日本のメディアの中国関連ニュースを見ていますと「中国は国の
威信に懸けて」という言葉がよく出てきます。
例えば「五輪開催に国の威信をかける中国」「中国は国の威信を賭けて
有人宇宙衛星を成功させた」
しかし威信という言葉をよく見てください、威信の威は威厳の威です
威信の信はもちろん信用です.すなわち威信とは威厳と信用がセット
になっています。
中国は今まで威厳を最優先する一方で信用をことごとく壊してきま
した。このことに中国共産党幹部はまったく気がついていません。
国際社会での最優先事項はひとえに「信用」なのです。いくら威厳を
高めても信用をなくせば誰も尊敬してくれません。
そのうえ威厳を高めるために自分勝手な行動で各国に迷惑をかけ
続ければ威厳を高めるどころか軽蔑されるだけです。
大多数の国民を飢餓の線上に置き去りにしたまま、いくら偉ぶっても
他国は認めてくれません。
上海、北京、広州、深川 などを見れば確かに乱立するビルや多くの
車の流れを見れば近代国家になったような錯覚をします。
しかし一つの国の発展は大多数の人民の生活が改善されたかどうか、
また、置き去りにされた貧しい地方の人たちが発展するチャンスが
平等に与えられているかどうかを見る必要があります。
中国の80%の人は中小都市と広大な農村で生活しております。
私の知る限り中小都市の経済は半ば破産しています。農村経済も
非常に厳しくなっています。
もちろんどこ国にも貧富の差がありますが、近代国家として最も重要
なことは、社会全体に貧しい人を助ける機制が存在するかどうかです。
日本のメディアは北京や上海の人がどれだけ裕福かを見るのでなく
地方の貧しい人がどれだけ貧しいかを見るべきです。
近代国家における「貧富の差」は平等な合理的な市場競争から発生
します。中国の「貧富の差」は起点が不平等な競争、すなわち権力集団
が持っている権力で財宝を略奪したものです。
特に農村では共産党幹部達が農民の生活の全てを費やしても足りない
くらいの金を農民から収奪しています。
近年における中国社会はますます汚職が多発し、社会道徳が堕落して
地下経済が氾濫し、ヤクザ社会に変貌しています。
日本社会にも汚職腐敗がありますが 汚職が発生すればメディアに
公にされ、法の裁きを受けます。民主主義というのはお互い監督しあう
事によって、悪いものを見つけ出すことができます。
しかし中国では権力はすべて党にあります、同時に党は裁判者でも
あります、ですから党は自分の汚職腐敗の行為を制約させることは
不可能に近いです。
中国には目を覆いたくなるような悲惨な問題が山づみしています、
誰もこれを解決することは出来ません。
しかし唯一つ解決する道があります、それは今の共産主義政体から
民主国家に変わる政治体制改革です。
もし共産党がこのまま統治していけば、この国には前途がありません。
アフリカで総称される暗黒大陸はむしろ中国大陸に相応しいことばです。
東欧諸国の崩壊はほとんどだれも予測しなかった。しかしこの国に
終焉がおとずれても誰も驚かない。
中国が未来を手に入れるためには、いま自分たちを縛り付けている力
から解放されなければならない。
未来に進むための最善の方法は過去の事実を直視して反省する以外に
道はありません。偉大な国家は歴史の真実から活力をえます
この国はきのうが今日をむしばみ、明日を奪っています。
中国が偉大な国家、礼節のある国家になることを我々日本人は
心から願っています。

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今日は遠い昔の思い出を書いてみます。
1994年の秋 上海市の居酒屋桐花で当社の取引先である生協様の
上海事務所の駐在員と飲食しておりましたら、そこへ顔見知りの
ヤオハンの社員が入ってきました、当社とは取引はありませんが
行きつけのスナックで3~4回会っておりましたので、意気投合して
いつものスナックに行きました。
先に来ていた伊勢丹の社員と4人で中国情報を交換しました。
このスナックは日本駐在員のたまり場でここでの情報交換は非常に
重要で、まだ中国の実態をあまり知らない私にとって大切な場所
なのです。
このときのヤオハン社員(女性)と伊勢丹の上海店店長の会話が
今でも鮮やかに記憶に残っています。
当時 伊勢丹はアンテナショップとして上海にお店を出していました。
来年早々にヤオハンは上海副都心を目指す浦東に巨大店舗が出来る
事は新聞紙上で皆が知っていました。
伊勢丹の店長は盛んにヤオハンの和田社長を褒めまくっていました。
「和田社長の中国人脈、政治力は誰も敵わない、他の百貨店も進出を
検討しているが中国では人脈がないと、前に進めない」
生協さんも私も同調してヤオハンを持ち上げていました。
ヤオハンの女性社員さんは しらけた顔ではっきりと「ダメよ、
うまくいかない、失敗する」と断言しました。
三人は一瞬 息を呑んで彼女の顔を見ました。早く答えが知りたくて
彼女の言葉を待ちました、彼女は言いたくなさそうに言葉を呑み込み
ましたがゆっくりとおもむろに喋り始めました。
「すでに北京で合弁の店舗を経営しているが大赤字です、なぜなら
店員全員が泥棒です、監督する幹部も泥棒です 商品管理も人間管理
もまったく出来ません。毎日商品が少しずつ無くなります、高いものは
危なくて置けません。」
伊勢丹氏 『ではどうして今回上海に出店するのですか?しかも浦東は
交通の便が悪くて出かけるのに大変なのに。』
私 「新聞に載っていたが,浦東地区は将来 香港に取って代わって
巨大金融センターになる、和田社長は先行投資をしたのですよ」
翌年、東洋一の百貨店「ネクストステージ上海」がオープンした。
テレビでは3日間で100万人が押しかけ、交通規制が行われるほど
の凄まじい人手を映し出していた。
オープンして4~5ヶ月過ぎた頃ネクストステージ上海に行きました。
売り場は広い、冷房もきいていて涼しい、日本の百貨店と同じ、
商品の値段も日本と大差がない、
しかしちょっと待ってください、上海人の給料は当時せいぜい
5千円~1万円くらいのはず、いったい誰が買うのですか、
しかもお客の数より店員の数のほうが多い、あの凄まじい人は
いったいどこへ行ったのですか、平日のせいもあるが、しかし
ヤオハンの目標では平日の来客数を10万と謳っていたはずです。
9階か10階か忘れましたが食堂街に行きました、ここではいろんな
お店が並び好きなものが選べるようになっています、
ここだけは人も結構入っていました。その後
上海のスナックで4人が夜遅くまで情報交換してからわずか3年で
ヤオハンは倒産してしまいました。
ヤオハンは「中国政府に嵌められた」というのは言いすぎでしょうか
和田社長が常に自慢していた中国人脈がかえって仇になってしまった
ようなきがします。
当時の上海市長はあの有名な朱鎔基です。温家宝の前の首相です。
朱鎔基は壮大な浦東国際都市プロジェクトを成功さすために
ヤオハンを誘致、おとりに使った。
ヤオハン誘致が発表されたあと浦東投資ブームが起こった、それまでは
天安門事件のせいで海外からの引き合いが乏しく頭を抱えていた
時期である。朱鎔基の意図は当たった。
以前ブログでも書いたように松下電器も人寄せパンダに使われたが、
松下は逆に成功した、製造業と小売業の違いがあるが、松下は中国の
安価な労働工賃を単に利用しただけだがヤオハンは中国の使い方を
誤った。
ヤオハンの失敗は慢性的な資金繰りのせいばかりでなく、一女性社員
ですら感じていた,彼の危なっかしい中国人脈にあると思います。
和田氏の自慢は香港一の実業家『李嘉誠』と友達である、彼は北京政府
と繋がっているが口癖でした。
しかし中国人脈は両刃の剣
日本のビジネスマンはヤオハンのおかげで中国人脈の恐ろしさを
知りました。

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中国農民の蜂起
昨日のブログ 「孟姜女」伝説の一部をお読みになって皆様はどの様に
感じたでしょうか。
秦の始皇帝は万里の長城を築くために当時の人口の15%に当たる
約300万人を動員したといわれています
皇帝は外敵の侵入を防ぐため、働き盛りの男をすべて捕らえ、
長城の建設に従事させた、長城の建設で亡くなった夫を追って長城
から身を投げて死んだ孟姜女の故事は当時の農民の悲哀を物語って
います。
始皇帝は「天の資材はすべて皇帝に帰する」政策を掲げ、農民に
対する重い負担を強いた。50%の地租に加え、さまざまな賦役や
雑税を課し、農民達を苦しめた。
この過酷なまでの農民いじめは農民の大規模な反抗を招き、秦は
統一してから15年、始皇帝の死後3年で滅んでしまう。
その後の中国歴代王朝は、王朝の腐敗が進み農民負担が耐えがたい
までに重くなると、農民ほう起を招き、王朝が転覆する歴史を
繰り返しています。
まさに農民の虐待問題は中国の歴史を動かしてきました。
ところが現代の中国を牛耳っている幹部たちは栄光の中国歴史しか
知らず、負の歴史をまったく知らないことに驚きます。
中国の愚民化政策である捏造された歴史教育によって真実が隠されて
来ました。
3年前 中国の外務報道局長は定例会見で『中国は有史以来の平和
国家である。歴史上他国を侵略したことはない』と言明した。
開いた口が塞がらないとはまさにこのことです。
多くの外人記者を前にして堂堂とこのような嘘をつくとは、ひょっと
して本人は過去の歴史をまったく知らないのか?あるいは知って
いて大嘘をついたのか、外務報道局長でありながら
100年くらいの中国の歴史をまったく知らないのでしょうか?
いずれにしても中国人は世界で最も詐欺的な民族であることの
証明です。
毛沢東の残虐な仕打ちが中国人は嘘をつかなければ生きていけないと
悟ってしまったのかも知れません。
話は少し横道にそれましたが、中国政府は農民が立ち上がるたびに
歴代王朝が転覆されてきたという過去の歴史を幹部達はまったく
勉強していないのでしょうか?
現 共産党政権も、農民革命のただなかから生まれた政権として、
農民の怖さを熟知しているはずなのに、過去の歴史に学ぼうとは
いっこうにしていません。
目もくらむような都市と農村の格差、中国政府は農村の抜本的
解決策をもたぬまま時間だけがいたずらに過ぎていきます。
各地方の農村の共産党幹部の腐敗が進み、国の定めた税金以外に
道の普請から学校の経費、家畜一頭一頭の処理にまで,さまざまな
名目で農民に費用や手数料の負担を求める「乱収費」が横行して
いることを中央政府は知っているでしょうか?
四川大地震で学校を中心に公的建物の手抜き工事が問題になって
いますが明らかに地方の共産党幹部のピンはねのせいです。
農民の怒りの爆発は時間の問題になってきました。
すでに10数年前から腐敗幹部への反発を強め、重い負担に
耐えかねた農民の小規模な決起が続いています。
日本の政治家やメディアは中国の高度成長に目を奪われて、農村の
闇の深さにまだ気がついていません。
四川大地震は大波乱の幕開けか、しっかり目を凝らせば、時代の
終わりを示すあらゆる前兆が見てとれます。

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私のブログは中国専門ではありません、なのにこの5月中は
中国のことばかり書いてきました。
そろそろ以前のように韓国の事や日本の事を書かねばと思いながら、
中国問題から離れられなくて書き続けています。
聖火リレー、胡錦濤訪日、四川大地震、5月は中国問題が多すぎて
他の事を書く気が起こりませんでした。
ビジネスで中国人とかかわる前は、中国が好きで中国ロマンに、
憧れていた一人です。しかし実際に中国人と関わった時、その
あまりのギャップの深さに仰天して自分の甘さ愚かさを知りました。
―・・・・・・
ブログにコメントを頂く人たちがあまりにも教養がありそのレベル
の高さに筆が震えます。(もっと簡単で優しいコメントも御願いします)
おかげで私のブログのタイトル『中韓を知りすぎた男』という
偉そうな題をつけてしまった事に何ともいえない恥ずかしさを
感じています。
子供の頃から作文が苦手の私がなぜ毎日ブログを続けられるのか
不思議ですが、これからも書き続けていこうと決心しています。
今日は中国の有名な伝説「孟姜女」について書いてみます。
以前この話を読んだ時は単に夫婦愛の素晴らしさに感激しましたが
今は何千年と変わらない現在も続いている農民の悲惨な悲劇に
目がいってしまいます。
話を要約しますと、結婚式を挙げてほどなく、万里の長城の建設の
ために夫を奪われた孟姜女は、夫の帰還をひたすら待って祈り、
ついには北の果ての万里の長城へ夫を探しに行きます。
夫が死んだことが分かると、後を追って身を投げました。
(孟姜女―巨いなる墓標)より
『ここまで来ました、ようやくここまで来ました,あなたに遭いたくて
この 北の果ての地へと
ここはなんて寒いところなのでしょう、山々は赤茶けて色もなく、
冷たい風と、冷たい砂とが、競い合うように吹きすさぶだけ
あなたは こんなところにいたのですね こんなにも冷たい暗い大地
に あのみどりなすふるさとに わたしとかえりましょう あなた
あのころは 幸せだった、あのころは 幸せしか見えなかった、
小さな家に あなたとわたしがいて それだけで 満ち足りていて
あなたは朝から晩まで 畑を耕し続けて わたくしは家で火をおこし
水を汲み 機を織り 土にまみれて帰るあなたのために たっぷりと
粥を煮て
夜が寒くても 暗くとも あなたの腕に抱かれていれば 限りなく
あたたかくて あのころは 幸せだった あのころは幸せしか
見えなかった それがいつまでも 続くと信じていた
ある日お役人がやってきて あなたを連れて行ったの 国中から
百万の人を集めて 北のはてに大きな 大きなお城を築くのだそうな
北の異邦人から この国を守るためにと、
あなたは旅立った わたくしの縫った小さな袋に わたくしの髪の毛
を一束入れて このお守りがあれば大丈夫だと 笑みさえ浮かべて
わたくしも 涙を見せないように 笑って見送ったのに
一年もすれば帰ってくるだろうと あなたは言った でも それきり
あなたは帰らなかった 三年待っても帰らなかった 寒くて暗い夜も
あなたのぬくもりは もう どこにもない
そして ここまで来ました ようやく ここまできました 長い長い
旅を続けて この 北のはての地へと
日に照らされ 雨に打たれ 獣や盗賊の影におびえながら あなたに
あうために
新しい冬着を縫ってきました もう 前のは破れはてているでしょう
から あなたの喜ぶ顔が見たかった でも こんなに寒いところ
だったなんて・・・・
あなたが撫でてくれた髪は 硬くこわばってしまった あなたが
いとおしんでくれた肌も 黒くひび割れてしまった もう あの頃
には戻れないのかも でも ひとめ逢いたくて
造りかけのお城の下には 疲れ果てた男の人たちが ものも言わずに
うずくまっていました あなたの行方を聞いても、誰も答えてくれない
光の消えかかった瞳で わたしを見上げるだけ
誰もあなたのことを知らない 誰もわたしのことを知らない・・・
もう 歩けない かじかんだ足の裏は破れ 爪は割れて 血さえも
どす黒くにじみ出すだけ こんなに訊ねても あなたの行方は
わからない もしあなたが もういないなら わたくしも
ここで旅を終えよう
枯れはてたと思っていたのに わたくしの瞳から 涙がひとしずく
ふたしずく やがてからだじゅうからあふれだして 河となって
盛り土の上に流れた
河は盛り土を崩し 盛り土は石垣を崩し 城壁が音を立てて
崩れ落ちた その中に いくつもの白い骨 骨
北のはてに 命を落とした人々の 哀しみの墓標
あそこにあるのは わたしの縫った小さな袋ではないかしら わたし
の髪の毛を一束入れて あなたが持って行った このお守りが
あれば大丈夫だと 笑って持って行った
愛する人の骨は 血汐を吸い取ってくれると わたくしのおばあさん
が言いました わたくしは腕を咬み破って 白い骨の上にひとしずく
わたくしの血汐を吸った骨が 朱に染まる
やっと逢えました あなた もうどこへも行かせない もう決して
離れない 今度は わたくしがあなたを抱いているから
北のはての この巨いなる墓標の下で わたくしと眠りましょう
あなた』

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四川地震を誘発した三峡ダム
2006年8月、香港の中国人権情報センターは三年以内に
三峡ダムが強い地震を引き起こす可能性があると発表していた。
この2年前の記事を最近目にして、いったいダムが地震との因果関係
があるのだろうかと疑問に思い少し調べてみました。
私は地震学者ではないので、理論的な文言で書くことは出来ませんが
調べるほどに恐怖で目が点になりました。
世界の地震学者は以前から三峡ダム工事に警告を発していました。
結論から先に書きます。「四川大地震は蓄積された水の重さにダム付近
の岩盤や地質が耐え切れずに地震を引き起こした。」
ここで世界一巨大な三峡ダムについて述べます。
中国揚子江流域の重慶直轄市から湖北省一帯に建設中のダムで、
1993年着工、2009年完成予定だが予定より9ヶ月早く
全工程が落成する。
ダムの全長約570Kmは東京~大阪間の距離より少し長い。
通常水位:標高175m
ダム工事に伴い強制移転を余儀なくされた住民の数は120万人とも
言われている。これら移民の多くは充分な補償も受けられずに貧困層
へと転落していった。
ドイツテレビ局の取材で中国政府が補償金を未だに支払っていないと
暴露した人が、帰宅途中に暴行を受け重態になった。
ドイツ政府は中国政府に人権保障を促すよう抗議した。
地震の専門家によると、全ての大峡谷は、地質が断裂して形成された
もので、もともとの地質は安定しておらず、ダム水位が100m以上に
なると、巨大で不均衡な圧力差が地震断裂上に加わり,地震を発生
し易いという。
現代の三峡ダムの貯水量は、390億立方メートルに達しており、
発生する地震規模も巨大であるとみられていた。
専門家は三峡ダムの水位が156mを超えてはいけないという請願書
に53人の科学者が署名し、中国政府に提出したものの、このような
懸念は却下され、工事は強行された。
三峡ダムほどの大きな貯水池が出来ると400億トン以上もの
重量物が地盤の上に置かれることだから、地盤が圧迫されて断層が
破断して地震がおきることは科学者も予測していた。
しかし中国は独裁国家であり、三峡ダムは強行された。
このダムのためにすでに120万人が移転させられたが、ダム完成に
伴い水位が上がるために移転しなければならない人口が400万人、
四国全土の人口に匹敵する。
移転させられた人たちの多くは何の補償もされず、無理やり都市部に
追いやられ、ホームレスになっていく。
水位が上がるに従って土砂崩れ、山崩れの危険が増し、それがダムに
流れ込む事でまた土地を失う農民が増える。
そのうえ胡周辺には化学工場が多い、廃液を棄てる量も尋常ではない、
結果、飲料水の悪化を招く。
しかし中国政府は三峡ダムなどの国家プロジェクトに反対する人達を
テロリストとして逮捕しています。
三峡ダム周辺からいまだ立ち退かない住民は無理やり青海省や
ウイグル自冶区に移住させられ西部大開発に動員するのではないかと
思われます。
今までの中国農民達は世の中の出来事を知らず外界を見ることも
なかったが、テレビ、インターネット 携帯が普及し、出稼ぎを
通じ大都市の生活を知り、多くの情報を吸収する。
そのためにここ数年、万余の農民暴動が後を絶たない。
地震の引き金が農民を無視した三峡ダム工事だと分かった時、農民の
怒りが沸点に達し、中国の命運を決する大暴動が起こります。
多くの地震学者が「三年以内に大地震が起きる」という懸念は
現実のものとなった。専門家の話として、「まだ水が予定の水位に
達してしていない、予定通り400億トン以上の水量になったとき
巨大地震がもっとすごい規模で起きるということを覚悟しなければ
ならない」と言っています。
ダムに水が溜まる度に破局へ一歩一歩前進しています。
もっと恐ろしい事は、三峡ダム自体が崩壊すれば上海は消えてなく
なるらしい。
中国特有の建設資金の不正使用で手抜き工事が心配される
三峡ダム工事は、まさに時限爆弾のようなものである。
恐怖が天から降りてくる。もう誰も阻止できない。

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四川大地震の支援で日本に好感を持つ人が84%に上昇した。
しかし人民解放軍などの反応は「日本隊は早く帰れ」と口走り
被災民と異なり、反応は不快感を示した。(産経新聞)
ここで人民解放軍について少しお勉強をしましょう。
日本人の最大の誤解は、人民解放軍を国軍であると思って
しまったことです。
人民解放軍は国家の軍でなく党の軍である。
もともとは政権打倒を目標とする民間の武装組織である。
ただし外国との関係においては中華人民共和国の国軍として
扱われている。
国務院(狭義の意味での中国政府)の国防部は人民解放軍に対する
指揮権を持っていない。
だから党主席の立場では軍を完全に掌握するのは難しい、
そのために、歴代の最高指導者は軍事委員会主席を兼任している。
人民解放軍は地域別の七つの軍区に分かれている。
瀋陽軍、北京軍、蘭州軍,済南軍、南京軍、広州軍,成都軍、
軍区司令官は所属の陸軍、海軍、空軍、の指揮権を有している。
厳密にはあくまで共産党の軍隊であり中国の軍隊ではない。
この簡単な説明では意味がまるで把握できないと思いますが。
何故、中国政府は軍を完全に掌握できないかといいますと、軍隊は
各軍管区ごとに独立採算制で運営されており、軍を維持するために
物資等の調達に要する費用などを独自に調達しています。
そのために軍は各種の事業を行って資金を調達しなければなりません。
だから国有企業の多くが軍と直結しています。
人民解放軍の傘下には,軍需産業にほかに情報通信、繊維、ホテル、
その他のさまざまな業種があり利益を吸い上げています。
まさに経済力を持った大商社のような軍隊なのです。
このような商社軍隊が七地域に分かれて実質的に中国を支配して
います。
だから経済的に自立している軍隊だから中国政府は軍を100%
コントロールできないのです。
日本の政治家はここをしっかり理解しておかないと中国は見えません。
ここで私の経験を述べてみます。
1993年山東省の威海に地元の中国国営企業と組んで
契約式合弁企業を立ち上げました。以前ブログにも書いたように、
いつでも逃げ出せることが出来るように、あえて法人格を持たない
合弁工場を作りました。
威海は中国山東半島の東北部にあり、海を目の前にした風光明媚な
ところです。青島空港から車で5時間,煙台空港へは2時間あまりの
ところにあります。
半年ほど経ち工場も順調よく軌道に乗った頃、威海工場に出張。
煙台空港に工場長が迎えに来てくれました、工場長の隣に40歳前後の
大柄な目つきの鋭い人が立っています。いきなりその人が工場長を
差し置いて私に握手を求めました。
隣の工場長の卑屈な笑みが気になりましたが、そのまま迎えの車に
乗りました。乗った車がピカピカのベンツです。
私が後ろの席に座り、工場長が助手席、その男がハンドルを握り
ました、なんだ、運転手か、と思った。
なぜかといえば中国では車の運転は必ずそれ専門の運転手が
おります。当時は一般的には誰でも運転はしません、運転手という職業が
確立されています。
ところが夜の宴会でその運転手が私の隣の席に座ったのです。
丸テーブルでも必ず日本と同じで上席があります、いつものパターン
では私の左右には国営企業のトップである総経理と工場長が座ります。
今回は私の左右に運転手と総経理が座り、その他見知らぬ人たちが
テーブルを囲んで座っています。工場長以外顔見知りがまったく
おりません。通訳もいつもの人ではありません。
直感的に全てを理解しました、今日はうかつなことは喋っては
いけない、末席にいる工場長が不安げな顔で私を見ながら目で
合図を送っています。
翌日、工場長の説明で全て分かりました、その運転手は山東省の
人民武装警察のNO2の人だったのです。人民武装警察とは解放軍
部隊を国内治安維持に転用したもので、戦時には人民解放軍の
指揮下に入る。早く言えば彼は人民解放軍の軍人なのです。
それでは彼が何故高価なベンツを持てるか、彼は韓国との密貿易専門
のボスだったのです。
中国地図を広げてください、山東省の威海と韓国は湾を挟んでごく近く
に位置しています。
人民解放軍の美味しいビジネスです。彼は公安警察の上の地位の人です
彼を咎める人など中国には誰もおりません。
その後の出張では必ず日本の高価なお土産を持って行ったのは
当然の成り行きです。
人民解放軍には他国の軍隊には見られない「国家などの公的予算に
頼らず軍が自分で自分の食料や装備を調達する」という独特のシステム
が機能しています。
中央政府はこのままの状態ではいつ銃口が自分達に向けられるか
分からないという不安から、1998年に人民解放軍の商業活動を
禁止した。
しかしいったん経済的うまみを知ってしまった軍は簡単に止めるはずが
ない、今でもしっかり各企業と人民解放軍はつながっています。

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四川大地震からちょうど1週間経ちました。
最終的な死者は7万人弱に膨らむ可能性が出てきた。
また被災地では、決壊の恐れが出ているダムや土石流で川が
せき止められて出来た「せき止め湖」が20箇所近く出現。
省内全体では約1500カ所のダムに決壊などの危険な兆候が
あらわれている。(産経新聞)
この新聞記事を読んだ私の妻は「中国の一地域に1500以上もの
ダムがあるなんて、ゼロを一つ間違えたのではありませんか」と
私に質問した。
私の妻を含め多くの日本人は中国の広大さをあまり理解していない。
四川省の面積は日本全土の約1.3倍もあります。
四川省の人口は公称約8千7百万人ですが、戸籍が日本のように
完備されていません、国が一人っ子政策を取っているため2番目
以上の子供は登録をしません。おそらく一億は遥かに超えている
と思われます。
だから四川省全体で1500以上のダムがあってもなんの不思議も
ありません。
ちなみに日本のダムの総数はダム便覧によると2518あるらしい。
今日は四川大地震が中国経済にどのような影響を与えていくかを検証
してみます。
まず先に地震が起こる前の中国経済について見てみます。
「世界の下請け工場」中国の産業競争力が怪しくなってきた。
最大の原因は、人民元の対ドルレートがこの2年あまりで15%
切り上がり、さらに上昇傾向にあります。
そのうえ急激な労賃高騰、(最低賃金法の実施)さらに昨年まで
15%だった企業所得税を今年から25%に引きあがる。
ここにきてついにインドやベトナムなどに比べ製造業の競争力を
失いつつあります。
その証拠に昨年の対中投資は日本25%、米13%、欧州29%も
減ってしまった。
中国の成長の牽引役は投資と輸出です、その輸出も6割強は外資系
企業が担ってきた。しかしその外資系企業が逃げ始めた。
台湾企業が集中している広東省では1000以上の工場が昨年中に
閉鎖した、韓国企業の夜逃げも頻発しています。
ここにきて中国での製造コストが急上昇、採算が取れなくなってきた
外資系の企業の撤退が相次いでいます。
そのうえ中国製品の排斥運動がアメリカを中心に起こっています。
去年アメリカのニュースキャスターが「中国商品は全部くずだ」と
言って問題になりました。
「世界最強のならず者国家」ともいっています。
国際社会ではおよそ許容できない開き直りの言い訳、二枚舌は
国際社会での中国自身の信用を失墜させてきました
そして世界中がメイドインチャイナに不信感を持ち始めました。
国内的には1月中旬から降り続いた中国東・南部の半世紀ぶりの大雪で
各地が大混乱、その後に四川大地震が起こった。
負傷した人、家を失った人、仕事を失くした人が、さて何人いるか、
いずれにしても中央政府は面倒を見ていかなければ暴動が起こって
しまいます。
そのような不幸な人が20%としても、2000万人の人の
面倒を政府は見ていかなければいけません。大変な負担です。
水不足、電力不足、資源不足、食料不足、庶民を苦しめる食品価格
の急騰、高まるインフレ圧力。
そのうえ中央政府から地方末端に至るまでの役人のとめどない腐敗、
汚職、あるいは政府高官の非合法蓄財。
これらの役人の悪事がネット情報によって国民の知るところと
なってきた。
今回の地震で各地の学校が相次いで倒壊したことについて、
インターネットを中心に「手抜き工事が原因だ」との声が上がってきた。
中国で横行する公共施設の手抜き工事は汚職の温床となっている。
子供を失った親たちの怒りが高まってきた。
中国経済の先行きに赤信号が灯った。そして大衆の蜂起に青信号が
灯る状況になってきた。
中国歴史書によれば中国歴代王朝は天変地異をきっかけに滅ぶ。
飢えに苦しむ民衆は、「天が王朝を見放した」とみなして反乱の狼煙を
あげる。
すなわち四川の地震をきっかけに本格的な「不況」が中国経済に襲い
かかることになれば、おそらく短期間に大規模な「暴動」が
全国的な規模で頻発することは避けがたいと思っています。
ついに一党独裁体制の最終局面の煙が立ち始めました。
さあ!どうする胡錦濤国家主席殿。

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中国の末路
四川大地震の被害は中国経済へのダメージは予想外に小さいと
いう見方が多い。被災地がこれといった産業のない貧困地域の
ためである。
たしかに国内総生産(GDP)を基にすれば影響はごくわずか
であるが、しかしおそらくこの大地震は中国共産党の一党独裁体制の
崩壊の引き金になるような気がします。
このような未曾有の被害に対して中国官製メディアは従来通りの
党と軍を宣伝する報道に切り替えてきた。
中国共産党にとって最も大切なことは,自らの支配体制にとって
役に立たない、あるいはまた不利な情報は絶対に国民に知らせ
ないことです。
しかし今回は被災状況や救援活動などの情報を内外に公開したと
いうより公開をせざるをえなかった。
当初、地震発生直後、四川省幹部たちの報告は非常に楽観的で、
倒壊した建物からの救出も迅速に行われていると報告、そこで
温家宝首相は国民にアピールするために即、現地入りをした。
過去、地方の幹部達の報告は常に悪いことは小さく、良い事は過大に
報告する癖がついている。中央政府に正しい情報が伝わった
ためしがない。
当初、中央政府はまさかここまで被害が大きいとは考えもしなかった。
四川省幹部の楽観的な報告で人民解放軍の救援活動や中央政府が
いかに国民のことを考えているかを宣伝するために情報公開を内外に
公開してしまった。
しかしその後被害が拡大するにつけ党中央政府は慌てた。そして
16日胡錦濤が四川省に入った、胡錦濤の視察で救援活動が2時間
中断、逆に被害者を怒らせてしまった。
日本救援隊も16日に四川省青川県に入った。中国側が指定した
被災現場は、すでに捜査を終えたかあるいは巨大な土砂崩れで埋まり、
人民解放軍もお手上げだと判断した場所に日本救援隊を行かした。
軍は日本救援隊の持ってきた、生き埋めの人たちが生きているか
どうか判断できる器具や厚みのあるセメントをカットできる機械や
その他を見て、もし軍などがいったん捜索し終えた現場で生存者を
発見したらメンツが立たない。
人命尊重より人民解放軍の立場を尊重した。
中国共産党にとって何より恐ろしい事は、真実を伝える情報の
流出である。今回の大地震情報公開をきっかけに中国国民に中国の
実態を認識させる機会をつくってしまった。
今後、中国共産党がいくらインターネットの監視、検閲を繰り返しても
「情報統制」の崩壊を避けることは出来ない。特に携帯電話の普及は
中国人自身、情報入手の自由の貴重さと重要さを実感してしまった。
インターネットと携帯電話の普及は『情報統制』を命としている中国に
とって最大の敵である。
真実を知った国民は今後暴動を爆発させる、そのきっかけを今回の
大地震がつくった。
四川省で被災民が不満を訴えるために、あるいは食う為に小規模な
暴動が起こったら、ネットや携帯電話のネットワークによって一斉に
大量に、同時にまた広範囲な地域で暴動が発生する。
情報ネットワークが『暴動』を誘発させる構図ができてしまった。
共産党独裁体制の崩壊の足音が迫ってきています。
中国に進出した日本企業や日本政府はその覚悟が出来ていますか?

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四川大地震,中国死者 推計5万人超
深刻な被災状況が連日伝わってきます。中国共産党幹部達は
このような悲惨な状況を一体どの様に考えているのか?
震災から3日以上もたってから、やっと日本の救助隊を受け入れた。
しかし欧米からの救助隊派遣は断っている。
新聞報道によれば「胡主席の訪日で対日関係に改善の兆しが
出ているときに、日本の積極的な支援を断るのは得策でないと
判断したようだ」(産経新聞)
中国人の心理を日本の常識で推測するのは非常に難しい。
欧米の救助隊派遣を断り日本の申し出だけに応じるとは、
不可解である。いずれ欧米の申し出を受けると思うが、日本の
申し出を先に受け入れたのは新聞報道にあるような『対日関係重視が、
得策」という考えは甘すぎる様な気がします。
ビジネスマンの感覚で中国人の裏を読んでみたいとおもいます。
結論から先に述べます。日本に恩を売ったのです、そんな馬鹿な
助けに行くのは日本、恩を感じるのは中国人でしょう。
日本の常識ならばそうですが、中国人からすればどこの国よりも先に
救助隊を受け入れてやった、日本の面子を立ててやった 恩をきるのは
日本である。
中国人のこのような信じられない精神構造を私のブログで中国歴史を
紐解きながらいままで解き明かしてきました。
中国人から日本を眺めたとき彼らの心はいつも複雑にゆれます。
古来から日本人に対しては、強烈な中華思想の優越意識で日本を
文化の遅れた蛮族と見ていましたが、いち早く近代国家になった
日本に現在では逆に劣等感を強くいだくようになってしまった。
戦後日本は中国がよくなるように巨額の援助(ODA)をしてきました。
日本の雑誌などでよく知識人たちは「中国は日本の援助を国民に一切
知らせず、感謝もせずに、逆に南京大虐殺記念館を各地に造り、日本の
近代史はアジアへの侵略・虐殺史であると徹底した反日プロパガンダを
やっている、中国人は許せない」と書いています。
中国人の心情からすれば自分達より下位の国から援助してもらうなど
片腹痛い、援助ではない朝貢である、だから当然である。
そのうえ『教科書問題』『靖国参拝』などで注文をつけると、日本政府
は必ずといってもよいほど謝罪する。
日本が謝罪すればするほど癇に障る。
どうすれば日本と中国の関係を2000年前の形に戻せるのか、
どうすれば自分達が上位に立てるのか、日本国を壊滅させたい、
それでなければ中華思想の自分達の精神が保てない。
おそらく中国人の心情はこのような気持ちではないかとおもわれます。
ここで中国政府の精神構造がよく分かる歴史の出来事を紐解いてみます。
明王朝の初期、首都南京の豪商,沈万三は金銀財宝を軍資金として
政府に献上した.明の太祖,朱元璋は、彼の巨大な財宝に驚き「商人の
分際で、天子の軍隊にご褒美を贈るとは言語道断、まさしく身のほど
知らぬやつだ」と大いに怒って、沈家一族をことごとく殺した。
沈家一族を日本、明の太祖、朱元璋を中国に置き換えれば
よく分かるでしょう。
だから日本は中国に援助をし、優しくすればするほど危険なのです。
日本人が、何か言われると直ぐ「反省」や『謝罪』することは、
事態収拾どころか、逆に悪化拡大していくのは、至極当然の結果
なのです。
中国は2000年前の漢の武帝の時代がピークでそれ以降は相次ぐ
他民族の侵略で中華文明は没落し衰亡していった。
逆に日本は2000年の熟成を経て、その間日本独自の文化を
花開かしたのです。
明治維新によっていち早く近代化の道を進めたのは、偶然でもなく
単に幸運だけでもない。
飛鳥、奈良、平安、鎌倉時代をへて長い安泰の統一国家を築き上げた
江戸時代の封建体制があったればこそ明治維新で素早く近代国家の
仲間入りが出来たのです。
技術大国日本、経済大国日本も2000年の歴史のなせる技です。
中国がいくら大国に成ったと威張ってもビジネスマンの目から見れば
金融システムもなければ、契約違反や詐欺にたいする法的ペナルティー
も存在しない、現金決済が当たり前で、そのうえ借りたものを返す
という習慣もない,まっとうな市場経済ではない。
経済が膨れたのは安い工賃を提供して世界の下請け工場になったに
過ぎません、イミテーションは造れてもオリジナルな商品開発や
独自の技術革新はなにも出来ません。
近代強国の仲間入りをすべく、軽工業から製鉄や化学工業へとシフト
してきましたが、結果、とんでもない公害と資源不足で自らの首を
絞め始めました。
中国が本当に国民を幸せに出来る近代民主国家になるには後2000の
時が必要です。

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「三国志演義」
今日はまったく別の観点から中国を考察したいと思います。
歴史書としての「三国志」と三国時代の三国の戦いを基にした説話を
明の初期に羅貫中らの手によって創作された「三国志演義」を
我々は史実であると勘違いしてしまった。
「三国志演義」は三国時代の治乱興亡を劇的に波乱万丈に書き上げ
て、優れた歴史小説としてはまさに一級品である。
私も長い間、高い写実性を持って描かれている「三国志演義」が
史実であると思い込んでいました。
三国志は日本人に多大の影響を与えましたが、中国人にとっては
明・清時代には兵法書として読まれていた。
毛沢東も子供の頃からの愛読書であった。彼の奸智に長けた
権謀術策はまさに三国志から得た知恵である。
毛沢東は人を評価する時「楊尚昆は魏延だ」と評したり「人民は阿斗に
なってはいけない」など三国志の登場人物を引き合いに
出していたらしい。
三国志の「魏延」は謀反人として生涯を終えた。
「阿斗」とは劉備玄徳の跡取り息子17歳で帝位を継いだ,継いだ時は
聡明な人物だったが、次第に酒色にふけり国を滅ぼしてしまった。
中国では小さい頃は優秀だが、成長すると凡人になってしまった人を
「阿斗」と呼ぶらしい。
三国志で劉備,関羽、張飛の間に結ばれた義兄弟の契りである桃園の
誓いが日本人は大好きである。
三人が「死ぬ時は同年同月同日に一緒に死のう」と誓い合い、乱世を
助け合って生き抜いていく三人の固い友情に日本人は誰も感動した。
しかし三国志はよく読めば誰も信用できない裏切りの世界である。
悪徳非道な行為は生き残っていくためには当たり前の行為なのです。
日本で描かれる三国志は劉備、関羽、張飛の信頼と友情の物語であり
天才的な軍師諸葛孔明の軍略に心躍らされたものです。
日本人は三国志から「仁義道徳」「友愛と連帯の理念」を学んだ。
毛沢東は野望のためには手段をえらばない、残虐な行為を学んだ。
毛沢東の企てた文化大革命、建前的には社会主義国家建設を目指した
ものであるが、実際は指導部における大規模な権力闘争である。
毛沢東は民衆を扇動して政権内の政敵を打倒し、暴力的な大衆運動
によって反乱の芽を摘み、自分に忠実な部下を作り上げることに
よって、軍を掌握していった。
結果多くの人材や文化財など甚大な被害を受け、虐殺数は3000万人
といわれている。
毛沢東の思考の中に明らかに三国志の権謀術策の知恵が息ついている。
中国人と日本人は同じ本を読んでも学ぶ場所はまったく違うようです。
このことでも中国人の「他人はすべて敵」と考える行動原理の一端を
読みとることができます。

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以前のブログで何回も中国幻想から少しでも覚醒するために拙い知識
を一生懸命書いてきました。
中国とかかわりを持たない多くの人たちは中国ロマンにあこがれても
なんの問題もありませんが、直接かかわるビジネスマンや国の命運を
預かる政治家達がこの異質な国民の実態を知らないまま、いつも
痛い目に遭わされてきました。
われわれ日本人は古くから論語や漢詩、漢文を通じて中国に漠然たる
親近感を抱いてきましたが、実際には19世紀まで現実の中国人と
接する機会は皆無だった。
そのために中国と中国人について全くしらないまま中国の宣伝の
呪縛に幻惑されたまま今日まできてしまいました。
中国が歴史を捏造して主張する「永久不変の中国」「変わることのない
漢民族」などまったく存在しないことを知るべきです。
中国は常に支配者が代わるたびに民族はごっそり入れ代り、
漢民族なるものは厳密には存在していなかった。
日本人の勘違いは中国大陸に住んでいる全ての住民を中国人だと
思ってしまった。しかし実際には多種多様の異民族が暮らして
いる上にその民族がさらに小さな集団を作って暮らしている。
言語も北京語、上海語、広東語,福建語、といろいろ分類されるが
実際にはもっと言語は細分化されている。
信じられないことに隣村同士でもまったく言語が違うことも
珍しくない。
このような多種多様の異民族に中国人としての自覚と中国としての国を
意識さすために中国共産党政権は七転八倒してきた。
そのために言語を北京語に無理やり統一して、無害で腰抜けの日本を
敵国に想定して、そして世界に対して自分勝手に振舞った。
おかげで大多数の国民は自分が中国人であるとの自覚が出来てきた。
しかし中国共産党政権はより以上の世界の強国となるべく、
周辺国の少数民族を侵略して、中国人に同化させる政策をとった。
結果、広大な土地と膨大な人口を抱え、世界の強国になった。
最近の日本人の中国嫌いは中国人を自分と同じ人間だと無邪気に
決めてかかったところにある。
だから嘘とわかる言動や、想像も出来ない無礼な行動に、嫌悪感が
増殖してしまった。
日本人のように集団というものの永続を大切に考え、そのために個人の
欲望を抑え込むべきだと考えてきた民族にとって中国人の他人を
考慮しない徹底した個人主義の考え方に度肝を抜かれてしまった。
ここでアフリカに生息している野生動物のことを考えてみてください。
例えばライオンなど自分の縄張りに間違って入ってきた同じライオン
でも一族と違うと死に物狂いで追っ払う。
中国人も同じコミュニティーに属さない人間は全て敵であり、まったく
信用しない、下手するといつ殺されるかも分からない。
数千年もの間、中国大陸に存在していたのは小さな集団の多数の塊で
あって、その集団を一歩出ればそこは異民族が住む別世界である。
彼らの心の中には国家や民族など夢にも存在していなかった。
そのような状況の中で、当然のことながら自分を守るために徹底した
個人主義にならざるをえなかった。
中国歴代王朝は日本人が考えるような民族の集団ではない、
中国大陸の所有者でもない、人民の支配者でもない、単に凶暴な
権力者にすぎない。
ところが毛沢東はこの多種多様な民族を統一できるシステムを
手に入れた。それが共産主義のシステムである。
ある意味、毛沢東は中国歴代王朝がなしえなかった中国全土の統一を
成し遂げた。
しかし毛沢東はなにも中国人のために中国を統一したのではなく
毛沢東皇帝の地位を守るために全土を統一した。
そうしなければいつ寝首を掻かれるか分からない。
そして人民を組織的に恐怖で弾圧し,将来にわたって服従を叩き込む
政策をとった。仲間といえども皇帝の地位を脅かすものは情け容赦なく
排除した。
毛沢東の恐怖政治で殺された人々の数は2700万人、餓死した人は
3000万に達するといわれている。毛沢東にとって外交も戦争も全て
個人の欲望達成のためにすぎない。
中国の一連の歴史を眺めたとき日本人の想像を超えた中国人の
行動原理が見えてきます。
江沢民や胡錦濤が日本に来て何を言ってもそれは自国民に対しての
メッセージであって、日本人がどのように思おうとまるで関係ない。
彼らにとって全ての国際問題は、本当の意味での内政問題なのです。
そのことをしっかり押さえておかないと、日本の政治家はいつも
振り回されて間違った判断をしてしまいます。

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四川省成都で大地震
私も阪神淡路大震災の経験者です、決して他人事ではありません。
多くのお亡くなりになった方々のご冥福を心よりお祈り
申しあげます。
15~6年前に四川省成都で軽衣料を作っていました。
こちらの指示書通りの製品がなかなか出来なくて大変苦労した
ことも遠い昔になってしまいました。
当時、一緒に喧嘩しながら仕事をした人たちは今回無事だった
でしょうか、心配です。
ポケットの位置が1センチずれ少し斜めについてしまった商品。
私「このような商品、日本では誰も買わない、」
総経理の張考本さん「使うときにまったく支障がない、どうして
この商品がダメなんだ、これくらいのことで欧米人は誰も文句
など言わない、日本人はおかしい」
中国人と日本人の感覚のズレは埋めようがありませんでした。
中国人はめったに笑顔を見せませんが経済師の黄紅西さんは時折
笑みを見せてくれました。
董事長の尤建廷さんは鋭い目つきで、日本人は大嫌いだという表情で
いつも私を威圧しておりました。
皆さんは今回の大地震で無事だったでしょうか、連絡も不通になり
心配です。名前も忘れてしまった工場の人たちの顔が次から次へ
思い浮かびます。
四川省成都市には三国志で有名な劉備玄徳,諸葛孔明、などが祀られて
いる武侯祠があります。
霊廟内には劉備や孔明,関羽,張飛などの像がおかれています。
当時は三国志の物語が史実だと思って感動して眺めた事を覚えています。
これだけの大地震、武侯祠の建物が無事だとはとても思えません。
中国側からの要請はまだありませんが日本政府の発表では援助の
用意はすでに整ったようです。
日本人の多くは心優しい人たちです、批判すべきは批判し、手を
差し伸べるときは差し伸べます。
阪神大震災のとき日本の大災害に手を叩いて喜び、ネットでは天罰
と言って喜びの書き込みがあふれかえった事を記憶しています。
しかし日本人は過去にこだわりません。
被災地の方々の一刻も早い復興をお祈りしております。

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日本のメディアや政治家の中に中国はこのまま発展続けて
すんなりと経済的に豊かな成熟国家になると思っていますが
ビジネスマンの目から見ればまさに張子の虎そのものです。
21世紀、中国は問題国家として世界中に災厄を撒き散らします。
欧米のメディアはかなり冷めた目で21世紀の中国をとらえ
ています。
ウオールストリート・ジャーナル紙は「経済規模の拡大政策を
早急に捨てなければ、資源の無駄使いによる環境破壊はさらに
深刻さを増すだろう」と言っています。
しかし中国は20年までにGDPをいまの4倍に引き揚げる目標
で全てを犠牲にしてまで盲進しています。
何故に環境を破壊し国民を犠牲にしてまで国家の威信を高めようと
するのか、中国人は自分の首を自分で絞めていることに
まったく気がついていない。
我々日本人は物知り顔で直ぐに中華思想を持っている中国人にとって
当然の行為だと納得してしまいますが、それでは一体、中華思想
とはいったいどのような思想なのか?
黄文雄氏によれば中華思想とは、中国が世界の中心であり、その文化、
思想が最も価値あるものとし、漢民族以外の異民族の独自文化を
認めず、「化外の民」として教化の対象とみなす思想。
つまり我々日本人は中華思想から見れば「東夷」すなわち東に住む
野蛮人というわけです。まさに「井の中の蛙大海を知らず」です。
しかし逆に世界の人たちは中国がいかに野蛮で文化の遅れた
後進国であるかということを知っています。
このギャップが中国人を焦らした原因ではないかとおもわれます。
毛沢東の時代「15年以内にイギリスを追い越す」「半世紀以内に
アメリカを追い越す」と世界に向かって宣言していました。
中国国民も信じて疑わなかった。
この当時不思議なことに「日本を追い越す」とは決して言わなかった。
中華思想からすれば東夷の国日本を目標にするなどプライドが
許さなかった。
大昔から日本を文化程度の低い辺境民族とさげすんできた彼らから
すれば日本が発展し近代化されることが耐えられなかった。
その蛮族である日本が自分達を見下し侵略し、そして世界を相手にして
戦い完膚なきまでに敗れた、これで日本は二度と立ち上がれない、
やっぱり「東夷の国である」中国人は心から安心した。
ところが日本は戦後瞬く間に繁栄して、わずか20年でオリンピックを
開催して世界有数の経済大国になってしまった。
中国人は、なすすべもなく茫然自失、中華思想の優越意識が
崩れ始めた、しかし小平が出てきて市場経済を導入、
30分の一の安い労働力につられて世界の企業が中国に殺到した。
おかげで毎年10%の経済成長を達成し経済大国になってしまった。
いまや自信は天をつく勢いです。
今回の胡錦濤主席と10年前の江沢民訪日を比べればよく分かります。
江沢民は過去の歴史で執拗に日本に謝罪を求め、共同宣言の署名を
拒み、傲慢無礼に振る舞った。まさに劣等感の裏返しである。
ところが胡主席は反対にODAの援助にお礼を述べ、微笑と友好で
ソフトに振舞った。世界の大国になった余裕の証です。
胡主席から見れば日本は首相になると直ぐに北京に挨拶に来たり
与野党幹事長が北京詣でをしたりする。
中国に訪問する日本の有力政治家達は誰も卑屈な笑みで
尊敬する対話をした人はいない,日本の政治家は
主義主張すら持っていない、レベルの低い人たちである。
そしてたいてい言いなりになる。
世界が中国を批判しているさなか日本だけは安心して訪問できる。
江沢民のように日本人を怒らしても一文の得にもならない、自分達の
国つくりに利用できるなら、これからも徹底的に利用してしまえ。
胡錦濤はこのような邪悪な心を隠して訪日、日本人に笑顔を向けた。
日本は今まで一生懸命投資をして、多くの会社が移転し、最先端技術も
持ちこみ、最先端の機械も投入したが彼らには感謝の気持ちは一切ない。
彼らの日本観にはプラスのイメージがほとんどない。要するに
「大国としての日本」「先進国としての日本」「誠実な日本」という
認識がどこにもない。
相変わらず「日本と日本人を見下す反日教育」を徹底して国民に
植えつけている。まさに自己本位と優越意識の中華思想である。
中華思想を学問的に徹底究明するほどのものではない。
単にうぬぼれの自己陶酔思想である。
この中華思想が中国人の思考を停止させ、世界を見えにくくした
要因ではないかと思っています。
そして最後に中華思想の毒で中国共産党は死に絶え、結果、
中国国民はやっとまともな普通の幸せな国民になれるのでは
ないかと思っています。

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「よく言ってくれました安倍前首相様」
胡主席と中曽根康弘、海部俊樹、森喜朗、安倍晋三の歴代首相4人
が都内のホテルで開かれた朝食会において安倍氏がついに言って
くれました。
「お互い国が違うので、利益がぶつかることもあるが、戦略的互恵
関係の構築に向け、相互訪問を途絶えさせない関係をつくっていく
ことが重要だ」これは小泉氏の靖国参拝をめぐり中国側が首脳交流
を途絶えさせたことを暗に批判したものだった。
安倍氏はその上で、「チベットの人権状況を憂慮している。五輪開催
によって、チベットの人権状況がよくなるのだという結果を生みださ
なければならない」と指摘した。
会場は緊張感が走り、出席者みな一様に黙り込んだが、安倍氏は
さらにウイグル問題にも言及した(5月9日産経新聞)
本当によく言ってくれました,胸のつかえが少し楽になりました。
今回の胡主席の来日は中国の宣伝外交に利用されただけで、日本に
とって収穫はゼロだった。
その中で安倍前首相の発言はたとえ針の一刺しであろうとかろうじて
日本のプライドを保ち国民の溜飲を下げることが出来ました。
天皇、皇后両陛下をホテルに呼びつける胡錦濤の無礼を容認した
福田馬鹿首相に比べれば安倍氏の発言は涙が出るほど嬉しいことです。
胡主席の早大での講演内容が今日の新聞に乗っていますが、中国人が
いかに真実の歴史を勉強していないかよく分かりました。
「中日両国人民の友好的往来は2000年以上継続しており、
世界史的に見ても奇跡といえる。相互学習や吸収によりそれぞれの
国家を進歩、発展させてきた。」
この胡主席の言葉の裏に日本は2000年間以上継続して中国文化を
受け入れてきたおかげで日本は発展したと受け取れますが、
日本は平安時代以降、中国に対して鎖国をして中国とは縁を切った。
それ以降正式の外交関係を持ったのは1871年の日清修好条規からで
ある。その間長い期間中国とは絶縁してきた。
日本はご存知のように、遣隋使・遣唐使を通じて中国文明を取り入れた
遣隋使は608年から始まった。そして菅原道真の建言により894年
に遣唐使が廃止されるまで、数十回の使節が派遣された。
その間に日本列島において重大な変化が起こった。それは「倭国」から
『日本』への変化であった。
中国では唐は隋を滅ぼし、そして朝鮮半島の新羅を属国にして百済、
高句麗を滅ぼして朝鮮半島を支配下に置いた。
日本は唐の侵略を防ぐために団結をせざるをえなかった、結果、
国号制定を倭国から日本にした。
すなわち日本は「中国の支配下に入らない」という事を国是にして
誕生した国家であるということをしっかり覚えておいてください。
唐の末期、仏教が弾圧、排除された、そのために仏教国家であった
日本にとって、学ぶことはほとんどなかったために、中国との
決別を決意した。
唐滅亡以後、中国では宋や元、日本では平安後期から鎌倉時代かけて
です。そのころの日中関係も直接的な交渉はほとんどなかった。
日本が宋の文化を受け入れたのは、禅宗くらいなもので、このときの
日本はすでに中華文明とは一線を画しておりました。
その証拠に平安時代、女性専用のかな文字が誕生して「源氏物語」の
ような恋愛小説の傑作が誕生していました。
中国の恋愛小説の傑作「紅楼夢」が生まれたのはその800年後です。
このように唐以後、日本と大陸の政府間の往来は、室町時代の
足利義満の一時期以外ほとんどなかった。
胡主席が言った「中日両国人民の友好的往来は2000年以上継続
しており・・・」などというものは存在しなかったということが
分かるとおもいます。
中国の文化が花開いたのは春秋戦国時代であり、やがて秦帝国の
統一によって没落していった。
もちろん漢字のように、日中には共通する文化要素があっても、
その文明の仕組みはまったく別のものです。しかし日本文化が
こうした中国文化の刺激を受け続けてきたことは事実です。
飛鳥・奈良時代いらい唐の文化と制度は、確かに日本に大きな影響
を与えた、しかし江戸時代になると、唐文化の影響もほとんど
なくなり、日本社会から消えていった。
そして鎖国によって熟成された日本独自の文化が花開いた。
中国人が日本人をたぶらかすために「一衣帯水」「日中友好二千年」
などの言葉をよく使うが、日中二千年の歴史を見ると友好関係などは
まったく存在しなかった。
今日は「日本という国はもともと中国と絶縁することを目的として
建国された国である」という事実を若い人はしっかりと覚えて
いてください。

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今回の胡錦濤主席の真の目的は天皇陛下を利用することです。
こんな事は日本国民では誰でも分かっていることなのに、福田首相
だけは全く分かっていません。
天皇陛下を北京五輪の開会式に来ていただくことが、中国の最大の
目的なのです。
天安門事件の時も天皇陛下に来ていただいたことによって各国の
経済封鎖が解除された。今回も天皇陛下を利用することによって
国際社会に北京五輪の成功をアピールするつもりです。
天皇陛下には自分で自分の行動を決めることが出来ません、
決めるのは日本政府です。その政府のトップが知の欠落した
福田首相なのです。
両国間に横たわる諸懸案をうやむやにして、いかにも進展
したかのようなイメージを作り,ひたすら友好を演出して、天皇陛下
を北京五輪開会式に誘導、そのために福田首相を懐柔、日本世論の
抵抗感を除去しようとしています。
福田首相も世論の動向を窺がいながら胡錦濤の意向に従うつもりで
います。
日本の天皇制度を中国人は皇帝制度と勘違いしている。皇帝制度と
天皇制度との最大の違いは権力と権威の所在です。
秦の始皇帝がつくった皇帝制度は、絶対的権威と権力を独占しています。
一方、日本の天皇制度は、天皇が権威を臣下は権力をもつという
分担制が成り立っています。
中国は血で血を洗う権力闘争で皇帝が代わってきました。
しかし日本の天皇制はいかなる政体の変更があっても、天皇制は
揺らぐことはなかった。
大化の改新や徳川が天下を取ろうと天皇の聖域が侵されることは
なかった。
日本の歴史の中で多くの権力者が出てきたが誰も決して天皇に
なろうとはしなかった。天皇になろうと思えばなれたのにその誰もが
なろうとはしなかった。
それくらい超越的な権威なのです。神話の時代から現代まで、脈々と
続いてきた天皇制は、どの時代も揺るがなかった。
日本の歴史を知らない胡錦濤にすれば、現天皇陛下は武力で勝ち取った
王の子孫ぐらいしか思っていないが、とんでもない。
その高潔な高貴な天皇陛下を胡錦濤の宿泊ホテルに「御見送り」に
行っていただくとは、なんたる暴挙。
このような決定を下した福田政権はとても許されるものではありません。
いったいいつまで日本の品位をおとしプライドを傷つけたら気が
済むのですか。
日本政府は中国の「友好」戦略に幻惑され、長年援助を続けてきたが、
感謝されるどころか、反日教育と愛国無罪攻撃、大量の犯罪者入国と
毒入り食物の氾濫、利用するだけ利用しても攻撃の手を緩めません。
福田政権を見ていると完全に中国管理下にあり、日本の外務省は
中国政府の監督指導下におかれてしまいました。
恐ろしい事に中国は日本の左翼と組んで、日米安保を反故にする
戦略を着々と押し進めています。
もうこのへんで日本国民は立ち上がらないと、中国の自冶区に
なってしまいます。

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「中国幻想がもたらす害」
5月1日のブログで「日本にとって今も昔も中国は最大のテーマ」と
書きました。しかし21世紀になってから中国問題は世界のテーマに
なりました。
北京五輪の聖火リレーによって中国国内だけではなしに世界中に
存在している中国人にナショナリズムの火をつけた。
中国共産党にとって同じ言語も同じ歴史も共有しない、ばらばらな
国民を統一するためには外部に敵を作り一挙に中国という国民国家に
しなければ生きる道はなかった。
いままではその敵を日本に設定して近代以降の被害体験を強調する
教育によって中華民族の統一を図ってきた。そのために
歴史を捏造して「永久不変の中国」を教え、愛国教育で国民を
洗脳して国家に対して忠誠心を持たそうとした。
その「愚民化政策」はある程度は成功を収めたが国民が政府を
100%信用することはなかった。
しかしチベットに対する虐待、虐殺によって世界中が中国を批判し
世界各地を回る聖火リレーが各地で妨害にあった。おかげで世界中が
中国の敵になってくれた。
中国政府にとってこんなありがたいことはない、そのために海外の中国人
も国家国民を意識し始め中国共産党政府と一体になった。
もともと中国人の精神の中には国家とか民族というものは存在しない。
彼らにとっての世界は城壁に囲まれた狭い閉鎖空間である。
そして、その城壁を一歩出れば危険が襲い掛かる異なった世界であった。
彼らはそうやって2000年近くも生きてきた。
近代に入り欧米諸国に中国が蹂躙され、小国日本との戦いにも簡単に
敗れた。そこで彼らは学んだ、皇帝の私有物である帝國を一挙に
中国という国民国家というシステムにしなければ、中国の命運は
尽きてしまう。
そのために戦後毛沢東は無理やり国民国家を実現させるために
少数民族をすべて漢族にしてしまう政策をとった。
結果、少数民族の文化を奪い、反抗する人たちを抹殺した。
もともと満州、モンゴル、チベットなどを領有する権利など一切無いが
軍隊を送り、無理やり領有して、歴史を改ざんして、永久不変の
中国領土にしてしまった。
そして支配の正統性を国内および世界に向かって宣伝した。
真実や歴史を知らされていない中国国民はチベットに
対して何故外国は内政干渉をするのか、「内政問題を批判する外国は
許せない、」とナショナリズムを高揚させた。
中国人は海外が中国を批判するのは、「急激に発展した中国に対する
嫉妬である」と、とんでもない愚かな誤解をしてしまった。
学校教育で思考を停止さす愚民化政策が効力を発揮した。
そのうえ中国を追われ、また逃げ出した中国人までも中国共産党政府と
一体化した。中国政府にとって思わぬ余禄である。
ここに至ってついに1912年の中華民国建国以来、やっと国民国家化
に成功したと中国首脳陣たちはおもっている。
中国の統冶者からすれば、理想的な中国人は「愚民」が望ましい。
政府のプロパガンダによって思考を硬直化させた国民は一時的には
共産党政府と一体化になるが、いずれ彼らを攻撃する。
過去の歴史がそれを証明している。
ナショナリズムは両刃の剣、共産党政府は剣が自分たちに向かわない
ために必ず軍事行動に突っ走る、その相手の第一候補は間違いなく
日本である。
そのために日米軍事同盟を反故にするためにあらゆる戦略を取り始めた。
都合のいいことに米国経済が中国労働力に構造的に支配されている。
米国が民主党に代われば「日米軍事同盟」より「米中経済同盟」を
優先する、日本も親中派の福田政権である、閣僚達も親中派が
抑えている。
日本の政治家も善意の一般国民も中国が戦争を仕掛けてくるのを
畏れてなるべく中国との摩擦を避けようとしている。
このような国が相手なら、もし戦えば、かならず勝てる、中国軍は
間違いなくそういう計算をしている。
日本の政治家も多数の国民も「そんな馬鹿なことはない,
考えすぎである、話し合えば全て解決する」と思っている。
この素朴な中国観が日本を窮地に追い込む、胡錦濤は邪悪な野心を
押し隠して日本人に笑顔を向けた、やがてその微笑が本物でないことは
北京五輪後にあらわになってくる。
ところが幸いなことに毒餃子事件と聖火リレーによって日本人も
中国人の実態が少しわかり出してきた。
日本だけではない世界各国も中国という異常な大国にどう対処するか
という新たな課題を突きつけられた。
ここで能天気な日本の政治家に言いたい、中国は狙いを定めた国に
対して最初は微笑みと友好で迫り、ある日突然牙をむく。
中印友好、中ソ友好、中越友好、がたちまち中印戦争、中ソ戦争、
中越戦争へと急転直下したことを思い出してください。
中国の友好ほど恐ろしいものはありません。
最後にビジネスマンの感覚として言います。中国において経済の
近代化は中国の発展を意味しない。
国家機関に属する人たちが、自分勝手に金儲けしているだけで、
その他の70%以上の国民はまったく無視されています。
年々深刻さを強めている環境破壊、空気は汚染され、砂漠化が進行し
飲み水が既に給水制限を実施しなければならない事態になり、国土
面積の25%以上が人間の移住に適さなくなっている。
この状態で国民がいつまでも我慢できるとは思えない、中国共産党
政府は国民の不満のはけ口として必ず戦争を仕掛ける。相手は
平和国家日本である。
憲法9条で縛られている日本はいくら攻撃しても反撃力は弱いことを
彼らは十分承知している。問題は日米軍事同盟である。
しかし日本の命綱、日米安保条約が反故になることは当分無い、
その前に本格的な「不況」が中国経済に襲いかかれば、極めて
短期間に大規模な「暴動」が中国全土で頻発することは避けがたい。
米国は本格的に異質大国中国の研究を始めた、世界各国も独自に
研究し中国動向に冷徹な目を向け始めた。
ただ日本政府だけが相変わらず「友好」の呪縛にかかって
「中国人も日本人も同じ人間、誠意を持って話し合えば理解しあえる」
という素朴な中国観だけが支配している。
ビジネスマンの経験からはっきり言います。同じ人間ではありません。
日本人の想像をはるかに超えたまったく異質な人間なのです。
日本人もアメリカ人もやがては中国も民主化するとおもっている。
しかし中国が民主化を実現する時は、中国が崩壊するときである。
言論の自由といったものを実現させれば、中国というシステムは
その瞬間に消えてしまう。
故に中国が本当に近代化することは、未来永劫ありえないと、私は
思っています。
このブログを書いている横でテレビが胡錦濤主席の来日を
報道している。胡主席は「日中は世界の平和と安定に貢献する能力を
持っている。福田首相とともに日中『戦略的互恵関係』を
発展させたい」そうです。
私はブログで何回も言っていますが中国人の言葉に真実や誠意は
皆無です。中国は平和と安定に貢献する能力はあっても、それを
世界のために使うつもりはまったく無い。胡錦濤氏の笑顔に過剰な
期待や幻想を抱かないことです。
中国外交の基本は「相手の弱みを握ることです」そのための友好で
あり微笑みなのです。
日本の政治家は肝に銘じてもらいたい。

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「中国との危険なビジネス」
1987年ころから銀行主催の中国セミナーに何回か参加しました。
話の主流は、「バスに乗り遅れるな“論」です。
その時の講師の話を今でも鮮明に覚えています。
「中国人は大陸的気風をもっている、あまり細かいことに拘泥しない、
物事を100年単位ぐらいの長期的視野でとらえる,大人の風格を
もっている人たちである。」
セミナーに参加した中小企業の社長や大企業の幹部達はまるっきり
疑いもせず100%信じてしまった。
壇上で講釈をしている講師も、セミナーに参加している人たちも
学生時代に習った漢詩や論語の呪縛で、中国人のイメージを膨らまし
すぎていた。
そして多くの中小企業の経営者達は過剰な期待や、幻想を抱いて
中国に進出した。しかしそこで待っていたのは逃げることの出来ない
あり地獄であった。
当時マスコミは一切、中小企業の悲劇を報道しなかった。
私は中国に進出した経営者達からいやと言うほどの中国人の品性を
聞いた、「あこぎなやり方、狡猾、嘘つき、傲慢、」な態度、
日本の経営者達は完全にやる気を喪失してしまった。
それなら直ぐに撤退すればいいではないかと誰でも思うが、
詐欺的国家中国の法律では撤退が出来ない。何故か、
そのことについて簡単に説明します。
まず中国の投資に際して、合弁、合作、独資、と3パターンの方法が
あります。大企業は中国側の干渉を避けるために独資を選択します。
しかし中国側は独資においては、大企業や先端技術企業以外は、
認可をしない。そこで中小企業は致し方なく合弁を選択した。
合弁とは、中国側パートナーが土地と建物を提供、日本側が資金をだす、
中国側は土地と建物を過大評価して日本の資金を過大に投資さす。
日本側も50%以上の出資比率で工場を支配したつもりになって
いた。しかし出資比率が6対4であろうが8対2であろうが、中国側
は董事(役員)を出してくる。
撤退しようと思っても中国側も含めた役員全員が撤退を承認し、
合弁を認可した役所が認めないかぎりやめられない。
その結果,進出したはいいが赤字で、撤退も出来ずに
給料と経費の金を送り続けることになる。
中国政府が仕組んだ、まさにあり地獄である。
先進資本主義の資本と技術をタダで入手するために、考え出した
恐ろしいほどの奸智である。なにしろ中国には土地と老朽工場と
労働者は大量にある。無いのは資本と技術です。
そこで小平は「社会主義市場経済」なる矛盾に満ちたお経を
唱えて、国営企業をどしどし解放して合弁事業として誘い込んだ。
小平の「経済開放政策」でまんまと資本主義国家の資本と技術を
無料で取り込まれてしまった。短期的には見事な戦略である。
この地獄を聞いた後も何回もセミナーに参加しましたが、相変わらず
講師たちは、中国の実態を知らないまま、情緒的発言を繰り返して
いました。
とくにある大学教授の話が強烈に私の脳裏に残っています。
彼は松下幸之助氏の話を引用して「中国が豊かになると、世界が潤い
日本も潤うんですよ、大きく言えば中国を繁栄せしめることが
世界を富ますことになる。だから日本は中国を援助しなくては
ならんのです。中国に投資しても、直ぐに利益にならんといった
議論がありますが、そういうことを言ってはいかん。
これは先行投資なんですよと松下幸之助氏は言っていた」と教授は
得々と講演した。
この話に感激した私の知り合いの会社は直ぐに中国に進出した。
結果身ぐるみ剥がされて日本の本社も倒産してしまった。
松下氏は中国に招待されて小平と面談して、中国投資を決断した。
各地に20以上の工場を作り成功している。
小平は日本の一流会社を誘致してそこで成功させて、他の会社を
安心させて、引きずり込む戦略をとった。
中国も宣伝のために大企業は優遇するが中小企業はそうはいかない、
友釣りと同じで,引っかかったら撤退はできない地獄を見ることになる。
しかし日本の20分の1のコストしかかからない魅力に負けて
私もその2~3年後に進出した。地獄を見ないように
いつでも逃げ出せることができるように、同じ合弁でも法人にしなかった。
法人にしなくても工場は支配できる方法を考えた、
それが契約式合弁である。
契約式合弁の話をすれば長くなりますのでいつか機会を見て
書いてみたいと思います。
長くなりましたので結論に入ります。
その当時の講師や大学教授の中には中国に対する抜きがたい「幻想」が
居座っていた。天下の松下幸之助氏ほどの成功者でもおなじである。
それは何かといえば、「日本人と中国人は古くからの隣人である、」
「日中は理解しあえる」という幻想である。
2000年以上もの飢餓のなかで生きてきた中国人と日本人は
文化、家族、社会、言語において共通するところは何も無い。
悲惨な社会で生きてきた中国人にとって生きていくためには、
他人は全て敵である、相手の弱みを握ることが生きる原理である。
このような人たちと責任感が強い、自責的な真面目人間の日本人とは
相容れるはずが無い。
日本は自然に恵まれ,和の社会に対し、中国は戦乱と飢饉、匪賊と
流民があふれる社会であることをしっかりと覚えておいてください

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前回は信じられないくらいの多数のコメントをいただき、感激しています。
その中でいろいろ教えていただき、自分の拙い知識を書き続けることに
戸惑いを感じています。
ビジネスで中国人と付き合って痛切に感じたことは、日本人には
理解不可能な考えや、世界でもまれな行動原理を持つ危険な人々
だということが徐々にわかりました。
しかし日本が中国の隣に未来永劫存続するかぎり、関係を絶つなど
できるはずがありません。それ故、日本にとって今も昔も中国は
最大のテーマです。
特に日本の運命を預かる政治家達があまりにも間違った中国観を
持っていることに、いつも背筋が凍りつく思いでながめています。
そのために私の拙いブログが少しでも中国解明に役に立てればと
思って書いています。
アメリカも欧州も中国を研究している人たちほど中国を間違って
理解してしまいます、それは日本の学者と同じで、2000年以上
前に書かれた漢文を土台にして中国を考察するからです。
中国の歴史をちょっと紐どけば直ぐにわかります。
紀元前221年に秦の始皇帝によって中国は統一されたがその後
中国人種は様々に変化してきたことを知る必要があります。
後漢末期の戦乱により漢民族はほぼ絶滅し、北方から侵入してきた
遊牧民族に取って代わられた。これが隋や唐の時代です。
その後契丹人の遼や女真人の金に北半分を占領される、そして
今度はモンゴル人によって中国全土を統一されて中国は消滅して
しまいます。
14世紀に明という国ができ、その後、満州人の清朝に征服され
てしまいます。このように中国の一連の歴史を眺めたとき、現中国政府
が主張するような「永久不変の中国」などどこにも存在しないことが
わかります。
我々が常に影響を受けてきた2000年以上前の漢民族は、既に
消滅してしまっていることがわかります。
日本は源氏であろうと徳川であろうと誰がこの国を支配しても、
日本国民が他民族に取って代わられることはありませんでした。
このことをしっかり押さえておかないと中国は、はっきりと
見えません。
20年以上前に河南省の中国人と初めて接触した時に彼らは自分達が
中国人としての意識が薄く、また中国政府に恐怖感を抱いていることに
理解が出来ませんでした。
しかし中国歴史を眺めたとき、中国民衆が、国家国民という概念を
持たなかったのはよくわかります。
そこで中国政府は13億の国民に国家を意識させなければ、中国は
消滅してしまう、そのために日本という害のない国を敵国に仕立て上げ
歴史を捏造、愛国教育で国民を洗脳して国家に対して忠誠心を
持たそうとした。
北京五輪もその序曲の聖火リレーも国民に国家を意識させる最高の
道具なのです。
中国には単一民族としての中国人は一度も存在しなかった、
異文化、異言語の人々の寄せ集めであるということを、
日本の若い人はしっかりと押さえておいてください。

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