ちょっと休養します


ブログを再開してから瞬く間に1年半、雨にも負けず脅しにも負けず頑張って
きましたが、正直少し疲れました。

大した知識もないまま論客の皆様に励まされて,今日まで続けることが
出来ました.コメント陣の皆様には心より御礼申し上げます。

当ブログが赤面するぐらい深い見識を持った多くのコメントを拝見して
教えられることばかりで、勉強させていただきました。

3年前に どういう動機でブログを立ち上げたのかさえ記憶が定かであり
ません。まさかこんなに長く続けられるとは夢にも思ってもいませんでした。

ブログを続けていくうちに日本の若者たちにこの素晴らしい日本を守り発展
させていただくために少しでもお役に立てればという使命感のような気持ちが
芽生えてきました。

先行きの見えない暗く不安な時代に一筋の光明をもたらす文章が書ければと
思ってパソコンの前に座りますが,ただ単に政治・経済の怒りをぶつけるだけで
終わってしまいます。

先日パソコンの前で無意識に眠ってしまい,朝の5時まで気がつきません
でした。こんなことは初めてのことです.神様が少し休めと言っています。
9月末迄ブログをお休みさせていただくつもりです。

最近、講演依頼から電子書籍展開まで色んな話をいただきます.全く素人の
私をまるで専門家のように扱って頂き少し戸惑っています。

この場を借りて心より御礼申し上げます。

私の夢はブログに投稿していただいている論客の皆様に集まっていただいて、
明日の日本を熱く語り合い、日本人を覚醒させる運動が皆様と共に出来れば
と馬鹿なことを考えたりしています。

それでは2~3ヶ月お休みさせていただきます.体調が戻ればまた拙いブログ
を復活させるつもりです。   みなさまも御身ごたいせつに。



中華病毒感染の恐怖


前回からの続きです。
前回,前々回と中国論を展開してきました.その中で中国人の持っている
価値観や人生観,世界観は 日本をはじめ欧米各国と明らかに違うことを
強調してきました。

しかし最近の中国人は世界に飛び出したことによって,他国の人たちと
自分たちの価値観や道徳観に明らかな違いがあることを一部の中国人は
知ることになったのです。

中国人は教育によって中国の精神文明が西欧文明より絶対に優越していると
いったような虚言,妄言を教えられてきました。

しかし実際日本や欧米の社会に触れたとき,物質文明が他国に及ばないだけ
でなく,精神文明はさらに及ばないことを知り中国人は衝撃を受けました。

中国は自国民を伝統文化、悠久の歴史、仁義道徳をはじめ、知恵才能に
いたるまで何でもかんでも、世界で最も偉大な国であると民衆を教育して
きました。

ところが世界に出た一部の知識中国人たちは自分たちが物質的にも精神的にも
いかに遅れた民族であるかということを思い知らされ、強烈な中華思想の優越
意識が木っ端微塵になってしまいました。

その端的な例は小平です.裕福な客家地主の家庭に生まれた彼は16歳の時
にフランスに留学します.小平は西欧の文化に接しても中国の精神的優位性
は崩れることはありませんでした。

しかし1978年日中平和友好条約の批准のために訪れた日本を見て仰天、彼の
頭の中の日本は小さな島国、第二次世界大戦で荒廃した国として日本を
イメージしていました。

ところが訪日した日本は近代的なビルが立ち並び、国民も綺麗な服を着て、
信号も守り、車が行き来する町を眺めたとき、アメリカ軍の原子爆弾や
東京の絨毯爆撃で何もなくなったはずの荒廃した日本はどこにもありません
でした。

そして新日鉄や新幹線、トヨタ自動車などの先進技術を視察したとき、日本の
経済と技術力に圧倒され、それに引き換え自国の遅れと貧しさに愕然とします。

帰国した小平は、それまでの意味のない階級闘争を放棄して、経済中心の
政策に切り替え、早速遅れを取り戻すために新日鉄の協力を仰いで、上海に
宝山製鉄所を建設します。

その後も日本の巨額の資金援助と技術協力によって今日の経済大国中国が
出来たのです。

一部の知識中国人は世界の舞台に登場して日本や欧米各国と接触することに
よって、人間として当たり前の常識を身につけ、少しずつ変わり始めてきて
います。

その証拠を2006年の「中国青年報」に載った文章で検証してみましょう。

「日本人は、秩序を守り、赤信号で道を横断せず、信用を非常に重んじ、
環境保全に非常に注意し、ゴミの分別にこだわり、環境保全の自覚が非常に
強い。日本人は自主的なイノベーションを非常に重視し、科学技術の領域で
大きな成功をおさめた。

それに対してわれわれ中国人は社会の成員としてのコミュニケーション秩序
意識が弱く、信用にかけ、道徳を失い、環境保全意識に欠け、国民の全体的
な科学技術の資質は低い、こうした資質の差は30年遅れている」と述べて
います。

この文章は超名門の中国精華大学の教授が書いたものです。
教授の書いた日本人の批評は我々日本人から見れば当たり前の常識で 幼稚
園児をしつけているような内容です。しかし中国人教授から見ればびっくり
するくらいの高級なマナーなのかもしれません。

教授殿、貴方のような知識人は30年の差ですが、広大な中国にはまだ日本や
欧米の先進国を知らない十数億の民が生息しています。この人達のことを
考えれば日本や欧米先進国に追いつくには千年経っても無理なような気が
します。

日本の最大の幸運は、唐代の黄巣の乱以降,菅原道真の進言により894年
遣唐使が廃止され,日本と中国との交流は断絶状態になり,20世紀になる
まで両国間の国交は一度もなかったことが中国文化の病毒に感染しなくて
すんだ事です。

日本民族の幸運は2千年以上前の中華文化の精髄を取り入れ,漢民族が消滅
した中国が最も堕落した時代の,全く人間の尊厳のない時代の文化と接触
しなかった事です。

この私の独断と偏見の論は、朝鮮民族を見たとき納得するとおもわれます。
千年以上中国に支配され中国に影響され続けてきた朝鮮族は完全に中華思想の
病気にかかっています。

朝鮮人は中国人と同じように虚言,妄言,捏造の世界で育ち事実をひた隠し
にして自国民の優秀さをいつも声高に叫んでいます。

阪神大震災の時、全韓国人は快哉を叫び、日本固有の文化を韓国起源説で主張し,
最近では孔子まで朝鮮人で,漢字も韓国起源説をさけんでいます。
本家である中国人ですら韓国人の恥知らずな横暴に腹を立てています。

これらの捏造の起源説がソウル大学を中心にした教授たちの学説であるとは
あきれ果てます。それでも自分たちは道徳的に日本より上位だと確信して
いる様はまさに病気です。中華思想の病原菌に侵された重病人です。

中国大陸興亡史の中で,朝鮮人だけが一度も大中華を征服したことがなく、
ずっと半島に閉じ込められ,大陸からの千回にも及ぶ侵略に萎縮してしまい,
自ら「小中華」と名乗って中国隷属にあまんじてきました。

そして千年にも及ぶ支配の結果 中華の病原菌が体の隅々まで入り本家の
中国人さえ呆れるぐらいの中華思想の悪臭を放っています。

その点日本は誠に幸運でした。周囲が海に囲まれていたお陰で中国病原菌に
汚染されることなく日本独自の文化を作ることが出来たのです。

しかし最近の日本は歴史の知らない政治家や,愚かな評論家たちによって、
中国病原菌を日本中にバラマキはじめています。
早く手を打たないと日本は取り返しのつかない自体になってしまいます。

中国との貿易は日本にとっての重要度は低いです.中国の代替えはアジア
諸国で充分です.日本は中国に近づいてはいけない、中国病原菌を侵入
させてはいけない,日本の政治家は肝に銘じてもらいたい。



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中国人の悲劇


今日は前回からの続きです。

中国最後の王朝である満州族の清朝は1911年に滅び1912年に中華民国
が成立します。

そして中国は再び内戦が勃発、毛沢東率いる共産党軍は、蒋介石が率いる
国民党軍を破り、蒋介石は台湾に逃げ、共産党が指導する中華人民共和国が
1949年に成立します。

つまり私が言いたいのは中国という国が出来てまだわずか61年しか経って
いないということです。すなわち我々が知っている中国はたった61年の歴史
しか無い国だということです。

我々は何気なく中国あるいは中国人という言葉を使うが、実は二十世紀になる
まで、中国大陸には中国という国家もなかったし、そこに住んでいる人たちも
自分たちは中国人だという概念も、意識もありませんでした。

数千年もの間、あの広大な大陸に存在していたのは、国家や民族を全く意識しない
ただの「個人」が生息していたのです。

すなわち彼らのメンタリティーの中には、国家とか民族というものは存在しない、
ただ皇帝という支配者だけが存在していたのです。だから同じコミュニティーに
属さない人間は全て敵であり、油断すればいつ殺されるかもわからない。

つまり他人は全て敵であるという相互不信社会の中で中国人は二千年近くも
生きてきたのです。

だから中国人にとって、生きていくためには嘘をつく、騙す、裏切るのも
正当な行為なのです.彼らの辞書には「信頼関係」という単語は存在しない。
中国人の人間関係の基本は常に戦いであり、緊張の連続なのです。

故に中国人と契約を結んでも守らせるのは非常に難しいのは当たり前の事で、
何故なら中国では口にした言葉とその人の本心や実際の行動が必ずしも一致
する必要が無いからです。

中国人と日本人の哲学は180度違います.この哲学の相違こそ、彼らの行動
の謎を解く鍵なのです.欲望達成のためなら手段を選ばない中国人は、相手
の弱点を発見すれば、容赦なくそこに攻撃をかけてきます。

私がこのような中国人像を語ると必ず「中国人だからといって100人が100人
野蛮な詐欺師なわけじゃないでしょう、日本人だって100人が100人真面目な
わけでもない、なんでもかんでもひとくくりにしてはよくないとおもいます」
という反論がきます。

私は中国人を単に罵るためにこんなことを書いているのではありません。
私が前回と今回にわたって歴史を踏まえて中国人を解説しているポイントは
日本人が永遠不滅に持っている善悪と中国人が生きていくために身につけた
善悪とは根底から違ってしまったということを言いたいのです。

つまりほとんどの民衆は二千年間、いつも飢餓の線上でもがき、死生の縁で
さまよってきました、 中国人は命を保つためには、互いに欺き、騙し合い、
生きていく為には、いかなる悪徳非道なこともやった。

だから「騙すより騙されたほうが悪い」という哲学がうまれたのです。

日本人の善悪判断から見れば中国人は全員詐欺師ということになります。
いわゆる中国人の善悪と日本人の善悪は絶対に一致しないということを歴史を
踏まえて解説しているのです。

例えばライオンの家族を想像してください、ライオンは生きていくためには
インパラやゼブラを襲います。しかも逃げ足の遅い子供に目をつけます。
ライオンから見れば生きていくために家族を養うためには当たり前の善の
行為ですが、インパラやゼブラから見ればライオンの行為は危険な悪の行為
です。つまり視点が変われば善と悪が逆転します。

しかしこのライオン一家はお腹がいっぱいの時はむやみに狩りをして無益な
殺生はしません。なぜなら未来の餌まで考えているからです。

だが二千年間飢餓の線上で生きてきた中国人は、遺伝子の本体であるDNAに
明日のことを考える余裕が消えてしまったのです。

中国人は 数千年にわたり権力者の圧政による殺害と大飢饉による餓死者の
狭間で生きてきたのです。だから明日が信じられなくなってしまったのです。

日本も飢饉がありましたが 中国の大飢饉とは比較になりません。特に毛沢東
政権下での大飢饉は中国のほぼ全土を襲い,2千万人~5千万人という途方も
無い餓死者を出ました。魯迅の「狂人日記」には妹を食べてしまった話が
載っています。

そのうえ毛沢東は権力を磐石にするために「文化大革命」を始めました。
彼は、政府を批判してもかまわないという百家争鳴運動を展開した後に
誘いに乗った知識人たちが本心を隠す事なく吐き,語った後に皆殺しに
あいました。

そして国民を支配するために「密告」を奨励しました.結果いつ,どこで、
誰に裏切られるかわからない、だからお互いに嘘で騙し合い,日夜不安と
恐怖におののいて暮らしてきたのです。

作家の柏楊氏は「中国人は,伝統教育で子供に,他人に対して誠実にしては
ならぬ,嘘をつくべきだ,猜疑心を持たねばならぬ、いかなる人も信用しては
ならぬ、と教育している」と嘆いています。

文化が発達している欧米や日本では善悪が同じです。つまり安全に生きていく
ために、守らなければならないルールとマナーを作ったからです。

しかし中国は国際社会に於いて非難されないために付け焼刃的にルールを設定
しました。しかし現実には未だ権力者がルールを無視しています。権力者が
全てを握るアウトローの世界なのです。

日本人の最大の弱点は正義と悪を見る視点が常に同じだということです。
そのために、自分たちと全く異なる価値基準,行動原理の社会があるのだ
ということが想像できないのです。中国人が自分たちと同じような人間で
あると思ってしまうのです。

だから思考が180度違う,善と悪が逆転している民族との「友好」など絶対に
ありえないということがわかっていただけたと思います。

(今日も長くなりそうなので この続きは次回にさせていただきます。)



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感違いの中国人像


中国における日系企業の登録数は,すでに約二万社を超えたと言われて
います.

中国は民主国家でもなく資本主義国家でもない,その上法律が通用しない,
世界の常識も通用しない,詐欺師集団の「騙されたほうが悪い」という国に
積極的に投資を続ける日本企業は,底抜けのアホ集団です。

中国に進出して大失敗している中小企業の例は、枚挙に暇がない。それでも
懲りずに中国進出を続ける日本企業は,いったい何を考えているのか理解に
苦しみます。

結局マスコミが真実を報道せずに、中国が発する宣伝を取り上げるからです。
中国進出で痛い目にあった中小企業もあまり世間に公表しません.プライドと
信用を無くすからです。情報弱者である中小企業の致命的欠陥です。

それでは何故日本人は中国幻想に陥ってしまったのか,日本人は同文同種の
民族として漢文を読み込むことで中国を知ったつもりになってしまった。

しかし漢文を通じて中国人を理解することぐらい、絶望的な行為はありません。
何故なら漢文はこの二千年間というもの中国語とは全く関係がない。
日本人のほとんどは漢文を中国語の古語と思ってきたのです。

つまり日本人が尊敬し 知っている漢民族は紀元二世紀でこの地球上から
姿を消し、中国住民はそっくり北方の騎馬民族の子孫に何回も何回も入れ
替わってしまったのです。

そして秦や漢時代の中国人は,そのほとんどが大陸から居なくなったという
ことです。

ところが日本は遣隋使や遣唐使たちの使節が派遣され膨大な漢籍を大陸から
持ち帰り,それを今日まで途切れることなく勉強してきたのです。

つまり日本人は騎馬民族の子孫である中国でなく2000年以上前のいなく
なった漢民族の文化を勉強してきたのです。

日本人なら誰でも知っている儒教の開祖である孔子は,紀元前6~5世紀
中国各地の有力諸侯が覇権を争っていた春秋時代のことです

使節団が中国から持ち帰った無数の漢籍を日本人は今日まで約1300年間も
読み込んできたのです。

早い話が遣隋使や遣唐使が持ち帰った「論語」や「漢詩」などによって
皮肉なことに中国人でなく日本人の人格が磨かれてきたのです。

中国語と漢文は全く関係がない、つまり漢文の読めない中国人にとって
孔子や孟子の教えなど身につくはずもありません。
いわゆるこの二千年間というもの,漢文は中国語とは全く関係がないと
いうことを多くの日本人は知らなかったのです。

私はこれらのことを中国史研究の第一人者である岡田英弘先生から教えて
もらいました。

私も20年前 漢文を通じて身につけた中国イメージのまま中国に進出して
そのギャップの大きさに仰天した記憶があります。

中国進出する前は、信義に厚く,礼を尊ぶ文化人の国であると信じていま
した。しかし現実にいるのは,油断も隙もならない、詐欺師の野蛮人ばかり
でした。

中国人に取って漢文とは外国語同然なのです.中国で話されている言葉とは
全く無縁の言語体系なのです。

現在の中国人は,彼らが使っている中国語が,実は文体もボキャブラリーも
日本語からの借用であるということを隠そうとしています.現代日本文の
真似をして前置詞や助動詞を明確に記すことによって、やっと文章が
書けるようになったのです。

日清戦争後,日本に大量の清国留学生がやってきて,日本語を学び中国語を
誰でもが読める中国語の表記法を改良していったのです.その中に かの
有名な魯迅もいたのです。

日本語をマスターした魯迅の頭の中は日本語の文章があり,それを漢字に
置き換えて表現することによって原文一致体の「白話文」が生まれました。

そして試行錯誤の結果 現在における中国語は北京語を元にした「普通話」
がやっと確立されたのです。

つねに色んな異民族に取って変わられた中国の歴史を眺めたとき,中国政府
が宣伝している四千年の歴史は中国人の歴史ではなく中国大陸の歴史だと
いうことがわかります。

中国には単一民族としての中国人は一度も存在しなかった.中国語には
北京語,上海語,福建語などの言葉があることを知られていますが、実際は
もっと言語は細分化されています。これらは単なる方言というのでなく,
ほとんど共通点がありません。

そこで中国政府は各国が持っている「国民国家」というシステムを作るため
に国民を北京語に統一して教育してきたのです。それもまだ100年足らずの
ことです。

そして言語だけでなく異文化、異言語の人々の寄せ集め集団である中国を
統一するために歴史も歪曲せざるをえなかった。

毛沢東は少数民族を含めて全ての中国人を漢族にしてしまうために少数民族
の文化を奪い、抵抗するものは容赦なく抹殺してきたのです。

もし少数民族の自治や、言論の自由といったものを実現させれば、中国政府
が意図する最強の「国民国家」システムの改造計画が頓挫してしまいます。

この中国共産党の意図が理解できたとき、日本人やアメリカ人が思っている
「中国は資本主義開放経済への道を進めば自然に民主国家になっていく」と
いう考えが いかに愚かな事であるかということがわかっていただけたと
おもいます。

いわゆる中国が民主国家になったとき、強大な中国はその瞬間消えてなく
なります。

だから中国は外国よりむしろ国内に向かって「歴史始まって以来、中国人は
純一無雑の漢民族である」とか「4千年の歴史」や「永久不変の中国」など
歴史を歪曲して、国民を洗脳しなければ55以上の多種多様の民族を統一
出来なかったのです。

つまりこの2千年間騎馬民族が中国に同化したのではなく、騎馬民族が
中国人になったということを理解したとき、日本人も覚醒するのでは
ないかと思っています。

中国が建国され、中国が国民国家への歩みを始めたのは1912年からです。

(あまりにも長くなってしまいました.続きは次回にて)



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日本人が持ち帰る楽観の中国像


私はブログを立ち上げてから3年近く中国本土に足を踏み入れていません。
中国へ行きたくても危険すぎて行けない状態が続いています。

何故なら私のブログで100回以上中国問題を取り上げて警告を鳴らし続け
ているために 当局から目をつけられているような気がしてとても中国に
行く気が起こりません。

しかし中国へ進出した中小企業が酷い目にあわされていることを数多く
知っている以上、詐欺師中国の実態を知らせるのが私の使命だと信じて
書き続けています。

2年近く前 不気味なコメントとメールが続いたために会社や家族に迷惑を
掛けるわけにはいかなくて1~2ヶ月ブログを停止したことがありますが、
多くのコメント陣の皆様に励まされて再び勇気を持って今日まで続けて
います。

しかしいつまで続けられるかわかりませんが、中国礼讃の評論家やマスコミ
の害から微力ながら日本を守らなければといつも思っています。

先日中国視察旅行から帰ってきた某会社重役から宴席に誘われました.彼は
中国の発展ぶりを見て「中国が変わった、確実に変化している」と熱心に
喋っていました。

そして現地の通訳兼案内の中国人が、「現政府は貧困層の面倒をちゃんと見な
いのは問題である」と政府批判を口にしたことについて、これは中国に
民主主義が根づき始めているに違いない」と興奮して話していました。

たしかに怖くて何もいえなかった毛沢東時代と比べると一つの変化に違い
ない。しかし、それが真の意味での言論の自由が中国にあるなど勘違い
も甚だしい。

この通訳の意見を「人民日報」に書いたり,テレビで喋ったりすることは
出来ない.今の中国に公の場で政治問題について話せる自由はありません。

彼はインターネットの導入が中国を民主国家に変えていくと力説していま
した。しかし中国公安当局はウエブサイトを遮断する巧妙な方法を身に
つけるようになっています。

現に天安門の虐殺,法輪功,ダライ・ラマ,台湾独立,文化大革命など
といった危険な言葉はすぐに検閲に引っかかります。

インターネットが中国の政治を変えたのは確かだが、それは制約された枠内
でしかありません。

インターネットの新時代が到来したものの,相変わらず中国共産党の一党
支配がつづいています。国民はこれまでより情報に接する事ができるように
なったが、政府に歯向かったり,反対すれば,たちどころに逮捕されて
しまいます。

用心深くなった中国共産党は以前以上に国民を監視しています。つまり
レーニン主義体制は揺らぐどころかますます強化されていっています。

某重役は「以前中国で村落選挙が導入されたという記事を新聞で見たことが
ある。その後のことは知らないが、近い将来中国が民主国家になっていく
証拠である」と断言していました。

この様な光景はまるでビデオのように何回も私の前で再現されます。
某重役を含め日本のマスコミや評論家は中国のプロパガンダに簡単に
引っかかってしまいます。

中国政府は過去村落選挙を、中国がより開放的で民主的になりつつある証拠
として大いに宣伝してきました。

中国では1990年ころから村落選挙が始まっています。しかしこの選挙の
目的は農村支配を確実にする手段として導入したのです。

小平は毛沢東のつくった人民公社が破綻していくのを見て、人民公社を
廃止しました.ところが困窮した農民たちは政府の指令を聞かなくなり、
税金も納めなくなりました。

そこで小平は村落選挙を導入したのです.この選挙の候補者は共産党から
しか出ないし、共産党以外の対立候補がでた場合地方政府が動員した武装
警官によって候補者やその支持者の村人に襲いかかり潰してしまいます。

村落選挙によって予定通り選ばれた共産党員はその地域の絶対的権限を
にぎり、国で定めた税金以外に、道の普請から学校の経費、家畜一頭一
頭の処理まで、様々な名目で農民に費用や手数料の負担を求める「乱収費」
が横行しています。

このために腐敗共産党幹部への反発を強め,重い負担に耐えかねた農民
たちの万余の農民暴動が後を絶ちません。

中国の発展を礼讃する公式報道の陰に隠れて,これらの農村で起きている
容易なる事態を中国政府は他国の目から隠しています。

村落選挙の実態は小平が考えた農民支配を強化するための手段なのです。

宴会の席で某重役に向かってこれらのことを言ったわけではありません。
もし反論すれば他の人の手前、彼のメンツを潰すことになり,ひたすら
我慢しました。

このようなことは過去何回も経験しては中国宣伝の巧みさと、それによる
洗脳の凄さには驚かされてしまいます。

結局私の小さな警告が届かないまま,最終的に日本が中国という邪悪な存在に
飲み込まれていくのか、あるいは支配されていくのか,悲しい構図しか浮かん
できません。

いったいどうすればいいのでしょうか、焦りと虚しさで欝になりそうです。



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ゾンビ千葉景子法相


韓国民団の工作員である千葉景子が落選してホットしていたら菅首相は
落選した千葉景子を民間人として引き続き閣僚に留める意志を表明しました。

これでは何のための選挙かさっぱりわかりません。日本解体を目指す闇法案
を積極的に推進してきた千葉法相の危険に気がついた有権者はNOを突き
つけたのに、あ~なんということを!

千葉景子の危険な思想と行動の一部を書き出してみます。

*1999年8月5日、日の丸・君が代を国旗・国歌とする法律(国旗及び国歌に
関する法律)について反対票を投じた。

*2006年4月26日、『共謀罪に反対する超党派国会議員と市民の緊急院内集会』
の呼びかけ人の一人となる。

*2008年4月16日に開催された民団の外国人参政権推進集会に賛同。

*1989年、「在日韓国人政治犯釈放の要望書」に署名する

*2004年4月7日、入国管理局の不法滞在外国人通報システムを批判した。

*2006年3月27日、出入国・在留管理を強化し、テロリストや不法入国などの
ブラックリストに符合した外国人を直ちに強制退去させる出入国管理及び
難民認定法の一部を改正する法律案に反対。

*2007年8月、法務省入国管理局が退去強制命令を下した1997年に観光ビザで
来日し、神奈川県川崎区に不法滞在していた韓国人の家族に対して、
撤回を求める働きかけを精力的に行う。

*2007年10月30日、テロ防止のため入国・再入国のたびに、指紋と顔情報の
提供を義務づける「日本版US-VISIT」に反対

*2009年3月17日、参議院法務委員会において、他人名義のパスポートにより
日本に不法入国した家族に対して、強制送還をせずに、一家全員を日本に
在留させる特別措置をするように求めた。

*2009年10月9日、最高裁判所から中国残留孤児と血縁関係がないと判断され、
大阪入国管理局から国外退去を命じられていた姉妹に対して、法務大臣の権限で
在留特別許可を認めた。

*2009年11月27日、閣議後会見で、慰安婦への補償や、永住外国人への
地方参政権付与を求める市民集会に祝電を送った。

*1999年1月27日、全国フェミニスト議員連盟などが主催する『夫婦別姓選択制
と婚外子差別撤廃の実現に向けて市民と国会議員の集い』に参加。

*横須賀港の原子力空母の母港化に反対し、厚木基地のNLPは硫黄島に移転させる」
「政府から独立した人権擁護機関を都道府県毎に設置する」「外国籍県民と共生
できる社会」などを公約。(Wikipedia より)



菅首相は彼女のこのような思想を知った上で千葉景子を法務大臣の要職の留める
ということは、菅首相も同じ考えということです。

菅首相の本名は「韓」であるという噂はやはり本当のことだったのか?



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民主党に国を亡ぼされてたまるか!


民主党が 誰が考えても、どう考えても日本が不利益になると分かっている
法案の成立を図るということは、単なるイデオロギーの違いだけでなく、
「なりすまし日本人(帰化人)」か、あるいは全く勉強しない馬鹿か?

民主党が参院選の争点にならないようにマニフェストへの記載をしなかった
「外国人参政権」「夫婦別姓」「人権救済機関」などの悪法をひたすら隠して
秋の臨時国会以降に順次法案成立を図ろうとしています。

彼らがマニフェストに載せずに争点にしなかったのは、悪法だとわかって
いるからです。もし正しい法案であると信念を持っていたならならマニ
フェストに記載して堂々と議論したはずです。

彼らは日本解体を目指していることを隠すために、争点にしなかったのです。
ということはやはり「なりすまし日本人」なのかもしれません。

仙谷官房長官がついに化けの皮が剥がれました。

7日の記者会見で、昭和40年の日韓基本条約で韓国政府が日本の植民地支配
をめぐる個人補償の請求権を放棄したことについて[法律的に正当性がある
といって、それだけで物事は済むのか」と述べ、政府として新たな個人補償
を検討していく考えを示した(産経新聞7・8)

戦後賠償は完璧に終わっている。併合当時の総資産も全て残してきました。
世界が認めている財産請求権を日本の好意によって全て放棄したのです。

仙谷官房長官はまた、日韓基本条約を締結した当時の韓国が朴大統領の軍政下
にあったことを指摘し「韓国国内の事柄として我々は一切知らんということが
言えるのかどうか」といって日韓基本条約の正当性を否定しようとしています。

朴大統領は日本の巨額の賠償金で「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展を成し
遂げ、韓国の近代化の礎を築いた朴政権を単に軍事政権として無効にする
ですか?

朴大統領は巨額の賠償金を手に入れただけでなしに、巧みに日本から経済援助
や技術援助を引き出し韓国を「アジア四小龍の一つ」とまで言われるように
したのです。

日韓基本条約は完全かつ最終的に解決されたことが確認されています。

それを今更当時の韓国が軍政下にあったことを指摘して、「従来の政府の
対応は不十分、政治判断で個人補償を行うべきだ」とはただただ呆れます。

日本は財政赤字で金がないと常日頃言っている割には韓国には平気で
金を出すなど、日本の政治家とはとても思われません。仙谷氏もやっぱり
「なりすまし日本人」なのですか?

民主党は日本を壊すために、徐々に本性を現し始めました。

.韓国民団に操られる売国民主党に、
この美しい日本国を亡ぼされてたまるか!



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上海バンスキング


前回のブログの余韻のまま「日本は中国を侵略したのではない」ということを
今回は書いてみます。

我々日本人は中国の対日謀略によって日本国は残虐な侵略国家に洗脳されて
しまい、結果多くの日本人は中国に対して原罪意識を持ってしまいました。

日中事変のきっかけである盧溝橋事件は日本軍と国民党軍を衝突させるための
中国共産党の謀略であったことが,現在でははっきりしています。

盧溝橋の近くにいた日本軍に闇夜から銃撃され、さては国民党軍が撃ってきた
のだと判断し、戦闘が始まってしまったのです。
ところが撃ってきたのは国民党でなく、中国共産党のスパイであったことが
今では証明されています。

共産党軍の兵士向けの宣伝ビラに,「盧溝橋事件は我が優秀なる劉少奇同志の
指示によって行われたものである」という記述が残されています。

当時の中国は毛沢東ひきいる共産党軍と蒋介石の国民党軍との中国人同士が
争う内戦状態でした。当時の共産党軍は国民党軍に対して連敗につぐ連敗で
壊滅寸前だったのです。

そこで毛沢東はジリ貧状況を打開するために,国民党軍と日本軍を戦わせて
漁夫の利を得ようとしたのです。

まもなく数日で国民党軍も日本軍も共産党軍の謀略に気が付き,戦闘は沈静化
して日本軍は事件不拡大方針をとり現地協定を成立させました。

毛沢東はここで沈静化してしまうと再び国民党軍の攻撃にあって滅ぼされて
しまいます。そこで共産党軍は,沈静化させないために,日本人居留民260人を
残忍極まりない手口で虐殺します。

戦後これらの歴史的証拠は全て残っています。東京裁判でも日中戦争を不問に
せざるをえなかったのも、あまりにも証拠がそろっているからです。

つまりこのようなことから日中戦争の引き金を引いたのが中国側であることは
歴然としています。

私がこのような説明をすると必ず「中国にすでに日本軍がいたではないか、
なぜ中国に日本軍が常駐していたのか、すでに侵略行為を行っていたに
ちがいない」と反論されます。

そこで上海にあった「租界」について説明しなければなりません。

1843年アヘン戦争をきっかけにイギリスが土地を租借し,続いて英米仏が
行政を統一して「租界」となった。さらに1865年には香港上海銀行が設立
されたことをきっかけに欧米の金融機関が上海に続々と進出しはじめました。

当時中国は国としての体を成していなかった。治外法権を認めた清政府も
まるで干渉出来なかった。パスポート不要のため外国人が続々と押しかけ
西洋文明に染まった上海が極東一の大都市になりました。

この上海の外国人居留地域には8カ国も進出して、自国民を警護するために
各国は軍隊を駐屯させていました。日本も日本企業と日本人を警護するため
に8カ国のうちの一国として中国の了承の下で小規模な軍隊を駐屯させて
いたのです。

当時の中国は内戦状態で治安が極端に悪く中国軍閥から自国民を守るために
軍の駐屯も仕方なかったのです。そのうえ上海ギャングが売春宿や阿片窟を
営み、勢力争いを繰り返して非常に危険なまちで、魔都と呼ばれていました。

その一方で上海は娯楽が豊富にあったためにこの街に一度は訪れたいと思う
ような魅力ある街でした。ジャズが鳴り、セクシーなチャイナドレスが揺れ
るモダンな東洋一の歓楽街だったのです。

ここまで書いて、ふと吉田日出子さんがけだるく歌っている上海バンスキング
が耳の底に流れてきました。

朝には消える 思い出の上海
恋は燃え 愛のときめき 冒険も また 熱い涙
ああ 夢が多すぎる
にがい葉巻の 煙のように
まぼろしの“ウイ・マダム”こころの上海

いつか あなた 来るでしょう ラストナイト
だから 声かけて あげましょうね
ウエルカム上海! ウエルカム上海!
いつか見たよな 忘れた上海
愛は消え 血は凍り 躍るこころも 過ぎたとき
ああ 夢が多すぎる
にがい夜明けの 朝もやのように
まぼろしの“ウイ・ムッシュ”なつかしの上海

当時の上海租界は清政府や中国軍閥の支配が及ばない街で、西洋文明を受け
入れながら人々は自由が保証されていました。そして多くの人によって生み
出された莫大な富は上海に摩天楼を築き上げました。

150年前の話です。香港にしても上海にしても外国が支配すれば発展し
中国政府が乗り出すと衰退していきます。中国のパターンです。

現代の中国の発展も外国人が大挙して押しかけ中国全土に工場を建てたから
一部の人達は豊かになり人間らしくなったのです。

しかし根性のネジ曲がった中国政府が現在の発展は自分たちの力であると
錯覚し、干渉し始めたとき外国人は逃げ出し、上海バンスキングの歌詞に
あるように、にがい葉巻の煙のように、幻の中国になります。

愛は消え、血は凍り、にがい夜明けの朝もやのように、まぼろしの、
なつかしき中国。

ああ、中国よ 夢が多すぎた!


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世界の日本化現象


前回はアメリカの知識人たちは戦前戦後を通じてアジアにおける日本の
貢献度や好影響力がまるで分かっていないと書きました。

そこで今日は著名な外国人が日本に対して賞賛の言葉を発してくれた
ことを書いてみます。

1992年マレーシアのマハティール首相が香港で「日本の成功が東南アジア
諸国に自信を与えた。日本がなければ欧米の世界は永久に続いたはず・・・」
と演説しました。

(マハティールの演説の概略)
「日本は、軍国主義が非生産的であることを理解し、その高い技術とエネルギー
を、貧者も金持ちも同じように快適に暮らせる社会の建設に注いできた。
質を落とすことなくコストを削減することに成功し、かつては贅沢品だった
ものを誰でも利用できるようにしたのは日本人である。
まさに魔法も使わずに、奇跡とも言える成果を次々に創り出したのだ。

日本の存在しない世界を想像してみたらよい。
もし日本なかりせば、ヨーロッパとアメリカが世界の工業国を支配していた
だろう。欧米が基準と価格を決め、欧米だけにしか作れない製品を買うために、
世界中の国はその価格を押しつけられていただろう。

南側のいくつかの国の経済開発も、東アジアの強力な工業国家の誕生も
ありえなかっただろう。多国籍企業が安い労働力を求めて南側の国々に投資
したのは、日本と競争せざるをえなかったからにほかならない。

日本との競争がなければ、開発途上国への投資はなかった。また日本と日本の
サクセス・ストーリーがなければ、東アジア諸国は模範にすべきものが
なかっただろう。ヨーロッパが開発・完成させた産業分野では、自分たちは
太刀打ちできないと信じ続けていただろう。」

次にフランスの文化人類学者,クロード・レビストロースの言葉です。
「日本の偉大な力は、二重の規格と呼ばれるものだ。外国の影響に対し自国を
定期的に開放すると同時に、独自の価格や伝統的精神に対して忠実な点だ。
この均衡性は西欧にはない。我々はこの偉大な教訓を日本から学ぶべきだ。
日本は驚異的豊かさの文明を代表している」

昭和17年日本がシンガポールを陥落させた時のフランスのド・ゴール将軍
の言葉「シンガポールの陥落は、白人植民地主義の長い歴史の終焉を意味する」

終戦直後のG・ウエルズは「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と
有色人の平等をもたらし、世界連邦の礎石を置いた」と述べています。

1945年タイのクリクット・プラモート首相は「今日、東南アジア諸国民が、
米英と対等に話ができるのは,身を殺して仁を為した日本という母のお陰だ」

私が知っているのはたったこれだけですが,20世紀の人類における日本の
貢献度については数えきれないくらいの有名人が日本賞賛の言葉を発して
います。

それに比べて中国人や韓国人は日本の資本と技術の支援によって成長した
にもかかわらず、「反日」「抗日」を叫び,いつまでも過去の戦争責任を繰り
返しわめき叫んでいます。

この両国は20世紀、人類の貢献に何かしましたか?

アジア・アフリカの近代民族主義は、日露戦争における有色人種である日本人
の勝利の衝撃によってうまれ、白人神話を破り、さらにアジアの白人たちの
植民地主義は、日本軍の一撃で総崩れになった、日本は敗戦したがアジアの
人々は日本精神と技術と勇気を受け継ぎ,やがてそれぞれが民族独立を達成して
いったのです。

白人たちから地の果てと言われた極東アジア海上の一小国から、幾多の苦難
を経験しながら、日本の一挙手一投足は常に世界に巨大な好影響を与え続け
てきたのです。

今日21世紀を迎えても日本は先端技術を駆使して, 圧倒的な国際競争力を
もち 世界経済を引っ張って行きます。

また日本の先端技術によって食料の工業的生産、石油代替エネルギーの大量
生産を可能にし、増大する世界人口を救っていきます。

かって世界の多くの後進国を植民地にして、富を強奪してきたヨーロッパが、
ギリシャ破綻をきっかけに没落の兆しが、はっきり見えてきました。

最大の原因はヨーロッパの主要国ではほとんどの国で、社会民主主義系の
政党が一回は政権の座について社会福祉のバラマキをやったからです。
一度バラマキの味を覚えると止めれなくなります。

その為に西欧人は現状維持の満足感と福祉のバラマキで、ますます勤労意欲
がなくなってしまいました。

「競争こそ発展の原動力である」ということをそぎ落としてしまった社会
制度がヨーロッパを足腰の立たない老人にしてしまたのです。

日本も民主党政権を選びヨーロッパと同じ道を歩もうとしています。しかし
賢明な日本国民はすぐに気がついて左翼政権を排除してくれるものと
信じています。

そして日本は知識集約型の経済大国から文化大国へと国家目標をかえ、
ますます繁栄して,世界各国は日本化現象を阻止できなくなります。

しかし自然を開発して共生するのでなく、自然を食いつぶし破壊していく
しか能がない中国には,明日はありません。

神と自然を敵に回した中国は必ず没落していきます。それが歴史の流れで
あり,運命というものです。



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中国の術中


最近のアメリカは、中国幻想にとらわれて、中国の術中にはまっている
ように感じているのは私の誤解でしょうか?

何もアメリカだけではない、日本はもちろんのこと世界中の国々が中国の
術中に陥っているように感じられます。

国際社会の秩序は決められたシステムの中で対応するように出来ています。
ところが中国だけが強大な軍事力をバックに自国の利益に対して貪欲に行動
しても咎める国すらありません。

その中国のルール無視、マナー違反を咎めることの出来る唯一のアメリカが、
中国に遠慮して、宥和的な政策を過去繰り返してきました。

もちろん現在のルールは西欧人の価値観に基づいたルールですが、しかし
中国が世界の舞台に登場してきた30数年前にはすでに定着していた国際
システムなのです。

世界はこのシステムに従って国際経済なり国際政治が運営されて来たのです。
ところが中国は18世紀の満州族が建てた清朝時代の皇帝が支配するルールで
自分勝手に行動しています。

つまり中国は冊封体制の下で東アジアの覇権を握り、古びた中華思想で
国際秩序を維持しょうとしています。最近ではアフリカ、中央アジア、南米に
まで手を伸ばし、小国は中国軍事力の恐怖と中国資金に目が眩み、結果支配
されていっています。

アメリカは中国に対しての油断、楽観主義が世界を暗黒の世界にしていく
ことに気がつかなければいけません。

アメリカの責任は大きいです。アメリカは常に中国に対して世界のシステム
における責任あるステイクホルダーになれと呼びかけ、また遠からずそう
なることを信じています。

アメリカは中国における経済の自由化が政治の自由化につながり、そして国民
が豊かになることによって自然的に価値観を共有できる国際社会の一員に
なっていくと愚かにもひたすら信じています。

アメリカはどこの国であれ「経済が大きくなれば必ず政治的変化が起こり
民主主義へとなっていく」と信じたがっています。

それではなぜアメリカはこのような脳天気で無知な国になってしまったのか?

アメリカの思考の根底には戦後の韓国、台湾がイメージされていると思われ
ます。戦後この二つの国は権威主義体制下に置かれ、警察と公安当局が
反対制勢力を力で抑えこんでいました。

ところが経済成長が急速に進むと、この両国は豊かになり民主国家へと
変貌していきました。だから当然中国でも同じように民主国家になっていく
とアメリカは信じたのです。

この両国の民主化の要因をアメリカの指導と、支援・援助が重要な役割を
果たしたことは当然ですが、肝心の日本の戦前・戦後の影響力を完全に
忘れています。

はっきりいってアメリカの指導者たちはアジアの歴史をあまり勉強して
いません。

韓国・台湾が戦後急速に豊かになり民主国家になっていったのは戦前の
日本における善なる支配と戦後の技術援助・経済援助の結果だということが
アメリカは全く分かっていません。

私がいつも思うのはアメリカのシンクタンクの研究者、中国専門学者や
マスコミの面々のレベルの低さにはため息が出ます。

台湾や韓国は戦前日本が統治したことによって豊かになりすでに民主国家
になっていたのです。

ところが日本の敗戦により台湾は蒋介石のものになったのです。蒋介石独裁
のファシズム政党はすでに民主国家になっている台湾の私企業、私有財産、
全耕地の30%,山林の90%,7つの銀行の本支店の預金,各地の在庫の米など
全資産の8割ともいわれる莫大な資産全てを蒋介石がぶんどったのです。

戦後台湾が民主国家になったのはアメリカの関与だけでなく単に戦前に
戻ったに過ぎないのです。

韓国も全く同じです。韓国の評論家であるキム・ワンソブ氏は『親日派の
ための弁明』という著書の中で「朝鮮の近代化は日本の統治・支援なくして
ありえない」と言っています。韓国も戦前はすでに豊かな民主国家になって
いたのです。

アメリカの中国専門家,シンクタンク,議員,議員スタッフの人たちが相変
わらず「韓国や台湾に民主主義が浸透していったように中国でも民主化が
生じるだろう」という愚かな議論しか出来ないのは、アジアの歴史を全く
勉強していないからです。

6月29日に産経新聞が開催した、日本,米国,インド,中国の専門家を招いた
国際シンポジウムの対談が載っています。「米国には米中関係の将来への
楽観主義が広がっている。2百年以上前からの中国文化への深い憧憬の念を
指摘する歴史家もいる」

このようなピルズベリー(米国防総省顧問)の発言で相変わらずアメリカの
浅はかな中国観が見えました。

「中国の急激な経済成長の行く手には大規模な政治改革が待っている」と
信じているアメリカ知識人たちの安易な思い込みには,絶望すら感じます。



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