その間「命の大切さ」について書いた文章の反応があまりに大きくて戸惑っています。
現代人は、生者必滅、生まれたものはかならず死ぬということをなるべく考えない人生を送っているような気がします。
「死」の自覚は、決して、生命の否定ではなく、生命に対する「不当な執着」を、捨てる事によって、正しい生命の把握を意味すると思います。
では、不当な執着とは、何でしょう、
人は、命、お金、名誉、異性、などいろんな事に執着します、執着する事によって苦しみ、事件も起こります、でも決してこれらの事を求めてはいけないといっているのでなく、せっかくこれらの事を手に入れても、必ず別れがあるということを理解してれば、自分を苦しめずにすみます。
お金、名誉、異性を求めることによって、成長し、人生をダイナミックに楽しく生きる事ができますが、会者定離、全て「逢うは別れの初め」ということを知っていれば、苦しまずにあきらめる事ができると思います。
先日、出張先で、当社のソウル支店の社長から、「母親が病気になった、年だから仕方が無いが、突然死ぬのが怖いと泣かれた、どう慰めていいか、言葉を、なくした、会長ならどう答えるか」
『私もどう答えたらよいか分からない、どんな偉そうなことを言っても、やはり死ぬ事は怖い、貴女のお母さんを慰める言葉を私は知らない、しかし日本では、昔から輪廻転生と言う言葉がある、人は必ず生まれ変わります』
「もう少し,解りやすく言ってもらえますか」
うーんこまった『貴女は夜寝る時怖いと思いますか?意識が完全になくなるのに怖いと思わないでしょう、それは、朝になれば目を覚ます事を知っているからです、死ぬ事も同じです,かならずどこか知らないところで目を覚まします、死ぬ事は少しの間眠っているだけなのです』
彼女が母親に言ったかどうか、次回の出張で聞いてみたいものです。
