中国の崩壊とは?
私はこれまで中国問題について数多く書いてきました。
そして私のブログのコメント欄に寄せられた多くの中国情報で 、
より深く中国を知る事ができました。
しかしこの国は一般常識では推し量れないくらい深い、単に深いだけなら
考察も出来るが、偽りの基礎の上に築かれた闇の深さは、真実を探す
ことを、非常に困難にしています。
10年前は多くの中国ウオッチャーは「中国脅威論」を唱え、21世紀は
中国の世紀であるという中国の宣伝を信じていました。
ところが2001年米ピッツバーグ大学のロースキ教授の中国の国内
総生産の増加値の真実性を疑うという「中国統計数字水増し論」という
学術論文を発表した。その後 西側メディアの一部は中国の経済は
偽りのものであり、中国経済はまもなく崩壊すると
論じるようになって来ました。
「ニューズ・ウイーク」「ザ・エコノミスト」なども次々と中国国家統計局
が発表した数字のインチキ性を暴きだした。
ニューズ・ウイークなどは、「経済大国としての中国の評判は全く偽りの
基礎の上に築かれたものである」「これらの数字が表しているのは
大げさな繁栄であり、本来科学的であるはずの数字が政治の
道具となった」と書いています。
しかし中国発表の数字がたとえ大げさな数字であろうと現実問題として
世界中にメイドインチャイナの商品が溢れていることはまぎれもない
事実です。
ところが世界中に溢れた中国製の商品は、中国が創意工夫した
オリジナルの製品ではなく、各国の企業が単に中国に進出して、
安価な労働力を利用してその商品を世界中に出荷したにすぎません。
ということはたとえ中国の数字が正しいとしても、中国の実力は
どこにも存在しません。
中国に進出した外国企業のお陰で中国は巨額の外貨を手に入れ、
国民の働き口を手に入れた。
そして外国企業の多くが存在する沿岸地域の一部の人たちは豊かな
生活を手に入れ、町には巨大な高層ビルが建ち始めた。
後発組みは工賃の高騰した沿岸地域から各地方へ工場を進出させ、
結果環境を破壊し、開発業者と結託した腐敗役人に農民は農地を
没収された。
政府は農民を無視して、農村部の歳入不足を補うために税金を上げた。
歳入不足の原因は、役人のポケットに直接入るからです。
あまりのことに農民たちは政府に訴えた。ところが訴えは退けられ、
代表者は牢に放りこまれた。
地方政府の暴虐ぶりに耐えられなくなった農民は、中央政府に訴える
ために地方から北京にやってきた。その農民が寝泊りする通称「直訴村」
が本格的に摘発されだした。
連行後はほとんど地方に送り返されるが、今後黙らせるために、農民に
暴力を振るった。
地方役人から支配力を取り上げないかぎり、農民の不幸は永遠に
続きます。しかし中央は地方の言いなりです。何故なら,各地方を
実質支配しているのは独立採算制の人民解放軍です。(人民軍に
ついては5月23日のブログで書いています、参考にしてください)
7つの地域に分かれた人民軍は政府の言う事を聞きません。
恐ろしいことにこれらの人民軍の老将軍や幹部たちは世界の情勢や
世界の常識に疎いです。一種の近代前の王様の感覚です。
この国の歴代の支配者は国民を人間扱いしてこなかった。
近い例では、天安門事件を思い起こしてください。天安門広場に抗議の
ために集まった民衆に容赦なく銃弾を浴びせ、戦車でひき殺した。
全国で農民の暴動が頻発しています、その数いまや年間7万〜10万件
とも言われています。
中国問題を知れば知るほど、この国の悲劇の闇は深い、この国が最後に
どこに行き着くかなど誰にもわからない。
多くの人は自国の過去を反省し、検証してより良い未来を作って
いきます。しかし中国人は過去の歴史の真実を教えられていません。
故に反省も学習も出来ません。
この国の子供たちは、文化大革命や天安門事件の悲劇を教わりません。
ひたすら中国4千年の作られた栄光の歴史しか教わりません。
無数の虚言妄語で真実を消し去ったこの国で未来を見つけるのは
容易なことではない。
民衆は不満を増幅させてきているが、情け容赦のない政府を
恐れている、国民に銃弾を発射することに躊躇しない人民軍や
公安は、住民の暴動を短期間に抑え込みます。
そろそろ結論に入ります。
最近の多くの評論家は中国の崩壊がやがて始まると主張し始めました。
しかし中国は崩壊しません。何故なら崩壊する国が存在しないからです。
中央政府が経済的に崩壊することはありますが、人民軍が押さえている
地方政府は破綻と言う言葉は存在しません。
北朝鮮のような恐ろしい国が7つ生まれまるだけです。
北朝鮮の国民は飢餓の線上で苦しんでいますが、国は存続しています。
中国も中央政府が弱体化して、一党独裁国家が7つ出来ても農民の
生活は何も変わりません。
欧米人も日本人も中国を統一された一つの国として考えるから、
中国の未来が見えなくなるのです。
どこの国も「国民国家」という当たり前のシステムをもっています。
異民族の集合体である中国は20世紀になって初めて国を意識しました。
その為に4千年間変わらない「永遠不滅の中国」を演出するために
歴史を捏造して、最強の国家システムを作ろうとしたのです。
皇帝の私有物である帝國を中国という国民国家にすること以外、中国が
生きる道はなかった。
しかし1912年中華民国建国以来、国民国家に向けて必死に努力
しているが、いまだ成功したとはいえない。
何故なら中央政府も地方政府も2000年間続いた皇帝の感覚から
いまだ脱皮していません。
農民を虫けらのごとく扱う彼らを見ているとそのように感じるのは
私だけでしょうか?
崩壊の定義は難しいです、中国の場合 中国共産党の一党独裁が
崩壊して人民解放軍が七大軍区をそれぞれ独立国家として中国を
支配すると考えています。
欧米人も日本人もやがて中国も近代化すると思っているが、我々が
考えているような本当の近代化は未来永劫ありえない。
何故なら彼らの頭は 権力を握ったそのときから皇帝になって
しまうからです。
中国に輝ける未来はやってきません。中国は結局中国なのです。

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今日は中国人作家「魯迅」の目を通して中国のことを考察してみたいと
おもいます。
日本人の大きな間違いは漢文を通じて中国人を理解したつもりに
なってしまったことです。
今の中国語と漢文がまったく関係がないということを知らずに中国人を
理解することぐらい、馬鹿げた行為はありません。
そこで魯迅の小説で中国人の実態に迫りたいとおもいます。
魯迅の「狂人日記」を昔 中国出張の飛行機の中で読んだ時、
その内容の衝撃で中国での食事が出来なくなってしまいました。
内容は5歳になった妹を兄が料理して食べてしまった話です。
「妹は兄に食われてしまったのだ、母は知っていたのだろうか、俺には
わからない、母は知っていたのだろう、何も言わなかった.たぶん
当たり前のことだと思っていたのだろう。」
「4千年来、いつも人を食ってきた場所、今日やっとわかったのだが、
おれもそこで長いあいだ暮らしてきたのだ、兄が家事をきりもりしていた、
ちょうどそのとき妹は死んだのだった。彼が料理の中にまぜて、俺たちに
食わせた、4千年の食人の履歴をもっているおれ、はじめは
わからなかったが、いまはっきりとわかった」
この小説の最後は「人を食ったことのない子供なら、まだいるかも
しれない! 子供を救え・・・」で結ばれています。
「人が人を食う社会」という表現は日本人なら中国社会の苛酷をいう
比喩としてしか読めないが、中国歴史の中では、現実に繰り返し
行われてきたことであります。
魯迅は日本に留学したことによって 日本人と同じ目になっていた、
そして当たり前になっていた食人文化の連鎖を断ち切るために、
この小説を書いたのではないかと思われます。
魯迅の生きた時代は 長く続いた王朝は辛亥革命(1911年)によって
崩壊し、社会は混乱の極みで、前途に光は感じられなかった。
魯迅は日本に留学したことによって、近代文明にふれ、人間の常識と
秩序を知った。自分が育ってきた社会が余りにも日本とかけ離れていた
ために、逆に日本を通じて自分の国である 中国を知ることになった。
いま日本の大学で教授に居座っている多くの中国人教授も、この魯迅の
ように日本社会で暮らすことによって 知識と常識を見につけたと
おもわれます。
魯迅の小説の世界はまさに中国社会や中国人の本質をついています。
魯迅は日本の資料で中国の儒教を深く知った、しかし自分が知っている
中国はその儒教とはまったくかけ離れた世界であると知ってしまった。
逆に日本の中国研究家は儒教の精神と中国人を一体化してしまった。
ここに日本学者の大きな感違いが生じてしまったのです。
魯迅は中国社会を窓もない大きな鉄の部屋として書いています。
「この鉄の部屋は,一つも窓がなく、どうしても打ち破ることが
出来ないのだ、中には大勢の者が熟睡していて、まもなくみな窒息
しようとしている。しかし昏睡したまま死んでしまうのだから、死の
悲しみを感じることはない。
いま君が大声でわめいて、幾人かの者を起こしてしまったら,救うことは
できないのに、臨終の苦しみを受けさせることになるが、君はそれを
かえって彼らにすまないことだと思わないのか」
魯迅は日本に留学して日本の目線で中国社会を振り返った時、中国人
は 窓のない鉄の部屋に閉じ込められて、外の世界を知らないまま
窒息死していく、しかし外の世界を知らないということは、不満も
生まれない。
魯迅一人が大きな声をあげて幾人かを覚醒させても、かえって苦しませる
だけで、自分のしようとしていることに意味があるのだろうか!
どうせ助けることが出来ないなら、鉄の部屋に窓をつけるべきでない。
と悩んだにちがいない。
しかし魯迅は中国社会を文学的方法でこれを改革しようとした。
魯迅が亡くなって100年余り、中国社会の鉄の部屋は、多くの窓が
自然に開いた、それはテレビであり、インターネットであり携帯電話
です。
中国共産党は必死になって鉄の窓を閉じようとしてきた、中国国民に
外の世界を見せたくない、見せることによって不満が増幅すれば
中央政府に攻撃の刃が向かう。
そこで自然に開いてしまった鉄の窓に 捏造された中国の歴史を見せ、
偽情報を流し、21世紀は中国の世紀であると大声で叫び、国民を
洗脳した。
チベットやウイグルに突然侵入して、領土拡張を図り、これらは
もともと中国の領土であると内外に宣伝した。
国民を統一させるために常に外に敵を作る必要があった。その第一の
標的は日本である。
北京詣でにいそしむ日本の政治家を 鉄の窓(テレビ)から国民に見せて
卑屈な笑顔で我々要人の前でひれ伏せている日本の政治家は、
みな中国に恐れをなしているぞ、どうだ 中国は強いぞ、いくらでも日本を
こづきまわせるぞ、と国民に誇示した。
魯迅は鉄の部屋に窓をこしらえて、外の世界を、真実を見せようとした、
中国共産党は開いてしまった窓から国民に中国中心の虚の世界を
見せた。
魯迅の推測どおり、鉄の窓から真実を垣間見ても、苦しみが深くなった
だけ、だった。
魯迅は日本で暮らし、日本語をマスターすることによって、常識のある
近代人になった。そして
日本で深めた中国の精神的支柱であった儒教的な考えの欺瞞性を
暴こうとした。儒教を説くその口で 人は人を食べてきたのが、中国の
歴史である。
この小説の最後の言葉、「人を食ったことのない子供なら、まだいるかも
知れない、子供を救え・・・。」という言葉は絶望的な思いから発して
いるとおもわれます。
辛亥革命前後の混乱期に敢然とペンを執って立ち上がり、中国人を
人間に導こうとした魯迅の苦悩と不屈の精神は、中国人を覚醒さす
こともなく歴史の彼方に追いやられてしまいました。
中国人が精神的近代人になれるのは、この後 長い長い年月が必要です。

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20数年前 ビジネスで中国人と関わるまでは、中国ロマンに憧れて
いた一人です。
ところが公共道徳心の欠如、厚顔無恥、泥棒天国、詐欺師、の中国人の
歪んだ品性に接したとき、私は運が悪くて、たまたま
悪い人に当たっただけで、レベルの高い人たちは他に大勢いるはずだ
と、数年間は思っていました。
おそらく多くの日本人は、未だ孔子、孟子、老子、など偉大な思想を
生み出した中国文化に対する深い思い入れがあり、その上 日中戦争
への贖罪意識が重なって、現代中国をありのまま見ることが出来なく
なっています。
とくに日本の政治家は中国の一般庶民と接することはないために、
2000年前の中国のままのイメージで中国を見てしまっています。
そしてまったく勉強しない政治家たちは、日本が2000年間も中国
文化の影響を受け続けて今日があると言う抜きがたいコンプレックスに
覆われています。
私はブログで何回もこのことの誤解を解いてきました。
日本は建国以来、20世紀に入るまで中国と正式に国交を持ったことも
ないし,持とうとも思ったこともない。
日本は遣隋使、遣唐使によって無数の漢籍を大陸から持ち帰り、それを
徹底的に研究した。結果日本人は2000年前の「論語」や漢詩の
影響を多大に受けた。
しかし唐の朝鮮半島の侵略を見て危険を感じた日本は、中国に対して
絶縁をした。それ以降中国と外交関係を持ったのは、1871年の
日清修好条規からです。
日本は2000年以上前の中国文化の影響のまま長い間凍結した。
そうした漢籍による教養が身についたまま現代中国と接しても、中国人
の実態は闇の中です。
異民族が常に中国支配してきたため、日本人が身についた漢文の
教養が中国人にはまったく影響を及ぼさなかったのです。
ところが日本人は中国人もこの漢文の教養が身についていると大勘違い
してしまいました。
ほとんどの中国人にとって漢文は理解不可能なのです、現代中国人
だけでなく大昔から一般人は誰も漢文を読みこなせなかった。
ところが日本在住の中国人教授は「中国庶民は孔子や孟子の教えが
脈々と引き継がれてきた」と大嘘を言います。
異民族の集合体である中国には古代から共通中国語など、一度も存在
しなかった。
各地方ごとに言語が異なる状態で、漢文が脈々と引き継がれる
はずがない。
中国人は近代になってやっと自前の文字をつくった。
このとき日本に留学した中国人が日本を模写しながら「話している言葉」
を作り出した。(白話運動)
魯迅もそのなかの一人です。魯迅は最初 医学を志して日本に
留学した。ところが日本から中国をながめたとき、中国人の無知蒙昧に
絶望してしまった。
そしてメスの代わりに筆を手に取り自国民を啓発させるために文学を
書き始めた。それから一世紀近く経っていますが中国人の無学は
一向に変わっていません。
北京大学の学生に「魯迅の書いた「阿Q正伝」を読んだことのある人は」
と質問したら皆無だった、中国青年のうち、40%が家に本を一冊も
もっていなかった。中国には公共図書館が約2500ありますが、
そのうちの341の図書館が一年間に本を一冊も購入しなかった。
(中国青年報、)
「三国志」「紅楼夢」「水滸伝」を読んだことのある学生はごくごく少数、
世界文学の名作すら読んだことのある学生は一名もいなかった。
中国で本屋を出しても営業が成り立たない、人口に比べて少なすぎる
図書館すら廃業に追い込まれ、店舗に改造されてしまいます。
このような国が日本人が信じる『文化大国』でしょうか!
いつになったら日本の政治家たちは中国の真実を知るのでしょうか?

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中国が8月1日に独占禁止法を施行する。
この中国独禁法を安易に考えていると とんでもない目にあいます。
中国の独禁法は、どのような行為が違反となるかを具体的に
示されていない。
ある日突然、独禁法に抵触したとして巨額な制裁金を課せられる
恐れがあります。
普通の国の法律なら裁判で どうどうと戦うことが出来るが、中国の
法律は正悪を決めるために存在していない。自国の利益のみだけで
存在している。
中国にとって法律とは外国を攻撃する武器としてしか考えていない。
もちろん独禁法は公平な競争を保護するという市場経済体制にとって
不可欠な法律だが、共産国家 特に中国では国有企業が長年、
市場独占を許されてきており、自国の国営企業には目をつぶり、
主に外国企業の攻撃に使われる可能性が高い。
ここで中国のホンネを分析して見ます。
中国はこの20年間 「経済開放政策」でまんまと資本主義国家の資本と
技術を無料で取り込むことに成功した。
しかし外国も技術のコアの部分は警戒して中国に教えることはなかった。
中国から見れば各国は中国の安価な労働力を利用するだけ利用して、
各企業は太った。その代わり中国経済も大きくなったが中国は
ここに至って悔しくて仕方がない。何故なら
当初は各国の大企業やハイテク企業を優遇して投資を
引き出してきたが、中国企業がそれらの多国籍企業のように最先端の
企業になりえなかった。
例えば中国最大の家電メーカー・ハイアールは2004年以降、
大幅な赤字に転落した、そのほかの家電メーカーも相次いで
経営危機が伝えられています。
その原因を中国は、各企業が 技術のコアの部分を教えなかったと
身勝手な解釈をした。どこの企業だって自社で開発した技術をただで
教えるような企業はどこにも存在しない。
そこで中国は独禁法を施行させて、提訴するぞと脅しをかけること
よって、技術のコアの部分を手に入れる戦略をとろうとしています。
欧米の企業はいわれなき提訴については それぞれの政府が
バックアップしてくれるが、日本の場合は政府が中国に圧力をかける
ような、力をかしてくれない、土下座外交が得意な日本政府ではあてに
出来ない。
と なれば日本の企業中心に独禁法に抵触したとして巨額な制裁金を
科せられる可能性があります。
いいがかりと脅しが得意な中国政府にとって日本企業は格好の
餌食にされてしまいます。
中国企業の国内の実力はまだ弱く、いまだ外国の企業と太刀打ちできる
段階にはない、その結果、短期間で外国企業が中国国内でシェアを
握るケースが増えている。
品性劣悪な中国は努力して外国企業に追いつくのではなく、法律を
武器にして、外国企業の技術をただで取り込み、言うことの聞かない
企業に対しては巨額の制裁金を科するつもりです。
世界経済のメーンプレイヤーであるトップ500社のうち、300社
余りがすでに中国に投資している。
法律を自由に解釈するのが得意な中国政府は今後これらの企業に
いいがかりをつけて、自由にコントロールするつもりである。
日本の大手企業のなかには、再販価格の維持を指示しているところが
あり、真っ先に摘発される可能性があります。
明らかな独占行為として、コンピューターのOS、感光材料、タイヤ、
ネットワーク設備、カメラ、ソフトウエアパッケージなどは、
直ぐにでも提訴されます。
中国で多くの業界関係者から米マイクロソフトを『適用第一号』に
との声があがっています。
中国の国産「EIOficce」を開発した曹総裁はライバルのマイクロ
ソフトを提訴すると息巻いています。
技術的に勝てないと見ると法律を武器にして攻撃してきます。
中国政府は多くの投資をしてしまった大企業はいまさら逃げ出さないと
高をくくっていますが、大手企業の一件でも独禁法で摘発されて巨額な
制裁金を科せられたら、一目散に逃げ出すことは必定です。
今後大手企業は、留まるリスクと逃げ出す経費と中国市場を天秤に
かけて判断を迫られることになります。
情報の遅い日本企業は痛い目に遭わないと、気がつきませんが、
早く逃げたほうが勝ちです。
法律があってないような国でのビジネスはリスクが余りにも大きすぎます。
チャイナリスクは怪しげな法律だけでなく、本当のリスクは、食料不足、
水不足、環境破壊、資源、エネルギー、政治的腐敗、少数民族の離反、
貧富格差の拡大、農村の衰退、年間約8万件に及ぶ住民の暴動、
社会的治安の悪化です。
中国はこれらの基本的な問題をほとんど無視しています。
日本の大手企業は、中国の恐ろしさをすっかり忘れて、ビジネスに
集中するあまり、中国の政治の実態と中国人の品性を甘く考えて、
います。
北京五輪以降、中国は深刻きわまる経済危機に直面し、それが全国的な
暴動を誘発して、中国全体の社会秩序を破壊させていきます。
後10日に迫った北京五輪が何事もなくできるかどうか、日本選手の
無事を祈らずにはおれません。

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以前 日本在住の中国人で日本の大学教授の本を読んだ、この人の
専門は日中比較研究である。
中国人が日本と対比しながら中国人
を論じると、日本人の多くのは、「さもありなん」と思ってしまう。
しかしこの教授の知識や思考は完全に日本で手に入れた知識である。
中国で勉強してきた知識ではない、日本の書籍を熟読して、いかにも
中国ですでに勉強してきたかのごとく、中国人の性格や歴史を
論じている。
この教授は学生時代に 捏造された中国の歴史を学んで日本に
やってきた。彼の経歴を見れば中国大連で日本語学部卒業と
書いてある。
日本に来て中国歴史を学んだ、それも学者が陥りやすい漢文を中心に
勉強したに違いない。
この中国の教授を批判する前にまず 中国の歴史学問上の現状を
お話します。
はっきり言って中国には過去を知るべき古文書があまりない。そんな
バカな とお思いでしょうが、事実なのです。
中国では権力者が変わると以前の文章は全て焼き払われる。征服者
は常に人種の違う異民族ですから、以前の歴史はまったく価値を
もたない。
金目の物以外は何の価値もない、古文書など邪魔になるだけである。
秦の始皇帝以来、焚書(書物を焼き払う行為)は当たり前の事なの
です、始皇帝は焚書だけでなく学者(儒者)まで、穴埋めにして
殺してしまった。(焚書坑儒)
始皇帝の焚書は少し意味が違います。彼は儒者が邪魔だったのです。
近代では毛沢東が、秦の始皇帝とまったく同じように、焚書坑儒を
やり、知識人や金持ちの商人を殆ど殺してしまった。
一部の知識人や商人は、 ほうほうの体で香港に逃れた。
ところが皮肉なことに日本では昔から中国の研究が進み
あらゆる資料が整っていた。
あの有名な魯迅が日本に留学して、日本語をマスターすることによって
日本にある中国歴史書に接した、そして驚嘆した、祖国中国では絶対
に知りえない中国の歴史を知った。
この時代に魯迅と同じように中国人が数万人留学生として日本にやって
きた、彼らは魯迅と同じように日本で祖国の歴史を知った。
そして日本人が作った漢語を借用して、新知識を中国に紹介した。
そのことによって中国は近代文明の入口に立った。
日本語を学んだ中国の知識人たちは、徹底して日本を模写した。
現代使われている中国語が、文体もボキャブラリーも日本語からの
借用であるという事実を中国は隠してしまった。
残念ながら日本人も知らない。
話を先ほどの中国人教授に戻します。
教授の書いた本を一冊丸ごと批判するには私のブログでは不可能です。
そこで一部を抜粋して論じて見ます。
彼は歴史認識の違いで中国が日本を攻め立てる言い訳を長々と
書いていますが、次の一文で思わず笑ってしまいました。
「中国国民の精神性において、歴史は非常に重い、中国人が
「歴史認識、歴史認識」としつこく迫るのは、歴史というものをとても
重く見ているという文化的な背景による」
普通の人は、「そうなんだ」 と思ってしまいますが私のブログの
教養のあるコメンテーターは、私と同じように笑ってしまったと
おもいます。
歴史を捏造して政治にしか利用しない国で、「歴史が非常に重い」とは、
またこの教授は中国人の愛国心について、次のように述べています。
「中国における愛国の始まりは、四書五経のひとつに出てくる有名な
言葉『修身斎家治平天下』と考えられる。
自分と国を大切にすることの重要性が述べられている。こうした
考え方は、以来、中国国民に脈々と受け継がれてきている。日本人に
大和魂があるように、彼らには中国魂がある。それが愛国心だ」
この教授に教わっている日本の大学生は、この大嘘を信じてしまうの
でしょうか?
わたくしのブログで何回も解説しているように、中国は、異文化、異言語
の人々の寄せ集めである、いまだに上海人は上海語を話し、広東人は
広東語を話す。
歴史上 常に異民族が支配した国、一民族としての中国人は一度も存在
しなかった、このような国で2000年以上前の儒教の経書である
四書五経が、「中国国民に脈々と受け継がれてきている」とは中国人を
買いかぶりすぎである。教授は中国人であるから仕方がないが!
漢文も読めない人々がどうして脈々と受け継いできたのですか?
教授の次の言葉「孔子以来、2500年、中国人にとって昔から、
学ぶことは愛国のためのものだった」とは この教授は自分の
国の歴史をあまりにも知らなすぎる。
中国人は、歴史始まって以来、周辺の民族と多少混ざっても、中国人
としてのアイデンティティーを持ち続けてきた と教授は思っているに
違いない。
魯迅は日本留学によって知識を総入れ替えしてしまった、
そのことによって彼は2千年来 中国人がなにも進歩していないことに
気がついた、そして中国人を皮肉った「阿Q正伝」という小説を
かいた。
この教授は魯迅のようにならず ひたすら中国を弁護することによって
プライドと大学教授の地位を守っている。
教授の略歴を見ると、一流大学の教授を歴任、朝日新聞客員研究員、
その他多くの委員会を歴任しています。そのうえ総理大臣の私的諮問
機関の委員までしています。
日本の大学には多くの中国人教授が存在しています、なぜ簡単に
大学教授になれるのか、日本人の中国崇拝は学者ほど呪縛に
かかっています。
中国人が中国人を まったくわかっていません。
わかればわかるほど、中国人のアイデンティティーが消えていきます。
まさにアイデンティティー・クライシス(自己認識の危機)に陥ります。

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