に恐怖を抱き始めました。

アメリカの新聞も反日運動を誘導して対日感情は極度に悪化していきました。
白人のロシア帝国をサルに近いとされてきた黄色人種が破ったのです。その
事実は白人国にとってまさに衝撃でした。この気持ちは白人でない限り
理解できないと思います。はっきり言って抜きさしならない人種差別だった
のです。

しかしアメリカは移民の国家であり、あらゆる国から迎え入れることで
成り立っている国家ですが、ヨーロッパ系の移民が大量に入ってくること
を前提にしていました。

アメリカの白人である恵まれない底辺労働者たちのプライドを支えたのは
黒人とアジア人でした。特に大量に入ってきた中国人を見て、その無教養
と不潔とプライドのなさは際立っていました。特に彼らが集団で暮らす
中国人街は麻薬と犯罪の温床でした。

アメリカから見れば中国人も日本人も同じ黄色人種です。その軽蔑すべき
黄色人種がロシアという白人の大国を木っ端みじんにしてしまうなど、
絶対に許されないことだったのです。

日本人の移民もサンフランシスコを中心にいましたが、人種偏見のために
同化不能の烙印を押されて、市民権を獲得する資格のない地位に落とされて
しまいました。


(あっという間に21回になってしまいました。私の悪い癖で歴史の年代を
順に追うのではなく、書きたいことを先に書いてしまいました。しかし
2000年の歴史ではなくわずか100年足らずの出来事です。次回も興奮して
アサッテに飛びそうですが・・・・)




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天に唾する朝鮮人  近現代史の旅 NO20 7月16日(月)


近現代史の旅20回目です。戦後長らく、学校教育の現場において近現代
史が軽視されてきました。軽視されるだけならまだ許されますが、日教組
や進歩的文化人、左翼マスコミによって歪曲され歪められてきました。

特に日韓併合については「歪曲」程度ではありません。無い話を作り出す
明らかな「捏造」です。

つまり「日本が朝鮮の清からの独立に貢献したとか近代化に貢献したとか、
そいう事は一切なくて日本が全て邪魔をした。日本さえ邪魔しなければ
もっと我々はいい国だった」という韓国の大嘘を日教組や進歩的文化人が
一緒になって協力してきたのです。

最初の頃はこの反日左翼の人達は歴史を知らないからだと思っていました。
ところが実は彼らは自分たちの主張が大嘘であることを知っていたのです。
それでは何故彼らは自国の歴史を捏造して、反日本の構えを見せたのか?

それは彼らは外人だからです。日本の国籍を取り日本名に改名して政治家
になり、大学教授になり,メディアに入り込んで日本国民を骨抜きし日本
国の弱体化を図ってきたのです。

彼らは決して純粋に左翼イデオロギーにずっと身を浸してきた人達では
ありません。左翼は単に身を隠すための隠れ蓑にすぎません。彼らは100%
朝鮮族であり、あのおぞましい李氏朝鮮の血を受け継いだ人たちです。
戦後長く日本を破滅するために運動してきた工作員でありその子供たちです。

彼らは左翼の衣をかぶって、戦後長く「日本は無益な戦争をして国民は苦し
んだ。これから二度と戦争をしてはいけない。だから平和主義に徹しなけ
ればいけない。防衛もいけないし、安保条約もいけない」といって反自衛隊,
護憲を主張しました。

その本心はいざという時に日本を支配しやすくするためです。ところが悔し
いかな北朝鮮や韓国にはその力はありません。だからその力をもっている
中国に日本を取りやすくしておくために中国の走狗になり、日本弱体化戦略
を実行しているのです。

つまり彼らの思いは1910年の日韓併合から1945年の35年間の日本の支配
に対しての恨みを晴らそうと必死になっているのです。しかし日本は恨ま
れる筋合いはない。何回も書いてきたように李氏朝鮮時代は木造のあばら家
で雑穀を食って風呂に入る習慣もなく、いつ役人に命を奪われるかもしれな
い恐怖の世界で500年間も苦しめられてきたのです。

日本はその地獄の世界から彼らを解き放ち、米を主食に清潔な環境で暮らす
豊かな国に変貌させたのです。日本の国家予算の10%以上を投入し、文字通
り身を切るような努力をしたのです。

しかも併合は。権力を奪われることを恐れた李朝と権力者達は抵抗しました
が、70%以上の朝鮮国民が望んでいたのです。

朝鮮族の歴史はあまりにも惨めすぎた、そのあまりにもおぞましい自分たち
の過去を振り返るのが苦痛だった。だから歴史を捏造して美化脚色され、
そのつじつまあわせで中国の千年属国を隠して日本によって独立が奪われた
と教科書に記述したのです。

千年属国と地獄の李氏朝鮮の恨みを、戦後の韓国デタラメ教科書によって、
韓国人の病的な「恨」エネルギーを日本人に全て負いかぶせてきたのです。

そして終戦後日本にいた韓国人は祖国に帰らず、あるいは密航して日本に住
み着き国籍を取って名前を変えて、朝鮮人の組織団体である総連や民団を
作り拉致を含めた日本破壊工作や日本を弱体化させる左翼思想を蔓延させて
きたのです。

私の話を証拠づけるために在日朝鮮人政権である民主党が進める日本破壊工
作である悪法を列記してみます。

外国人地方参政権、外国人住民基本法(密航者でも5年居れば日本人になる)
重国籍容認、夫婦別姓、戸籍制度廃止、人権侵害救済法、パチンコ換金合法
化、思いつくだけでもこれくらいあります。

これ以外にあまり知られていませんが民主党は経済産業省に韓国室を設置
しました。建前は経済連携協定を組み貿易の拡大ですが、本音は技術を
韓国へ堂々と流出させるためです。それと総合ネットワーク構築をソフト
バンクに落札させています。これでは日本人の情報を丸裸にしているよう
なものです。韓国、中国は笑いが止まらないとおもいます。

日本人は過去のことをすぐに忘れてしまいますが、菅直人元首相を思い出し
てください。彼は昔「日の丸」と「君が代」に反対し、拉致した主犯格の
北朝鮮工作員を救うために嘆願署名し、日韓併合は全て誤りであったと
謝罪し、北朝鮮関連団体に民主党の公的資金1億5千万円も寄付した男です。

このような男が日本人であるはずがない。我々日本人は過去明らかな反日行
為を主張していても思想の違いだと納得していましたが、思想は関係ありま
せん。彼らは日本弱体を目論でいる確信犯です。

世界中に左翼思想の人はいっぱいいます。しかし自国を思っての思想であ
って決して自国を破壊する目的で左翼になったのではありません。日本
の左翼は明らか日本弱体、破壊を目的に左翼言論を主張しています。とい
うことは愛国心がない、すなわち外国人だということです。

今多くの日本人がこのことに気づき始めてきました。しかし日本人の政治
家でも在日韓国人から献金をもらい、弱みを握られて操られ、朝鮮総連に
日本の総理大臣が祝辞をおくり、選挙に勝ったお礼を、民団に挨拶するなど
完全な売国行為です。

野田首相は野党のとき国会で消費税を増税したら、減収になったと当時の
自民党を追求しています。その男が政権を握ったとたん、増税を進めるな
ど明らかに矛盾しています。マスコミは財務省の言いなりと犯人をすり替え
ていますが違います。彼は朝鮮人の指示通り日本を破綻させる為に動いて
います。

彼は明らかに朝鮮人の為の政治を行なっていることはほぼ間違いありません。
その証拠に去年通貨危機に陥りそうになった韓国を急遽訪問して、5兆円の
スワップ協定を即決しています。その上最近まったくのクズである韓国国債
の購入もきめています。

そのことについてマスコミはニュースで取り上げることもなく批判もして
いません。


(今日も気持ちが高ぶって一気に書いてしまいました。日本の近現代史は、
このように種々の偏向史観によって引き裂かれてきました。次回は
李氏朝鮮から離れて歴史の旅をもう一歩前に進めてみたいとおもいます)




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地獄の李氏朝鮮  近現代史の旅 NO19  7月13日


近現代史の旅19回目です。前回で日本は江戸期300年の間に近代化の
基盤形成が出来上がり、近代日本人の原型が形づくられたと述べました。

同時期に李氏朝鮮の500年は徹底した悪政を行い、極悪非道の利己主義
によって国を支配しました。権力の座にすわった者は暴虐の限りを尽くし、
民衆はただ搾取の対象となり、天地の道理、人間の道徳、良心の全てを
呑み込み、消滅させてしまいました。

その上権力者たちは500年にわたって党派争いに明け暮れ、骨肉の争い、
中傷謀略、不正腐敗、反逆、裏切り、殺人のオンパレードで人命も、道徳
も、顧みることがなく、民衆はこの阿鼻叫喚のなかで生き延びるために、
嘘をつくことが日常の習い性になりました。

李朝は相互不信社会で、誰であろうと、いつどこで、誰に裏切られるか
わからないという不安は権力者も民衆も同じです。だからお互いに嘘で
騙し合い、嘘を嘘と知りながら嘘から嘘へと自己膨張していきました。

李朝はこのように国民を際限ないまでに苦しめ、残虐をほしいままにしま
した。李朝の下で、農民を中心とする国民は、いつも飢餓の線上でもがき
死生の縁をさまよい、生きるためにはどのような事もでもした。まさに
地獄そのものでした。

このような骨の随まで腐りきった世界が500年の長期にわたって続いた
李氏朝鮮と江戸300年の平和な日本の精神性の際立った違いを見れば、
お互いを理解する事など全く不可能であることがわかります。

つまり今日日本人が理解しがたい韓国人の異常な人間性の鋳型がこの時代
に出来上がったのではないかとおもわれます。李朝が人の道にいかに深く
背いた社会であったか 李氏朝鮮時代の罪の深さに暗澹とします。

そして李朝の罪深い異常な国家をそのまま続けているのが北朝鮮です。
国民が数百万人も飢えで死んでも、全く反省もせず、批判する者は地獄の
収容所に送られ、飢餓と洗脳教育を強いられています。

今日多くの韓国人は李氏朝鮮がいかに地獄の様相を呈していたかを教えら
れる事はありません。韓国政府が都合良く作り上げた大嘘の国定教科書で
勉強し国民のほとんどがそれを信じています。

このような地獄の李氏朝鮮を救ったのが日本でした。日韓併合によって
朝鮮は様々な恩恵を受けて、李朝では考えられない大幅な発展をしました。

500年に及ぶ李朝の歴史はあまりにも惨めすぎた。つまりこのおぞましい
歴史を隠して、国家ぐるみで過去の歴史を捏造して、無いことをでっち上
げるさまは、余りにも醜く、目に余るものがあります。

戦後 世界最貧国であった韓国を日本の資金と技術援助で近代国家になり、
その後も鉄鋼所、造船、地下鉄、オリンピック施設などの建設資金と技術
援助、そしてアジア通貨危機の時はIMF資金と日本資金で立ち直り、戦後
日本から借りた80兆円あまりの一部しか返さず、昨年金が枯渇すれば平気
で野田首相に5兆円のスワップ条約を申し入れ、その会談でお礼を言うの
ではなく従軍慰安婦問題を出し嫌がらせをするなど常識ある人間の欠片も
ありません。

この常識のなさ、人間性の欠如、捻じ曲がった性格は、まさに李朝500年
にわたる業病が現在も体中にまん延しているからです。

新党を立ち上げた「なりすまし日本人」である小沢一郎などはまさに李氏
朝鮮のDNAに支配されています。虚言と、裏切り、空理空論、売国、責任
の転嫁、国民のことを全く考えない利己心などは李朝時代の権力者そっく
りです。

「李氏朝鮮の呪い」というおぞましい言葉で朝鮮民族の内面に切り込んで
きました。そして分かったことは「李朝の呪い」とは朝鮮人の李朝に対す
る「恨み」だということが見えてきました。

朝鮮人の事を「恨の民族」という言葉でよく表現されます。それでは誰に
対して、何に対しての恨みなのか、私が手にした数冊の韓国に関する本に
はこの恨みについて「中国からの度重なる侵攻」「中国の過酷な支配」
などと同じように「日本の植民地支配」も列記されています。そして一冊
の本には日本支配をわざわざ「苦難の」という形容詞まで付けています。

皮肉にも韓国人の作家「キム・ワンソプ」氏は「日本時代は私たちに
とって幸運であり祝福であった」と述べています。

またキム氏は「日本の統治により朝鮮は多大な発展をとげた。30年あまり
の間に一千万人足らずだった人口が2500万人に増え、平均寿命は24才か
ら45才に伸び、未開の農業社会だった朝鮮は短期間のうちに近代的な資本
主義社会へと変貌した。日本からは優秀な教師が赴任して朝鮮人を教育し
日本政府から莫大な資金が流入し、各種インフラが建設された」と感謝の
言葉を述べています。

ところが戦後韓国政府はおぞましい李氏朝鮮を「極楽のような社会で、誰
も彼もが豊かで楽しくくらしていた。そこへ日本がやってきて有史以来初
めて独立が奪われて、苦難な生活を強いられた」と真逆なデタラメの歴史
を恥ずかしげもなく堂々と自国の教科書に記述しています。

このような教科書で勉強すれば全ての韓国人は日本を恨むことになります。
つまり韓国政府は「恨の民族」の恨みの中身を日韓併合にすり替えてし
まった。

「恨の民族」という言葉がいつの時代から言い出されたのか、誰が言ったの
かも、私の持っている資料からは発見できませんでしたが、私の検証では、
「恨み」の対象は李朝の権力者たちが暴虐の限りを尽くし、民衆を虫けら
の如く扱い、命すら保つことができず、凄惨な希望のない生活を500年も
の長きにわたって続けてきたことに対しての恨みが全てだと思います。

中国に対しての恨みはあまりなかったと思います。李朝は儒教の朱子学を
国教として定め、「小中華」であることをむしろ誇っていました。しかし
私から見れば李朝は中国という建前を崇める慕華思想の呪縛に取り込まれて
中国の悪政をそのまま踏襲してしまった結果、中国古来の悪弊を真正面から
被ってしまった。

儒教こそが、本家の中国を数千年にわたって退廃させたにもかかわらず、
その儒教を骨組みとした階級制度を作り上げることによって、国民を搾取
の対象にして、特権を持つ支配階級を維持してきました。

現在の中国を見れば一部の共産権力者とその親戚筋と都市部に住んでいる
人だけが豊かになり大半の国民の80%は過酷な社会で希望のない生活を
送っています。それは儒教を共産主義にすり替えただけの社会だからです。

日本のマスコミは一切報道しませんが、中国の農村部で年間約8万件の
暴動が現在も続いています。今日の北朝鮮も李朝の延長戦上にあります。
数百万人の国民が飢えで死んでも、全く反省するどころか現体制を美辞
麗句によって塗り固めているさまはまさに李朝そのものです。

韓国は日本の併合によって李朝の呪いから解き放され、せっかく近代国家
へと変貌を遂げたにもかかわらず、歴史を捻じ曲げ、李朝のおぞましい
過去を覆い隠し、でっち上げの事象で日本を攻撃し、偽物の優越感で
自己満足するなどまさに病気です。

韓国人が500年に及ぶ李朝の業病から回復するには千年の時が必要な
気がします。

歴史を知れば知るほど福沢諭吉が朝鮮に絶望し、中国を毛嫌いし、アジア
の共闘は有り得ないと悟り「脱亜入欧」を主張した気持ちが心の底から
理解できます。


(今日は一気に書いてしまって、うっかり長くなってしまいました。
歴史の旅は「楽しくもあり苦しくもあり」です。続きは次回にて)





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「韓国病」 近現代史の旅 NO18   7月11日(水)


近現代史の旅18回目です。今日は徳川幕府と李氏朝鮮を比べることに
よって呪われた朝鮮半島の姿を浮びあがらせたいと思います。

徳川幕府は(1603年~1868年)265年間。李氏朝鮮は(1392年~
1910年)518年間です。李朝は徳川より211年早く始まり42年間長く
続いていますが、ほぼ同時期と見てよいと思います。

徳川幕府の約300年間において、日本は文化、経済、法治国家。社会の
システム、インフラ、道徳、知識、などが研鑽され、特に貿易によって
買い付けた最大の商品は「世界の情報」と言っても過言ではありません。

このようなことを書くと「江戸幕府は鎖国をしていたではないか、それを
えらそうに世界の情報とは何事か」と言われそうですが、日本はたしかに
国家安全保障の見地から当時西欧諸国との関係に限界をもうけはしたが、
決して全面的に国を閉ざしたわけではありません。

その証拠に西洋事情に関する書物の出版点数は、江戸時代に急激に増えて
います。有名な「解体新書」はドイツ語の原書が出され、オランダ語に
訳され、それを日本語に訳されています。

「和蘭風説書」にはフランス革命からリスボンの大地震までが詳しく報じ
られています。「泰西與地圖説」という世界地理の本までありました。
「紅毛雑話」という本にはワニの絵まで載っています。

信じられないでしょうが顕微鏡も天体望遠鏡もほぼ発明と同時期に輸入
されています。八代将軍吉宗は27頭のペルシア馬を輸入して、日本の
馬の改良に励んでいます。彼はまた海外の学問情報にも敏感で、必要な
分野ごとに学者を配置し、問題を分析しています。またこの時代に一頭
の象が長崎から江戸に旅をし、途中で天皇に拝謁しています。

1840年の阿片戦争のあと直ぐに「阿片風説書」をだして海外の脅威と欧米
列強に対しての警戒心を説いています。この書によって維新の志士たちが
より危機感を募らせることになり徳川幕府を倒し国民国家を実現して早く
富国強兵にするために明治維新を実現させたきっかけにもなっています。

江戸時代は鎖国というイメージで捉えられているために海外の情報から
隔離されているように誤解されていますが、トンデモナイただ幕府が
全てを統括する管理貿易にしただけで、アジア各国との国交はずっと
開かれていました。江戸時代の貿易はむしろ盛んになっていきました。

私は過去ブログで何回も江戸は世界最大の都市であり世界一の文化都市
であると言ってきました。つまり江戸期に近代日本人の原型がすでに
出来上がっていたのです。

だから明治維新からわずか38年足らずで世界最強のロシアに勝てたので
す。ロシアに勝てたのは単なる幸運ではなく日本の実力であり歴史の
必然だったのです。

何も江戸時代だけではなく、1543年ポルトガルから鉄砲が伝えられ、
十六世紀後半にはたちまち世界最大の鉄砲生産国になっています。

しかし江戸の初期は海外からの脅威がないために鉄砲を捨て、治安の安定
に努めました。それゆえ戦争の武器に遅れることになってしまったが、
幕末には武器以外の各物産の国産化のシステムがほぼ完成していました。
まさに日本は恐ろしい技術立国です。

さて江戸時代はこれくらいにして次に李氏朝鮮の内情に入っていきます。
まず日本は阿片戦争を知って直ちに警戒感を強めたが、朝鮮では9ヵ月も
たってから、使節が李王に報告書をだしています。が内紛で忙しい李朝は
欧米列強がアジアにひたひたと迫ってきている国際情勢の急変にまるで
何も感じていません。

結局近現代史の中で強く感じるのは日本は海外からの情報を重視したのに
比べ中国や朝鮮は自らの殻の中で千年の夢から覚めていなかったという
ことです。

李氏朝鮮の創建者は李成桂といいますが、日本では李成桂が何者であるか
誰も知らない。高句麗と高麗の区別すらつかない、今回私も韓国の歴史を
少し勉強して初めて理解しました。朝鮮の歴史は全て中国と連動している
ので中国の歴史を深めることにもなりました。

中国史についてはかなり知っているつもりでしたが中国史の中では朝鮮史
についての記述があまりなかったために近所の図書館に行き朝鮮史の本
を探しましたが、見事なくらいありません。韓国人は歴史を捏造する
民族というイメージがあまりにも強すぎて不信感のために朝鮮史を無視
していたのかもしれません。

韓国関連書籍のほとんどは李朝末期以降の韓国近現代史についての書籍
ばかりでした。韓国の歴史を知らずに日韓併合を論じても、韓国人の
ひねくれた根性を論じても、韓国人自身も知らない韓国人の内面に入って
行くことは無理があるように思えます。

私が日本の近現代史を書く気になった動機は、日本の歴史書のどれを見て
も日本は他のアジア諸国のように欧米列強の植民地にならないための自衛
戦だった事を検証せずに最初から欧米列強と一緒になってアジアを侵略
した悪い強国として書かれていることが許せなかった。だから近現代史の
真実を求める旅が始まったのです。

旅の途中で気がついたことは韓国の近現代史についても朝鮮の歴史を知ら
ずに、韓国人を単に「恩をアダで返す」「大嘘つきのひねくれもの」とし
て記述することは、日本を悪く書き続けてきた似非学者と同じ間違いを
おかすことになります。

幸いにも加耶大学教授の「催基鋪氏」の朝鮮史についての小冊子を見つけ
ました。そこには朱子学の毒に骨の随まで侵された李氏朝鮮の大罪が
余すことなく書かれていました。



(次回は李氏朝鮮のおぞましい歴史と、朝鮮族が千年以上にわたって
信仰してきた仏教を徹底的に弾圧し、儒教の朱子学を国学として迎え入
れた結果朱子学の呪いに取り憑かれた李朝の悲劇を覗いてみます)




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李氏朝鮮の呪い  近現代史の旅 NO17   7月9日(月)


近現代史の旅17回目です。前回と前々回で李氏朝鮮の悲惨な実態と
国際情勢がまるでわからないまま、中国の属国として1000年の眠り
からまだ覚めていない朝鮮半島のおぞましい状態が分かっていただけ
たと思います。

そして日本が放置すれば半島は間違いなくロシアのものになるということ
も理解できたと思います。そして次に起こるのはロシアを中心にした欧米
列強の日本分割統治です。このままなら明治政府は日本国民を危機にさら
すことになり、座視など出来ない。

この危険な東アジア状況を前提にして、日清戦争、日露戦争、日韓併合を
検証しなければ歴史の真実は見えてきません。そして明治政府の選んだ道
以外にいったいどんな方法が他に有ったというのでしょうか!

日本はロシアに勝利して日本の半島支配をロシアに承認させましたが、
半島内で多くの兵が反乱を起こし日本に抵抗しました。1906年閔宗植は
蜂起し、農民主体の1000名の兵で洪州を占領したが日本軍に鎮圧された。

日本は韓国の秩序維持のため、警察官を増派し軍隊を駐屯させました。
さらに多くの日本人を移住させました。日本軍を多く駐屯させたために
闘争の形態に変化が見られ、日本人高官や政府要人へのテロへと変化
していきました。

そして明治42年1909年19月、安重根が満洲ハルピン駅で前韓国統監
伊藤博文を暗殺しました。

李氏朝鮮の歴史を眺めて感じる最大の疑問は清国に500年間も支配され
ている間に、清国に対して全く反抗も反乱も1回も起こしていないという
ことです。李朝は毎年、清国にお金や貢物を納め、今で言うGNPの20%
あまりを清に貢いでいました。

清国は労働者として多くの朝鮮人を連行しており、その数は30万人~50万
人、全人口の10%~20%にも上がったと言われています。清国は連行され
た朝鮮人を返すときに多額の身代金を要求しています。その身代金の支払
いによって朝鮮経済は破綻に追い込まれ、国自体を維持することがほとん
どできなかったと言われています。

その上 毎年若い女性千人ほど清国に物納し、妊娠すると大半は朝鮮に
返されたそうです。これほど酷い仕打ちにあったにもかかわらず、清国
に対する恨みは不思議とありません。

ところが日本は日清戦争に勝って朝鮮を清の支配から解き放ったにも
かかわらず日本への逆恨みは想像を絶します。清国に奴隷のように扱われ
ても恨みもせず、反抗もしない、この不可思議を解くことこそが朝鮮人の
心の歪みを解く鍵のような気がします。

ここから少し寄り道をして朝鮮人の心の闇を覗いてみたいと思います。

話は現在に飛びますが20年ほど前、朝鮮半島の歴史を少し聞きかじり、
ソウル市松浪区にある「大清皇帝功徳碑」を探しに行ったことがあります。
しかしソウル事務所の韓国社員に場所を聞いても誰もしりません。

それは当然だと思います。なぜなら「九叩三拝」清の太宗に土下座を強い
られた仁祖王の姿が描かれている屈辱の碑だからです。朝鮮人の性格から
いって当然その屈辱の碑は取り除かれているものとばかり思っていました。

しかしその歴史的な価値のある「大清皇帝功徳碑」は住宅街にある小公園
の雑草が生い茂った一角にひっそりと立っていました。同行してくれた社
員はもちろんのこと近所の人も誰も場所も知らなければその碑のレーリフ
の絵の意味も知りませんでした。

なぜこの「九叩三拝」の碑の事をわざわざ書いたのか、それは韓国の近現
代史の歪みと隠蔽体質はここから始まったのではないかと思ったからです。

つまりこの碑によって「朝鮮は古来独立国家だったが、日本に初めて侵さ
れた」という彼らの主張する歴史が大嘘であることがわかります。だから
それ以降の朝鮮の歴史のつじつまを合わすために嘘に嘘を重ねることに
なります。

韓国は李氏朝鮮の社会がいかに、おぞましいものであったか、李朝時代が
どのような歴史的な経緯によってもたされたものか、ということを戦後
隠ぺいして、祖先を美化脚色された教科書作りをしています。

現代韓国は1980年代に民主化が行われ,国際社会の仲間入りをして
いますが、私の経験では、韓国社会は見かけの近代的な装いと異なって、
どうしょうもない前近代的な仕組みによって支配されています。

つまり李氏朝鮮時代の「呪」が掛かったまま、改められることもなく、
李朝の悪しき伝統が今日においても連綿と続いています。

呪いとは、朝鮮族が千年以上にわたって尊んできた仏教を徹底的に弾圧し、
儒教の朱子学を国学として取り入れ、明の悪い制度をそっくり導入した
ことです。結果 容易にとけない呪いをかけられてしまいました。


(次回は徳川幕府による300年と李氏朝鮮500年を比較検証して、朝鮮
の悲劇を書いてみたいと思います)




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眠り続ける朝鮮半島、近現代史の旅 NO16 7月6日(金)


近現代史の旅16回目です。日韓併合が単純な日本の朝鮮侵略史として
日本や韓国の教科書に書かれている間違った歴史認識を正したくて、
今日も当時の国際状況と李氏朝鮮の実体を検証したいと思います。

何回も書いてきたように、よちよち歩きの明治政府にとって、欧米列強が
ひたひたと迫ってくるアジアの情勢は恐怖でした。その中でも特に最強国
ロシアの圧力に危機感を募らせていました。

すでにロシアは朝鮮国境にまで領土を広げています。もし朝鮮がロシア
に支配されれば、日本の国土防衛そのものがほとんど不可能になる。
明治政府は朝鮮の独立と近代化の必要を何回も説いても朝鮮は聞く耳を
持たない。

李氏朝鮮はこの時点ではあまりにも情報不足で危機意識がまるでありま
せん。それどころか朝鮮は無力であったにもかかわらず、中華思想に凝り
固まっていて、日本は自分より劣位の蛮族以外のなにものでもないという
優越感で「生意気な 日本」という感情を抱いていました。

この意味の無い無知な態度は21世紀の現在にまで持ち続けて、日本に
事あるごとにインネンをつける様は人間とは成長しないものだとつくづく
呆れ果てます。

内紛ばかり繰り返して国際情勢がまるで理解できない李氏朝鮮を、自国さ
え維持できない清国が支配しているのです。このまま放置すれば間違いな
く朝鮮はロシアのものになります。一刻も早く清国を排除して,朝鮮を
独立させなければ、次は日本がロシアの餌食になります。

だから日本は自衛のために朝鮮を独立させるべく清国と戦い、朝鮮を清国
の千年属国から解放して清国に朝鮮の独立を承認させました。
(下関条約の第一条)

しかし日清戦争で租借した遼東半島をロシア、ドイツ、フランスの三国干渉
の結果、遼東半島を領有放棄させられ、しかも2年後、ロシアがここを租借
するという屈辱の展開を見せつけられて、10年後についに日露戦争がおこり
ます。

つまり日清・日露戦争も朝鮮半島の防衛のために戦いました。朝鮮民族
からすれば「お節介な事をしてくれなくても韓国民は自立でき、欧米の
植民地などになっていなかった」と現在言っていますが、当時の歴史を
全く理解していません。

韓国は地政学的に戦略的に重要だが、日本によって独立出来ても、軍事
的に脆弱だし、まだ政府も確立されていないし、まともな政治も外交も
出来ない。だから力のある国が管理するのが当然だと考えられていました。

日本がロシアに勝利した以上は韓国は日本が管理するのが当然だという
考えが欧米列強の論理でした。つまり欧米は韓国を今だ独立国として認め
ていなかった。

もともと李氏朝鮮は千年属国の意識のまま、徹底して自主独立の意思を
持っていなかった。李朝自身が清国から日本へ、清国からロシアへ、ある
いは他の列強諸国にも擦り寄るという具合に庇護の先を乗り換え続け,
各国の信用を消失していました。

その流れの中で日本公使館が2回も攻撃され日本人多数が殺害されるという
目にあっています。それ故日本は韓国支配ができても李氏朝鮮を信用でき
なかった。だから韓国に外交権を与えず、その権限を日本が任命する統監
である伊藤博文に任されました。

外交権を取り上げると言うことは、韓国を国として認めないことになり
韓国の反発は強まりましたが、しかし李朝は国としての意識が薄く、ただ
ひたすら王権とその一族の利権と延命のためだけに国家を利用する人達に
外交をさせるということは、いつ欧米を半島に引きずり込んで日本を裏切る
かもしれない、だからあまりにも危険すぎるので外交権を取り上げたのです。

ロシアに半島を管理させたくなかったイギリスにとって、同盟国日本の存在
は願ったり叶ったりでした。日韓関係について欧米の歴史家は、日本は国際
関係の規則を実に細かいところまで几帳面に守っていたと言っています。

捏造歴史で育った韓国人は「日本の論理でものを言うな!」と言われそう
なので、金完燮の「親日派のための弁明」の一文を見てください。

「韓国人が朝鮮王朝を慕い、日本の統治を受けず朝鮮王朝が継続したなら
もっと今日の暮らしが良くなっていると考えるのは、当時の朝鮮の実態に
ついてきちんと分かっていないからだ。特に子供と青少年は、きれいな道
ときれいな家、整った身なり、上品な言葉遣いのテレビの歴史ドラマを
観ながら、朝鮮もそれなりに立派な社会で外国の侵略がなかったならば
静かで平和な国家を保てたろうと錯覚する。しかし日本が来る前の朝鮮は
あまりに未開で悲惨だったという事実を知らねばならない」と言っています

李氏朝鮮の実態をもう少し分かっていただくために「北清戦観戦記」の
一文を書き出しました。
「政治は腐敗し、堕落は横行し、十三の長官などは、三年その職に居れば
子孫は三代の後まで寝転んで我が世の春を謳歌出来た。かういふのが実情
だから、富めば役人に奪われるため、人々は働いて富を得ようとする者は
ない。人民は怠け者となる。ただ、その日暮らしの衣食さえ足りればいい。
土地があっても耕さない。漁民も働かない、山林は乱伐にまかせた。国を
あげてその日暮らしである。」

今日の最後に福澤諭吉の「脱亜入欧」を書いてみます。日本人は肝に命じ
るべきです。

日本の不幸は中国と朝鮮半島だ。この二国の人々も日本人と同じく漢字文
化圏に属し、同じ古典を共有しているが、もともと人種的に異なるのか、
教育に差があるのか、日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。

情報がこれほど早く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について
知りながら、過去に拘り続ける中国・朝鮮の精神は千年前と違わない。
この近代文明のパワーゲームの時代に、教育といえば儒教を言い、しかも
それは表面だけの知識であって、現実面では科学的真理を軽んじる態度ば
かりか、道徳的な退廃をももたらしており、たとえば国際的な紛争の場面
でも「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。

もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。
「東アジア共同体」の一員としてその繁栄に与ってくれるなどという幻想
は捨てるべきである。日本は、大陸や半島との関係を絶ち、先進国と共に
進まなければならない。ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を
持って接してはならない。

この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。
悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。私は気持ちにおいては
「東アジア」の悪友と絶交するものである。
(明治18年(1885年)3月16日)

日本の不幸は中国と朝鮮半島だ。国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前
の方だ」と開き直って恥じることもないという福沢諭吉の120年前の言葉
は今も同じです。

日本は現在毎日のように中国や韓国の国際常識が通用しないインネンや
恫喝に苛立っています。日本は福沢諭吉の「脱亜(中国・韓国)入欧」を
日本の国是として生きていきたいものです。

(この続きは次回にて)




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「日韓併合」の動機 近現代史の旅NO15 7月4日(水)


近現代史の旅15回目です。今日は日韓併合について、当時の世界背景を
しっかり念頭に置いて李氏朝鮮という国を冷徹に検証してみたいと思い
ます。

まず李氏朝鮮という国の実体を知ることから入らなければ、日韓併合が
単なる日本の朝鮮侵略でかたづけられてしまいます。

李氏朝鮮は1392年に高麗を滅ぼして成立してから日韓併合まで519年間
存続した長期の王朝でした。その数百年間、陰謀と策謀と裏切りに満ちた
政権獲得競争を延々と続けてきたのです。

1863年、国王の座についたのはわずか12歳の高宗でした。その父「大院
君」が国政の実権を握りました。ちなみに日本の明治維新は1868年です。

日本はご存知のように猛烈な勢いで西洋を取り入れ、国家の近代化を進め
ていきました。ところが朝鮮は旧来の儒教的な王政の復旧とその強化に努
めた。日本は欧米列強の植民地にならないために、踏み潰されないために、
わずか30年足らずで西洋に匹敵する近代国家を作り上げました。

朝鮮は日本と違い、迫り来る西洋列強に対しては強硬な鎖国・攘夷策を取
りました。そして中華文明に従わない国民を弾圧して恐怖政治を行いました。
まずカトリックへの弾圧を強化し、9人のフランス神父と8000人以上の
朝鮮人信徒を公開の場で惨殺しました。

1873年、閔妃一派による宮中クーデター、その後追放された大院君が再び
復権を狙って陰謀、策略、暗殺、などの事件を数々起こしています。暗殺
やクーデターを恐れた閔妃は日本から顧問を呼び近代式の新式軍隊の編成
を試みたが、大院君は閔妃暗殺を狙い、クーデターに動いた(任午事変)

この軍乱で新式軍隊の教育を支援していた日本も標的にされ、日本公使館
が焼き討ちにされ日本人が多数殺害された。閔妃は清国に頼み軍を排除、
大院君は清に連行されました。日本は日本人保護のために日本軍の朝鮮駐
留が認められました。

1884年、金玉均、朴泳考らの開化派がクーデターを起こし、閔妃を排した
新政府を樹立するものの、清軍の介入により3日間で頓挫、その際再び
清国軍と朝鮮人によって日本公使館は焼き払われ日本人多数が殺害され
金玉均は日本に亡命(甲申政変)

1894年には東学党の乱が勃発,乱の鎮圧に朝鮮政府が清国に援軍を要請
それに対抗して日本が朝鮮に出兵、日本の進出を警戒した清国はソウルを
軍事体制化におき、直接李朝を支配した。

日本との提携で独立と近代化を達成しようと図っていた改革派の努力は
窮地に追いやられた。改革派の代表が金玉均で,福沢諭吉の影響を受け、
明治維新を模範にした国家改造に情熱を燃やしていました。

金玉均はのちに上海で暗殺され、売国奴として朝鮮で遺体が八つ裂きに
されました。朝鮮を近代国家にするべく命をかけていた青年官僚の金玉均
を売国奴として葬り去った朝鮮人に日本人は絶望しました。

李氏朝鮮の年表を見ながら大きい事変だけを抜き出して書いていますが、
あまりの事変の多さに書きながら正直嫌になってきました。この腰の定ま
らない李氏朝鮮を見ていますと自力で独立するなど有り得ないと確信しま
した。

中国の千年属国に慣らされて長年中国の方ばかり向いて、そして内紛を繰り
返し最後まで王権とその一派の延命のためだけに国家を利用し続けてきてい
る保身の姿がよく見えます。

朝鮮の近現代史は「国民のため」「国家のため」という正義の欠片もありませ
ん、ひたすら権力者の延命と欲望だけの世界です。だから清国、日本、ロシア
という具合に庇護の先を乗り換え続け、延命のために、権力保持のために
大国依存に終始していますが、結局各国からの信用を無くし、結果は裏目に
しか出ません。

日本は李氏朝鮮に対して「国の存続を図り、近代化を進めないと欧米列強
の草刈場にされてしまう」といくら説得しても言葉が届かない国だと悟り
日本一国の近代化路線に転回していきます。つまり「脱亜入欧」です。

李一派に何故言葉が届かないか、それは彼らの頭には国も無ければ国民も
サラサラありません。自分たちのことしか考えていないからです。自主
独立などすればリスクが大きすぎるし、いつ暗殺されるかわからない。
だから危険な独立の芽を自らの手で次々と摘み取っていったのです。

500年続いた李氏朝鮮の恨みを韓国の朴元大統領は自著「国家、民族、私」
で、李氏朝鮮について次の言葉を残しています。

•「四色党争、事大主義、両班の安易な無事主義な生活態度によって、
後世の子孫まで悪影響を及ぼした、民族的犯罪史である」
•「今日の我々の生活が辛く困難に満ちているのは、さながら李朝史(韓国史)
の悪遺産そのものである」
•「今日の若い世代は、既成世代とともに先祖たちの足跡を恨めしい眼で振り
返り、軽蔑と憤怒をあわせて感じるのである」

朴大統領は李氏朝鮮の実体を「子孫まで悪影響を及ぼした民族的犯罪」
とまで言い切っています。李朝がどのような国であったかこの朴大統領の
言葉でよくわかります

李朝がロシアににじり寄る姿勢を見せたことで日本は早急に半島から清国の
勢力を一掃し、朝鮮を独立国にするために戦争を決意します。


(次回も日韓併合について考察します。ブログでこのような連載を続ける
事に疑問を感じ始めていますが、だんだん深みにハマって抜け出るのが
むつかしくなってきました)





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ポーツマス講和会議  近現代史の旅NO14   7月2日(月)


近現代史の旅14回目です。日露戦争は日本の国力をはるかに超えた戦争
になることは明治政府はよく分かっていました。それ故この戦争は長期
戦になると勝つ見込みがない。

伊藤博文は金子堅太郎を呼び出して「直ぐにアメリカに行ってくれ、初期
の段階においては、総力をあげてロシアと戦って、なんとか5分5分か
或いは6分4分にもっていく、その段階においてアメリカのルーズベルト
大統領に間に入ってもらって、日本とロシアの間を引き分けにしてもらう
ように働きかけてもらいたい」と言って金子をアメリカに行かしています。

金子堅太郎はハーバード大学でルーズベルト大統領と同級生です。金子は
最初「私にはそのような力はありません、荷が重すぎる」と言って断って
います。伊藤博文は「日本の国難にあたって、天皇陛下と日本国民を守る
ために命を捨てていけ」と命じています。

「天皇陛下のために行け、命を捨てよ」などと言うと頭の狂った左翼に
攻撃されそうですが、当時は天皇陛下と国民がイコールなのです。現在の
日本人は天皇と国民をバラバラに考えていますが、当時は一体なのです。

つまり日露戦争は、いつ終わらせるかを見極めることを最大の課題として
始められた限定戦争でした。そして予期されたように、早くも1904年10
月の沙河会戦の段階で日本軍は弾薬不足で前進不能に陥ってしまいました。

そして日本海海戦の大勝利を機に、ルーズベルト大統領に正式に斡旋を申
しいれました。

1905年8月10日からアメリカのポーツマスで講和会議が開かれています。
小村寿太郎外相は戦費賠償と樺太割譲などを要求しましたが、ロシアは
戦争を続行すればロシアに勝機があるとして日本の要求を拒否し、交渉は
難航しました。

ロシアは一歩も譲らず決裂寸前までいきましたが、日本は弾薬不足、資金
不足で戦争継続は困難な状態でした。ロシアは兵力では日本に勝っている
が打ち続く戦いの敗北と国内の革命勢力の台頭による国内政情の不安定さ
からこちらも講和締結を望んでいました。

つまりどちらも裏事情を隠しながら粘り合戦の様相をていしていました。
結局ロシアの粘り勝ちで、日本は賠償金放棄、ロシアは樺太南半分を
割譲のどんでん返しでようやくポーツマス講話会議は決着しました。

極東での各国のバランスを重視したルーズベルト大統領は、日本が勝ち
過ぎる前に日露の講和を実現させようと日本を説得しています。

しかし日本国民は「賠償金はなし、樺太は半分」の屈辱条件に国民の怒
りは爆発しました。開戦以来、連戦連勝の勝報に国民は熱狂、旅順陥落,
奉天会戦の勝利、日本海海戦の完勝で ちょうちん行列や連日の戦勝祝賀
会などで日本中が狂喜している中での屈辱条件に国民は怒りました。

しかし日本政府の内情は危機的状況を迎えていました。戦費はすでに
20億円を超える金額に達し、また外国債の借金が7億円弱、これら戦費
ほとんど増税と公債の発行によって占められ国民の生活を圧迫していま
した。

ちなみに当時の一般会計の総額は3億円です。軍事費がいかに大きいか
分かっていただけたと思います。

日本政府は国民に向かって「日本の戦闘能力はもはや限界にある。これ
以上戦うことは不可能」など口が裂けても言えません。もしそのような
政府の内情がわかればロシアは再び強気で戦争を継続してくるかもわかり
ません。だから一般民衆には知らせる訳にはいかなかった。

政府の台所事情を知らない国民は、政府の外交的軟弱さを怒り、講和条約
を破棄し、戦争を継続することを要求してデモや暴動を起こしています。

政府は時によっては国民に嘘をつかなければ外交交渉は成り立たない。
この当然のことが元外務大臣の岡田克也は分かっていない。話は突然現代
に飛びますが、この岡田克也は外務大臣に成ったとたん、外務省に密約関
連文書を全て公開するよう命じました。

そしてこの稚拙な男は「密約関連文章を開示することによって、政府が
どれだけ嘘を言ってきたかわかる」と発言しています。

彼の狙いは佐藤内閣の、日米間で結ばれた沖縄返還協定に際しての密約
です。外務大臣岡田克也の行為によってアメリカの信用を無くし、今後の
日米間の交渉をやりにくくしてしまいました。

幕末から明治維新、日露戦争にかけて登場する人物を眺めたとき、人並み
外れた愛国心、胆力、能力、勇気、お国の一大事の時は自分の命を捨てる
ことができる潔さなどの人材がうんかのごとくいた。だから日露戦争は
日本にとって望外の好首尾に終わったのです。

ひるがえって現在を眺めたとき、社会の病弊が進行して平均的な人物のみ
が出世できる状態になっているような気がしています。

そして戦後教育の反国家思想によって根本のところで捻じ曲がっています。
我が国に背き、わが国を非難し、我が国の過去を攻撃する人を称賛する
マスコミの呪縛から一刻も早く目覚めて下さい。

東日本大震災で、国家の安寧と秩序をつかさどるべき責任を負わされて
いるはずの当事者がオロオロして何もできず対策が遅れたのは、民主党議
員は過去、自衛隊を攻撃し、警察が充分に動けなくなるように、ことある
ごとに左翼思想を振り回してきたからです。

週刊文春に載った小沢一郎の妻の手紙「小沢一郎は放射能が怖くて秘書と
一緒に逃げ出しました。岩手で長年お世話になった方々が一番苦しい時に
見捨てて逃げ出した小沢一郎を見て、岩手や日本の為になる人間ではないと
分かり離婚しました」

このような腰抜けに日本国は20年間以上もかき回されてきたのです。もう
いい加減にこのような売国奴は削除しましょう。自国の歴史を知らず誇り
を失った政治家があまりにも多すぎます。

話を元に戻します。日露戦争の講和条約の中で絶対的必要条件とされたのは
ロシアの韓国支配の野望をなくすために日本の韓国支配を承認させること
でした。日清戦争も日露戦争も全て韓国絡みの戦争だった以上当然の
要求でした。そういう意味でこの講和条約は成功だったのですが、国民は
理解しませんでした。

日清・日露の大戦をくぐり抜けた日本は、欧米列強とのバランス・オブ・
パワーの中にはめこまれ、好むと好まざるとにかかわらず、欧米型の世界
秩序の一端を担わなければ生きていけないという自体に直面していきまし
た。そいう意味で1910年の日韓併合は、ここまで来ると世界からは当然と
見られる措置であったと言えます



(次回は韓国併合の話です。近現代史の中で韓国併合の話は頭が痛いですが
避けて通るわけにはいきません・・・・)





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