習近平は大悪人   1月19日(水)


「国を愛すれば皆保守になリます」と言ったら、ある人は「国を愛するから戦争
が起こる。愛するのは国ではなく人類だ」と左翼の人は得意げに言いました。

そしてその人は国を愛しすぎるから習近平のような怪物になるとたたみかけ
ました。え!ちょっと待ってください習近平が愛しているのは人類ではない、
彼が愛しているのは自分自身です。

人類が3年間にわたって苦しみ続けているコロナウイルスは習近平の仕業
です。彼は自然ウイルスに見せかけていたが、武漢ウイルス研究所流出説
を裏付ける新事実が次々と出てきました。それは中国共産党の人民解放軍
の幹部A氏がアメリカに亡命したことによりいろんなことが解ってきた。

中国共産党は新型コロナウイルスを人工的に作りそして中国共産党がそれ
を拡散したと証言した。さらに恐ろしい事実が明らかになりました。

中国への資金援助を仲介したNPOの会長、ピーター・ダシャック氏が2017年
までに武漢ウイルス研究所に資金と技術を提供していたことも分かって
きた。そして新型コロナはNIHと人民解放軍が共同開発した生物兵器である
ということも解ってきた。

彼らの分析によれば、爆弾より生物兵器のほうが敵国の人々に精神的な
恐怖を長期間与え続けられると人民解放軍はいっています。彼らは実際の
戦争に使うつもりはないと抗弁していますが誰も信じていません。

これらの指示は全て中国習近平によるものです。
習近平は間違いなく人類の敵です。


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「今の中国語は日本語から作られた」  1月5日(木)

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

今年最初のブログをコメントの反論に使用することはいけないことですが、『日
本語から作られた』(魯迅の白話文、12月23(木))では誇大表現である。と
いう言葉に反論したくなりました。

まず南京大の王りんりん教授は「我々中国人が現代使っている漢字の70%
は日本語で、我々はその日本語を使って思索し、議論し、東西世界を語って
いる。それを考えたとき思わず鳥肌がたってくる」と嘆いています。

習近平はモンゴル人に漢字使用を強制しそれが輝かしい中国文化だと偉そ
うに宣言した。しかしそう自慢する中国語の70%が日本語では習近平も「偉
大な民族の言葉」と偉そうに言っていられない。(高山正之ジャーナリスト)

さて中国人が二千年もの間、漢文と言う表現手段しか持ち得なかったとい
う事実は当然のことながら中国人を日本人のように感情、情緒が豊かに育た
なかった。例えば、有名な漢詩に、国破山河在・城春草木深・感時花潅涙、
・恨別鳥驚心、を日本語に訳せば、国破れて山河在り・城春にして草木深し
・時に感じては花にも涙をそそぎ・別れを恨みては鳥にも心を驚かす。

この詩は日本語訳から見れば、まことに情緒たっぷりに描かれているように
見えるが、これは漢詩を日本語化しているからです。つまり日本人の中に
ある情緒がこのような訳に投影させたのです。日本人は、故国を失った
杜甫の心境を思いやって彼に同情したのですが、杜甫自身は単に情景を
描写しただけでです。日本人が勝手に漢詩を深読みしたのです。漢文は
情緒表現に向かない、まさにはじめに言葉ありきです。言葉なきところに、
思想も感情も育たない。

中国人と商売してきた現役時代の頃、中国人の無表情ぶりに不気味さを
感じていた。彼らには嘘発見器など通用しない。笑顔のない民族の残酷さ、
冷たさ、詐欺ぶりに呆れたことは何回もあります。

さて源氏物語についても批判されているようですが、私は中国小説の最高
傑作と定評の高い「紅楼夢」と源氏物語と比べたのです。源氏物語は平安
時代の中期、紅楼夢は清朝時代の中頃、つまり千年近い差があります。

もし源氏物語が漢籍の影響を受けたとしても今の中国とは違います。私が何
回も言っているように現代中国は騎馬民族の子孫です。日本人に影響を与え
た漢詩などは2千年以上前に作られたものです。科挙が行われていた時代
の漢文はもはや公的には使用されていない。日本人は漢文を中国語と思っ
ているが、これは全くの誤解である。今の中国語と漢文は全く関係がない。

漢字はもちろん使われているわけだが、現代日本文のマネをして前置詞や
助動詞を明確に記すことによって、古典の要素など無くても文章が書けるよ
うになった。魯迅のおかげです。

結論から申しますと「漢文とは、現代の中国語の古語などではない」というこ
とは現代中国から日本の文学が影響を受けることはない。あなたが言うよう
に中国の故事は日本人に染み付いていた事は確かです。ただそいう2千年
前の教養上の中国を現実の中国人に重ね合わせるから変なことになるの
です。

習近平は先の演説の際に「中国は数千年の歴史の中で老子や孔子、莊子
などの思想家を生み、製紙法や火薬、印刷術、羅針盤を発明、万里の長城
や故宮、ボタラ宮などを建設した」と偉そうに言った。しかしボタラ宮はチベット
人の建設であり、そのどの一つをとっても現代中国人が作ったものでない。
こいうウソが平気で言えるのが現代中国です。

その上ウソだけならまだ救われるが騎馬民族の残酷さをしっかり身につけて
いる。歴史上の残酷さはブログで何回も書いてきたので省きますが、最近の
事件で証明すれば、2003年の福岡一家4人殺害事件です。中国人留学生
3人が金欲しさに、ある一家に侵入し8歳の女の子を含む一家4人を殺した。

問題は殺し方です。生身の人間の肉を少しずつ切り落とし、長時間苦痛を
あたえたうえで死にいたらしたのです。歴史が前に進んでも、環境が変わっ
てもその性状に何も変化もないことにただただびっくりです。

ほかにもノーベル少作家の莫言氏の「白檀の刑」という小説に白檀の木を
肛門から刺し、肩口から突き出すという残酷な処刑方法がこれでもかと
描写されている。これは小説家の空想ではなく実際にあった処刑方法です。
中国の嗜虐趣味における残虐性が今も連綿と続いて証拠です。

さて長く続けても中国に対しての理解度が深まるとは思えない。日本も世界
も2千年前の中国を土台に現代中国を考察するので中国幻想を払拭するこ
とが出来ない。そこをつけ込んだ中国の巧みな宣伝が効いてますます
中国幻想にはまっている。

つまり「中国は黄帝以来、4千年間、代わらぬ姿で存在し、高い文明を誇って
きた。たまに一握りの異民族が侵入してきたが、たちまちにして中国に同化
され、消滅していった。中国という国はそういう蛮族には少しも影響されず、
不動の地位を保っている。だから中華民族というのは、世界の中でも最も
誇り高い歴史と文化を持つ『永遠不変の民族』である」という主張である。

もちろんこれは大嘘である。日本人はもちろん欧米人もこうした中国人の
宣伝に乗せられてしまう。何回も言っているように、後漢末期の戦乱により
漢民族はほぼ絶滅し、北方から侵入してきた遊牧民に取って代わられる。
このような事が何回も繰り返されて民族が常に代わってしまっている。
中国人の言うよう意味での「永久不変の中国」は存在しない。つまり中国は
異文化、異言語の人々の寄せ集めである。中国には近代的な意味での
単一民族としての中国人は一度も存在していない。

長くなてしまいました。中国幻想を払拭することは容易ではありません。
実は私も30年前に中国人と接触するまでは中国人に対してを尊敬と憧れを
持っていました。漢文に書かれていることが真実であると、ひたすら信じ込ん
でいた人間の一人でした。

このような長文になってしまったのは、日本人には想像も出来ない行動原理
によって動く人々が、この世の中に入るという事実を知ってほしいからです。



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④魯迅の白話文  12月23(木)


前回「今の中国語は、日本語から作られた」ということを書きましたが、証明
したいと思います。

今の中国では「科挙」が行われていた時代の漢字は、もはや公的には使用
されていない。漢字はもちろん使われているわけだが、現代日本の真似をし
て、前置詞や助動詞を明確に期すことによって、古典の素養など無くても
文章がかけるようになった。

この漢文の弊害を認識し、口語体を生み出すことに最大の功績があったの
は「魯迅」であった。魯迅が国に帰って、短編小説を猛烈に書き出した。
従来の漢文を捨て、白話文という新しい口語の文体を用いて書いた。

彼の頭の中には常に日本語の文章があり、それを漢字に置き換え
て表現することによって白話文を創作しました。

この文章だけで「中国語は日本語より作られた」という最初の文章が理解
できたと思います。

魯迅は留学によって、頭の中身をすっかり日本人の脳みそに入れ替えた。
日本人の暮らしをし、日本語をマスターすることによって、初めて「近代人」に
なった。彼の「阿Q正伝」を読めばよく分かる。

彼の白話文は日本語を下敷きにして作られた。みすぼらしい阿Qは、2千年
来、何も進歩していないのに、それを認めようとしない中国人の姿が描かれ
ています。

中国の近代化にとって、日本語が果たしたのは単に文体だけのことではない、
現代中国語のボキャブラリーもまた日本語からの借り物である。

中国には恋愛小説がないとよく言われるがなぜなら漢文は情緒表現に
向かない。ということは恋愛感情の発達にも大きな影響を与えた。つまり
漢文が発達したことによって、中国人は洗練された形での恋愛というものを
知らないままに20世紀を迎えてしまった。

このように述べるとたいていの人は「そんなことは無い、中国小説に『紅楼夢』
という恋愛小説があるではないか」と反論される。ある評論家など日本の
源氏物語であるなどと高評価するがしかしその中身といえば、あまりにも
レベルが違いすぎる。

源氏物語の主人公・光源氏はたくさんの女性と恋愛して契を交わしていくが
紅楼夢の主人公が肉体関係を持つのは、祖母から与えられた腰元ただ一人
である。はたして、与えられた下女に手を付けるのが恋愛と呼べますか。

「金瓶梅』に至っては完全な好色小説であり、行為のみが書かれています。
まず。まず第一に恋愛というのは男女間の情のやり取りとか駆け引きなど
一種の知的ゲームである。単に肉体関係を結ぶだけでは、恋愛とは呼べない。

言葉の進化・言葉の洗練なくして、人間の情感の高度化・繊細差というも
のは誕生しない。だから中国では本当の恋愛小説は育たない。

中国語の言葉の進化・洗練されてない例が、最近、安倍氏の「台湾有事は
日本有事。すなわち日米同盟の有事でもある。この認識を習近平主席は
断じて見誤るべきではない」と強い口調で述べた。

この事に中国報道官は「安倍氏の頭をかち割って血を流すだろう」と言った
のです。このような下品な表現しか出来ないとは、中国人は間違いなくなら
ず者である。

現代中国人の異常に肥大したナショナリズムが大きな原因だと思われるが、
それにしてもあまりにも下品な言葉、欧米各国の報道官が相手国を攻撃する
場合、このような残酷で下品な言葉を使ったのを聞いたことがない。

これに対して安倍氏はユーモアたっぷりに「私の態度表明が中国側に注目
されて大変光栄に思う」といったのです。一流人と三流人の違いです。

話は飛んでしまいましたが、それでは、今日の大陸における中国語状況は
どうなっているか、簡単に言えば旧来の漢文の位置を、北京語をもとにした
「普通話」(プートンホワ)が占めるようになっています。

しかし中国においては、まだまだ公用語の「普通話」が読み書きできるのは、
あまり多くありません。そしてそれができる人が新たな知識階級になりつつ
あります。

(この続きは来年にします。今年最後のブログは恒例になって
いる訳のわからない文章で締めくくりたいと思います)



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③今の中国語は、日本語から作られた  12月17日(金)


前回、「今の中国語と漢文は全く関係がない」と書きました。このことを
岡田教授の教えにしたがって、順を追って説明します。

明治以降、どれだけ多くの日本人が漢籍を通じて身につけた中国イメージに
感動し、それを求めて大陸に渡り、現実とのギャップに失望・幻滅して
私を含めた中小企業が中国から逃げ帰ってきたか分からない。

「史記」や「三国志」に登場するような、信義や礼に篤い中国人に出会うは
ずなのだが、現実にいるのは、嘘つきや詐欺師ばかり、油断も隙きもならな
い連中ばかり。

その最大の原因は、実は漢文にある。そもそも、日本人は漢文に登場する
人物や思想は中国人と思っているが、これは全くの勘違い誤解である。少な
くとも、この二千年間というもの、漢文は中国語とは全く関係がない。

北京語だろうが、上海語だろうが、どれだけ中国語を話せるように
なっても、論語や漢詩を返り点なしの白文で読みこなせるようには絶対に
ならない。

例えば日本の古典である「源氏物語」は読みづらいものだが、日本人な
ら誰でもあるていど内容が推測できる。それは現代の日本語に通じる単語
があるからです。

しかし中国人にとっての漢文とは、そのままでは全く歯が立たないものであ
る。漢文とは、中国語の古典などではないということが理解できたと思います。
つまり漢文は中国で話されている言葉とはまったく無縁の言語体系なのです。

私はビジネスマンです。論語に書いてある「信なくば立たず」を基本に生きて
きました。日本人なら誰でもこれを商人道の基本において商売をしてきまし
た。しかし論語など読んだことのない、理解できない中国の商人にとっては、
契約書をひたすら信じる日本人はバカにしか見えない。

日常的に付き合う中国人には、論語に書かれている道義心などまったく無く
「無縁の世界」だと考えるべきです。

前にも書いたが、実のところ、中国には古代から共通中国語というのは、
一度も存在しなかった。古代においても、各地方ごとに言語が異なるのが
普通であった。そこで始皇帝がやったのは、帝国の支配に必要な文書類に
用いる書き言葉だけに的をしぼった。

まず漢字の書体を統一し、しかも、その漢字に対応する読みを決定した。
なぜ「口頭で話される言語」の統一をしなかったのか?しょせん無理な話で
す。なぜなら、南北で言語の系統すら違うのだから、共通語を定めるという
のは不可能な国なのです。

中国人たちは近代になるまで、自分たちが話している言葉を書き表す手段
がなかった。つまり中国人は20世紀になるまで自前の「文字」がなかったの
です。

日本人は中国を指して「文字の栄える国」などというが、とんでもない間違い
です。20世紀になってやっと「白話運動」が起こった。日本語に刺激を受けた
魯迅たちが日常の会話に基づいた中国語で文章表現を始めた。秦の始皇帝
からざっと2千年以上経っていた。

前回書いたように、魯迅は「漢字が滅びなければ、中国が必ず滅びる」と断
言し、「白話運動」を推進した。彼が中国文化に絶望したのは「すべからく
漢文は古典を踏まえるべし」というルールに縛られていたからです。

だから中国思想は全く進歩しなかった。中国知識人と言われる人々はあく
までも先師の文章を暗誦・暗記することが使命で古典を意味もなくそらんじ
る事が中国知識人の使命になったのも、ひとえに漢字の罪です。
あの難しい「科挙」の試験に古典を丸暗記していなければ官吏になれない。

さて、中国人が2千年もの間、漢文という表現手段しか持ち得なかったという
事実は、当然のことながら、中国人の心理にも大きな影響を与えた。
ことに感情、情緒といった面における影響は甚大である。

日本人は自前の日本語を持っているため、あまり気づかないが、細やかな
情緒や感情というものは、自然に成長してくるものでない。世代を超えた文
化的蓄積が行われて、初めて感情生活は豊かになってくる。

日本の場合で言えば「万葉集」から始まって「源氏物語」「古今集」「平家
物語」があり江戸時代の芭蕉、近松、西鶴ら、さらに明治期の漱石、鴎外、
などという文学の歴史が日本人の感情を豊かにしていった。これらの文学
作品抜きに日本人の精神は考えられない。
(続きは次回にて)



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②中国幻想を作り上げた大学教授たちとメディア  12月10日


前回「後漢末期の戦乱により漢民族はほぼ絶滅し、北方から侵入してきた
遊牧民に何回も取って代わられた」と書きました。

今回はもっと深くエグッてみます。
今の中国語と漢文は全く関係がない。もし漢文に記された言葉が古語で
あるなら、いかにそれが時代を経ていても、現代中国語を話せる人にとって
は、何らかの手がかりがあるはずである。

しかし中国人にとっての漢文とは、そのままでは全く歯が立たないものであ
る。いくら音声で聞いてもわからないばかりではなく、その文章を目で読ん
でも意味不明、それが漢文なのです。

我々が学校で習ったように、返り点や送りがながついた漢文を読むわけでは
ない、最初から白文に取り組むとなれば、これは絶望的な行為といったほう
がいい。なぜなら、漢文には日本語のように動詞や名刺と言った品詞がない
からです。

中国には55の人種がいると言われていますが、実際はもっと多い。点と線と
いうネットワーク型支配が2千年以上にわたって続いたことは、中国大陸内で
使われている多くの言語の融合を妨げた。もともと多種多様の異民族が暮ら
しているうえに、その民族がさらに小さな集団を作って暮らしているのだから、
言語の多様化が拡大されることはあっても、決して収束されることはない

中国人は一族の中で強固に連帯する傾向があって、その為に閉鎖的である。
その状態が長く続くうちに、いつの間にか言葉が変化して、一族の中でしか
通用しない中国語が生まれる。

昔読んだ本に書いてあったエピソードに、日清戦争、日露戦争に圧倒的な強
さで勝った日本に憧れた中国人が留学生として約1万人もやってきた。
日本政府は彼らのために寮を用意した。寮内の言葉は当然中国語と思うが、
実は習いたての日本語でしか通用しなかった。

なぜなら同じ中国人でも村が違えば言葉が違う。日本人なら単に方言の違い
だけだが、例えば、同じ南部の言葉でも上海語と広東語とでは、ほとんど共
通点がない。さらに同じ地方の言語でも、隣村同士でも全く言語が違います。

このような事を書けば多くの日本人から反論を喰らいます。「そんなバカな、
私は中国語を習っているが何処の町や都市でも北京語で通用する」と言わ
れそうだが!

中国の最大の欠点は多言語にある。言葉を統一しない限り中国の統一は
ありえないと毛沢東は思った。実は毛沢東だけでなく中国の多くの知識人は
そのように思っていた。

その中の一人である「魯迅」は1902年、医学を学ぶ国費留学生として日本に
留学した。彼は日本の中央図書館にいって驚いた。そこには中国の古典で
ある論語や漢詩、儒教だけでなく中国の歴史の文献の豊富さに目を奪われ
た。中国国内では知ることの出来ない中国の知識を手に入れた。

中国の前途に対する絶望感が、魯迅の心の中で日増しに強まっていった。
中国人を覚醒さすために医学を捨て文学に走った。文章を書くために日本語
で考えた。なぜなら中国語なら日頃の言葉と文書語とはまるで違っていた
からです。

魯迅は、中国の近代文学の元祖であり、同時に国民精神の改造を生涯の
課題とした作家である。彼は漢字に対して、「漢字が滅びなければ、中国が
必ず滅びる」と断言し、以下のように述べています。

「この四角い字(漢字)の弊害を伴った遺産のお陰で、我々の最大多数の
人々は、すでに幾千年も文盲として殉難し、中国もこんなほかの国ではすで
に人工雨さえ作っているという時代に、我々はまだ雨乞いのため蛇を拝んだ
り、神迎えをしたりしている。もし我々がまだ生きていくつもりならば、私は、
漢字に我々の犠牲になって貰う外はないと思う」と述べています。

さて毛沢東の事ですが、彼は生涯に中国人を4千万人~7千万人殺したと
言われていますが、なぜか一部の中国人に尊敬されています。それは
中国国民を無理やり北京語で統一し、中国人に言葉を与えたからです。
教科書も北京語で統一、共産党の強みです。

さて、知的な魯迅がいうように中国人が二千年もの間漢字に苦しめられ
「漢字が滅びなければ、中国が滅びる」とまで言わしめた。

おかげで国民の多くは無学文盲のままです。中国人がますます野蛮にな
るのは、漢字による知識と知性の欠落、そして抑圧された内面からくるもの
ではないだろうか。

中国の正しい姿とは、一体何なのか、今日はっきりしたことは、彼らほど
残酷な民族はいないということです。中国はすでに日本人が知っている漢人
ではなく騎馬民族に何回も征服されたと述べました。

その中でも中国全土だけでなく東ヨーロッパまで侵略したチンギス・カンで
有なモンゴル軍の残酷さは現代中国人の血にしっかり受け継がれています。

モンゴル軍の征服の仕方は一つの街を完全に支配するために住民の全てを
殺害した。なぜなら少しでも住民を残すと後ろから追いかけてくるからです。
そのために若い美女だけを残して男性は全て殺した。しかも通常の殺し方で
はない。死体を玩具にするような残酷の極みで殺された。こういう残酷な
中国人の特質は今も変わっていない。

この続きは次回にて



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