蒙古襲来の最大の被害者は朝鮮族(高麗) 2月6日(木)


韓国人はなぜこれほどひねくれて、根性が汚い民族なのかを解き明かすべく
韓国の歴史をたどってきました。

前回は「元」の支配下に置かれた高麗について検証した結果、必然的に蒙古
襲来について記述しなければならなくなりました。前回は蒙古軍の1回目の
日本攻撃「文永の役」について述べました。今回は2度目の攻撃である
「弘安の役」について検証してみます。

1回目の日本攻撃で蒙古軍は日本武士の死を恐れず突進してくる迫力に脅威
を感じていました。とくに常に前線で戦うことを強要されていた高麗軍は戦
闘状態に入って初めて日本軍が並々ならぬ難敵であることを知ったのです。

フビライにとって日本は東方海上に浮かぶ小国であり、ちょっと威嚇すれば、
直ぐに平伏するにちがいないと軽く考えていました。もちろん朝鮮族(高麗)
も同じように考えていました。

蒙古の忠実な属国になっていた高麗の忠烈王は「元」をバックにして日本に
脅しをかければ日本は恐怖で直ぐになびき、その果実の一部分だけでも手に
入れることが出来ると考えていました。

そのころ高麗は30年以上にわたって蒙古軍の蹂躙に悩まされ、山野は荒廃
し、人民は疲弊の極にありました。だからフビライを焚き付けて日本に目を
向けさすことを考えたのです。

そこでフビライは高麗の進言により、日本を服属させるために元の使者に国
書を持って行かせました。日本は返事を持たせぬままに使者を追い返しまし
た。日本側の対応に激怒したフビライは直ちに1千隻の軍船を造るように高
麗に命令をだしました。

つまり高麗の忠烈王の思惑は完全に外れ、かえって苦労を背負い込むことに
なってしまった。高麗にとっては、その代償はあまりにも大きなものでした。

しかし前線の高麗軍は対馬・壱岐への侵攻の際、将兵、民衆の区別なく残虐
の限りを尽くしたと「勝本町史」に記述されています。

日本人は、このような高麗軍(朝鮮族)の人間とは思えない残虐な行為に激
しい敵愾心を燃やし、いよいよ戦闘意欲をかきたてられた。結果として1回
目の蒙古来襲の進撃を赤坂の線で食い止めることが出来たと書かれています。

蒙古軍にとって日本攻撃の敗北は初めての屈辱でした。フビライは直ちに再
攻撃を決意し、再度使者を送った。決戦の意を固めていた時宗は使わされた
使者を斬首しました。

こうした行為は蒙古にとって最大の侮辱でした。蒙古は当時の世界の大部分
を残忍な方法で征服した、負け知らずの恐るべき民族に日本は最大の侮辱を
あたえたのです。

時宗も多くの日本人も知るよしもなかったろうが、折しもその時、司令官ジ
ュチ率いるモンゴル軍は、はるか西方、ポーランドにまで侵入して、勇猛で
知られたヨーロッパ騎士団の連合軍4万を一瞬にして打ち負かし、一人残ら
ず皆殺しにしていたのです。

文永の役で一番被害を受けたのは高麗でした。しかし高麗には、またもや
千隻の船を直ちに建造するように命令が出されました。朝鮮人は日夜奴隷
のように働かされ、働けなくなったものは情け容赦なく殺されました。

高麗の忠烈王はフビライに高麗の窮状訴えました。「すでに民は木の実・草
の葉を採りて食し、民の苦しみはこの時よりはなはだしきはなし」高麗の血
を吐くような訴えにもフビライは全く聞く耳を持ちませんでした。

1281年5月(弘安4年)機は熟したと見たフビライは、まず朝鮮半島の東路
軍に出撃を命じ、4万の兵を載せた大艦隊は九州目指して出陣した。それと
呼応するように中国南部の海岸でも蒙古と南宋の10万の兵士(江南軍)が
3千5百隻という途方もない数の軍船に乗り出陣した。

一方、これを迎え討つ日本軍は上陸が予想される九州北部に4万人の武士が
頑強な石築地の後方に布陣していた。この石築地は基底部3メートル、上面
2メートル、高さ3メートルほどの台形状に石を積み上げたもので、蒙古軍
攻撃を予想して、延々と20キロにわたって構築されていました。

東路軍は壱岐周辺で江南軍と合流するために10日間ほど待ったが一向に現
れないために業を煮やして江南軍をまたずに博多に向かった。6月6日、東
路軍は博多湾に来襲したが堅固な防塁を見て直ぐに上陸するのを見合わせ
湾口に碇泊した。

蒙古の大艦隊が現れるや、日本の武士は直ちに攻撃を開始、日本側は、前回
の戦闘から得た教訓を十分に活かして、海上で凄まじい戦闘が繰り広げら
れた。

6日の夜、小舟を仕立てて敵船へ夜襲を試みた。日本軍は敵の不意をついて、
敵船に乗り移り、さんざん暴れ回り数百人の敵を斬り殺し、船に火をかけて
引き上げました。

闇の海上より不意に現れる日本の船は、まさに神出鬼没で、突然と乗り込ん
で斬りかかってくる武士に、さすがの蒙古兵も恐怖で為す術がなく、そこで
元軍は各船を鎖でつなぎあわせて日本軍の攻撃を防ぎました。

8日には元軍は志賀島に通ずる海の中道から陸路攻撃が続行されが、豊後の
守護大名大友氏が大将になって元軍に猛攻を加えた。猛攻に圧された元軍
は全軍船に非難しました。

一方蒙古軍の主力である江南軍は東路軍と合流する予定が1ヶ月近く遅れて
いた。日本軍の凄まじい防戦にあった東路軍は、ついに九州の海岸線より中
には侵入することは出来なかった。そこで一旦引いて、後続の江南軍を待つ
ことにしました。

続きは次回にて



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コメント

参考文献はありますか?

いつもまだかまだかと読むのを楽しみにしています。辻本さんは実体験と重ねブログを書かれているので、貴重な意見であると思います。今回は私はそれほど歴史について詳しくはありませんが、あまりに朝鮮が情けなく描かれており、見てきたかのような書き方に、朝鮮のファンタジーと変わらないのではないのか?と疑問を持ちます。できれば参考文献などを記していただくと助かります。

お疲れ様でした。

面白く読ませて頂きました。
本当は日本武士団は強かった、我々が教えられてきた元寇は日本を侮った、偏った扱いだったんですね。
自分でも色々調べさせて貰いましたが、大抵と云うかホボ全歴史ブログの記述は日本武士団側の激しい反撃でした。

その反撃を受けて元軍は野営は危険と判断しせっかく取った橋頭堡を捨てて船で野営する事と決めたそうです。

船で野営してからがこれまた先生が書かれた様に夜討、朝駆けにやられ捲くり苦戦の連続で大変な思いになったとか。

psおまけ

日本のサヨクは左翼な非ず。

特亜の申し子、今は特亜利権の手先、当然敵の人権と権利は至上命題ですが、その他の人権や平等には酷く無関心で鈍感。

左翼サヨク、日本に居る俗に言うサヨクは只の敵の手先で売国奴。

実は彼らは特亜ナチスと云うか特亜ファシストで人権、平等は戦後民主主義で至高と思われる価値観で言論武装して言論闘争しているだけの輩ですから。

リベラル左翼が爆弾で銀行、道庁を吹き飛ばしますか?
テルアビブ空港でアサルトライフルを民間人に向かって乱射して殺し捲くりますか?

サヨク革命など最初から分かり切った絵空事、当時の若い人達は有り余すエネルギーを其処で発散させただけ。

当時から既に一般人は共産主義の嘘っぱちに気付いていた。
何故なら夢のような理想社会と宣伝されたソビエトロシアの記録映画等の少ない情報から、漏れ伝わるリアリィテーにきずいたからだ。

理想な筈なのに、暗い顔で笑顔の無い民衆、薄汚いあばら家で暮す貧乏で只等しく貧乏な民衆達、監視社会と出鱈目なモスクワ放送、戦後間も無くしてシベリア送りが帰って来て話すソビエトの実情を聞いた人達は恐怖と狂気の独裁に戦慄した。

そして口コミと空気だけで利権団体所属者以外は理解した共産主義の理想は嘘っぱちで内情は暗黒社会だと。

歴史に詳しくないのですか?

>荒澤様、ソロと申します。
>>あまりに朝鮮が情けなく描かれており、見てきたかのような書き方に、朝鮮のファンタジーと変わらないのではないのか?
 もしもし、800年近く前の元寇の記述に対して、「見てきたかのような書き方」って、、どういう意味でしょう。 

 辻本さんは、筆を起こす前に、従来の文献には書かれていない事、詳細が無いモノには、それなりの文献を読み、情報を収集した上で書かれておられます。 勿論、前後の状況から推定した部分はありましょうが、それなりに、表現が正確になるように努力・工夫した結果だと思います。

 そういう部分を読んでいないで、ソースのみを要求しているのなら、例え、それがあなたの感想でも、無礼が過ぎると思いますがね。

 一方朝鮮の歴史ファンタジーは、朝鮮のマトモな歴史を知って居れば、すぐにファンタジー=願望投影と分る範囲のモノです。 

 例えば、米国で忍者が流行れば、すぐに忍者を登場させるなんて、やってますが、仮に、朝鮮王朝内の確執に、忍者が必要だったとして、その対象になる武人集団が居たという記録がまるでないのは、朝鮮国内で武を必要とする様な事象が、殆ど起こっていないからですよ。

 それは、両班が文班だけに偏るという歴史的事実となって表れて居る事でしょう?

 辻本さんの記述にそうした違背がありますか? あったら指摘してみてください。

元寇

元寇についてはとても興味があります。
「神風」で片付けられる話ではないと最近しりました。
続きを楽しみにしています。

神様、在日朝鮮人や支那人に鉄槌を下せる人物が東京都知事になりますように!

(・”・)

今のクネさんは、現代の元(フビライ)を探しているのでしょうか。 シナかアメリカかロシアかなーんて。いずれかの強いところの手先となって、日本から何らかのものを掠め取ろうとしているのでしょうか。
日本は防塁を築いて、積極的防衛力で叩き潰さねばなりません。
神風はきっとまた吹く。
それにしても、日本は古来から国を挙げて一致団結して外国と戦う体制が即座に構築できる国なのですね。
朝鮮も日本も国民性は代っていないのでしょうね。
次回を楽しみにしています。

韓国の虚言を許さない

アメリカ各地で従軍慰安婦碑や像が設置され、米国在住の日本人にも被害が顕在化してきています。これは、韓国の虚言を放置してきた結果です。虚言であると反論しても、「河野談話」という大きな壁に阻まれてしまいます。

反論する際に、過ちを犯していることにもあります。「日本はすでに謝罪している」「賠償金は日韓基本条約で解決済み」「民間の基金で賠償をしている」などは事実ではあるがこれだけでは誤りです。

これらの言葉の前に、「日本軍による強制連行はなかった」が必要です。この言葉がなければ軍による強制連行を認めたことになります。アメリカ国民の中には、「事実を知った上で日本軍従軍慰安婦に謝罪」を叫ぶ人間もいます。

それは、日本の中にもいます。日本の中にいる「反日日本人」が一番厄介です。外国からみれば、「日本人が認めているではないか」と言われます。

世界に浸透した「従軍慰安婦問題」を解決するためには、「河野談話」の撤回と政府民間団体による「真実」の拡散しかありません。維新の会の杉田水脈議員が国会で提言した「河野議員の国会証人喚問」を実現さす必要があります。

元慰安婦の証言の公開を拒否し、河野議員の国会証人喚問も拒否するのであれば、「従軍慰安婦問題の犯人は日本政府」といえます。

面白い

昔からたまにこのサイトにきて見ています。私も史実を自分なりに調べて勉強してますが、とても話がわかりやすく整理されていていますね。
次回続きが楽しみです!

飛ばし?

犬は喜び庭駈けまわり、猫は火燵で丸くなる。
雪やこんこ、降っては降っては ずんずん積る。
雪だー。
今日の夜のバイト。ユキ休みの、ちりちゃんです。

予報では知ってましたが、関東地方スンゴイ雪です。
今も続いている、この吹雪いている状況。私の想像を超えてます。
この雪が明日としたらやばかった。ぞっとします。

未明まで、「まだ降りやまぬ」状態なんで、
明日、歩いて外に出かけるのは大変と思うのですが、


東京在住の皆さん、絶対投票してください。絶対ですよ。


明日は、晴れ間もあるとの予想なんで、よろしくお願いします。

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管理人さん、一話、重要な話を飛ばしてませんか?

誰の断わりもなく、カッテに、私が補完します。
今のモンゴルに敬意を図り、以下、キーボードをタタキます。

弘安の役での引上げ、これは諸説あるのですが、
私はボクシングで言うとジャブだと思っています。
あっちこっち、手を広げすぎちゃっう中、
もうどこも勝ち勝ち勝ちのカチカチ山状況で、
フビライは、これでJPは降参するだろうと、
思ってたんじゃないかと思います。

で、フビライですが、弘安の役後、
正式な外交使節団を日本に遣わします。
元使さま 御一行:
 正使:杜世忠(34歳・蒙古人)
 副使:何文著(38歳・唐人)
 計議官:撤都魯丁(32歳・ウイグル人)
 書状官:果(32歳・ウイグル人)
 通訳:徐賛(32歳・高麗国人)

で、この元使御一行について、
鎌倉幕府第八代執権・北条時宗がどうしちゃったかっていうと、
やっちゃったんです。場所は、今の神奈川県藤沢です。
接見なし、書状も読まずに、
パーンと、クビ、ハネちゃったんです。
(でも、実は、私は北条時宗は内容はつかんでいたと思います。)

この行為が、ナンの意味を持つかっていうと、
とんでもないことやっちゃいましたです。

戦争な状況であっても、停戦や終戦、そしてその条件等の
交渉のための外交のやりとりは必要で必須です。
これが当時であっても、世界の超超超常識です。
でも、JPが実行した元使節団への、この扱いは世界の超超超非常識です。

北条時宗が若かったためでしょうか。
文永の役1274年24歳、弘安の役1281年31歳です。
ハネちゃったことについての評価は、良悪、諸説あります。
(これについてココで議論しても、カナリ盛り上がると思います。)

今改めて、ググってみると、ココあたりが、分かりやすいです。
http://naples09.blog85.fc2.com/blog-date-201310.html
このサイトの見解を私は支持します。
---以下転載---
モンゴルは何やらひどく呑気だったといっていい。
両国がはげしく干戈を交えてからわずか半年。
日本側にあっては、
モンゴルに対するその敵意たるやまことに猛々しく、
しかも、
ひょっとすると先刻の「勝利」に自信さえ深めている。
---転載終わり---

モンゴルは、日本が国内戦争ばっかりしている
戦争慣れしてたってことまで気がつかなかったんですね。

ハネちゃったことについては、もう一つ理由があります。
トップシークレット事項があったんです。
それは、博多沿岸に約20kmに及ぶ石塁です。
(まあ見りゃ、すぐわかっちゃんですけど。)
この絶対防衛ライン、元に情報漏洩してはいけません。
情報を大切にする元に対する対策です。
元使って、諜報活動を兼ねているに決まっているじゃないですか。
この点に考えが及ばない見解って、私は却下です。

いったんここで切ります。次続きます。

P.S.
>ソロさん
あんまり、かりかりしなくていいんじゃないのかな。
大雪で、明日の知事戦、イラついてる?

>荒巻さん
あんまり気にしなくてよいです。
聞かせてくださいじゃなくて、
強引なまでの自分の思いを発信した方がよいですよ。ここは。
最近、ココ過疎ってるんで、コメ継続お願いします。
メアドUP、立派だと思います。
私にはできません。

飛ばし? 2

で、元使で正使の杜世忠は辞世の句をウタッテます。ちりちゃんです。
「身につけた一定の教養が窺われる。 」です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%9C%E4%B8%96%E5%BF%A0

本題にはいる前に、
杜世忠含む元使節団が眠る、藤沢・常立寺のお墓の青い布?
青は、モンゴルのナショナルカラーです。
ここに、あの朝青竜が最初かな?、
お相撲さん中心にモンゴルの人たちが年一回お参りにきています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E7%AB%8B%E5%AF%BA
これは、日本の宗教感に感化さたことを意味します。
シ んじゃった人たちへのお祈り教です。
これ関連の考察も、機会があればUPしたいです。

「元の使節団さま」・・・合掌・・・・。
任務を遂げようとがんばった使節団の無念。
でも、JPだって必死なんです。やらせるかって。
繰り返しますが、この評価や判断、は割れます。

さて、本題の「杜世忠の辞世」です。
気持ち的には、「何文著の辞世」もココにあげたいのですが、
文量増えてしまうのでやめときます。

杜世忠の辞世です。立派です。
<漢文>
出門妻子贈寒衣、
問我西行幾日帰。
来時儻佩黄金印、
莫見蘇秦不下機。

<訓読文>
門を出るに妻子は寒衣を贈り我に問う、
西行く日にして帰るかと。
来る時儻(かりそめ)にも黄金の印を佩(はい)す、
蘇秦に見(まみ)えて機(はた)を下らざること莫(な)れ。

<訳文>
ネットを適当あさった訳文例です。
・ex.1↓
国を出るときに妻や子は「いつになったら帰ってきますか」と私にたずねた.
出世のことなど考えずに無事で帰って欲しいと・・・
・ex.2↓
家を出る時、妻子は寒さを凌ぐ衣服を自分に贈ってくれ、
西行(日本)からいつ帰って来るのか、
出世など考えずに無事に帰って欲しいと言っていたのに
・ex.3↓
妻子に、自分がどんなにみすぼらしいなりで帰ったとしても、
蘇秦の妻のように、蔑ろにしないで欲しいといい残してきたのに、
生きて帰ることができなくなってしまった。
・ex.4↓
出立の日に妻子が防寒着を私に送って、
いつ帰ってくるのかと尋ねた。
この国に来たとき私は金印を帯びた刀を佩いていた。
機会を見て蘇秦(中国・戦国時代の戦略家)にならい
和平を整えずに帰ることはできない。

私の受験漢文力量の訳文では、ex.4に近いのですが、
なぜ、ex.1~3となっちゃうんだか、全くわかりません。
どちらさまか、教えてくださりませんか?
もちろん、ソロさんでもOKです。

確か、この詩は李白の「別内赴徴」の第二首に
ひっかけたものと記憶しているのですが、
コー2の時の、先生との議論の中では、
イクサ方面ばっかりとなってしまって、
チョットは話題となったのですが、
飛ばしてしまいました。

P.S.
>管理人さん
次、まだ続けたいです。
けど、次は今回管理人さんがUPしたスレとカブリます。
チョット管理人さんスレとは違うところあります。
マナー違反知ってます。でも確信犯でUPします。
もし、NGであれば、コメをBANしてください。
BANとは、オンラインゲームの世界では、
banish:「追放する」って、意味です。

>コー2歴史の先生
かつての議論が役立ちました。
ありがとうございます。
「別内赴徴」の第二首は、国語(漢文)の先生に聞きに行けばよかったですね。
まあ、ここ見てるとは思いませんけど。気持ちコメUPです。

眠たくなってきました。後は明日にします。
決選、明日はどうなるか。

おやすみなさい。

東海の史実

朝鮮民族の執拗さと悪どさは中華民族以上です。叩かれない限りやめません。アメリカのロビー活動で日本海を東海に変えようとしています。目的は竹島占領の正当化です。

アメリカの州議員は韓国の東海主張を鵜呑みにしています。日帝の占領下で日本海にされたなどととんでもない嘘を言っています。放置すればどんどん広がります。

韓国の主張が何の根拠もないことをアメリカ議員に伝える必要があります。日本海は韓国併合以前からの呼称であり、アメリカの史実でも明らかです。

下記はアメリカの史実です。
米国議会図書館の1300年から1900年までの期間の所蔵地図帳を日本の外務省が調査した結果、同図書館所蔵地図帳で日本海海域を示していた地図は、総計1728枚あり、その中の1435枚が同海域に何らかの呼称をつけていた。その地図の77.4%の1110枚が「日本海」と表記しているのである。

また、その中の188枚(13.1%)が「朝鮮海」、22枚(1.5%)が「中国海」、20枚(1.4%)が「東洋海」、そして「東海」と表記された地図はわずか2枚(0.1%)にすぎなかったのです。

アメリカ政府が日本海の単独表記を認めているにも拘らず韓国は東海表記を世界に求めています。彼らの執念深さは人間離れをしています。東海表記が史実でない事実を拡散し、絶えず否定していないといつか史実にされてしまいます。

東京都知事選挙


神様、在日朝鮮人に支援されてる1億円収賄売国奴や、女癖の悪い2.5億円男が当選しませんように!

(・”・)

弘安 おちゃらけ流

朝は外は、一面ゲレンデでした。ちりちゃんです。

今回スレ補完続けます。
私は、「南宋の10万の兵士(江南軍)」が、
ナンだったのかってのを重視してます。

高麗の忠烈王はフビライに国の窮状訴えました。
「すでに民は木の実・草の葉を採りて食し、
民の苦しみはこの時よりはなはだしきはなし」デスが、
ハンジマ「忠烈王」って、「民」のこと考えるかな。考えません。
「民」じゃなくて、「俺」と置き換えてください。
そんなもんと思ってます。
国、そして民をを守るなんて、特にこの時期のハンジマ
全く想像つきません。守るのは、自分です。
で、また、ハンジマの「忠烈王」や「民」も、思考停止です。
元フビライからの指令文書への服従、これしか頭にありません。
付け加えて、
「忠烈王」とその取巻きは別として、
「民」はJPへの恐怖心が持っちゃってます。
(高麗には、軍人崔氏がいたんですけど、この話は省略。)

時系列では、
1271年 元成立
1274年 文永の役
1279年 南宋王朝没
1281年 弘安の役
の順です。

で、文永の役の7年後、弘安の役に向け、
元寇のもう一人の主役がいます。
南宋です。以降、南宋目線での考察です。
元何宋ナンナンで、以降は、国でなく土地の名前で呼びます。
このあたり、今の上海あたりイメージすればいいのかな、
江南といいます。
北側を華北と呼びます。どこまでが華北かっていうと、
時代時代ごとにどんどん、歴代チャイナ王朝の版図が変わるので、
うまく、いえません。北京をイメージすればよいと思います。
そして、言えるのは、華北は政治、江南は経済です。
これは、チャイナを2つに分けるとすれば、今にも通じます。

元は、高校の世界史でもある程度教わるので、
いろいろ勉強している人多いと思います。が、書きます。

で、元は、この江南潰さなかったんです。ここ重要です。
当時、世界一?の経済力、欲しさに、
ほぼそのまま、取り込んでいきました。
(江南の経済力のバックにはJPもいるのですが、この話省略。)
例として、1276年に首都臨安(杭州)は無血開城し、
恭帝をはじめとした南宋の皇族は北に連行されたが、
丁重に扱われてます。
そして、軍事関連もそのまま取り込みました。
ここは、モンゴルは、その他の地区の扱いと全く異なります。
やはり、経済や文化が、江南だけ別格だったためでしょうか?
一般的に、どうでもよいやつは、それなりの扱いですけど、
勇者は、負けても違う扱いなのかと。
また、当然、軍事関連は、次の手ごまにする意味合いもあります。
(ちなみに、JPによる元寇江南人の扱いだけは、特別でした。)

続きます。
次は、江南の范文虎、周福の登場です。

P.S. さっき、おばさんから連絡あり
2014年平成26年2月9日東京。逆転ムリと予想。
まあ、予測してましたが・・・。
イノセェーー。5千万位、弾きカエセヨ。
チイセーやつだな。今サラなんだけど。
これで東京の役人頼りになってしまいました。
(別の意味ですけど。)

朝から夕方まで、自宅中心に雪かき協力で疲れました。
地域活動良いですね、心はぽかぽかです。
寝ます。涙です。

雑感

>ちりちゃん、ソロです。 雪かきお疲れ様です。
>>北側を華北と呼びます。どこまでが華北かっていうと、
 私のシナの地域の判じ方で行くと、華北華中華南とは別に、河北、河南、中原、江北、江南という分け方があるのだと思います。 シナの地名にいう、河=黄河、江=長江、山=泰山、湖=洞庭湖亦は太湖 広=? 雲=? 四川=長江上流の会合域(蜀)に流れ込む四つの川・・というのは、定説になって居ます。 南船北馬を始め、南北の違いを現したことわざは山の様になりますが、是は、中国文明自体が2つの文明を足し算したもので、北が黄河文明、南が長江文明である事を暗示していますし、長江上流域も異なる文明である事を意味しています。 シナは兎に角広く、雑多な民族の雑居域だと考えるべきです。

 まとまりがないのが特徴で、文化文明は特定の氏族には存在するが、飢えから逃れてきたダケの庶民には、文明も文化も他所事です。 従い、日本の様に文化文明を異民族が持ち寄って、融合し、一つの文化文明を生み出すという話には到底なりません。

>>勇者は、負けても違う扱いなのかと
 南宋の滅亡時の文天祥将軍の話を指しているのでしょうね。 戦うものは、相手の戦い方を通して、相手と言葉の無い会話をしている様なものでしょう。 戦略とは、相手との読み合戦ですから、相手の人となりまで判らないと、読み間違えて大変なことになるからです。 其処で、長く戦をやっていく裡に、同じ土俵に上がった者同士にしか判らない共感や正義も生まれるわけです。 人間同士でやる事ですから、戦いと云っても、唯人をコロすだけを意味しているのではないのです。

>>JPによる元寇江南人の扱いだけは、特別
江南人=長江人=楚人、楚民で、その古は、呉・越人なんですね。

 彼らは、古より、数次に亘って日本に渡来・移住して来て居ます。 日本の武辺の民の殆どは、国人と呼ばれる地方豪族が作る集団に属し、是等、呉越の民の子孫、もしくは、その薫陶を受けたものでしょうから、彼らの姿、もしくは言葉には、見ただけで、同じ起源を見いだせるような特徴があったのかもしれませんね。 日本の漢字でいう呉音は、長江文明出自のモノと思います。 南江北河と謂う様に、川は同じなのに、長江の漢字は、スンダ文明の影響を受けて、今のサンスクリット語に近いそうです。 80年代万余の竹簡が出て来ましたが、その解読結果が出ていません。 余程共産シナにとって都合の悪い事が書いてあったのでしょう。

 に、しても、都知事選では、改めて東京都民にガッカリしました。 この先どんな展開になるかしれませんが、都民の「良識」って謂われても、全く信用できませんね。 投票率45%程度なのに、あの舛添に211万票をいれるのですから。

河野洋平の国会での証人喚問を自民党は拒否しました。

皆さん、もうお気づきでしょう。

日本には日本人の名誉や尊厳を守ろうとする政党は無いのです。

河野談話を撤回させるには、日本人に対する人権侵害で、政府を訴えて裁判で勝つ以外に無いのです。

現在の日本政府は明らかに日本民族の敵です。

日本民族の敵は南北朝鮮と支那なんじゃけんど、、、

(・”・)

慰安婦問題への是から

 ソロです。
>>日本には日本人の名誉や尊厳を守ろうとする政党は無いのです。
 有りますけれど、例えば日本政府は、市井の民が故に情報収集力に限界のある貴方とは、違う方法論やタイミングを用いると言うだけの事でしょう。

 米国民主党も、共和党も、戦後処理に措いて、「戦勝国軍が敗戦国に進駐・駐留する場合『敗戦国国民を混乱と戦勝国兵士の暴虐から護る』と云う人道主義の基本すら守って居なかった」と言えるでしょう。 何となれば、憲法九条は、「進駐軍兵士の生命保護を第一に、如何なる日本国民の抵抗も犯罪として処理する」事を意味する様に読めるからです。 その上GHQは、日本の治安当局には、凶暴で野蛮な米軍兵士や朝鮮人を取り締まる武力を一切与えなかったのに、です。

 我々は、是が日本の戦後体制のスタート地点だった、と言う事を認識しなくてはなりません。

 但し、米国は日本支配に関して、其れまで採って来た植民地や占領地の経営手段とは異なる方法を用いました。 即ち、日本には独裁者となる様な軍関係者は存在しなかったし、戦前日本社会で圧政を布く独裁者と思われて居た天皇陛下は、国民の心の最後の砦である事が判った。 是で、日本には独裁者体制を布く必要が無くなった。 米国は別の経営手段を持って居なかったが故に、精々、WGIPで、戦前日本の悪宣伝をする他は無かったのでしょう。

 然し、中南米等では、トルヒーヨやバチスタと云った、多くは軍を束ねる独裁者を支持し、彼等の利己的な利益の為に多くの、無辜の民の儀性が発生しても、我関せずの姿勢でした。是は日本以外の国や地域では手段として用いられて居ます。 即ち、台湾には蒋介石を韓国には李承晩と云う独裁者を据え、其々、2・28事件(2万人以上)、4・3事件(8万人)、保同連盟事件(115万人)と云う()内の犠牲者を出したのに、歴史の闇の中に葬り去って居ます。

 その様な大量殺戮を防共を大義名分として、独裁者に実施させた米国にとって、慰安婦問題など取るに足らない話ですし、その地平で考えれば、戦前日本人の誇りや名誉等、顧慮する価値も無い事になりましょう。

 処が、従軍慰安婦と云う制度が明らかに戦後の創作で、現実のもので無かったが故に、次第にその存在の蓋然性が取り沙汰されるにおよび、米国も他の欧州列強も、「自分達の問題」に波及する可能性が出てきた。 

 即ち、英仏独には、軍に帯同する売春婦集団が居ました。 米国自身には無かったが、否、無かったが故に、戦後米国が関わった戦争の進駐先で、現地の民間婦女子への暴行、強姦行為で多くの父無し子を遺す事が、常態化した史実が浮かび上がる事となって、自らも火の粉を浴びねばならなくなった。 然し今更、「日本の制度だけ特別」とは最早云えない位、検証や証拠が揃って終っていた為に、この議論に今から入れない事態に成っている。

 もし、欧米戦勝国軍=国連が、この事案を公に取り沙汰される事を強行して、日本と事の真偽について争うのならば、その過程に措いて明らかになる史実の数々で、彼等の人道主義の大義は、根本から崩れさるでしょう。 ソウデ無くとも、日本と殊を構えるのは、経済的リスクを背負い込む事と同義である可能性が大きい。 「戦前の事ダカラ」、と一定の日本側の妥協を条件に事を荒立てたくないのが、欧米の本音でしょう。

 韓国や共産シナは、片や日本を誹謗し彼等の考える事大主義に基づき生み出される現代版の華夷秩序で、日本より優勢な位置をしめんとする、片や、日米離間を画策しているのは明らかですが、殊に韓国は病的な反日で見境を無くして居るので、勢い余って、欧米の虎の尾を踏む話になりそうですし、しつこいが、何ら史実や真実味が出てこない韓国や共産シナの話に、寧ろ、彼等を黙らせる方法を模索した方を選択するのではないかと思います。

 日本政府は、此の政治問題化して拗れているが、所詮、戦前の話を糺すのに、日本の未来を賭けるべきか、と云う逡巡、賭けるにしてもそのタイミングを諮って居ると思われます。 

 言いだしっぺの韓国も、其れを煽り、棚ボタを狙っているシナも、国力自体が風前の灯となっている現状を考えれば、日本政府は、彼等の失態を俟っているのだと思うのですがね。 此の問題を取り下げず、粛々と問題解明を進めるならば、日本が慌て無ければならない要素は一つも無いと思います。

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