台湾カッコいい   8月24日(月)


李登輝元総裁の逝去に接して、中国とは正反対の完全民主主義国家の
基盤を作った偉大な人物を、歴史を交えて3回に分けて書いてきました。
しかし台湾の友人から「もっと詳しく記述してほしい」というクレームが入った
ので今回も台湾の歴史について深く考察してみます。

日本が最初に台湾と関わったのは、琉球の宮古島の住民66人が台湾に
漂流し、そのほとんどが台湾を支配していた中国人と先住民に殺されると
いう事件が起きた。日本政府は清に対して殺害の責任を追求した。

ところが清は、その事件は「化外の民」が起こした「化外の地」である「教化
のおよばない所」の出来事であるから我が国(清)の責任ではない。つまり
清国は領有権を否定した。それを聞いた日本政府は台湾に出兵し、占領に
成功した。清国は日本の出兵で台湾の重要性を認識し日本に賠償金を
払って日本を撤兵さす。

1894年日清戦争が勃発、その頃朝鮮を支配していたのは清国であるが
李氏朝鮮は内紛ばかり繰り返して国際情勢がまるで理解できない朝鮮を、
自国さえ維持できない清国が支配していたのです。このまま放置すれば
間違いなく朝鮮はロシアのものになります。一刻も早く清国を排除して、
朝鮮を独立させなければ、次は日本がロシアの餌食になります。

日本は日清戦争に勝利し下関条約で清国は朝鮮独立と台湾を割譲した。
清国の官僚たちは台湾住民たちに暴行や略奪の限りを尽くしていた。
清国の統治は都市に限られ、地方はヤクザが牛耳っており庶民を搾取して
いた。

庶民にとっては清国の役人に支配されるより日本に統治されたほうが良いと
いう要請する声も上がり台湾は清国の割譲により、日本によってヤクザの
ゲリラを排除することができた。

占領してから約50年日本が第二次大戦の敗戦によって台湾を出るまで台湾
は未曾有の発展を遂げた。数年のうちに治安は世界一よくなり、泥棒もいな
くなった。台湾は言葉もバラバラだったが、日本語は先住民や移住民間の間
の共通語となった。李登輝氏も台湾語や中国語より日本語で思考したと
言っています。

それから守る法が出来、税金も前と比べるとかなりやすくなり、日本は病院
を次々建て、さらに医学校が設けられ医学生の育成と伝染病の研究を行っ
た。現在も台湾の医学は世界最高水準にあり優秀な医学者を多く排出し
ている。お陰で台湾のコロナウイルスの累計感染者数(8月18日現在)
「累計感染者」は486人「死亡者」7人に留まって先進国の中では世界一に
なっています。このように日本人が統治した台湾、満州、朝鮮などは未曾有
な発展を遂げた。

列強の白人の植民地政策は「略奪型」「搾取型」で黄色人種を人間として
扱わず奴隷のように強制労働をさせる過酷な制度です。この植民地支配に
よって列強は莫大な富をえました。日本が台湾や韓国を支配した事と、この
欧米の悲惨な植民地政策を同じ視点で論じる間違いを正さなければいけま
せん。

日教組の教育は、昔の日本人の偉業を一切教えず、日本人はアジアで迷惑
をかけたとばかり教えています。日教祖の教育とマスコミと中国、韓国の宣伝
に洗脳されてしまった戦後日本人は、台湾の親日感情の前に左翼たちは少々
戸惑いをみせています。

今回の最後に台湾の最近のニュースを書きます。「アザー米厚生長官は10日、
台北市内の総統府で蔡英文総統と会談した。とここまでは日本の多くの新聞
に載っていますが、中国はこの時期台湾に圧力を掛けるために戦闘機で
領海・領空を侵犯しました。

そこで台湾は中国軍機にミサイルをぶち込みました。命中しなかったが中国
戦闘機はあわてって逃げ帰ったそうです。このような情報を必死で隠蔽する
日本の新聞、メディアなんてもはや存在意義もない。

国を守る毅然とした態度、台湾は凄い、親中派の議員よ、日本に住む価値は
ない、どこまで平和ボケなのか、バカ野党は「台湾と中国の揉め事は内政問
題である」とのたまうとは、歴史を少し勉強したら。

安倍首相にもう一期やってもらいましょう。その選択しか日本は生きて
いく術がありません。




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台湾は中国の『固有の領土』ではない 8月17日(月)


中台統一は中国人民の「神聖なる使命、崇高なる目標」だというのが中国の
主張である。とはいえ、これはあくまで政治的主張であって、そのような
主張を裏づける歴史的根拠が存在するということではない。

中国は建国以来一度も領有したこともない台湾を固有の領土として領有権を
主張しています。この大嘘を今回は暴いてみます。

固有の領土とは国家が成立した段階で領有していた土地か、あるいは無主地
として獲得した土地を指していうものだが、中国にとって台湾はそのいずれ
にも該当しない。

台湾を最初に領有した国家はオランダです。オランダは明貿易の拠点として
台湾の西の澎湖島をも占領した。これに危機感を抱いた明はオランダ軍を包
囲して、交渉し台湾への撤退を要求した。明にとって台湾は自国領でもない。

このようにして1624年、オランダは無主の地だった台湾の領有を開始した。
1661年、鄭成功がオランダを駆逐し、台湾を占領した。当時中国では明が
滅び、満州人の清の支配下に入っていた。明の家来であった鄭成功は大陸
での拠点を失い『大陸反抗』の基地として台湾の統治を開始した。

1683年清国は台湾を攻撃、鄭政権は降伏した。ここにおいて清国は台湾を、
占領することもなく、そこから全ての中国人(主にオランダが開拓要員として
大量に入れた中国人)を引き上げさした。清国の台湾統治の方針はとりあえ
ず守備隊を置く程度のものでした。なぜなら台湾は「化外の民」の住む野蛮な
僻遠の地であり、風土病のはびこる「化外の地」だとみなされ、清国官僚も波
高い台湾海峡をこえてここに出向くことを潔としなかった。

1895年、清は日清戦争で敗北すると、台湾を日本に永久割譲した。中国政権
はこれによって台湾の主権を完全に失った。その後台湾は日本の努力によっ
て豊かになり近代国家になっていった。(このことは8月3日のブログ「李登輝
総統の死去』で台湾発展に尽力した多くの日本人のことを書いています)

1945年日本は、敗戦により台湾から退去、その前の1943年、ルーズベルト
大統領、チャーチル首相、蒋介石主席がカイロで会談を行い、戦後の基本方
針を話し合った。これが一般的に言われているカイロ宣言です。そこでは
「満州、台湾など日本軍が中国から手に入れた全ての地域を中華民国に
返還する」との規定が盛り込まれているがそれは単に蒋介石の要求に
基づいたもので正式な条約は存在しない。

そもそも条約としてのカイロ宣言なるものは存在していない。なぜなら「カイ
ロ宣言』という名称はデッチ上げで、法的効力は一切ない。中国への返還が
正式決定ではなく、将来の方針を語ったに過ぎなかったことは、当事者の
チャーチル首相もアメリカ政府も同じ見方を何度も表明しています。

1952年サンフランシスコ講和条約が発効され、そこで日本は初めて台湾と
いう領土を処分している。しかしその際に取り決められたのは、中国への
割譲ではなく、台湾に関する主権を放棄することだった。

なぜならそれは連合国間で割譲先である中国が、台湾に逃げた蒋介石の
国民政党であるか、中国共産党であるかを決めかねたからです。結局日本が
放棄した台湾の帰属先は決めることが出来なかった。

かくて日本による「台湾返還』は永久に不可能になった。日本は台湾の領土
的処分権を喪失したからです。これが国際法の常識です。そこで連合国側で
は、住民自決の原則に従い、台湾の将来の帰属先は台湾住民以外にないと
考えた。ところが蒋介石は共産党と戦って敗れ、台湾に逃げて武力で台湾を
支配し、一頭独裁の強権政治を行った。

台湾には終戦時約59万人の外省人が入ってきた。台湾に入ってきた蒋介石
の軍隊や中国人たちはあまりにもみすぼらしく規範意識のないレベルの低い
連中でした。日本の教育を受けていた台湾人(本省人)は幻滅してしまった。
しかし彼らと戦う武器を持っていなかった。その上支配者の外省人たちはあま
りにも横暴で、汚職ばかりがまかり通る統治に台湾の本省人たちはじっと
耐え我慢していた。

そのなかで忌まわしい2・28事件が起こり虐殺と粛清がはじまった。武器を
持たない台湾人は震え上がった。日本が50年にわたって営々と築き上げて
きた莫大な資産はすべて蒋介石の中国国民党のものになった。
例えば私企業、私有財産、住宅、全耕地の50%、山林の90%、7つの銀行の
預金、各地の在庫の米、砂糖も全て没収した。そして蒋介石の国民党は今も
世界一の金持ち政党である。蒋介石は大陸から現在に続くありとあらゆる
災厄を持ち込んだ。

「アメリカは日本に原爆を落としただけだが、台湾には蒋介石という災厄を落と
した」と台湾人は今も言っています。

(この続きは次回にて)



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台湾危機一発 8月10日(月)


台湾の友人へ李登輝氏のお悔やみ文をメールで送った。友人からの返信メー
ルによれば中国はついに台湾侵略を決意したらしい。

30数年来台湾併呑を世界に公言しながら実行できなかった。はっきり言って
中国は油断した。もちろん中国軍はアメリカの軍より劣っていた故になかなか
決断ができなかった。それに親中傾向が強かったクリントン政権はキッシン
ジャーの影響で「米中が同盟して日本を叩くのではないか」との予測が盛んに
出されていた。故に大いに油断した。

アメリカはニクソン元大統領からオバマ元大統領の前期まで同盟国日本を
信用していなかった。ところが安倍首相によってトランプは中国の見方を180
度変えた。それを後押しするように中国発の新型コロナが世界を混迷の渦に
巻き込んだ。

過去の米政権は全て、中国の行為を看過してきたが、そうした日々は終わり
を迎えた。今や民主党も共和党も「ここで中国の増長を止めなければ大変なこ
とになる」という共通認識が出来上がった。
世界の人々は中国共産党という巨大な不正を知った。コロナを世界中にバラマ
キ病魔を蔓延させた。

中国の目の上のタンコブである李登輝氏がなくなった事により絶好の攻撃の
チャンスが巡ってきた。しかしアメリカは台湾を未だ国家承認をしていない。
だからアメリカは中国軍と全面対決するには議会の承認がいる。つまり
1日間の空白ができる。そこが中国のつけ目で台湾を半日で攻略できる作戦
を立てている。

台湾の戦略は、澎湖諸島で中国軍を食い止める。澎湖諸島は、台湾島の
西方約50kmに位置する台湾海峡上の島嶼群、日清戦争の際に日本軍が
占領し、台湾とともに日本に割譲された。日本の敗戦に伴い、1945年に台湾
に返還された。

澎湖諸島は最新兵器で守られ、ミサイルは北京と上海に常に向けられている。
中国軍は澎湖諸島を壊滅させない限り台湾本土に上陸することはできない。
台湾は、ここで中国軍を2日食い止めればアメリカ軍が助けに来てくれるという
計算です。

習近平は、今や追い詰められている。経済政策の失敗、パンデミック、大洪水
など政権内での評判がガタ落ちです。だから台湾をスケープゴートにして批判
をかわす必要があります。

トランプもまた11月の選挙に勝つためには、中国と戦争に突入する必要があ
る。両方の思惑が一致した以上米中が激突するのは必然の成り行きです。

しかし習近平は負けると分かっている戦争はしない。「戦わずに勝つ」を上策
にする中国は『生物兵器』『バイオテロ』を実行する。これならアメリカは手出し
ができない、自然発生なのか、故意なのか、誰がやったかは分からないから
です。

自国民の命が少々奪われてもその何倍もの台湾人の命を奪えば台湾人は
震え上がって、中国に併呑されることを了承する。というのが台湾友人の推測
ですが、少し無理がある。問題はコロナを台湾にばら撒く方法が不明です。
なぜなら台湾は中国人を入国禁止にしているからです。

このブログで、私は台湾友人とまるで学生仲間のような言い方をしています
が、彼は台湾で有名な企業人です。蔡英文を擁立した一人でもあります。
彼が言うには通常の武器なら中国軍を壊滅させる自信がある。それに三峡
ダムにミサイルを打ち込む用意も出来ている。しかしコロナ攻撃には中国の
仕業だとはっきり言えない、証拠が見つけにくい。

台湾は、中国大陸から海峡を挟んで約150キロしか離れていない。台湾が
中国本土と同様に新型コロナに汚染され、世界で2番目の感染症の爆発的
拡大に見舞われる可能性は十分にあった。しかし、そうはならなかった。

新型コロナウイルスは世界中で猛威を振るっているが、台湾では8月11日段
階でも感染者はわずか451人、死者は7人にとどまる。感染者の大半は海外
から帰還した台湾人で、4月12日以降は島内での新規感染者は出ていない。

こうして世界に感染症封じ込めの模範を示したこの成功は偶然ではない。
台湾の蔡英文総統は4月に、米タイム誌への寄稿でそう述べた。

しかし「台湾は中国の一部」と主張する中国共産党は、台湾とその2300万の
住民を国際機関からも国際協力からも排除する決意を固めている。その先に
見据えるのは、もちろん台湾の併合だが、この時点で中国のコロナ攻撃に
台湾は勝った。それは中国を恐れない、一切信用しない蔡英文の戦略です。

だから弱腰の忖度は一切しなかった。李登輝の影響で蔡英文とその一派の
官僚たちは昔の日本武士の心を持っていた。日本のように親中派の二階俊博
のようなバカはいなかった。

中国は台湾を攻めるか、尖閣諸島を先に攻めるか、中国はトランプの落選
を待っています。しかしトランプが落選しようと米中の衝突・台中戦争は避け
られない。結果を先に言えば、中国は必敗します。



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李登輝元総統 死去  8月3日(月)


李登輝が亡くなっても彼の「武士道精神」は台湾と日本に生き続けます。
彼は本居宣長の和歌『敷島の大和心を人問はば 朝日に匂う山桜花』
と、新渡戸稲造の名著『武士道』こそが日本人が最も誇りに思うべき
普遍的心理であり、日本社会がいま直面しているために絶対に必要な
精神的指針である」と言っています。

李登輝は1923年生まれ、台北高等学校卒業後、京都大学農学部に
進学する。52年~56年アメリカに留学 78年~81年台北市長
96年台湾初の総統直接選挙の当選、これがアバウトの彼の経歴です。

日本にとって彼の最大の功績は「教育改革」です。それまでの教科書には
「大陸中国」のことばかり詳しく書かれていて 肝心要の台湾のことなど
ほとんど書かれていなかった。そこで彼は日本による統治時代に台湾の
社会的基盤が構築されたことを正しく評価する教科書づくり取り組んだ。

台湾統治の難事業は1898年第4代台湾総督児玉源太郎と後藤新平民政
局長の時代から台湾が急激に発展し始めた。その頃台湾は風土病の島でし
た。ペスト,コレラ、赤痢、天然痘,発疹チフス、腸チフス、ジフテリア、マラ
リアなどが流行り住民の平均寿命は30歳にも満たなかったが、日本人の
努力で数年のうちに治安は世界一よくなり泥棒もいなくなり、衛生状態
が一変によくなった。

台湾はそれまで道らしい道もなく川に橋もなかった。そこで日本は交通網の
整備に着手、南北縦貫鉄道、港湾、道路の建設が直ちに行われた。
農業技師 末永仁は「蓬莱米」を生み出した。末永の上司 磯永吉は援助と
指導に尽力米の生産量は4倍以上になった。米の増産のために水利灌漑
の整備し、八田與一がアジア最大のダムを作った。水路の長さは万里の
長城の6倍以上もあった。

その3年後日本は敗れ、八田の未亡人も台湾を去らねばならなくなった。
八田の未亡人は「みあと慕いて我もゆくなり」と書き残して夫が作り上げた
ダムの放水路に身を投じた。今も現地の人々は八田與一の命日に慰霊追
悼式を行っている。

そして数年のうちに治安は世界一良くなり泥棒もいなくなった。このような
日本人の功績を 教育によって李登輝は台湾人に広めた。だから台湾人は
親日である。しかし韓国人はウソの教育によって日本人の功績を消し、最悪
の悪人と教えた。だからそれを信じた韓国人は反日にならざるをえなかった。

李登輝は、日本は台湾を植民地にして自分勝手なことをやったしか、おそらく
日本の学校の先生は教えない、だから日本人は、ここで大きな仕事をやった
んだということを日本の若い人たちに「日本のことを」わからせる必要がある。
つまり台湾がもし日本の領土にならなかったら今の台湾は海南島以上にひどい
場所になっていた。

韓国も日本が併合しなかったら、あまりにも未開で悲惨の地のままだったと
いう事実を知らねばならない。日本人が勝手に言っているのではない。
池満元の著である「反日への最後通告」に朝鮮を現地で長年にわたって
観察した外国の知識人たち21人の手記が書かれている。

それによると、一言で言えば阿鼻叫喚の未開の国であった。外国人の誰もが
朝鮮人はごく初歩的な衛生観念もない。家には便所がなく道端は垂流された
糞尿で避けて歩くほかなかった。21人の外国人がほぼ同じようなことが書かれ
ている。韓国の人々が未だに極めてアンビバレントな対日感情から脱却でき
ないのはウソの教育と大きな関係があると思います。

最後に李登輝氏の言葉です「国際社会全体が不況と不安に晒されているときに、
最も頼りになるべき国である日本まで混乱と混沌の中を漂流し続けていたら、
人類社会そのものが羅針盤をうしないます。過去を否定する日本人の自虐的
価値観に対して私は常に憂慮しています。そしてこの傾向をこのまま放置して
おけば、日本だけでなく世界全体が不幸になる、と心の底から危惧しています」
といっています

これこそ以て日本人は教訓となすべき事柄なのではあるまいか。



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国父と尊敬されている孫文の正体    6月1日(水)

前回の続き
台湾で蔡英文主席が大14代総統に就任し、その際「国父・孫文」の肖像を前
に就任を宣誓しました。と記述されていますが、なぜ台湾でも中国でも孫文
を国父として尊敬されているのか、不思議です。

はっきり言います。孫文は権力欲の塊であり,なをかつ天下の詐欺師です。
台湾人も中国人たちも、あたかも聖人君子のごとく尊敬されている孫文の政
治思想から彼の正体を探ってみました。

まずある本から孫文の生涯を列記します。
「清朝末期の1895年。孫文は人々を貧困から救うため、広州で蜂起するが失
敗。その後、華僑や亡命先の日本で宮崎滔天、犬養毅らの支持を得て、1911年
辛亥革命で勝利を収める。中華民国発足の際には臨時大統領に就任するも、
すぐに袁世凱に地位を奪われ、再び日本に亡命。 仲間の裏切りに遭いながら
も国民党を改組し、革命のさなかの1925年ガンで倒れる」 と書いてあります。

上記の紹介文で 「孫文は人々を貧困から救うため」 と紹介されていますが
本気でそのように思っていたのだろうか?孫文の政治思想を読めば彼の上
から目線の傲慢さは、中国人を幸せにするとはとても思えない。

孫文の革命思想は「三民主義」と称される「民族主義、民権主義、民生主義で
す。孫文の主張を読めば儒教思想と西欧的な民主思想の折衷ですが本音は
中国的価値観が透けてみえます。

彼は中国的本音を隠して諸外国からの支援を得るためにだけに、デモクラシー
という概念と言葉を巧みに利用して革命家の衣を着ています。

彼の正体が見えた主張の一節に「天下を人民のものにするのは人民ではない、
人民を皇帝にするのは人民ではない。それを実現するのは選ばれたエリートの
使命である」と述べています。

そして「エリートが人民のための立派な国家を建設してそれを人民に進呈する
のだ。立派な国家になるまで、国家の建設過程に人民は参加せず、ただ有能
なエリートに一任される」と主張しています。

つまり立派な国家になるまで、国家の建設過程に人民は参加させず、有能な
エリートによって組織された「革命党」だけということになり、いわゆる権力
を握った者だけで国を支配して愚民な人民は口を出すなということです。

しかしいったん権力を握れば彼らは決して人民に国家を移譲するなど有り得
ない。これはまさしく現在中国を支配している共産党一党独裁国家そのもの
です。

それではなぜ人民は政治に参加してはならないのか、それは中国人民は無
能だからと孫文はハッキリ本音を言っています。

孫文はこの本心を隠すために言葉を巧みに操っています。「人民は能力に
よって三分割される。新たなものを創造出来る有能なエリートが「先知先覚」、
その教えを十分に理解できるのが「後知後覚」、ただいわれるままに動く無能
な大衆が「不知不覚」と区別しています。

彼は演説で常に「権力は人民にある」といいながら、実際には人民から権力
を完全に剥奪する思考です。

孫文は演説に集まった多くの人々に対して、自分は無能な「不知不覚」だと
は誰も思わせない、自分は孫文の教えを理解できる「後知後覚」だと思わせ
るような巧みな演説をしています。

しかし孫文の本心は自分以外は全て無能な「不知不覚」だと思っています。
瀕死の中国を救うのは中国広しといえども、われ以外誰がおるのか、「予は
人民の先覚者なり」という傲慢さは歴代皇帝と何ら変わりません。

中国の最大の悲劇は、権力者にとって人民とは全て愚民で支配者の命令に
背くものは生きていく資格がないと思っていることです。未熟な存在はいつ
も民であると思っている中国で、支配者こそが未熟であると思わないところ
が中国最大の悲劇です。

孫文の巧みなへ理屈論を読んでいますと彼の本心は結局近代的な皇帝に
なりたかったのではないかと思われます。近代的という言葉と皇帝は矛盾し
ますが、つまり天下を取るために「革命」という看板を掲げて中国のオーナー
になりたかった。

彼は13歳でハワイに渡りキリスト教系の学校に入り、そこで西洋文明や西洋
の思想にふれ、帰国後医学を学びつつ革命思想を抱くようになり、日清戦争
の終結後に広州で武装蜂起を企てたが、密告で頓挫し、日本に亡命した。

後に1年半にも及ぶ世界遊説を行い、明治38年に日本に着き、革命の根拠
地にしました。彼は革命資金を集めるためにハワイのマウイ島生まれにして
アメリカ国籍を収得しています。

世界遊説先での彼の主張は「300年中国を支配し続けた腐敗堕落した清の
王朝がある限り、中国近代化や発展はない。元々の民族である漢民族が立
ち上がり清朝を倒すため革命を起こさなければならない」と演説しています。

つまり「長い間、中国は満州民族である清の植民地されている。腐敗した
満州民族を追い出すために中国漢民族を支援して欲しい」ということです。

もし中国の歴史を知っているなら 「何を寝言を言うか」 と一笑されるところ
ですが、ほとんどの人々は信じてしまった。特に多くの善意の日本人は彼の
「革命」という言葉に酔って支援をしました。

彼の主張している漢民族は後漢末期の戦乱によりほぼ絶滅し、北方から侵入
してきた遊牧民族に取って代わられています。日本人が大好きな三国志時代
の戦乱で人口が極端に減り、後漢を滅ぼした魏王朝は大量の兵士を北方より
集めて「蜀」を滅ぼしています。そして司馬炎が「魏」を内部から乗っ取り「晋」
を建国して「呉」を滅ぼしています。

日本に縁の深い「随」や「唐」はこうして侵入してきた遊牧民が作ったいわ
ば異民族の中国です。その後も中国は人種も国土の大きさも、さまざま変化
しています。そしてついにはモンゴル人の帝国が南宋までも併合して中国全
土を統一しました。孫文が主張するような純粋な漢民族などどこにもいない。

孫文はハワイと香港に革命団体・興中会をつくり1895年、1900年と二度に
わたり、武装蜂起を企てたが、いずれも失敗します。そして1911年10月辛
亥革命が起こります。しかし孫文は当時アメリカにいました。

革命を起こした人たちの間で内紛が起こり、政府はどこに置くか、また革命
政府のリーダーを誰にするかでもめていました。当時から革命家として世界
的に有名な孫文が12月に上海に帰着すると革命派はそろって彼の到着に
熱狂し、翌1912年1月1日、孫文を臨時大総統とする中華民国が南京に成立
しました。

孫文は演説家であり、煽動家です。話す際には興奮して身振り手振りが大き
くなり、熱狂的な拍手喝采をうけました。また会場には彼の部下が数人いて
彼が会場に入ると、入場者全体を立ち上がらせて、孫先生と絶叫させるよう
に演出していました。

辛亥革命は古代より続いた君主政治を終わらせ、アジアでも初の共和制国家
を樹立し、中国歴史には画期的な革命と世界的に評価されています。その名
誉を孫文は独り占めをしたのです。

孫文は大総統就任演説で 「新国家体制は漢満蒙回蔵諸国で構成する」 と
言い出しました。つまり満洲もモンゴルもウイグル、チベットも台湾もみんな
俺たちのものだと言ったのです。この厚かましさと強欲ぶりは歴代皇帝となん
ら変わりません。

孫文の後の蒋介石、さらに毛沢東までこのインチキ話を受け継いでいます。
彼は革命生活40年のうち、3分の一は日本で暮らしています。その間彼は植
民地支配を脱する漢族の純粋な独立運動だといって、無邪気な日本の善意
にたかり、多くの人たちから借金してそれを踏み倒しても恥じず、また日本女
性との間に子供をもうけたりもしていました。

今や孫文は中国でも台湾でも「国父」と言って尊敬され、海峡両岸で民族の
英雄として高い評価を与えられています。

しかし本当に孫文は中国・台湾から「国父」と崇められるほどの値打ちのあ
る人物なのか?本当に孫文は中国を変えたのだろうか?多くの疑問が残ります。



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